人間がもつ負の感情、陰の感情に引き寄せられる“羅刹”が存在し、人間がその負の感情によって死んでしまった時、その身体へ“羅刹”が乗り移り、“怪畏”と化してしまう
その“怪畏”を倒すために『憂羅アラキシ屋』を営む「四童子界」という人間?が奔走する
という話です。

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人物紹介

「四童子 界」
性別・年齢・出自不明
『憂羅アラキシ屋』を営む男(女)。本人は女と自称しているが、体格は男である。
その正体は“羅刹天”。仏教における十二天のうちの一つであり、訳あって人間として現代へ生まれ変わっている。

「一巴 渚」  
性別 男 年齢19 
ごく普通の大学生。父子家庭で育つ。
父との関係に問題はないと思っているが…

「猫間 零二」 
性別 男 年齢20
一巴の同級生、知人。
オカルト好きだが、心霊と都市伝説が特に好き。
一巴から話を聞き、興味を持ちはじめる。

「古鳥田 花」
性別 女 年齢19
一巴、猫間と同級生。面識はない。
とある事件により、身体と心に大きな傷を負う。

憂羅アラキシ屋、四童子以外の人物紹介

「矜羯羅童子」
三人の童子の中でおどおどしている
夕飯担当。

「制咜迦童子」
四童子に対してあたりが強い。

「阿耨達童子」
カタコトで話す。薬の扱いに長けている。

注意
この話は、インド神話、仏教等に登場する羅刹、羅刹天に関する部分を題材にして書いたものです。調べに関して甘い部分があります。
また宗派により違い等あると思われますが、そのあたりに関して深く考慮しておりません。
苦手な方、気になる方はご注意ください。



勧善懲悪、悪鬼羅刹

人を食う鬼のことを羅刹と呼ぶ。

その鬼神とされる、羅刹天。

仏教において羅刹天とは、毘沙門天へ仕える護法の神である。

しかし鬼神としての在り方が護法善神となる際に揺らぎ、統べられる羅刹の存在が狂い始める。

解決すべきとした毘沙門天は、あることを羅刹天に課すのだった。

 

“憂いを持って敵を討て

本当の敵は“羅刹”ではなく、別にある”

 

時代は変わり東京にて新宿、『アラキ町』に『憂羅アラキシ屋』を置くその男の名を四童子 界という。

 

正体は羅刹天、その御方である。

 

 

第一節 邂逅

 

 

「殺してやる…っ!」

 

ある男が、ある女を殺した。

男はその後を追って悲鳴も苦痛の声もなく死ぬ。

よく或る話である。よく在る話である。

高く並ぶ脆い塔の隙間でひっそりと起きたそれは、雨音にかき消され、流れる雨によって流れいずれ消えゆくと思われた。

人間の陰を嗅ぎ分け、それを餌とするもの。奴等はその男の物言わぬ身へと嬉々と飛び込んだ。男の肉体は、殺し損ねた虫がまだ微かに息を持つように、地面の上をのたうち回り口から泡となった唾液が溢れ始める。

男はゆらりと立ち上がり、女に跨る。

女は裂けた腹から血と腸が飛び出さんばかりに、男によってその力のない骸を揺さぶられる。

男は乳に齧り付くとその歯を突き立て、食いちぎった。雨に混ざる血が排水溝へと流れていく。

 

「…無法なり。無法な羅刹は我の餌食なり。

我の名は、羅刹の天に座す者。

羅刹天なり」

 

 

                ※

 

ある日天から降ろされて、人ともに見上げるこの身体として生まれ変わった。

とはいえその身は不思議そのもので、人のように弱くなく、病魔の一つも引き寄せない。

加えて美しい顔であるこの身体は気に入っていた。

一つ不満があるとするならば、人の身は天候一つで心の持ちようが変わること、さらには頭痛が増えたりすること。これさえなければ、人の身も悪くないと思うまでだった。

長く垂れた紫と黒の混じる髪を結い、横に流す。黒衣に金糸の走る着物を身にまとい、踵の上がった革靴を履く。

雨は上がり、晴れ渡った空が広がっていた。

 

「こんなに良い天気なのに」

 

人の世を嘲笑うように天は変わりなく照らし続けている。その様子がひどく残酷だと、四童子は思った。

 

「それにしても昨日の男、アタシが何度も忠告したのに…どうして言うことを聞かないのかしらねぇ」

 

ビルの隙間である女を殺したある男。

あれは以前に四童子の営む、この『アラキシ屋』へと相談に来た男だった。

女に心を溶かした男は、女の裏切りに耐えきれなかった。四童子はそれを何度も忠告していたのだ。男には“羅刹”がついている。人の陰を嗅ぎ付けて、どこへでもやってくるそれは、四童子の知るところにより産まれた魔であった。

今や人の世は、その陰に溢れ、陰を好む魔に満ちていた。日夜怪奇的な事件や事故が絶えないのはそれがわけであるのだ。

 

『アラキシ屋』はその魔を取り除き、滅すること。それが大きな目的であった。四童子はハァとため息を吐く。どの人間も抱え込む陰が重く、結果自滅するのがほとんどだ。ここに来る人間は色んな陰を抱えている。その陰に耐えきれず暴走するか、自滅する。その陰が大きければ大きいほど魔である“羅刹”たちは喜ぶのだ。人間達で滅ぼし合えば無論それは羅刹の良質な餌である。四童子の頭痛の理由でもあった。

 

「しどうじ。きょうもはげめよ」

 

四童子と毘沙門天に貰った名は、人間に生まれ直した羅刹天を監視するために寄越した三人の童子達、そして羅刹天を含めた四人を表したものだ。

四童子の他にこの『アラキシ屋』には不動明王の眷属である八大童子から、制咜迦童子、矜羯羅童子、阿耨達童子が人間として生まれ変わりやってきていた。童子の現す言葉のままに、人間の子供の姿として存在している。ご丁寧に全員とも甚平に身を包んでいる。

励めよ、というのは無論この世にある羅刹を食ってまわれということである。

偉そうなことをその姿で言われると無性に腹の底から熱が湧き上がる。人の姿だと感情の許容範囲もどうやら狭まるらしい。

願わくば、この『アラキシ屋』の扉を叩く者がいなければ良い。もはやそう思うまである。

しかしその願いはいとも容易く砕かれる。

 

           ※

 

扉を激しく叩き、転がり込むように入ってきた男を四童子達は囲んでいた。若い男は四童子の姿を目を点にしてしばらく見つめていた。

 

「た、助けてください!」

 

思い出したように突然話し出した男は、四童子達の目線の発せられる理由を感じ取ったのか言葉を繕い出す。助けてくださいと言われれば四童子はそれを聞き入れる他にない。

何を助けて欲しいのか、ここがどういう場所なのか、男はわからずのようだったが、自然とここへ駆け込んでいたらしい。この慌てぶりはどういうことかと四童子は男が大慌てで閉じた扉の前に立ち、覗き穴から外を覗いた。男はその扉から離れろと四童子へ怒鳴る。

怒鳴る理由には、板一枚挟んだ先に中年の男が体を揺らして立っていた。

あれに追いかけられてきたと男は声に涙を滲ませて、こうなった状況を四童子達に説明する。

あの男は自分の父親であった。朝起きると父は首を吊っており、床に落ちた手紙には自分を置いて先に逝く謝罪と人生に悲観したことが書かれていたという。男の手には血の滲んだ紙が一枚握られていた。しかし話は扉を叩く音で遮られる。

 

「な、ナギ、なぎ、なギさぁ、おい、ォい、オいデぇェエぇッ!!」

「ひっ…!」

 

男の父親だったという男は血走った眼が飛び出んばかりに目を見開いていた。“羅刹”が染み付いているのだ。首を吊るまではこんな姿ではなかったのだろう。一人の父親に過ぎなかった彼は、己の陰に耐えきれず自滅の道を選んだ。何が彼を蝕んだのか?それは彼にしか分からないことだろう。

男の名前を虚に呼びながら、扉を叩くその左手には少し褪せた指輪が嵌まっていた。

扉を叩く音や力が次第に強まっていく。頗る強靭でもない『アラキシ屋』の扉を壊されるわけにはいない。

 

「…“唵乃理底曳娑嚩賀”」

 

守り給え。命を脅かす魔から守り給え!

四童子の口から紡ぎ出された言葉は真言として人の世で広がった呪文であった。羅刹天である四童子がその言葉をもてばその言葉は実体を持って力を持つ。少し怯んだように見えたが、またすぐに扉へ身体をぶつけ始めてきた。

記憶にある父の姿とはもはや似ても似つかない変わり果てた異形の父に、やめてくれと息子である男は泣いていた。

 

「どうする」

「この程度抑えるのはどうってことはないけど、…ダメね。お天道様が座す間に来るなんて聞いたことないわよ!夜に活発になるんじゃなかったの?」

「しらなかった」

「し、ら、べ、な、さ、い、よ!!」

 

“羅刹”に憑かれた人間のことを怪畏と呼ぶ。

四童子にこそ、この怪畏を滅することができるわけだが、それには“四童子 界”の姿ではない必要がある。人から見られ、日中でもあるこの状況下で怪畏を喰うことは難しい目標であった。この思案の間にも変わらず怪畏と成り果てたそれがひっきりなしに扉を叩いている。時間や選択肢に余裕があるわけではなかった。ここで籠城していても埒があかない。一か八か、扉を開けた四童子に背後で男が怯えた声を出した。怪畏はくぐもった声を出して四童子に飛び付いてくる。口から溢れた涎がぶくぶくと泡立ち、舌を噛んだのかそこに血を表す赤が混じっている。怪畏は目の前にいた四童子だけが邪魔であり、四童子の身体を土台として蹴り、目的である息子の元へ向おうとした。

踏まれてしまった着物の汚れを心配しつつ、着物へのちょっとした怒りと息子へ向かう動きをそうはさせない、と四童子はその足首を掴み怪畏の動きを封じる。

そしてそのまま怪畏の身体を、自分が起き上がる反動の勢いで地面へと派手に叩きつけた。

怪畏の顔は床に派手に散る。とはいえ、四童子が元の姿で止めを刺さない限りはどのような姿でも怪畏は生きる。目を潰されて息子の姿が見えなくなった今は、やや大人しくなったようだった。

近づいてきた矜羯羅と制咜迦が怪畏の身体を縛り上げる。怯えて言葉を失っている息子の前で、単なる怪畏とはいえ見知った父の姿を形取ったそれを、目の前で酷い最期を迎えさせるのは四童子にとって趣味が悪いと感じた。人としての意識がそうさせているのかもしれない、と四童子はよれた着物を直しながら考える。

思考を逸らす為に部屋の隅で三人の童子に囲まれ椅子に縛り付けられている怪畏を見つめる。潰れた顔から逃げ出さんとする眼球が零れ落ちそうになっていた。

まだ問題がある。この今怯えている息子からも陰を感じ取れるのだ。彼がこの命の終わりを遂げた瞬間、その身を“羅刹”が蝕むのは確かだった。それでは今度は彼が誰かを襲うだろう。

それだけは防がなくてはならない。

 

          ※

 

「どうしてお父さんが亡くなったのか。

その原因はその紙に書かれてることが全てかしら。それとも貴方にしか分からないことはある?」

 

四童子は尋問を始めるように彼に向き合って質問を投げる。「渚へ」と始まっている彼宛の父親の手紙には、父親の思いが達筆に書かれている。だが微かに字が震えていた。死への恐怖なのか、葛藤なのか。もはや言葉を交わせるような状況ではない父親にその心意を問うことはできない。

渚と名の彼は、四童子の質問に答えられる様子ではなかった。着の身着のままといった状態で変わり果てた父親から逃げてきたらしく、足の親指には血が滲んでいたが、その怪我や痛みのことなど今は意識の外にあるのか、父親の姿を凝視して呆然としていた。

 

『自分の抱える陰に、人間が負けてしまった時

“羅刹”という魔がその骸に取り憑いて

“怪畏”となる』

 

この説明を渚にしたが、心ここに在らずの状態に語りかけても返事のひとつもなかった。

 

人間が陰に負け、怪畏となったところでどうせ己は解決できるのだから放っておけば良いのではないか。と常々四童子自身、思うわけだが、人間が陰が理由で命を絶つ、絶たせるという行為に問題があった。

