どう考えても、俺が三股疑惑かけられるのはまちがっている。   作:サンダーソード

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これにて完結。ありがとうございました。
このシリーズ思ってたよりずっと人気出て驚きました。楽しんでもらえたようで何よりです。
また何か書いたときは見てやってください。いつになるかはわかりませんが。
お気に召していただけたのなら、よければ他の作品もいかがですかと置いておきます。
https://syosetu.org/?mode=user_novel_list&uid=210579


「そろそろわたしたち、私的にも名前で呼んでもいいんじゃないでしょうか?」

 時は過ぎて放課後。昼休みの演劇が終わってからずっと上機嫌な由比ヶ浜に誘われて部室に向かう。一色の目論見通り広い範囲の人間がかなりの人数出歯亀してたのか、俺たちを遠巻きに見てひそひそやってる奴らも散見された。……あるいは単純に今ニコニコ顔の由比ヶ浜と……その、両手の指を絡めながら手を繋いで歩いているから、かもしれないが。

「やっはろーっ!!」

 部室の扉をスパァンと盛大に開き、由比ヶ浜は元気な挨拶をして雪ノ下の元へ向かう。案の定、二人は俺たちよりも先に来ていた。……別に手を繋いで来たから俺たちの歩みが遅れたとかいう事実はない。

「これはまた殊の外ご機嫌ですねえ結衣先輩。昼休みは大成功だったようで。ふふふ、あれが広まればラブレターなんていくら送っても無駄無駄無駄ぁ! ってことが言葉ではなく心で理解できるでしょう。……いや実際どこまでやったのかは知りませんけど」

 腕組みどやはすで所感を述べる一色をスルーして、今日の文庫本を取り出す。……たなごころに残る柔らかな感触を気にしだすとまたドツボに嵌まりそうだったから、意識的に思考を別の方向に向ける。

 渦巻くもやもやを細く長く吐き出しながら視線を彼女らの方にやると、ゆるゆりする二人に一色が近付いてからなにやら内緒話をし始めた。二言三言のやりとりの後、由比ヶ浜が恥ずかしそうに頷くと二人も満足そうに頷く。なんだか分からんが俺以外で内緒話してるってことは俺に聞かせたくない話なのだろう。なんだか疎外感を感じなくもない。あ、いつものことですか。

 俺と由比ヶ浜の紅茶も既に淹れてあるのは流石の一言。一口口を湿らせてから手元の文庫本を読み始めたところで、雪ノ下の一声が俺たちの注目を集める。

「さて、由比ヶ浜さん。昨日の話、いいかしら」

「昨日の話?」

 昨日ってーとあの俺に届いた怪文書か? ……いやでもこれなんか雪ノ下と由比ヶ浜の間で暗黙の了解があるな。アイコンタクト飛ばしてるし。一色も訳知り顔の様子。なんだろう。

「あ、うん、えっとね。ゆきのんといろはちゃんには昨日のパジャマパーティーのときに話したんだけど……チェーンメールが回ってるの。いっぱい」

「ん? 今に始まったことじゃないんじゃないのか?」

 二週間前の俺に対するチェーンメールを皮切りに、あれらは巡りに巡っているらしいと聞かされている。俺たちの対応もそれを助長させる原因の一つだしな。由比ヶ浜はもう何通受け取ってるか数えるのも馬鹿らしいほどだとか。まあ俺は一通も受け取ってないんですがね! 雪ノ下も多分同じはず。

