どう考えても、俺が三股疑惑かけられるのはまちがっている。 作:サンダーソード
明けて土曜日。お休みはぼっちの味方と古事記にも書いてある。小町は水曜の夜熟睡してから大分調子が良くなったようで、集中した様子で問題集に当たっていた。兄の責務としては邪魔しないことこそが第一義であろう。そんなわけで特に当てもなく外出することにした。
自転車を乗り回しながら頭に浮かぶのは、三股かけられてるっぽい立場に甘んじてくれている彼女たちのこと。それに付随して、俺たちの関係を変えるきっかけとなったあのチェーンメールのこと。
正直、チェーンメールに紐付く悪意それ自体は俺の慣れ親しんだものであるし、一切気にしないと言えば嘘にはなるが、耐えられないようなものではまるでない。
いみじくも雪ノ下が言っていた。分かってほしい人にだけ分かって貰えていれば、それで十分だと。あの時彼女たちがチェーンメールに怒ってくれたその時点で、俺は既に報われていたのだ。……一色まで一緒になって怒ってくれたのは驚いたが。更に言えば、彼女らに着ける首輪買うことになったのはそれまでの人生でなかった程度には仰天したが。感謝は別にして今でも思ってるからな馬鹿じゃねーのいろはすって。
っと、赤信号。車輪といっしょに回っていた思考にブレーキをかける。閑話休題、女子三人のチェーンメールが週末に送られてきたのって、何らかの対策取られる前に土日の時間で認識を定着させるためなんだろうか。偶然の可能性もあるし、模倣犯じゃないとも言えないからなんともだが。現実はオッカムの剃刀が正しいとは限らんから困る。可能性の組み合わせが多すぎて、なるほど一色が自身で思いついた抜け道じみた攻略法に頼りたくなる気持ちも分かる。実際紙一重の向こう側の発想だと思うし。だとしても……。
「あいつらの好……善意に甘んじて、俺まで思考放棄するわけにはいかんよなぁ……」
つっても、情報が足りてない中で考えて出した結論に従って動けるほど軽い状況じゃあなくなったし、さりとて場が今のように構築されてしまった以上、もはや情報を集めようと行動すること自体が完全に藪蛇だ。三股相当に見せてしまった以上、俺がコケると連鎖して彼女たちまで道連れにしてしまう。それだけは認められない。何があろうと。何があろうとだ。
「はぁ……」
盛大な溜息が出てしまう。今できることがないのだから、考えたって仕方がないのはその通り。ずれた心の歯車を眼鏡といっしょに直して、いつの間にか変わっていた青信号に従い、車体を動かす。
「会いてーなー……」
…………ん?
待て。今俺なんて言った?
いやいやはははそんなまさかねえ。ヘイジョニー、何か聞こえたかい? いいやボブ、静かなもんさ。ワイフに無断で参加した飲み会で朝帰りしたときの足音並にね! だからこの耳に残ってる俺の声はただの幻聴でおじゃろう? そうであろ?
「んんっ、そうだな今日は何をしようかソロ映画もいいし一人カラオケも悪くない孤独のグルメしつつ人の目気にせずぼっち読書も最高だないや楽しみださて何するか」
俺は幻聴を押し流すように、今日の予定を考える端から垂れ流していく。
それでも俺の中に根付いてしまった彼女らは、いっかな流れていってはくれなかったけれど。
「いらっしゃいませー」
一旦落ち着くべく近場のコンビニに入ると、女店員の覇気のない挨拶が飛んできてびくっと肩が動く。いや別に一切動揺なんてしてないけどね? 棚を見るともなしに店内をうろつき、買いもしないボールペンを手にとってかちかち出し入れし、表紙も見ずに適当に取った本をぱらららと捲り流して、品出し中の店員をそっと避けて歩こうとし……女店員もこちらが通りやすいように身体を棚に寄せようとして、そこでうっかり目が合った。
『……げ』
綺麗に声が揃う。ああ、そういやいらっしゃいませっつー声に微妙に聞き覚え会った気がしないでもないな。今更すぎてなんの慰めにもならないが。
コンビニの制服に身を包む相模の顔には、なんであんたがここにいるって太字のゴシック体で書かれていた。多分俺の顔にも書いてある。
相手を認識してしまった以上相模の至近の空間を通るのもなんとなく憚られて、引き返して別の通路を行くことにした。今のご時世三密とかあるしな。
「……ねえ、ちょっと」
だが、回れ右の一歩目を後退らせたところで逆に相模から呼びかけられる。え、何? 万引きなんてしてないぞ?
