格ゲー全一Vtuber【完結】   作:難民180301

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デビュー前

「格ゲー全一(ぜんいち)Vtuberになろう、るーちゃんっ!」

 

 姉は突然にそう言った。

 

 雨音(あまね)瑠雨(るう)が目を覚ますと無数のカメラやディスプレイ、見たことのない謎の機材が勉強机の上を占拠していて、その機械群の真ん前で姉がドヤ顔をしていた。しかも瑠雨が昨日捨てたはずのアケコンまで抱えている。

 

 意味が分からなかった。ぶいちゅーばーと聞くとVトリガーかリバーサルの親戚だろうか。だとするとこの謎機材との関係は一体。

 

「まさかイヤとは言わないよね!」

 

 寝起きの頭に次々と疑問が浮かぶけれど、断られることなど考えもしない自信満々な姉を前に、瑠雨は何も言えなくなってしまう。姉がこの表情になるが最後、瑠雨に拒否権はない。

 

 あくびまじりに「はいはい」と了承すると、姉は笑顔満面で瑠雨の手を引き、機材に囲まれたディスプレイの前に引っ張っていく。画面には見たこともない二次元美少女と、アンインストールしたはずの格ゲーのタイトルが表示されている。

 

「姉さん、私、ゲームはもう……」

「いいからいいから!」

 

 瑠雨はせめてもの抵抗を試みたものの、問答無用でアケコンを手渡されディスプレイの前に座らされる。やっぱり拒否権はない。

 

 もうゲームはやらないと決意した。でも姉がやれって言うならやらないでもない。今回が最後だと覚悟してオン対戦に潜った。

 

 そうして対戦相手とのマッチングを待ちながら、瑠雨は十年と少しの格ゲー人生をぼんやりと回想する。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 雨音瑠雨はごく普通の少女だった。

 

 良い両親と年の離れた姉に恵まれ、愛されながら十七年生きてきた。姉は何をやるにつけても完璧にこなす天才児で、その才能に嫉妬することはままあったものの、比較され卑屈になるようなこともなくまっすぐで純粋に育った。瑠雨と姉は互いを溺愛するシスコン姉妹として近所でも学校でも有名だった。

 

 とはいえ姉に勝りたい気持ちがないわけでもなかった。

 

「姉さんのざぁーこ」

「きーっ!」

 

 たまたま自宅にあった格ゲーで、瑠雨が姉をフルボッコに処したのは小学一年の頃だった。

 

 才能があったのだろう。当時すでに中学生だった姉はムキになって何度も瑠雨に挑んだが、一度も勝てない。それどころか瑠雨は数時間で最大コンボと有利不利フレームの知識さえ天然で吸収し、ついに姉をパーフェクトゲームで連続完封するまでになった。

 

「ざこざこざーこ」

「こんのメスガキ……っ! 助けて熱帯の猛者!」

「もさもさ?」

 

 姉が頼ったのはネット対戦の強者たちだった。さすがに数千時間プレイしてる大人連中には勝てない。クソザコ姉ごときに勝って天狗になっている妹の鼻を明かしてやろうと思った。この姉にプライドはなかった。

 

「やだ、私の妹強すぎ……?」

「むふー」

「かわいい」

 

 瑠雨はやはり連勝した。ガチ勢の少ない平日の昼間という時間帯だったとはいえ、姉ではとうてい敵わない上位ランカーに楽々勝利してみせた。

 

 珍しく姉に勝てたことで気を良くした瑠雨は、格ゲーにのめりこんだ。小学生の六年間は帰宅後すぐに格ゲーを起動し、姉をボコボコにした後熱帯に潜る日々だった。当然勉学の成績は壊滅的だったが、姉と両親は「小学生の勉強なんざ漢字と四則計算だけ出来ればオッケーやで」と条件を出し、瑠雨はその条件を満たす最低限の成績だけを確保してゲーム廃人生活を続けた。

 

 しかし異物は目立つ。中学生活に入ると瑠雨の廃人っぷりは悪い意味で有名になり、しばしばからかいの種となった。

 

