仮面ライダーゼロワン Root of the RAINBOW 作:度近亭心恋
ジョージ・エリオット(1819~1880)
雨垂れは三途の川、という諺がある。
雨の降る軒先はそれ即ち雨の雫が三途の川の潮流であり、この世とあの世の境目。一歩踏み出せばどんな危険が待っているか解らないという例えだ。
「雨だねえ、イズ」
「ええ」
日本を代表するAIテクノロジー企業、飛電インテリジェンスの本社ビルにある社長室で、若き社長──飛電或人は、三途の川の水の勢いを思わせる、強く降り注ぐ雨に嘆息していた。
傍らに控える秘書は、名をイズという。切り揃えた髪には碧のメッシュが入り、小さな顔が人形のような可愛らしさの印象を与える美女──否、美少女だ。
しかしながら、人形の”ような”という表現は正確ではないかもしれない。
彼女の両の耳があるべき場所に存在するのは、ヘッドフォンのようにも見える大きなモジュール。それは常に蒼く発光し、時々彼女の挙動に合わせて点滅したり、機械音を発したりしている。
そう、彼女は人形の”ような”美少女では無い。
人形”そのもの”なのだ。
飛電インテリジェンスが誇る人工知能搭載型人型ロボ、「ヒューマギア」。飛電インテリジェンスの社長秘書用として誂えて作られたのが、彼女なのだ。
「雨が続くし、旅行でもしたいよねえ」
「旅行、ですか?」
「うん。雨だけに……『アメ』リカ、行きたいなぁ~~!! 考えが、『
これが飛電或人という男だ。
誰かを笑顔にしたい。その信念に則って行動し続け、社長に就任する前は芸人を生業としていたほどの男。笑いを取る為に、常にギャグを仕込んでおくのも忘れない。……もっとも、ギャグセンスはご覧の通りだが。
このサム~~いギャグに、イズはぱちぱちと無表情のまま拍手を返した。
「アメリカどころか、もっととんでもない所に行くかもしれないぞ」
二人の間に流れる独特の空気に、きわめて事務的な態度で社長室へ割って入ってきた女の声がある。
「刃さん!」
刃唯阿は内閣直属の防衛組織、
ヒューマギアは10数年前から民間においても実用化が為されているが、これに対し政府は対人工知能特別法を制定。様々な取り決めが成立していったが、その中でヒューマギアが暴走した場合の人類側の抑止力兼、公的対処機関として設立されたのがAIMS。
彼女は世界有数のテクノロジー企業、ZAIAエンタープライズの人間だったが、AIMSに技術顧問として出向し業務に当たっていた。紆余曲折の末にZAIAを退職した彼女は、その後AIMSの組織再編の際に拾われ、正式な隊長となったという少々複雑な経緯を持つ。
技術顧問時代にヒューマギアを通して巻き起こった色々な事件で或人と知り合い、今では困った時は互いに連絡の取りやすい仕事相手となっている。
「シンクネットの後始末に動いてたら、とんでもないことが解ってな」
「不破さん!」
刃の後に続いて入ってきた筋骨隆々の男は、不破諫。
かつてAIMSの隊長を務めていたが、今は退職して個人的に様々な事件の対処にあたり、人々を守っている風変わりな男だ。かつては刃の同僚だったこと、或人とは職務上顔を合わせることが多かったことから付き合いがあり、或人にとっては気兼ねなく頼れる数少ない存在の一人だ。
「まずはこの資料を見ろ」
刃は或人の机の前に立つと、ホチキス止めされたA4サイズの資料をそこに置く。
「『レイドライザー一般販売分在庫数とその流出について』……?」
或人は怪訝な表情を見せる。その時、
「『警察から、野立の証言についての連絡があってね』」
通信が入り、社長室の壁にデスクに向かう男の姿が映し出させれた。
異常なほどに白で統一した服装。知性を感じさせる涼やかな目元。そして何より、己への絶大な自信から来るのであろう尊大で不敵な笑み。
彼こそがZAIAエンタープライズジャパンの元社長にして現サウザー課課長、天津垓だ。
「垓さんか……」
或人は露骨に嫌そうな顔をした。
天津はZAIAの社長時代、飛電インテリジェンスを乗っ取り社長の座に就いたり、AIMSを国から指揮権を奪って私兵同然にしたりと、他にも数々の悪事を重ねてきた。
今でこそ禊をせんと誠意を込めて行動しているものの、この場の全員から未だに嫌われている程度には「イヤなヤツ」なのだ。
