ハリー・ポッターと慧眼のロックハート   作:海野波香

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叡智への勇気

 8月上旬の空という言葉を体現するかのような晴天にギルデロイは目を細めた。

 ラブグッド家の人々より先に外出の支度を済ませ、墓参りのための諸々を用意してきたところだ。庭のベンチに腰かけ、日にあたる。一服したい気持ちもあったが、これから子どもと行動するのに喫煙するわけにはいかなかった。

 学生時代からゼノフィリウスとギルデロイは支度が遅かった。ゼノフィリウスは周りに理解されづらいこだわりを持っていたし、ギルデロイは髪のセットに時間をかけすぎる。

 夏の青空に雲が抜けていく。

 クィディッチチームに所属していたギルデロイにとって、空とはむしろ苦しみだった。どこまで手を伸ばしても頂点に届かない。だから、空を見ずに飛んでも輝けるクィディッチが好きだった。

 その飛び方を息苦しいと笑い飛ばしたのがパンドラだ。

 

「――すまない、待たせた」

 

 若草色のスーツに身を包んだゼノフィリウスに頷いて、ギルデロイは立ち上がった。ひどく暑苦しい恰好だが、それを言ったところで脱ぎはしないだろう。

 両手でバケツを下げたルーナがギルデロイを見上げて何か言おうとし、何も言わずに口を閉じた。

 

「おはよう、ルーナ」

「……ン」

 

 10歳の少女、それも目の前で母親を喪って半年しか経っていない子どもにかける言葉を持ち合わせている大人がどれほどいるだろうか。

 こういうとき、ラブグッド家の「変わり者」という評判、そしてそれにふさわしい内実が邪魔をしていて、ギルデロイがどれだけその個性を愛おしく思っていても事態は変わらないのだ。

 この丘から南に下るとウィーズリー家が住んでいて、そこにはルーナと同い年の女の子がいる。彼女とルーナが友達であれば外に出る理由も増えるというものだが、生憎なことにラブグッド家とウィーズリー家の交流はないに等しい。

 

「バケツ、持とうか」

「大丈夫」

「そうか」

 

 ギルデロイは頷いて、それからゼノフィリウスに目をやり、出発するよう促した。

 ゼノフィリウスが杖先から薄紫色の旗を生み出し、それを掲げて先頭に立った。今のところその意味はわからないが、きっと何か悪いものを防ぐか、よいものを引き入れる効果があるのだろう。

 日が照っている。パナマハットを被りなおして、ギルデロイはゼノフィリウスの後に続いた。

 丘を東に下り、徒歩圏内と言い表すには少々長めの距離を歩く。沈黙の中に草原をぬるい風が波立たせた。

 普段はこの草原へ降りることはない。昔は休暇のたびに数少ない友人たちとピクニックをした場所だが、次第に思い出だけが積み重なり、やがてその重さに足が進まなくなった。

 しかし、パンドラはここに眠っている。

 

「――ドーラ。今年も夏が来た」

 

 赤い樹皮の、天に向かって根の入り組んだ枝を伸ばしているメグスリノキ。たった一本で草原を見渡すこの木の下にパンドラの骨が埋められている。

 かつての級友によるものか、根元には少なくない数の花束が添えられている。その中にギルデロイはリナリアの花束を置いた。

 ギルデロイの前に立ったルーナが静かにバケツから灰色の液体を汲み上げ、宙に撒いた。散った途端霧のようになったそれは枝々に吸い込まれていく。虫よけの魔法薬だ。

 

「君がいないラブグッド家は静かでいけないな。印刷機ばかりが騒がしい。ただ、ゼノもルーナもちゃんと食事はとっているからそこは安心していただきたい。なんといっても君たちの食生活を整えさせたこの私が見ているのだから」

 

 バケツの水面に雫の垂れる音がする。ルーナの肩が震えていた。

 おかしな話だが、ギルデロイはルーナが泣いているのを見てようやく安心することができた。泣かないよりは泣いたほうがいい。黙るよりは悲鳴を上げたほうがいい。そう語った本人がもう他界していて、その人のために涙が流されているのだから、ますますおかしな話だ。

 しかし、ギルデロイはその言葉に救われたのだ。

 

「会いたいよ、ママ。……会いたい」

 

 バケツを持つ手が震え、膝から崩れ落ちそうになったルーナをゼノフィリウスが抱き留めた。魔法薬がスーツにかかることも厭わず、ゼノフィリウスはルーナの肩を抱いた。

 その時ようやく、ギルデロイはゼノフィリウスのスーツと旗の意味に気づいた。若草色と薄紫色。パンドラが最も好んだ花、ハナハッカの色だ。

 