それは、信仰されてこそ形を持つ神や仏という自分たちにとって母数の人間が減れば信仰する人間も減ってしまうことにある。

神仏の力やその存在というのは雲の上のひとであって、現世で生きている人間がそれを視認することや存在していると確信することはできない。『偶像崇拝』という行為がとられたのは目に見えない我々を意識する為だ。それでいても神仏の力、と言われても物質的な何かではなく概念に近いそれと言うほかない。

つまり概念的な存在とも言える我々にとって、信じ続けて存在を作り上げる人間の信仰行動は存在証明のためでもあるのだ。

しかし、人が神仏の力などと言ってくれるおかげで、神や仏の存在である我々が人世に干渉することもできた。

だからこそその信仰心が減れば減るほど、存在はもちろん干渉する力の弱小化も問題なのだ。

 

 

対して魔の力、人間の陰の力によって成り立つものは、人間の陰の気に強く惹かれる。

嫉みや傲慢というような人の感情から出来上がる陰は、人間が生きている限り生まれるし、生きている間に肥え続けていく。

さらに厄介なのが、その陰は人間が死してなお力を増すもので、人間の骸を苗床に住み着いて生きている人間を襲う脅威と化してしまう。

それを抑えるべくして四童子、もとい羅刹天は成敗せんと現世へやってきたのだ。

陰が全て害悪ではない。必要悪ではある。

しかし人間の陰を我らが救い、人間が我らを信じる。この摂理が成り立たなくてはならない。

この陰が全てを覆い尽くせば、人の世は暗雲が立ち込もるだろう。

四童子が悩む理由には、この怪畏や隠が最近そこらじゅうに増えてきて一日必ずどこかで起きるほど頻繁になりつつあることだ。

この一連の出来事には何か裏にあるはずと思いはするも、解決の糸が見えないままであった。

 

だからなるべく、“羅刹”が次の陰を嗅ぎ付けぬようにせねばならない、そのために父親を失った彼、渚から陰をとっ払っわなくてはならなかった。

しかし今の渚からは当分聞けそうにない。ひとまず彼の様子は童子たちに任せ、自分は別に調べていくしかない。こうしている間にも怪畏は増えているかもしれないのだから。

 

「まって……親父は、なんで…」

 

四童子が思い立ったところで、今まで黙っていた渚は、首を上げて彼を呼び止めた。

どうして、との問いにさっき説明した通りだと答える。そしてこの事で己を病んではいけないとも伝える。その時こそ“羅刹”が最も喜ぶ瞬間であると。渚は信じられないと言いながら、父親の姿を横目で見る。自分の最も知る姿がこうなってしまったことは説得力があるのだろうか。四童子は淡々と状況の説明をしながらも、人の心を折るには充分な絶望を与えるだろうと人の心が分からないなりに憶測を立てる。

渚への理解の時間を設ける必要がありそうだ。四童子の他にそう思ったのか、部屋にいる全ての者が口を閉じた。

渚自身はすすり泣く声だけを響かせていたが、次第に無言になっていき、ただ背が小刻みに震えていた。

 

「…親父が、どうして死んだのか」

 

渚は目尻に滲んだ涙を指で拭う。

状況への理解から少し落ち着いたのか自分の父親の話をぽつりぽつりとし始める。

悩んでいるように見えなかった、自分を父親一人手で育ててくれた、昨日も一緒に食卓を囲んだ、支離滅裂ながら父親の話をし始める渚へ、四童子は耳を傾ける。

彼の話を耳に入れながら、父親の残した最後の手紙を読む。

 

『渚へ。

父さんは、弱かった。

母さんが死んで、渚が大人になるまでは必ず育てるつもりでいた。

やはり私は強くはなかったらしい。

何度も渚を連れて、母さんのところへ逃げてしまおうかと思った。

だがそんなことを渚も母さんも望んではないだろう。

 

私は渚を育てた。それだけで粗末な私の人生には十分すぎるほど価値があっただろう。

渚。人生はとても長い。苦しいことも辛いこともある。その分素敵なこともある。

君が、素敵な人と出会って、その人生がより良いものになるように、母さんと祈っています』

 

これに感想を求められるのであれば、四童子はこう答える。

「人らしい典型的な文章だ、結局何が直接的な原因となったのかわからない」

と答えたくなるほどに、この手紙には漠然的であるのに「子を連れて先に死んだ母の元へ行こうかと思った」などと以前から悩みを抱えていたように仄めかしている。

人間の葛藤による心情の動きは神にすら予測がつかない。人間で言えば天変地異と同じほどのことだ。感情の弱強も同じで葛藤という感情には辟易していた。

これはなんの手がかりにもならないという気持ちは隠しつつも、その手紙を渚に返す。

受け取った渚は自分の父のようにこうなる人は多いのかと聞いてくる。

四童子は特に躊躇もなくそうだと返した。案外妖や魔というものは人間のそばにいるのだとも付け加える。渚はやはり信じられないという目をしていたがそのことを口には出さなかった。

 

「どうするつもりだ?」

「あ…あの、おとうさまはいま…き、きぜつしています、はい…」

「しびれちゃ、キいた。タブン、夜までおきない」

 

制咜迦、矜羯羅、阿耨達の順に四童子へ現状の報告と質問をする。それらに対して「そうねぇ」と小さく天井を仰いだ。

渚の父親に関しては、もう“羅刹”が取り憑いてしまってる以上、四童子がとる行動は決まっているわけだが。

問題は息子である渚自身であった。

先日の男女のもつれも四童子が相談に来た男から目を離したのが原因で、結局二人とも救えない結果となってしまった。まさか男が女を刺し殺すという行動を取るとは予想していなかったことが四童子の落ち度である。とはいえ、やはり人の情動というのは不可視の域だ。

どちらにせよ同じ下手は許されない。つまりしばらくの間、渚を一人にするわけにはいかなかった。

 

「まず貴方が同じ“羅刹”につかないようにしなくちゃあね。お父さんのこと、ちゃぁんと調べさせてもらうわよ」

 

四童子はそういうと、力のない渚を立たせて彼の家へと向かうのだった。

 

           ※

 

閑静な住宅街の中に佇む渚の一軒家は、なんの変哲もないただの家だった。彼の父が手入れをしていたという庭の芝生や植物は丁寧に揃えられている。玄関の表札には『一巴』と書かれていた。

渚にドアを開けてもらい、渚の後ろへ付いて家の中へと入る。

玄関の靴は散らばっており、朝方に渚が大慌てで家から飛び出てきたことが伺えた。

そのまま上がろうとした四童子に「靴は脱いでくださいよ!」とさっきまでの消沈ぶりはどこへ行ったのか、大声をだして渚に止められた。

四童子は面倒臭く感じながらも、踵の高い革靴を脱いで玄関の端に置いておいた。

各部屋へ続く廊下を歩き、居間へと足を踏み入れると二人で使うには大きな卓の上に冷めてしまった朝食が二人分置いてあった。

 

「…いつもなら親父が朝飯を作ってるはずなんですけど…今日は珍しく起きてこなくて、変だなと思って親父の部屋に様子を見に行ったんです。それで、…」

 

渚は言葉を詰まらせる。

その部屋で父は首を吊っていたのだと察して、ここで待っていろと四童子は伝えた。

 

階段を一歩ずつ踏み出すと、ぎし、ぎしと響く。

その部屋は階段を上り切って一番奥の突き当たりにあった。一番奥ともあって影になっており、とても日が差し込んで日頃から明るいようには思えない部屋だった。

扉を開ける取っ手に手をかけて、四童子はゆっくりと扉を開けたが、警戒するほど部屋に特別何かはなかった。部屋の中は暗く、昼間だというのに何がそこに置いてあるのか分からなかった。

一人の人間がここで、たった今朝生涯を終えた。

人間の死は必ず劇的に終わるものではない。死角から突然突き飛ばされて崖から落ちるかの如く予想もつかない死に方をするものだ。

しかし中にはその人生を緩やかに締め括るものもいる。短命から長寿なものまで…人間の命は限りはあるが限りのない存在である我々にとっては彼らの命の使い方は全く想像のつかないことで、まあ、唯一の楽しみな部分もあった。

だって神仏の暇つぶしは人世を眺めることしかないのだから。

四童子は誰にこんな言い訳をしているのか分からなくなって気を紛らわすついでに壁に手を置く。すると指先に何か無機質なものが当たる。どうやら部屋の電気のスイッチに触れたようだった。

電気をつけて、部屋の中へ一歩足を入れたところだった。

 

「…?」

 

四童子が足を踏み入れた瞬間、部屋の四隅から視線を感じた。

バチン、と大袈裟な音を立てて部屋の電気が消える。

それを合図にするかのように、部屋の壁に沿うように置かれている寝台の下から人間が呻くような声が聞こえ始めた。

四童子は床に這い、寝台の下を覗くもそこには何もいなかった。

肝試しじゃないんだから、安っぽいことをやるものだ。と四童子は内心いかにもな手段で脅かそうとする何かに対して嘲る。

やれやれ、と立ち上がり、ズレた着物を直しながら部屋をゆっくりと見回す。部屋の電気は反応しないようで、持っていた煙管に使うマッチに火を灯して部屋を照らすと暗い部屋の中で影が何かを形作る。

 

『なンだよ。オンナじゃねェなら、食えヤしネぇな。

骨太のオトコじゃネーかッ!キッショくわリィ』

 

目の前で蠢く影は、中年の男ほどの顔と身体は蛇のような形に変わった。男の顔は所々腫れ上がったり、爛れていたりで目も当てられない。

その男は四童子の姿を見て失礼なことを言ってみせた。どうやら四童子のことをただの人間と思っているらしく、容姿に自信のある四童子にとってお前に言われるか?と腹が立つ。

 

「次は女を食うつもり?醜男が選り好みしないことね」

『オトコの形でオンナごっこすル奴に言ワれたくねーなァ、…ンァ?何で、お前…人間ガどうシて、オレの姿が見えルんだ?』

「アンタが姿を隠す気もない馬鹿だからじゃない?それか霊感のある人間っているから、アタシがたまたまそうなのかしら?

理由はどうであれ、逃げも隠れもせず姿を出してくれたおかげで、手間が省けて楽になる。お前には聞きたいことがあるんでね」

『待テ、マて、何だオ前。オレの質モン無視してんジャねーぞ!

い、いヤ、「そんなこと」ヨりも、だ!

ただの人間が、陰もナシに俺の姿も声も分カるワケねェ!“あのお方”はそう言っテたんだ!』

「なに?今なんて言った?『あのお方』って言ったのか?誰のことを言ってる?」

 

この影、“羅刹”は四童子に馴染みのない言葉を連ねた。何のことを言っているのかと聞き返すも、マッチの灯火が消え、影は部屋の暗闇と一体化してしまう。続けてマッチを擦ろうとするも、もはや部屋の中にある何かを四童子は感じ取れなかった。

逃がしてしまったことをやるせなく感じながらマッチの火を手のひらで揉み消す。“羅刹”の残した言葉が気掛かりでしかないが、『あのお方』の推測も立てられない以上ここで時間を費やす意味はどう考えてもない。

気を取り直した四童子は直ったらしい部屋の電気をつけて、死に至った原因を探し始めた。

 

          ※

 

部屋を調べているときに何気なく敷かれた絨毯を捲った。四童子は本当に何気なくだったが、あれだけ典型的な脅かしで彷徨いていた“羅刹”があれだけで済むとはどうも思えず、長い爪先で絨毯を挟み上げたら、やはりまだまだ脅かし要素を残していたようだった。

絨毯下の床張りが歪んでいることがわかり、その床板を煙管の先でひっぺ返すと、赤く染められた古い紙に黒く何か紋様が描かれた古びた札が入っていた。何かと思った四童子がそれに触れたようとした瞬間、塵になってしまう。

赤い塵を指先で摘まむ。ただの燃えた後の粉で、匂いも特にしない。四童子の指先をほんのり赤く彩るだけだった。

まさかこれで何かを呼びだしているというのか?