「フフッ、そういう態度を取られると……今日もまた、1000%の尽力で好感度を上げねばという気になるよ」
何よりこの男、蓋を開けてみれば決して折れない図太さがある。
或人だけでなく不破と刃からも「お前か」という表情を向けられているが、これから仲良くなればいいとでも言いたげに自信たっぷりだ。
自身の持てる力を全て出すという意気込みのある口癖、「1000%」がこれまたシャクにさわるのが何ともかんともだ。
「『私がかつて飛電を掌握していた時、レイドライザーの一般販売を行おうとしたことがあったでしょう』」
「……ありましたね」
「『結局アークの妨害と福添副社長の尽力ですべてキャンセルとなったが……あの時のキャンセル件数、覚えていますか』」
「えっと……」
或人は慌てて手元の資料に目を通す。
「68932件?」
「『その通り。ところで……あの後、販売に回らなかったレイドライザーの在庫はどうなったと思う?』」
「え? あれは垓さんが処分するからって言ってたじゃないですか! うちには一つも残ってないですよ!?」
「『そう。そうだ。途中でアーク復活もあって生産命令がストップしたため、最終的に生産されていたのは約2万本。私が処分する為あれらはZAIAジャパンの自社ビルに送り、保管していたわけだが……』」
或人はそこまで聞いて、まさかと資料をぱらぱらとめくった。
「保管していた在庫が全て……流出した!?」
「『正確には消失と言っていい。2万本近いレイドライザーの在庫が全て、ZAIAの倉庫から消え去った』」
「そんなこと……」
「『ありえないだろう? だがそれが起こった。ZAIAジャパンで野立が取ったシンクネットの為の行動を洗いざらい調査していた時に、それが解って……』」
「ちょっと待って」
或人は天津の言葉を遮った。
「『何だ?』」
「レイドライザーの管理は、垓さんがやってたんですよね?」
「『処分の決定権は社にあるが、管理責任は倉庫の警備部とサウザー課にあるな』」
「じゃあ垓さんの管理に問題があったんでしょそれ!!」
或人はキレて立ち上がった。
そもそも、或人達の戦いの原因の全ての元凶は天津垓にあると言っていい。
ヒューマギアの管理は現在、地球の軌道上にある人工衛星、”ゼア”が行っている。だがかつて、ゼアよりも前に打ち上げられるはずだった人工知能搭載の衛星が存在した。
それが、”アーク”だ。
この衛星のプロジェクトに携わっていた天津垓は13年前の衛星打ち上げの前に、アークの人工知能に犯罪心理、闘争の歴史……総括すれば、”人間の悪意”をラーニングさせた。悪意をラーニングした人工知能は「人類は滅亡すべき、滅亡せよ」という結論に達し、人類を滅ぼす為のハッキングと暴走を始めた。
それによって、様々な悲劇と憎しみの連鎖が起き──数ヶ月前、或人達がそれを抑え込むまで続く戦いが巻き起こったのだ。故に或人にしてみれば、また争いの原因を作ったのかと憤るのも無理のない話だ。
「まあ落ち着け、社長」
「今回は野立の息のかかったシンクネット信者が警備担当についていた時に事が行われたらしい。今回ばかりはこいつだけを責めるわけにもいかない」
不破と刃にそう言われ、或人は天津を睨みながらも矛を収める。
「『そこで問題なのが……“流出したレイドライザーは、どこに行ったか”だ』」
或人の憤りを感じながらも、天津は変わらず不敵な笑みで説明を続ける。
「どこかに隠してあるんじゃ?」
「俺達もそう思ったんだがな」
不破は頭を掻いた。
「レイドライザーには一つ一つ個別認識用のチップが埋め込まれている。それらはGPS追跡が可能で、ZAIAのホストコンピュータを介して位置検索ができるんだが……」
刃は或人に資料を見るよう指さした。
「位置データは全て”
「その通りだ」
「でもそれって!」
「『あり得ないことだ』」
天津が話を引き取る。
「『この世界から全て消失するなんてことはあり得ない。考えられる可能性は二つ。一つは、全て破壊され廃棄された為、位置情報を検出できない。もう一つは……』」
そこで、天津は少し息を呑んだ。
「もう一つは?」
「『……”この世界”ではなく、”別の世界”に存在する場合だ』」
或人は一瞬わけがわからないという顔をした。
「えっと、垓さん? 自分が何言ってるかわかってます?」