「会えないということはない。ないんだよ、ルーナ」

「パパ……」

「いいかね……私には情緒的な表現能力が不足しているとパンドラによく叱られた。だから、どんな言葉を向ければ君の気持ちが安らぐのか、ずっと考えていた。しかし、私たちラブグッド家にはむしろ、叡智のほうが望ましい……」

 

 ゼノフィリウスは旗を宙に切り離し、震える手でルーナを抱きなおした。

 

「死とは永遠の別れではない。なぜだかわかるかね」

「死は……死の先は観測されていないから」

「そうだ。神秘部では今も死の向こう側を研究し続けている。ドーラの研究理念を覚えているね?」

「……可能性が残されている限り、あり得そうなものよりも面白そうなものを探求する」

「死者には会えないなどという通俗の思い込みで足踏みしている暇はない。ドーラならそう言っただろう」

「パパは、いつか会えると思う? ママにまた会えるって、本当に思う?」

「もちろんだ」

 

 一般的なレイブンクロー卒業生に対して抱かれる印象とは異なる、しかし底知れない叡智が、純粋な親子の愛を繋ぐ綱として編まれていく。

 ギルデロイは空に広がって花咲いた旗を一瞥し、それからハンカチを取り出した。そして、膝をついてルーナの頬を優しく拭った。

 

「ギル、私は拭いてくれないのか」

「何が楽しくて野郎の涙を拭わねばならないんだ?」

「寮の女装コンテストでは私が勝った」

「素晴らしい思い出話をありがとう」

 

 ルーナが肩を震わせて笑った。

 久しぶりの笑い声に大人二人は顔を見合わせ、そしてどちらからともなく笑みを浮かべた。

 それから、昼食を外でとろうという話になり、ついでに買い物も済ませる目的でダイアゴン横丁に向かった。漏れ鍋の常連客と挨拶を交わし、チキンソテーと豆のスープを楽しむ。

 穏やかな笑顔でグリーンピースをフォークによる磔刑に処すルーナは年頃の少女そのものだ。

 

「ルーナ、何かほしいものはあるかね? ギルが何でも買ってくれるそうだ」

「おい」

「そういう顔をしていた」

「まあ、そうだが」

 

 ルーナは宙を見つめて思案していたが、小さく頷いた。

 

「閉心術の本と、占い学の本がほしいな」

「あー……占い学はともかく、閉心術はまだいいんじゃないか? 卒業してからでも」

「ううん、今必要。そうでしょ?」

 

 つまり、ギルデロイが運命に苛まれていることをルーナは知っているのだ。

 話したのか、と目で問いかけると、ゼノフィリウスは静かに首を横に振った。

 

「これが意味するのはだね、ギル。つまるところ、我々大人二人は密談らしい密談すらできないということだ」

「なんとも情けないな」

「ンー、パパとギルは子どもを計算に入れてなかったんだと思うな」

 

 ルーナを巻き込まないつもりの密談がルーナを巻きこんでいたわけだ。

 ギルデロイは申し訳なさに頭痛すら覚えたが、ゼノフィリウスがギルデロイの肩に手を置いた。

 

「信頼できる味方がもう少しいてもいい、そうではないかね? ましてや、この子は私たちよりも賢いのだから」

「ゼノ、それは……」

「残酷な言い方をすればだね、ギル。君の状況はラブグッド家が興味を向けるのに十分すぎるほど面白い」

「残酷だな」

 

 ラブグッド家の性質は、彼ら自身にとってひどく残酷だ。

 ギルデロイは周囲を確認し、杖を抜いた。

 

耳を塞げ(Muffliato)

「懐かしい呪文だ。学生時代に出回ったやつだったか」

「どんな効果?」

「悪口を怒鳴っても気づかれない程度には都合のいい耳になる」

「それ、とっても都合がいいね」

 

 ルーナは口笛を吹いて、それが店主のトムに聞こえていないことを確かめてから、フォークを置いた。

 子どもであるルーナはもちろん、ゼノフィリウスにも垣間見た予言の詳細は語っていない。魔法界で人の思考を覗く方法などいくらでもある。確定した未来の情報を複数の箱に複製して収めるのは得策とは言えないだろう。

 しかし、ラブグッド家の人々が好奇心を持ってしまえば、そこに秘密などありはしないのだ。

 

