どう考えても、俺が三股疑惑かけられるのはまちがっている。 作:サンダーソード
扉がからからと音を立てて、開く。パッとそっちを見る。……ヒッキーじゃなかった。残念。
まだかな。まだかな。
顔を戻すと、優美子はため息ついて、姫菜は苦笑いしてた。あたしが誰を待ってるか、バレバレかもしんないなぁ……。それでも優美子たちが昨日食べてきたっていう串揚げの話に戻る。放課後は奉仕部でずっとお話ししていたから、あたしはそっちには行けなかった。今度は一緒に行こうねーって話しながらヒッキーを待つ。
まだかな。まだかな。
がらがらってちょっと荒っぽい音にまたそっちを向く。……ヒッキーじゃなかったから、また優美子たちとの話に戻る。串揚げは結構当たりの店だったらしくて、優美子も姫菜も満足げ。幸せそうなのはいいことだよね。
昨日はヒッキーすっごくがんばってた。危なくおままごと止まっちゃうところを、なんとか髪をとかしおわるまで言葉を繋いで切り抜けた。いろはちゃんも調子に乗って台本長くしすぎましたって反省してた。誰も気付かなかったんだししょうがないよってあたしやヒッキーがフォローしたら、ですよね! ってちゃっかり乗っかってたけど。ゆきのんがとってもご機嫌だったし、結果オーライだ。
からっと控えめな音に目が引かれる。目立ちたくなさそうな音といっしょに来たのはヒッキーだった。今日もなんかだるそうにしてるけど、あの眼鏡かけてからは猫背が少しだけ良くなったのをあたしは知ってる。
二人の方を見ると、優美子は呆れたみたいに手をしっしってやってて、姫菜はため息といっしょにばいばーいってしてた。……やっぱりバレバレだったみたい。
あたしはごめんねって手のひらを立てて二人にウィンクして、ヒッキーの方に向かう。背中から優しい笑いが聞こえてきて、ちょっとだけ顔が熱くなった。
比企谷の登校を待ちかねたように飛んでいく結衣の背中を見送りながら、俺は考える。
比企谷の連絡先が欲しい。
明日はもう土曜日だ。昨夜は母親にまで顔色の悪さを指摘される始末。つらい。こんな宙ぶらりんな心理状況で休日を過ごすのは避けたい。切実に。
昨日の教室での彼らは、もうなんというか常軌を逸していた。よだれでも垂らしそうなほど恍惚としたいろはとの寸劇に、好き好きオーラをもはや一切自重せずだだ漏れさせるようになった結衣との初々しいやりとり。そして攻め込まれるがままに心身を震わせ蕩かせる雪乃ちゃんとの語らい。どれか一つだけでもバカップルの名を冠するには十分すぎるというのに、三人フルセット首輪付きで昼休みに詰め込んでしまっては供給過多もいいところ。一体何と戦っているんだ彼らは。
いや、おそらくチェーンメールなのだろうとは思う。思うがあれで何をどうしたいんだかがさっぱり分からない。いい加減あいつの目的と展望を聞き出さないと俺の方が限界だ。
確実に持ってるのは奉仕部の二人だろう。いろはも最近サッカー部にはあんまり来ないし、チェーンメールの影響で奉仕部に入部したんだろうか? ともあれ、二人より確実性は落ちるものの、恐らくは持っているだろうと考えられる。
だが、雪乃ちゃんは言うに及ばず、結衣も相変わらずガードが固い。チェーンメールの収束がまるで見えない状況下で、結衣があいつの連絡先を広めるような真似は……望み薄だな。いろはの方も、比企谷に頼んだ伝言が未だになんの効果ももたらしていないことを考えると、あいつに忖度される可能性が高そうだ。
