長川呉服店の正面ドアが開いた。
入店したのは、40センチメートルほどの高さの木箱を携えて三揃えのスーツを纏った若い男だ。だが若い訳ではなく、些細な目や体の動き、或いは言葉や空気にただ者ではない何かがある。
入って左側に一段高く畳が敷かれ、畳の奥の棚には反物が整然と並んでいる。右側にはスーツを着たトルソーが3体とネクタイなどの小物を並べてある棚。
「久しぶりだね、ジャグラー」
「ああ、久しぶり。元気そうだな、ジェイド」
ジェイド、と呼ばれたのは長川呉服の3代目、
時折訪れる銀色の巨人、通称「ウルトラマン」が最初に科特隊の前に姿を現すより以前から地球に定住している、言うなれば「現地協力者」や「支援者」だ。
「この通り元気だ。この間くれた苔玉、少しずつ成長しているよ」
通りに面したショーウィンドウ、トルソーに着せてディスプレイされた女性用着物の足元、小さな花台の上のころりと丸い苔玉は、確かに少し背丈が伸びた。
店内からは、通りから見えなかったディスプレイされた着物の背中、帯に入った刺繍の梅が花開いているのがよく見える。
「梅か、なら良かった。今日は
畳に座ったジャグラーが携えてきた木箱を開けると、蕾が膨らみ始めた紅い梅の盆栽。
「あのショーウィンドウに飾るにはいいだろ?」
「確かにいい梅だ。ここまで育てるのも大変だろう?」
「まあな。たまに失敗するし」
後にストレイジの隊長になってから、松の枝を切りすぎたと度々頭を抱える事になるジャグラーだった。
「なあジャグラー、ただこんないい梅を持って来た訳じゃないだろ?」
「察しがいいねぇ。ちょっと奥貸してくれ」
「どこか怪我を?」
以前にズタボロになって転がり込んだ事を思い出したのか、すっと真顔になったジェイドが腰を浮かそうとするのを手首を掴んで押し止め、自分の体越しに「いや、あっち」と示した先は表。
「何話してるんだろーな」
街で見かけた三揃えのスーツ姿のジャグラーが入ったのは、歴史がありそうな呉服店。ちらとでも姿を伺えないかと表で張っていたら、正面のドアが開いた。
灰色の着物に格子柄の帯を締め、暗い色の袴の男が大判の膝掛け片手に自分めがけて真っ直ぐ歩いてくる。
「は、え?」
「表は寒いですから中でお茶をどうぞ」
人好きのする笑顔と肩にかけられた膝掛け、温かいお茶、トドメの好奇心に負けて店に足を踏み入れる。
「ここでスーツ仕立ててたんですね」
トルソーに着せているヘリンボーンのジャケットを見ていたと思ったら、次はネクタイに目を向けているガイー「さん」をつけて呼んだら嫌そうな顔をされたので呼び捨てに落ち着いたーに、ずっと気になっていた事を聞いた。
「上着、着ないのか?」
そう、この寒空の下で恐ろしい事に半袖のTシャツとジーンズ姿でいるのをジャグラーの肩越しに透視した。革のジャケットらしい物を左腕に抱えているにも関わらず。
「それが…」
途端に落ち着きなく目を彷徨わせ、肩にかけている膝掛けの縁を指で捏ねている。打ち明けたいが、まだ踏み切りが足りない。
「何だこれ?」
「あ!」
ジャグラーがどうやってか、腕に抱えていたジャケットを引き抜いて畳に広げていた。たまにこう手癖が悪くなるのが困るが、今は助かった。
何か鋭い物体に絡まってしまったのか、何ヵ所も革が裂けて穴が開いている。これでは繕うのも無理だろう。
「ガイ、傷はない?僕が見るのが嫌なら奥でジャグラーが」
「いやいやいや!ない!から!大丈夫!」
無理やり膝掛けとシャツを捲り上げようとするジャグラーと、抵抗するガイが互いにぐるぐる回って背後の取り合いをしているが、今透視しても骨折や捻挫はないようだ。あと内臓の炎症もなし。
「ガイ、悪い話といい話ならどっちが先に聞きたい?」
「悪い話だろ?」
「言いにくいけど残念ながら廃棄かな。絶対繕えと言うならやるけど、強度は落ちるし雨も入るよ。思い入れのある品なら無事な部分で何か作れなくもない。設備はある」
「で、いい話って?」
「ジャグラーの知り合いだから、普段より少し値引きしておくよ。革ジャケットなら、本館の方に何点かある」
「え、俺こっち来た事ない」
「あっちはビスポーク専門だからね。ここの上に喫茶室もあるよ」
「ラムネは?」
「クリームソーダはあるが、ラムネあったか…?」
迷いない足取りで歩いていく着物袴姿のジェイドの後ろから、三揃えスーツ姿のジャグラー、半袖Tシャツにジーンズのガイという、性別以外は共通点がなさそうな3人組。
無事に革ジャケットは購入したものの、いつもならするりと立ち去ると聞いている風来坊はまだ何か抱えているらしい。
「あの、コートを1着、仕立てたいんです」
「畏まりました。誂え初めを担当できて光栄です」
決然とした瞳に、真摯な対応を。
呉服店の奥にある18畳の試着室で身長、身幅、肩幅、腕の長さ、袖繰りを計測。