 

四童子が部屋から出て階段を降りていくと、階段の下で渚が待っていた。何かアテになるものはあったかとの問いかけてきたので、あったと答える。しかしそれがどうやって父親をあの姿に変えたのか、そもそもそれがなんの影響を与えるのかは結局わからないままだと四童子は言う。

父の死因の一つだけでもはっきり分かっておきたいのだろうか。渚はどこか四童子に期待に似た感情を寄せていたようだが、返答はその期待を叶えてやれるものではなかった。

それのせいか「そうですか」とゆっくりと俯いてしまう。

四童子は彼の様子を横目で見つつも、それ以上の言葉をかけることはなかった。

           ※

 

今日のところは渚を一人にすることはできない、と四童子は彼を説得させて『アラキシ屋』へと戻った。阿耨達の飲ませた痺れ薬により、彼の父は糸の切れた人形のように椅子に座っている。しかし“羅刹”はいつ目を覚ます分からない。四童子は渚へこう告げる。

 

「お父さんはこれ以上保たない。楽に逝かせてやるならいまのうちかもね」

 

医者が死期を宣告するのとは違って、四童子は命の見切りを淡々と告げた。

渚は「楽に逝かせる」という言葉の真意を測りかねているようで、目に困惑の色を浮かべて四童子の姿を見返す。

 

「え…楽に…?ど…どういうことですか」

「言葉通りの意味よ。この状態で放置するのはお父さんも貴方にとっても苦しい。

そしてアタシもコレをずっと抱え続けるわけにはいかないし」

 

これ、と指す先は変わりきった父親の姿である。

確かにあのままというわけにもいかない、それでも何か救いの方法はないのかと渚は聞く。

その救いの術は医者に診せるわけでも、神に縋るわけでもなく、四童子自身にしかできないことだと、真剣に返す。

四童子はその言葉を強めた。

長く人間の身体に居座った“羅刹”がどのような怪畏へと成長するのか、四童子には予測がつかなかった。乗り移ってすぐに事を済ますのがほとんどであるために、これ以上の怪畏へと変化する姿を見たことがない。

さらには四童子にとって渚の父の部屋で聞いた『あのお方』という何かが、もしかして一連の何かに関わっているのかもしれないとずっと気掛かりでもあった。

『あのお方』という何かを通じて渚の父が変化したのであれば、今までこのような状況に遭遇していないが為に四童子はそれを早く確かめたいという心情であった。

 

「…四童子さんは…何かそういう専門的な人なのですか…?」

「え?…まぁ…そう、…そうなるのかしら?魔を祓うことが何かあるの?…そうなの?」

「にんげんのあいだでは、そういう“たぐい”になるのだろう。

おそらく“れいばいし”だ」

「“霊媒師”…ねぇ。…じゃあそれでいいわ。アタシはそういうことの専門…、…だからお父さんを預けて欲しい。

時間が惜しいから、家族最期の別れの時間ってのは取れないわ。

でも貴方から何かを伝えようにもきっと通じないし、そもそも貴方のお父さん自身は、その紙一枚だけで貴方と別れたんだから。

残酷だと思われてもしょうがないけど、お父さんをこのままにしておけばもっと最悪なことになりかねない。

お父さんを悪人にしたくないよね?

だったら、このままにはできない。

…分かってくれたかしら」

 

渚は四童子が何者かを聞き、四童子は現代でいう“霊媒師”にあたるのだと制咜迦に言われて、己のこれからする行為はその理に適った行動だということを渚に訴えた。

しかし渚には父の命をどうにかしようと言ってる中にも関わらず、自分の質問に対して相談する四童子達の会話がふざけているように聞こえてしまった。

渚は若干の怒りが芽生え始める。

 

「四童子さんの、言ってることは分かりますよ。…なにが起きてるのか俺にはさっぱりで、四童子さん側にしか分からないことがある…でも、…それなのに、親父を殺すかどうかは俺が決めろって言うんですか?」

「殺すかどうか、じゃない。殺すのよ。

アタシが殺す。アタシが言ってるのは、アンタの親父を殺すからってだけよ」

「俺の…俺の親父なんですよ、アンタら本当に霊媒師なのかよ!?殺すとか、そんな簡単に言うもんじゃないでしょう!?」

「じゃあなぜお前は父親から逃げてきた?

「人ならざるもの」だと確信してここへ駆け込んできたんだろう、それなのに何故、

父親を殺すことに躊躇うならなぜ逃げた?」

「それは……」

 

四童子は渚に問い返した。四童子の声や言葉には先程までの雰囲気はない。例えるならば、“人らしく”ないと渚は思った。

渚は項垂れる。

四童子の視界の隅で、渚の父の姿をした怪畏がピクリと肩を揺らしていた。そろそろ薬が切れるのかもしれない。

渚の返答を待たずに、四童子は怪畏の元へ歩み寄る。

制咜迦をはじめとした三人の童子が四童子と渚を交互に見るが、四童子を止めたり思い止まれというようなことは一切言わなかった。

もう時間はない。渚の返答を悠長に待ってられない。

 

「…だったら」

「…?」

「親父の…死んだ理由を、四童子さんが見つけてください…

殺すなら……殺すなら四童子さんが、…」

 

渚は俯いたまま、懇願する様に声を絞り出した。

怪畏はまだ項垂れているものの、四童子に首を掴まれて少しずつ目を覚まし始めていた。四童子から逃れようと力なくもがくなかで、項垂れる渚の姿を見つめていた。

 

「ナぎ、…」

 

呻きに近いそれは、最後に息子の名前を呼んだようだった。

俯いていた渚は、ハッと顔を上げる。

その表情は喜びの色で染められていたが、

 

「とうさ」

「ク、く…食、ぃ、食ゥううゥ」

 

四童子の背で小さな綻びが砕けた音がする。

それを合図に扉の取っ手に手をかけた。

何も知らない夜風は、気持ちよく吹き、四童子の垂れた一房の前髪を揺らした。

 

            ※

 

 

四童子は、渚の父を連れてある山奥へと向かう。

完全に薬が切れたようで、四童子に引き摺られながら四肢を荒々しく動かして、どうにか四童子の手から離れようとしていた。

山奥の深くまで来ると、四童子は襟を掴む手を離した。乱暴に離されたせいで、男の身体は面白いぐらいに転がる。

 

「吐け」

 

四童子は転がる男の腹を足で踏み抑える。その力に加減はなく、慈悲もなかった。四童子はただただ冷酷という二文字に動かされる操り人形のごとく、男の腹に、細く尖った棘のような踵が沈んでいく。男は痛みに呻いた。

 

「どっちにしろお前は死ぬ。

その前に言え。

この男の体を乗っ取ったのはこの男からの陰以外に何かあるか?

“羅刹”よ。言わねば…」

 

四童子の踵は男の腹を突き破り、腹に空いた穴から血がゆっくりと四童子の靴を汚していく。

男は低く呻く。

血の混じった息で弱々しく「言わぬ」と言った。

 

「そうか。ならば、仕方ない」

 

四童子は迷いもなく、踵を振り上げそのまま男の脳天へと下ろした。脳漿があたりに散らばる。それでもまだ微かに息をする身体を、四童子は長く爪の伸びた手で掴む。四童子の手に握られた男の首は絞られた雑巾のように皺が寄り、骨は魚の小骨のようにもろく折れた。

まだだ。四童子は、いや、“羅刹天”はそんなもので終えられない。

 

「貴様ら外道の 

天に在る我らが神の名を言ってみろ」

 

羅刹天は男の締め上げた首を持った腕を高く上げ、振り回し、そして遠くに向かって投げ離した。

山の奥で木に大きく当たる音と、ビシャリと水風船が弾けたような音が響く。

四童子の身に纏っていた服や靴は、四童子の身体に馴染んでいき、服の模様は、身体に走る禍々しい術の紋様となる。

浴びた血は四童子の肌が吸い取るようにいつの間にか消えていた。

次第に四童子の肌は夜に紛れるように黒く染め上がる。

額の肉を突き破って角が生える。

先程までの美しい四童子の姿とはまるで異なる、その姿は鬼とでも形容すべきか。

紫と黒の混じった髪の毛は先が鋭く尖り、髪一本が意思を持つように蛇腹に動く。

爛々と赤く血のような眼が暗闇の中で二つ揺れている。

醜き、鬼の全て震え上がらせる牛鬼蛇神のその姿。

この姿こそ、真の“羅刹天”!

“羅刹”を統べる鬼神、羅刹天、四童子 界の本来の姿!

鬼の叫びに烏が慌ただしく逃げ飛び立っていく。

月だけが羅刹天の姿を静かに傍観していた。

 

           ※

 

戻ってきた四童子は出た時と何ら変わりない様で戻ってきた。

三人の小さな子供(童子)が四童子の帰りに何の興味を示さないことや、四童子自身の落ち着きに渚は目を点にする。

四童子は渚の呆然具合は気に留めず、父親の死んだ原因について吐くことはなかったと答えた。

父の身体について聞くと、「骸に生身の人間が触れちゃダメよ」と、また渚には分からないようなことを質問の答えとしてきた。渚には四童子が返答をはぐらかしているようにしか見えないままであった。

四童子自身としては『あのお方』についても結局煙を掴んだ話にしか留まっておらず、何の進展もないままであることに不快感と脱力感があった。

そのことについて気がかりでしかない以上、これから先にどんな怪畏が表れてくるのか、考えるだけで四童子の気持ちは霧がかかるように曇っていく。

ともかく何処かでまた“羅刹”が人を襲うのを待つしかないのかと悩む気持ちを抑えるために煙管を咥える。

ふぅと息を吐き出せば、薄い紫の煙が部屋中に立ち込もり、渚の姿を煙で隠した。

 

「な…ナギサさま。

“ゆうげ”はどのようにいたしましょう」

 

紫の煙が晴れる頃、童子のうちの一人、矜羯羅が声を上げた。

 

「うちは日頃から真っ当な食事は取らないんだ。

だからこの子らが何を作るのか知らないが、きっと人に食えないモノを出すことはないでしょう。

多分…汁物と一膳と…山菜…?人ってこういうの食べてたわよね?」

「おおかた、そ、そのように…」

「だって」

 

キョトンと目を丸くさせている渚に四童子は夕飯の話を持ちかけた。今日一日父親のことで渚は何も食べていなかった。

四童子がメニューらしい何かを口に上げると、渚の腹が口に代わって答える。

 

「お…お願いします…」

「りょ…りょうかいしました。

ではそのように…」

 

矜羯羅は頭を軽く下げると四童子達へ背を向けて料理の支度へと向かう。

再び四童子は煙管を咥えて煙を吐き出した。

渚は沈黙に耐え切れず、煙の中の四童子へ声をかける。

父親は本当はこんな人だった、などと渚自身の思い出の話をし続ける。

しかし何かに思案しながら返答する四童子は相槌も煙に包んでいるようで会話は長続きはしなかった。

いっそのこと食事を早く食べたいな、と渚は思い至るが、ふと四童子が父親の部屋で見つけたと言う「手掛かり」のことを思い出す。

 

「親父の部屋で見つけた手掛かりってなんなんですか?」

「あぁ…赤い、古びた紙に…何か術が施されてそうな…」

「え?」

「お札みたいなものって言えばわかる?」

「なるほど…」

「それが部屋の床の板を剥がしたらあったのよ」

「床に、ですか?親父が?」

「絨毯で隠してた」

「絨毯…カーペット?親父…そんなとこに何かするような人じゃないと思うけど…」

「札に触ると塵になっちゃってね。今はお札としての原型はないけど」

「…そのお札をどこから手に入れたのか分かれば、何が原因であんなふうになったのか分かるんですかね…?」

「そうなるわね。ついでに『あのお方』っていうのも分かるかも。それにしてもあの趣味の悪い札はなんなのかしらねぇ、あんなのに“羅刹”どもが使役されてるっていうんだったら、アタシあんなに趣味悪かったかしら?

ダッサいお札…あんなもん作ったヤツさっさと止めないと、アタシがそういう趣味悪のヤツと思われるじゃない…」

 

四童子の小言がブツブツと聞こえてくるが渚にはなんのことかさっぱり分からない。

しかしそのお札とやらが父親がそんな趣味を持って買ったのだろうか。渚は父親の趣味を思い浮かべるが、家事以外の行動といえば庭の手入れぐらいしか思い出せなかった。

お札がどうとか、いよいよ現実味が無くなってきたな…と渚は若干の疲労感と非現実的なことに笑えてくる。

非現実的、…非現実的…

渚の頭にふとこういうあり得ないことに凄まじい興味を示す人物が浮かぶ。

渚の友人…とまでは仲良くはないが、こういうホラー的な話にやたら詳しいヤツがいた!

四童子にそいつの話をしてみよう、と渚の声は少しだけ浮き足立つ。

 

「えっと…四童子さん。

その札の話…なんですけど、明日俺の学校に来ませんか?