奉仕部繋がりなら平塚先生はどうだろうか。通常教師と生徒の関係であれば個人の連絡先を知っていることは稀だと思うが、どうも彼らのそれは特殊に見える。ただ、一生徒でしかない俺が個人情報を聞いて教えてもらえるかというとな……。……平塚先生なら大丈夫か? ……手詰まりになったときに駄目元で聞くか。
確実を期すなら比企谷の妹……小町ちゃんだったか。彼女なら持っていないことは有り得ないだろう。が、確か今年受験だと言っていた。比企谷の奴がこの爛れた現状を彼女に話しているとも限らないか。万一受験に差し障ることになってしまったら申し訳が立たない、じゃあ済まないな。
学外で考えるなら陽乃さんも持っている気はするが考えるまでもなく却下。現状は絶対にあの人に伝えてはならないと俺の第六感が喚き散らしている。
後は……比企谷自身の交友関係……? あいつ友人なんて……戸塚と材木座くんの二人がいたか。ん……この二人なら持っていそうだな。それなら戸塚に、と思いかけたところで気付く。彼らの一連の行為のせいで、他クラスからひっきりなしに見物人が訪れる現状。人口密度の跳ね上がったこの教室内で、なんだかんだ目立ってしまう俺が比企谷の連絡先を求めるのはそれ自体がまた耳目を集める要因になる。今はそれは避けたい。
……なんで俺はあのぼっちを自称する野郎みたいに目立たないよう行動しているんだ。いや、今はいい。とりあえず材木座くんのクラスを探そう。幸い、彼は……その、目立つしな。外から眺めればすぐに分かるだろう。
『葉山隼人です。比企谷の連絡先で間違いないでしょうか?』
『いや黙殺するなよ返事しろよ同じクラスだから挙動は見えてるぞ。』
『すみません、宛先まちがっているのではないでしょうか? ヒキタニ? 知らない名前ですね。』
『なんで返信の最初から大嘘なんだよ。見えてるって言ってるだろ。』
『ちっ。んだよ俺に用はねえぞ。』
『何故メールにわざわざ舌打ちを入れる。俺にはあるんだよ。ちょっと話したい。時間作ってくれないか?』
『今忙しいからな。来年度でいいか?』
『いいわけないだろ今日中だ。昼休みは本当に忙しそうだから放課後はどうだ?』
『結局全部お前が決めてんじゃねえか……ちょっと雪ノ下に確認するから待ってろ。』
『頼む。』
『なんかすんなり許可出たわ。お前なんかしたの?』
『いや、特に何かした覚えはないが。単純に上機嫌なんじゃないか?』
『そうか? なんかいいことあったのかね』
お前だお前! そう言いたくなったがぐっと堪えて溜息を吐く。
首尾良く材木座くんから連絡先を手に入れて、奴に取り次ぎ場を設けることに成功した。これでようやく重荷から解放される。
しかし、材木座くんが奴の現状を知らなかったのは予想外だった。最初話しかけたとき多少の挙動不審はあったが、状況を理解すると凄い勢いで罵倒のようなものを捲し立てていた。彼のボキャブラリーは随分特徴的だが、何を読んでいたらあれは身につくのだろうか。中途半端イケメンがファッションハーレムデビューか死ねクソが、には吹き出すのを堪えるのに苦労した。
最近勉強にもあまり手がつかなかった。この分なら授業にも集中できそうだ。次は国語か。平塚先生は彼らの現状をどう捉えているんだろうな?
