どう考えても、俺が三股疑惑かけられるのはまちがっている。 作:サンダーソード
翌朝木曜日。早寝した分か、小町はえらい早起きしたらしく俺が起きた頃には既に家にいなかった。先行って学校で勉強してるから味わって食べるようにという旨の書き置きと、割合豪勢な俺の朝ご飯だけがテーブルに残されていた。普段朝飯作ってるの母ちゃんなのにな。ほぼ全てが俺の好きなメニューで構成されつつもミニトマトたっぷりサラダがど真ん中に鎮座してるのはあれか、ゆうべのお礼と意趣返しのつもりなのか。
ミニトマトを他のおかずで流し込みつつどうにか食べきり、少しだけ昨夜の思いつきを形にして、いつもより心なしか重い鞄を手に、忘れることなく眼鏡をかけて自転車を漕ぎ出す。諸々の事情からここ最近食事事情が幸……改善されてる分、上がってしまっただろう俺の水準に今後の不安がなくもない。
それはさておき登校中それなりの視線を感じたが、たった一日でそこまで話が広がってるんだろうか。無名人の俺に注目集まるってことは人相書きまで出回ってたりするのかね? 扱いが犯罪者だな。いやまあ三股クソ野郎ならまちがっちゃいねーか。
何事もなく学校まで辿り着くと、昇降口で雪ノ下の後ろ姿を発見する。……首輪付けていようが構わず堂々と歩いてるのは流石だな。さくっと靴を履き替えて、少し足早に歩き先行する雪ノ下に追いつく。
「よう」
「あら……」
声をかけると柔らかく微笑まれ、そこが定位置であるかのように俺の隣に並んでくる。……すげーな。いつもの毒舌とかもなしにこんな嫋やかな態度で出られると、なんの言い訳もなくこいつが規格外の美人なんだってことを問答無用で分からされる。
お互いの教室に向かうため別れるまでの短い時間、何度かお互いの手の甲が当たる。その度互いの視線が一瞬だけ交わり、反発するようにすぐに離れる。……そのむず痒い沈黙に、昨日の会話が意識せずとも頭に上る。三人とも同じくらい仲良くしている印象を与える必要があるのでは、か。
意を決して雪ノ下の左手を握る……握ろうとしたが、少し目測を外して彼女の薬指と小指にこちらの人差し指と中指を引っかけるように絡める形になる。歩きながらさりげなく手を握るってこんな高等技能だったのか……。
急に指を絡められた雪ノ下は驚いたようにこちらを見て、何を納得したのかふっと笑い、絡めた指を舐めるように滑らせて搦め捕ってくる。自分から仕掛けておいて情けない限りだが、その白魚のような細指にどぎまぎしてしまうのはどうにもならなかった。
短くも長い階段を登って、名残を惜しむような間が一つ。視線を交えて指を解き、
「……じゃあ」
「ええ、また」
短い言葉だけを残して、互いの教室へと向かっていった。
今日も雪ノ下さんはおかしかった。
昨日のことはクラス内でもそれはもう喧々囂々だったわけだが、一晩経った今さっきでは幻覚だったのかいや幻覚か幻覚なのか幻覚ではないのか幻覚ではなかっただろうかつまり幻覚だな勢力が私の中で優勢になりつつあった。雪ノ下さんが唐突に首輪付けてくるよりもクラスが集団幻覚を見たという可能性の方が論理的に高く、それ以上にありそうな本命は私自身が実は昨日は欠席していてあれら全ては胡蝶の夢であったというものだ。いかにも真実らしい。
だが私のそんな考察は今日の雪ノ下さんの登校によりあえなくメガンテを唱えることとなった。
しかしまあ引き続き首輪を付けてきているのはさておき、いつもの三割増しに美しく柔らかい笑顔で教室に入ってきた彼女は、自分の席に着くなり自分の左手を嬉しそうに撫でさすっている。ぶっちゃけ女の私でも見蕩れるほどに表情が色っぽい。
と、机に膝をぶっつけてかちあげたような音が響く。人の鑑賞の邪魔をするなよなと不機嫌さを滲ませて目をやると、音の発生源らしき岡田が硬直してスマホ画面に釘付けになっていた。
まったく、何を見てるのか知らないけど傍迷惑な。と、私のスマホも震えた。見ると、ラインにメッセージが入っていてっ!!!????