表の生地と裏地選び、糸の色、名前入れの字体と使う糸、襟の形、立て方、芯材の有無、袖の長さ、袖繰りの大きさ深さ、着丈の長さ、ベントの位置など拘りどころが目白押し。
「はい、お疲れ様でした。後は仮縫いをして、フィッティングが終わればその次でお渡し出来ますよ。…接客業やってるとこういうスイッチが入るんだ。慣れてくれ」
「俺もトンビ注文するー」
看板を「閉店」にしたのをいいことに、ジャグラーは喫茶室からテイクアウトしてきたコーヒーを飲んでいる。
「トンビか、分かった。ガイ、いつフィッティングに来られる?」
「怪獣が出ない限り、いつでも」
「じゃあ明日な。悪いが、特急仕上げだから料金は割り増しだぞ」
「この寒い中で野宿?正気か?仕立てでミシンも使うからちょっとうるさいけど泊まっていけよ。ジャグラー、案内してあげて」
生地とサイズ表を抱えて試着室に突進していったジェイドを見送り、靴を脱いで上がった畳敷きの奥、目立たない位置にある階段で店の上へ行く。
色の浅い飴色の床板の上を、古く分厚い華文模様の絨毯が覆う。家具はアンティークが多く、よく使い込まれている。
「風呂はそこ。トイレはあっち。…おにぎりと豚汁作るか。手伝えよ、ガイ」
ジャケットを椅子の背にかけ、慣れた様子でエプロンをつけて冷蔵庫を開けたジャグラーの背を驚いて見送る。
「前からちょくちょく世話になっててな。あいつ、酒場で絡まれた時にゃ頭にソバット食らわせてた」
温厚そうなジェイドと高い打点のソバットがなかなか結びつかないガイは、生返事をしながら近くの分厚い生地帳を気のない仕草でめくる。
「ガーイ、せめて豚肉炒めてくれ。俺らの晩飯も兼ねてるからな」
出来上がったおにぎりと豚汁を鎌倉彫のお盆に載せて階段を下り、試着室の奥へ足を進める。
「って、壁じゃねえか」
鳥の子色の地に金の唐草模様が華やかに躍る試着室の壁。その一部がいきなり上へスライドした。短い通路の向こうから煌々とした灯りが漏れている。
灯りの先を覗くと、こちらに背中を向けて、業務用のミシンで裁断した生地の端処理をしているジェイドがいる。
「ジャグラーか?すまんが今、手は離せない。そこの花台に置いてくれ」
「その、ガイだ」
「おや、ありがとう。狭くて悪いね」
「…あの、生地、浮いて」
ガイの前で、裁断されたコートの一部が空中に浮きながら、同じく浮いている針と糸で軽やかに縫い上げられていく。
「さて、身頃と襟が出来た。ちょっと置かせてもらうよ。首や肩に違和感はない?」
ミシンは目の前に座っていないのに、空中から寄せられた他の部位に端処理をかけている。
「…バルタン星人か?」
「ちょっと集中させて。ファーストオーダーしてくれた相手を刺すなんて事はしたくない」
僅かに背後へ回した首を、筋を痛めない程度に
「次は袖だ。袖繰りは余裕を持たせてみた。少し動かしてみて?」
腕を上下、肩を回し、肘を張って左右の拳でワンツー。
「え、軽い…?何で?」
「そこはプロの腕の見せ所だよ」
目の詰まった重い生地なのに、半袖の時と同じ動きが出来る、と目を丸くするガイに笑いかけながら、仮縫いのコートを脱がせた。
「晩ご飯持ってきてもらったから、これ食べて頑張るよ。後は明日をお楽しみに」
「プロって凄いな」
「いきなりどうしたぁ?」
上階に戻ってきたガイの呟きに、寝椅子で長々と寝そべって寛いでいるジャグラーが首を傾げた。
「ジェイドさんは若いのに凄い腕前だなって」
「え?あいつ若いの?」
「え?」
「え?」
「……確かに本当に何歳なんだろ、あいつ」
「まさか歳上って事はないだろ。というか、あの人テレキネシスか?」
「マジで?待てよ、そう言えば…」
「酒盛りするなとは言わないが、ペース配分考えような。ほらポカリと味噌汁」
「「っ…うぅっ…」」
翌朝、ジェイドは上階の床にゴロゴロ転がる大量の酒瓶を
ボトルを掴んでストローで最後の1滴まで吸いきり、ゆっくりと細胞へ水分が浸透していくのをぼんやりと意識する。
「久しぶりにこんなに飲んだな」
「吐いてなくて良かった」
昼食寄りの時間にもう一度目が覚めた。今度は頭痛はない。
台所を覗くと艶消しの黒塗りの汁椀が1つ、ラップに包まれたおにぎりと箸も一緒に待っていた。
下に降りていくと、ジェイドとジャグラーが畳に腰掛けて何か話している。
「やあガイ、食事は済んだかな?お待ちかねのコートだ」
ジェイドのすぐ側に、しつけ糸のついた新品のコートが畳んで置いてある。
背中から着せてもらい、全身が写る鏡で出来映えにはしゃぐガイをジャグラーも満更でもない顔で見ている。
≪ジャグラー、後で写真を現像して送る≫
「は?」
今、誰が?テレパシー?と硬直する脇をガイがすり抜け、店の外へ走った。
「へ?」
「現金引き出してくる、って走って行ったぞ。…ちゃんと引き出せるか不安だ」
しつけ糸と鋏を片付けに立つ、毛万筋の鳶茶色の着流しを見ながら、さて刀帯の修繕は幾らかと財布と相談するジャグラーだった。