紺野は涙子殺害事件の概要を思い出しながら、現場を見回す。
最初に思い立ったのは鍵の位置。以前棚にあったという話だったため、彼は棚の中をくまなく探した。しかし、鍵らしきものは見つからなかった。
「鬼立警部、この部屋の鍵は見つかったのですか」
紺野が鬼立に尋ねると鬼立は「おお」と言って、床を指さした。
「露子さんの遺体のすぐそばの床、ここに落ちていた。割った天窓の破片に紛れていて分かりにくかったがね」
「前回の事件の資料とか写真とかないんですか。正直なところ、比較してみないと何も断定できません」
「あるにはあるが、紺野君が大体のトリックは分かったなんて言うから見せる必要ないかと思ったんだよ」
ため息をつきながら鬼立は紺野に写真の束を渡した。
紺野は受け取った写真を一枚一枚確認していく。
棚にあった鍵の写真もある。先ほど見つかったものと同じ鍵だ。
他にも割れた天窓や遺体の写真、扉の写真等がまとめられていた。
棚の写真を見てみるとどうやら今は小窓の下、反対側まで移動しているようだ。
そして、紺野はとある一枚、涙子の遺体が写った写真を見て違和感を感じた。
「鬼立警部、涙子さんの遺体、なんかキラキラ光っていますね」
「ああ、天窓の破片だよ。割ったものがそのまま遺体にも落ちてしまったんだね」
その一言を聞いた紺野は、自身の中にとんでもない仮説が浮かび上がった。紺野自身にとってそれは信じ難いものだった。
「…一つ、仮説が浮かび上がりました」
「おお、本当か」
「ええ。本当に恐ろしい仮説です」
「恐ろしい…」
「それにその仮説が当てはまるのは前回の事件のみで、今回の事件は当てはまらない。あの人が犯人だと仮定するとね…」
紺野には確実に犯人の正体が見えていた。しかし、それは今回の事件には適用されない、不可解な犯人像だった。
「今思えば、あの時も違和感がありました。犯人もその人物で間違いないでしょう。ただ、今回の露子さん殺しを現時点では立証できません」
「どういうことだ。犯人が同一犯であるなら使用しているトリックは同じだと思えるが…」
「いえ、涙子さん殺し、露子さん殺しの犯人は確かに同一人物です。しかし、犯行の手口は全く別の方法が使われているのです。そして今回の事件のトリックがまだ解き明かせていません。私の勘では、らせん階段を上る途中にあるはずの小窓が見当たらなかったことが深く関係しているとは思いますが」
紺野がそう言ったその時、小窓側から声が聞こえた。
「小窓は変わらずここにありますよ」
伊織が小窓から手を出して振っていた。
「やはり小窓はちゃんと存在している。紺野君、本当に君も小窓を見ていな──」
鬼立が紺野のほうに振り向いて気づいた。
紺野が目を見開いて驚きの表情をしていることに。
「…分かりましたよ。警部」
「え?」
「犯人が塔の外にいながら、塔の中にいる露子さんを転落死させる方法がですよ」
「なんだと」
「至急、露子さんの遺体の骨折具合と、イヤリングを調べてください。必ずこれで犯人を追い詰めることができる」
「…しかし、遺体はイヤリングをしていなかったが」
「…そうですか。それも犯人の正体へと近づく重要な手がかりになりますね」
紺野は余裕の笑みを浮かべてそう言った。
「犯人からの挑戦状。私が解き明かします」
事件発生から3時間。
関係者は誰も一睡することなく、リビングで待機していた。
とある人物はイヤリングをポケットに隠していた。
「少しトイレに行ってきます」
そう言ってリビングを去り、足早に勝手口から外へ出る。
ポケットからイヤリングを取り出す。
そして近くの焼却炉に近づき、投げ込もうとした。
「そのイヤリングは露子さんのものですね」
背後から声がした。イヤリングを強く握りしめる。
「まあ、捨ててしまいたいのは当然です。イヤリングを調べられたら、露子さんの殺害方法があっという間に分かってしまうからです」
「待て、そもそもまず涙子さん殺しから説明してくれないか」
現れたのは紺野と鬼立。焼却炉の前に佇む人物は、振り向かずにうつむいたままだ。
「いいでしょう。最初の涙子さん殺害事件。事件を紐解く鍵は三つ。一つは、円の間の鍵は室内の棚から発見されたこと。二つ目は天窓が開閉のできないはめ殺しであること。そして三つ目が…涙子さんの遺体の上に割れた天窓の破片が散乱していたことです」
「遺体の上の破片だと? それから何がわかると言うんだね」
「…では警部。雨堂刑事と一緒に遺体を発見したときの経緯を思い出してください。一足先に雨堂刑事が屋上の天窓から円の間の内部を覗き込み、床に倒れている涙子さんを発見。天窓がはめ殺しだったため、雨堂刑事は天窓を割って中へロープを使って降り立った」
「何も不審な点は無いが…」
鬼立の返答に紺野は「あります」と即切り捨てた。
「考えてみてください。床に倒れている人間を発見しても、生きているのか既に死亡してしまっているのか分かりません。そのため、被害者を傷つけないように、離れた場所の天窓を割るのが普通だと思いませんか?」
その言葉を聞いた鬼立はみるみる青ざめた。
「と、いうことはまさか…ば、馬鹿な」
「そう、犯人は予め天窓を割って、涙子さんをそこから突き落として殺害。その後、あたかも天窓は割れていなかったかのように演じ、最初から天窓が割れていたことがバレないように、周囲のガラスを割ったのです。そして警部とともに室内に降りた犯人はまんまと遺体の第一発見者になったというわけです。…この推理に間違いはありませんね? この事件の犯人で、捜査一課の刑事である雨堂貴一朗さん?」