昼休み、教室で先輩を待つ。
周囲のクラスメイトからは触るな危険のような扱いを受けているが、当てこすりが日常だった以前よりもずっと快適に過ごせている。その視線は、いつも昼休みになったらすぐに飛び出すわたしが何故残っているのかと言外に聞いてきてる。まあ答える義理もないんですが。
「いろは。待ったか?」
「あ、せんぱーい。いえいえ、全然ですよぅ」
先輩が来たとき、気まずさ半分嬉しさ半分無関心端数くらいの反応をする女ども。確認していることはおくびにも出さず、わたしは先輩との会話を続ける。
「それで、どうかしたのか?」
先輩のこの問いかけに一部のクラスメイトが固まる。主にやましいことがある奴らのようだ。わたしの告げ口を恐れているんだろうか。しませんてそんなの。
「今日、結衣先輩は三浦先輩たちとお昼食べるみたいでー。雪乃先輩もお仕事っぽいですし?」
「ああ。出がけに結衣とも話したが、そう言ってたな」
「はい。なんで、ですねー。えーっと……」
そう言ってもじもじするわたしに、先輩は首を軽く傾げて続きを促す。今回のわたしのキーワードを。
「先輩、文系得意なんですよね。その、出来たら勉強教えてもらえたらなーって」
「勉強? 別に構わねえけど」
誰も座ってない近くの椅子を勝手に借り、先輩はわたしの隣に座る。一つの机に二つの椅子だから座りにくくとても近い。実に素敵な距離感だ。
「やたっ! じゃあお願いしますね! あ、先輩のお昼もわたし作ってきてるんですよ。一緒に食べましょう!」
「わざわざ作ってくれたのか。お前の手料理旨いから普通に嬉しいわ」
その言葉に気分を良くして、わたしは鞄から小洒落たランチボックスを取り出す。食べながらいちゃつくのを視野に、今回はたくさん作ってきた。今日はわたし一人だから先輩たちに遠慮する必要もないしね。
「ふふっ、ちょうど折良くサンドイッチなんですよぉ。手を汚さずに食べられるからお勉強もやりやすいですね!」
「お、いいな。具はなんだ?」
「色々作ってきましたよ! まずは基本のBLT、みんな大好きハムチーズ、荒く潰した半熟ゆで卵、異色のツナマヨ、この前好評だったクラブサンドも入れました!」
「すげえ手間かけてんな……。こりゃ勉強教えるのにも気合いが入るわ」
「えっへっへー。飲み物はカフェオレ用意してますからね。で、お勉強の方は古文をお願いしたいんです。正直昔の日本って全然ぴんとこないんですよね」
これ自体はわたしの本音だ。正直昔の言葉なんて学んでも使わないですし興味もないですしさっぱりですが、古文を指定した真意は他にある。
「期待に添えるよう努力するか」
「よろしくお願いしまーす」
わたしは古文の教科書を引っ張り出して、先輩に提示する。
無論、この流れは台本だ。教えてもらう内容に関しても事前に先輩に伝えてある。だが、昼休み丸々台本で埋めるのが無謀であることは過去の結果が示す通り。
だから今回は、先輩に勉強を教えてもらうという形を取った。別に素でもいい。演じてもいい。なんなら耳元で短歌を詠んでもらうだけでも十分だ。それが出来るのがこの科目の強みですしね。その辺のこと全部伝えた上で、手綱は先輩に任せた。これなら長時間二人っきりでいちゃついても先輩の負担にはなりにくいはずだ。
二人きりじゃないって? モブは数にカウントしないんですよ。
「今やってるのはこの辺りですかね。どうです? 大丈夫そうです?」
わたしはぱらぱらと教科書をめくり、目的のページでその手を止めて先輩に渡す。
「ん……。源氏物語に百人一首か。いろは、源氏物語がどんな話かは知ってるか?」
「え? いえ。名前くらいは知ってますけど……」
「そうか。こういうのはな、漫画でもなんでもいいから話の筋だけでも予め知っとけば問題を解くにも楽になる。でだ、源氏物語は基本的に愛の物語なんだ」