「ううん、そうじゃなくて……。見てもらった方が早いかな」

 由比ヶ浜はスマホをしゃしゃっと操作して、目的の画面を表示させると俺の隣に椅子をもってくる。……あの、近くないです? 由比ヶ浜さん。

「ほら、これ」

 再確認のためか雪ノ下と一色もやってきて、由比ヶ浜の提示する画面に四人が集まる。今回は由比ヶ浜が中心だから昨日よりはマシだが。イライラ棒的圧迫感という意味で。

 メールの受信画面には幾つもの新着が届いていて、由比ヶ浜はその誰から送られたかも分からない未読の最新をタップする。

『矢島はクソほどモテるハーレム野郎』

「……………………は?」

 誰だ矢島。と言うかなんだこれ。チェーンメールでいいのか。おめめぱちくりさせつつ女性陣の顔を伺えば、神妙に頷かれる。なんだこれ。

 由比ヶ浜がしゃっと画面をスワイプする。

『比企谷はEDのド変態。隙あらば仲のいい女に首輪をかけようとするファッキンシット』

 目が点になる俺を尻目に、由比ヶ浜は次々とメールを遡らせていく。なんなのだこれは。どうすればいいのだ。

『戸部は恋愛運絶好調。次に告白されたら受ければ幸せになる』

『雪ノ下はティーン雑誌で比企谷とベストカップル賞を取った』

『松本は実は隠れ巨乳。こっそり恋人も作っている』

『三浦は葉山に捨てられた敗北者。なのに未練がましく追い続けている』

『比企谷は我が身を捨てて他人に尽くせる飛び抜けた善人。だから信じられないほどにモテている』

『由比ヶ浜は比企谷に妊娠させられている。GW明けに休学予定』

『葉山は愛川が好きである』

『葉山は伊勢原の恋人である』

『葉山は片瀬と隠れて付き合っている』

『海老名は生粋のホモフィリア。男は男、女は女で恋愛すべきだとか平然とのたまう異常者で、異性恋愛に一切の興味なし』

『一色は三股の相手をカモフラージュに大学生と付き合っている。そしてその大学生も浮気中』

『坂下はレズビアン。密かに雪ノ下を付け狙っている』

『比企谷先輩は理想のご主人様。首輪をつけてと誠心誠意お願いすれば、どんな雌犬でも快く飼ってくれる』

『このチェーンメールを見た者は三日以内に不幸になる』

 その後も知る名前知らない名前どうでもいい与太話から都合のいい妄言、荒唐無稽な電波文までエトセトラエトセトラ。新規も重複も混ざり混ざって呪いのような受信ボックスとなっていた。

 ある程度見せ終わって、由比ヶ浜はスマホを閉じる。俺は今見たものを信じたくなくて両目を閉じ眼鏡を外して眉間を揉むが、それで現実が変わるわけもなく。……由比ヶ浜が敢えて着拒してないのはきっと情報集めるためなんだろう。改めて頭が下がる思いだ。

 瞳を開けば俺と同じく頭痛を堪えるような顔の雪ノ下、呆れと困惑が見え隠れする由比ヶ浜、心底馬鹿にしたような面構えの一色。

 俺は三人に聞いてみた。

「……なに、これ?」

「クソの山です」

 一色がノータイムで答えてくる。いやそれは分かるんだけどね? 逆に言うとそれ以外が何一つ分からん。なんだこの地獄みたいなクソメールの見本市。電波文で同人誌でも作ろうとしてるのか。

 解答を求めて雪ノ下を見れば、視線で由比ヶ浜に盥回される。流れに従って由比ヶ浜を見れば、苦笑を浮かべながら説明してくれた。

「んっとね、なんか願いが叶うチェーンメールとかいうのが、学校の怪談だか都市伝説だかで流行ってるらしい……んだけど」

 由比ヶ浜の言葉を反芻する。自らの勘違いがないか、多方的な解釈を試みて敗北する。天井を仰ぐ。床を見下ろす。窓の向こうに目をやる。特になにも変わらない、放課後の部室。

 雪ノ下を見る。目と目で通じ合った気がした。

 由比ヶ浜を見る。心が重なり合った気がした。

 一色を見る。声なき声が響き合った気がした。

 目を閉じる。呼吸を一つ挟み、常より腐っているだろうと自覚する視線を眼鏡越しに投げかけ、それと共に満を持して口を開く。

 

「馬鹿しかいねえのかうちの高校」

 

 三人とも、俺の言葉に深い溜息を吐く。仮にも進学校だろ……。何がどうしてこうなった。

「いいえ違うはず、とは言っておくわね。馬鹿しかいないのではなくて、表に出てくる目立つ馬鹿が多いだけ。サンプリングの問題ね。この騒動からは距離を置いているまともな人も相応にいるはずよ。……少なくとも、統計学上は」

 最後に目を逸らす当たり、雪ノ下もそうであってほしいと願っているのかもしれん。俺もそう願う。

「まあ大元であるわたしたちが無茶苦茶な内容を現実にしてますからね。瓢箪から駒が出るのを目の当たりにすれば柳の下の泥鰌を狙いたくもなりますか。にしたってこれは……」

「ハッピーハロウィンで頭ハッピーになった馬鹿どもの乱痴気騒ぎに似た群集心理を感じるな……。仮面舞踏会の如く自分の名前が前に出てこないのも暴走させやすい原因なのかもしれん。……こういう生徒まとめなきゃいけないって生徒会長大変だなぁ」

