第一王子は廃嫡を望む 作:逆しま茶
リュミエールはフィリアを特訓することに決めた――――のだが。
一般的に、基本的な知識というのは家庭教師から教わるものである。いわゆる読み書きから、嗜みとして音楽などの芸術面を習う。それから年齢が進むにつれて学習内容も細かくなっていき、芸術面でもダンスに加えて地理や歴史、絵画やピアノなど様々なものを習う。
教養がありすぎるのも不利であると言われるが、それは普通の令嬢の場合だ。
それこそ高位の貴族に嫁ぐような令嬢は、求められるものも高い。王太子クラスになると外交なんかも関わってくるし、そこでの話はそれこそ国の威信に関わる。
リュミエールの場合、貪欲に己を高め続ける“彼”に合わせて際限なく己を高め続けたという理由があるのだが―――――それはいい。
リュミエールが扱えるのは、大陸西部での共通語であるテラン語、北方でよく用いられるエゲル語は堪能だが、古語であるラグナ式言語と西方諸島で用いられるスペラ語は嗜む程度。
ピアノはあの人に褒められるくらいには自信があるし、ダンスだって誰より上手に踊ってみせる。政策の知識だって実家で分かるものなら粗方詰め込んである。
だが、まだ婚約は申し込まれていない。
彼が『女性が賢いと面子が立たない』などと下らないことを考えるだろうか? それはないだろう。
もしかして、何か足りないものがあるのだろうか。
彼がまだ相手を決めていないのは社交界に通じていれば誰でも知っている。
(時期が来ていないだけ、と考えるだけなら誰にでもできるわ。私が考えるべきは他の可能性について)
他の候補がいて、迷っているとか。
けれど、アグリア公爵令嬢――――フィリアさんがマトモに動けるようになったのはつい最近。彼女は現実的な選択肢じゃない。となるとセシリアさんということになるが、微妙に何か違う気もする。
(他の候補? ウィルムドラの令嬢はまだ適齢期ではないけれど……)
イルミリス公爵家で抱えている隠密によると、彼がパーティで踊る相手は特に偏りがない。どちらかというと誘われて踊るばかりで自分からは誘わないとも言えるが。ので、彼が特殊な性的嗜好の可能性は低い。ウィルムドラ公爵令嬢は除外しておく。
エンディミアの令嬢は――――結婚に興味がない。ので除外。
研究が本分だし他はどうでもいいと切って捨てるスタイルに思う所がないわけではないけれど、彼女は十分に国家に貢献しているので文句が言えない。
セシリアさんとミリア以外に彼の周囲に目ぼしい侯爵令嬢はおらず、ミリアはあまり彼と関わっていない。ということは、他?
(海外……でもわざわざ候補に上げるなんて、それこそ聖女でもないと)
『聖女』の称号を持つ少女は基本的に法国が任命するが――――現在、公式には空位だ。隣国バルフェア王国に非公式の『聖女』がいるが、そもそも聖女は血統に関わらず突発的に現れる上に魔法もその凄まじい規模以外は一定ではないので非公式の聖女は割とよくある事例だ。
ので、リュミエールもある意味ではそれに近い存在、血統の選別により人工的に高みを目指した『人工聖女』と言えなくもない。
(もしかしなくても夏至祭で選ぶつもり……よね?)