ふぁあ……耳元で愛の物語とか不意打ちに囁かれるの破壊力が……。
「光源氏がどんな爛れた遍歴を辿ったのかは後で自習してもらうとして……。そうだな、百人一首か……。なあいろは、昔の恋愛ってどんなものだったと思う?」
「れ、恋愛ですか? 昔の……なんか政略結婚が当たり前みたいな?」
「それはまちがいじゃねえな。御家の繋がりが最優先だったわけだし。だがまあ今はそれは置いとこう。言いたかったのは昔の環境についてでな」
「環境ですか?」
「ああ。昔はパソコンもないスマホもない、紙も高けりゃ作家も希少。暇を潰す手段がそれこそ他人くらいしかなかったわけだ」
スマホのない時代……。口で言うのは簡単だけど、正直想像がつかない。何するのにもこれがないと始まらないのに。
「車もなければ電車もない。自転車すらなかった大昔。牛車が現役の時代だからな。農民なんかは生まれたところから一歩も出ずに一生を終えることだって珍しくなかったんだぞ? そもそも離れたところにいる相手と会うことが困難で、距離が大きな壁となる。ここで百人一首の話に戻るわけだが……」
生まれた場所で一生を終えることが当たり前。考えると眩暈がしそうだ。なんか古文っていうより歴史のお勉強みたいになってるけど、語り口が軽妙で普通に話に引き込まれてしまっている。
「いろは、百人一首に幾つ恋の詩があるか知ってるか?」
「へ? え、いえ。二割くらいですか?」
当てずっぽうに言ってみる。話の流れから結構多そうな気がするし、五分の一くらいなら占めててもおかしくないかと思ったのだが。
「ハズレ。倍以上、正確には四十三首だな。昔は恋歌と返歌で思いのやりとりをしてたんだよ。募る恋し想いを伝え合う手段が詩だったわけだ」
半分近いその数に素直に驚く。それはそれとして、恋の授業もとい古文の勉強を教えてくれる先輩の台詞選びに聞き惚れる。……これ、そういう雰囲気が出るようにわざわざ選んでくれたのかなぁ。だとしたらかなりヤバいんですけど? うっかり惚れちゃったらどうするんですか。
「でだ、さっきも言ったがそもそも交通手段に乏しい時代。僅かな逢瀬は永い閑を一層色褪せさせて、独りの時間を際立たせる。そんなとき、もらった詩を糧に会えぬ相手への想いを育んでいたんだろうな。だからこそ昔の詩には恋の詩が多いんだ」
「はわぁ……。なんだかすごいロマンチックですねぇ……」
「ま、そんなロマンも今は昔。高校生の受験科目として学ばれるに過ぎないものになっちまっちゃいるけどな。それでも漫然とやるよりは背景を頭の隅にでも入れとけば覚えやすくもなるだろ」
先輩は一旦言葉を切るとサンドイッチをぱくつき始める。表情見るに好感触、あれはハムチーズですね。よしよし。
「じゃあ百人一首詠んでいくから復唱してけ。詠んだら翻訳も逐一やってくぞ。凡例幾つも覚えてれば現代語訳対応にも強くなるし応用も効くからな。……そうだな、話の流れから恋の詩中心にやってく方が覚えやすいか。まずは……」
そこからはひたすらに恋の詩を詠んでもらい現代語訳してもらう流れで耳が幸せだった。わたしからおねだりして、現代語訳がもう告白みたいな句を選んで説明してもらったりもした。合間に美味しそうにサンドイッチを食べる姿もまた良し。
……これ、結衣先輩にも聞かせてあげた方がいいんじゃないですかね。聞く麻薬みたいな劇物だけど、多分あの人には効果覿面じゃないかと思う。雪乃先輩は成績は心配ないでしょうけど純粋に聞きたがりそう。
……うん。やっぱり機会があったらこっそり聞かせてあげよう。
ちょっと先の話になるけど、期末テストの古文の点数がうちのクラスだけ平均点10点くらい高かったらしい。……やっぱいけますよこの勉強法。
