「アインズ・ウールゴウンさん?」
アインズが自己紹介をすると、立香は非常に言いにくそうに復唱した。確かに、人の名前としてはへんてこすぎたのかもしれない。どれがミドルネームなのか、どこからがラストネームなのかとか分からないのだろう。初対面だから、ラストネームで呼ぼうとしてくれているのに、アインズは何だか申し訳ない気分した。
「ゴホン! とりあえず、アインズと呼んでいただいて構いませんよ」
「分かりました! アインズさんですね」
「ええ」
そうやって元気溌剌に笑う立香はどこか眩しかった。
モモンガの世界で現実にこういった笑顔を浮かべる人が少なかったから、見慣れていないせいかもしれない。彼女が浮かべた表情はなぜだかモモンガの瞳に鮮明に映り込む。
「えーと、アインズさんはこれからどうしますか?」
立香のその問いかけに対し、モモンガも今後の身の振り方についてはどうしたものか悩んでいる。
というのも、先ほどからこれ以上あれやこれやと考えるのが億劫になってきつつあるのだ。大量になだれ込んできた情報を処理するのに手一杯で、今後のことまで考える気が起きない。
ここがよく分かっていない過去の世界なのだとしたら、アインズはきっとここで何かするために呼ばれたのかもしれない。しかし、それと相反するようにアインズの中でその使命感に従事しようと言う律儀な感情はほんの少しも湧き上がらなかった。
「……少し考えさせてください。ここがどう言った所なのか見極めたいですし」
「そう、ですよね。まあ、勝手に召喚させてしまったのは私ですし、何だか申し訳ないです……」
そう言って立香は頭を下げる。
アインズは、なぜ謝られているのか分からないが、とりあえずその謝罪は受けておくことにした。
「気にしないでください。とりあえず、このレイシフト先、でしたっけ? にいるのは藤丸さんとマシュさんだけなんですか?」
「いいえ。後はオルガマリー所長っていう私の上司と、現地であった〈キャスター〉のサーヴァントが一緒に同行してますよ」
その言葉にアインズは記憶を掘り返す。
確か、〈キャスター〉というのは魔術が得意なサーヴァントのことを指す単語だった。直接的な戦闘能力は低いものの、陣地作成や道具作成といったトリッキーな戦いができるのが特徴らしい。過去の魔女や、賢者などがこれらのクラス適性を持っている。
ちなみに、アインズのクラスもキャスターであると予想していたが、立香に聞いてみたところ「ステータスが見えない」らしく、現段階では不明であった。
「ふむ。キャスターか……」
アインズはキャスターのサーヴァントに興味を覚え、下顎を摩りながら、しばし少考する。
この世界でいう魔術とはユグドラシルの魔法とはかなり毛色が違うらしく、どれもこれも稚拙なものが多い。例えば、現在立香が着ている魔術礼装なんかは、ユグドラシルでいう序盤の装備と何ら遜色がない性能をしている。
そんな魔術とやらに特化したサーヴァントの力というのは一体どれほどのものなのか。見たことのない魔法を使うのであれば、アインズの冒険魂が擽られる。できればこの目で見てみたい。そんな子供のような野心を抱き、アインズはサッと骨の人差し指を立てた。
「藤丸さん、とりあえずそのキャスターに会わせていただくことはできませんか?」
「立香でいいですよ。あと敬語も堅苦しいのは苦手なのでやめてください」
あどけない笑顔を浮かべながら、さらっと距離を詰めてくる立香。
アインズはその光景に一瞬冷やりとし、後ろに退きそうになるも、すぐに平常を取り戻す。今まで彼女のいたことのなかった彼からすれば、急激な女性の接近は心臓に悪かった。もうすでに心臓はないけれど。
「わ、分かった。立香、これでいいか?」
アインズがうまく回っていない呂律でそう確認をとると、立香は「はい!」と嬉しそうに微笑んだ。
しかし、それが何とも言えない気持ちにさせる。これだけ好印象を持てる女の子と触れ合っているにも関わらず、アインズの心は相変わらず平坦なままだ。目の前の人間を、まるで戯れてくる子犬程度の好感度しか抱けない。
もしかして、これはアンデッド化した副作用か何かだろうか。人間を対等な存在として認識できなくなっている。または、人間種に対して死の支配者は悪感情を抱いていたりするのか。
アインズがいくら頭を悩ませたところで、これに関しての答えは出なさそうになかった。
だってそれもそうだろう。これはまさしく前代未聞の出来事。答えを導き出すには、あまりにも足りないことが多すぎる。
「……とりあえず、キャスターさんや立香の上司に顔を合わせに行こう。俺もこの街を見て廻りたい」
アインズは一旦、己の身に起きている現象に蓋をする。
今考えるべきことは自分の変化ではなく、この世界でどのように生きていくかだ。
結局死んでしまえば、アンデッドも人間も関係ないのだから。
「それじゃ私が案内しますねー。ついて来て下さい」
アインズは立香に言われるがまま彼女の後ろ姿について歩く。火の海の中をかき分けるように、一歩一歩踏みしだく。
一般的に見れば、地獄のような街並み。巨大なビルは倒壊し、ガラスは熱で溶け、地面はめくれている。人の体でこの場所を歩けば、熱くて仕方ないだろうに、目の前で歩く少女の足取りは、ここが燃えている街中と思わせない程、軽やかで力強いものだった。
###
昔の学校とはこういうものだったのかと思わせるほど、それはリアルな作りだった。アインズがいた世界ではもう見ることのできない黒板や、機械が嵌め込まれていない机など、どこか趣を感じずにはいられ無い。
特段、歴史とかに強い興味がある方ではないアインズからしてもそう思うのだ。歴史家たちからすれば、ここは発狂するくらいに貴重な風景に違いない。それを見ることができているってだけでも、アインズの心は妙な優越感に浸れていた。
