え!? アインズ様が来るの!?   作:よきき

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第四話 死の王

  バーサーカーの消失が確認されてから、アインズ達はイリヤの体の回復を優先するためベンチのあるバス停で休んでいた。

 周りを哨戒しながら佇むマシュに、足の疲れが出てきているのか太ももを揉みしだくオルガマリー。その横では、立香がイリヤに膝を貸しながらベンチに座っている。そんな中、アインズはというとバス停のところから離れた建物———きっと誰かが住んでいたのだろう民家———で遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)の試運転をしていた。

 このアイテムを使ってやりたいことは二つある。まず一つ、ラスボスであろうセイバーについての情報収集。キャスター曰くこの聖杯戦争においてバーサーカーを一度葬ったのはセイバーであることが発覚した。そのため、アインズはあれよりも強力なサーヴァントということに警戒し、前もって準備を整えようとしているのだ。

 そしてもう一つのやりたいこと。それは転移のポイントを付けるためである。視覚情報を取得することで、いざと言うときの逃げるポイントを大まかに得ていた。

 

「しっかし上手く動かせないな。ゲームと少し違うんだよなー」

 

 空中で手を右往左往させながら、アイテムの使用方法を手探りで見つけていくアインズ。ふんと言いながら手を振り切る彼の姿は、周りから見ればかなり滑稽なのは言うまでもない。

 

「それにしても、真の蘇生(トゥルー・リザレクション)はやりすぎだったかな」

 

 アインズはそう言ってイリヤスフィールを蘇生させた時のことを思い出す。

 相手のレベルがどれくらいか分からなかったアインズは、念のためにと〈真の蘇生〉を使ったのが、少し早計過ぎたと思ったのだ。

 確かにアインズは、かつて助けてもらった「たっち・みー」の面影を藤丸立香という少女に見せられ、彼女のためにと魔法を使った。

 だが、それにしてもメリットとデメリットが噛み合っていないと思ってしまうのは、アインズがアンデッドの精神に引っ張られているせいであろうか。

 

「まあ、終わったことだし仕方ないな」

 

 これ以上考えても良いことがなさそうということで、アインズはそこで思考を打ち止めた。うだうだ考えたところで、時が戻るわけでもない。アインズはイリヤを蘇生させた時点で、全ての厄介ごとを引き受けるつもりではいるのだ。

 

 ___コンコン

 

 そんなとき、後ろから木製の扉を叩く音が響いた。

 アインズはその音に何事かと思い後ろを振り向く。視線の先には、壁にもたれ掛かって立っているキャスターが一人いた。

 

「どうしたんですか? まだ出発には時間があると思いますけど」

 

 アインズは唐突な訪問に訝しげに聞いてみる。

 このキャスターという男。表面上はすごく親しげに話しかけたりしてくるが、その実、なんとも食えない男だとアインズは思っていた。

 第一、アインズはキャスターと戦闘面以外で二人きりになることを避けていた。・・・

 

「いや、何少し話したいことがあってな」

 

 そんなアインズの心情を知ってか知らずか、キャスターはそう告げる。

 

「話したいことですか?」

「ああ、旦那と一対一で話したくってな。わざわざ嬢ちゃんたちがいないときに話しかけた」

 

 そう言われたアインズは、何事かと下顎の骨を摩りながら考える。

 わざわざ立香たちに聞かれたくないようなことを、アインズに話す理由はなんなのか。そこまでの信頼をキャスターと築いていないと断言できるアインズは、彼の言動を不可思議に思った。

 

「まあ、そういうことなら良いですけど。とりあえず、座ってください」

 

 サラーリマンとして働いていた時の癖なのか、アインズは自然と相手に座るよう促す。キャスターはそれに対し「お構いなく」とだけ言って、そのまま話を続けた。

 

「アインズの旦那は人間じゃあねんだよな」

 

 何を当たり前のことを___。

 そんな言葉がアインズの中で浮遊する。

 全身、骸骨だけの人間なんてこの世にいるわけがない。それこそ、墓場より出てくる亡者の姿そのままである。立香に「人」と言われてアインズが喜んだのも内面的な話であり、外見的にはどう見ても人外という自覚があった。

 そんな至極当たり前のことを聞いてきたキャスターに向けてアインズは隠そうともしないため息を漏らす。自分の姿を人間というのであれば、この世のものはすべからく人間である。それほどまでに生者と亡者の違いは、はっきりとさせなくてはいけない。

 

「いや、念のための確認だ。別に人間と思って質問したわけじゃねーよ。だから、呆れんな」

 

 キャスターはアインズの呆れ顔を感覚で察知したのか、眉を顰めて言葉を放つ。英霊は他人の感情を読むのも一流だった。

 