夏至祭の際にはとある歴史上の事例に倣って『剣の勇者』『運命の乙女』を決める祭典がある。
剣と魔法、教養と知恵で最も優れた男女を決めるその祭りは、聖地である法国の闘技場で各国の令息・令嬢を集めて行われる。
ここで優勝しておくと『聖女』認定ほどではないがかなりの箔がつく。
まあ、法国から婚姻政策をかなりしつこく勧められるというデメリットもあるのだが。これまでの歴史では受けるも受けないも半々と言った所。
事実上、最高の血統を取り揃えた最凶の戦闘集団とさえ言われる法国の血を取り込めるのは大きいが、無駄に影響力を持たれるのは面白くない。
大体の場合、法国も『聖人』『聖女』ないしそれに匹敵する猛者を出してくるので、実際に競ってみてから婚約を受けるか決めればいいというのが各国の主流な意見だ。
(………まあ、確かに? あの人の上昇志向ぶりを見ればこの国の王位にもあんまり拘っていない気がするというか。聖女を狙う気持ちも分からなくもないわ)
実際、以前のリュミエールも『剣の勇者』と婚約するのが夢だった。
色々あって現在のような感じに落ち着いたが、自分の好きな人が『剣の勇者』ならいいな、程度には気になる。
だから彼もそこで相手を見つける気なのでは、というのは前から思っていたことだ。
(そういえば何故か隣国の自称聖女がこちらに来るんだったかしら)
なんとなく嫌な予感がする。
フィリアに教えるというのも、考え方によっては彼女の魅力を知って自分をさらなる高みにを引き上げるいい機会かもしれない。
もちろん、そもそもの目的は彼女とフェアな舞台で戦い、より相応しい方が彼の王配として立つことだが。
(そうと決まれば、善は急がなくては)
と、そこで気づいてしまった。
この間叩き潰そうとしたのに、今更手伝うと言って誰が信じるだろう。そうでなくとも苦手に思われて当然だろう。
どうしよう。
自分なら相手の思惑が何であれ利用するけれど、大体の令嬢はそうではない。基本的にストイックすぎて普通の令嬢と乖離が多々あるリュミエールもそれくらいは理解できていた。
(――――いいえ、公爵令嬢は度胸! こうなったら言うだけ言って断られたらそこまでの相手だったというだけの話!)
でもミリアに相談したらやっぱり直接会いに行くのは威圧感がありすぎる、と言われたのでお手紙を書くことにした。
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親愛なるフィリア様
先日は公爵令嬢としての心構えが不足していると指摘させていただきましたが、貴女にそれを学ぶ十分な機会が無かっただろうことを踏まえて共に学ぶ機会を設けてはどうかと考えました。そちらのご都合がよろしければ次の週末の午前10時に私の寮までお越し下さい。
リュミエール・イルミリスより
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親愛なるリュミエール様
素敵なお誘いをありがとうございます。貴女ほどの方と学ぶ機会を設けて頂けるのはとてもうれしいです。喜んで訪問させていただきます。つきましては何か持っていくべきものはあるでしょうか?
フィリア・アグリア
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返事はすぐに返ってきた。
やけに丸っこい字だが、まあギリギリ及第点か。とりあえず字から鍛え直す必要がありそうだった。
それはそれとして、持ち込むもの―――手土産は令嬢の中でも基本ではあるが重要なものだ。お茶菓子を持ち込むならどの家がどんな茶葉を好むのかとか。地方による鉄板メニューもあるし、非常に難しい。
イルミリス公爵家では西方諸島から仕入れた甘みの強い茶葉を使うので、手土産を持ってくるのなら少し苦めのお菓子なんかが良いのだが――――まあ、あえて何も言わずにおいて実際に自分で食べ合わせを体感してもらう方がいいか。
(既に特訓は始まっているの――――さあ、みせてもらいましょうか。あの人が見出した貴女の力を!)
…………
………
…
(――――なんだか悔しいわね)
なんでこの子、苦めのチョコレートクッキーを持ってきたんだろう。
問い詰めると、「なんとなく?」とふざけた答えが返ってきたので、知識方面を絞ってみるとほとんど空っぽ。
主要な侯爵の名前すら出てこない有様で。これでは令嬢とは呼べない。
けれど手土産選びには成功している。センス? 偶然? どちらにせよ二択問題でも自信がない時は必ず間違えるリュミエールからすると羨ましい限りである。
「――――はい、これ全部書きとって」
「………!? ……辞典、ですか?」
ズドン、と物々しい音を立てるのは大まかなこの国―――ラグノリア王国の家系図である。表情が抜け落ちているが、文句一つ言わずに始めるあたり見どころはある。
「はい、そこ字が丸すぎるわ。Aはこう書く」
「……はいっ!」
ついでなので文字の指導も飛ばしつつ、しばらく黙々と家系図を書き取るフィリアさんを見ていると、ふと常に手袋をしていることに気づいた。