「十分……五分くらいくれない? 休み時間取ってくるから。聞きたいことあるんだけど」
「は……?」
出し抜けにこんなこと言われて呆気にとられたが、よく考えなくてもそら俺たちの状況は気にならあな。いやでも俺の側にそれを聞き入れる理由はないわけで、などと考えている間に相模は店の奥に引っ込んでいく。人の話はちゃんと聞きましょうって習わなかったの?
……まあこの後の予定が立ってたわけでもないから別にいいんだけどよ。なんとなく手持ちぶさたになり、雑誌コーナーのところまで引き返して立ち読みを始める。気分は病院とか歯医者の待ち時間だなこれ。
「お待たせ」
待つことしばし、制服の上に外套を羽織った相模が、指先で紙コップ二つ持って俺のところにやってきた。
「……おう」
中途半端に読みさした漫画を置いた俺は、紙コップの片方を押しつけられる。
「……ミルクとシュガー入れたけど、ブラックのが良かった?」
「いや、入ってる方がいいが……。悪いな」
受け取ってしまった上にこうやって答えてしまえば、受け取る謂われがないとは今更言いづらい。
「外行きましょ。イートインだと聞き耳立てられるし」
一方的に進行される会話にはぎこちない応対でいなしつつ、レジから飛んでくる女店員の視線は意識的に無視して、店外に出る相模の後に着いていく。なんだこれ。どういう状況だ。
相模は店前のポールに手を突いて、俺に向き直る。
「ねえ……。あんた、何やってんの?」
「何って……自転車に乗って外出」
「そういう意味じゃないって分かってんでしょ。あんた結衣ちゃんたちに首輪付けて好き放題やってるじゃない。なんなのあれ?」
「あいつらが付けてるのチョーカーだけどな。……いや、あいつらのファッションに俺が関係してるとも限んねーだろ。俺に聞かれても」
「馬鹿にしてんの? さすがにあんた……違うわね、言いたくないだけか。……じゃあ言えるとこだけでいいから教えてよ。ねえ、あんた何やってんの?」
相模にこういう言い回しで問いかけられるとは思っていなくて、虚を突かれる。なんていうか、こいつもっとこう……。
「……あんた知ってるか知らないけど、うちのチェーンメールも回り始めてんのよ。……ま、こっちのは事実無根ってわけでもないけどね……。あんたのそれ、三股屑野郎のカウンターかなんかでしょ? ……どんな頭してればそんなの思いつくんだか」
ほんとそれな。あいつ頭おかしいんじゃねえのって俺も未だに思ってる。
「……あー、何やってるかに関しちゃ俺から言えることはねーけど……ぶっちゃけ、俺のチェーンメールとお前のそれに関係あるかすらわかんねえんだよな。あと、下級生の間じゃほぼ流れてねーっぽいから、多分同級生が犯人。それくらいか?」
「……そう。その話、特に役には立たなかったけど一応ありがと。……ねえ、番号教えてよ」
「あ? 番号ってなんの……ああ、スマホか。いや別にいいが……」
思わぬ提案に流れでスマホを渡しかけるが、よく考えれば今は見られたらまずいもん入ってんだよ。あいつらとのやりとりとか。
「……あれ、これどうやんだ?」
「嘘でしょあんた……。あんた今までどうやって生きてたの……?」
愕然とされるけど、こういうことする必要ないような生き方してきたんだよ……。
「……画面、そう。そこ押して。そっち、そう。それこっちに向けて。……ん」
