早朝から鬼立は通報を受けて現場に直行していた。
ある中小の医療機器工場敷地内で作業員の遺体が見つかったという。
鬼立は工場に到着すると現場に向かった。
遺体の第一発見者である同じく作業員の
「こ、こちらです」
柳と共に遺体を見つけた
奥にも複数の貯水タンクがあり段々になっている。奥に行くほど標高が高くなっているようだ。
そして遺体が見つかったのは一番手前の貯水タンクのようだ。
はしごをゆっくりと登り、中を確認してみる。
水で一杯だ。そのゆらゆらと波打つ水面の中に浮かんでいる人間の姿があった。
「なんと…。溺死だろうか…」
「お、おそらく私の同僚の
動揺しながらも柳が鬼立に言った。
「なるほど。一旦遺体を外に引き揚げましょう」
加治木の遺体が引き揚げられて地面に横たえられる。
「最後に加治木さんを見たのはいつですか」
鬼立が柳に尋ねる。柳は「えーと、いつだったかね」と隣の谷尾を見る。
「確か昨日の夕方五時頃ですよ。ほら、柳先輩がお腹壊してトイレに走ったタイミングですよ」
「ああ、そうだ。あの時彼は残った仕事があるからって言ってたな」
「先輩が飲みに誘ったけど断っていましたね」
「ふむ…。司法解剖をしてみないとわかりませんが、事故、他殺の両面での捜査になりそうですね」
「そうですか。まぁ、仮に加治木が殺されたとしても私にはアリバイがあるので」
「アリバイ?」
「ええ。完璧なアリバイですよ。さっきも加治木を飲みに誘って断られたって言ったでしょう。なんで別の友人と飲みに行ったんですよ。確認してもらえたら証明できます」
「ほう。本当に? この遺体発見の朝まで難しいですか」
「そうですね。飲みからそのあと友人の自宅で二次会をして、そのまま朝まで起きてました。で、今その友人の家から会社に直行しました」
「出勤してきたところは僕が確認しています。そこから一緒に毎日のルーティンで貯水タンクの状態を確認していたら手前のタンクの蓋が開いていて…」
「状況は把握できました。柳さん、友人に確認を取りますので名前を教えていただいてもいいですか」
「はい。電話しましょうか」
「…なんで君がいる」
「アリバイ証人ですが何か」
柳が電話で呼び出したアリバイ証人は紺野であった。紺野と柳、そして死亡した加治木は高校時代の同級生だった。
「まさか加治木が死ぬとは全く思ってもいませんでした」
紺野はいつも通り表情はあまり変わらないが、動揺している声だった。
「…肌のふやけ具合からすると長時間水に浸かっていたんでしょうね」
「そうだろうな」
「警部。後頭部に殴られた痕がありますね。間違いなく他殺です」
「見るのが早い」
「まぁ精密な検査をしないと正確な死亡推定時刻は分からなさそうですね」
「でも君が柳さんのアリバイを証明できるんだろう?」
「…」
何故か紺野は鬼立の問いかけには黙ったままだった。
「何も言わないのは何か引っかかってるからかね」
鬼立が指摘すると紺野が「ええ」と言って鬼立の方を見る。
紺野は柳が遠くにいるのを横目で視認し、鬼立に言った。
「犯人は柳だと思います」
「ほう。彼にはアリバイがあり、それを君が証明しているがね」
「ええ。ただ彼が加治木を殴って気絶させることは可能でしょう。襲撃後、タンク内に放置して自分と合流することは十分可能です」
「襲うことが可能でも、溺死させるのは難しいだろうな」
「一応、後輩の谷尾さんに二三確認してみます」
「確認してみました」
「何を聞いたんだね」
「まずは柳がトイレに行くと言って姿を消して戻ってくるまでの時間です。その間の時間は五分もなかったとのことです」
「ふむ、となると溺死させるのにはかなりタイトな時間だろうな」
「さらに戻ってきたときの柳の服装を聞いてみましたが、特に変化はなかったようです」
「それはどういった意図で尋ねたんだね」
「もし柳が加治木を溺死させたのであれば少なからず服が濡れると思いませんか」
「確かに…。気絶させられていたとしても被害者が気づいて暴れだし、水飛沫が飛ぶことは必至」
