どう考えても、俺が三股疑惑かけられるのはまちがっている。 作:サンダーソード
なおこのシリーズの時系列は10巻後10.5巻前を想定しています。
いつもの奉仕部。雪ノ下が紅茶を淹れ、由比ヶ浜が雪ノ下にじゃれつき、俺がそれを見るともなしに見ながら本の文字列を読み進め、そこに一色が闖入して引っかき回す。
いつもの、と言っていいくらいには取り戻せた、紅茶の香りと安らぎに満ちたこの空間。
穏やかな日だまりで微睡むような幸いをここの誰もが享受していた、その最中。
事件は、一通のメールから始まった。
「由比ヶ浜さん?」
雪ノ下の呼びかけに、文字列を追っていた目がそちらを向く。見ると、由比ヶ浜がガラケーの画面を真剣な、ともすれば怒りを感じさせる表情で睨め付けていた。
「どうした?」
聞こえてすらいないのか、由比ヶ浜は俺たちの呼びかけにも何も答えずいる。
その様子が気になったのか、一色がそーっと由比ヶ浜の背に回り込み、ガラケーの画面を覗き見る。何やってんだお前。
「は? うわっ」
そう言ったきり、一色も不快さを隠しもしない表情でディスプレイを睨み付けたまま固まった。え、何、なんなの? 気になるんだけど。
「……ゆきのん」
「これは……」
ややあって、硬直解除した由比ヶ浜が、険しい顔のまま雪ノ下にガラケーを見せる。すると雪ノ下にも憤然とした表情が伝播する。
「なあ、マジでどうしたのお前ら?」
「ん……。ちょっと……結構、やなことがあって……」
「大丈夫。私が……いえ、私たちがなんとかするから」
いや結局何があったのかわかんねえんだけど。何? 俺だけ仲間はずれ? あ、いつものことですねそうですねなるほど。
「いや、これは先輩にも教えるべきじゃないですか? 下手に伏せても、後で事故で知っちゃうとか最悪ですよね」
「……それもそうね。人の悪意がどう転がるかなんて分かったものじゃないし」
「……ヒッキー。あたしたちはヒッキーの味方だからね?」
そう言って、てこてこと近付いてきた由比ヶ浜が、すぐ隣で前屈みになってガラケーの画面を見せてくれる。……正直ガラケーの画面なんかより隣の由比ヶ浜との距離の方がずっと気になるわけなんだが。
それでも胸に引き寄せられそうな視線を引き剥がし画面を見ると、開かれてるのはメールの本文。
『ヒキタニは三股かけている最低の屑野郎。』
……なるほど。これあれか、いつかのときのチェーンメール。葉山グループのチーム真・三匹が切るの誰かがおんなじようなの書かれてた気がするわ。誰のだっけ? 童貞風見鶏?