立香から聞いた話によるとどうもこの校舎は高校らしい。まだこの時代の日本では高校に通うのは至極当たり前のことらしく、大半の子供たちが勉学に励んでいるそうだ。
立香もそうだったらしく、見たこともない校舎なのにどこか懐かしそうに学校について説明してくれた。
「立香も学校に通っていたのか?」
アインズは何となしにそんなことを聞く。これだけ丁寧に説明してくれた人物が、学校に行っていないわけがないのに。
「そうですよ。勉強は特に得意とかではなかったですけど、それなりに勉強してましたね!」
恥ずかしそうにそう告げる立香を見ながら、アインズはどこかそれを羨ましく思った。
小卒なだけでも死んだ両親に感謝しなければ罰が当たるのは知っている。が、それでもアインズは考えなかった事がなかったわけではない。
ギルドメンバーに大学教授をしている人がいて、その人から学校生活について聞いた事があるが、その時の話は今でもアインズの心に燻っている。「リア充の屯する場所ですが、ゴミの掃き溜めですね」なんて言っていたメンバーもいるが、正直アインズからすれば羨ましかったりするのだ。それだけ、その話には夢と希望が溢れていた。
まあ、高校に通える人は裕福そうなので、夢と希望が詰まっているのは当たり前なのかもしれ無いけど。貧困層が高校に行っても夢も希望もないのかもしれ無い。
でも、そうだとしても行ってはみたかったとアインズは思う。
「学校は楽しいものか?」
「え? あー、人によるとは思いますけど。私はすごく楽しいところだと思いますよ」
太陽のような、そんな形容詞が似合うほどの笑顔で立香は笑顔を振り舞いた。
これが平和な世界で生きていた人間の顔。
アインズからすれば、それは目を細めたくなるような眩いものだ。
「あ、つきましたね。この扉の奥にいると思うので」
立香はそういうと屋上に出るための扉を開ける。
さて、このさきにどう言った人物が待っているのだろうか、できれば温厚そうな人だといいな。あまり見ず知らずの世界で厄介ごとには巻き込まれたくない。いざとなったら、営業で培われた自分の交渉術をフルに活かすとしよう。
そんな風に話の算段を頭で構築しながら、アインズは一歩、屋上へと歩み出した。
「やっと戻って来たわね、藤丸。サーヴァントはきちんと召喚でき……て……」
扉を開けるとそこにいたのは一人の銀髪の女性だった。こちらも立香やマシュに負けず劣らずの端正な顔つきをしている。初めて生で見る美人外国人にアインズは感心するものの、それも彼女の反応ですぐに鳴りを潜めた。
その女性はアインズを見るなり絶句していた。鯉のように、綺麗に口をパクパクとさせる姿は、言っては悪いが滑稽である。
寸刻、彼女が思考放棄しながら後ずさると、ようやく口が回るようになったのか、先ほどの冷徹な態度と違いヒステリックな叫び声をあげた。
「ひ、ひぃぃぃ!? エ、エネミーよ! そいつエネミーじゃない! なに考えてるのこんなところにまで連れて来て! ドクターロマンもエネミー反応に報告しなかったの!? マシュ 、早くそいつをやっつけて頂戴!」
(……エェー、めっちゃヒステリックな女じゃん)
アインズは今にも攻撃してきそうな女上司を見つめながら呆れ果てる。
元会社員として断言できる事があるのだが、上司がヒステリックな場合、ほぼ八割の確率でその組織は壊滅する。というより、社会人として病的な行動を取る連中はモンスター社員としか言いようがない。
(第一、俺の顔を見るなり敵扱いはどうなんだ。一体どこをどう見たらそう見えるんだよ。召喚して来たサーヴァントに見え無いんですか? そうですか)
「人の評価はおおよそ第一印象で決まる」。そんな昔の人が唱えた理論を思い出すアインズは、ここで自分からは何も言わない方がいいだろうと考え、黙することにした。
ここはカルデアという組織が話し合うべきであり、いまだ部外者なアインズが何を言っても変わらない。
それは召喚した張本人が良く分かっているのか、いまだ煩わしい女上司に向かって異議を唱えてくれる。
「落ち着いて下さい所長!アインズさんは敵じゃないですよ。私が召喚したサーヴァントです!」
「なにを言っているの、貴方! アンデッドが敵じゃないわけがないでしょ!?」
そこまで言われて、そう言えばとアインズは致命的なミスを悟る。
現在己の姿は死の支配者というアバターの姿である。ユグドラシルでは対して珍しくない骸骨の———異形種の———姿。
この世界で、死の支配者やスケルトンがどのような立ち位置にいるか分からないが、人間の仲間というものじゃないのだけは分かる。どんな世界線に行こうが、生者と死者の残骸が仲睦まじいなんてことあり得なさそうだ。
そう言った事実を踏まえると、成る程。所長と呼ばれた女性がとった言動も一概に悪いとは言え無いわけだった。
あまりにも初対面の立香が普通すぎて、アインズは己の外見に違和感を覚えていなかった。というよりは、この世界の魔術師観点では異形種の姿は見慣れているものだとばかり思っていた。だがどうやら、魔術観点からしてもアインズの姿は奇妙で、恐れるものらしい。
立香の対応が異常なだけであって、所長の対応が一般なのである。
だが、アインズはそこで一つの事に気がつく。
自分が召喚された際、立香とマシュのどちらもいたはず。ならばマシュは自分のことをどう思っているのだろうか、と。
ふと視線を前にいる鎧の少女に向けてみると、彼女は戸惑った様子であたふたしていた。ここに来るまでの道中だって、一言もアインズと話していない。口を開く時は、立香の質問に答えるか、立香の説明に補足するかであった。無口な女なのだろうと、最初アインズは思っていたが、どうやら自分のことを警戒していたことに今更気が付く。