「ゼノ。君ならわかると思うが、未来を知っているというのは――」

「恐ろしいことだ。そう、わかっているとも。しかしね、友よ。我々は未知を前にした時、ゴドリック・グリフィンドールよりも勇気を発揮できる生き物だ」

「その我々にはルーナも含まれているのか?」

「ン、もちろん」

 

 ギルデロイはルーナが本当に事態の深刻さを理解しているとは思えなかった。しかし、その侮りと甘えがルーナに問題の一端を見せてしまったのも事実だ。

 目をやると、ゼノは自信を持って頷いた。

 

「もし君が不安なら、破れぬ誓いを交わしてもいい」

「それは……わかった。私がこの日を後悔しないよう祈り続けてくれ」

 

 ギルデロイは観念して、予言の内容を開示することにした。ハリー・ポッターとヴォルデモートの運命、そしてその過程であっけなく破滅するギルデロイ・ロックハートの物語を。

 ギルデロイの破滅について明確なのは3つだ。

 ギルデロイ・ロックハートは誰かを騙す存在として生きる。

 ギルデロイ・ロックハートはその嘘と愚かさを勇敢な者によって暴かれる。

 ギルデロイ・ロックハートは自らの忘却術によってすべてを失う。

 予見者の記憶の中で断片的に映像化され、断片的に言語化された予言にはっきりと表れたこの3つを回避する術を、ギルデロイはまだ発見できていない。

 

「まあ……そういうわけだ。そして、この物語で私が登場するのはあの少年と彼を狙う敵の戦いにおけるほんの一瞬でしかない」

「謙虚だな」

「冗談じゃないぞ」

「わかっている。……なかなか難しいな」

「その予言は絶対に当たるの?」

「彼女が予見者の血筋なのは間違いない。ブラヴァツキーの血を引いている」

 

 ブラヴァツキー家はトレローニー家と並んで有名な予見者の家系だ。カサンドラ・ブラヴァツキーは教科書も書いている。かつてはグリンデルバルド家もそこに含まれたが、ゲラート・グリンデルバルドを輩出したことで世の名声は地に落ちた。

 加えて、記憶の中のギルデロイは明確に「ギルデロイ・ロックハート」だった。

 

「じゃあ、その予言は当たるとして……ンー、予言。予言なのに映像なんだ」

「そこについてはゼノが調べてくれた」

「そう、パパが調べた。厳密に言うなら、パパの後輩をギルが説得した。無言者で、予言を専門に扱っている魔法使いだ。それで……予言は言葉として表れるらしい」

「じゃあ、その映像は予見者のイメージ?」

「まだわからない。予見者が映像として得た予言を言葉としてしか発せないのか、それとも言葉として得た予言が予見者の頭の中で映像を伴うのか……。本来、予見者は開心術を受け入れないし、記憶も提供しない。内側を覗かれると内なる眼が閉じると彼らは語っている」

 

 何とも難解な状況だった。現状を読み解くのに必要な知識があまりに不足している。学生時代ですらもこれほど知識の不足を痛感したことはなかった。

 さらに厄介なことに、ギルデロイはこれから7年間続く戦いの断片的な映像を見ている。それが予言の一部であるのなら、ハリー・ポッターはひどく過酷な運命を戦い抜くことになるのだ。しかも、それを覆せば世界が闇に覆われる可能性すらある。

 ギルデロイは勝利の未来を知っている。しかし、そこには自分の破滅が含まれており、勝者も多くを失っているのだ。

 

「すぐに答えが出そうな話じゃないね」

「まあ、まだ時間はあるさ。そう思わないとやってられない」

 

 ギルデロイは指を鳴らして耳塞ぎの呪文を解き、店主のトムにスープのおかわりを注文した。ラブグッド家に戻る前に人間的な味の食事を楽しんでおきたい。

 トムはスープと一緒に手紙を差し出した。

 

「ゼノフィリウス・ラブグッドさん宛てですよ」

「ありがとう。……おや、ディペット先生からだ」

「先生から?」

「ああ。誕生日パーティーに参加するよう君を説得してほしいとのことだが、どうする」

「気乗りはしない」

「去年も同じことを言っていた」

「ずっと同じことを言っているさ」

「私は行ったほうがいいって思うけどな。彼が入学するならあの人も来ると思うもン」

「あの人?」

 

 ルーナはギルデロイのスープを勝手に飲みながら頷いた。

 

「アルバス・ダンブルドア」

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