―い、いけませんっ、ご主人様
ベルファストだ。彼女は両手で翔一の右手の袖口を掴んだ。人差し指と親指でつまむ程度の、自信のなさを感じるような引き止め方だった。そしてまた一言、彼女はだんだんと声を小さくしながら言った。
―まだ業務がたくさん残っていますので、今ここを離れてはなりません
ベルファストの言葉に翔一は何となく気まずくなる。一方、大鳳は彼女を害虫を見るような目で一瞥した。そして、
―そ、そうだよな…大鳳、悪いが今は戻ってくれ
翔一はそう言うが、大鳳はひかない。
―なぜですか指揮官様~。この大鳳、こんなにもあなたを思っていますのに~
こんな様子の大鳳を翔一から引き離すべくエンタープライズが動いた。
―大鳳、指揮官にも色々することがあるんだ。だから…な?
エンタープライズに続き翔一も”大鳳…”と諭すように彼女を見る。
―でもでも~
しかし大鳳は翔一の胸に顔を埋めてスリスリと頬を擦り付ける。そんな彼女に翔一は、
―駄目だ…
短く答えた。
―ぁ…
素っ気ない彼の言葉に大鳳は声を漏らす。彼女は若干寂しそうな表情を浮かべ”はい…”と彼から離れる。そしてエンタープライズに”さあ、行こう”と連れられ、執務室を後にした。
翔一は帰港後からベルファストの少しの異変に何となく気付いていた。大鳳への素っ気ない態度も、ベルファストに引き止められた時に、やはり何かあると感じてのことだった。大鳳には少し申し訳ない気もしたが。
―ベル、さっきからどうしたんだ?いつになくそわそわしている感じだぞ
部屋で2人きりになった空間の中、翔一がそう言うと、ベルファストは気まずそうに口をつぐみ、そしてスカートを両手で握った。
―…
―何かあるなら言ってみてくれないか?
翔一はベルファストの両肩を軽くつかんで言った。すると彼女は観念したかのように、しかし明確でないつぶやきをした。
―…それは……えっと…
―ん?
―ご主人様が…悪いんです…
―…え?
ベルファストからはあまり想像できない言葉に、翔一は呆けた返事をしてしまった。そして次の瞬間、
―ご主人様が悪いんですっ
彼女から、かのメイド長とは思えないほど駄々っ子じみた声が響いた。
―うおっ!
タックルとも思えるような衝撃と共に翔一に抱き着いたベルファストは、その勢いのままに彼の後ろにあったソファーへ彼を押し倒す。
―…
―…
翔一の太ももの上に座った状態のベルファストは、恥ずかしさからか顔を真っ赤にし、引きつった表情を浮かべていた。
―ご主人様!
―は、はいっ
執務室にはベルファストの張った声と、翔一の裏返った声が響いた。そして翔一の目に今度は、ベルファストの紅の顔が飛び込んだ。
―…!
ベルファストは押し付けるように、翔一に口づけしたのだ。ついばむように何度も。
―ちょっ…ベル……まっ…!
わけも分からず離れようとした翔一をベルファストは逃がすことはなく、むしろ激しく彼に絡みついていく。そして可愛げのあった口づけは、次第に深く翔一を求めるようなものとなっていった。
―ごしゅじん…さま…んん…!
部屋には2人の息と水音、そしてベルファストから漏れた甘い声が響いた。
―はぁ…はぁ……
息を切らす彼女の顔は尚も紅色で、更に目は翔一の目をじっと見つめたかと思うと突然外される。そして彼女の頭は翔一に勢いよく打ち付けられた。
―いてっ
鎖骨にベルファストの頭が当たり、翔一は情けない声を漏らした。
そのままどれくらい経ったのか、2人には永遠にも思えるような時間が過ぎた。今ベルファストは翔一に顔を見られたくないのか、彼の胸に頭を埋めている。そしてまだ彼の太ももに座っている。そろそろ足が痛くなってきそうだ。そんな時にベルファストはつぶやく。
―ごめんなさい…
―なんで謝るんだ?
―私は、貴方のメイドなのに、こんな事を…うぅ
ベルファストは日頃から翔一の世話や業務の手伝いをしている。そんな中、母校でも1番彼と接しているからか2人の仲は他のKANSENと比べても深いものだった。一時、今日のようにベルファストの様子がいつもと違うこともあった。その時は彼女から翔一へ好意を伝えるようなこともあったが、今回はそういうわけでもなかった。焦っているというか、不安な感情をベルファストから感じた。
―ご主人様…私は貴方のことを愛しています
ベルファストはそう言うと、翔一の肩をぎゅっと握った。
―貴方は…私のこと…
―愛してるよ
翔一はやっと分かった。最近自分がベルファストを気にかけず、他のKANSENに時間を割きすぎたから彼女がこうなってしまったということを。翔一はベルファストを抱きしめた。そして彼女はもう一度問う。
―本当ですか…?