召喚主である立香がアインズに対してフレンドリーだから、敵として扱う事ができず、かと言って、味方とするには信用に足るアンデットなのか分から無い。
こんな初歩的な人の感情すら分からなくなっていた己にアインズは嫌気が差す。
「とりあえず、落ち着いて下さい所長! ことの経緯を説明しますから!」
「説明なんて要らないわよ! 早く、マシュそのアンデッドを倒してよ!」
どちらも譲らない口撃の応酬。
この状況をどうしたものか、と思案しながらもアインズはただそれらを眺めることしかできなかった。
できることなら、第三者がこの終わりの見えない口論を止めてほしいのだが、マシュにそれを期待できそうにもない。彼女も彼女で、立場というものがあるのだろう。サーヴァントとしてマスターの肩を持つか、カルデアの者として所長の意見に賛同するのか。
それ以外の選択肢として中立の立場を持とうにも、彼女自身が所長派に傾いている。
この現状、立香が折れればアインズにとって、周りは全員敵となる。
『なんだ? 騒ぎごとか?』
切羽詰まった状況の中で、その呑気な声は聞こえた。
その言葉が聞こえたと同時、何も無かったはずの空間から光の粒子とともに現れた一人の男性。
青い髪に、獰猛さを秘めた朱色の瞳。フード付きの短いケープを身に纏い、手に持っている杖のせいかどこか知的な人物に見える。
あれがサーヴァント〈キャスター〉。消去法的にも、杖を持っているところからも状況証拠、物的証拠共が出揃っている。
それに、さっき何も無い空間から現れたエフェクト。アインズに見覚えが無かったそれは、確実にユグドラシルには存在しない魔法が発動されたことと同義であった。
そのためアインズは、未知の力を持つキャスターに対しぐっと警戒心を抱く。
「キャスター、いいところに来たわ! 貴方、何とかしてちょうだい」
キャスターが現れたことに顔に喜色を浮かべる女上司は、勢いそのままアインズへの攻撃を嘆願した。
思慮の足りない言動だ。
アインズは思わず出来もしない舌打ちをしそうになる。女上司がしたことは、均衡の取れていた中に爆薬を放り込んだようなもの。アインズとの決定的なわだかまりを作り、仲良くするという道を一方的に断じた。
それはつまるところ開戦の狼煙を意味する。
「なるほど、少し状況が見えたぜ。アンタ何者だ?
聞いたことのない種族名。ユグドラシルにはまず存在していなかった異形種。つまりエンシェントゴーストというのは、この世界特有のエネミーであり、アインズが持つ知識の範囲外の怪物である。
アインズは好奇心半分、相手から情報を抜き取るという利己的な判断半分でキャスターに質問を投じる。
「そのエンシェントゴーストというのはどういうものですか?」
まさか、それに対して質問されると思っていなかったのだろう。キャスターは素っ頓狂な表情を浮かべた。
「その名の通り、昔っからいるゴーストが何の因果か生き残り続けた個体のことだ。俺は戦ったことなんてねえし、まず見たこともないけどな。魔術の世界ではそう言うらしい。あんたの身なりからして、ゴーストの最上位種と思ったんだが」
「じゃあ、エンシェントゴーストが最上位種なんですね」
「そこまで詳しくは知らねーよ。てか、なんで俺がこんな質問答えなきゃいけねーんだ」
キャスターは吐き捨てるように言うと、後ろに佇む女上司を睨んだ。
彼女もそんな事を聞かれて困っているのか、手を振ってあたふたとしているがアインズには関係ない。
分かっていた事だが、この世界の強さの指標が分からない現状、アインズは少しでも情報は欲しかった。
「とりあえず、テメーが敵ってことで良いんだよな?」
「どうせ、何を言っても信じてくれないでしょ」
男から「暴れたい」、そういう感情がひしひしと伝わってくる。
アインズとしては面倒なことをしたくないのだが、ここまで来て話し合いで解決できると楽観視もしていない。相手からすれば、立香たちを操っているかもしれないアンデッドだ。仲間として、上司として、アインズを倒したいというのは間違ったものじゃないのだろう。
アインズはギルド武器をキャスターに向けながら、内心スイッチを入れる。
戦いというのは気力で負ければ勝負が簡単についてしまうものだと、かつての仲間から聞いた。どんな戦いでも、相手に勝つつもりで挑まなければそこに大勝は無いのだと。
ならば、ここは勝つつもりで戦わなければいけない。この世界での死は、現実の世界で言う死に相違ないはずだ。自分が死ねばどんな風になるのか、なんて考えたから負けるのは、アインズとしても不恰好だと言わざるを得ないのだから。
だが、その心構えが功を奏した。
戦闘するために意識を研ぎ澄ませたせいか、いつの間にやらアインズの脳は先ほどまでど素人だった魔法について悟る。ユグドラシルの時、作業のように行っていたそれらを、まるで自身が手足を動かすような感覚で再現できると確信を持つ。
モモンガはうっすらと笑った。
分かる、分かるのだ。
効果範囲がどの程度か、発動したら次の魔法発動までどれだけの時間を必要するのかを完璧に把握できた。もし、ユグドラシルのように魔法が使えなければ、アインズはキャスターに無謀な物理戦で挑むつもりだった。それをしないで済むことに安心感を感じるとともに、己の内から湧き出る力に高揚感が沸る。
キャスターはそのアインズの微妙な変化を読み取ったのか、槍を扱うかのような巧みな杖捌きを見せた後、アインズに向かって杖を突きつける。額には脂汗を滲ませ、目の前にたたずむ骸骨の姿を一瞬も見逃さないように目を見開いた。