「で、その確認がなんの意味があったんですか」アインズはさっさと本題に入ってほしいためキャスターを急かす。

 

「あんた、なんであの嬢ちゃんのことを気に掛ける。人間でもねーあんたが人理焼却だの人理再編だのに関わる理由はねぇだろ」

 

 キャスターが問う。真剣に、眼に力を入れながら骸骨の腹中を探る。

 しかしアインズは彼の言葉を半分も理解できなかった。

 〈人理焼却〉に〈人理再編〉。それが孕んでいる意味、そして重大な問題をアインズは読み取れない。何せアインズは魔術という知識は一切持ち合わせていないし、この特異点がなぜ起きているのかも知らないからだ。周りはアインズのことを、サーヴァントの枠から逸脱した幻想種か何かと思っているだろうが、アインズの正体はただの小市民である。そんな深い質問をされたところで、彼は答えられるだけの材料を手元に持ち合わせていなかった。

 それ故にアインズは絞る。最初に問われた「なぜ立香を気に掛けるのか」。そこにだけ焦点を当てて考える。

 

「憧れ……ですかね」

 

 キャスターはその返答に口をへの字に曲げる。

 

「憧れ?」

「ええ。自分が持っていないもの。何というか、その強い意志に憧れるんです」

 

 そう、アインズが立香に抱いている感情は恋慕でも、親しみでも、友情でもない。

 強い憧れ___。

 他人を信じられる純粋さ。他人を惹きこむカリスマ性。他人を魅了する求心力。

 そのどれもがアインズの持っていなかったもの。ギルド長として欲してやまなかった人としての資質である。

 

「立香は良い娘だと思います。だからこそ、皆んなが集まる」

 

 今もなお彼女の周りには色とりどりの人種が集っている。本来であれば殺し合うはずであったアインズやキャスター、それに蘇生されるはずのなかったイリヤまでも彼女の輪の中だ。

 それに憧憬を抱かずにはいられないアインズは内心自嘲した。

 今更、彼女に憧れたところでかつての仲間たちが戻ってくるわけでもない。過去は過去。何をしても変えられないのが現実である。

 それでもアインズは少しだけ考えてしまう。

 もし、自分が藤丸立香のような人間性を持ち合わせていたら、最後までみんなとユグドラシルを楽しめていたのかもしれないと。そんなIFの物語を。

 

「なら尚更だ___」

 

 アインズはその言葉で現実に戻される。すっと意識が研ぎ澄まされ、目の前にいるキャスターの一挙一動が、まるでコマ送りのように見えた。

 

「アインズ、お前はあいつらと一緒にいるべきじゃない」

 

 その言葉はアインズの心を確かに抉り取った。

 

「それは、どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。テメーは気づいていないだろうが、やっぱりアンデッドはどこまでいってもアンデッドなんだよ」

 

 キャスターは杖を地面に叩きつけてそう言う。

 アインズからすれば、そんな適当なセリフで誤魔化されていいものではなかった。

 

「具体的に言ってくれないと分からないな。さっきまでの問答でおかしなところがあったとは思えないが」

 

 殺気を滲ませるアインズに、キャスターは平然とした態度で答える。

 

「アンタがあいつに憧れてるのは分かったさ。それが嘘じゃないってことも。けどなアンタ、一回あいつらのことを”見捨てた”だろ」

 

 キャスターから衝撃の一言が放たれた。

 

 ____見捨てた。

 

 そう言われた瞬間、刹那の間アインズの思考が止まる。

 そして「いつ」、「どこで」、「誰が」、「誰を」、見捨てたと言うんだと、アインズの無くなったはずの脳みそがフル稼働を始める。

 しかし案外答えはすぐに出てきた。

 あれはバーサーカーと戦っている時。初めて死の支配者になってから感じた恐怖に慄いた時。アインズは確かに、この世の誰よりも自分を優先し、”バーサーカーから逃げ、彼女たちを盾にした”のである。

 それが分かったらアインズはもう言葉が出ない。精神が何度も何度も平坦と驚嘆を行き来する。

 あの時アインズは立香を見捨てた。自分の命を優先し、他者が死んでも仕方ないと思った。あれだけ憧れていると、手伝ってやると言っていたくせに。いざ自分が窮地に陥ったら、すぐさま己の身を優先した。

 別にそれは生物として間違った判断ではない。誰だって他人より自分が可愛いものだ。他人がどうなろうと、自分だけ助かろうとするのはそんなに悪いことじゃない。ただ出てしまっただけ、〈本性〉という名の醜さが。