「雨音さん、ペックスやろ! 知らないの? じゃあスマブラ! これも知らない。えーじゃあ何のゲーム好きなの?」

「はあ、格ゲー? そんなマイナージャンル誰もやってないよ」

「あなたさぁ、いい加減気づきな? ぼっちだって」

 

 瑠雨が他のメジャージャンルの廃人であれば友達も出来ただろう。格ゲーは小中学生にウケが悪く、瑠雨は廃人ぼっちと化した。顔と格ゲー全振り女、胸に行く栄養を格ゲーに吸われたロリ、ゲームのセンスが世紀末な幼女などと散々な陰口を叩かれ、ときには面と向かって「時代遅れ」と言われたこともある。そのたび瑠雨は涙目になってこう返すのだ。

 

「お、お前らセビ滅できんの?」

「なんそれ」

 

 瑠雨は泣いた。ネタが通じない。保健室にこもって枕を濡らす頻度が上がり、保健室の養護教諭はハァハァ言って添い寝を試み、瑠雨は肘鉄を食らわして屋上へ逃げ込むようになった。それでも不登校にならなかったのはひとえに瑠雨の根性だろう。

 

 奇跡的に地元の公立高校へ進学すると、中学ほどの息苦しさはなくなった。というのもクラスには奇人、変態、変人に社会不適合者モドキなどの濃い児童たちがいたため、異物へのいじめが起こるはずもない。瑠雨はよくいるゲーム廃人幼女の一人として学校に馴染んでいた。

 

 クラスで軽くからかわれてから帰宅し、勉強そっちのけで格ゲーの熱帯に打ち込む。

 

 そんな生活に転機が訪れたのは、高校二年の秋だった。

 

「姉さん、ゲームやろー」

「はい、はい、承知しましたすみませんお願いします……はぁ……あっ、瑠雨、ごめん何?」

「……ううん、なんでも」

 

 年の離れた姉はとっくに社会人になっていて、休日の実家でも忙しそうにしていた。特に新卒で入った会社を辞めてフリーランスになってからは、仕事用の携帯がずっと鳴りっぱなしで、姉はそれに対応しながらパソコン画面とにらめっこをしているのが常だった。瑠雨と格ゲーをする時間はなかった。

 

 うぇぶでざいなー、しーじーもでらー。瑠雨は姉の仕事をそんな風に聞かされていたが、格ゲー用語以外のカタカナは宇宙言語みたいなものなので、IT系の仕事としか把握していない。

 

「もしもし……お世話になっております……本当ですか、光栄です! はい、はい、こちらこそ是非お願いします、はい!」

 

 姉は忙殺されながらも充実していた。ノウキが迫ると全裸でエナドリをキメて部屋にこもり、一段落つくと瑠雨の部屋に押しかけてきて、瑠雨を抱き枕にして死んだように眠る。全裸で。

 

 姉の女子力がゼロどころかマイナスの領域に突っ込んでいることは別にどうでもよかった。この時瑠雨が気にし始めたのは、将来のことだ。

 

「おはよー廃人ロリ(るう)ちゃん」

「うんおはよーテメー今何つった」

「普通にあいさつしただけだよ? それより進路の紙書いた?」

 

 初秋の朝、教室で唯一の友人とあいさつを交わす。一年たつとさしものぼっちロリにも同種の友人ができたのだ。

 

 むっとする瑠雨の睨みに構わず、友人は進路希望調査票、通称進路の紙を取り出した。大半の生徒が進学の2文字を記入するそれに、友人は大きな丸文字で「イラストレーター」と書いている。

 

「うん? この前エロ漫画家になるって言ってなかった?」

「方便だよー。こっちの方が聞こえがいいでしょ」

「方言? どういうこと?」

「気にしなくていいよ」

 

 瑠雨は気にするのを止めた。日本語よりも将来の方が気になった。

 

 高校二年の秋といえば卒業後の進路を考え出す時期だ。ことに瑠雨はきちんと将来を生きている姉と、将来を見据える友人がいるせいかとても不安だ。

 

「私はまだ決めてない」

「ふーん……あ、そうだ。冬コミに出す瑠雨ちゃんの監禁調教本、ネーム上がったんだけど見る?」

「はい焚書案件」

「ひどーい、あはは」

 