俺の知り合いにオカルトオタクなヤツがいて…」

「オカルト?オタク?」

「そういう類いに詳しいって感じです。

もしかしたら何か知ってるかも…」

「…ふぅん…」

「どう、ですか」

「他に手掛かりもないしねぇ…分かったわよ。明日ね」

「はい!」

 

渚の提案は四童子に許可されたようで、渚はガッツポーズを作る。これで少しだけでも父親の死の原因が分かれば、と渚は希望を見出せた。

少しだけ空気が明るくなったのを見計らったかのように小さく失礼します、と童子が声をかける。

 

「おまたせいたしました

かぶととうふのみそしる、しゃけのしおやき、はくまい、にございます」

 

湯気のたつ献立に渚は自然とゴクリと喉が動く。

父があんな風になって、…死んでしまったというのに自分の腹は正直に生きようとして腹の虫がグルグルと鳴く。

出された献立をじっと見て箸を持ったのに、その箸を進めない渚を見て四童子は不可解な顔をする。

 

「嫌いなものでもあった?」

「いえ、違う、んですけど。その…」

「何」

「俺…」

 

渚は温かな味噌汁の器を持つ。

その温かさと匂いに懐かしさを感じて、その懐かしさは父の姿のものだった。

 

「親父は…何が原因であんな最後を、選んだのかな」

 

たった昨日まで、何も変わりない父だった。

ずっと変わらない父の姿だった。不器用な人だったけれど、毎日食事を用意して、学校の行事にも必ず来てくれて受験や進路だって、他の家庭と何不自由なく支えて育ててくれた。父親だけで不便だと感じたことなんてなかったし、尊敬する人間だった。

けれど誰にも知られずに苦しんでいた。そしてひっそりと息を引き取ってしまった。

どうして一つも相談してくれなかったのだろうか。

どうして弱味の一つも言ってくれなかったのだろうか。

いや、俺は父にどう、接していただろう。

渚は、父親の表情が不思議と朧気にしか思い出せない。

父のことを思い出しているというのに、軒並みのことしか自分が言っていないことに気づく。自分と父親だけの明確な思い出が一つも思い出せなかった。

父のことを何も知らないまま、父は死んだのに、何故。

 

「どうして、俺は、呑気に腹減らしてメシ食ってて

何で俺は、明日も生きようとしてんでしょう」

 

四童子の表情は見えなかった。

味噌汁の入ったお椀を握りしめて、渚は味噌汁の中へぽちゃりと涙が滴り落ちるのがわかった。

泣いているのだと分かると涙が止まらなかった。

涙が出る理由が分からないまま、渚は涙をただ流し続ける。

 

「人間だからよ。

人間は身勝手に産まれるし身勝手に死ぬ。

明日死のうとする理由も身勝手だし、

明日を生きようとする理由も身勝手なもの。

腹を減らして明日を生きようとすることの何が悪い?

…『私達』としては少し困るけど、

何かに悩んで明日を終わらせることの何が悪いのか?

別に何も悪いことじゃない。人間って生き物は臆病で弱いから、何事にも考えすぎて生きてしまうんだろうけど、

どう生きようが、どう死のうが、『私達』にとっては平たく人間に変わりはないのよ。

ていうか早く食べなさいよ。冷めるから」

 

四童子は渚へ料理を催促させると、「食べたらお風呂入って寝る。寝不足の疲労も“羅刹”の好物だからね」と言い残し、部屋を出て行った。

渚には四童子の言葉の真意はわからなかったが、四童子の言葉で渚は理由のわからない罪悪感が少しだけ抜けたような気がした。

肩の力が抜けたのが分かると、自ずと味噌汁へと口をつけていた。

その味噌汁の味は父親の作る味と同じだった。

 

第二節 怨恨

 

「なんかのコスプレ…?」

「あんな人いたっけ…」

 

翌日、四童子へ昨日提案した“オカルトオタク”に話をするために四童子を渚の通う大学へと連れてきていた。

が、渚は四童子の見た目が奇抜なことをすっかり忘れていたために、何も考えず大学へ連れてきたのは間違いだったかもしれない、というほど視線を集めていた。

四童子の見た目は着物…?らしきものに踵の高いロングブーツ…(本人自身も元々背が高いようでさらに背が高くなる…)そして色の濃いサングラスをかけているし、紫と黒色が混じった長い髪の毛を結いて横に垂らしている、という四童子の風貌はどこから見ても奇抜そのものであった。

昨日はそれどころじゃなかったのもあり、渚は大学という平凡で日常的な空間に来て初めて、四童子の存在の異質さを思い知った。…よくよく考えてみれば、四童子は見た目も性別も言動も謎めいている。

昨日は何も考えず、とにかくがむしゃらだったせいで四童子の素性など考えてもなかった。しかし一度考え出すと気になってしまう。

 

「ところでアタシはどこで待ってりゃいいの?」

 

渚の四童子に対する詮索を察したかのように、四童子がトントンと少々強めに渚の肩を叩いて問いかけた。

この動作で確実に周りが「え?アイツのツレ?」というリアクションを取ったのが見てわかる。

 

「えと…話してた人と今から同じ授業なんで、四童子さんは学食のところでお茶でもして待っててくれませんか?

授業終わったらその人と一緒に四童子さんのところに行くんで…」

「うん」

「あ、あとここ禁煙です」

「はぁ〜?嘘でしょぉ…」

 

四童子に段取りと注意を説明すると、四童子はややすんなり(少し渋々)と渚の言ったことを守ってくれるようだった。

学食へ案内した後四童子と別れ、渚は教室へと向かう。

 

教室の中へ入ると生徒は疎らにしか居らず、陽キャやパリピと言った…いわゆる大声で騒ぐような生徒はほとんどいない。皆パソコンに向き合っており、各々が自分の世界へ没頭しているようだった。

渚自身派手な性格ではないのでこの授業でうるさい生徒がほぼ居ないのはありがたいものであった。

しかし授業への興味や関心具合はさほどないのだが。

教室の端で、後ろの席から数えて早い列の席へ座る。

ここは渚の特等席でもあり、目の前には件の“オカルトオタク”が座っていた。

 

「…なぁ」

「後にしてくんね。いま心霊研究サークルのチラシ作成で忙しい」

「何サークルって?」

「心霊研究サークル」

「ヤベー…」

 

虫のように丸まった背中へ声をかけたが、件の青年はサークル広告とやらに忙しいらしく、渚の言葉は耳を傾けてくれそうにない。それにしてもサークルの名前を聞いて彼のそういった趣味に対する熱意は伺える。

しかし四童子に連れてくると言ってしまった以上、彼の興味をどうにかしてこちらへ向かせるしか無かった。

渚は諦めることなく彼へ話を続ける。

 

「あのさ、怪畏って知ってる?」

「カイイ?怪異のことか?妖怪は専門外だけど」

「え、オカルト系列は好きなんじゃないの?」

「俺が好きなのは心霊とか都市伝説」

「よ、妖怪っていうか、なんかこう化け物みたいな…」

「だからそれが妖怪なんじゃないの?」

「違うんだって、えっと…確か、“羅刹”って聞いたことある?」

「羅刹?…宗教に出てくるやつ?

確か人を食う鬼とか…何?宗教学系の授業でも取ってんの?

俺その辺詳しくないよ」

「授業は取ってないけど、その宗教的な話って知ってるの?

じゃあさ、そういう“羅刹”ってやつがうろいてるって話知んない?あと“赤い札”とかさ…」

「は?何言ってんのか俺分かんないんだけど…

夢の話でもしてる?

チラシ作りで忙しいしそういうの他の人にして…」

 

彼は渚の、四童子の言っていた言葉を織り交ぜながらした話を途中までは聞いたもののなかなか尻尾を振ってはくれなかった。それどころか余計に呆れられた気がする。

これ以上彼にしつこく詰め寄るとウザがられてしまうような気がして、渚は背もたれにもたれかかる。

授業終わりにもう一回頼み込んでみるか、と気持ちを奮い立たせると、椅子の合間を生徒が通って行った。

するとその拍子で目の前の机から一枚の紙がふわりと舞い、渚の足元へ落ちていった。

 

「悪い、ちょっと拾って」

 

どうやら目の前の彼のものらしい。

チラシの本紙のようなやつだろうか。はいはい、と返事をしながら好奇心で拾い上げるついででチラシを見る。

 

(『猫間零二』っていうんだ…零二って、見た目によらずかっこいい名前してるなぁ)

 

彼とはこの授業で知り合ったほどでしかなく名前を聞いていなかった。それでいま名前をこのタイミングで知るのも変な話だ。しかし渚は彼の名前よりももっと目を引くものを見て思わず「あっ!」と声を出してしまった。

教室にいた生徒が一斉にこちらを見る。それに気付いて渚は軽く頭を下げた。

 

「さっさと返せよ」

「なぁ、このチラシに描いてるこれ!これって“赤い札”のことか!?」

「え?これが“赤い札”ってやつなの?」

「…赤い紙に、黒の術めいたものがあるって…」

「おい?」

「なあ、これって噂かなんかあるのか?都市伝説的な何かが?」

「最近Twitterとかで…界隈じゃ広まってるよ。

不気味で悪趣味な札の話。でもTwitterじゃ釣りが多くてさ、画像加工とかしてイイネ稼ぎしてる連中がほとんどだし。

全然信頼性ゼロ。

出どころもよく分かんないしさ。

…なんかよく分かんないけど、なに、一巴も興味あんの?

心霊研究サークル体験入部もあるよ、一年に混じってだけど来る?」

「…いや。逆に来て欲しいんだけど。一緒に」

 

渚は猫間のチラシをギュッと手に掴み、そう提案した。

 

           ※

 

渚と別れた後、四童子は煙管を咥えられない分、近くの自動販売機で缶コーヒーを一本だけ買い窓際の席を選んで座った。

学舎…という言い方は古めかしいが、そういった場所にこうしてやってくることなど珍しい体験だと四童子はしみじみ思う。授業中というのもあって生徒の数も少なく、概ね静かではあった。

しかし四童子自身の注目度がとてつもなく、身動き一つするたびに、そこらにいる生徒から視線を集めるうえにヒソヒソと声を潜めて何かを喋る声が聞こえてくる。

四童子の耳は彼らの些細な息遣いや声も聞こえるためうたた寝ひとつもできなかった。

渚が帰ってくるまでゆっくりしていられない上に禁煙と重なれば、四童子はここで拘束されることが早くも苦痛になり始めた。着物の裾を指先で弄って暇を潰そうとし始めた時、独特の匂いが四童子の鼻をくすぐった。

匂いの元を探れば、ある女が四童子のすぐそばで学食のうどんを手にして席へ座ろうとしているところだった。席へ座ろうとする彼女は四童子の凝視に気付く。

 

「…何ですか?」

 

彼女は怪訝な顔をして四童子を不審がる気持ちを隠しもせず睨み付ける。四童子は彼女の目を真っ直ぐに見つめ返した。

彼女は陰の力が強い。

それなのに絶望感よりも敵対心の方が強い。まさにいま四童子を睨むこの目がそうだと証明している。

それにこの匂いは、あの赤い札の塵の匂いそのものだった。

彼女は次の“羅刹”の餌食、怪畏になるかもしれない、四童子は人間らしい礼儀や挨拶を抜きに彼女の腕を鷲掴んだ。彼女がきゃっと短い悲鳴をあげたことで食堂内にいる生徒達がざわめき始める。

 

「ちょっ…離してください!」

「待って!あなた、“赤い札”を持ってる?」

 

四童子の問いに、彼女は一瞬だけたじろいだ。

これは…!四童子は確信する。彼女は誰かから“赤い札”を貰って今手にしているのだ、と。

 

「誰から貰ったの?それを持てって誰かに揶揄されたの?

それが何なのか、あなたは知って、」

「ぅ、るさい!誰か、誰か助けて!