 言葉でどれだけ取り繕っても、アインズは結局、立香を自分の命に変えても助けようとは思えない。

 言葉でどれだけ塗り固めようとも、アインズは結局、立香を仲間として認識していない。

 言葉でどれだけ否定しようとも、アインズの本性は狂気なのだ。

 かつての仲間たちが窮地に追い込まれていたら、きっとアインズはその身を挺して守るだろう。もしくは、その仲間たちに関連する人物やNPCであっても同じことをしたかもしれない。

 それなのに、立香には同じことができなかった。

 これが、その答えである___。

 それをキャスターは見透かしたように続ける。

 

「いつかテメーは、必ずあの嬢ちゃんたちを傷つける。それだけ亡者と生者は相容れない。テメーの本性はどこまで行っても亡者のそれだ。人の価値を尊べず、生命の灯火に群がる虫そのもの。だからこそ忠告する。テメーはさっさと嬢ちゃんたちから離れた方がいい」

 

 鋭い眼光がアインズを射殺さんばかりに向けられる。

 力関係(パワーバランス)で言えば、キャスターが十人いようともアインズには敵わないだろう。それだけの開きが確かにある。

 けれど、それを見たアインズはさらに愕然とさせられた。

 

(そうか、これが正しいあり方なんだ。敵わない相手にも、誰かのためを思って戦う。……きっと俺には無いものだ)

 

 それを悟ったとき、アインズは力なく骨の手を振る。

 

「少しだけ、考えさせてくれないですか……」

 

 そんな言葉が出たのは仕方のないことだった。今のアインズにとって立香の隣は居心地がいいもの。それを快く手放したいとは思えないのだから。

 

「分かった……。だがこれだけは忘れるんじゃねえ。嬢ちゃんたちといるなら”中途半端なこと”はするな」

 

 それは忠告なのだろう。

 彼女を守ること、力になることに心血を注げ。キャスターはそうさせることで、アインズの意識を固定させた。

 

「話は終わりだ。邪魔したな」

 

 キャスターはそう言って光の粒子となり空中に霧散する。アインズはそれを眺め終えると、内心から湧き上がる怒りを込め自身の膝を力強く叩いた。

 瞬間、アインズの感情の波が穏やかになる。まるで冷水でも頭から掛けられたように、途端冷静さを取り戻す。

 何とも気持ち悪い感覚に、アインズは内心で舌打ちした。

 

「くそっ。これじゃ怒りたくても怒れない。悲しみたくても悲しめない。俺は本当に人間じゃなくなったのか……」

 

 だけど、アインズはそれを別に悲観していない。人間じゃなくなったことを悲しいと思わない。それがさらに気持ち悪く、腹立たしい。

 

「はあ、続きをしよう」

 

 いくら考えても答えが出ない螺旋階段に、アインズはとうとう投げ出すことにした。立香のことも、自分のことも、今は何も考えたくない。そのため現実から目を背け、遠隔視の鏡に再び向かい合う。

 

「また一人になるのか」

 

 しかし、ふとそんな言葉がアインズの口から漏れた。

 瞬間、アインズの心が荒んだように冷え込む。見える情景は、誰も座らなくなったナザリックの円卓と呼ばれる部屋。輝かしい過去も、楽しかった思い出も、全部が幻想と成り果ててしまった虚空の大墳墓。

 

「楽しかったな」

 

 アインズは無意識に、誰にも聞こえないよう呟いた。

 

 

 

###

 

 

 

 

 キャスターとアインズの対談が終わって数分した後、立香たちはセイバーがいるであろう大空洞を目指していた。

 場所に関しては、キャスターが知っていたため道に迷うことはなく、道中も、スケルトンや竜牙兵も襲ってこないため、平穏そのものである。内心びくついていたオルガマリーも、敵の姿が見えないことに安心しているのかリラックスした表情を浮かべていた。

 そんな中、体がある程度回復したイリヤは黙って隣を歩くアインズに話しかける。

 

「ねえ、アインズ」

 

 アインズはそれに気づいたのか、赤く光る目玉らしきそれをイリヤへと向けた。

 

「どうしかしたのか?」

「ううん。ちょっと聞きたいことがあって」

 

 イリヤがそういうと、目の前の骸骨は少し緊張したような態度を取る。

 何か聞かれたらまずいことでもあるのか、「……聞きたいこととは?」とアインズは恐る恐るイリヤに尋ねた。

 

「なんで私を助けたのかな〜って」

 

 正直、彼女は自分が助かる前の記憶というものがなかった。最初は一時的な記憶の混乱かと思っていたが、体が回復した後も記憶が戻ってくることはない。かろうじて思い出せるのはバーサーカーという存在と、冬木に来た時のことまで。この特異点というものに関しても、彼女が持ちうる情報は皆無であった。

 そのため、彼女は自身の命の価値を0と仮定している。助ける意味も無ければ、助かる意義もない存在。どうして今、地に足をつけ歩いているのかも不明なままである。聖杯を得るために生かされてきた少女は、生きる目的を失い、自身で歩く方法さえ見失っていた。