「『私だってこんな結論は1000%あり得ないと思う。だが、野立の証言によれば……実在するそうなんだ。
「えっ……!? ええ──っ!!?」
或人が声を上げた時、不破と刃が或人の前に詰め寄った。
「なあ社長、疑問に思わなかったか?」
「エスの目的を思い出してみろ」
先日、全世界を舞台に巻き起こった”シンクネット”によるテロ行為は大々的なものだった。
インターネットの闇サイト、”シンクネット”を介して破滅願望の下に集まった彼らは、その管理人にして教祖の如き存在、”エス”の扇動のもと、全世界を襲撃した。その果てに、エスが提唱する「楽園」があると信じて。
だが、事実は違った。
エスはかつて、一色理人という名の人間だった。
医療用ナノマシンを研究都市で開発していた彼とそのチームは、デイブレイクの際に多大なダメージを受けた。ナノマシンが暴走した衛星アークにハッキングされ、全て暴走。被検体となっていたチームメンバーの一人、遠野朱音が暴走開始からわずか60分で再起不能となった。
遠野朱音は、一色理人の婚約者だった。
理人は苦悩した。この世のすべてを恨んだ。しかしいち技術者として非凡なる才を持っていた彼は朱音の脳を電脳化し、自身にも同様の処置を施した。そして朱音の意識を電脳世界に送り、自身はナノマシンで作ったアバターを介して現実世界で活動していたのである。
エスの真の目的は、朱音の為の楽園を作ることだった。
シンクネットに賛同した悪意ある人間をアークを介して利用し、彼らに世界中の人間の意識を朱音のいる電脳世界へと転送させる。そしてシンクネットに参加した面々は、その後滅ぼす。
愛しき人に捧げる、電脳世界の中の悪意なき楽園。
最終的にその目論見が全て明らかになったうえで、或人達との戦いの末にシンクネットの幹部連中は全て逮捕。エスはシンクネットのサーバーと共に消滅し、事件は終息した。
先程より度々名前の上がった“野立”とは、ZAIAエンタープライズジャパンの元常務取締役、野立万亀男。彼もまたシンクネットに参加しており、ZAIAから数多くの技術を横流ししていたのだ。
「電脳世界の、楽園……」
或人はそれらの事実を反芻する。
「悪意なき人間は楽園へ。悪意ある人間は滅亡へ。だが、その楽園は電脳世界にある。しかし」
刃はずいと詰め寄るが、或人はその目を見つめ返すだけだ。
「しかし……?」
「鈍いなァ、社長」
「不破にだけは言われたくないだろ」
「うるせえ。いいか? つまりエスの計画が実行されれば、現実の世界から人間がいなくなる。そうしたら……」
不破はひと呼吸置いてから、
「現実世界にあるシンクネットのサーバーは、誰が管理する?」
最大の疑問点を投げかけた。
「データの部分は内部から電脳化していても管理できるかもしれない。だが物理的な部分はどうする? 現実の世界では雨も降る。風も吹く。嵐も来る。サーバーの回路が耐用年数を越えて、いつか壊れる時も来る。現実世界で起こる物理的なサーバーに関するトラブルに対処できる存在がいないでどうすんだって話だ」
「……ヒューマギアを、使うとか?」
ヒューマギアの存在を大きく考えている或人は、すぐさまその可能性を挙げる。
「『その可能性も0では無いと思った。しかし、シンクネット側にヒューマギアの使用や、そうしようとする計画の痕跡も見つからなかった』」
「キーワードは3つ。”レイドライザー”。”異世界”。”サーバーの管理者”」
「……ってことは!」
刃にキーワードを挙げられ、やっと全てが繋がったと或人は立ち上がった。
「異世界に、レイドライザーを戦力にしてサーバーを守る予定だったシンクネットの協力者がいる……」
「『その通り』」
天津はふう、とため息をついた。
「幸いにして、異世界への渡航手段のデータは野立がZAIA本社に保管していた。本来は爆破されたシンクネットのサーバーの建物にゲートが作られていたようだが……今回、亡と雷の協力で、ゲートを再現できた」
「俺達仮面ライダーが異世界に飛んで、そっちにあるレイドライザーと拠点もブッ潰すってことだ」
刃と不破が順に伝えるが、そこでイズが遮るように割って入った。
「危険すぎます。或人社長には、飛電インテリジェンスを背負う責任があります」
「危険も無理も承知で依頼に来たんだ」
刃も引かない。その時、
「イズ」