「他人事!? ちょっとやめてくださいよなんかあったら助けてくださいね!?」

「ま、まあまあ。ホントになんかあったらヒッキー絶対ほっとけないしさ」

 きゃいきゃい言ってる一色に、それを宥める由比ヶ浜。面倒見がいいなぁ……でも言ってる内容は俺が働くってことなんだよなぁ……と眺めていたら目が合って、なんだか申し訳なさそうに表情を崩す。

「あー……。これね、ほんとは昨日話そうと思ってたんだけど、ヒッキーがラブレ……手紙もらってるの見て忘れちゃってたんだ。ごめんね?」

「いや、まあ、別に……」

 俺だって由比ヶ浜がラブ……手紙もらったら色々吹っ飛ぶ気がするし。昼休み前に言わなかったのは、演技に差し障りがないように気を遣ってくれたんだろう。……今思い返しても、今日のはやっぱり限界超えてたんじゃない? なんて、俺の身体と記憶に残る彼女の柔らかさや温もりが色鮮やかに主張して、どうにもその瞳が見れなくなる。

「……比企谷くん?」

「……先輩?」

 逸らした先で二人分のしらっとした目に迎えられ、茹だった頭の温度が強制的に冷却される。

「んんっ。あ、あーっと……その、そうだ、この存在自体が怪談みたいな話、もしかしたら俺たちが原因じゃないかもしれん。ちょっと確認してみるわ」

 言うが早いか、俺は部室の扉に向かいつつスマホを取り出す。一旦クールタイムを置こう。そうしよう。うん。

「なんか前もそんなこと言ってませんでした?」

「逃げることもないでしょう。葉山くんに確認するなら私たちからも問うことがあるかもしれないのだし」

 しかしまわりこまれてしまった! 退路を塞がれてしまったので、諦観と共に自分の席に戻りつつ電話をかける。

 前回の折り返しで電話番号ゲットしてしまったのでこちらから通話も可能なのだ。まさかこんなすぐに使うことになるとは思わなかったがな。

「……どうした? 昨日の今日でこれはいい予感が全くしないんだが」

 初手から警戒バリバリの声が電話越しに流れてくる。安心しろ、お前の感性はまちがっていない。

「おお、いい勘してるな。……クソのような学校の怪談、知ってるか?」

「……………………願いが叶うアレか。知ってる。無関係だ。どう考えても君らが発端の自然発生だろう。これでいいか?」

「ああ……。まあ、そんな気はしていたが違っていてほしかった……はぁ……」

「隼人くん?」

「っい!?」

 嘆息して項垂れてると、由比ヶ浜がずいっと耳元まで顔を寄せて通話に横入りしてきた。余りに突然だったので、椅子をがたつかせて倒れかける。

「わ、ヒッキー!」

 咄嗟に由比ヶ浜は俺の腕を取り自分の方に引っ張り寄せる。そのせいで瞬間、あわや触れんまでに近付いてしまうが動揺をねじ伏せて平静を保つ。

「お、おう……。ちょっとバランス崩しただけだ。なんでもねえ」

「結衣か?」

「あ、う、うん……」

 待ってちょっと待って。そのまま至近で通話始めないで。由比ヶ浜の甘い吐息が頬にかかって、俺の中の何かをがりがりと掘削していく。……ああもう、可愛いし近い!

「えっと、チェーンメールが急に増えたのって先週末から?」

「ああ、少なくとも俺の知る限りはそうだ」

「あの……通話したいならスピーカーモードにしますが……」

「どうせ短時間でしょう。その必要もないわ」

「!」

 逆から雪ノ下が近付いてきていたことにその声で気付かされる。不意の出来事に硬直で済んだのは幸いか。

 由比ヶ浜は雪ノ下と入れ替わりに身を引いて、俺の肩に手を掛けたまますぐ後ろに待機する。……その位置なら確かに聞きやすいでしょうけど、その、距離、とか……。

「単刀直入に聞くわ。この都市伝説に対してのあなたの見解は?」

 座る俺の耳元に併せて、前傾になる雪ノ下。その清涼な息遣いに、重ねて削られていく俺の中の何か。……至近で見てもシミ一つないきめ細かい肌に、勝手に目が吸い寄せられてる。分かってても見惚れるほどの美しさって暴力だと、改めてそう思う。