 だから彼女は求める。バーサーカーを解放させた今、自分は何のために生きているのかを。

 

「助けた理由は恩返しかな」

 

 しかし、アインズから返ってきたのはイリヤが望むものではなかった。

 恩返し。

 誰に対する? というのは聞けない。いや、聞かなくてもイリヤには何となく分かった。アインズが恩を感じている人物は、この中で一人しかいないであろう。

 イリヤは諦めたように息を小さくはくと、続け様にこう続けた。

 

「じゃあ、私が助かった理由は私にはないの?」

 

 アインズはその言葉を聞いて少しばかり考え込む。やがて、何も思いつかなかったのか、彼は観念したかのように空を仰いだ。

 

「正直に言うと、君を助けた理由は君自身にない。勿論、バーサーカーにも無いんだ。今思えば、俺が君を助けたのも恩返しなんかではなく、自分が醜いと思われたくないためにやっただけなのかもしれない」

 

 アインズのその独白はイリヤの胸に刺さった。

 これで人助けがしたかっただの、バーサーカーが可哀想だったからだの言われたら、彼女はきっと疑っただろう。イリヤが求めているのは偽善ではなく、自分が生存している意味なのである。そんな薄っぺらい理由を述べられても、彼女は納得できない。

 しかし、アインズの独りよがりな理由はイリヤの胸の中にストンと落ちた。まるで無くしていたピースが埋まるような感覚だった。

 彼が自分のために助けたと言うのならば、イリヤの生存理由はそこで確定する。ならば、これから彼女はアインズのために生きようと思える。誰が何を言おうとアインズの味方を続け、誰が敵に回ろうとアインズのために朽ち果てる。

 己の命の捨て方を得た少女は、ひどくご機嫌な様子で「そっか」とだけ言った。

 

「怒らないのか?」

 

 イリヤの様子を怪訝に思ったアインズがそう問いかける。今の暴露でイリヤに怒られると思ったのかもしれない。

 けれど彼女はアインズの想像以上に淡白なホムンクルスである。アインズの醜い心情なんて、彼女にとってはそよ風と同義であった。

 

「別に怒らないよ。だって、今の理由の方が納得できたし。この世に正義の味方なんていないんだよ。あるのは善悪を超越した果てしない損得勘定だけ。だから、アインズの理由は納得できるの」

 

 イリヤがそう高説ぶった意見を説く。正義なんてものはまやかしでしか無いのだと言う。

 日本には「勝てば官軍負ければ賊軍」という諺がある。まさに世界をよく表している言葉だとイリヤは思っている。

 人にはれぞれ大義があり、それに則って行動をし生活をする。それが人の営みと言えるし、それこそが人の世を循環させているからだ。

 つまり、全員が全員それなりに正義を持って行動しているのだ。そこに悪という存在は一切生じていない。

 であるならば、悪という言葉はいったいどこで生まれるのか。そんなのは簡単だ。悪という存在は勝敗が決した時点でしか生まれない。なぜなら勝った方が正義で負けた者が悪なのだから。

 勝敗でしか生まれないその価値観に何の意味があるというのか。あるのはどこまで行っても果てしない意思のぶつけ合いなのである。行動理念にそんな善悪(勝ち負け)を持ち込んではいけない。だから、あるのは損得勘定。

 

 しかし、そんな理屈を否定するようにアインズはイリヤの言葉に唸り声をあげる。

 

「本当にそうだろうか。この世にはどうしようもない善人もいると俺は思う。俺はそんな善人に憧れているし、その強い意志を欲しいと思う。だって俺にはそれが無いんだから」

 

 イリヤはそんな言葉をただただ黙って聞いた。

 目の前のアンデッドが生者に抱いている感情に対し言葉を与えなかった。

 

 ___それは憧れではなく、嫉妬では無いのか。

 

 そんな風な言葉をイリヤは喉の奥へと仕舞い込む。

 

「……アインズはここにくるまでどんなことをしていたの?」

 

 だから彼女は失態を起こす。

 それは誰も触れてこなかった禁忌であり、開けてはいけないパンドラの箱。アインズに過去のことを聞く。それはつまり、彼の狂気を垣間見るということなのだから。

 

 がりっと音が聞こえた。

 イリヤがアインズの方を見上げれば、そこには歯を異様な強さで噛み締めているアインズがいる。

 それに少し恐怖したイリヤだったが、すぐさまアインズは平常の声で語りかけた。

 

「……作業のような毎日だった。金を稼いで寝て、金を稼いで寝る。ただそれだけの毎日だったよ」

 