 友人は笑いながらスマホの画面を見せる。そこにはいやらしい姿に剥かれた瑠雨そっくりの二次元美少女がいやらしい表情でいやらしいおもちゃに囲まれている。そっちの知識にうとい瑠雨であっても何か後ろ暗いものを感じるイラストだった。

 

「はあ……」

「あれれ? 人を勝手にモデルにするなー、って怒らないの?」

 

 普段ならそうしただろうが、今の瑠雨にその元気はなかった。

 

 友人は絵がすごく上手い。イラストレーターの母親の才能を受け継いだらしく、小中学生時代はいくつも賞を受賞し、高校生になってからは母親のツテでイラストの仕事をこなすこともある。大手出版社からも声がかかっていて、卒業と同時に絵の仕事に専念する。

 

 きちんとした特技があって、将来も決まっている。

 

 瑠雨とは大違いだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 たたん、たたん、とテンポのよいタップ音が響く。

 

 アーケード筐体のボタンとレバーを個人用のコントローラーサイズにまとめたアーケードコントローラー。その上を瑠雨の細く白い指が走っている。動きに応じて画面上のキャラクターが機敏に技を繰り出す。

 

『YOU WIN』

「はあ……」

 

 ほどなく勝利に終わるが、瑠雨の気分は晴れない。将来が見えないからだ。

 

 プロゲーマーの夢は小学生の頃から考えていた。具体的な手順としては、どこかの格ゲーの大会で優勝して企業のスポンサードを受けて──そこまで考えると瑠雨はいつも、「めんどい」と考えるのをやめてしまう。

 

 そもそも瑠雨が格ゲーにハマったのは姉をボコせるからだ。格ゲーを毎日やり込んで姉いわく「プロレベル」にまで仕上げたのも姉をボコボコにしたい一心だった。

 

 だけど姉はもういない。遠いどこかへ行ってしまった。

 

「どうか安らかに、姉さん」

「勝手に姉さん殺さないで!?」

「んもう、勝手に入ってこないでよ」

 

 訂正、いることはいる。ノックもなしに瑠雨の部屋にやってきた。

 

 対戦に誘いたいのをぐっとこらえて、瑠雨は目も合わせずぶっきらぼうに対応する。

 

「なんか用?」

「用ってわけじゃないけど……最近、その、悩みとかない?」

「はあ?」

 

 あたふたと手をバタつかせる姉に、瑠雨は腹が立った。

 

「ほ、ほら、瑠雨ちゃん元気ないから、何かあったのかなって」

「……なんにもないわよ」

「でも」

「何もないって言ってんでしょ! 出てけ牛モドキ!」

「誰が牛モドキだっ、って痛ぁ!?」

 

 発育の良すぎる姉の胸部は当たり判定の塊だった。瑠雨の8フレビンタが横から乳を強打し、涙目になった姉を外へ締め出す。

 

 瑠雨はぷるぷる震えてその場にうずくまる。

 

「痛い……んもー!」

 

 手首を痛めていた。クソザコフィジカルの瑠雨はビンタの反動に耐えられなかったのだ。

 

 涙目で自室の床の上にのたうち回っていると、スネが勉強机にぶつかって追い打ちのダメージが入る。

 

 声にならない悲鳴を上げているうち、ひらひらと何かの紙が舞って床に落ちてくる。偶然にもその紙は、電源の入ったゲーム機の上に着地した。

 

『41』

 

 中間テストの答案用紙の一つだった。百点満点中の41点。教科は現国だが、瑠雨の成績は教科を問わずどれもこんなものだ。

 

「昔はすぐに……対戦しよ、って言ってくれたのに」

 

 姉が入ってきたとき、ゲーム機の電源は入っていた。ゲーム画面もディスプレイに映っていた。なのに姉は対戦しようと言ってくれなかった。

 

 当然だ。姉は毎日仕事で忙しい。ゲーム廃人な妹の相手をしている暇はない。きっと誘っても断られていたに決まっている。

 

