しもべ妖精に鞄と帽子を預け、ギルデロイはエントランスホールから広間へと案内された。
ディペット家は古い純血の家系ではない。しかし、この屋敷に飾られた多くの贈り物を見れば、彼が軽んじられているなどと言える者はいないだろう。ましてや、パーティーに集まった面々を少しでも目にすることがあれば、憧れすら抱くかもしれない。
「よく来てくれた、ギルデロイ」
白い豊かな髪を肩に流し、安楽椅子で鷹揚に微笑む老人。彼こそが先代のホグワーツ魔法魔術学校校長、アーマンド・ディペットだ。
今年で354歳になる彼はますます「曖昧」になりつつあるが、それでもその瞳にはまだ静かな知性の光が星空のようにきらめいていた。ギルデロイも学生時代は何とも思わなかった相手だが、年を重ね、苦しみを知ってようやくその存在感がわかった。
「ええ、先生のお招きとあれば」
「嬉しいことを言ってくれるではないか。ゼノフィリウスによろしく伝えておいてくれたまえよ」
「敵いませんね、先生には。その活発さがあれば来年の誕生日も安心してお迎えになることができるのでは?」
「寂しがりの年寄りが最後の駄々をこねているだけだ。それより、今年のジューンベリー酒はどうだね? なかなかよく浸かっているだろう?」
「去年のボトルも好きでしたが、今年は酸味が心地よくてなお好みですね」
「それはよかった。上等のを1本包ませるから、お友達と楽しむといい。ゆっくりしていってくれ」
ギルデロイは会釈をして次の挨拶者に場を譲った。
10月生まれの彼が8月に誕生日パーティーを開くのは、ホグワーツ関係者も出席できるようにという元校長らしい計らいによるものだ。中には今年入学する子や孫を連れて挨拶に来る者もいる。ゴールドスタイン家、マルフォイ家、ボーンズ家……。
人脈形成を考えるなら出席しない手はない。しかし、ギルデロイはどうにもこの時間が得意ではなかった。魔法界では研究者、または魔法戦士と認識されている。ディペットの招待がなければこのような場に踏み入ることも許されない。
誰でも見下されるのは楽しくない。ましてや、ギルデロイはディペットに言わせれば「将来にやり場のない不安を抱える若者」なのだ。心がささくれだつ。ささくれだった心は守りに適しておらず、誰かにギルデロイが抱える秘密を暴かれる危険も生じる。そうなれば犠牲者はギルデロイだけではない。
それでも役に立つものは片っ端から掴まねばならないとギルデロイは理解している。だから、何かしらのポジティブな反応を引きずり出すための土壌を固める必要があった。
まずは手の届くところから。
「やあルード、先日はどうも」
「ギル! ハッハー、お前もディペット先生に捕まった口か!」
ナショナルリーグでクィディッチ選手として活躍していた時代からは想像もつかないビール腹を揺らして、ルドビッチ・バグマンは豪快に笑った。上品な立食パーティーにはあまりにも不向きな男だ。
同じクィディッチプレイヤーであり、陽気で誰にでも親しみを見せるバグマンはギルデロイが魔法省の人脈ネットワークに参入するうえでちょうどいい足がかりだ。しかも彼は魔法ゲーム・スポーツ部の部長を務めている。魔法界の娯楽を司る部局の長とコネクションを結ぶ価値がわからないなら政治センスはない。
「ワガドゥの連中はどうだった?」
「速く、大胆で、そして目がいい。次のワールドカップが怖いな」
「そいつはいい、ますます盛り上がるってもんだ。お前がいてくれて助かるよ。うちの連中はどうにも極端だからなあ。頭のいい奴はセンスがない、センスのいい奴は頭がない。たまに両方ないやつもいる。お前は両方持ってる」
「それはどうも。私としてもワガドゥには興味があったから、渡りに船だった。またどこかに出向く仕事があれば連絡をくれ」
「ありがとよ、兄弟。行こうぜ、お前を紹介したい奴がわんさかいる」
バグマンに腕を取られて、さも無理やり引きずられているかのように体を傾かせつつ、中央に近いテーブルの輪に割って入った。
