ハリー・ポッターと慧眼のロックハート   作:海野波香

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公然の秘密

 自分の教科書、自分のローブ、それに自分の杖!

 ハリーは歓喜に包まれていたが、それを年上の友人に報告できないのが歯がゆくてならなかった。魔法界のことは魔法族にしか話してはいけないのだ。それに、ここ数日ギルデロイは家に帰っていないようだった。

 しかし、ハリーが8月いっぱいまでダーズリーの家で耐え忍ぶ覚悟を決めて数日後、隣家の窓に明かりがともった。ハリーは喜びを胸に大急ぎでギルデロイの家に向かい、戸を叩いた。

 

「開いているよ、お入り」

 

 不思議なのは、いつだってギルデロイはノックしただけでハリーのことに気づくということだ。もしかして、彼も「そう」なのだろうか。ハリーは胸を高鳴らせた。

 シンプルで清潔感のあるシャツの上にゆったりとした紺色のカーディガンを羽織ったギルデロイはいつも通りの穏やかな笑顔で、しかし以前より明るく思える。理由はわからないが、ハリーにとっては喜ばしいことだ。唯一と言っていい友達が元気そうなのだから。

 

「こんにちは、ギルデロイ」

「ああ、こんにちは。それから、遅くなったが、誕生日おめでとう」

「うん、ありがとう。僕、誕生日はちょっと遠くにいたんだ」

「そのようだね。散々な記念旅行だったと表情が物語っている」

 

 ギルデロイは小さく笑って、ハリーを迎え入れてくれた。

 読みかけだった本の続きを読む前に、ハリーはギルデロイに質問をしたかった。彼が自分と同じなら、とても素敵だ。それに、ハリーの知る限り最も魔法使いらしい人物が印象通りなのか確認してみたかった。

 

「ギルデロイ、質問があるんだ。その……僕、9月から遠くの学校に――」

「ハリー」

 

 ギルデロイが唇に人差し指を添えて、「静かに」と示した。

 彼の目がいつになく真剣な色を帯びていたので、ハリーが手で口を押さえた。すると、ギルデロイは棚の上の鏡にちらりと目をやって、それからカーディガンの袖に手をやり、杖を引き抜いて窓に向けた。灰色の霧がふわりと広がり、窓を包む。魔法だ。

 

「これで近隣の住民には私たちが本を挟んで語らっているように見える」

「わあ……じゃあ、ギルデロイ、あなたもやっぱり」

「いかにも。いつかこの日が来ると思っていたよ、ハリー。そして、気をつけなさい。不思議な力を持つ11歳の子が9月から遠くの学校に行くと発言すれば、それはホグワーツへの入学が決まったと言っているのと同義だ」

 

 ハリーが「ごめんなさい」と謝ると、ギルデロイは頷いて、ハリーを撫でた。

 魔法界の秘密は厳重に守られている。中にはマグルと結婚したのに魔法を秘密にし続けた魔女や、魔法を守るために家族の記憶を消した魔法使いもいるのだ。ギルデロイからその話を聞いて、ハリーはひどく不安になった。もしダーズリーの連中がハリーの正体について警察に通報してしまったら?

 ハリーがこの不安を打ち明けると、ギルデロイは意外そうに眉を上げた。

 

「ハリー、君はあの一家がそこまで勇敢だと思っていたのかい?」

「あー……」

「冗談だ。マグル界の政府と魔法省、つまり魔法界の政府は協力関係にある。警察経由で魔法省に連絡が入り、数日後に警察の姿をした魔法族がやってきてうやむやにするだけだよ」

 

 だから不安に思わなくていい。そう語ったあと、ギルデロイは少し大仰に咳払いをして、机の引き出しから細長い小箱を取り出した。

 

「イギリスの魔法族にとって11歳の誕生日は特別な意味を持つ」

「ホグワーツに入学するから?」

「そうだ。ずいぶんと悩んだよ、最高のお祝いにしたいからね。開けてごらん」

 

 ハリーは渡された箱を撫でた。ダドリーの部屋に転がっている百貨店の包装紙とは違う、しっとりとした質感。

 箱を開くと、そこには眼鏡が収まっていた。ハリーが今かけている眼鏡に形は近いが、レンズも傷一つないし、フレームも曲がっていない。H. P. と銘まで彫られている。正真正銘、ハリーのための眼鏡だった。

 かけてみると、一瞬合わなかった度が自然に調整された。今までよりはるかに明瞭な視界。世界の情報量に圧倒されて一瞬めまいすらした。

 

「誕生日おめでとう。気に入ってくれたかな?」

「わあ……これ、最高だよ! ありがとう!」

「喜んでくれてなによりだ。防塵防水、曇らず傷つかず、そして直接力が加わらない限りはずれたり落ちたりもしない。今後目が悪くなればそれに合わせて度も強くなる」

「全部魔法?」

「もちろん。我々は魔法使いだからね」

「僕もこんなすごい魔法が使えるようになるかな?」

「どうだろうか。私には使えない」

 