 瑠雨は尺取虫みたく体をくねくねさせて床を這う。それから女の子ずわりになって、アケコンを膝の上に乗せた。

 

 格ゲーは好きだ。最初は姉をフルボッコにしたいだけだったけれど、知らない誰かとしのぎを削り合う緊張感、理不尽なキャラ差をプレイングでカバーし勝利する達成感は最高だ。

 

 だけど本格的なプロを目指すほどの『好き』じゃない。ぬるま湯の環境で強い相手に連勝を重ね自分は大したやつだと思い込み、気持ちよくなりたいだけ。何もかも半端だ。

 

 このまま中途半端な熱帯強者を続けていれば底辺私立大を受験する学力すら危うい。つまりは将来がなくなる。

 

 たっぷり三分くらいは考えた結果、瑠雨は愛用のアケコンを抱えて部屋を出る。

 

「お母さーん、燃えないゴミの袋ってどこー?」

 

 夕食を準備中の母親の背後、燃えないゴミの袋にアケコンを突っ込んで、明日の回収日に備え玄関に出し、清々しい気持ちで部屋に戻る。

 

 格ゲーの駆け引きでは一秒未満の取捨選択が迫られるため、上級者にあたる瑠雨の判断力はすさまじい。将来を考える上でもその決断の速さは活きていた。

 

 すなわち、

 

「現実はガー不なのよねー」

 

 そういうことである。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「るぅぅううちゃぁん!」

「な、なになになに!?」

 

 翌日の朝、寝ぼけ眼で朝食を食らっていた瑠雨は姉の絶叫に飛び上がった。

 

 仕事用の私服姿に身を包んだ姉は、ずんずん瑠雨に歩み寄って燃えないゴミを食卓に置く。中身のアケコンが照明を照り返し、両親が目を丸くする。

 

「おい、瑠雨これは……」

「どういうことなの瑠雨ちゃん! 格ゲーマーの命を捨てるなんて!」

 

 姉の怒声に声をかき消され父がしゅんと肩を落とす。母はあらあらと困り顔で推移を見守る姿勢に入った。

 

 一方渦中の瑠雨はというと、複雑な気持ちだった。嬉しいような悲しいような。玄関にブツを置いていれば姉が出勤時に気づくに決まっているのに、それを分かって設置していた自分に腹が立った。

 

 だけどもうゴングは鳴っているから、手始めにジャブを放つ。

 

「遅刻するわよ姉さん。今日大事な打ち合わせなんでしょ」

「……もしもしおはようございます小林さん。すみません妹が危篤なんで遅れます、はい失礼します」

「誰が危篤よ!?」

「危篤を超えた何かだよ!」

 

 通話中のスマホを食卓に叩きつける姉。スマホの液晶が嫌な音を立て、心配になった瑠雨が手を伸ばす。しかし姉は構わず畳み掛けた。

 

「瑠雨ちゃんがアケコン捨てるとか有史以来最大の事件なんですけど! 何があったの、瑠雨ちゃん!?」

 

 姉だけではなく母も、立ち直った父も心配げな目を瑠雨に向けている。

 

 無理もない。クラスメイトにバカにされてもあまりのガチっぷりにドン引きされても、テストで連続0点を取り親が呼び出しを受けてもゲームにのめり込んできた幼女廃人だ。そんな瑠雨がゲーマーの命たるアケコンを捨てるのは自決に等しい。姉が仕事をうっちゃり家族会議が開くのも当然の重大案件だった。

 

 家族の視線にさらされた瑠雨はぽつりぽつりと口を開く。

 

「私はね、不利フレームを背負っているの」

「……ふぇ?」

 

 姉はアホみたいな声を出した。瑠雨は無視して続ける。

 

「相手の持ちキャラは現実、こっちはゲームが上手いだけの高2女子。どう考えても対戦ダイヤ10−0よね。なのに現実はガー不技連発するし、こっちは常に画面端で不利フレーム背負って密着状態なの。おまけに体力ドットで向こうはゲージマックス……ここからまくるのはプロでも厳しいわ」