『雪ノ下さんが眼鏡かけたイケメンと手を繋いでた』
私は岡田と同じ音を立て、同じように硬直した。すまん岡田、これは仕方ないわ。無罪。
教室の扉が音を立てて開くと、パブロフのわんこがパッとそっちを見る。そしてヒキタニくんではないことを確認すると、残念そうに顔を戻す。これには優美子も溜息だ。
結衣は優美子がこないだ買ったコスメの話を広げて、隼人くんへの後押しをする。ただ、話をしながらもそわそわとした態度は変わらず、がらがらって少し荒っぽい音にまた扉を向く。ヒキタニくんじゃなかったからすぐに戻る。
まったく、あの首輪には魔法でもかかってるのか。結衣が好き好きオーラ隠さずヒキタニくんと教室で話すようになってるし、ヒキタニくんも表面上すげなく、されど内心の嬉しさをまるで隠しきれずに応じている。雪ノ下さんも一緒に着けてるし、生徒会長の後輩までも毒牙にかけてる有様だ。……隼人くんも着けてくれないかな、この首輪。それだけでご飯百杯食えるわ。ホモォ……。
と言うか、本気でそれくらいの威力アリアリだ。昨日のヒキタニくんと美少女三人娘の絡みのせいで、脳内の八幡総受け原理主義姫菜が討ち滅ぼされてしまった。これ攻め幡もいいじゃない……。リバ有りなんて邪道だという風潮に、私の幻の見えない股間が全力で立ち上がれと叫んでいる。……さすがに品がなさすぎるか。
さておき。おそらく……というかほぼ確実に結衣たちの行動はチェーンメール絡みのものだとは思うけど、こんな無茶苦茶なアイデアよくも成立したものだ。魔法の首輪を口実に衆目の真っ只中いちゃつくことで彼らが何を得ようとしているのかも分からない。考えつく頭もおかしければ実行する精神も狂っている。何故誰も止めなかったのか。
結衣が再三扉に反応して、残念そうにこちらの話に返ってくる。……うーん、少なくとも結衣は幸せそうなんだけど……。まぁ、私が気にしても仕方ないか。うん、そうだね、こんなツッコミ待ちな態度、少しくらいからかってもバチ当たんないよね?
特にやめる理由もなかったので、私はその思いつきを実行した。思った通り、そして思った以上に結衣はいい反応を返してくれた。途中でヒキタニくん来て逃げられちゃったけどね。残念残念。
昼休み。まさしくそれは青天の霹靂だった。
黒縁眼鏡装備した退廃的な雰囲気のイケメンが、教室の扉に腕を預けて覗き込むような前傾で放った一言。
「雪乃、いるか?」
一瞬だけ、クラスがざわめく。雪ノ下さんに勘付かれないようラインを駆使して全力の情報交換をしていた我ら2-J女子一同、このイケメンの唐突な出現に波打つ動揺が奔り、過ぎ去れば後は凪のように音もなく静まりかえった。岡田を見ると一次情報の提供者らしい松本とアイコンタクトを交わしていて、やはり彼がそうであるらしいことがその挙動から察せられた。
「――あら、八幡くん。わざわざ迎えに来てくれたの?」
「ああ。たまにはな」
イケメンに名前呼びされていることに触れることもなく、雪ノ下さんが嬉しそうな笑みを返す。あの八万って数字が苗字か名前か渾名か知らんけど、たったそれだけのやりとりでも雪ノ下さんが発する類を見ないほどの親しさが伝わってくる。
雪ノ下さんが鞄からクロスに包まれた推定お弁当を二つ取り出し、その間に八万とやらは衆目の最中、それを気にすることなく雪ノ下さんの席に向かう。その様はまるで雪ノ下さん以外が目に入っていないかのよう。ん、よく見ると彼の方も左の手首に小さな巾着下げてるみたい?
「お待たせ。行きましょうか」
準備を終えた雪ノ下さんは淑やかに立ち上がると、間近に来ていた彼の視線が自身のかんばせに注がれているのに気付いたようだった。
「……八幡くん?」
僅かに頬を赤らめて、小首を傾げるように問いかける雪ノ下さん。教室の外の喧噪もどこか遠く、外野の誰かの息を呑む音すらはっきりと聞こえる。この二人の物語において、私たちは完全に背景だった。
彼がゆるりと右手を上げ、雪ノ下さんの首元を撫でるように優しく触れる。
「……あぁ。やっぱり、よく、似合ってるな」
眼鏡の向こうで彼の目が優しく緩い弧を描く。見ているだけでも愛おしさが伝わってくるような手つきに、こちらの首筋までくすぐったくなる。
「俺、好みだ」
彼の愛を真っ向から受けた雪ノ下さんは花開くように艶然と笑い、鏡写しのように右手を上げて……彼の頬を掌で覆い、かけた黒縁の眼鏡のつるをなぞるように艶やかに触れる。
「あなたも……。とてもよく似合っているわ」
徐々に肘が曲げられ、少しずつ近付いていく二人の距離。これが零になるまでの時間を待ちかねて、ただ焦がれるばかりの我が身がもどかしくてたまらない。
視線の交錯は時間の感覚すら失わせ、この場においては非日常こそが主役であるのだと一言もなしに主張している。
ドラマからそのまま抜け出したような美男美女の見つめ合いのシーンは、彼が視線を切って卓上の布包みを手に取ることで唐突に終わった。
「んじゃ、行こうぜ。待たせるのも悪いしな」
「そうね。……あら、持って行ってくれるの?」
「これくらいさせろよ。本当にありがたいと思ってるんだ」
「ふふ、殊勝な心がけね」
二人は何事もなかったかのように教室を出て行く。二人の後ろ姿だけでもと扉の陰へ鈴生りに群がって廊下を覗き見れば、仲睦まじく並んで歩く二人の姿が目に映った。私たちは、この後滅茶苦茶侃々諤々した。
……今日はもうこれ購買組全員余り物だな。南無。