「ですが谷尾さんは服装に変化はなく、特に水に濡れていたということもないと証言しました」
「つまりその姿を消した五分間で柳さんは加治木さんを殺害することは不可能という結論に至る訳か」
「そうです。だからその後常にだれかと一緒にいた柳には加治木を溺死させる時間がないということになります」
「じゃあ柳さんはシロなんじゃないのか」
「いえ、私の勘が柳を怪しいと言っています」
「友情より勘が優先される。恐ろしい男だよ君は」
「現場を見てもいいですか」
遺体が見つかったタンクの麓まで移動してきた紺野は、すぐに地形に気づいた。
「段々になっていますね」
「奥に行くほど標高が高くなっているようだ。それでタンク自体も奥に行くほど高い位置に設置されている」
「…警部。昨日この辺りで雨は降っていましたか」
紺野が何かに気づいて鬼立に食いつくように問う。
鬼立は首を横に振る。
「昨日は晴天だ。タンクに雨がたまって自動的に溺死する仕組みは無理だね」
「まぁそれだったらすぐにでも柳が犯人だと警察がわかるはずですしね」
なめられている発言に鬼立は心の中でムッとした。
「仮に被害者を気絶させてタンクの中に放置したとするならば、必ずこのタンクに自動で水を貯める装置が必要になりますね」
「その通りだ。だがホースが一つ上のタンクに差し込んであったこと以外特にそれらしき痕跡は発見できていないのが現状だ」
その言葉を聞いた紺野は「その手があったか」と言わんばかりの表情をした。
鬼立は怪訝そうに紺野のリアクションを窺う。
「なるほど、簡単なことでした。やはり柳が犯人です」
「まさか分かったのかね」
「ええ」
「…犯人が分かったって本当なのか紺野」
鬼立に連れてこられた柳は紺野に呼びかける。
「白を切る必要はないよ。柳」
「…何のことだよ」
柳の芽が一瞬泳いだ。紺野はそれを見逃さなかった。
「分かってるんだよ。加治木を殺害したのは柳、お前だってことが」
しばらくその場は沈黙に包まれた。
やがて柳が口を開く。
「アリバイは君が証明してくれたはずだが」
「そうだな。確かにお前とはずっと一緒だった」
「なら俺には無理だろう」
「それが出来るんだな。お前はこのタンクに仕掛けたんだよ。自動溺死装置をな」
再び柳は口を閉ざす。
「至って簡単な仕掛けだよ。そう、『サイフォンの原理』を使った仕掛けだ」
「サイフォンの原理?」
「サイフォンの原理とは、空気の入っていない液体で満たされた状態の管を最初の高い地点から低い地点まで繋げると、管の途中が最初の高い地点よりもさらに高い地点であっても、低い地点まで液体が流れるというものです。細かいメカニズムの説明は省きますが、身近な物なら灯油ポンプにこのサイフォンの原理が利用されています」
「その原理をどうやって利用したんだ」
「シンプルです。一つ上のタンクとあらかじめ空にしておいた下のタンクをホースで繋げたんです。するとどうなるか。サイフォンの原理に則り、上のタンクの水は下のタンクへ流れていくはずです。やがてタンクの中は水で満たされ、低い地点が元の高い地点の水面と同じ高さになると自動的に流れも止まる。あとは第一発見者のふりをしてホースを下のタンクから抜くだけ」
「…そこまで見抜かれては言い逃れできないな」
観念したのか、柳はそう言った。
「加治木を気絶させて空のタンクに放り込んで、そのホースの仕掛けを施してお前のところに合流したのさ」
「…なんで加治木を殺したんだ」
苦しそうな声だった。
普段感情を表に出さない紺野だが、声色は隠せていなかった。鬼立にはそれがとても珍しく思えた。
「加治木と俺はこの会社の金を横領してたんだ」
「何?」
柳はそう告白した。
「だけど加治木は突然俺を脅迫してきた。横領していたことをばらすぞと。こいつにばらされる前に加治木の口を封じて、全部罪を擦り付けてやろうって考えたんだ…」
何も言えなかった。爆発しそうな気持を必死に抑えて、紺野は一言呟いた。
「この馬鹿野郎が…」