相模に促されるままアドレスと電話番号を送り渡す。……あれ、もしかして由比ヶ浜以来の快挙なのかこれ……? 雪ノ下と一色は結局ラインの方だけでアドレスとかは知らねーままだし。平塚先生のは含んじゃダメだよな……。
「おっけ。後でこっちからも送っとく。なんか分かったら言えることだけでいいから教えて。うちもそうするから。……五分はもう過ぎてるし、そろそろ戻るから。じゃ……」
そう言って相模は胸の前でそっと手を振るが、戻っていく様子もない。まだなんかあんのか、それとも俺が帰った後塩撒く仕事でもあるのか。
「ん、ああ。じゃあ……」
まあ俺には関係なかろうし、そのまま自転車にまたがって発進……
「……比企谷!」
しようとしたところで、相模に呼び止められた。珍しく、正しい俺の苗字を呼ばれた上で。
「あんたそんな似合ってない眼鏡かけて女子に首輪嵌めて俺様系気取ってついに頭狂ったのかと思ったけど、別に中身入れ変わったわけじゃなかったのね。キモいあんたのまんまだわ!」
「うるせーよ。一から十まで大きなお世話だ」
なんでいきなり罵倒されてんの俺。
「あはっ、それじゃ、またね!」
相模は嘲笑を一つ残して、店内に舞い戻っていく。戻った先でレジの女店員から何事か問い詰められているようだったが、仕事中に抜け出したのならむべなるかな。まあ俺には関係ないだろう。
改めて自転車を発進させる。思わぬ邂逅で疲れたし、どっかで大人しく本でも読んで過ごすとするか……。
自転車を駅前の駐輪場に止めて、俺は大型書店にやってきた。
多少の立ち読みを挟みつつ、惰性で読み続けてるシリーズの新作を一冊と、新刊発売時に買いそびれていたお気に入りのシリーズの最新刊を一冊買った。例え惰性であろうとこの瞬間のワクワクはやはり代え難いものである。
「あの~、ちょっといいですかぁ?」
ほくほく顔でどこで読むべかと近くのお店を物色していると、誰かを呼び止める甘く作った声が耳に残った。ああいう声って雑踏でも響きやすいよな。
「ねー、そこのお兄ぃさぁん。聞きたいことがあるんですぅ」
……誰かがまさかの俺だった。目の前で道を塞いでいる、ゆるふわでガーリーな装いの二人組。俺の方見てしなを作って声かけてるのに人違いってことはないだろう。ないよな? 一応背後を確認するが誰もいないから俺のはず。
「わたしたち、これから映画見ようと思ってるんですよぉ。映画館、どっちにあるかって分かりませんかぁ?」
その手に持ってるのはなんのためのスマホだよ。反射でそう言いかけたが、道を聞くのに人に声をかけられるような人たちほど心臓は強くないので口に出すことはしなかった。幸い最寄りの映画館には時々お世話になっていたので、普通に場所は分かる。
「あー……映画館ならそっちからそこ通って……」
「わぁ、お兄さんありがとうございまーす。優しいんですね。えーっと、久美、覚えれた?」
「ごめーん、ちょっと難しくって、覚えきれなかったぁ」
「お兄さん、すみませぇん。悪いんですけど、お時間あるなら案内して貰えないですかねぇ? もしよければ、お礼にいっしょに映画見ましょうよぉ。わたしたち、おごっちゃいますからぁ」
「あっ、美沙めいあーん! ねぇねぇ、お兄ぃさぁん。どうですかぁ?」
……なるほど! これあれだな! 美人局だ! 親父の進研ゼミダメ人間養成講座でやったわ!