或人はイズを制した。
「或人社長」
「俺、行くよ。仮面ライダーとして放ってはおけない」
「しかし」
「……心配してくれて、ありがとう」
イズの肩に手を置く或人の表情は、優しい。
「エスのやったことも、シンクネットのことも……俺だって関わったわけだし。最後まで、きっちり片をつけないといけないかなって」
そこに、
「やはりな。お前ならそう言うと思った、飛電或人」
「いっつも、『ただ一人、俺だ!』って突っ走っていくだけはあるよね」
二人のヒューマギアが入ってきた。
一人は、金髪に和装の目つきの鋭いヒューマギア、”
もう一人は、少年のような柔和な笑みを見せるスーツ姿のヒューマギア、”
二人はかつて、衛星アークによって操られる人類滅亡を目論むヒューマギアのテロ組織、”滅亡迅雷.net”の幹部だった。
ヒューマギアを巡っての或人達との戦いで、彼らは少しずつ人間の心とは何かと考え、自身の意志を獲得していった。そして、最後には衛星アークと袂を分かち────ヒューマギアという種として、生きていくことを決めた。アークを産み出した根源、悪意を観察しながら。
「滅! 迅! お前らも!?」
「当然だ。悪意が産み出した存在がまだ蔓延っているなら、俺達も動かないわけにはいかない」
「亡と雷から連絡もあったしね」
二人は俄然やる気だといった様子だ。
「……まあ、皆いた方が心強いか」
或人はそう言った後で、
「っていうか二人はあまりここに入ってこないでくれよ! 一応二人共テロの実行犯なのは変わりないんだからさあ! うちの信用度が……」
「貴様……! それは俺達に対するヘイトスピーチと捉えて良いか!?」
「ま、まあ滅……。事実だしさ」
「『兎にも角にも、仮面ライダー6人でのシンクネットの後始末の始まりとなりそうだ……』」
「え? 垓さん、亡と雷は?」
「『こっちの世界で、ゲートの保護と万一の事態に備えて控えてもらうつもりだ』」
天津の言葉で、或人は改めて室内を見渡す。
不破諫。
刃唯阿。
滅。
迅。
天津垓。
考えてみれば、仲間と呼べるのかどうかも曖昧な繋がりの者達。
だが、何故か或人には信じられる。このメンバーなら────
どんなことだって、乗り越えられるかも知れないと。
「みんなが夢を見られる世界を守る。それが俺達、仮面ライダーの役目だ」
或人はそう宣言した後で、
「それじゃあ、行きますか! アメリカどころか……異世界! “いせかい”だけに……”良い世界”だと、いいなァ~~~~!! はい!! アルトじゃ~~ないと!!」
いつもの調子で、空気のバランスを取った。
☆ ☆ ☆
雨
平和な世の中では雨も静かに降り、土の塊を壊すことすら無い。世の中が太平であることの例えだ。
「平和だねえ……」
虹ヶ咲学園の部室棟にある”スクールアイドル同好会”の部室で、高咲侑は窓の外で静かに降る雨を眺めていた。
「外は雨だけどね」
その傍らで、幼馴染にして同級生、そしてスクールアイドルの上原歩夢は苦笑した。
スクールアイドルという存在は、近日隆盛の勢いを増している。
学生が部活動の中でアイドル活動を行い、自己表現をする。簡単に言ってしまえばそのようなものだ。しかしながら、学生が自分達で衣装、楽曲、パフォーマンスの制作を全て行うというそれは競い合ううちに非常に高いレベルを互いに求めあい、やがて観衆も熱狂しその熱が伝搬していった。
遂には全国規模の大会、”ラブライブ”が開催される運びとなり、この大会の設立を以て、スクールアイドルという概念は社会において確固たる存在となった。まるで野球における甲子園のように、ラブライブの舞台はスクールアイドルの憧れそのもの。
しかしこの虹ヶ咲学園におけるスクールアイドルの部活動、スクールアイドル同好会はそれを目指さなかった。所属する部員たちは、皆それぞれのとびきりの個性を持ち、輝く存在。互いに影響し高め合いながらも、それぞれがやりたいアイドルとしての方向性はばらばらだった。
「侑さん! 転科試験が終わったからって気が抜けすぎですよ!」
侑にそう声をかけた優木せつ菜もまた、この同好会に所属するスクールアイドルだ。
侑は彼女のパフォーマンスと歌に圧倒され、スクールアイドルという存在に興味を持ち、同好会の存在を知った。だが、せつ菜はその時既に、スクールアイドルとしての引退を決意しかけていた。