「んー……んん??」

「だから私は現実に向き合う。ちゃんと勉強してちょっといい大学行って、姉さんみたいになにかのお仕事について普通に生きる。そのために……捨てるの」

 

 父は首をひねった。母は静かに笑っている。

 

 姉は父と同じく首をひねっていたが、やがて食卓に激しく手を突く。

 

「だからって捨てちゃだめでしょ!」

「なんでよ。アケコンがあったら私いつまでも……」

「アケコンじゃなくって、試合! 瑠雨、あなた今、人生捨てゲーにしようとしてんだよ!?」

 

 はっと息を呑む瑠雨の肩を掴み、姉の熱い瞳が瑠雨を射抜く。

 

「キャラ差きついなら対策詰める! それでも無理なら公式に要望送りまくってアプデに祈る! 瑠雨はいつだってそうしてきたでしょ!」

「で、でも……無理だよ。私姉さんと違って要領悪くて……アプデしようにも元手がないもん」

 

 さらに反論しかけた姉は口をつぐむ。瑠雨が弱音と共に涙を流し始めたからだ。

 

 瑠雨は姉と違って要領が悪い。現実というクソゲーにおけるキャラランクは底辺も底辺だが、その限られた性能をすべて格ゲーにぶち込むことでプレイヤーとしての実力を伸ばしてきた。ここから普通の女の子にアプデするにはアイデンティティの格ゲーを放棄するのが必須となる。

 

「じゃ、じゃあ格ゲーのプロになるのは?」

「やだ。そこまで根性ない。ガチ勢とエンジョイ勢の間くらいでだらだらプレイしたいの……!」

「めんどくさ……」

「めんどくさって言ったぁああ!」

 

 無駄に地獄耳な瑠雨はついに号泣してしまう。処置に困った姉はとりあえず抱きしめてごまかす。妹の体は小学生のように幼く華奢だ。

 

 格ゲーは好きだしプロレベルの技術があるけど、将来にプロの道を選べるほどの根性はない。要領が悪いから他の道に行くには格ゲーをまるごと諦めるしかない。妹のあまりのめんどくささに姉も泣きたくなってきた。

 

 瑠雨は姉の抱擁を振り切ってその場を逃げ出す。

 

「はなせ巨乳! 私はもう格ゲーやらないからぁー!」

「あっ」

 

 二階へ上がっていった妹を追えなかった。瑠雨が姉のことを牛ではなく巨乳とののしるときは、本気で追い詰められたときだと知っているからだ。

 

「あらあら、困ったわねぇ。親としては、娘の更生を喜ぶべきかしら」

「えっ、お母さんさっきの説明理解してたの?」

「進路で悩んでるってことくらいはね」

 

 かといって、母も父も何か口出しすることはない。家族が悩みに悩んで選んだ将来ならどんなことでも応援する。それが雨音一家のスタンスである。

 

 しかし姉は別だ。瑠雨のプレイは確実にひと目を惹く花があるし、本人も続けたいと思っている。なのに人生捨てゲーして試合を降りようとしているのだ。これはいけない。

 

 どうにか今のまま、格ゲーに打ち込みながら別の道へ行く将来はないだろうか──

 

「あるじゃん」

 

 すぐそこにあった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「格ゲー全一Vtuberになろう、るーちゃんっ!」

 

 その方法を実践したのは、瑠雨が格ゲー断ちしてから一週間後の昼だった。

 

 格ゲー断ちの影響によりるーちゃんは休日に限り昼まで寝坊するようになり、突如乗り込んできた姉の言葉を理解できない。

 

「まさかイヤとは言わないよね!」

「姉さん、私、ゲームはもう……」

「いいからやる! やれ!」

「はいはい」

 

 謎のごてごてした機械を気にする余裕もなく、瑠雨はディスプレイの前に座る。それらの機材がバーチャル配信者御用達の一級品であり、しかも知らぬ間に自分がバーチャル受肉して初配信数秒前であることなど、瑠雨は想像さえしていない。

 

コメント:

期待の新人

告知見て来ました!