警察呼びますよ!!」

「け、警察?待って、アタシはただあなたに聞いてるだけ、」

「痴漢!この人痴漢です!!」

「なっ、なんでアタシが痴漢呼ばわりされるのよ!?」

 

四童子と彼女の問答にいささか学食内の生徒達も奇異の視線の中に緊張感が走り、「誰か呼んだ方が…」などと何かを催促し始めていた。

四童子は若干の焦りから彼女の腕を離すと、彼女は一目散に人の海へと潜って逃げてしまう。待って、と四童子は彼女の背中を追いかけようとするも、誰かが呼んだらしい警備員によってその足を止める羽目になった。

 

           ※

 

『文化学部、一巴渚さん。

至急文化学部事務室まで来てください』

「呼ばれてるけど?」

「…え?」

 

授業の終わりを告げるチャイムが少し駆け足になったと思いきや、間髪入れずになんと渚を呼ぶ構内アナウンスが入った。何かまずいことをしたかなと一瞬不安が走るも、まさかまさか、このアナウンスを呼ばれた理由は四童子なのではないかと渚は直感で感じる。

やはり学校へともに連れてくるのはまずかったか、それもあるし四童子自身が「こんなことあるなんて知らなかった」と自分へ怒ってきたらどうしようか、などと渚は頭の中が整理つかずにいた。

猫間は渚が呼び出しを受けていることでついて来てって話は無理だなと言わんばかりに身支度を整えていた。おそらくサークルの準備なのだろう。渚は猫間の足をなんとか止める方法と、呼び出しの理由、四童子の対処とどうしたものかと決めかねていると、猫間が何かを書いた付箋を渚へ差し出した。

 

「呼び出し終わったら電話して。

図書室でチラシ作ってるし、その“赤い札”のこと、知ってる人に会えるんだろ?聞きたいからさ」

「し…知ってるっていうか、ネットよりは信頼できる情報を持ってるかもってだけで…」

「なんでもいいよ。そんじゃ、説教がんばって」

 

猫間になんとか興味を示して欲しいがために“赤い札”について知ってる人がいる、と渚は四童子のことを誇張して伝えてしまっていた。四童子自身も“赤い札”のことを詳しく知らないから、猫間のことを紹介し、そして話をつけてみると自分から言ったのに、猫間や四童子へ嘘をついてしまったことに罪悪感が芽生える。

でも彼なりにネットからとはいえ情報を持っているわけだし、四童子自身はその手の専門…の人なのだから、二人が会わないよりはまだいいかもしれないと自分の嘘を肯定しようとする。そうでもしないと、嘘をついたことへの言い訳が見当たらなかった。

(父親が死んだ理由を見つけるためだから)

と渚は気持ちを取り直す。

付箋には猫間の電話番号が書かれていた。

 

 

「彼は…いえ、彼女は、一巴君の知り合いですか?」

「あ、はい。…そうです」

「どういう関係ですか?一巴君、学校というのは基本生徒と教員以外の出入りは禁止です。

何か特別な事情がある場合は、事務手続きをとってもらわないと…」

「すみません…」

「それで、彼女…彼?は生徒に痴漢行為をしたそうで…

目撃した生徒がそう証言しています」

「ちっ、痴漢?」

「“彼”じゃないし、アタシは女!そもそも痴漢なんかしてないわよ。さっきからこの爺さんにそう言ってんのに全く信じないのよね。最近の人間ってなんでこうも他人に対して疑り深いの?そんな性してるくせに、神様は信じようなんて甘いのよ。…オ、オホン!で、警察に引き渡しますってうるさいから、アンタの名前出せば通じるって言って呼び出してもらったのよ」

「な、なるほど」

「一巴君…この方は一体君の何かな」

「えっと…この人は僕の親戚の…お兄さんで、その…今日は僕のサークルの活動を手伝ってくれるって言って…手続きとか知らなくて…すみません」

「サークル?君はどこかに所属してましたかね?」

「しっ、心霊研究サークルに、所属を予定してます」

「で…彼を連れてきたと」

「身内にその筋がいる…とよくいうじゃないですか。そういう…あれです」

「…そうですか。

ではお兄さん、貴方が生徒に痴漢をしたというのは?」

「(全然疑いが晴れてないぞ…)それは…」

「お兄さん…?…痴漢は冤罪よ冤罪。隣に座った女の子の肩に虫が止まってたから取ってやろうとしたら『キャー!痴漢ですぅ!』って叫び出したから大事になったのよ」

「そうですか。ではその女生徒の特徴は?」

「…黒い、前髪重めの…肩までの長さの髪に、地味な服着てた…あ、そういえば…顔の半分に大きなアザが見えた気がする」

 

事務室に来てみるや否や、まるで警察の取り調べのように四童子が拘束されていた。やはり四童子が理由で呼び出されたことに内心ホッとしつつも、苦しい言い訳を続けることに渚はこの空間から早く逃れたいと思い始めていた。

どうやら四童子が拘束されたのには、何やら生徒と一悶着あったらしいとのことで、四童子に疑われたものはなんと痴漢だと言われており、渚は何がどうなってそんな状況に陥ったのかわからないまま四童子を庇っていた。

四童子自身がそんなことをする人には思えないというのもあるし、何か理由があってこんな大事になったに違いない、と渚は信じていた。

その四童子とトラブルを起こしたらしい生徒の特徴を、四童子が並べると事務室長が言葉に一瞬詰まったように見えた。

渚はそんな生徒がいただろうか?と記憶になかった。

そして渚は、どうしてその悶着が起きた女子生徒がこの場にいないのか?という疑問に至った。

 

「…今回はとりあえず不問とします。

お兄さんは今後学校へ訪れる際、思慮ある行動をとってください。成人されてらっしゃるのだから。

そして一巴君は必ず許可を取ってからお兄さんを連れてくるように。

いいですね?」

 

事務室長は今度は打って変わって早く帰りたそうに口早に今回の騒動の許しを口にすると四童子と渚を帰らせようとする。急な態度の変わりように、渚が困惑しているのをよそに、四童子はゆっくりと立ち上がり「じゃ、帰る」などと言ってしまっている。

渚は自分の疑問を今ここで問おうか悩みつつも、事務室長へ頭を下げて四童子の後を追った。

背が高い分歩幅も広いのか、あっという間に先へ進んでいる四童子の背を追いかける。

 

「あの…」

「“赤い札”の匂いがした。アザの娘はその札を持ってる。

今度怪畏になるのはあの子」

「え、えっと?あの」

「アンタは?オカルトオタクと話ついた?」

「は、はい。呼び出しが終わったら電話してくれって言われてて…」

「ふぅん」

「呼び出してもいい…ですか?」

「好きにしなさいよ」

 

四童子は渚が何かを聞く前に、またも渚には理解できないことを早口に呟いた。

相変わらず四童子自身にしか分からないことだな、と猫間の電話番号を携帯の画面に入力する。

 

『もしもし』

「あ、俺だけど…」

『終わった?』

「なんとか…」

『なんか、食堂で痴漢事件あったらしいな。さっき他のやつが喋ってるの聞いた』

「あー…うん」

『で?今からそっち向かえばいい?』

「いや、こっちから図書館に行くよ。待ってて」

『分かった』

 

電話を切り、四童子を連れて図書館へ向かう。

向かうまでの間、特に四童子と話すこともなくなり、渚は頭ひとつ分高い四童子の横顔を見つめる。

よくみると綺麗な人だ。さっき事務室長に性別を聞かれて、体格や声から咄嗟に男の前提で話を進めたが、女性といっても通じる顔立ちをしていた。正直、四童子の素性は本人から一切聞かされていない。ただその筋の専門の人、ということだけ。…そもそもどうして変わり果てた父親から逃げてきた先が四童子の元だったんだろうか?あの時の自分は交番に向かおうとしていなかったか?この辺りの自分の行動はぼんやりにしか思い出せなかった。

四童子の奇抜な見た目に視線が行きがちだが、その顔は、なんというか“人ならざるもの”と呼ぶのが適していると渚は思った。息を呑むほどの美人とは四童子のことを言うのだろうか。というよりも、あまりに人離れしたその美しさが、一周回って恐ろしいとまで感じる。

 

(この人は、いったい何者なんだろう)

 

朝に感じていた疑問を再び思い出したが、四童子へその質問を投げることはいけないことなのだと何かが訴えているような気がして、ぐっと飲み込む。

一人勝手に思案を繰り広げていると図書館の前へいつの間にか着いていた。

 

「あ、ここが待ち合わせの場所です」

 

四童子にそう教えて図書館の中へ入ろうとすると、もう既に外へ出て待っていたのか、図書館の外にあるベンチに猫間が座っていてこちらへ「おーい」と手を振っていた。

 

「ごめん…無理言って」

「いいよ。“赤い札”ミステリー気になるし」

 

渚が猫間の座っているベンチへ駆け寄ると、猫間は持っていた携帯で何かを調べていたようだったが上着のポケットに強引に押し込んでベンチから立ち上がった。

渚と視線の高さが同じになった猫間だが、その視線の先は渚の背後だった。

 

「あの…」

「ね、猫間。

この人は四童子さん。その手のことに詳しい人。

そして四童子さん、彼が猫間です。言ってたオカルトに詳しいやつです」

「猫間零二です。…どうも」

「よろしく」

 

渚は初対面の彼らへ紹介させると彼らは愛想の一つも無しに挨拶を済ませた。

これは合コンじゃないんだから、何を俺は場の雰囲気を盛り上げようとしてるんだと渚は自分で自分にツッコミを入れる。しかし進行はすべきか?と悩み兼ねているところを、四童子があっさりと猫間に質問を呈した。

 

「“赤い札”を知ってるって聞いたけど、どう知ってるの?

使い道?それとも手に入れる手段?」

「信頼性は高くありませんけど、僕が答えられるのはネットで広まってる噂程度、それがどれくらいの規模なのかってぐらいです。でもお答えする前に一つ僕からも聞いていいですか?」

「何?」

「その“赤い札”は現実にあるんですか?

本当に怪奇現象が起きる原因の一つなんですか?」

 

猫間と四童子は早自己紹介をそこそこに、顔を突き合わせるや否や意見を交換し始める。渚は下手に口を挟む場ではないと早々に察した。そっと場を外れて近くにあった自販機でコーヒーを三つ買いながら、彼らの話を遠くで聞く。

 

「“赤い札”を持つと良くないことが起きるのは確か。

貴方がどこまで知ってるのか知らないから、突拍子もないことを言って変なやつって思われたくないんだけど、」

「“羅刹”がどうって話ですか?それなら昼間に一巴から聞きましたよ」

「あら、そう。それについても知ってるのね」

「調べて出る程度にしか知りません、人を食う鬼なんですよね?俺、宗教には興味ないんで教えがどうとかは知りませんけど…それと“赤い札”に何か関係があるんですか?」

「…具体的に繋がりがあるとはいえない、ただ関連性があるってだけ。そもそも“羅刹”の話についてするべきかしら?

アタシがこれからする説明に変な顔しないでね。

人間が持つ陰の力を好物にしてる“羅刹”は、人間が陰を理由に命を絶ったあと人間の骸に乗り移るの。

そして死んだはずの人間が動き始める。生前の陰を晴らすためにね、それを“怪畏”という。

そういうことは元々あったんだけど、ここ最近頻繁に起きてるの。それが“赤い札”が原因なんじゃないかとアタシは踏んでる」

 

四童子はふう、と一息つく。その息継ぎのタイミングで渚はコーヒーを二人へ渡した。

 

「さ、アタシは答えたわよ」

「すみません、その前にもうひとついいですか。

今日の痴漢事件で疑われた「目立つ人」ってあなたのことですよね?」

「痴漢なんかしてないって今日何回言えば良いの?」

「分かってます。本当なら今頃話せてないでしょうし…あの、それでアザのある女子に話しかけたんですよね?」

「そ、そうだけど。まさかそこまで広がってるの?」

「グループLINEで広まってて」

「は??」

「その女子に何かあったんですか?」

「あのアザの娘は“赤い札”を持ってる、とアタシが勝手に目星付けただけよ。彼女に聞こうとしたら逃げられて冤罪かけられた。割と根に持つからねアタシ」

「そうですか…ということは…」

「ちょ、ちょっと待って、一旦情報を整理しませんか、どこか建物に入って…」

 

せっかく渡したコーヒーは二人の手の中で黙る他なく、渚自身も静かにしていなければと思ったが流石に口を挟んだ。

四童子と猫間二人の会話の音量が大きくなっていき、またも通行人の視線を集めていたからだった。

 

          ※

 

場所を変える選択肢として『アラキシ屋』を挙げ、その提案に賛成をもらい、四童子、渚、そして新しく猫間を加え一行は『アラキシ屋』へと戻った。

猫間はノートパソコンとルーズリーフとペンを取り出して、四童子から聞いた話を書き留め始めた。ノートパソコンには渚が呼び出しで時間を割いている間に、猫間自身が知る範囲の“赤い札”についての話をまとめたワードファイルが広げられていた。

 

「げ、本当にアタシが映ってる…」

 

猫間の携帯の画像を見た四童子は、痴漢事件の発端となったシーンを撮られた写真を見て苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

「そのアザの女子の名前は『古鳥田 花』。知らないか?