「……私見だが、首輪と飼育のブームよりは万倍マシだろう。悪意あるチェーンメールも我欲のそれに埋もれて目立たなくなるだろうし、自分に関係のない内容ならなおのことだ。そもそもここまで飽和すると、誰も一々送られた内容なんて覚えてないんじゃないか? ……願望も混じっているのは否定しないけどね」

「そう。分かったわ」

 言って、雪ノ下は由比ヶ浜の手の甲に自分のそれを重ね、俺の目の前に陣取った。……この流れは。

「葉山せんぱーい? こんばんはー」

 一瞬の心構えが功を奏して今度はあからさまな動揺はせずに済んだけど、こいつらに三方囲まれて平静でいられるわけないんだよなぁ……。一色は俺の残った何かを削りきらん勢いで近付きささやきかけてくる。

「いろはか。君も何か?」

「いえいえ、葉山先輩の声が聞きたかっただけです☆」

 きらりん♪ と何か飛ばしてそうなあざといウィンクしてるが、それ電話向こうには通じてねえぞ。つーかそれなら自分の電話からかけろよ……。何故わざわざ今この形で突っ込んでくるのか。

「……はは、俺もいろはの声が聞けて嬉しいよ。しかし、君たちは随分仲良くなったようだね」

「はーい。おかげさまで色々仲良くなれましたぁ」

「まさか一つの電話を固まって使うほどとはね。せっかくだ、比企谷。リア充代表として盛大に爆発してみたらどうだ? 香典は弾むぞ」

「大きなお世話だリア充代表。てめえこそいい加減三浦のアプローチ受けるなり拒絶するなりなんでもいいが向き合ってやれ」

「……優美子のアプローチの遠因に言われることに思うところもないじゃないが、この件は全面的に俺が悪いな。ぐうの音も出ないし退散するよ。他に要件はないかな?」

「特にねえ。切るぞ」

「ああ。じゃあな」

 見せつけるように通話終了のボタンを押すと、三人とも離れていく。気付かれぬように吐く息に溜息を混ぜ込んで放出し、溜まった緊張を和らげる。……こいつら全員もっと自分の容姿に自覚もってほしい。

「……当ては外れた」

「元々期待はしていなかったのでしょう?」

「まあ、そうだが……」

 前回電話したときの感触を考えれば、こいつが大それた何かをしている可能性は低かろうとは思っていた。一縷の望みを確認しただけだ。

「なあ、もうこれ元のチェーンメールの犯人とか一生分かんねえだろ……。そろそろ全部演技でしたで終わってもいいんじゃねえの……?」

 これまでのお祭り騒ぎ、俺にとっては物凄い役得ではあったが既に状況は変わっている。犯人捜しは事実上頓挫し、チェーンメールの悪評もいずれ情報の海、と言うかゴミ山に埋もれていくだろう。

 となれば、これ以上こいつらに効果の見込めない演劇に付き合わせて迷惑かけるわけにもいかない。潮時だ。一刻も早く手仕舞いして、可能な限り原状復帰を為すのが俺の義務だろう。

「別に誰に迷惑かけてるわけじゃないですし、そもそも誰にそれを主張するんですか? 自意識過剰乙で終わりませんか?」

 だがいろはす。そんな俺の殊勝な提案を軽く蹴飛ばす様はいっそ浮薄なまである。いやお前らだお前ら。他ならぬお前らにめっちゃ迷惑かけてんだろ。

「ヒッキー。あたしたち迷惑だなんて思ってないよ。ね?」

 由比ヶ浜は当然のように言い放ち、雪ノ下と一色に同意を求める。二人はこれまた当たり前のように頷く。三股首輪状態を被っているとは思えない発言だ。

「それに一色さんの言うことも一理あるわ。犯人不明のまま発信していた関係上、誰か特定個人に向けた演劇をしていたわけではないのだし。まさか目的も遂げないまま衆目に向けて『これこれこういう理由で今までの全ては演技でしたが、目的の達成が難しくなったので辞めます』なんて言うわけにもいかないでしょう?」

「まあ、確かにそれは……」

 訴える相手が個人ではなく大衆となると、俺の性質やスキルからでは難事の一語。唯一可能性がありそうないつもの俺のやり方を考えようにも、葉山からの『お前にも被害が及ばないようにしないと、彼女たちは間違いなく悲しむ』という台詞が呪縛のように頭の中をぐるぐる回る。

「だいたい、犯人分かんないからってその誤解をこっちから解く意味もないじゃないですか。一生分かんなくても一生悔しがらせとけばいいんです」

 こいつ本当喧嘩っ早くなったなぁ……。雪ノ下さん、あなたの教育が悪かったんじゃないですか?