格ゲー全一とかいう強気な告知、ウソだったら切る

個人勢なのにもうlive2dと立ち絵あるのかよ

プロに外注すりゃ誰でもできる

この絵柄ハードな監禁モノで見たことあるゾ

格ゲーメインとは珍しい

 

 メインモニターすぐ横のモニターに流れる文字たちが目に止まり、瑠雨は眉をひそめる。

 

「姉さんなんか、変な文字が流れてるわ」

「今は気にしないで! 案外待機人数多いな……えーっと、合図したらこれ読み上げてね。なるべくかわいい感じで!」

「はあ?」

 

 意味が分からない。

 

 ただ、瑠雨は内心ウキウキだった。なんといってももう二度とやらないと決意した格ゲーをプレイできるのだ。瑠雨としては不本意なものの、強引な姉に無理やり『やれ』と命令されたらやらないわけにはいかないのだ。よってこれは瑠雨が決意を曲げたわけではないのだ。ノーカンなのだ。

 

 なのだなのだと口ずさんでいるうち、姉は緊張の面持ちで腕時計とにらめっこを始める。続けてテレビの放映前のようなカウントダウンが始まった。合図だろう。

 

10,9,8……2,1、ぜろ。

 

「はじめましてこんにちは、新人ぶいちゅーばーの雨乃(あまの)るー子です。姉にそそのかされて配信することになりました。好きなものは格ゲーと勝利、嫌いなものはダウナー調整と敗北です。はい自己紹介はこのくらいにして、さっそくプレイの方にうつっていきましょう」

 

コメント:

自己紹介みじかww

マッチングしながらあいさつをする女

モデルの動きすげーなめらか

ジト目幼女ちゃんペロペロ

この絵柄で幼女はすでに18禁

マジで格ゲーメインな感じ、いいね

姉にそそのかされたってどゆこと?

 

「あっ、きたきた。久しぶりだなぁ。ん?」

 

 マッチングを初めて数秒で相手が見つかる。ゲーム断ちの禁断症状で震える手を抑えながらワクワクしていると、肩を叩かれる。顔のすぐ横にカンペがあった。姉に視線を送るとうなずかれたので、読めということだろう。

 

「えー、実は私もともと格ゲーが好きなんですが、一人でトレモやってると寂しくなってですね。神プレイしてチヤホヤされたいなーって姉に相談したら、いつの間にか配信してました……えっえっ、そういう感じ?」

 

コメント:

なんで困惑してんのw

いつの間にかで用意できるクオリティじゃないんですが

ロリボイスは股間に刺さるからいいぞもっとやれ

困惑声だけで抜ける

待って待ってアカウントおかしくね

どこが?

 

 姉は『そういう感じやで』と言いたげに大きくうなずき、カンペのスケブを一枚めくる。新たなページにはバーチャル配信者について簡単な説明があった。

 

『バーチャル配信者とは、二次元キャラの立ち絵またはCGのキャラクターを演じ、ゲームや雑談など様々なコンテンツを配信する者のこと。要は画面右下のその子のこと』

『なんで普通の配信者じゃないのかって? 私が好きだからよ文句あんの』

 

「えっ、ちょ、え」

 

『いいから取り急ぎゲームやって! 三回勝ったらカンペ読んで配信終わるから!』

 

「わ、分かったわよ」

 

 ゲーム画面はキャラクター、ステージ選択を経由しロード画面に遷移していた。いつものルーチンでレバーをぐるぐる回しボタンを右から左に素早く何度もタップする。

 

 状況がまだ飲み込めていないものの、勝てば説明してくれるらしい。ならいつも通り勝ってさっさと姉を問い詰める。震えていた手と揺れていた思考が瞬時に落ち着き、対戦が始まる。

 

 相手の使用キャラはゲームパッケージを飾る主人公キャラ。飛び道具を打って対空で落とすタイプの古き良きキャラクターだ。

 

 最初のラウンドは相手のクセを見るため控えめに攻める。しかし大した変化もなく先取したので、そのまま次のラウンドも取って一セット。もう一セットも二ラウンド取って危なげなく終わり、二セット先取は瑠雨あらためるー子の完勝に終わった。

 

コメント:

RainySisterってこれ、このアカウントさあ

ランク1で草ww

マジモンのLP世界一じゃねえか

悲報、格ゲー世界ランカーバ美肉する

朗報なんだよなあ

14フレヒット確認してて草も生えない

有名な人なん?