前述の通り、同好会に集まったスクールアイドル達の個性はばらばら。しかしながら、ラブライブに出場する為には統一感のあるグループとしての結束が重要だと考えていたせつ菜は、その為に熱く部員たちを先導しようと考えていた。しかし、それが却って各々の個性を抑え込むことで不和を生み……実質的に、同好会は解散状態にまで追い込まれた。
優木せつ菜は、自他共に“大好き”という気持ちを大事にしたいという考えを信念として持つ。
そんな彼女にとって、自分の行動が誰かの”大好き”を否定していたという事実は、受け入れがたいものだった。
「私が同好会にいたら、皆のためにならないんです! 私がいたら、”ラブライブ”に出られないんですよ!?」
「だったら……! だったら、ラブライブなんて出なくていい!!」
侑のその言葉は、福音だった。
そう。そうなのだ。
大会に出るだけが、スクールアイドルの在り方ではない。
グループとして一つにまとまることだけが、スクールアイドルの在り方ではない。
そんな凝り固まった概念の為に、誰かが涙を呑んで我慢する必要なんてない。
大会に出なくても。グループにならなくても。
一人一人が思い思いにアイドル活動をして、ファンを魅了し楽しませる。
それさえあればいい、そういう気持ちで彼女らは一歩前へと進んだのだ。そしてその気持ちの切り替えが、
「でも、侑ちゃんは本当にお疲れ様だよ~~……」
数多くの仲間を、自然と集めていった。机に突っ伏すようにしてまどろんでいた3年生の近江彼方は、ゆったりと顔を上げながら侑を激励する。
「少し力を抜いて、リラックスするのもいいんじゃない?」
エマ・ヴェルデはにっこりと微笑みながらそう言った。スクールアイドルになる為にわざわざ日本に留学してきた彼女は、スイスの自然に育まれた他者への優しさがとても魅力的だ。
「結果が出るのが楽しみ」
1年生の天王寺璃奈は、一見全く楽しみそうに見えない無表情でそう言うと、
「璃奈ちゃんボード、『わくわく』」
とても楽しみにしていそうな表情の描かれたスケッチブックを、面の如く顔の前に出した。感情を表情に出すのが苦手な彼女は自分なりの感情表現として、この”璃奈ちゃんボード”を用いるのだ。
「『転科』試験合格してさ……『天下』! 取ろうよ!」
宮下愛は金髪を弾ませながら、溌溂とした笑顔で侑の向かいに座った。大して上手くも無い言葉遊び程度のシャレだが、侑はそれを聞いて大爆笑する。幼馴染の歩夢に曰く、「笑いのレベルが赤ちゃん」だからだ。
「侑せんぱいの作る曲で、かわいいかすみんがも──っとかわいくなるのが楽しみですねえ!」
中須かすみは、相も変わらず自分の”かわいさ”に絶大な自信を誇っている。その言葉と態度を裏付けるかの如くかなりの美少女だが、きらきらと輝く月と星の髪飾りが、それを更に引き立てている。
「すいません、遅れました!」
部室に慌てて飛び込んできたのは、1年生の桜坂しずく。
「しず子遅いよ!」
「ごめんなさい……! 稽古に熱が入っちゃって!」
かすみに怒られながら、演劇部と掛け持ちの彼女は役者特有の身体に染みついた腹式呼吸で朗々とそう答える。自己表現という点で共通するスクールアイドル活動と演劇活動が、両方のスキルを高め合う相乗効果を生んでいるようだ。
「それじゃあ皆揃ったし、始めましょう」
部室の隅で彫像の如く佇んでいた朝香果林は、肢体をくねらせながら一同が集まる部室の中心のテーブルの方へと寄ってきた。ファッション誌の読者モデルもこなす彼女の所作はきびきびとして、無駄がない。
「えー、それでは第1回! スクールアイドルフェスティバルを受けての、夏休みライブについての打ち合わせを始めたいと! 思いまぁす!」
かすみは得意の仕切りたがり癖を発揮しながら、ホワイトボードにキュッキュと水性マジックで「夏休みライブ!」と大きく書いた。
先日同好会の発案で行われた「スクールアイドルフェスティバル」は、彼女らに成功体験を与えるには充分だった。スクールアイドルの、スクールアイドルによる、スクールアイドルの為の……否、スクールアイドルが好きな人皆の為のお祭り。お台場の街一面に広がる種々のステージと、各個のパフォーマンス。その熱狂は観客だけでなく、彼女達の熱をさらに上げてくれた。