それは彼の生存本能か、それとも闘争本能か。
そんなもの、この際どちらでも構わない。この場において重要なことは、目の前にいる未知数な敵を”葬り去る”ことだけなのだから。
アインズはいざという時に逃走できるよう、自分が得意とする分野の
だが、これを使うには一つ懸念点がある。それは、サーヴァントの特性と死霊系魔法の相性についてである。
サーヴァントは立香やマシュ曰く、既に死んだ人間が魔力で形成された体を象っている存在らしい。死霊系魔法は非生物になると効果が薄くなるが、サーヴァントはどちらに判定されるのだろうか。
まあ、それを踏まえても心臓掌握は最適と言わざるを得なかった。もし抵抗された場合でも朦朧状態になるという追加効果を持つからだ。
とりあえず即死させられなかった場合は、
そこまでの念入りな戦闘手順を画策したアインズは、骨の手を握るように、ゆっくりとその指を折ろうとした。
瞬間、アインズの前に躍り出る一つの影。
まるでアインズを庇い立てるように、キャスターとの間に割って入る少女。
立香だ___
立香が両手を精一杯に広げてアインズの巨体を隠すよう、その小さな体を動かしたのだ。
「キャスター、アインズさんは敵じゃないよ。絶対に攻撃はしないで」
その行動は誰が見ても目を見張るものだった。
確かに合図も宣言も何もないが、今まさにキャスターとアインズは戦闘に移行しようとしていたはずだ。いや、少なくともこの両者は相手を葬り去るために行動を始めようとしていた。
なのに立香は、それに巻き込まれることを億劫とも思わず、アインズの目の前に飛び出した。
蛮勇というべきか、無謀と嘲るべきなのか。
こんな明らかにエネミーの格好をしているアインズなど早々に見捨てれば良いのに。立香は最初から最後までアインズを疑うこともせず、あろうことか自分の仲間や上司を敵に回してまで庇ったのだ。
今思えば、骸骨の姿をしているものに名前を聞き、平然と道案内までして、微笑みかけたのは異常である。鈴木悟の時でさえ、これほどまでに純粋無垢な人間と触れ合ったことは無かった。
藤丸立香という人間の異常性。
アインズはそれを垣間見た気がして、体から力が抜ける。強張っていた体が弛緩し、緊張の糸が途切れた。
だってそうだろう?
彼女のその狂気とも言える純粋さが、アインズの狂気とも言える傲慢な孤独と絶妙にマッチするのだから。
「ぷっ、あははははははははははは!!!」
圧倒的力はない、圧倒的カリスマもない、圧倒的正義があるわけでもない。
それでも何故か、そう何でなのか彼女を見ているとアインズは和んでしまう。
(ああ、そうだ……、こんな感じだったんだな。懐かしいよ、全く。)
久しぶりに大声をあげて笑った気がした。いつも作業のような日常を送っていたのに、初めて光が見えた気がした。
こんなに笑ったのはいつ以来だろうかとアインズは考える。
何年も昔から笑っていなかったような気がする。それは死の支配者というアバターに心が引っ張られているからだろうか。それとも、鈴木悟という人間が悠久の時、笑っていなかったせいなのか。
仲間たちが去るたびに、暗い気持ちが身を蝕んだ過去。狩場と宝物殿、そして現実を行き交ううちに、鈴木悟の心は闇へと落ちていった。
答えてくれる者はいない。目の前には、まん丸と大きな瞳を転がし、心配そうな表情を浮かべる立香だけだ。
(……ありがとう、立香)
照れ臭くて、本人には直接言えないが、今だけは心の中で感謝を告げよう。
いつか、直接言えるその日までこの感謝の気持ちはとっておこう。
子犬程度にしか愛着の湧かなかった彼女に、初めてアインズは対等な存在として愛着を抱けるようになった。それはアンデッドとなった初めての感覚。初めての感情。
ならば、何かお礼をしなければいけない。
アインズは笑い声を抑えて、立香へと言葉を放つ。
「立香、俺のことはアインズでいい。敬称も敬語もいらない」
人が良くて、損得勘定抜きで誰でも信じしてまう彼女。
「俺は君の力に成ろうと思う___」
それがこの世界に来た意味なのだと信じて。
誰に聞こえるでも無い声でそう呟く。もしかしたら、呟いている気になっただけで本当は声すら出てい無いかもしれ無い。
それでも、何かが吐き出せるような気がした。何か心の中に燻っていたものが消えるような気がした。
だからアインズは戦える。今なら目の前にいる何者かと戦える。サーヴァントと呼ばれるものの強さは分から無い。準備なしのPvPに自信があるわけでもない。
でも、戦える気がした。
「どいてくれ立香。言葉で分かってもらえないなら、力付くで説得するまでだ」
「わかりました、今回は納得してもらうためですから……」
立香はアインズの言葉に渋々と言った様子で退く。
「全く、どこまで良いやつなんだ」と、アインズは苦笑した。
「ほう、よくいったゴースト! 名があるかは知らんが、お前さんの名を聞かせてもらおうか」
戦闘が始まることをいち早く察知したキャスターは負けじと吠える。
アインズはチラリと立香の方に目をやり、ゴーストと呼ばれることに若干腹が立った。
なんで、そんな弱いモンスターと一緒にするんだ、と。
どうせなら、もっと強そうなモンスターで呼称してほしい。それこそ魔王などで呼んでもらえたら、それ相応に格好いいのではないだろうかと思う。
そこまで考えてアインズ———痛い元人間———はあることを閃く。
そうだ、どうせならユグドラシルの時みたいにロールプレイをしよう、と。それが今後、彼の悩みの種になるとは誰も思いはしないのだが、それはまた別のお話。
「……”私”の名前はアインズ。アインズ・ウール・ゴウン。貴様を倒す者だよ」