 何かを思い出すように吐き出される言葉の数々。アンデッドが金を稼いで寝るというルーティンには些か疑問を抱いたイリヤだが、それ以上のことは聞けなかった。

 途端、彼女とアインズの間に静寂の帳が降りる。

 この世界には自分たちだけしかいないのでは無いかと錯覚するほどの静寂。少し離れたところで歩いているオルガマリーや立香たちが、数キロも離れているように感じた。

 そんな沈鬱な表情を側から見えたのか、さっきまで前を歩いていたマシュが少しペースを落として二人へ声をかけた。

 

「どうかされましたか?」

「いや。少し昔の話をしていました。何でもありませんよ」

 

 アインズはそう言って骨の腕を翳す。そして彼は楽しげに会話する立香たちの方向を見つめながら、ぽつりぽつりと語り出した。

 

「……俺はかつて仲間達と冒険をしていたんです。自分がまだ弱かった頃、純白の聖騎士に救われ、彼に4人の仲間を紹介されたのがきっかけでした。そうやって俺を含めて6人のチームが出来上がり、さらに俺と同じように弱かった者たちを3人仲間に加えて合計9人で最初のチームを形成したんです」

「? そうなんですか」

 

 突然、会話に混じったマシュはアインズの過去話に疑問を抱きながらも聞く側に徹する。イリヤもそれは同じなのか、静かにアインズの隣を歩きながら、彼の言葉の続きをまった。

 

「素晴らしい仲間達でしたよ。聖騎士、刀使い、神官、暗殺者、二刀忍者、妖術師、料理人、鍛治師……。最高の友人達でした。それからも幾多の冒険を繰り返しましたが、その中でもあの日々は忘れられません」

 

 イリヤにアインズの表情を読み取る能力はない。骸骨の表情はほとんど変化がないのだから、仕方ないことではあるが。

 しかし、それでもイリヤは察することができる。このアインズという異形種にとって、今語られている思い出は宝物のように大切なのだろうと。

 マシュもそれは同じだった。アインズの気持ちを察することができていた。

 けれどイリヤとマシュの違いがある。受け取り方は一緒でも、返し方は一緒ではない。イリヤはアインズの狂気を垣間見たのに対し、マシュはアインズの狂気を知らなかった。それゆえに起こる齟齬。イリヤは口を閉じていたのに、マシュは平然と自身の気持ちを口にしてしまった。

 

「そうなんですね。なら私たちも、いつの日かその仲間達に負けないよう頑張ります」

 

 マシュの歯に衣着せぬ言葉に、アインズは苛立ち、強く言い放つ。

 

「そんな日は来ませんよ」

 

 驚くほど敵意に満ちた声だった。アインズは自分の発言に驚いたのか、立ち止まる。

 

「……すまない……。俺は少し空から索敵させてもらう」

 

 そう言ってアインズは魔術らしき呪文を唱えると、そのまま高々と空へ飛び上がってしまう。イリヤはアインズを呼び止めようか悩んだが、隣にいる暗い顔をしたマシュのためにも見過ごすことにした。

 きっと、マシュが話しかけていなければ自分とアインズがこんな風になっていたのだろう。そう思うと、身の毛もよだつ思いになる。

 

「私は軽率な発言をしてしまったんですね……」

 

 マシュはそう言うと、陰鬱な表情を浮かべた。

 

「仕方ないわよ。誰も気づけなかった。あれがアインズの弱点なんだって」

 

 そう、誰も気づけなかったのだ。

 彼の苦しみを、彼の狂気を。彼の悍ましさを。

 アインズにあるのは、かつての仲間達への未練であり、過去に縋るその脆弱な精神である。立香と接しているときのアインズしか知らない二人は、その正体に今更ながら気づいてしまった。

 

「全滅、したんでしょうか。アインズさんの仲間達は」

「さあ。私はどちらかと言えばアインズが捨てられたように思ったけど」

「っ!? それって……」

 

 イリヤは父親のことを思い出しながらそう呟く。

 先程のアインズの反応。衛宮切嗣に捨てられ、アインツベルンで拷問に近い特訓を受けていた自分に似ていような気がした。

 

「私もアインズと同じような気持ちになったことあるから分かるんだ。傲慢かもしれないけどね」

 

 その発言にマシュは何も言わなかった。と言うよりは、何も言えなかったのだろう。

 人生経験の浅い彼女にとって、イリヤとアインズが抱える闇はあまりにも大きすぎる。人の善性も悪性も知らない彼女が、それに対して投げられる言葉は一つも存在しなかった。

 

「……私はどうすればいいですかね」

 

 そういったマシュの顔は暗い。白亜の盾が翳ってしまいそうなほど、彼女の精神に影がかかってしまっている。

 そんな姿を見たイリヤは、はぁとため息をつき、腰に手を当てた。

 