「あ、いえ……。この後用事が……。道は……今メモしますので」
「あぁー、そうですかぁ。ざんねーん。じゃあせっかくだし、ライン交換しませんかぁ?」
脈絡なさすぎて恐怖覚えるレベルだよね。何がせっかくなんだ。美人局感隠す気ゼロかよ。映画館の後は画展かそれとも骨董店か。
「……すみません、知らない相手に連絡先を渡してはいけないと言われているので。はい、書けました。この通りに行けば映画館に辿り着けるかと。……それでは」
さすがは親父。こういうときの対処法は万全だな。痛い目見て覚えた教訓なだけはあるわ。
「あっ、ありが……あーあ、逃げられ……」
紙を渡してすぐに退く。言葉の後半は街角に遮られて、俺の元まで届かなかった。いや怖すぎでしょなんであんなにぐいぐい来れるの。そんなにノルマ厳しいの? なんかもう真面目に働こうぜとか思わず俺が言っちゃうほどの恐怖だったわ。
「ふー……。ああもう、ここでいいか」
逃げた先にあった喫茶店に適当に入る。今はただ静かに本が読みたい……。
そう思ってた時代が俺にもありました。
いやね、店内に未だ空席あるにも関わらず、この寒空の中オープンテラスに放り出されたのはまだいいんよ。席の指定をこっちからしたわけじゃないし、実のところちゃんと防寒対策されてて外でも寒くはなかったし。ただ、何故だか知らんが四方八方から視線を感じるのだ。気のせいだとは思うんだが、そちらを見ると店内の女性客や見知らぬ通行人、女店員と目が合ったりもするので偶然とばかりは言いきれないかもしれない。そして……。
「その、すみません。もしよければ相席お願いしてもよろしいでしょうか?」
「いえ、その……」
「え、あ……はい……失礼しました……」
びっくりまなこからがっくり肩を落として去って行く女性。これでもう三組目だ。何? なんなの? あの店内の空席はペンキ塗り立てかなんかなの? 人が座っちゃいけない場所なの? なんでそれでこっち来るんだよ。これのせいで、さっきからいっかな本が進まない。一体何がどうなってるんだ今日は……。
思わず溜息が零れ、それを埋めるようにコーヒーカップを傾ける。……もう飲みきってしまったのか。追加で注文する気にゃなんねえなあ……。
「うわっ、イケメンー! あのあのっ、わたしたちと相席おねがいしまーっす!」
誰だよイケメン。だがその女性客二人組が向かっているのは明らかに俺のいるテーブル席で、にこにこ笑顔で右手を振って存在をアピールしているのはどう見ても俺だろう。なんなのこれ? ここまで来るとドッキリカメラの存在とか疑うんだけど?
「いや俺は……」
もう出て行くので、この席ならお好きに……という言葉は続かなかった。
「悪いけど、彼の待ち人は私たちなの。相席は受け付けていないわ」
その玲瓏な声音と他の追随を許さない美しさを誇る冷たい微笑に遮られたからだ。どんな奇跡か偶然か、雪ノ下雪乃その人と、申し訳なさそうに並び立つ由比ヶ浜結衣がそこにいた。無論のこと、休日の真っ昼間。首輪は付けているはずもない。
「うっ、わ……お、おじゃましました~……」
相席を申し込んできた女性客二人組は気まずそうに小さくなって退散していった。……葉山と折本プラスワンのデートに着いていったとき、最後に二人が呼び出されて折本たちが逃げ帰るように去っていった、あの場面を思い出した。
見知らぬ女性二人を追い出した雪ノ下はそのまま俺の正面に座り、由比ヶ浜はその隣にそっと寄り添う。正直ここまで随分とアウェイの気分を味わい続けてたから、真綿で締めつけられてた首根っこが開放された心持ちだった。読みかけていた本を伏せて置き、自覚できるくらいにはほぐれた表情で話しかける。
「よう、休みの日に二人で一緒にお出かけか。相変わらず仲のいいことで」
だが、声をかけた彼女らはどうにも表情が硬い。どうかしたんだろうか。災難でもあったのかね? 俺みたいに。
「あはは……。ゆきのんのとこにお泊まりして、遊びがてらお弁当の材料買い物に来たとこだったの」
「比企谷くん、あなたこんなところで何をしてたの? 私たちではまだ足りなかった?」
足りなかったってどういう意味だ? なんであれ、お前らで足りないことなんてまずねえだろうに。
「ん、ああ……。小町の邪魔したくなくて外出たんだけど、美人局に遭遇して逃げてきたんだよ。もうそれで本読めればどこでもいいかってここ入ったら何故か相席願い連打されるし、なんなの? 今時ド素人にドッキリ番組? コンプラ大丈夫? って状況だったから、正直助かったわ……」