アインズの言葉に不敵に笑って見せるキャスター。どうやら、彼のお眼鏡にかなう返答ではあったらしい。
であるならば、さっさと初めてしまおう。
この世界にきて初めての狂者の戦いを___。
キャスターはアインズから何か嫌なものを感じ取ったのか、すぐさま駆けようとする。己の脚力を十全に活かし、人体が出せるはずのない速度の領域を出そうとする。
それはまるで風のよう。ビル間を吹き抜ける突風とも言えるそれは___、繰り出されることは無かった。
「そうか、時間対策は必須なんだがな」
世界が止まる。
比喩ではない、完全に世界が止まった。揺らめく炎も、隣で見守る女の鼓動も、相対する男のスタートダッシュも、全てが有無を言わさず停止している。魔法即効無詠唱時間停止の発動によって……。
時間停止はその凶悪な性質上、ユグドラシルではレベル70以上のものであれば誰もが対策をしている。
キャスターがこの魔法になんら対応もしていないということは、この世界に時間停止という魔法が存在しないのか、それとも対策できるだけの力がキャスターにはないのかの二択になる。
アインズは知らないが、正直な話、この世界における時間停止できる者というのは、それすなわち世界の理を停止させている者と同義である。固有結界やら、空想具現化やらとは訳が違うし、そもそも次元が違う。そんなことができるのであれば、今頃根源に囚われているだろう。
しかし、それだけの事をやってのけている本人は、世界の事情なんて歯牙にも掛けない思いであった。
「〈
時間停止が解けたと同時に発動するタイミングで魔法を仕掛ける。時間停止中のダメージは全て0になってしまうため、このようにタイミングをずらさなければならない。
実際、時間停止とのコンボはユグドラシルでも基本的なコンボだが、タイミングを取るのが非常に難しいため、全魔法職の中でも使いこなせるのは5パーセントくらいだろうか。
当然のことだが、呆れるほどの訓練時間を費やしたアインズは、コンボミスを起こしたりしない。
「……ユグドラシルで言うレベル70未満であれば、これくらいで十分だろ」
魔法が解け、世界に時間が戻ってくる。
そして何よりも最初に魔法が効果を発揮した。
地面が爆ぜる。
「っ!!!?」
声にもならない驚嘆が爆音とともに轟き、キャスターの体が後方へと吹き飛ぶ。周りからすれば、突然彼の足元が爆発し、キャスターが吹き飛ばされたようにしか見えない。
アインズはそんな周りの反応なんて気にすることもなく、指先に力を込めて放つ。
「〈
その火球は、まるで死を体現するようにキャスターへと迫り、そのまま着弾した。
身悶えるような熱さ。キャスターの服は所々焼け落ち、顔や腕など露出されていた部分には大量の火傷と煤が貼り付いている。あまりの熱さに、冷や汗すら流せそうにないキャスターは忌々しげに、アインズを睨んだ。
そんな中、最初に声をあげたのは女上司である。
「う、そ……。一小節で出していいレベルじゃないでしょ……」
唖然とする彼女を他所に、アインズは続け様に持っていたスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを振るう。アイテムを使う際も、どうやら意識をその物に集中させれば問題なく使えるようだった。
モモンガが選んだのはスタッフにはめ込まれた宝石の一つ。
___〈
魔法の発動に合わせ、空中から滲み出るように姿を現したのは、ほのかな銀色を放つ三匹の狼。ユグドラシル時代と同じようなエフェクトで召喚できたため、モモンガは安心してそいつらに命令を下す。
「今、吹き飛んでいった青い男に攻撃しろ」
『ワオオオオオオン!!!』
遠吠えと同時、三匹の狼は主人の言われたことを忠実にこなすようにキャスターへとひた走る。
けれど、それを見てアインズは衝撃を受けた。だって、自分の主人を守らずに一匹残らず行ってしまうとは思いもよらなかったからだ。
(言われたことに忠実すぎるっていうのも、考えものだな……)
会社時代の無能な部下を思い出しながら、アインズは思わずため息を漏らした。
とりあえず、召喚系魔法は実験の余地ありだ。
さて、そんな主人の思惑を裏切ることとなった三匹の狼は、絶賛ダメージを負っているキャスターに追い討ちをかける。一匹は真正面から飛びかかり、二匹目は脛を齧りに、三匹目は脇腹を噛みちぎろうとした。
そんな獰猛な獣を払い除けるように、大きな火傷を負ったキャスターは華麗な杖捌きで三匹の頭を殴り飛ばす。1、2、3とリズミカルなそれは、どう見ても後衛職の動きではない。まるで歴戦の前衛職を彷彿とさせた。
アインズはそれを見ながら、「自分に足りないものは技術だな」と一人ごちる。この世界の魔法詠唱者はみんな、あれくらいの動きができなければいけないのだろうと勘違いを加速させながら。
「にしても、こんなもんまで呼ぶとは、テメーッ! まともにやりあう気がねぇのか!!」
上下左右に動き回りながら、キャスターは叫ぶ。
月光の狼はレベルこそ20と少ないものの、移動速度は異様に早いのが特徴的だ。あんな風に油断をしていると、キャスターが食いちぎられる時も早いだろう。
アインズはある程度、キャスターの強さを吟味しながら悠々自適に近付いていく。
本来、魔術詠唱者は剣技などで争ったりしないのだが、男として少しばかり殴り合いの喧嘩というものに興味を抱いた。だからアインズは、月光の狼を下がらせる。どうせなら、キャスターの挑発行為に乗ってやろうと思えたからだ。
「そこまで言うなら殴り合いといこう。なに、簡単には殺さないから、安心して掛かってこい」
揺らめく真紅の光。
頭蓋骨の表情は確かに笑って見えた。
「はっ! いいねぇ。そういうの嫌いじゃねえ!」