……外した方が楽そうだけれど。もしかしなくても病気の関係かしら。
(――――なら、婚約争いにはどちらにせよ参加できないわね)
子どもに遺伝するリスクを考えれば、貴族にとって病気持ちは大きすぎるハンデだ。それでも愛を貫けるのは尊いが、それはそれとして貴族の義務には反する。
冷静に頭の中でそう勘定する自分のことは好きではないが、公爵令嬢ならそうでなくてはならない。
(……令嬢というと、皆華やかなものばかり想像する。けれど求められることはひたすらに人間関係の構築と、知識の蓄積と、流行を掴むこと。家を支えると言えば聞こえはいいけれど、ひたすらに主人を支える陰の仕事)
平民はドレスで着飾って踊るのが貴族の仕事だと思っているフシがあるけれど、その背後でどれだけの力学と、陰謀と、人の繋がりが動いているかを知らないから呑気に憧れていられる。だから時に貴族は裏のない平民に惹かれて恋に落ちたりするし、時に身分の縛りのない学院なんかで問題が起こるのだろう。
(―――――さあ、どれだけの時間で音を上げるかしら)
昼前から晩ごはんの時間まで、ひたすらに書き取りを続ける。
だが、それでも遂にフィリアが音を上げることはなかった。
―――――――――――――――――――――――――
(………つらいです)
なんで興味のない名前をひたすらに書き取らないといけないのか。
なんでその名前と領地を覚えて、特産品なんかも関連付けていかないといけないのか。
書き取りを始めたフィリアはものの数十分で音を上げたくなっていた。
音を上げない理由は、ただの意地だ。
どんなに苦しくても、あのいつ終わるとも分からない一人ぼっちの夜よりはずっと良い。この積み重ねが役に立つのなら、歯を食いしばって耐えるだけ。
なんとなく、時間を加速させると覚えるのも楽になる。
10倍速で記憶に焼き付けていくと、少しだけ楽しくすら思え……るのは流石に無茶だけれど。これ普通に覚えたリュミエールさんって一体…?
とはいえ、こうして無心で書き取りをしている間にいくつか見えてくることもある。
まずリュミエールさんだが、質問するとすぐにすらすらと解説が出てくるあたり本当に全部暗記しているらしい。話し方も綺麗だし、説明も上手だし、美人で綺麗だし、優しいし、スタイルも良いし、頭も良くて……なんだろうこの完璧な人。
(………どうやったらあんなに大きく…?)
「フィリアさん、どうかして?」
「あ、いえ。おっぱい大きいなって……」
「………………(書き取り頑張りすぎて壊れちゃったのかしら)」
思わず口から飛び出た本音に、リュミエールさんが微妙な顔でこめかみのあたりに手を当てた。
「……言うまでもないことだけれど、社交の場では言わないように」
「はい。……その、どうしてそんなに大きく…?」
わたしの場合、栄養が足りていないらしいので同じものを食べたら同じくらい大きくなるのだろうか。
そう思うとかなり心惹かれるものがある。
「それ聞いてしまうのかしら!?」
「はい。わたしにもぜひ秘訣を……」
男性はだいたい大きいのが好きだという。
ルーク様がどっちかは分からないが、最悪時間を戻せば縮むんじゃないかとか適当なことを考えている。けれど多分時間を加速させればいいものでもないだろう。
リュミエールさんは呆れ顔で首を横に振ったけれど、そのあとベルを鳴らしてメイドを呼ぶとジョッキでミルクを持ってこさせた。
「――――令嬢にとって必要なもの、それはパートナーと合わせたいい感じの身長! 高すぎても駄目だけれど低いとヒールで補う分だけ上手く踊れないわ。そこでコレ! ウィルムドラからわざわざ取り寄せてる高原ミルク!」
「……身長も伸びるのです…!?」
驚くべき効能に思わずミルクに身を乗り出してしまう。が、リュミエールさんは大きく胸を張って言った。
「伸びなかったわ!」
「………伸びなかったんですね……」
人は、欲しいものほど手に入らない。
それを体現するかのような成長を見せつけたリュミエールさんだったが、彼女の場合その能力は間違いなく努力で磨き上げたものだろう。
「いえ違う。これから伸びるの! あの人にぴったり合う身長になるために私はこのミルクを飲み続ける――――まだ伸びるの。諦めなければ!」
(なんとなく伸びない気がします……)
むしろ胸が大きくなるのでは?
フィリアの“星”はそう言っているような気がしたけれど、言わぬが花だろう。
と、リュミエールさんはもう一つジョッキを用意させると穏やかな顔でこちらに寄越して。
「……ま、まあ。今日はよく頑張ったわね。これを飲んでよく寝て、早く大きくなるのよ」
ちょっと照れたようでありながら、柔らかい声音。
普通に優しいし、普段公爵令嬢として威厳を保っているのでギャップが凄い。
(……………なんとなく、今ルーク様がいなくてよかったなって思ってしまいました)
ミルクは美味しかった。
……負けていられません。
仕事が忙しすぎるので暫く更新が遅れるかもしれません。
申し訳ないです。