トッププロにも何回か勝ってるガチ勢やぞ

こーれはきゅーちゃんが荒れるデースw

 

「……ひぐっ」

 

 マッチング待機画面に戻ったとき、瑠雨は鼻先が熱く胸が詰まって声も出ない。

 

 姉がぎょっとしてカンペを放り出しマイクに手をかけようとするが、もう遅かった。

 

「うえええ〜ん!」

 

コメント:

うるさwww

鼓膜ないなった

急にミュートになったぞ

なぜ泣くw

もらい泣きするからやめてくれ

鼓膜破壊音波

 

「ちょっ、るーちゃんなに、どうしたの!?」

「格ゲー楽しいよー姉さん大好きだよー!」

「はああぁ!?」

 

 わちゃわちゃしている間ににもマッチング設定はそのままなので、新しい相手との対戦が始まる。号泣しながらとはいえ世界ランク1は伊達ではなく、細かいミスはあったものの一ラウンドも落とさず相手を下し、鼻をかんだ。

 

コメント:

ぐずりながら圧倒してて草

鼻かみ音助かる

ちーんかわいい

この声姉さん?

姉妹百合てぇてぇと神プレイを同時に摂取できるのは強い

結局なんで泣いたんだよw

 

「そ、それは、それはっ、うれしくて……うわーん!」

 

 またも泣きながら3人目との試合を速攻で畳んでいく。特筆することもなく一方的に終わり、瑠雨は姉にティッシュでふきふきされながらシメのカンペを読み上げにかかる。

 

「本日は、ぐすっ、配信来てくださって、ありがとう、ございました……プレイだけじゃ、なくてっ、解説とか雑談とかっ、ひぐっ、幅広くやっていきますのでどうか、よかったらチャンネル登録、お願いします……!」

「えらい、よく言えた!」

 

コメント:

えらい

おいおいこの子情緒不安定かよ登録したわ

おじさんがなぐさめてあげようねぇ

姉妹百合に挟まる愚か者めが

世界一位で激カワ幼女とか登録不可避なんだよなぁ

収益化はよ

 

 最後にありがとうございましたで配信を締め、同時に姉がマウスを操作し配信終了の手順にかかる。

 

 メインの配信画面には格ゲーに代わり幼女の立ち絵が表示される。艶のある黒髪ボブカットとジト目、水色を基調とした道着とゴシックドレスを闇鍋したような一風変わった衣装で、前髪には雨滴型の髪留め。前腕と太ももを包む黒スパッツは白い肌と抜群のコントラストになっている。

 

 立ち絵といっしょに広告用トゥイッターアカウントと、登録とフォローよろしくねの文字が踊る。この画面のままエンディングっぽいフリーBGMと共にフェイドアウトさせ、手動で配信を切るまでが手順だ。

 

 しかし瑠雨は姉の目論見をぶち壊す。わざとではない。

 

「姉さぁん!」

「わっ、も、もう何! 急に泣くからびっくりしたでしょ!」

 

 霊峰級に発育した姉の胸に顔をうずめる瑠雨。咎めるような口調の姉だが、顔を上げた瑠雨の泣き笑いを見るや思考が停止する。

 

「私やっぱり、格ゲーやめたくない」

 

 瑠雨がとぎれとぎれ、精一杯に心中を吐露していく。

 

 瑠雨は格ゲー以外にできることが何もなかった。でもプロになるほどの気概はなくて、真面目な将来を目指すために格ゲーを止めようとした。

 

 だけどやっぱり格ゲーはすごく楽しい。密着有利から逆択を警戒しつつ択るときの意地悪な気持ち、体力ドットで不利と画面端を背負わされる緊張感、接戦を落とした悔しさ──たった三試合プレイしただけで、全部思い出してしまった。

 

 格ゲーを続けたい。将来を棒にふってでも、ゲーム廃人と呼ばれても。

 

 姉は微笑み、瑠雨の頭をわしゃわしゃ撫でる。

 