焼却炉の前に立っていた雨堂はゆっくりと紺野と鬼立のほうを振り向いた。
「涙子さんの生死が分からない状態で、涙子さんを傷つけてしまう可能性のある真上の天窓を割ったのは、既に涙子さんが死亡していることを知っていたから。もう一つはその場所はすでにガラスが割れていたから。だから涙子さんの遺体の上には天窓のガラスの破片がかぶさっていたのです。棚に鍵があったのは、遺体発見後にこっそり隠したから」
「う、雨堂君…君は本当に…」
信じられない様子の鬼立。そして雨堂は突然、
「はははははは!」
高笑いが響いた。
これがこの男の本性か、と紺野は身構える。
「さすがは紺野さん。よくぞ見破りましたね。そうです。涙子さんを密室に見せかけた円の間で殺害したのは僕です。警部を欺いたトリックだったので、暴かれるとは思ってなかったんですけどねえ」
不気味な笑みを浮かべた雨堂はそう続ける。
鬼立はただ呆然としていた。
「でも、露子さんは僕が殺したんじゃないですよ。だって、今の涙子さんのときとは状況は違う。僕は紺野さんと警部の後からやってきてます。天窓の偽装も不可能ですよね? 早く露子さんを殺害した犯人を見つけてもらいたいものですねえ」
淡々としゃべり続ける雨堂に、紺野は言った。
「いいや、露子さんを殺したのもあんただよ」
「…どうやって? お二人の後ろにいながら、塔の外にいる僕がどうやって彼女を転落死させられるんです?」
「…露子さんは頭蓋骨が折れていたが他はほとんど折れていなかった。先ほどそう結果が来た。涙子さんより骨折している箇所が圧倒的に少ない。つまり、露子さんは天窓の位置よりさらに低い位置から転落死させられた。これが何を意味するか。答えは簡単。彼女は階段状の棚の上から突き落とされたんだ」
「こ、小窓か!」
「ええ。雨堂刑事は、私たち二人が螺旋階段を上がっていくのを見届けて、こっそり小窓に仕掛けたパネルを外しました」
「パネル?」
「ええ、小窓が見つからなかったのは、塗装したパネルで小窓が覆われていたためです」
「…まさか雨堂君が足を踏み外した地点は…」
「そうです。まさに小窓があるところです。躓いたのもおそらく意図的でしょう。そしてその小窓から手を突き出して棚の上まで登ってきていた露子さんを突き落とした」
紺野の推理を雨堂は特に口をはさむこともなく聞いていた。
「…だがね、このトリックには問題があるぞ。小窓から突き落とすには、被害者が棚の上まで来ないといけない。どうやって被害者を誘導させたんだね。最初、雨堂君が扉叩いたとき内側からも叩き返す音が聞こえただろう。つまりあの短時間の間に被害者を棚の上まで誘導しないと、このトリックは成立しないぞ」
「そこが違和感でした」
「何?」
「露子さんに内側から扉を叩くよう誘導したのも雨堂刑事です」
「どういうことだ。どうやってそんな命令ができる」
「命令じゃありません。会話ができたんですよ」
「会話…?」
鬼立はそう呟いて、雨堂が手に持っているものを見てハッとする。
「イヤリングに…通信機能があった…?」
「その通りです。雨堂刑事はまず、露子さんにイヤリングをプレゼントして付けさせる。その後、彼女を襲って気絶させて、円の間に監禁。露子さんが戻ってこないと言って、円の間に全員を誘導。扉を叩いてすぐに、携えておいたマイクで露子さんに扉を叩き返すよう指示。扉前にまだ露子さんがいることを一同に確認させた後、すぐに自分は螺旋階段へ上り、小窓のあたりで私と警部を先に行かせる。登って行ったことを確認し、再びマイクで露子さんに、今度は棚の上まで上がってくるように言う。小窓の位置まで棚を上ってきた露子さんを、突き落して殺害した。これが露子さん殺害事件の真相だ」
「うーむ、露子さんがそう簡単に従うものかね…」
「問題ないでしょう。雨堂刑事と露子さんは婚約していましたし、露子さんは閉じ込められてて焦っている状態。雨堂刑事の言ったことをすべて素直に聞くということは容易に考えられます」
「うむ…鍵もまた現場に入ったときに床に放り捨てたというところか」
「そうです」
「あーあ、ばれちゃいましたか」
雨堂は悪びれもなく笑顔でそう口にする。
「同じ現場で2種類のトリック。これなら片方が立証できてももう片方が立証できない。探偵を騙すにはうってつけだと思ったんだけどな」
「まだ分からないことがある。一つは2人を殺害した動機。二つ目は遺体を花嫁衣装にした理由だ」
「んー、じゃあ前者から。動機は至ってシンプル。僕が好きになった女性が死ぬ瞬間を見てみたかったから。後者の質問の答えは、捜査を攪乱するため、かな」
「…涙子さんの婚約者も雨堂君だったのかね」
鬼立がそう尋ねると「そうですよ」と雨堂。
「初めて姉妹に会ったとき、どっちも好きだなー、って思ったから順番に殺そうと思って。でもそれだけじゃつまらないから、トリックを使って警察と探偵を欺いてやろうかなって。ま、結果的にはこのざまだけどね!」
まるで罪悪感を感じていないだろう雨堂の表情、口調。
悪夢を見ているかのような時間。
鬼立は雨堂へ近づいてこう言った。
「…私はお前を一生許さん。絶対にお前を一番重い罰で裁く」
剣幕にひるむことなく雨堂はこう返した。
「…フフ。裁くのは刑事の仕事じゃないでしょ」