そうそうたる顔ぶれだ。特に目立つのが3人。前魔法大臣ミリセント・バグノールド、現魔法大臣コーネリウス・ファッジ、魔法法執行部長アメリア・ボーンズ。
バグノールド前大臣は先の魔法戦争を戦い抜いて自らの足で大臣室から出た真の英雄であり、引退してなお彼女の助言を求める者は少なくない。
ファッジ大臣は前大臣と比べれば凡庸だが、前職は魔法事故惨事部の副長であり、事務能力と人望に富んでいるため、平時の長として適任だ。
ボーンズ部長は魔法界の秩序を司る者として派閥に属さず、その公平性が信頼を生じさせている。それでいて人情を捨てたわけではない。前任のバーテミウス・クラウチに大きく差をつける人望がその証左だ。
「よう、飲んでるか大臣閣下!」
「おやおや、出来上がっているなルード。気持ちはわかるとも、アーマンドのベリー酒は格別だ。そちらの方は、あー、どこかでお見かけしたと思うが」
「ギルデロイ・ロックハートと申します、大臣閣下。古代魔法の研究をしつつ、バグマン部長の部局で調査の仕事をお手伝いしております」
「ああ、ギルデロイくんだったね。いや、すまない。この仕事をやっているとどうにも覚えなくてはならない名前が多すぎる」
「いえ、お気になさらず。今日覚えていただけるよう努力いたしますよ」
「君の話は私も耳にしているよ、実験的呪文委員会にもよく出入りしているとか。一番興味を示していたのがルーファスなのだが、彼は今日仕事でね」
闇祓い局長ルーファス・スクリムジョール。さらなるビッグネーム追加だ。ホグワーツで獅子と言えばグリフィンドールだが、魔法省で獅子と言えば猛将スクリムジョールを指す。
世界中を飛び回っている都合上、国際魔法協力部と魔法運輸部には少なくない知人がいる。その大半はギルデロイに好奇心ゆえの友好を示すか、無関心ゆえの淡泊さを笑顔で隠している。そのどちらもギルデロイにとって都合がいい。
しかし、ギルデロイは破滅を回避するためにもっと手を伸ばさねばならない。魔法法執行部、魔法事故惨事部、そして神秘部。3つのうち2つの鍵がここにある。
「ええ、委員会のウィンプル委員には学生時代から新呪文の開発でお世話になっていまして。今はエジプト式の防衛術にワガドゥで教えられている無杖魔法を導入できないか検討しているのですが、これがなかなか」
「ああ、なるほど。私にはよくわからんが、それはルーファスが興味を持つだろうね」
そうだろう、とファッジが話を振ると、ボーンズが静かに頷いた。
「ミスター・ロックハートの研究は闇祓いの損耗率を低下させる、魔法法執行部から資金援助をすべきだと熱弁していました」
「ほう、するのかね」
「ルーファスは一度も帳簿を見たことがないのでしょう」
「はっは、それはいかんな。ギルデロイくん、まだしばらくは独力で頑張ってくれ。もしくはアメリアを口説き落とすのも手だが」
「ボーンズ部長は私には高嶺の花が過ぎますよ」
「おや、振られてしまったねアメリア」
肩を揺らしながら笑うファッジに呆れたように首を振って、ボーンズはしもべ妖精からレモン水のグラスを受け取り、ファッジに差し出した。飲みすぎだと目が語っている。
ギルデロイにとって研究は生きるための方策を探る過程に過ぎない。言ってみれば副収入だ。それでも役に立つのなら都合のいいことこの上ない。
ギルデロイは指を鳴らして手の内に薔薇を生み出した。
「ボーンズ部長、よろしければお連れ様にこちらを」
「……なるほど、今のが無杖魔法ですか。間近で見るとなかなか興味深いものですね。スーザンのことはどこで?」
スーザン・ボーンズ。アメリア・ボーンズの姪だ。今年ホグワーツに入学する。
英国魔法界という狭い社会で名家の子息令嬢が今何歳なのか、どこに進学するのかなど耳を塞いでいても入ってくる情報だが、それでも出元を示したほうが心証はいい。スーザンは彼女にとって我が子に等しいであろう存在なのだから。
