塔より舟へ、聞こえていますか 作:ニューラル・コネクタ
私は皆の過去を知らない。
私は過去の私を知らない。
〝ドクター〟と呼ばれはや数日が経つ。
私の記憶は一向に戻る気配がなく、私は朧げな記憶を頼りにオペレーターの皆を指揮している。
ロドス・アイランドとの関係は良好だ。
此処数日ハードワークが続くが、アンプルで集中力を補給すれば問題ない範囲だろう。
アーミヤや医療スタッフからは心配されているが、これは誰かがやらなければならない仕事だ。
しかし既に多分に働くアーミヤに任せるわけにもいかないし、ケルシーなど以ての外だだ。
彼女はこの製薬会社の肝とも言えるのだから。
「…とは言え、手伝いは欲しくなるな…」
しかし贅沢も言ってられない。
現在進行形で求人募集と、人材発掘を行っている。
新たな人材が来るまでは、私一人でこの仕事の山と向き合わなければならない。
周りに人がいない事を確認し、アンプルを注射する。
…体の不調が消えたかのような錯覚をする。
それを確認してから、私は仕事に取り掛かった。
…体を壊す、という指摘はもっともだ。
ここ最近、起きる都度に口から鉄の味がする。
目眩や頭痛なんてのはしょっちゅうだ。
それでも私はやらねばならない。
繰り返し抑えるが、私に記憶は無い
しかしロドス・アイランドへの恩義だけで動いている訳でも無いし、ましてや私の知らない〝過去の私〟のためでも無い。
───この身体が、やるべきだと叫ぶのだ。
…ある書に曰く、記憶は二つ存在する。
身体の記憶と、心の記憶。
身体の記憶は、全て無くなった。
私がどんな人だったのか、皆とどういう関係だったのか、そして私は何者なのか、その一切の痕跡は残されていなかった。全て忘却した。
残っていたのは、微かな証言のみ。
それも何処まで本当かわからない。
心の記憶の方はどうだろう?
私が思うに、こちらは些細ながらも存在する。
でなければ、早々にロドスを信頼などしないだろうし、共にチェルノボーグを脱したりもしてないはずだ。
そして何より…自分の体を壊しながら働く筈がない。
…こうなると、より過去の私が分からなくなる。
〝お前〟は本当に何者なんだ?
ロドスに対する病的な献身。
敵に対し殺意に溢れた作戦能力。
しかしその実研究者だという。
…私は本当にこの製薬会社の仲間なのか? いや、別に彼らが私を騙しているのではないか、という事ではなく、───私は本当は、もっと昔、それこそロドスが成立する前から、彼等と共にいたのではないのか?
「っ!? …っあ゛ッ…!?」
そこまで思考が至り、猛烈な頭痛がした。
頭に熱した鉄の棒を刺された気さえした。
まるで〝思い出すな〟と言われたような気分だ。
耐えきれず、机に倒れる。
机上の物ほとんどが床に落ちるが、朦朧とした意識ではそれを目で追うことすら出来ず、私は遠のく意識の中で誰かの逼迫した声を聞くことしか出来なかった。
「…テ…レ、ジ…ァ」
それが、意識を落とす前の言葉。
私が知らない単語であり、名詞であった。
そうして、意識はものの見事に暗転した。
■
夢、なのだろうか。
私は真っ白い部屋にいる。
男が、いた。
目の前の男は、私と同じ姿形をしていた。
私と彼の間には、机とチェスのセットがある。
男は席に指を指す。
座れ、という事らしい。
チェスを挟み、向き合う私と彼。
ごく自然に、ゲームが始まった。
特にする事もなかったからだ。
駒が動く、互いの歩兵がぶつかり合う。
騎士は不動ではあるが、僧侶の道が開いた。
互いの女王は不動のままだ。
…どうやら〝彼〟の戦術は、かなり攻撃的らしい。
多くの駒が死にながら、確かに成果を出す。
使い潰すよう、情けや容赦なく。
それがどうしてか、見ていて心が辛かった。
何にもかも顧みない、皆を置き去った戦術。
死者を積み上げ、確実な王手を淡々と狙う。
…限界が来るのは、明白だった。
私は、守りを固めた。
駒同士を助け合わせ、必要なら退避した。
犠牲を最小限に抑えた。
彼もそれを感じ取ったのか、戦術が変わる。
攻撃的な型が、より攻撃的に。
何かに追われているみたいだった。
「…悲しいな」
「何を、甘いことを」
ここに来てようやく、私達は言葉を交わした。
驚いたことに、声すらも同じだった。
それでも、対局は滞りなく進む。
…そして、彼に限界がやって来たのだ。
「後悔、してるのか?」
「…していた、のだろうか」
かたり、と彼の女王が討ち取られた。
城も、騎士も、僧侶も、もういない。
彼には、もう何も残っていなかった。
昇格すら、行えなくなった。
走って、急いで、焦って───その結末がこれだ。
何もかもを無くし、詰むしかなくなった。
それが、無慈悲な男の成れの果て。
…私という男は、そうだったのかもしれない。
私が記憶を失ったのは、それが理由かもしれない。
もちろん、この夢自体が私の悪感情の体現で、目の前の男は私の過去とは何ら関係ない可能性だってある。
しかし、それでも〝私はこうなってはならない〟ということだけは分かる。
「……分からない、分からないんだ」
彼は頭を抱え、今にも壊れそうな声を出す。
私は、もう彼を見ていられなかった。
悲しいとかじゃない。
ただ、本当に〝こうなりたくない〟と。
繰り返すが、なってはならないのだ。
「…君は何処かで、妥協すれば良かったんだよ」
…音楽が聞こえる。
それは勝利への讃歌であり、鎮魂歌でもあった。
私はいつの間にか銃を握っていた。
弾丸は装填されており、引き金は引くだけだ。
……音楽が、聞こえる
それは困難の最中に在った者への賛美。
どうか安らかに、そして永遠に。
お前は確かにここにいた。
───音楽が、聞こえる。
お前はきっと消えるだろう。
しかし私はお前を覚え続ける。
最期の瞬間まで覚えている。
お前が、私に受難を与えるならば───
「…幸運を」
「ああ、幸運を」
私は、その先に勝利を掴んでみせるとも。
犠牲を抑え、一人でも多くの命を繋ぎ止める。
それこそが、私が私に求める在り方だ。
そうして、私は引き金を引いた。
床には〝彼〟の女王の駒が転がった。
私達は確かに此処に存在する。
私の中で、お前は確かに存在する。
最期の瞬間まで、私はお前を決して忘れない。
忘れないことが痛みとなるならば、
それはロドスに勝利を与えるだろう。
そして、音楽は途絶えた。
番外編
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全てが終わった後のドクターの日記
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全てが終わった後のケルシーの日記
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全てが終わった後のアーミヤの日記