 だが雪ノ下はあなたのせいよと言わんばかりに横目で俺を責めてくるんだが全く以て心外だ。そんな風に視線で責任の押し付け合いをしている最中、ふと由比ヶ浜が溜息を吐く。

「……っていうか、元通りにするのはムリじゃないかな。ぜんぶウソでしたー、って言ったら、ラブ……手紙とかお誘いとかすっごい増えそう……」

 その予測が頭からすっぽり抜け落ちていたことに気付き、一瞬で血の気が引く。そうだ、元々奉仕部の知名度自体が相当に低かったはずなのに、今回の無茶で広まった可能性は十分にある。まして、こいつらが『依頼でここまでしてしまう』って前例が周知されたら……。

「あー、普通に有り得ますねー。……よし、わたしの天才な台本が一瞬で完成したのでわたしクソ野郎の役やりますね。黙って聞いてていいですから」

 一色はだらしなく足を投げ出すように座り直すと、にやにやと薄笑いを浮かべて俺たちを見回し口を開く。……そのポーズはしたないですわよいろはさん? いや見えないけど。見えないけどさ。

「っでー、俺のメーヨを傷つける? チェンメ出回って困ってんだよねー。だからー、犯人見つけんのにー、手伝ってほしーんすよー。あ、男の……あー、あんたはいーんでー。雪ノ下さんと由比ヶ浜さんだけお願いしていっすかー? そっちの男の依頼は受けて俺のはダメってそれサベツだし? 依頼、受けてくれんすよねー?」

 台詞を言い終えると薄笑いは得意顔に切り替わり、不作法な座り方も椅子の天板に両手をついて一息にスッと直す。一色は俺の方に顎をしゃくって一言。

「はい感想」

「…………お前、練習でもしたの?」

 ……こいつ役作り上手くなりすぎじゃね? 甘い声とか華奢な見た目とか無視すれば三下クソ野郎ロールが随分と嵌まってやがった。ああいう怪文書送ってくる奴がって考えてしまってかなりイラッとさせられたし、実際主張されたら対処が面倒な言い分だ。