時は巡って放課後。今日の昼休みも濃かった。一色のクラスは敵地に等しいから気力が余計に持って行かれるな。
さて、奴との話し合いだが人の目がない場所ということで、話し合いの場所は屋上に決まった。すっぽかすなよと言わんばかりの視線に釘を刺されて、ぐふっと笑う目敏い腐り姫を黙殺し後を追う。
鍵の壊れた屋上の扉を開ければ、一足先に待つあいつにから視線が飛んできたので大儀な溜息で応えてやる。まあ蛙の面に小便なんだが。
「待っていたよ」
「おお……。んで、何用……」
「なんの話かなんて分かりきって……どうかしたか?」
教室では気付かなかったが、タイマンで屋上のこの状況。奴の顔以外に見る場所もなくなってしまったせいで、なんとなく普段との違いが目についた。言葉が尻すぼみに途切れ、眼鏡越しにまじまじと見つめてしまったがために葉山に問い返される。海老名さんには見せらんねーな。
「葉山、お前……やつれたか?」
奴の笑顔が固まり、びきっ、と青筋が立った。え、なに。何が逆鱗に触れたの。
葉山はこれ見よがしに深呼吸を一つして、いっそわざとらしいまでに爽やかな笑みを作り上げる。そのまま俺の目の前までつかつか歩いてきて、向かい合ったまま俺の肩にぽんと右手を置く。端的に言って怖い。
「……そうだな。例え話をしようか」
「どうした急に。つーか肩。肩の手なにこれ。離せよ」
だが葉山は俺の言葉を華麗に流し、そのまま独り言だかなんだか分からん話を続ける。
「とある女子Aさんがいるとしよう。Aさんは最近食べ過ぎだとでも思ったのか、ダイエットをしようと思った」
ふむ。なんとなく脳内で由比ヶ浜をAさんのイメージに当ててみる。いや、そういうの気にしそうなのがあいつってだけで他意はない。太ってるとか全く思わねえしな。
「そんなAさんを、友達のBさんは趣味のスイーツ巡りに誘おうとする。Aさんは断り切れずついて行ってしまうな」
雪ノ下……はそう言うの自分から誘ったりしないだろうし、一色をBさんに当てはめる。お姉様方は一色には甘いから誘われたらほいほいついていきそうだ。
って、なんか肩にかけられた手に力入ってきてないか? 気のせい?
「放課後の食べ歩きを高頻度でしていたある日、BさんがAさんに向かって悪気なく言った一言。『あれ、太った?』」
「ちょおい気のせいじゃないだろこれ痛い痛い痛い離せおい!」
「ちょうどそんな気分だよ」
ギリギリと込められる力にこいつの手をタップする。なんだってんだ一体。それじゃまるでこいつがやつれた原因が俺にありつつも俺がそのことにまるで気付いてないみたいじゃねえか。
涙目で睨み付けると、葉山は心底疲れたように大きな溜息を吐いて手を離す。跡になってねえだろな、これ……。
「それで結局何の話なんだよ……。まさか俺の肩を握り潰すために呼んだわけじゃないんだろ」
「当たり前だ。……っていうか、予想ついてるだろ。ここ最近の奉仕部の奇行についてだよ」
「奇行って……まあ奇行か。いやちげえよあれは……っつーかお前には関係ないだろ」
「……そうだな。そう言われてしまえばそれまでだが」
葉山はそこで言葉を切り、腕を組んでこちらを睨むように見据える。
「だが、何の意味もなくあんな真似を教室でしているわけじゃないんだろう? 俺だって伊達や酔狂で聞いてるつもりもない。君には色々と借りがあるんだ。俺が勝手にやっていることが邪魔になるようならまずいしな。せめて目的と展望くらいは聞かせてくれないか?」
「……別に何かを貸したつもりもねえけどな。っつーか、お前なんかやってんの?」
「別に大したことはしちゃいないさ。……と言うか、噂を抑え込もうにも君たちの奇行が派手すぎて焼け石に水なんだよ」
「お、おお……。そんなにすげえことになってるのか……」