「あー……まぁ、気にしなくていんじゃね? 実害あるわけでねーし」
「あるよ!」
「あるわ」
「ありますよ?」
由比ヶ浜の火を噴くド直球、雪ノ下の鋭利に落ちる球、一色の滑るような変化球で空振り三振バッターアウト。三者三様詰め寄られて、異論反論出せる余裕なんざあるわきゃなかろう。
「ヒッキーが悪く書かれてるんだよ!? いいわけないじゃん! ……って言うか、ヒッキーが傷つけられてるのに実害ないって……あたし、やだ」
憤懣やるかたないとばかりにぱたぱたと大仰に騒いでいた由比ヶ浜は、空気が抜けたみたいに大人しくなってぽつりと付け足す。
「あの時も言ったわよね。チェーンメールは我が身を隠匿したまま人の尊厳を貶めるためだけに存在する最低卑劣な行為。まして奉仕部である比企谷くんを対象にしているのだもの。これはもはや奉仕部に対する挑発……いえ、戦争行為よね?」
怖い怖いよ怖いから。バックに吹雪を幻視するくらい怒ってないかお前。
「っていうかー、これ先輩のことだけじゃなくて、三股なんて言われてる相手方にも実害ありますよね? そこんとこどうなんです? 先輩」
「あー……いや、相手って言われてもな……」
言いつつ、詰め寄る三人の顔を見る。この場合の問題は、俺自身の捉え方ではなく周囲からの見え方だ。俺が誰をどう思っているかに関わらず、俺に近しい人がそう見られかねない。いや俺自身が意識してないとはいわなんんっ、意識しているかどうかはともかくとして。
……奉仕部以外では雪ノ下とも一色ともそうは会わんが、流石に同じクラスだけあって由比ヶ浜は……。本当にただクラスが同じだけの人ならなんでもないんだが――例えば川なんとかさんとか海老名さんとかみたいに――こいつ、教室でも俺のこと気にかけてくれるほど優しいからな……。
人の噂も七十五日。もう二年次の終わりまで間もないし、来年度まで大人しくしてれば――
と、腕を誰かに掴まれる感触。
「由比ヶ浜……?」
その弱々しい圧覚にいつの間にか伏せられていた目を上げれば、泣きそうな顔の由比ヶ浜。
「いやだよ。あたし絶対認めない」
「どうした、なんの話だ」
「比企谷くん。今、離れればいいとでも思ったのでしょう」
「は……?」
激情を抑え込んで無理矢理平坦に均したような声音。雪ノ下が苛立ちを逃がすように細く強い息を吐く。腕組みする両の手は、何かに耐えるように自らを強く握っていた。
「……先輩がこのクソメールをきっかけにクラスの人から白い目で見られるようになって」
能面のように表情を消した一色が、ポツリと呟く。
「そいつは今頃大爆笑でしょうね。で、二人のためにとか言って奉仕部から離れてく姿を見てさらに爆笑」
いつかの昼休みの図書館。俺が一色の背を押して、生徒会長に突き落としたときの台詞。
「そういうの、腹立ちますよね」
だがそう告げる一色の方が、いや三人ともに俺なんかよりもずっと怒りを堪えているように見えるのは何故だろうか。
「ちょっと悪目立ちしたら、そいつには何言ってもいいと思ってる。遊びだから、ネタだから、いじってるだけだから」
「一色、お前」
「やっぱ、やられたらやりかえさないとですよね……」
我が意を得たりとばかりに由比ヶ浜と雪ノ下も頷いている。変則的な形で帰ってきたブーメラン。にしたってこんな形で自分に刺さるとかお釈迦様でも予測できるか。
「……でも、お前らは嫌じゃないのか。火中の栗を拾いに行くようなもんだろこんなもん。メールの内容が内容だ。ろくなことになんねーだろ」
「ヒッキー、あたしたちにも嫌なことくらいあるんだよ」
その言葉に、俺と雪ノ下が由比ヶ浜へと向き直る。一色も同様に由比ヶ浜を見るが、その背景を共有できるのはあの時そこにいた俺たちだけだろう。
踊るばかりの会議を進ませる前に、捻くれ者がその意志を確認した言葉。
雪ノ下がその言葉の後を継ぐ。
「私たちが嫌なのは、こんな上っ面の悪意に屈することね。それが一番嫌なのよ」
あのとき俺は偽物を甘受することはできないと思ったのではなかったか。
自分は好き勝手やっておきながら、二人には偽物を背負わせる権利など俺にあるはずがなかった。
ならば、俺の返す言葉も決まっている。
「……お前らの好きにしたらいいさ」
「うん、わかった」
「さて、分からず屋の先輩を黙らせたところでようやくお話ができるようになったわけですがー」
指をふりふり、わたしはこれまでの話をまとめ、最大の問題を提起する。
「ぶっちゃけ、どうやって犯人割り出すんですか?」
なんのかんの言ったところで、あのクソメールの大元をぶった切らないとどうしようもないんですよね。
と、結衣先輩が眉をひそめて立ち上がり、先輩の方を気遣わしげに見ながら口を開く。
「あたし、とりあえずみんなに話聞いてくるよ。……こういうの、すっごいヤだし」
「いや、とりあえず情報がいるのは分かるが……。無差別に話を聞きに行くのは、それはそれでリスクもあるだろ」
ほーん……。誰にとってのリスク、なんですかねー。随分とまぁ結衣先輩が心配みたいですけどー?