キャスターは爛れた足でアインズの懐に飛び込む。まさに疾風という言葉が似合うだろう速度。
しかし、アインズからしたそれは所詮疾風でしかなかった。
アインズは驚きも少ないまま、下腹部に侵入してきたキャスターを掴もうとする。が、キャスターはその手を身を捩らせて回避し、あろうことかその反動を利用してアインズの膝部分を杖で強打した。
「攻撃方法が杜撰だぜ! アインズ!!」
そのまま相手に張り付いたままキャスターは姿勢を整え、アインズが蹴りを入れようとした瞬間に後ろへ飛んで距離を取る。
「成程。身を屈めたことで、身長の大きい私が攻撃しにくいように誘導したのか」
アインズはキャスターが披露する近接戦のコツを噛み締めながら呟く。
「冷静に分析たぁ、随分と余裕じゃねえか」
「まあ、余裕だからな」
「っ、ほざけ!!」
キャスターはアインズの拳が届かない距離から、杖を振り下ろそうとする。それを見たアインズは半歩横に移動し、加えてキャスターへ接近した。
接近されたことで満足に杖が振れなくなったキャスター。短い舌打ちを繰り出し、巧みなフットワークでアインズの死角へと逃げると、そのまま空中に文字を描き炎の玉をいくつも飛ばす。
「魔術は使い所ってな!」
意気揚々と語るキャスターは、そのまま骸骨が焼かれる姿を想像し感情を昂らせる。
お返しにと言わんばかりに放たれた総数2桁の火炎弾は、それだけ彼に自信を与えていた。
けれど、その期待は無惨にも消え失せる。
「ほう。連弾数は中々だな」
炎がアインズの顔面に直撃した瞬間、それらの雨は一瞬でかき消えた。まるで最初から放たれていないかのような事象。魔法の雨を、アインズは最初から全く気にしないように立ち振る舞い続けている。
(はっ、こりゃマジでやべーな……)
誰に聞かれるわけでもなくキャスターが内心で吐露した。それは彼の本音。きっと、宝具を発動しなければ目の前にいる化け物に、傷一つ追わせられないだろうという自負。
試してなどいない。試そうとも思わない。それくらいの確信がキャスターの胸中に渦巻いている。
アインズはそんなキャスターを訝しげに見つめながら、再度接近戦のための構えを取る。とことん彼は、殴り合いで決着をつけようとしているらしい。
それをキャスターは唾を飲んで答える。ここで断るという選択肢は戦士としてありえない。
アインズはいまだに戦闘技術は低いままである。戦士の動きに対応するには、まだまだ時間がかかるだろう。技巧派の戦い方を続ければ、手加減しているアインズ相手に死ぬことは無い。
キャスターもそれを本能で察知できているのか、腰を深く沈め、低姿勢で杖を構えると、そのまま死の体現者へと突進した。
###
十数分にものぼる戦闘ないし、魔法実験を終えたとき、キャスターは立っていなかった。別に死んだというわけではない。立香のいる手前、アインズは仲間のキャスターを殺すわけにもいかないし、死なない程度でできそうな実験を行った。
その結果、戦闘の疲れと負傷でその場に横たわっているのは仕方がないと言えるだろう。決して魔法実験が楽し過ぎて、キャスターの「参った! 参ったからもうやめろ!」が聞こえなかったわけじゃない。……本当だとも。
「そんな……、キャスターがここまでこんな一方的に……」
女上司は愕然とした様子でそれらを見守り続けていた。
まあ、骸骨の姿をした敵が信頼を寄せていたサーヴァントをタコ殴りにしたのだ。嫌でも精神的にダメージが入っただろう。そこのところはアインズも少しだけ悪いと思っているが、謝ろうとまでは思わなかった。
ひとまず、目の前にいるキャスターの強さを把握することはできた。
ユグドラシルで言えば、せいぜいレベル30くらいだと言えるだろう。
サーヴァントには宝具というものがあり、人によってはそれが一発逆転の切り札にもなるため慢心はできないが、とりあえず戦闘力の評価としては間違っていないはずだ。
これがこの世界でいう最高戦力であり、人智の結晶というのであればもうたかが知れた。魔法詠唱者としての実力を大体は把握することができた。この男が最高レベルのキャスターであるというのを断定するわけにもいか無いが、先ほどの女上司の反応を見る限り雑魚レベルというわけでもないのだろう。せいぜい中堅レベルがこの程度なら、上のレベルも大体の想像がつく。
この世界でのパワーバランスを一人のサーヴァントでわかった気になるのは浅慮かもしれないが、とりあえずの指標として今後役立て行こうと、アインズは考えた。
アインズは身につけている装飾の音を立てながら、ゆったりと倒れ伏しているキャスターに近づいた。アインズが近づくと、キャスターは「ひっ」と小さく悲鳴を上げるが、そんなものは聞かなかったことにする。時としてスルースキルは必須だ。
アインズはアイテムボックスを開いて———実験によりアイテムボックスの使用について理解できた———、自分にとっては必要のない下級治療薬を渡した。
「回復させてやろう、飲め」
「そ、それって血!?」
アインズが出したポーションの色を不気味に思ったのか、女上司は酷くびくついた顔をしながらそれを凝視していた。
対して、横たわっているキャスターはなんの心配もしていないのか、反論するのも煩わしいのか、さっさとそれを受け取って口に流し込んでしまう。見ていて、気持ちの良い飲みっぷりだ。
すると、瞬く間に全身の傷が治っていく。まあ、治っていない場所もあるのだが、サーヴァントであればそのうち魔力で回復するだろう。
「あんがとよ、アインズの旦那!」
傷がある程度治った事で元気が出たのか、体を飛び起こさせるキャスター。そして、そのままアインズの肩へと手を置いた。
「うぉ! くぅ……!!」