「今一瞬で完成したって言ったし、そもそもそういうの聞いてるんじゃないって分かってますよね? まあ言葉に詰まってお茶を濁しにかかるのが先輩の感想だってことですね」

 その切り返しに対する返答が思いつかなくて黙り込んでしまう。クソ、こういうときこそいつものくだらないデタラメぶっこくべき場面なのに。

「あはは……。でも、うん。そんな依頼受けないから大丈夫だよ」

「……そうね。あのときとは状況も変わっているから、同じことをしても結果は見込めないわ」

「じゃなくて。……どんなに理屈が正しくても、絶対受けない。認めない」

 由比ヶ浜の迷いのない断言に、数秒だけ部室が静まりかえる。

 ……じゃあ、どうして俺のことは助けてくれたのか。きっとそれは誰かに問うてはならないタブー。俺が一人で考えなければならないことだろう。

 雪ノ下は彼女のその凜々しい横顔にしばしの間目を奪われ、そうしてほぐれるようにふっと笑った。

「……そう、ね。あなたが正しいわ。理屈に押し負けていい事柄ではなかったものね」

「そうだよー。そんな人にゆきのんは絶対渡さないんだから」

 由比ヶ浜はほにゃっと破顔し、雪ノ下に抱きつく。その光景を見て、こっちの肩の力まで抜けてしまった。

「……ま、そういうことらしい」

「結衣先輩のお手柄なのに、自分があのザマでよくそんな態度取れますね」

 違いねえ。みっともねーったらねえやな、俺。

「まあともあれ? これじゃ演技でしたの自白なんて百害あって一利なしですねえ。ね、先輩?」

「……まあ、認めざるを得ねえな。いや、お前らが俺みたいなのに三股されてるなんて風聞がなくなるのは一利だが、伴う百害がでかすぎる」

 一旦落ち着くために紅茶を口にする。……そこそこ冷めてきちまってるがまあしゃあないか。

「ヒッキー、またそんなこと言う。あたし、別に嫌じゃないよ? 今のままでも。……ヒッキー、大事にしてくれてるし」

「んぐっ!? げっほげほっ、ゲホッ」

 雪ノ下を抱きすくめて頬を染めながら言う由比ヶ浜に、紅茶が気管に入る。むせながら、由比ヶ浜の言葉の意味を勝手に手繰ろうとしてしまう頭を強引に切り替える。

「まぁ先輩が誰かたった一人の好きな人ができて、心を決めてとか言うんなら三股男の称号はまずいでしょうし、話は別ですが……」

 一色は人差し指をタクトのように振りながら、俺の顔色を窺ってくる。……いやないから。お前らとこんなことしておきながらどうやったらそういう思考に至るんだ。

 一色は渋い顔をする俺を見てにやぁーっと目を細め、

「そうじゃないんなら、いっそほんとに三股しちゃいます? ああ、先輩がクズすぎて逆に滾ってくる……」

 ふふふふと昏く笑いながら、極めて頭と趣味の悪いことを言い出した。いやもうあなたの想像上の先輩、弁明の余地なく屑野郎じゃねえか……。

 先輩三人からの白眼視は流石に多少の痛痒は感じるようで、一色はけぷけぷと咳払いして話を流す。

「まあでも、なんだかんだでわたしたち仲良くなりましたよね? あのチェーンメールのおかげで」

「……まあ、そうだな」

「そうね。否定はしないわ」

「うーん……。チェーンメールのおかげ、っていうのはどうかなぁ……」

「いえまあこういう言い回しの方が犯人悔しがりそうってだけなのでそこはどうでもいいんですが。そろそろわたしたち、私的にも名前で呼んでもいいんじゃないでしょうか? 演劇のときだけじゃなくって」

「え、いやそれは」

 つい口ごもる俺を尻目に、雪ノ下は努めて冷静に一色に尋ねる。……ティーカップを支える手は震えてるし、頬に紅は差してるが。

「……一色さん。あなた演劇中比企谷くんのことをなんて呼んでいたかしら」

「先輩、ですね」

「由比ヶ浜さん。あなたは彼のことをどう呼んでいたかしら」

「……ヒッキー、だね」

 もう一つ質問いいかなって挟みたくなるような聞き方をして、雪ノ下は赤くした顔を両手で覆って叫ぶ。

「変わるの私だけじゃないの!」

「あなたのようなカンのいい人は好きですよ」

 一色が茶化すように言うけど、あの、むしろ一番変わるのぼくなんですが……?

「たかが名前で呼ぶくらいのことで大袈裟な。小学生じゃないんですから。ねえ先輩?」

「……雪ノ下の言うことにも一理あるんじゃないか? ここはもう少し慎重に情勢を見極めつつだな」

「こっちにもいたよ小学生未満……。ねえ結衣先輩、名前で呼んだり呼ばれたりとか普通にありますよね?」

「うん、まあ……。あたしは結構、普通にあるかな?」

「共通の知り合いなら葉山先輩とか普通に名前で呼んできますし、なんなら戸部先輩だっていろはす呼びですけど」

 ……まあ、あの野郎声でかいしうるさいから普通に聞こえるし覚えてないわけじゃないが。いや別に苛ついてなんかないっすよ?

「だからほら、いいじゃないですか。もう十分、それくらいの関係にはなってますって。あ、それともこっちから呼んであげないと怖くて呼べないですかぁ?」

 目を細めて、口の端を上げ、挑発するように一色は嘲ってくる。

「ほーら、八幡? 八幡先輩、はっちまーん。八幡くん、八幡せーんぱい? がんばれ♡がんばれ♡わたしたちの名前呼ぶだけですよー? ちゃんと呼べるかなー?」

 やっべえなこいつ……。前々から小賢しいクズだとは思っていたが、メスガキ系小悪魔ロールプレイがこんなに嵌まるとは……。そういうお店入ったら太客同士で流血沙汰起こるんじゃねえの?

「八幡先輩? どうしたんですか八幡先輩? 八幡くんの恋人のい・ろ・は・ちゃん♡ですよー? 呼べますかー?」

 見せつけるように首輪の金具をちりちりと鳴らしながら、あざとさ溢れる上目遣いで楽しそうにからかってくる。つーか恋人はロールプレイだろうが……。

「……あー、なんつーか、元々俺が発端のチェーンメールなんかにここまで付き合わせちまったし、こいつ頭おかしいんじゃねえのと思うことは何度もあったけどそれにしたって迷惑も色々かけたし、引きずり出された感半端ない上におんぶにだっこもいいとこだが……」