風俗斡旋の被害者だよ」

「あ…聞いたことあるかも。サークルの先輩に騙されたんだっけ?」

「この事件が原因で顔にこんなアザができたらしい。

アザができる前、ミスなんとか候補にあがるぐらい美人だって噂になってた」

「ひどいな…」

 

アザの女子生徒の名前を特定した猫間は、彼女にまつわる話をしたが、渚はそれを聞いて思わず気分が悪くなってしまう。猫間は「だよな」と相槌をうち、眉間に皺を寄せていた。

 

「だからアタシに腕を掴まれて痴漢だって言ったのね」

「トラウマ的な…あるいは本当に四童子さんが痴漢したのか、ですね」

「そんなにアタシは不審者に見えるの?」

「猫間…」

「冗談だよ」

 

猫間が軽い口調で四童子の因縁を掘り返したのを、渚が戒めると四童子も軽口で返した。

『古鳥田 花』の話にどこか納得したような四童子は、彼女の言動の理由はそれかと言う。

 

「『古鳥田 花』と“赤い札”の関係は?」

 

猫間がそういうと、四童子は長い爪で『古鳥田 花』の映った写真の画面を叩いた。

 

「彼女が近づいてきた時匂いがした。

その匂いについて彼女を問い詰めたら、彼女は一瞬戸惑ってアタシを痴漢呼ばわりして逃げた。

彼女はアタシの目を真っ直ぐに睨んでいた。

あの子は何かに絶望してるというより、何かに対して相当な恨みがあるみたいだった…」

 

四童子は目を閉じて『古鳥田 花』と対面した時のことを思い返す。渚はなんとなくきな臭い話になり始めた気が薄らとしていたが、自分の父親のことも分からなかった自分に口を挟めるところなどないと思った。

 

「いま出ている話をまとめたら、『古鳥田 花』は過去に自分を辱めた奴へ恨みを晴らすために“赤い札”を使って何かやろうってことなんですかね。すごく簡略的ですけど」

 

猫間のまとめた話にうーんと三人はまたも頭を悩ませる。

 

「でも…それが妥当なのかな」

「そういえば“赤い札”の入手方法って知ってるの?」

「噂じゃあ、『裏アラキシ屋』っていうところで手に入るって」

「…え?」

「……え?いま、『アラキシ屋』って言ったわよね?

それ、今ここにいる場所なんだけど…それも憂羅って」

「いえ、四童子さんの言ってる憂羅のアラキシ屋ではなくて、裏のアラキシ屋らしいです」

「アタシ、頭がこんがらがってきた…」

「あ、あくまで噂なので。噂で広がる中で憂羅が裏になった…とも言えますけど、四童子さん自身がこの“赤い札”を知らないなら、辻褄が合わない」

「その裏アラキシ屋が実在したとしても、誰が“赤い札”を…?」

「…分かりません、誰もそれらしきことを何も言ってなくて」

 

四童子は予想だにしなかった“赤い札”の話の進展に顔が引き攣ってしまっていた。同名の店があるということ自体もいま初めて知り、それが事の発端だという可能性に四童子は頭痛がし始める。そして肝心の誰が広げているのか?ということは分からず、進んでるようで、進んでいない現状に四肢を放り出した。

そういえば今日吸っていなかったな、と思って煙管を取り出して口に咥える。仄かに燃えるマッチの暖かな火を眺め、煙管に煙草を詰めて火を点す。微かに紫に燃える火を眺めながら、息を吐き出すと、目の前で踊る紫煙が四童子の脳内にかかった靄をついでに連れていって頭の中をさっぱりさせてくれるような気がしたが、希望に反してますます思考の先が霧がかってしまう。

 

「じゃあ…今のところは『古鳥田 花』が“赤い札“を持っていて、疑わしいということしか、…」

 

猫間のまとめるような発言に、渚はハッとする。

そういえば呼び出された時、あの事務室長の態度は?

あれは唯一自分でも、変だと思ったじゃないか。

 

「さっき、事務室長が『古鳥田 花』の話をした後、急に四童子さんのことを不問にするって言って切りあげた…変だった、そもそもなんであの場に古鳥田さんはいなかったんだ?普通一緒に呼び出したり…」

「痴漢じゃないとはいえ、彼女は被害者だったんだから…加害者だと思ってる人に関わりに行くなんてできないだろ」

「そ、そっか。…いや、ならあの事務室長は何かおかしいよ。生徒の特徴をあげろって言って、四童子さんが話したら急に帰らせたんだぞ?…なぁ、その古鳥田さんの事件の加害者ってもう卒業してるのか?」

「多分な?…流石にどこに就職したのか?誰なのか?ってのは分からないけど…確か問題が起きた後サークルも潰れたし、学校中でタブーみたいになったんだよ。もう一年も経ったしみんな忘れつつある…」

「タブーにさせたんじゃないか?なら余計に、事務室長は古鳥田さんの事件に関わってるかもしれない」

「そうだとしても、それを誰に聞くんだよ?事務室長か?」

「古鳥田さんしかいない」

「本気か一巴」

「だって四童子さんがこの件を解決してくれなきゃ、俺の親父が…」

 

渚は自分の疑問を連ねているうちに、猫間へ自分の動機を言いかけてしまった。父親の為だという気持ちではあるものの、猫間へ昨日の出来事を言うのは何かはばかれた。

四童子に父親の命を託すかわりに、父の死んだ理由を必ず見つけることを約束したのだから俺はそれまでは四童子に解決してもらわなくてはいけないのだ、と渚は猫間へではなく自分へ言い聞かせた。

言葉に詰まったように途中で黙り込んだ渚へ猫間が不信な顔をするのと、四童子が煙管を吸い終えるのと、とある来訪者が三人の場へ入り込むのは同時だった。

 

「し…つれいします。

ナギサさま、おつれのかた、

“ゆうげ”はいかがいたしましょう」

「あっ」

「え…?」

 

四童子がもうそんな時間か?と懐中時計を取り出して見ると、時針が夕飯時を示していた。渚と猫間は四童子の顔を見て「食べていっていいの?」と聞いている。

 

「…ともかく、腹を膨らませて、清潔に、睡眠はたっぷり。

病は気からって言うのと同じで陰を溜めれば“羅刹”の良い餌食よ。

食べたら風呂に入って寝る。

明日は『古鳥田 花』を追う。以上!」

 

四童子は二人へ明日の連絡も合わせてそう言うと、ゆっくりと立ち上がって伸びをする。

今日はいろいろあって疲れた寝ると言って渚と猫間へ背を向けると手を振って部屋を出る。

残った猫間と渚も四肢を伸ばして体を伸ばし、食事を待ち侘びながら談笑を交わすのだった。

 

[newpage]

 

翌朝、渚はあまり乗り気ではない四童子をやや強引に連れて学校へ登校した。もちろん猫間も共に登校する。

昨日と変わらず、むしろ昨日よりも多めに視線を集めている四童子はサングラスの下でそこら中を睨みながら歩いていた。

 

「四童子さん、もっと無難な服はないんですか?」

「うっさいわね。たかが学校で見た目を気にする必要があるなんて聞いたことないわよ」

「四童子さんの場合は奇抜すぎて…」

 

猫間が四童子へ服装の話をするも、四童子は反論する。そのどちらの発言に渚は少し同感しつつも確かに四童子の装いは初めて会った時から変わらないままなことも感じていた。

黒地に金の糸が走り、鮮やかな紫の裏地から出来ている着物…のような服を着ている。和洋折衷のいでたちは確かに奇抜そのものだ。

 

「だから学校はついて行かないって言ったでしょ。アタシの洋服研究しに来たわけ?今日は『古鳥田 花』について聞き回るか、本人をとっ捕まえて“赤い札”について吐かせるかが目的なんだからね」

 

四童子は渚と猫間の背中をとてつもない音がなるほど強い力で叩くと、四童子はサングラスを外してこちらを見て何かを噂する女子生徒二人の元へ歩み寄った。

突然何するつもりなんだと言いたくなるほど突拍子もない行動をとり始めた四童子に渚達も、そして自分たちの方へ近づいてくる四童子に固まっている彼女達も驚きの感情に顔も身体も支配されて動かずにいた。

四童子は彼女達の前で立ち止まると、彼女達がもたれかかっていた壁へと手をついた。

 

(あ、あれは…)

(壁ドン…)

 

渚と猫間は俗に言う、あの行動…!とあまりに自然すぎる四童子の行動に、色んな感情をまとめてごくりと生唾を嚥下させた。

 

「君達…」

 

いまこの場にいる誰が出したんだと言うほどに低く男らしい声が渚達の耳に届いた。そしてそれが四童子から発せられていることに渚達は目を丸くする。声をかけられている彼女達からすると奇抜な見た目か、見た目と整合性のつかない声の良さなのか困惑してしまうだろう。

 

「『古鳥田 花』さんについて何か知ってる?」

「………ぇ?」

 

彼女達のリアクションは当然そうなるだろうと言いたくなるものだった。え?しか言えないに決まっている。

 

「古鳥田さんのこと今日見かけた?」

「み……てない、です…」

「顔にアザのある古鳥田さんのことだけど」

「は…い。その、古鳥田さんは見かけてない、です…」

 

四童子は彼女達へ顔を近づけ、近くなった耳元で彼女達に囁きながら質問を繰り返すものの、はぐらかしているか本当に知らないのか、あるいは四童子の行動に気が動転しているのか…欲しい回答は返ってこなかった。

それが分かると、四童子はさっきまでの歯が浮きそうで少し妖しげな紫色の空気感はあっという間に消えさり、「あっそう」と言って彼女達から距離を離した。

そして背を向けて渚達の元へ戻り、懐からサングラスを取り出してかけると「行くわよ。足で探すしかないみたいね」と普段通りの四童子へ戻っていた。そもそも普段通りの四童子と言えど、本来の四童子が彼女達に対するもので渚達の知る四童子が偽りなのか、はたまたその逆なのか分からないが…

 

「全く…『古鳥田 花』を見かけてすらないの?

あんなに目立つアザがあるのよ?」

「確かにそうですけど…今の四童子さんの行動で痴漢の話、ちょっとだけ現実味でましたよね…」

「なによそれ、どういう意味よアンタ」

 

渚はそういった扱いや空気に耐性がない。思わず昨日の四童子の冤罪はあながちそうではないんじゃないかと疑ってしまう。四童子にビシリと睨まれて渚や猫間は調べてきます!と半ば逃げ足で四童子から散り、『古鳥田 花』について調べて回った。

そして一日を費やして各自で新聞記事を調べ回ったりや学内を歩き回ったりしたものの、『古鳥田 花』に関した事件にはなんの収穫もなかった。が、『古鳥田 花』は学内でも有名な問題生徒だったと何人かの生徒が噂していることが分かった。

しかし容姿だけでなく成績の優秀さを視野にして選ぶミス候補に選ばれるほどであった彼女が、問題生徒と呼ばれることは辻褄が合わない。

その噂を証言した生徒達を四童子がまたも妖しい手段で尋問したところ、彼らは事件の後日から問題生徒であるという何の根拠もない噂を聞いたのだという。そしてその噂はおそらく、加害者によるもので自らの罪に向いた世間の目の先を変えるために彼女自体の品位でさえも辱めだのだろうと彼らは話した。それ以上のことは知らないと最後には泣き崩れたので、渚は彼らを解放した。

 

「聞けば聞くほど胸糞悪い話だよな」

 

猫間はウンザリだと言わんばかりに額を押さえて項垂れる。

四童子にとっても聞いていて気分が晴れる内容ではないが、古鳥田が知らないどこかで命を絶っていたらどうしようかという心配の方が勝っていた。最終の授業はもうとっくに終わっており、生徒の姿は渚達の他にいない。集まっていた図書館で閉館のアナウンスが入り始める。今日は一日中学内を歩き回ったつもりだったが古鳥田の姿は一切見かけることはなかった。四童子はあの“赤い札”の匂いが漂えば必ず見つけることができると信じていたが、先日の彼女の距離と今日の雑踏の中では差がある。自分の鼻を頼りにしてはならないなと思いながら渚達の後ろをついて歩きながら図書館を出たところだった。

 

「これは?」

 

四童子の足元に粘り気のある液体が広がっていた。思わず声を上げたが、渚達は見当たらない。たった今四童子の前で二人は会話をしていた、たった一歩、四童子が一歩進んだこの一瞬で何かが、誰かが二人を?