机に突っ伏すように溜息を吐くと、面食らったように息を呑む音。音に導かれるように視線を上げれば困惑した雪ノ下。視線を流せば苦笑する由比ヶ浜に迎えられ、なんぞあったかと俺は首を傾げた。
「ヒッキー……ここ、どんなお店か分かってる?」
「あ? 喫茶店じゃねえの?」
「まあそうなんだけど……。相席OKの、ってのは知ってた?」
「は?」
なにそれ八幡聞いてない。そんな意識が全面的に押し出されてたのか、コミュお化けのガハマさんはたった一文字で理解してくれたようです。
「その……出会いの場ってゆーか……平塚先生みたいにさ」
それ一発で分かっちゃう俺を許してください平塚先生。えっ、じゃああの相席希望の人たちってちゃんと店舗ルールに則って来てたわけ? 俺のが迷惑客じゃんそれ……。ドッキリとか思っちゃってごめんね? でも俺みたいなのにまで寄ってくるとか、さすがに切羽詰まりすぎじゃねえかな……。見た目でも年齢でもそうは見えなかったんだが。あ、再度ごめんなさい平塚先生。
「あー……完全に俺の方が異分子だったわけか……。悪いことしたな……」
「うーん……ヒッキーはむしろ普通に溶け込んでたっていうか……。うぅ……」
「んんっ。それより比企谷くん、先程言っていた美人局ってどういうことなの?」
頭を抱えだした由比ヶ浜を雪ノ下の咳払いが遮り、話の主導権が彼女に移った。面白い話でもなかったが、まあ雑談の種くらいにはなるか、と素直に要求に応え顛末を話す。
声をかけられたところに始まり道を尋ねられて映画に連れてかれそうになって逃げ出したくだりまで、面白おかしいウィットを交えて話したつもりだったのだがどうにも反応が悪い。
やがて話も終わり、頭を抱えた由比ヶ浜がゆっくりと口を開く。
「……ヒッキー。それ騙されてるとかじゃなくて、逆ナンされてるんだよ……」
「はは、斬新な冗談だな。知ってるか? ナンパってのはモテるやつがされるんだぜ?」
お前らみたいな。なんて、口には出さんが。だが、雪ノ下も呆れたように首を振って由比ヶ浜の説を補強してくる。
「あなた、さすがに自己認識の乖離が過ぎるわね……。さっきの相席願いの子たちもあなたを狙っていたのよ? それは理解しているのかしら」
「む……そういえばあれで四回目だしな……さすがに冗談にしちゃしつこいよな……。いやでも相模はキモいままっつってたしな……」
「え、さがみんと会ったの?」
「ん、ああ。コンビニ寄ったら店員があいつでな。そん時に……」
「というか、四回目……? ……比企谷くん、悪いのだけど今日一日の出来事を詳しく聞かせてもらっていいかしら」
「別に構わんが……もうほぼ全部言ってんぜ?」
それでもと言うので、乞われるままに話していく。時折質疑応答を交えて、一連の流れを整理しつつ、ただしうっかり会いてーなーって呟いてしまったことだけはトップシークレットだ。
話が終わる頃には、由比ヶ浜の苦悩や雪ノ下の苛立ちは深刻な領域に達していた。
「もうヒッキーマジで超モテモテじゃん……うぅ……」
「モテ、は? 俺が? 何言ってんの由比ヶ浜、え?」
いやいやまさかそんな。眼鏡一つかけただけでとかそんなパワーストーンじみた滑稽話が現実にあるわけ。そこまで世の中馬鹿じゃねえだろ。ねえよな? なあおい、と雪ノ下を見れば、苛立ちを吹っ切ったらしい彼女はスマホを両の手で握って、何か言いづらそうにもじもじしている。
「……比企谷くん。その、私に何か言うこと……というか、頼み事は、ないのかしら」
「お前もお前でいきなりどうした……? 言うこと……きょ、今日の服装も大変よくお似合いですよ……?」
「あ、ありがとう……でもそうじゃなくて……」
小町の進研ゼミ特別編から回答例を引っ張り出して流用する。面食らいはしたようだが、歯切れは悪いままで赤ペン先生の敗北を見た。
「え、なに……? げ、月曜もたいへんおいしいお弁当、作ってきていただけるととても嬉しいです……?」
「その、あぅ……す、好きな食べ物とか……教えてもらえれば、反映するかもしれないわね……」
反応は悪くないと想うのだが、会話の要が掴めなくて雪ノ下が何を求めているのかが分からない。マインドシーカーやってんじゃねえんだぞ。手当たり次第思いつくことを並べていると、復活した由比ヶ浜が隣でこっそりスマホをふりふりしてアピールしていた。え、スマホ? ……あー、相模のあれか?