まあそりゃ先輩の三股なんてアレな話を結衣先輩が聞きに行ったら、善意でも悪意でも簡単に紐付けられて面白おかしい話の種になっちゃうでしょうしねえ。
「あ、そっか……。知らない人に聞いたら話広げることになっちゃうのか」
「……私は気にしないけど」
それで結衣先輩は納得したのか引き下がる。先輩がほっとしてるのは何に対しての安堵なんだか。あと、雪ノ下先輩もこれ先輩の意図察してますよね? その上で『自分が槍玉に挙がっても』気にしないって意味ですよね? ほんともうこの人たちはさぁ。
「とは言っても、ほっといたって好き勝手広められて悪化してく一方ですよね。どうするんですか?」
高みの見物で高笑いしてる犯人を高転びに転ばせるには、結局のところ犯人をしょっ引かないとどうにもならない。
あーあ、犯人が自首してくれれば楽なんだけ……ど……んん?
「それならまずは推測でピースを埋め」
「あああああああっ!!」
その時わたしに電流走る! まさに悪魔的閃き!!
思わず立ち上がっていたわたしは、三人の奇異の目も気にせずこの圧倒的な思いつきが逃げないうちに形にまとめていく。だから気にしてないってば。気にしてないからその目はやめてください。
先輩たちは目配せしあってわたしに話しかける人を決めてるようだ。さて問題、この奉仕部で一番立場が弱いのは? そうですね先輩ですね。
「い、一色……?」
諦めたように肩を落とした先輩は、気を取り直して気持ち悪い半笑いでおそるおそるわたしに話しかけてくる。なんですかその扱い。
「……よし。先輩がた」
話しかける先輩を黙殺して更に幾許か。概ね組み上がった絵空事を、先輩たちにぶつけることにする。
「お、おう……なんだ……?」
「犯人もクソメールもほっといて帰りましょう」
満面の笑顔で言うわたしに、先輩たちは三者三様の反応を見せる。
「何言ってるのいろはちゃん!?」
結衣先輩は泡を食ったように机にバーンと両手をついて前のめりに。……そのポーズで強調されてる部分、わたしにも分けてくれていいと思うんです。
「あなたさっき放置すれば悪化の一途だと自分で言ったわよね……?」
雪ノ下先輩は頭痛でもするのか、腕組みして右のこめかみを人差し指で押さえている。そういう姿も映えるからずるいよなぁこの人。
「え、ええー……。いや、俺はいいんだけど……なに、どしたの? 内に秘められし二重人格でも発症しちゃった?」
先輩はわたしの鮮やかな前言撤回に普通に引いていた。ところで二重人格ってどういうことですかね。まるでわたしに裏表あるみたいじゃないですか。
「いやまあまずは話を聞いてください。あ、先輩は正座で」
先輩はすっごい嫌そうな顔をして、中途半端に腰を浮かしたり座り直したりしてたけど結局正座はしなかった。私はタクトを振るように指を動かし、にんまりと笑って説明を始める。
「このクソメールの犯人がこすい真似してきたのは先輩を貶めて不快に、あるいは先輩からわたしたちを遠ざけるためですよね?」
「まあ、この内容から考えられる行動っつったらそんなとこか」
ですよね、と頷いてわたしは話を続ける。それの土台に置くのは、この人がわたしを生徒会長に唆したときのやりとりだ。
「なら、それを逆手に取ればいいじゃないですか。犯人のお膳立てで最高の結果を出す」
先輩もそれに気付いたのか、曰く言い難い表情で話の続きを聞いている。あ、正座した。
「あなたのメールで、わたしたちの距離は縮まりました。ありがとうございますって」
わたしはにやぁーーっと、葉山先輩の前じゃ絶対浮かべられないような悪い笑みをして、そう言われたときの犯人の表情を想像してみる。なお顔面の代理はクラスメイトの女どもだ。
「先輩の最低の笑顔でそれ言われたら、犯人悶死するんじゃないですかね? やだそれすっごい痛快なんですけど」
あはっ、と軽い笑顔を添えて、説明を終わらせる。先輩たちの顔を見ると、全員キレイにドン退いていた。ちょ、ちょっと説明の仕方が良くなかったですかね? って言うか、わたしがこんな笑顔をするの、先輩の前だけなんですから。分かってるんですか?