―当り前じゃないか
短く問答すると、ベルファストは翔一の背中に腕を回した。しかしまだ、彼女の頭は翔一の鎖骨に当たったままだ。
―私は、貴方のことを独り占めしようとは考えておりません…
ベルファストは静かに話し出した。
―ご主人様には、いろいろな方を愛してほしいとすら思っています……でも…
彼女はそう言って、一呼吸おくと続ける。
―私のことも、もっと見て下さいっ
翔一の背中に回された腕が強くなる。そしてまた、ベルファストは黙り込む。
―…
―…
しばらくして彼女はポツリとつぶやく。
―ご主人様…
ベルファストはゆっくりと顔を上げ、潤った目を翔一に向けた。
―キス…してください……今度は、貴方から…
消え入りそうに囁く声は、そのまま彼女の姿までも消えてしまいそうなほどだった。
翔一はベルファストに唇を近づける。距離が近くなるたびに、彼女の目は閉じていった。そして、
―指揮官、委託の詳細な報告…を…
現れたのは、執務室の光景に絶句した加賀だった。
―…!?
―か、かがあ!?
ベルファストは突然の来客に目を見開き、翔一は声をあげた。そして2人の目の先に居る加賀は呆れたようにしつつ頬を染めて言う。
―お前たち何をやっているんだ…まだ勤務時間内だぞ
片手で額を抑える彼女は、やれやれと言わんばかりの様子だ。
―こ、これは、その…!
反射的に翔一は答えた。一方ベルファストは半口を開けたままだ。
―はあ、後でまた来る…
そう言って加賀は執務室から出る。パタンと閉められた扉から数秒経って目を離し、2人は”やってしまった”という感じで赤く染まった顔をお互いに見合わせた。そしてまた、ベルファストは額を翔一の鎖骨にぶつける。
―はあ、もうっ…こんなに、恥ずかしいところを…
そう言いつつも、彼女の両腕は翔一の背中に回ったままだ。
―これも全部、ご主人様のせいですっ
―ごめん…ベル…
翔一はベルファストをもう一度抱きしめる。
―でも、もう吹っ切れました
彼女は顔を上げ、翔一を見つめる。しかしその顔は若干のしかめっ面で、目は潤んでいた。そんな表情で翔一をじっと見つける。そして一言…
―わかりますよね…?
彼女の言葉を”早くキスしろ”という意味かと捉えた翔一は、先程と同じように唇を近づける。すると、ベルファストの表情は柔らかいものへと変わっていった。
―ん…
軽く唇を触れるだけ。しかし、さっきよりも幸せを感じた気がした。ベルファストは翔一を見つめていた目を外す。すると今度は恥ずかしそうな表情で言う。
―もう一回…してください
言われた通り、もう一度口づけする。
―ふふ…
今度は微笑み、幸せそうに、そして満足そうに翔一を抱きしめた。先程までとは一転した様子のベルファストは、今まで翔一に持っていた不満などすっかり忘れてしまっていた。そして、ころころと表情を変える彼女に、翔一は今までより愛おしい感情を持った。
少し経ってベルファストは翔一の太ももから離れると、彼の両手を自分の両手に収めて軽く引っ張る。
―さあ、お仕事を再開しましょう
―ああ
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数分後、執務室―
大鳳を送って、母校をふらふら歩きまわっていたエンタープライズが執務室の扉を開けた。
―ベル、こんな感じでいいかな?
―ええ、問題ないと思いますよ
翔一とベルファストが身を寄せ合い、業務をこなしているの姿が見える。
―ふふ…
そんな2人を見てエンタープライズは微笑んだ。
―ん?…あ、エンタープライズ
翔一が彼女の姿に気づく。
―仲直りできたようだね
エンタープライズの優しい声が2人を包む。するとベルファストは頬を赤らめた。
―エンタープライズ様…まさかすべて分かっていて
―さあ…どうだろうね?
エンタープライズはベルファストの異変に気付いていたようだ。大鳳を戻すときに彼女も一緒に外に出て行ったときは、翔一は少し疑問を持ったが、彼女は気を使ってそうしたらしい。翔一はそんな彼女に感謝すると同時に、少しの恥ずかしさを覚えた。
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