「前振りが長い」

「うるせえよ、いろは」

「あはっ♡はぁーい、先輩」

 言い訳をべたべた張っつけて、最後の一押しまでさせてから一色……いろはの名前をようやく呼ぶ。もう手のひらでころっころ転がされてるし、ジャグラーの手腕で手玉に取られてる件。

「あっ、これからずっといろはですからね? いろはちゃんでも可です。わたしも気が向いたら八幡って呼んであげますから」

「そっちだけそれってずるくない? いや、呼んでほしいわけじゃねえけど」

「ぶっぶー。ダメでーす。そういう逃げ方感心しませんねー? そっち、じゃなくて?」

 きっちり詰めて仕留めてきやがる。遠慮とかそういう概念がないから大胆に踏み込んでくるよねこの子。

「……判定厳しくないですかね、いろはさん?」

「んーまぁいいでしょう。おまけして合格点あげちゃいます! さぁーて、それじゃそっちでドキドキしながら待ってる乙女二人にバトンタッチしましょうか。そうですねー、普段から名前呼びに慣れ親しんでる結衣先輩からがお勧めですかね、八幡?」

 その言葉につられて、バッチリ由比ヶ浜と目が合う。果たしていろはの言葉に齟齬はなく、豊かな胸元に手を当てて俺たちのやりとりを注視していただろう彼女。その潤んだ瞳の破壊力は尋常なものじゃなかった。

「あ、その……」

「お、おう……」

 脳裏には昨日の別れ際の出来事が浮かぶ。……多分由比ヶ浜も同じこと思い出してるんじゃないだろうか。ガハママさんのせいでテンション上がっちゃったりして、名前で呼んだ後言い逃げみたいなことしてしまったがフラグ回収がタイムリーすぎるだろいろはす。即オチ二コマ劇場かよ。

 あのときは由比ヶ浜も油断してたし即離脱が見えてたから俺にしては中々さらっと言えたと思うが、今はお互いの一挙手一投足にまで目が離せない有様だからな……。……こいつ、指ほっそりしてて綺麗だな。部室来るまで、これと繋ぎ合ってたのか……。じゃなくて、そんなだから必然口も重くなる。

 それでも、まあ、由比ヶ浜は待っているんだ。だからここで逃げはない。大丈夫心を落ち着けてただ名前を呼ぶだけだ。真名を呼んだらアウトみたいな魔術世界でもないし名前を言ったら自害させられる呪いもかかってない。よし、大丈夫。後三つ数えたら――

「……は、八幡、くん」

「ッ!?」

 頬を真っ赤に染めて、少しだけ顔を背けながらも濡れた瞳はまっすぐに俺の芯を捕らえていて。

 一瞬だけ、息が、詰まった。

「な、なーんて! いろはちゃんもやってたからあたしもマネしてみたけど、あはは、これやっぱ照れ」

「結衣」

「っ……」

 赤い顔のまま誤魔化すようにぱたぱたと身体を動かしていた由比ヶ浜……結衣の名前を呼ぶ。出来る限りの慈しみを込めて。こうまでされて、結衣にだけ頑張らせるのは、多分不公平で不均衡だ。

「結衣」

「あぅ……は、はい」

「その……別に、俺の方はあの渾名にはもう慣れちまったし、無理に是正しなくても悪くねえんじゃねえかって気はするぞ。そもそもおま……結衣以外にアレで呼ぶ奴なんていねえし、あれはあれで、なんだ……し、親愛の、ナニでも……いいんじゃね? 知らんけど」

「……うん」

 それきり、面映ゆい沈黙が二人の間を満たす。俺は喋りながらすっかり余所に身体を向けてしまっていて、それでも相手の反応は気になって視線だけで結衣を窺うていたらく。表情見るに、悪い反応ではなかったのは救いだった。

「……よし! じゃ、ヒッキー! 最後、お待ちかねのゆきのんだよ! がんばってあげてね!」

「っと……おう」

 殊更大仰に沈黙を破って、由比ヶ浜は俺の身体に手を伸ばす。そうして踊るようにくるりと体を入れ替え、俺を雪ノ下の正面に持っていった。

「……あたしもたまに呼ぼっか? 八幡」

 最後、由比ヶ浜が俺の背を押す刹那。そっと小さく囁く言葉に、俺は咄嗟に返せる言葉がなかった。あんなん真っ白になるって……。

「あ……比企谷くん……」

「雪ノし……ッ!」

 後背に持って行かれてた意識を、正面からのその言葉に引き戻される。反射で彼女の苗字を呼びそうになるが、それを変えるための今。いっし……いろはと結衣を切り替えて、こいつだけそのままと言うのは、その、なんだ。据わりも悪い。