 意外な言葉にハリーは眼鏡の奥で目を瞬かせた。

 ギルデロイはハリーにとって「できる大人」なのだ。落ち着いていて、頭がよくて、優しい。そんな彼が「自分にはできない」と語ったのは、少し奇妙ですらあった。彼にできないことがあるとは思えない。

 ハリーの疑問を理解したのか、ギルデロイは笑って肩をすくめた。

 

「私は学生時代、そこそこの成績だった。もちろん、手を抜いたわけではない。しかし、最後まで頂点に立つことができないまま卒業してしまった」

「悔しかった?」

「それ以上に、悲しかった。私は頂点に立てるものだと思い込んでいたからね。若かったよ。一度は全てを諦めそうにすらなった。最近は、まあ、分担することを知りつつある」

 

 つまりね、と前置きをして微笑んだギルデロイはいつになく苦しそうで、しかし温かかった。

 

「何になりたいかが肝心だと私は考えている。目標に向けて走ることができる体を用意したなら、手を伸ばす方向は目標の先でいい」

「えっと……?」

「まずはたくさん勉強して、そのなかでやりたいことを見つけなさい、という話だ」

 

 ハリーにとってはずっと遠いことのように思える。しかし、きっと大事なことなのだろう。それくらいギルデロイは真剣そうだった。

 ギルデロイは何になりたいのだろうか。それはもう叶ったのだろうか。作家という仕事はとても素敵だ。しかし、彼が何になりたかったのかをハリーは知らない。

 どう聞けばいいか悩んで、ハリーの口をついて出た言葉はこうだ。

 

「ギルデロイの目標はどこ?」

「目標か。そうだね、生きること」

「生きる、こと」

「死んでしまったらストロベリーアイスクリームは食べられないからね」

 

 おやつの時間にしよう、そう笑ってキッチンに消えたギルデロイはやはり少しだけ前よりも元気に思えた。

 ギルデロイの家でゆっくり過ごし、魔法界の事情について色々な話をねだったあと、ハリーはダーズリー家に与えられた自分の部屋で教科書を開いていた。これから飛び込む新しい世界への期待と興奮がハリーを突き動かしている。

 前よりもずっと澄んだ視界で文字を辿るのはとても楽しかった。しかも、ここにあるのは1年生の教科書だけだ。もっとたくさんの知らないことがある。

 ハリーは何にでもなれる気がした。高揚感のうちに眠気が訪れ、『幻の動物とその生息地』を枕にして眠るころにはギルデロイの不思議な言葉も少しずつ意識から消え去っていった。

 そして9月1日、ハリーは11時発の真っ赤な特急に揺られて、高揚感と不安のない交ぜからくる吐き気にも似た不快感に震えていた。もしくはバーノンおじさんの運転で酔ったのかもしれない。

 しかし、それもロン・ウィーズリーという友達を得るまでだった。コンパートメントにお菓子を広げて、二人で色々な話をしているうちに、ハリーは落ち着きを取り戻していった。

 

「ハリー、君の親戚って最悪だね。僕だったら耐えられないよ」

「ダーズリーは確かに最悪だけど、近所に助けてくれる親切な人がいたんだ。ギルデロイ・ロックハートって魔法使いなんだけど、知ってる?」

「ギルデロイ・ロックハートって、あのギルデロイ・ロックハート?」

「うーん、僕が知ってるのは一人だけだから……ハンサムで頭がいい作家の」

「じゃあ間違いないよ。探検家であちこちに知り合いがいるんだ。うちのビルともすごく仲が良いし、うちからちょっと離れたところに住んでるラブグッドって変わり者の家にも出入りしてるみたいだし」

 

 不思議な感覚だった。大事な友達が有名人なのは誇らしい。しかし、自分が知らない側面を今会ったばかりの男の子が知っているのは悔しいような、寂しいような。

 しかし、その気持ちも自分たちがいつかしたい冒険について語り合っているうちに消え失せた。ロンはドラゴンに乗ってみたいらしい。ドラゴン使いの兄が奮闘する話を聞いて憧れてしまったと恥ずかしそうに語る彼は、きっと家族に愛されて育ったのだろう。

 どうして自分の家族についてギルデロイに訊かなかったのか、ハリーは不思議でならなかった。魔法界にワクワクしすぎて一番知りたかったことをうっかり訊き損ねてしまったのだ。

 

「ねえロン、君、僕の両親のこととか知らない?」

「僕は君と同じ歳だよ?」

「確かに」

「まあ、ほら。ホグワーツに行けばきっと色々わかるさ。だって、卒業生なんだから」

 

 ハリーは頷いた。そして、気づいた。両親がホグワーツの卒業生であるのと同様に、ギルデロイもホグワーツの卒業生だ。学生時代、彼が「若かった」と語ったその姿を知ることができるのかもしれない。

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