「発した言葉は元に戻らないわ。どんな魔術を使おうとね。記憶を消しったって言った側が覚えてるんだもん。だからこそ、人はそれを覆い隠せるだけの何かを相手にプレゼントするのよ」

 

 お姉ちゃんのような言い方で告げるイリヤに、マシュは俯いていた顔をあげる。

 

「何か、ですか?」

「うーん。例えば、マシュの体とか?」

「えっ!?/// えぇぇ!?///」

「冗談よ。アンデッドが情欲すると思えないもの」

 

 マシュの初々しい反応に、くすりと可愛らしく笑う。妹というものがいれば、きっとこんな感じなのかもしれない。

 

「マシュはアインズが怖くないの?」イリヤは転がっている小石を軽く蹴る。

 

「初めて来たときは、とても怖い存在だと感じました。目の前に立っているだけで呼吸を忘れてしまいそうなほどに……」

「でも今はそうじゃない?」

「はい。先輩…マスターがアインズさんを庇った時に思ったんです。種族とか、人間とか、見た目とか、多分そういうもので判断しちゃダメなんだって。もっとちゃんと知らなきゃダメなんだろうって」

 

 イリヤはその言葉を聞いて頷く。

 

「そしたら不思議と怖くなくなりました……。なぜでしょうか」

 

 イリヤはそれに対し「さあね」と言うのみだった。

 その感情はきっとマシュだけのもの。それを他人の憶測で踏み躙るのをイリヤは良しとしなかったのだ。

 

「だったら尚更謝らないと」

「……そう、ですね。謝らないといけません」

 

 そういって二人は笑い合う。空を見上げれば、遠い場所でアインズが飛んでいた。

 この特異点を攻略したら、もっといろんな話をしよう。彼の大切な宝物の話でも聞いてみよう。

 そんな風に考えれば考えるほど、イリヤは未来に対し光が見えていた。

 

 

 

 

 

 

 ___同時刻。

 

 一人の男が高台よりある者たちを見つめていた。

 銀髪の女と茶髪の少女。

 どちらも自身が生きて返さないと決めている人物たち。

 男は右手に持った弓に剣と思わしき矢を番え、茶髪の少女を見る。マスターはあの少女一人だけ。つまり、あの少女を殺せば、サーヴァントの魔力補給が潤沢に行えないことを意味していた。

 それゆえ、男は一矢で決める思いで矢を放つ。失敗すれば、バーサーカーをも屠ったアンデッドが己を殺しに来ることは想像に難しくないからだ。

 

 ビュュュュン___。

 

 風を切りながら、数キロも離れた地点へ矢が駆ける。

 誰も気付いていない。誰も反応していない。その事実に男———アーチャー———は涼しげな笑みを浮かべた。

 

 が、次の瞬間。矢が何者かによって弾かれる。見れば、さっきまでそこにいなかったはずのキャスターが杖を器用に振り回し、矢を叩き落としていた。

 仕留め損なった。

 その言葉がアーチャーの頭に駆け巡る。早く場所を変えなければ、さっきの弓矢で狙撃位置がバレてしまう恐れがあった。

 けれど、その判断がもう遅い。本当であれば、藤丸立香を射抜けたかどうか確認する前に、アーチャーは退避するべきだったのだ。その絶好の機会を彼は自分から手放していた。

 だからこそ捉えられる。機嫌を損ねている死の王に。

 

 ___お前がやったのか?

 

 それが聞こえた時点で遅かった。アーチャーは唐突に吹き飛ばされた感触を覚え、そのまま大きく吹っ飛ばされる。あまりにも大きな衝撃に、アーチャーは手に持っていた弓を消滅させ、全力で受け身を取った。

 

「化け物め……」

 

 そう呪うように呟くと、次に出したのは2本の刀。雌雄一対の双剣〈干将・莫耶〉。

 それを出したところで何になるのか分からないまでも、アーチャーはそれらを構え体勢を立て直す。相手に距離を縮められた以上、無理に離れず接近戦に切り替えたのは良い判断だった。

 

「セイバー……ではないよな?」

 

 上を見上げれば、高台に一体の骸骨が立っていた。

 どんな術を使えば、遥か数キロ離れた地点から一瞬であそこまで移動できるのか。

 アーチャーはその謎を解こうと必死に頭を働かせるも、その態度は至ってクールを装う。

 しかし、アインズにはそんな心情が悟られているのか、骨の指で頭蓋骨を刺しながら「無駄な詮索はやめたほうがいいぞ」と告げられた。

 

「立香を狙うところを見ると、敵でいいんだよな?」

 