「知ってた」

「へ?」

「知ってたよそのくらい。だから配信しようって言ったの」

「えっ、えっ。ていうかカンペ読んでもよく分かんなかったけど、バーチャル何とかって?」

「世の中には、配信者って仕事があるの。ゲームしたりおしゃべりしたりするのをインターネットで、テレビみたいに配信する。それを面白いって思った人が応援する。今、るーちゃんがやったみたいにね」

 

 瑠雨はメイン横のサブモニターに目を移す。対戦中気になるほど下から上へスクロールしていくコメントは、今も流れ続けている。この文字たちが自分のプレイを面白がってくれたのだと思うと、胸が熱くなった。

 

「個人勢だからいろいろ大変だとは思うけどさ。るーちゃんがそんなに格ゲー大好きだっていうなら挑戦してみようよ。格ゲー全一Vtuber。大丈夫、姉さんが今日みたいにフォローするから」

 

 実際、姉はこの一週間で本業もそっちのけに妹のデビューを主導してみせた。LIVE2D作成と妹の友人にあたる絵師見習いに話をつけ、設定画と立ち絵を用意しただけでなく、各種SNSにアカウントを開設し告知もぬかりない。

 

 妹の夢と、売り込むべきかわいさの知識にかけては姉の右に出るものはいない。姉は妹限定のプロデューサーだった。

 

 頼りになりすぎる姉の言葉に、感極まった瑠雨が抱きつく。

 

「ありがとう、姉さん……!」

「ふっふっふ、どういたしまして。だけど大変なのはこれから……ん?」

 

 姉は石化したように固まった。

 

 サブモニター上を怒涛のごとくコメントが流れていく。そういえば配信終わったっけ。

 

コメント:

てえてえ

てえてえなあ

最高の放送事故やないか

気づいてえええマイクううう

いやもう一生続けてくれマジで

アホか、クリティカルな情報出る前にさっさと終われ

初回で身バレしてチャンネル終了はシャレにならん

チャンネルなくなったら応援どころじゃねーーーぞ

 

「どゆこと?」

 

 姉の視線を追い、瑠雨はコメントに気づくが事態が理解できない。

 

 首をかしげている間に姉は手早く配信を終了させ、PCの電源を落とす。満面の笑みで妹を振り返った。

 

「なんでもない、大丈夫っ!」

「汗ダラダラだけど……? え、あの、姉さん!? なに、何が起こったの、ねえ!?」

「なんでもないから! 機材ここにまとめとくけど触らないようにね、今後のことはまた明日話しましょうそうしましょう!」

 

 姉は有無を言わせぬ勢いで機材をひとまとめにして、最後に布をかぶせて部屋を出ていった。

 

 嵐のように過ぎ去った時間の後には、静けさだけが残る。瑠雨は大きく息をついて、ベッドに体を投げ出した。

 

 夢見心地だった。プレイするだけであんなに楽しんでくれる文字がいるとは想像もしなかった。配信者と呼ばれる仕事も聞いたことがなかった。何しろ瑠雨がネットで調べることと言えば、アプデの内容とキャラクターのフレームデータだけだった。ネット上のミームやサブカルの知識は皆無だったのだ。新しい世界に触れた瑠雨の頭はカルチャーショックで熱っぽい。

 

「姉さん……」

 

 そして何より瑠雨を興奮させているのは、姉だった。

 

『大丈夫、今日みたいに私がフォローするから』

「えへへぇ」

 

 もともと姉をボコボコにしてかまってもらうために始めたのが格ゲーだった。いつしか格ゲーそのものが大好きになっていたものの、やはり姉のことも変わらず好きだ。

 

「姉さん姉さん姉さん」

 

 瑠雨は気持ち悪い笑みのまま、小一時間ベッドの上をゴロゴロした。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 なお、この放送が終了して四十分後。

 

【切り抜き】初回放送で事故るもてぇてぇので問題なし【雨乃るー子】

 

 以上のようなタイトルの切り抜き(ハイライト)が無数にアップされ、界隈を大いに賑わせることになるのだが、それはまた別の話。


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