「ん、んんっ……じゃ、じゃあ、その……今、すぐにはお、思いつかねえし…………れ、連絡先……アドレス、こ、交換……」
「っ! え、ええ。構わないわ。仕方ないわね、教えてあげる」
ガハマさんがにっこり笑顔で安堵の溜息吐いてたので、おそらくこれで正解なのだろう。俺も安心して雪ノ下とアドレスの交換に移る。なお雪ノ下はやり方が分からず、由比ヶ浜に教わっていた。
雪ノ下はアドレス交換したスマホを大切そうに胸に抱え、由比ヶ浜はそんな雪ノ下を慈しむように眺めている。ようやくいつもの俺たちの空気が戻ってきた感じだ。
「……な、なあ。お前ら、もう買い物は済ませたのか? 弁当の材料買いに来たんだよな?」
それで気分が高揚してしまったのか、気付いたときにはそんなことを切り出していた。
「え、う、うん! そう、おべんとの材料買いに来たんだけど、まだ買ってなくて、それで……!」
「ええ。その、先に遊ぼうと……と言っても、私はこういうのに慣れていないから、由比ヶ浜さん任せではあるのだけれど……。今はその最中で、偶然にあなたを見つけて、こうしているわけで……」
そうだろうとは思った。二人の手荷物に買い物袋はないし、遊ぶんなら買い物は帰る前だろうから。この俺の物言いから続く言葉なんて方向性はただ一つしかないだろう。だが、それを口に出そうとすると、酷く舌が重くなる。
「そ、そうか。そうなんだな。そうか、まだか……それ、そう、それなら……」
それでも俺が重ねる不格好極まりない言葉を二人が待ち遠しそうに聞いているのを見てしまうと、喉奥でわだかまっていたひとひらが押し出されて来てくれた。
「もし、よければなんだが……もし気が向いたときは、俺もご相伴に与ってる身なわけで……荷物持ち一つ、いらねえかな……? 邪魔、じゃ、なければでいいんだが……」
俺たちはこの後少しだけ遊んで、たっぷりと時間をかけて買うものを見て回った。
「そういえば一色は一緒じゃねえんだな」
「あー……。ヒッキー見つけたとき、一応連絡はしたんだけどね……」
私用があるから来れないと、血涙流して悔しがっていたそうだ。あと、絶対泥棒猫撃退しろとお願いされたとかなんとか。……いや、有り得ねーから。なお由比ヶ浜にちゃんと釘刺されて、一色ともアドレス交換はしました。
そして日曜日。昨日で体力気力使いすぎて、外に出るにはさすがにくっガッツが足りない。せめて小町の邪魔しないように部屋で一人静かにいるんだかいないんだか分からない存在感を保つとしよう。ご飯時とお風呂トイレ以外は文字通りのヒッキーと化す。
と言うわけで朝ご飯食べて戻ってきた俺はひたすらベッドでごろんごろんしていた。食う寝る遊ぶは娯楽の基本。ちなみにここで言う遊ぶはあれだ、三大欲求の一つに基づくそれでして、食う寝るとちゃんと同格でありおりはべりいまそがり。ここ最近の特殊事情のせいで、ぶっちゃけ性欲溜まって仕方ないんですけど構いませんね! と言うか俺悪くないですよね。むしろよく耐えてる方だと思いませんか。これでも思春期真っ盛りの男子高校生なんですよぼく。あれだけ綺麗だったり可愛かったりエロかったりする相手に首輪つけていちゃ……戯曲めいた演劇をするのに何も感じねえわけねえだろうが。
枕元にあるスマホを手に取る。その中に新しく増えたデータが、バイト数以上の重さと暖かさを持って俺を溶かしてくるのだ。頬が緩むのを感じつつも左手が伸びるのはティッシュ箱。日課を何故日課というか知っているかい? それは毎日するからなんだよ。
ふぅ……。由比ヶ浜ってマジで男の身勝手な夢を都合良く詰め込んだような奴だよな。抜群に可愛い童顔にワガママボディで頭の方もちょっと抜けてるからまるで気負わず付き合えるしいや付き合うってそういう意味じゃなくて深呼吸落ち着け。……あヤベまた勃ってきた。あーもーあいつの頬も唇も柔らかすぎんだよ髪もふわふわだし肌もすべすべだしふにゅって潰れてた胸が目に焼き付いて離れねえしあんな至近距離からじゃあいつの香りに抗えるわけねえだろわざとやってんのかってくらい近くて稀におっぱいが接触事故起こしちまったときとか全ての神経がそこに集中したみたいになったし死ぬほどやわっこかったあの感触喘ぎ声俺に聞かせてどうする気だよ散歩とかぜってえさせねえからな……! っ……! あー……。だる。はぁ……ふー……。あー、雪ノ下ってさー……。なんつーかほんと大和撫子の体現だよな。あいつに隣並ばれたらモデルも裸足で逃げ出すわ。それに……