 溢れる殺意。お前は絶対に殺すと心臓を掴まれているような感覚。

 咄嗟にアーチャーは逃亡へと作戦を移行させる。アインズと真正面から戦うことの無謀さを、彼は気付いてしまった。

 

「逃げるなよ。毛色の違う相手を追いかけ回すのは無理なのか」

 

 そう聞こえた直後、ありえないほどの痛みがアーチャーの背中を襲った。

 肉が裂け、骨は砕き、街の大通りをアーチャーは転げ回る。霞む視界で見てみれば、なんとさっきの地点から相当長い距離を吹き飛ばされていた。

 

「人外め……。お前みたいな奴が何故出てくる……」

 

 アーチャーはそう言いながらも、砕けた双剣を捨て、新たな双剣を投影する。

 もう逃げることは不可能に近い。であるならば、少しでもこの化け物の体力をアーチャーは削ろうと考えていた。

 

「ほう、〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉みたいなものか。確かにそれなら私に傷をつけられるだろうな」

 

 アーチャーの投影魔術を感慨深そうに眺めたアインズは、サッと両手を広げる。

 

「……なんのつもりだ。化け物」

「ハンデだ。それで好きなだけ攻撃してもいいぞ」

 

 アインズはそれだけを告げると、そのまま後ろを振り向いた。

 アーチャーの思考が止まる。目の前で両手を広げ背部を見せる化け物の行動が彼には理解できない。

 誘っている? 罠か?

 そんな言葉が浮いて出てくるが、アインズがその気になれば罠なんて不必要でしかないだろう。それこそ、抱擁したままアーチャーを圧死させるなんてことは非常に容易い。

 で、あれば何が狙いなのか。アーチャーは手に握りしめた双剣を構えながら考える。不測の事態に備えて、身を低くし、いつでも駆け抜ける準備をする。

 

 けれど、アーチャーの思惑などアインズには関係なかった。

 アインズが現在行っているのは、自分への戒めと、キャスターに対する意表返しである。あの時、確かに彼はバーサーカーから逃げた。それは命の危険を感じ取ったからであり、恐怖を覚えたからだ。その時見せた咄嗟の反応は、確かに立香を裏切るものであった。

 ならば、今後そのようなことが一切ないと知らしめる必要がある。立香を置いて逃げず、向かう敵はすべからず殺し尽くす。そんな強固な意思を持たなければいけない。

 今回はそのためにも、アーチャーにわざと好きなだけ攻撃をさせるハンデを出した。それが相手を冒涜する行為だとしても、アインズはそれを強要する。

 だが、アインズは気づかない。それは間違った考えであるのだと。

 

 斯くして二人は、異様な空気のまま時を流す。アーチャーはアインズの一挙一動を観察し、アインズはアーチャーの攻撃を受け入れるようにして佇む。

 数秒。先に動いたのは、やはりと言うべきかアーチャーであった。

 握りしめられた二つの剣を、勢いよくアインズに投げ飛ばし、さらにもう1組を投影する。それを間髪入れずにアインズの胴回りへと投げ込み、それら4本がアインズの体目掛けて一斉に引き合わせれたタイミングで、ダメおしとばかりに3組目の夫婦剣を投影。そのまま切り込んだ。

 

「鶴翼三連っ!」

 

 アーチャー唯一のオリジナル剣技であり、回避不可能な絶技。それら全ての斬撃を喰らったアインズは、ゆっくりアーチャーへと向き直ると「それだけか?」と言って退けた。

 

「チッ! ___I am the bone of my sword.」

 

 アーチャーは負けじとさらに火力の高い宝具を投影する。

 イメージするのは最強の自分。それを念頭に置いて出したのは、偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)だった。

 弓と同時に出したそれを、アーチャーはアインズに近づいたままゼロ距離で発射する。

 

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 

 真名解放とともに齎される絶大な威力。自身の身体を犠牲にしてでも、ゼロ距離で放たれたその宝具は、空間を削り取りながらアインズを射抜いた。

 一瞬、アインズの全体を覆うほどの魔力の奔流が吹き荒ぶ。それに効果ありと感じたアーチャーは、躊躇わずにゼロ距離で2射目を番った。

 

「並のサーヴァントなら即死だが、お前はその程度では死なんのだろう?」

 

 自身の宝具の衝撃に身を灼かれながらも、アーチャーは追撃を緩めない。

 相手が反撃できないほどの蓮撃を、アーチャーは続ける気でいた。

 

「我慢比べと行こうか……アンデッド」

 

 そのままアーチャーは持てる全力をアインズへと叩き込み続ける。

 効いている、効いていないなんてものは考えず、ただ己の全力を彼は出し続けた。

 しかし、それもいずれ限界がくる。

 総数43本を迎えたあたりでアーチャーの腕は完全に上がらなくなっていた。最初に受けたダメージが原因というのもある。しかし、ゼロ距離で撃ち続けた結果、自身の宝具の余波でアーチャーの腕は使い物にならなくなっていた。