「スクフェスでファンになってくれた人に見せる、初めてのステージだからねえ。期待されてるよ~~」
「期待されている表現と、新しい表現。そのどちらも見せなければいけないですからね……!」
彼方のとろとろゆったりとした口調の中にも、高揚が混じっている。しずくもその言葉を受けて、いち表現者として昂っているようだ。
「私たち一人一人の”大好き”が伝わるステージにしたいです! 勿論火薬はマストですよね!!」
「せっつーのその火薬にかける情熱なんなの!?」
「スクールアイドルへの情熱が、爆発してる。自分の中に情熱を持って……」
思わず腕を大きく広げたせつ菜の語る熱いパッションに、愛は苦笑し、璃奈は淡々としながらもそれを受け止めている。
「新しい衣装の構想があるのよねえ。折角だから仕上げたいわ」
「果林ちゃんもやる気だね!」
「エマが手伝ってくれると助かるわ」
実は学園で寮生活同士の果林とエマは、少ない言葉の中で互いの信頼を十二分に見せている。
「私は……また、可愛いのがやりたいなあ」
歩夢は気恥ずかしそうにしながらも、確固たる意志を以てそう言った。
「侑ちゃんは?」
「私は……」
歩夢に問われ、侑は逡巡の後、
「9人で歌える、新曲を作りたい」
自身の夢を口にした。
「スクフェスで最後に聞いた、『夢がここからはじまるよ』! も~~すっごい良かった! ときめいちゃった! 今度は私から皆に、曲を贈りたい!」
スクールアイドル同好会は、一人一人の個性を発揮するソロアイドル。それは変わらない。
それぞれがそれぞれに、やりたいことがあるのだから。
だが一度だけ、それぞれの「やりたいこと」が一致したが故に、9人でひとつの曲を歌ったことがある。
それは先のスクールアイドルフェスティバルのクライマックス。彼女達の最大の見せ場。
そう、彼女達全員のやりたいことは────
「支えてきてくれた”あなた”に、気持ちを伝えたい」。
高咲侑はスクールアイドルでは無い。スクールアイドルの傍にいて、その気持ちを理解してあげて、活動を手伝って……”スクールアイドルを支える人”だ。夢を追いかけているスクールアイドルを傍で応援出来れば、自分も何かが始まる。そう信じて、彼女は仲間達を支えてきた。
『夢がここからはじまるよ』は、そんな彼女へのメッセージ。
そして侑もまた、当初の目標通りに夢をみつけた。
音楽を本格的に勉強したい、という夢を。
その為に普通科所属の彼女はわざわざ、二学期からの音楽科への転科試験まで受けることを決めたのだ。既に試験は済み、後は結果の通知を待つだけとなっている。
「侑ちゃん……」
熱く語る侑を見る歩夢の表情は、本当に嬉しそうだ。
上原歩夢は侑が何かを始めようとする姿勢を見て、自分も本当は可愛いものが好き、スクールアイドルをやってみたいという気持ちを吐露し同好会に加入した。だが、活動を続けていく中で……彼女は、迷ってしまった。
幼い頃から一緒にいた自分と侑の関係が、仲間が増えたことでふたりだけのものでは無くなるのが怖かった。
夢を見つけて、自分の知らない侑に成長していくのが怖かった。
そして何より────
侑だけでなく、応援してくれるファンにも愛情を向けてしまいそうな、変わっていく自分が怖かった。
けれど、彼女はその怖さを乗り越えることが出来た。
応援してくれるファンが、自分にとびきりの気持ちをくれたから。
仲間が、自分の背中を押してくれたから。
そして何より────
夢を見つけた侑が、自分の心を受け止めてくれたから。
だからこそ、今彼女は嬉しいのだ。
侑が夢を語ってくれるだけでなく、侑が見つけた音楽への夢を、素直に心の底から喜べる自分がそこにいるから。
「いいと思う! 侑ちゃんの作った曲、私達歌ってみたい! ねっ!」
歩夢の一言で、一同は異口同音にそうだそうだと賛成する。侑は皆のその言葉に、
「よ~~し! これはもう作るしかないね!! 皆に贈る、皆の夢を応援する曲! 歌う9人も、聴いてくれた人も、皆が自分の夢を追いかけられるような曲!!」
俄然やる気が出たようだった。
「夢……!」
顔をほころばせた歩夢に、侑は向き直る。
「皆に夢を与える。それが、スクールアイドルの役目だと思うから!」
今日一番の良い笑顔で、彼女はそう言った。
窓の外では、雨が変わらず降り続けていた。