 目の前の彼女は、結衣にも負けず劣らずその抜けるような白い肌を紅潮させていて、濡れた瞳はまっすぐに俺に向かってくる。

 次こそ。次こそは俺から動くべきなのだろう。深呼吸を一つ挟む。

「……雪乃」

「っ……は、い……」

 ふー……、と、大きく息を吐いて、大きな峠を越えたことを実感する。たった三文字のことだけど、伴う意識の変動はもっとずっと大きいのだから。

「雪乃」

「はい……」

「雪乃」

「……はい」

 幾度も演劇では呼んでいた名前。その仮託のヴェールが取っ払われてむき出しの個人が出てくると、たったこれだけのことでも身を震わせてしまう俺たち。

「……まあ、なんだ。そんな一足飛びに変わらんでもいいんじゃないかと思うし。別にお前はそのままだって構わないんじゃねえの?」

 これで一足飛びなら赤ん坊のハイハイだって空飛んでますよとか後ろから聞こえた気がしたがとりあえず無視。雪乃は緩く握っていた手のひらに力を込めて、赤い顔を赤いままに凜とさせて俺を見据える。

「……いえ」

 絞り出すように否定を答え、熱の篭もった呼吸を一つ。雪乃は言葉を続ける。

「私も……私も、変えるわ。……自身の頑なさに心当たりがないわけではないもの。むしろ、こういう機会でもなければ、動けないかもしれないし……だから、その……」

 雪乃は途切れ途切れに言葉を紡ぎ、その最後、喉元に手を当てる。ちき、と抑えられた金具が鳴った。

「……八幡くんっ」

「……ああ、雪乃」

 言い切った雪乃は、目を閉じて大きく息を吐く。背後をちらりと流し見れば、結衣もいろはも嬉しそうに笑っていた。

「ゆきのん、お疲れ様……っていうのもなんか変かな。あはは、でもなんか、うん。よかった」

「まったく、こういうのは雪乃先輩が一番難物ですよねー。ま、それでもちゃんとお互いに名前で呼べるようになったってことで! つまりはみんな仲良くなっていろはちゃん大勝利ってことです」

「……そうね、偽装の三股関係をばらさないと決めた以上、今の関係はしばらく続くことになるのだし。これからもよろしくお願いするわ。……八幡くん、結衣さん、いろはさん」

 そっぽを向いて言う雪乃のその言葉に、一瞬の空白があって。

「ゆきのん!」

「雪乃先輩!」

「あ、ちょっと……!」

 お姉様大好きな二人に抱きつかれ、もみくちゃにされる雪乃。俺は席について、三人のいちゃらぶな絡みを眺めながら冷めた紅茶に口をつける。

「……ん。冷めても、旨いな」

 ずっと以前、葉山のグループを見て「名前を呼ぶ」という行為で友情を感じさせるように振る舞っている、と思ったことがあった。だが、こうやって偽装関係から形式的に手順を踏んでやってみても、ここには血の通った暖かさがある。ならきっと、実態が伴ってさえいればそれは尊重されるべき事柄なのだろう。認めよう、あの考えは浅慮で狭量だった。

「ちょっ、もう! 比企谷くん、にやにや見てないで助けなさい!」

「ぶっぶー! 雪乃先輩、違いますよねー?」

「そうそう、比企谷くん、じゃなくって?」

「……! ああもう、八幡くん!」

「だそうですが! どうします、せーんぱい。混ざりますか?」

「あたしは……それでもいいかなぁ」

「アホ言え。……雪乃がグロッキーする前に、ほどほどでやめとけよ。結衣、いろは」

「はぁーい」

「うんっ!」

「裏切ったわね!?」

 心外な。意地の悪い笑みを浮かべていることを自覚しながら、冷めた紅茶をもう一口。

 冬来たりなば春遠からじ。いつまで俺たちのこの歪な関係が続くかは知らないが。俺のために泥を被ってくれた彼女たちとなら、辛い冬も楽しく過ごせるだろう。願わくば、彼女たちが冬の寒さに身を震わせないように。俺にできることはなんでもしよう。少なくとも、俺たちの関係が終わるまでは。

「おーい、その辺にしとけ、結衣、いろは。雪乃がもう限界だ」

 紅茶を飲みきって立ち上がる。三人身を寄せ合う暖かそうな日だまりに、俺は足を踏み出した。


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