「ゴールドスタイン家のご子息からです。先日ゴールドスタイン家の蔵書をお借りした際に入学準備のお手伝いをいたしまして」
「研究者という仕事はなかなか顔が広くなるようですね」
「皆様のおかげでなんとかやれている、そんな具合ですよ。そのぶん魔法界に還元できればそれが一番だと思っています。よろしければ今度資料をまとめてオフィスのほうに伺いたいのですが――」
興味を示さずにナッツを摘まんでいたバグノールドが突如として声を上げた。
「コーネリウス、あたしゃ先に帰らせてもらうよ。あいつが来たからね」
「なんと、それは残念ですな。これからだというのに」
「あの白髪爺は会うたびにあたしを口説きやがる。顔を合わせないに越したことはないのさ。それと、お若いの」
老婆のそれとは思えない鋭い視線に射抜かれて、ギルデロイは一瞬体が竦んだ。
「閉心術の基本は?」
「目を合わせない、思考を無で満たす、平静を崩さない」
「よろしい。精々頑張んな。ゴールドスタイン家の先代がよろしく伝えてくれとよ」
それだけ言い残して、バグノールドはその場で杖を抜き、転移した。
ギルデロイの背筋に汗が伝った。ゴールドスタイン家を訪問した理由は一つ、開心術への対抗策を求めてのことだ。この一族には先天的な開心術師の才がある。当然、閉心術への理解もまた優れている。少なくない収穫があった。
すでに隠居した先代当主とは顔も合わせていない。存在を意識してすらいなかった。
東洋の物語に、猿と釈迦の話がある。猿がどこまで飛び回っても釈迦の手のひらから出られないというものだ。ギルデロイは猿、政治家たちは釈迦。
しかし、平静を取り戻さねばならない。
「相変わらず変わった方だ。さて、ミリセントが帰ったということはアルバスが来るということだね」
「ええ。大臣、ミスター・ロックハート、失礼します。スーザンを挨拶させて、それからお暇しますので」
「そうだな、それがいいだろう。あー、それから、ついでにルードを起こしてやってくれ」
ボーンズはいつの間にか床で寝こけていたバグマンに杖を向け、凍てつくような冷たい風を吹きかけた。
「ミスター・ロックハート。訪問の日時については後日ふくろう便で。ルーファスを捕まえないとスケジュールが確定しないため、少しお待ちいただきますが」
「ええ、ありがとうございます!」
「では、お先に失礼します」
ボーンズが立ち去ったあと、ファッジと二人のテーブルで一瞬の静寂が生じた。霜の降りた襟足を掻いて二度寝の姿勢に入ったバグマンの奇妙な寝言が挟まって、妙に言葉が詰まる。
あるいはダンブルドアが現れることへの緊張もあるのかもしれない。
ファッジはそわそわと広間の扉を見ていた。ダンブルドアの登場が待ちきれない、そんな具合だ。
「大臣、ダンブルドア校長とは親しくしてらっしゃると耳にしておりますが」
「親しい、まあ、そうだな。うむ。私は彼を友人だと思っている。ただ、彼には恨みがあってね」
「恨みですか」
「大臣の席を押し付けられた。毎日胃に穴が開く思いだよ」
「それは、なんとも……。私としては大臣の人望もまた唯一無二と思えますが」
「そうかね?」
「ええ。ミリセント・バグノールドから魔法省を引き継いだのは他ならない閣下なのですから。英雄という例外を除いて、閣下は魔法界で最も信を置かれているわけです」
もちろん、私も。そう付け加えると、ファッジは小さく息を漏らした。
「ありがとう。なかなかこの苦労をわかってくれる若者がいないのが最近の悩みでね。それに、私は友人として――おや、彼だ!」
広間の扉が自然に開き、白い髭を長く伸ばした老人が悠々と現れた。
出席者のほとんどが表情をいっそう明るくしている。アルバス・ダンブルドアの到着を喜んでいるのだ。
ディペットの前に進み、親しげに挨拶を交わした後、ダンブルドアはファッジとギルデロイがいるテーブルへと近づいた。