「よし今日の勉強終わりー! お兄ちゃん小町アイス食べたーい! ダッツで……んん?」
小町は俺の部屋に飛び込んできて、いきなり無体な要求を突き付けてくる。のはいいが、何故か途中から勢いがすぼんでいった。
なお俺の方は諸事情によりベッドでぐだーっとしてる。励みすぎて全身に倦怠感があるのであんま動きたくないが、受験勉強に精を出す可愛い妹の些細なお願いくらいは聞いてやるのがお兄ちゃんってもんだろう。こっちがやってたのは文字通り日がな一日精を出すことだけだからな。我がことながら言葉にならないレベルで酷過ぎる。ああもういつの間にか夜なのか……。
「あー、まあ正直ハーゲンダッツは厳しいが最近お前がんばってるしご褒美にはいいだろ。わざわざこの真冬にアイス食わんでもとは」
「お兄ちゃん」
「あん?」
のっそりと起き上がりながら小町に軽口叩いていると、ばっさりと語末を切り落とされた。財布どこやったかなーと探してた視線を引き戻されると、真顔になった小町と目が合った。
「くさい」
「がッ!!!???」
がっ!! がっ!? かはっ!!
リアル呼吸困難になるほどの致命傷がノーモーションで飛んで来た。妹から。冗談じみた誤魔化しで自分の心守らないと壊れてしまうと本能が察するレベル。多分今俺カイジみたいにぐにゃってる。
ベッドの上で筋肉が痙攣したように跳ねたあと、四つん這いになって襲い来る吐き気に耐える俺。小町はスタスタと部屋の中に入ってきて、冬にも関わらず部屋の窓を全開する。とはいえ心に吹く隙間風が痛風かってくらい痛すぎたので、窓の外の寒さなんかまるで気にならなかった。
「かっ……! かはっ……!」
「ザーメンくさすぎ。部屋中にお兄ちゃんのにおいこもらせちゃってさー。一応一旦は換気したみたいだけど、ゴミ箱からのにおいで意味なくなっちゃってるし。そもそもこれ何回やったのさ? 覚えたての猿じゃないんだから。小町をにおいだけで孕ませる気? 小町がお兄ちゃんの子供作ったらお父さんに殺されない?」
「ごま……小町ちゃん、うら若き女の子がザーメンとか孕むとか言っちゃ……」
いかん。致命傷が致命的すぎてダメージがまともに喋らせてくれない。
「あ゛ー? お兄ちゃんがいるのに今更じゃんそんなの。って言うかお兄ちゃん、もしかして今までバレてないとでも思ってたの? いくらなんでも女の子の嗅覚ナメすぎだよそれ。これのにおいには特に敏感だからね?」
うっそだろマジで? なんかもう立ち上がれないくらい足にダメージ回ってきてんだけど。ゲロ吐きそう……。
「そんなにおいぷんぷんさせたまま雪乃さん結衣さんの前に行ったら……行ったら案外乗ってくるんじゃ? ワンチャンあり? よしお兄ちゃん!」
「よし、じゃねえよ……風呂入ってくる……」
「えー、アイスはー?」
「臭くないお兄ちゃんになってからにしてくれ……」
「そのままのお兄ちゃんでいいよ! そのままうっかり偶然雪乃さんとか結衣さんと会おうよ! 小町呼び出すから!」
「それのどこに偶然要素があるんだよ……。つーかマジでやめろ馬鹿」
「んーまーうまくいきゃいいけどさすがに博打要素強すぎるかー。しょーがない、じゃさっさとお風呂入って来ちゃってー」
「おう……」
俺は敗残兵の如く足を引きずりながら風呂場に向かう。その背中に、小町の追い打ちがかけられる。
「ところで随分お盛んだったみたいだけど、一番抜いたのってどっち?」
「アホ言ってねえで部屋戻れ」
「はーい」
んなもんトップシークレットだ馬鹿野郎。……よく身体洗おう。しっかり臭い落とすために。