アインズはそれを見て、馬鹿だなと思う。
アインズは種族スキルとして
とりあえず、一人漫才しているキャスターは置いておくとして、アインズはマシュへ目配せを交わす。マシュはその意図を汲み取り、途中、屋上から避難していた立香が帰ってきた。厳密には、途中からただ蹂躙になったので、女上司がマシュを使って立香を校舎の中へと押し込んだだけなのだが。立香はそのことに対してひどくご立腹らしく、少女らしく頬を膨らませ拗ねていた。
「アインズ、無事で良かった」
「ああ。……ついでに何故かこのキャスターには好かれたけど」
アインズは旦那呼びされたことを頭で思い起こしながらそういう。
「まあ、剣を交えればそいつの為人は大体わかるからな。戦士とはそういうもんだ」
ひどく明るくそう告げるキャスターに本気で頭痛がしそうになった。
さっきまで一応は蹂躙していた相手なのに、なぜそこまでフレンドリーにできるのか。
「キャ、キャスターまでそのアンデッドを仲間として認めるの?」
女上司はまだ納得がいかないのか抗議の声を上げる。
アインズがやったことは、立香が保持する最大戦力をただ蹂躙して力を見せつけたに過ぎない。ある意味脅迫と一緒のことをやってのけたわけだ。
正直、さっきまでその悲劇を体現していたアインズとしては、女上司の方が反応的に正しい気がした。それでも、もうここまできたのだから、つべこべ言うなとは思うが。
「所長。信じてください。アインズは悪い”人”じゃありません。本当に悪い人なら私たちはとっくに殺されています」
自分をまだ「人」だという立香に、アインズはほとほと呆れながら感謝する。
きっと、この少女に会わなければ、アインズは本当の意味で死の支配者となっていただろう。人の心を動かすのは、いつだって人の温かさなのかもしれない。
「まっ、今回に限って言えばマスターの言う通りだ。それに、旦那が敵だったとしても誰がこいつを倒せるんだよ。俺や盾の嬢ちゃんは無理だぜ?」
「はい。クー・フーリンさんの言う通り私ではなんの役にも立てないかと」
目を伏せながらそういったマシュや、苦笑いを浮かべているキャスターを見て、女上司もどこか諦めがついたのか、立香の言葉を信じることにしたらしい。
女上司は大きなため息を吐いて、こめかみを押さえながら立香に提案する。
「令呪は? 令呪はちゃんと作用するの? サーヴァントとして召喚したのでしょう?」
令呪というのは、サーヴァントがこの世に現界するため交換条件として与えられる制約みたいなもの。意思の強いサーヴァントや、腕のないマスターが命令すればそれを打ち破ったりすることもあるらしい。
アインズはその情報を思い出し、自分にはどのような効力が発揮されるのだろうかと思いながら、少し興味を持つ。スキルで魔法を無効化するのか、それともバッドステータスとして無効化するのか、それともサーヴァントとしての制約がそれらを超越するのか。冒険心が唆られる。
「多分使えると思います。試してはいませんけど」
「じゃあ、早く試しなさい。令呪が作用するなら文句は言いません」
どちらもが納得いく妥協点を打ち出す。彼女の言葉は上司として当たり前だった。と言うより、逆にちゃんとしているとさえ思える。上に立つものとして、きちんと下の者へ配慮しているのだ。ただのヒステリックな女性と思っていたが、アインズは少しだけは評価を変えることにした。
「良い? アインズ」
「それでそっちが満足するんなら、俺としては問題ないよ」
「アインズがそう言うなら」
立香は俺の言葉を聞いてやむを得ずといった形で令呪を使用する。
令呪を発動するときのエフェクトなのか、彼女の手の甲に刻まれている紋章が赤く綺麗に輝き始めた。
「令呪を持って命じる。アインズ、私たちへの攻撃を禁じる!」
瞬間、立香の紋章が砕け散る。
代わりに、アインズの中で何かが作用___することは無かった。そう何も無かった。無効化されたわけでもなければ、何かしらの効能が働いているわけでもない。
立香もそれを感じているのか、不思議そうに小首を捻っている。
「で、令呪は発動したの?」
「えーと、それが……」
「発動はしてないですね……」
その言葉に女上司は顔面が蒼白になる。
「み、認められないわ! じゃあ、無理よ! 無理無理無理無理無理ィ!」
「え、所長さっきは文句を言わないって」
「それは令呪が効いたらよ! 話聞いてた!?」
女上司はそのまま膝を抱えるようにその場で塞ぎ込む。彼女の現在の心情を表すとすれば、まさに「絶望」だろう。アインズがスキルを発動するまでもなく、彼女はバッドステータスの恐怖を付加されている。
しかし、このままでは話が進まなくていけない。アインズは何か案はないか四苦八苦して、あることを思いつく。
「なら、仕方ない……。認めていただけないようなので立香以外の者を殺すとしましょう」
「ひっ!?」
そう、認めてもらえないのなら、それ以上に最悪な選択肢を用意する。
これはサラリーマン時代でもよく使った手だ。買って欲しい商品と、それより粗悪な商品を持っていくことにより、不思議と買う買わないの二択ではなく、どっちを買うかの二択にさせる。相手からすれば良い方を選んだと思い買わせられるし、こっち側からすれば望み通りのものを買ってもらったと喜べる。
女上司もその二択を迫られては、認めざるを得ないと言うもの。どんな人間でも、自分に危機が迫れば安全策を取らずにはいられないのだから。
「わ、わかった……、分かりました!」
女上司は悲鳴にも似た声をあげる。
アインズはそれを聞いて小さく息を吐いた。
しかし、話はそれだけではないと女上司がアインズの前へと踊りでる。