 

「まさか…」

 

四童子は急いで外へ飛び出す。しかしその四童子の視界に二人の姿を写すことはなかった。人身を依代にしているとはいえ羅刹天である四童子ですら、渚達をこの一瞬で仕留めたものの気配も感触も感じられなかった。考えられるとすれば古鳥田他ないが、どこを見回してもそれらしき姿は見当たらない。月が夜の雲に覆われていく。風景を黒で塗り潰したかのように、たちまち何も見えなくなる。

四童子は焦る。

 

『何に焦る?』

「誰だ!」

 

四童子だけしかいない黒の中で、色のない声が四童子の鼓膜を揺らす。その声は焦る四童子の様を見て可笑しいのか、湿った笑いを四童子へと向ける。上から品定めをするかのように見下ろされている感触に、四童子は上を睨む。しかしどこまでも暗い空が広がるだけであった。

 

『何を焦る?人の子命ふたつ、おまえが焦るほどの何がある?

鬼神たるおまえが?

よもや人の心色に染められたというのか?』

「貴様は何者だ、この我を見下ろさんとするか」

『人に落ちた天などあるまい

情が芽生えようなど笑止

貴様は天に在らず、しかして地に在らず

よもや人と同じ、弱くくだらぬ魔物よ』

「何を!」

 

曇天とした空は四童子へと落ちてくる。声は四童子の命を刺さんとする鋭利な刃となって四童子の元へと降り注ぐ。

四童子はその刃を避け切れずに、刃は胸の臓を貫いた。

 

           ※

 

「四童子さん、四童子さん!」

 

肩を何度も揺さぶられて、それが頭痛に響いて思わず飛び起きる。四童子はあたりをぐるりと見回し、そこが図書館であることを思い出した。渚が眉を下げて四童子の顔を覗き込んでくる。四童子は渚の目をじっと見つめると、渚は何故か顔を赤らめて顔を逸らした。

猫間は「起きましたか?」と一瞬振り向いて、またすぐに元の方へ向き直る。

 

「あれは…」

 

四童子は咄嗟に胸を押さえた。曇天の奥にいる何かと四童子は対峙していた。そしてそれが自分へ刃を振りかぶったその実感も四童子はしっかりと認識していた。しかしその胸に傷も痛みもなく、煙管の感触だけがわかる。

あれは幻覚だったのだろうか。それとも、人のいう夢、なのか。

 

図書館までの出口を渚達が先導し、その後ろを四童子がついて歩く。

 

「四童子さん、急に寝ててびっくりしましたよ」

 

渚はため息混じりで四童子へ言う。これは幻覚や夢ではない。おそらく現実なのだが、あの夢が生々しく、もしかしてこの場面自体が夢なのではないかと考えだしてしまう。

現か幻か分からぬまま、四童子は足元を凝視したまま歩く。

 

「うわっ、もう外暗いなぁ」

 

渚が出口の扉を前にしてそう呟いた時だった。

 

バシャン!

 

渚達の上空から硝子が派手に割れる音がして響く。まるで花火のように散っていく硝子の破片が四童子達へ降り注いだ!

四童子は咄嗟に渚達の背を押し、男子トイレの中へ押し込む。

 

「四童子さん!?」

「アタシが良いって言うまで出てくるな!」

 

ドアが壊れる勢いで扉を閉じ、四童子は服の裾で顔を守りながら図書館のフロントへと向かう。

そこには硝子を割ったものの正体が転がっていた。

 

「なっ…」

 

事務室長の亡骸が本棚を薙ぎ倒し、その血と臓で壁や床を赤く塗り潰していた。四童子の足元に粘り気のある液体が纏わりつく。ここまで酷く殺すことができるのは、“羅刹”に乗り移られた人間、怪畏にしか出来ない。

 

「アたし、アタし、許サ、ない」

 

声のする方へ振り向くと、倒れた本の山から『古鳥田 花』の身体が蠢いた。

 

『あタシ、』

「あなた…怪畏に…?…いや、違う!

生きたまま…!?」

 

古鳥田の姿をした怪畏は本の山を蹴り上げて四童子の腹を蹴り上げた。あまりに重い一撃に四童子は口の中で血の味が広がるのを感じる。

四童子は古鳥田の予想していない姿に、判断が遅れて身体全体へ鈍痛が広がっていく。古鳥田は生きていた。死んだ身体へ“羅刹”が乗り移った今まで通りの怪畏と違い、古鳥田は生きたまま“羅刹”へその体を支配させていたのだ。なぜ彼女がこのようになっているのかは分からない。しかし生きているのならば四童子が羅刹天にかわり古鳥田の姿となった怪畏を“喰う”ことはできない!

 

『アタ、アタ、あ、あー……許さネェッて、それは俺の話ジゃねェんダよぉ、俺ハ羅刹天を殺せッて言わレてるダけンだよ、お前の都合はシラねぇってんだ!』

 

四童子がどうしたものかと構えながら思案していると、古鳥田は低い声で唸り始めた。古鳥田は生きているからこそ、“羅刹”が完全に身体を支配できないということだろうか。

四童子は想像がつかないこの存在に次に出すべき手が見つからずにいた。だがどうにかここで仕留めなければ古鳥田は死ぬかもしれない。“赤い札”の効果でこうなっているのだとしたら!古鳥田は死なせずに“羅刹”のみを討ち取る必要があると四童子は改めて目的を考え直した。

息を一つ吸い、そしてゆっくりと吐く。

 

「羅刹よ。我を殺せと誰に言われたのだ」

『あァ?人間の手前ェに、言うワケが…あ?ンダ、お前…俺のことが…』

「あぁ見えるとも。貴様の間抜けな顔がな。人の皮を被っちゃいるが我こそ、お前とお前へ指示を向けた奴の目当てだよ。羅刹天に用があるんだろう?さぁ、何だ?

お前を殺す前に聞いてやる」

『ア、ア、あァァァ!!!』

「『羅刹の王』たる我に!

愚鈍な口を叩いた度胸は認めてやる」

 

四童子の正体を知った古鳥田に取り憑いた“羅刹”は、羅刹天たるその気迫に恐れ慄き発狂する。羅刹天に化そうとする四童子の額はひび割れた硝子のように砕け始め、その隙間から赤黒い角が生え始めようとしていた。

 

『ア、…カ、カカカカッッ!!

ソんなもの、知っテるさ!人の女のフリした人ならざるモノ、それが羅刹天だってコトをよぉ!』

 

しかし!発狂していたように思われた“羅刹”はそれはフリだと言わんばかりにけたましい笑い声を上げ始める。

 

『“羅刹の王”だっテ?いったいイツの話をしてやガる!

お前は“羅刹の王”なんかじャねェ、真の王はヴィビーシャナ様だ!』

 

“羅刹”は狂ったように笑いながら、四童子へ突拍子もないことを言い出した。羅刹の王である羅刹天を王ではないと否定した。四童子は思わず動揺してしまう。

そして“真の王はヴィビーシャナ”という言葉は四童子にとって衝撃的だった。

羅刹天、もといそれはインド神話における羅刹(ラークシャサ)の王、ラーヴァナのことである。そしてヴィビーシャナという名は、ラーヴァナにいる弟のうちの一人であり、ラーヴァナと対立、後に羅刹の王となる存在であった。

その名が“羅刹”の口から出てきたことに四童子は生唾を飲む。どうしてその名が、そして怪畏の一連の事件に何か関係があるのか?そして“羅刹の王”が違うと“羅刹”自身が定義しているのならば、四童子の“羅刹天”としての力は作用しない。その証拠に発狂したフリをしてみせた。

四童子は困惑してその場で固まってしまう。

 

『さァ、どうする?お前の目的は俺を食ウことだろ?

さっさと食エよォう。お前が“羅刹の王”だって言うならよ、俺諸共この人間の女を食ってみろよ?なぁ?

マだ生きてるぜ?生暖くて新鮮だ…アンタの好物だろ?

 

…『羅刹の王』よ。献上する、人間を!

さぁ、御身の手で、人間を!喰らえ!』

 

“羅刹”は四童子へ汚く、泥に埋もれたような声で叫ぶ。四童子は高く掲げた“羅刹”の手にある若くて美しい少女を見つめた。自らを『羅刹の王』と謳うのならば、それを証明してみせよと“羅刹”は言う。

いつしか忘れていたのかもしれない。この汚く醜い烏合の生き物共こそ、“羅刹”、そしてその王は羅刹天、人間を喰らう醜い鬼どもの王。彼らを淘汰せねばならぬ理由はなんだ?

そう、在れと…私は、誰に、そう言われたのか…?

“羅刹天”じゃない己とは?

 

四童子の頭の中で、眩い衝撃が走る。

 

「…ありがとう。

おかげさまで自分が何者かを思い出した」

『そうだろうよぉ!ホラ、食っテ、』

「涅哩底王、羅刹天、毘沙門天様の下に即す」

『アァ?』

「ゆえに人は食わず、人を護るもの。

ごめんなさいねぇ、アタシ、人間様の中では護法善神なんて呼ばれててさぁ。まあ、ちょっと強引だけど人を守らなきゃならないのよ」

 

四童子は不敵に笑うと、怪畏の元へ飛び込んでいく。

古鳥田の胸元へ手を伸ばし、フリルのついたブラウスを掴み力の限りで引っ張ると派手な音をして破れた。

 

『な、なンのつもりだァ!?く、食わねえって言ったか!?』

「あぁ、言ったよ!」

『“食わねえ”なら、テメェは!』

「そうだな、『羅刹の王』とやらじゃなくなるだろう。でもそれでも構わないんじゃない?真の王はアタシじゃないんだから。

アンタが『羅刹の王はヴィビーシャナだ』って“思い込んで”くれたおかげで、アタシの中から『羅刹の王』である必要がなくなった。完全に人サマの神様としてここにいれる。その女は食わない、そしてお前は殺す。真の王様とやらに伝えてちょうだい。“羅刹”共の躾はしっかりしろってね」

『ナ、な、な、……!!!』

 

古鳥田の薄い桃色の下着と豊かに膨らんだ乳房が大きく揺れる。そしてその胸の間に“赤い札”が身体へ溶け込むように貼り付けられていた。

 

「あった!

此れなるは悪しき術、人世から去れ、去れ!去れ!

“南麼三曼多勃馱喃 吃灑娑地鉢多曳莎訶”!」

 

その“赤い札”に向かい、四童子は印を結ぶ。

全てを破壊する呪文を唱える。真言の中に無闇に唱えるべきでない呪文だそうだが、それは人の話。四童子は何の躊躇もなく“羅刹”に向かって声を張り上げた。

 

『ア、ア゙゙、あぁぁア!!』

 

“赤い札”は四童子が唱えた呪文によって粉々に崩れる。彼女への依代がなくなった“羅刹”は古鳥田の身体から離れざるを得なくなった。しかし消えることを許されず、四童子はその“羅刹”を掴み口元に浮かべた笑みを深くする。

 

「人間の祈りの賜物っていうの?すごいわよねぇ、こんな物騒な術なんて作り出すうえ、手順を作るくせに結構荒っぽい人の性ってところに。

まあ安心しなさい、簡単には消しはしないから。

アタシに偉そうな口きいたのは認めてやるって言ったでしょ?」

 

あまりに呆気ない末路に“羅刹”の悲痛な叫びが響き渡った。

 

           ※

 

「出ていいわよ」

 

男子トイレの扉を少しガサツに叩いた音に、渚と猫間は恐る恐る扉を開けて外へ出る。あっちは見なくていい、と四童子がフロントの方に背を向けて壁になるため、渚達には何も見えなかったが、壁に赤い斑点が広がっていることからまずいことが起きていたのだということはわかった。

そして四童子の傍で気絶した古鳥田の姿にも驚いた。

古鳥田は胸を曝け出しており、渚と猫間は目のやり場に困って四童子へ何とかしてくれと叫ぶ。

四童子はたかが女の裸ごときに、と呆れながらも猫間の羽織っていた黒のジャケットを胸にかけて古鳥田を横に抱えなおした。

何が起きたのか聞きたいと焦る気持ちを見抜いているのか、四童子はまずこの場を離れてからだと言い、一行は四童子の家である『アラキシ屋』へと戻るのであった。

 

気絶した古鳥田の汚れ、傷付いた身体を三人の童子が拭き取りながら、渚達は四童子へ自分達をトイレに閉じ込めた後何があったのかを問いただした。

四童子は順を追って話すと前置きをして、やはり古鳥田は“赤い札”を使って怪畏となりかけていたと話す。しかしそれは従来通りの死んだ身体ではなく、古鳥田は生きたままだったこと、そして…

 

「…“赤い札”を使って何かをしている輩がいた。

『裏アラキシ屋』を営む、『二童 曜』という男よ」

 

四童子はそういうと煙管を取り、紫の紫煙を吐きながらゆっくりと目を瞑った。

 

           ※

 

『ま、待ッて、下サ、』

「待って待ってって、待たせてばっかじゃ飽きるわよ」

 

“羅刹”は苦しみもがきながら、四童子の手をかく。四童子はどこか楽しげにして“羅刹”の身体を狂わせていく。

 

「まずは何から聞こうかな?」

『な、なんでも話ス、…ます。ぉ、お願イだカら…』

「アンタ、さっきアタシに偉そうな口聞いてたくせに紙一枚破れて随分腰が低くなるわね?」

『そ、それは…』

 

“赤い札”が古鳥田の身体から離れた途端、四童子に対して恐れた表情を浮かべる“羅刹”を、四童子は油断しなかった。

どうにかあの場面は切り抜けられたものの、先程の四童子=羅刹天という“羅刹”にとって当然なはずの意識は、羅刹天は別なる者と認識していたせいで四童子の絶対的な気迫に押されることはなく、むしろ嘲ってみせた。

どうやら“羅刹”の恐怖は嘘偽りなく、目の前の四童子に対して恐れていた。

 

「それじゃあ、ヴィビーシャナの話をしてもらおうかしら。

懐かしい名前が出てきたもんだわ。なぜその名前が出てくるの?」

『ァ、あ…その、お方の名は…』

「言えないなら、」

『ぁアぁ!う、う、ヴィビー、シャナ、様はァァ…様ハぁぁ!!』

「うん?何を急に焦る?答えられないように封じられてるの?なら、あの女に憑いたわけを言いなさい、そして“赤い札”は誰が作ってるのかもね」

『ソれ、ハ…に、ニ、ニドウ、…ヨウ…』

「ニドウ?」

『ヌあァぁあ!!どうせ消えちまうなら、い、い、言ウぞ!