「……理解はしたけど。とんでもない卓袱台返しね」
「天才の発想でしょう?」
「天才っつーべきか、天災っつーべきか……」
「え、えーと……。つまり、あたしたちがヒッキーと仲良くすれば、犯人はこんなはずじゃなかったのにーってなるってこと?」
「そうです。それでクソメールが収束するならそれはそれでいいですし、焦った犯人が何かしようとしてボロ出すんならその時こそ締め上げるチャンスです。そもそもこんなクソメールのために角突き合わせて頭悩ませて貴重な時間使うのやじゃないですか。ならせっかくだからわたしたちは楽しんで、犯人には自白してもらいましょうよ」
「いや、楽しんで、って……。このメールを逆手に取るって、お前ら三股かけられてる扱いになるんだぞ? 駄目だろ流石に」
「ダメですか?」
先輩の質問を、こてりと首を傾げてそのまま結衣先輩と雪ノ下先輩に反射する。多分、ダメだって思ってるのは……。
「あ……あたしは、いいよ」
「……囮捜査の一環ね。効果が見込めるのだから、否はないわ」
ですよね。先輩だけです。にしても雪ノ下先輩は素直じゃないなぁ。
「だそうですよ?」
「いや、そうは言ってもな……」
まーだぐじぐじ言ってる。女の子の方が覚悟決めてるのに踏ん切り悪いですよ先輩?
「演技ですよえーんーぎー。こっちからはどういうカンケイかは明言しないで、それでもなんかそういう雰囲気だけ匂わせて、犯人見つけたら演技でしたー、でいいじゃないですか」
「そうね。演技だもの。何の問題もないわ」
雪ノ下先輩が綺麗な髪をかき上げて、私に賛同する。でもそのほっぺの赤さ隠さないとバレバレですよねぇ。めんどくさい先輩はまたしちめんどくさいこと考えて見なかったことにするんでしょうけど。
「演技……あたしにできるかなぁ」
両手の指を組ませて不安そうに結衣先輩が呟くけど、あなたは大丈夫です。演技ってこと忘れて素でいればいいだけなんで。……って言うか、なんか先輩に腹立ってきましたね。どう考えてもお二人にべた惚れされてるのに。鈍感主人公気取ってんですか?
「……だいたい、先輩超役得じゃないですかぁ。こーんな可愛い女の子三人と、な・か・よ・し・な演技できるんですからぁ」
「んぐっ……」
先輩は呻き声一つあげた後、何も言えずに黙り込む。よし勝った。
「はいじゃあ全員オッケーってことでー。先輩方、一旦帰ったら着替えて再集合です。買い物行きますよ、買い物。……あ、一応顔が隠せるようにマスクとか帽子とか着用でお願いしますね。変装もアリアリです」
「待て、お前どこで何買うつもりだ」
「それはぁ……着くまでナイショです♪」
「あざっとい」
唇の前に人差し指立ててウィンク飛ばす大サービスなのに、先輩はそんなつれないことを言う。これは後でお仕置きですね。心の復讐帳に書き込んでおかないと。覚えておいてくださいね、先輩?