「ですが、アインズ・ウール・ゴウン。あなたに言っておきます。もし貴方がこの子たちに危害を加えたら、どんな手段を使ってでも、私はあなたを始末しますので……」
その瞳に嘘は感じられなかった。
この女上司は仮にアインズが立香やマシュに害を与えたら、持てる全てで彼を殺しに行くだろう。アインズを倒す事がどれだけ困難なのか、キャスターとの戦闘で分かっているはずなのに、絶対に敵わない存在だと気づいているくせに、それでもオルガマリーはアインズに対してそう宣言した。
アインズはそれを少しだけ羨ましく思いながら、オルガマリーに笑みを浮かべる。
「分かった。覚えておこう」
「はい、そうしてください」
オルガマリーはそれだけを言うと屋上を後にする。
出て行った後、扉の奥から「めっちゃ怖いじゃないの!?」という愚痴が聞こえなかったら、かっこいいままだったのに。やはり、どこか彼女は残念である。
「それじゃ俺も少しこれからについて考えたいから、出発するときに呼んで」
アインズはそう言って、オルガマリーが出て行った場所から校舎の中へと戻ろうとする。
考えることはこの世界での立ち振る舞いや、これから自分がどう動くかについて。今のところ立香と協力はしているが、まだ自分より強い者がいるかもしれないという懸念は捨てたりしない。
もしかしたら、自身より強いユグドラシルのプレイヤーが来ているかもしれないのだ。楽観視ほど愚かな行為はなかった。
プレイヤーがいるのであれば、その人たちに協力しよう。パワー的にもそちらの方が上だろうし、何より現実世界に帰りたいなら返してやるのが、同郷の馴染みというものだ。
ただ、1番の問題はこの世界に元からいる自分より強い存在。いずれそんな連中とも戦わなければいけない時が来るかも知れない。
そんな時、立香を守りながら戦えるのかアインズには自信が無かった。何分、誰かを守る戦いなどしたことなかった身である。
結局、アインズにとってこの世界は未だ不確定要素が多すぎる。
立香のためにも、彼は下手に死ぬわけにはいかなかった。
アインズがそんなことを考えていると、職員室と思われるところに着く。そこには散乱した書類や、何者かに破壊されたデスクが置かれていた。そしてある机には一枚の写真が貼られている。
赤髪の男の子。
メガネをかけた男の子。
茶髪の女の子に、紫がかった色の綺麗な女の子。
そして、この机の持ち主だと思われる若い女教師。
桜の木の下で、みんながみんな良い表情をして映っている。本当に幸せな世界だったのだろう。
今は自分の世界に負けず劣らずの荒廃した情景だが、この特異点と呼ばれるものを解決したら、元通りの平和な街に戻るらしい。その時、このくすみがかった硝煙のような色の空も、綺麗で眩い青空へと変貌するのだろうか。
いつの日か、自然を愛してやまないギルドメンバーが言っていたことを思い出してみる。
燦々と輝く太陽。
青いペンキをぶちまけたキャンパスのような青空。
白く穏やかに流れる雲。
想像するだけで幻想的な空に、アインズは少し彼の言っていた青空をこの目で見たくなっていた。
###
「マシュ、お前はアインズについてどう思う?」
アインズとそれを追うように出て行った立香がいない屋上で、クー・フーリンはそう問いかける。
マシュはそれに苦悶したような表情を浮かべると、首を横に振った。
「分かりません。ただ、私に力を貸していただいている英霊は、あまりよろしく思っていないそうで。ずっと心の奥がざわざわしています」
それを聞いたクー・フーリンはその場に腰掛けながら鉛色の空を見上げた。
「ま、だろうな。あれはサーヴァントなら誰しも感じるってもんだ」
「感じるとは、何をですか?」
マシュはなんとなく感じている、その言葉に出来無いものを欲してクー・フーリンに問う。
「あれは間違いなく人類にとって害だ。完全にあっち側の存在。剣を交えれば大体の為人はわかるって言ったな? あれは嘘じゃねー。分かったさ、あいつの為人も」
クー・フーリンは気に食わないような顔をしながら、憎らしげに愚痴る。
そう彼は感じてしまっていた。戦闘の間、アインズの心に触れてしまっていた。いや、心に触れるという表現は良くない。アインズの心は鈴木悟という一人の願望しかないのだから、それに関してクー・フーリンは気づいていなかった。
ならば、彼は一体何に触れたのか?
それは至極当たり前、戦闘から誰もが感じ取れたもの。
それは死の支配者としての本質である。
人の死に執着も躊躇いもなく、目的のためなら手段を厭わない。
そうアインズは危険な異形種なのだ。どこまで行っても利己的な存在、気まぐれ程度にしか利他的行動を起こさない。クー・フーリンはそれを知ってなお、仲間にすることに一役買っていた。それは、ひとえに彼を御するのが無理だからと考えた結果である。
この旅、これからどこまで続くか分からないが、立香やマシュ、それからオルガマリーの旅に、きっとあのアインズという存在は害になってしまうだろう。
所詮は異形種。人類とうまくいくわけがないのだから。
「嬢ちゃん。気をつけな。マスターを守るのはお前の役目なんだからよ」
そう言ってクー・フーリンは立ち上がると、マシュのお尻を叩いて屋上から姿を消す。
マシュは陰鬱そうな表情をしながらも、その忠告を何度も自分の頭の中で復唱した。
裏設定
クー・フーリンはユグドラシルで言うレベル30程度。
ランサーであればもっと上。
これに関する参考は我らがクレマンティーヌを元にしている。
サーヴァントは基本性能こそ低いが、宝具によってはそのサーヴァントのレベルなんて関係ありません。
そのため、ギルガメッシュの「天地乖離す開闢の星」やカルナの「日輪よ、死に随え」などはアインズに一矢報いる可能性があります。