 

「終わりか?」

 

 アインズがそう問うも、アーチャーは何の返事もせずに上がらない腕で投影を続ける。

 体を見てみれば、所々から皮膚が剥がれ落ち、筋肉が丸見えの状態なところがあった。

 あまりの絶望感に、アーチャーは自然と舌打ちを鳴らす。今更気がつけば、あと数メートルのところまでキャスターと、もう一騎のサーヴァント反応が迫っていた。どうやら、さっきまでのやり取りの間に、ここへと駆けつけてきたらしい。

 

「さて、そろそろ決着をつけようと思うがいいかね?」

 

 アインズはそう言って、動かない案山子となったアーチャーの頭を鷲掴み、持ち上げる。それになんの抵抗もできない彼は、ただ成されるがままアインズを見下ろした

 

「アンデッドが……」

 

 苦し紛れに放たれる言葉。忌々しそうに、ただ恨めしそうに零れては消える。

 アインズはそれになんの感想も抱くことはなく、段々とアーチャーの頭を握る力を強めていった。まるで作業のように、プレス機械がバスケットボールを押しつぶすように。

 

「安心しろ。お前に恨みはない。だが、少しだけ___そう、少しだけ鬱憤を晴らさせてくれ」

 

 その言葉と共に、アーチャーの耳に飛び込んできたのはミシミシという不快な音。骨が軋み、肉が裂ける体の悲鳴。

 アーチャーはアインズが何をしようとしているのかを悟り、最後の力を振り絞って莫耶を突きつける。だが、そんなものアインズにとっては止めるだけのダメージ量ではなかった。

 

「き、様……、やはり貴様は……アンデッドだ……!!」

 

 ガキン、ガキンとアインズの腕に当てられる莫耶。それをまるで意に返さないアインズはさらに骨の手へと力を込めた。

 

「どうせ死ぬんだ。どんな死に方でも同じだろ」

 

 軽口が聞こえてくる間も圧力は段々と強まっていく。頭部の異様な圧迫は耐え難いものへと変わっていく。脳への血液の循環が疎かになり、息苦しささえ感じられる。

 意識が消えそうで、消えれない。

 痛みによる覚醒が、脳を無理矢理叩き起こす。

 莫耶による攻撃が意味をなさないと知ったアーチャーは偽・螺旋を投影する。弓を番うことはできなくても剣自体を相手に叩きつけることは可能だ。しかしそれもアインズへと叩きつけられた瞬間、幻想のように儚く消える。もうこの事実は覆らないと教えられているようで、アーチャーは必死にアインズの腕をへし折ろうとした。

 

「お前がどんな理由であの子を殺そうとしたかは知らないが、この〈アインズ・ウール・ゴウン〉に喧嘩を売ったことだけは後悔させてやる」

 

 その言葉が死刑宣告。

 アーチャーは破れかぶれに暴れ回ったが、どれも通用せず、とうとうアインズの手によってその頭部が粉砕された___。

 

 ゴボゴボと血を大量に撒き散らす。見えてはいけない脳漿がアインズの手から飛び出し、眼球がぼとりとアインズの足元へ落ちた。

 必死に逃れようとしていたアーチャーの体はもはやビクビクと痙攣を繰り返すだけのものへと成り下がっている。

 少し経てば、そんな汚れた残骸も光の粒子となって消えていく。バーサーカーが消滅した時のように、アーチャーの肉体も一片残らず天へと散った。

 

「おい、なんだあの殺し方は」

 

 アーチャーの消滅を確認したアインズの背部に声がかけられる。振り向けばそこにはキャスターが陰鬱な表情をして立っていた。

 

「”中途半端なこと”はしないようにした。お前の言う通りにな」

 

 アインズはそう言う。

 アインズからしてみれば、キャスターに言われた通り相手には徹底的な絶望と死をプレゼントしたに過ぎない。

 ___中途半端なことをするな。

 それを彼が正しく解釈していなかったことにキャスターは頭を抱える。

 

「それはそういう意味じゃねぇ! 相手を弄んで殺すことが必要なことのはずねぇだろ!」

「さっき殺した奴にも言ったが、どうせ同じ死なんだ。どう死のうが変わらない」

 

 アインズはそれだけを告げると立香たちの元へと歩み寄った。

 

「立香。俺はお前の力になりたい」

 

 改めて告げるアインズ。この世界に来た意味を成し遂げるために。

 しかし、そう告げられた立香はアインズの顔を見て、ゆっくりと首を横に振るのだ。

 

「今のアインズじゃ無理だよ」

 




私はきっと紅茶ファンに殺される。

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