いや、いろはすの台本に従いつつ……最近は半分くらい台本の枠組みから外れてる気もするが、ともかく台本の通りにやるのに必死で、そっちの方は全然だった。元よりメールとか人の噂とか自然に入ってくる立場でもねえし。
「自分が蒔いた種がどうなってるかまるで知らずにやっているのか君は……。学校中、とまでは言わないが、大部分の二年生の噂の的だよ。下級生の間でもかなり広がっている。上級生はさすがに受験があるからそれどころじゃないだろうけど」
「そんなにかよ……」
この学校暇人ばっかりか。他人のことなんざほっといてくれりゃいいのに。
「……まあ、いいだろ。誰にも言うんじゃねえぞ」
「ああ、約束する」
「最初は一通のチェーンメールから始まってな……」
俺は事の起こりから思い返し、どこかすっきりした表情をしている目の前の男に説明を始めた。
……ただし、俺の心情については一切カット。あれらは墓場まで持っていく。少なくとも部外者には絶対漏らさん。絶対だ。
「……と、言うわけだ」
それなりに長い説明が終わり、ようやく彼らの目的を知ることが出来た。……何故誰も止めなかったんだ。そもそも首輪は本当に必要だったのか? 愛されすぎだろこいつ。
「……なる、ほど。犯人に対する挑発を兼ねた演劇か。……よくそんな馬鹿げたこと思いついたな、いろはは」
「それなほんとそれあいつ頭おかしいんじゃねーのって俺今でも思ってるからな」
食い気味に言葉を奪われ、如何に自分が不本意であるかをアピールしてくるが、お前なんだかんだで楽しんでるだろ今の関係。話してる間の顔ゆるゆるだったぞ。
「正直それで犯人が自爆するかは疑問だが……。まあ、面当てって意味ではこの上ないのは間違いないな」
あのチェーンメールを肴に、彼らが異常に仲良くなってるのは紛れもない事実だ。
っていうか演技でも演技じゃないだろあれ。雪乃ちゃんたちの女の幸せ味わってます感半端じゃないぞ。
「それじゃあ改めて聞くが。比企谷、俺にどう動いてほしい?」
「それを俺に聞くのかよ。…………あー、あいつらに累が及ばないように、だな。俺はまあどうでもいいが、善意で協力してくれてるあいつらを無用に傷つけたくねえ」
「よし、分かった。四人が傷つかないようにだな」
「おう……は? いや、聞いてなかったのかよお前。あいつら三人だけでいいって」
聞いてなかったわけないだろう。あの三人を傷つけたくないんだろ?
「それじゃ駄目だな」
「なんだと?」
「お前にも被害が及ばないようにしないと、彼女たちは間違いなく悲しむ。お前の希望じゃ足りないよ」
誰でも分かる簡単な帰結を教えてやれば、比企谷は面食らって目を逸らす。
この馬鹿には自覚が足りない。そもそもの話、彼女たちがチェーンメールを放置せずに立ち向かった理由を考えれば自然と分かるだろうに。そういう方面ばっかり疎いというか鈍感というか、意図的に考えないようにしてるんじゃないかとすら思う。
「反論があるなら受け付けるが?」
「……お前に論破されると人一倍腹立つな」
「お互い様だ」
苦虫を噛み潰したような顔で愚痴る比企谷を見て、ふと思いついた言葉を投げてみる。
「ああ、そうだな。俺の中で君に言ってやりたいことがあったんだ」
「……なんだ?」
「貸し、イチだ」
「……そりゃまた、高く付きそうだな」
そう嘯いて比企谷はシニカルに笑う。
こんな些細な貸しなんて、これまでの借りの相殺にもまるで足りない不釣り合いなものだが。単純に、こいつにそう言ってやれることが面白くて俺も笑った。
そうだな。俺自身、こいつがいい奴だなんて思ったことはないけれど。そういう噂を流せれば、彼らに対する風当たりも多少は軽減されるだろう。それに。
そんな話が広がっていると知ったときのこいつの顔を想像すると、それだけで楽しめそうだ。少なくともここしばらくの胃壁の限界に挑むような生活よりはずっと。よし、がんばろう。