女に憑いたのは、お、オンナが『裏アラキシ屋』に来タからだ!お、オヤジをこ、殺シたいって、キ、来た。

に、……ニィ、ニィィ、ニドウ、ヨウ!!

ソイツ、ソイツ、が!俺を、俺をぉぉぉ…っ!!』

 

“羅刹”は身体中を掻きむしり始めた。羅刹天を前にした発狂か、と四童子はその様子を黙って見つめていたが、それは四童子によるものではないことに気づく。

ヴィビーシャナの名を出した時から、尋常じゃないほど汗を垂らし、目は焦点が揃わないようだった。

“羅刹”はこれでもかというほど身体を掻きむしると、身体中から血と肉が溢れさせて四童子の目の前で赤い塵となって消えた。

四童子は深くなる頭痛を少しでも浅めるために額へ手を付き、熱した思考を冷まそうとするも一向に止まない頭痛に四童子は近くにあったベンチへ座り込んだ。

分からないことが多すぎている。

流石の四童子も、分からないことへの苦痛による疲労で身体が鉛のように重くなる。しかし派手に割れた硝子の原の上で転がる男の死体と気を失った女の身体の中にいる自分は、いささか奇異そのものだと、四童子自身も理解して、重い身体と頭痛を引きずりながらも、渚達を呼びに向かうのだった。

 

           ※

 

四童子はいくらか自分の話を端折りながら話した。

人間だと彼らの中で通している以上、実は神様です、などと言うわけにはいかない。四童子は自分の話は終わりだと言って大きく背を伸ばした。

その背の後ろでのそりと体を起き上がらせる影が動いた。四童子の後ろにいたのは気絶して眠っていた古鳥田だった。まさか起きるとは思わなかった渚と猫間は驚いて声を裏返らせるが、そんなことは視界に入ってないのか古鳥田はむくりと起き上がり、辺りを見回した。

渚達の悲鳴で察した四童子は古鳥田の方を振り向いて、古鳥田の白い手を軽く握る。まだ完全に目を覚ましきれていなかったのか、虚ろな目が四童子の感触を探し出して視界に入れる。すると突然古鳥田は冷水を引っ掛けられたかのように目を開き甲高い声で短く叫んだ。

あぁそうか、と四童子は手を離す。古鳥田は握られた手を抑えて四童子のことを見る。四童子はその目を真っ直ぐに見返し、その目が初めて彼女と対峙した時と違っていることに気づいた。四童子を見つめるその目は、何かを恨み怒るような感情はなく、ただ疑問と、僅かに感謝の気持ちを感じ取れた。

 

「おはよう」

 

四童子がそう言うと、古鳥田は息をせずに張り詰めさせた胸の緊張を少しだけ解くのだった。

 

           ※

 

猫間は携帯としばらく睨みあいを続けて、自分達が四童子にトイレに押し込まれどうすることも出来ずに固まっていた時に起きていた、あの図書館の騒動の真相は事務室長の死体が転がっていたということに行き着いた。

それが怪畏となった古鳥田によるものだ、というのは四童子と渚、猫間しか知る由もない。当の本人は記憶が曖昧らしく、疎らにしか思い出せないと言う。

四童子は特にそれに触れることはなく、煙管を口に咥え、紫煙を燻らし続けていた。

途中部屋へ入ってきた矜羯羅童子が持ってきた暖かいお茶を手に持ち、時折口に含む。やがて古鳥田は落ち着きを取り戻し始めた。

 

「…あの」

 

湯呑みの中の茶を時間をかけて半分ほど飲んだ後、誰も話さず、ただ紫煙が踊るように揺れる空間へ古鳥田が声を発した。

 

「ん〜?」

 

四童子は煙管を口に咥えて四肢を投げ出している。

その姿は『一仕事を終えたサラリーマン』のようだった。

 

「…私、…四童子さんに自然と…引き寄せられるような気持ちでした。

この間の痴漢の時、…あれ、本当はもっと離れた別の席に行くつもりだったんです。でもなぜか、四童子さんのそばへ寄ってて…あれは、あの“赤い札”のせいなんでしょうか?

私、あれを持ったとき…四童子さんと出会う前でした、誰かの姿がぼんやりと見えて…何故かその人へ会おうとしてました。

現に…四童子さん、私と会った時、その紙のこと見抜きましたよね?」

 

古鳥田は四童子へ当時思ったことを話すと、四童子は「どっこらしょ…」と野太い声を出して古鳥田の方へ振り向く。

 

「“赤い札”がアタシを呼んでる!みたいな?」

 

古鳥田の話を黙って聞いていた渚は、その言葉の中に自分にも思い当たる節があった。

 

「俺も、あの時…必死に逃げて本当は、交番に逃げようと思ったんですけど…」

「えっ…?あなたも?」

「俺の場合は、…俺の父親なんだけど…」

 

渚は古鳥田の言葉に同調すると、これは一体?と四童子へ問いかけた。四童子は渚と古鳥田の顔を交互に見やりながら、肩をすくめて「さあね」と言い、それ以上は口を開かなくなった。

きっぱりと何の見解もいる見せない回答に肩透かしを食いつつも、四童子にも分からないことはあるんだなと二人は納得する。

古鳥田は自分が怪畏と呼ばれる異形の存在になりかけていた間のことは記憶にないと言った。ただ記憶にない部分の前に覚えていることは、鏡の前に自分がいたことだったという。

四童子の顔を思い出し、何か無性に怒りが芽生えた。

おそらく四童子の顔の美しさ、それに対する羨望の感情がかつての自分の美しいと言われたことへの渇望であり、それに火をつけたのだと古鳥田は自らの感情を噛み砕いて赤裸々に語った。

そして鏡に映る自分の酷い顔のアザに嘆き、こうなったきっかけ、彼女を辱めたことの全てを思い返して、気が付けばこうだったと、全ての顛末を語った。

 

四童子はその全てを聞いた上で、二つ質問を彼女へ問いかけた。今更この話を聞いて、彼女へかける言葉など有れば、彼女はこのような顛末にはならなかっただろうから。

一つ、事務室長を襲ったのは何故か

二つ、“赤い札”は誰から手に入れたのか

古鳥田は一つ目の質問の時点で眉に力を込めていた。

 

「アンタが酷い事件に遭ったことは知ってる」

「……」

「『裏アラキシ屋』へ訪れた理由はそれでしょ?」

「…はい」

「辱められた過去を変える為に?」

「…そんなものは変わりません。ただ、私はもう…世間から見られる目に耐えれませんでした。このアザも…根拠もない噂も、世間からの目は変わらない。…一生こんなふうに生きていくなんて…」

「貴方の他人に対する敵意は、その噂?」

「…私を襲った男は…スポンサーが付いた…スポーツ選手の道に進むことが決まってたんです。

学校としても看板生徒でしょ?

だから、私が元々そういう生徒で合意のもとでやったんだって…そういう話を捏造して流した。それがあの男なんです…」

 

それが憎くて仕方がなかった、と古鳥田は泣き始めた。

誰も古鳥田へかける言葉がなかった。

渚は、古鳥田の世間からの目に耐えられなかったとの言葉に自分の父を思い返す。父も、そんなことがあったのではないか?自分は何をしていただろうか。現に父が苦しんでいた理由も素振りもわからない。古鳥田のように、父親が苦しんでいることを、自分は見向きもしていなかった。

どうこの感情を言葉に表していいのか分からない。だが、父は“大丈夫”だと勝手に思い込んでいた。だから父の話など聞く気がなかった、弱音を吐く父の姿など見ていない。否、自分の存在が、態度が、吐かせなかったのか。それを知らないと言い訳をして一人の人間を突き放したのではないか?

 

渚は息が詰まる。

自分が父を殺したのではないか。

その思いが頭の中を駆け巡る。

渚が震え始めた自分の肩を抱えようとした時、四童子がその肩に触れていた。

 

「その理由はアタシに探させるんじゃなかった?」

 

四童子の言葉は、遠回しに渚の思考を否定しているように聞こえた。心の中が読めるのかと驚いて跳ねる心臓を落ち着かせるが、四童子は「部屋の空気が陰気臭いと、呼んじゃうのよ。やめてよね」としか言わなかった。四童子にとってどういう意図があったとしても、そのぶっきらぼうな態度は渚を少し冷静にさせた。

深呼吸をして、渚は立ち上がると、古鳥田の元に向かい、彼女の前でしゃがみ込む。渚に気が付いた古鳥田は泣き腫らした目で渚を見つめた。

 

「俺たちは信じるよ」

 

父親を苦しめたかもしれない己が何かを言える立場ではないと思う。自分の気持ちへの慰めなのか、父への償いか。情けないと思うこの惨めな気持ちが、古鳥田へ投げかける言葉としてそうさせた。父がどう思うだろう。恨むだろうか。父の経験がこうさせたと言えば、聞こえは良くなるが己の行動を肯定するようになってしまう。

だがそれでも、彼女に対してこうしたのは、“どうすることが正解だったのか”と後悔することはもうしたくなかったからだ。

 

 

              ※

 

蜘蛛の巣が張ったある一部屋

 

「あぁ、そう。バレたんだ。はははは」

 

男は椅子に仰け反って何やら楽しげに笑っている。

蜘蛛が糸を吐いて、男の座る椅子へ渡ろうとする。

男はその糸を手で切り、宙吊りになった蜘蛛を机の上においた。

 

「それで?ペラペラ喋った大馬鹿ちゃんは?」

 

蜘蛛は男の手を逃れようとする。

 

「あぁそう。死んじゃったんだね」

 

蜘蛛の胴が男の爪に刺さる。

 

「まあ…いいよ。兄さんぐらい賢い人ならいつか気付くだろうしね?

さあて、どうしようかな。

幻覚まで見せて煽ったのに、まさか兄さんが自分は人の神様だ、なんて言い切っちゃうなんてさぁ。

らしくないよ。兄さんは怖い怖い鬼の神様じゃなかったの?

羅刹天の姿で、羅刹をたくさん食べて、怖い怖い神様になって、そして俺に殺されて惨めに死なないとね。

どうしよっかなぁ。次は何で釣ろうかな?

人間と時間はたくさんあるから、楽しみだなあ。

…ね、四童子 界」

 

男は男以外いない部屋で誰かへ喋り続けることを辞めると椅子から立ち上がった。

扉を開けて、陰鬱とした曇り空を見て、良い天気だと笑う。

 

「あの…二童 曜さんですか?」

 

二童と呼ばれた男はにこりと笑う。空に反して晴れ晴れとした笑顔を浮かべる。

 

 

「えぇ。ようこそ、『裏アラキシ屋』へ」

 

 

 

       終

 

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




作中四童子が唱えた真言について
https://myth.maji.asia/amp/item_neiritiou.html
こちらのサイト様から引用しました。

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