「………………っ、ここ、は……………………?」
誠司が意識を覚醒させる。照明の光に目が眩むも、すぐに慣れる。ゆっくりと体を起こすと、看病をしていた匙が蒼那を呼ぶ。
「あ! 会長! 先輩が起きました!!」
「…………匙?」
匙の声に駒王学園高等部の生徒会のメンバーが集まってくる。皆口々に誠司を心配する言葉を投げかける。
「………………目を覚ましましたか」
「支取………………? ここは…………生徒会室か?」
「…………記憶に問題は無さそうですね」
「…………どういうことだ? 確か俺はオカ研の部室に」
そこまで言って、全てを思い出す。確実に死んだはずなのに、生きている。その証拠に、ワイシャツだけは真っ赤に染まったままだった。
「…………っ!!」
そして自分が生き返ったのだと理解して、ざぁっと血の気が引く。そしてそのままゆっくりと、蒼那に視線を向けて質問する。
「………………支取、幾つか質問いいか?」
「はい」
「…………俺はオカ研の部室にいたよな?」
「ええ」
「…………それであの愚弟を怒った」
「その通りです」
そうだ。そこまではいい。誠司は自分にそう納得させながら、次の質問をする。
「………………俺は、死んだよな」
「………………はい」
「なら何で、俺は生きている………………?」
「…………それについて説明させていただきます。私が言うことは全て真実です。受け入れるかどうかは、先輩が決めてください」
そして支取 蒼那──ソーナ・シトリーは自らの正体を明かし、生徒会メンバー──ソーナの眷族達も自分が悪魔であることを明かす。そして、ソーナが誠司に何をやったのかも。
「………………悪魔に転生、ね」
「………………納得するんですね」
「こうやって現実になってりゃ、嫌でも受け入れるしか無い。それに、やけに愚弟の体育の成績が上がっていることにも説明がつく。
…………実感が無いっていうほうが大きいかもだけど………………」
「………………」
「…………支取」
「…………はい」
どんな罵声も罵詈雑言も受け入れる。そんな覚悟を持って、ソーナは誠司と目を合わせる。
しかし、誠司から放たれたのは、全く違う言葉だった。
「…………ありがとな、俺を生き返らせてくれて」
その言葉に、ソーナは思わず叫んでしまう。
「…………っ! ですが!! 私はあなたを、先輩をまた苦しめようとしているんですよ!?」
「でも、お前が生き返らせてくれなければ、俺はやりたいことも、やりたかったこともやれないままだった。
そのチャンスがまた来た。そう思えば、少しは楽になる」
諦めを交えながらも、それでも意味はあったことなのだと誠司は言う。だがソーナはその言葉が刃のように突き刺さるのを感じる。
誠司はただの人間だった。特別な才能も無い。能力も無い。神器も無い。魔力も無い。どこにでもいるような、普通の人間の1人だった。
ソーナがやったのは強制的な契約だ。他の悪魔がどうであれ、ソーナは互いの同意を得ていない契約だけはしたくなかった。しかしそれを破って、ただ世話になった人間に生きて欲しいからと生き返らせた。それはソーナにとって罪だった。だからソーナは聞くことにした。兵藤 誠司の、やりたかったことを。それを叶えるのが、せめてもの罪滅ぼしになると思って。
「…………兵藤さんのやりたかったことって、何ですか?」
「馬鹿みたいなものだぜ?」
「構いません」
確固たる意思でソーナは聞く。しかし誠司は笑ってこう言った。
「漫画やアニメみたいな青春を送りたい」
「────は?」
一瞬、ソーナは訳が分からなかった。そんな彼女を置いて誠司は続ける。
「同級生の友達と馬鹿やったり、遊んだり。バイトで金稼いで、ゲームとか買い物とか楽しんだり。可愛い誰かを好きになって付き合ったり、綺麗な誰かに一目惚れしたり。そんな、ある意味当たり前のことをやりたかった。それだけだよ」
ああ、それは確かに当たり前のことだ。誰もが少しだけ自分から1歩踏み出せば、叶えられるはずのものばかり。それが全て、誠司にとってはやり残したことだった。
「…………それが、やり残したこと、ですか?」
「ああ。もっとも、愚弟の尻拭いで恋愛系は諦めてるけどな」
大学行っても無理そうだ、と冗談を言うように笑う誠司だが、その言葉の端々からは諦観の気持ちがにじみ出る。
「…………正直、怖いんだ」
「…………怖い?」
「もし誰かと付き合ったりした時にさ。俺の本性が現れて、それが愚弟と同じものだったら、なんて思っちまう。俺の本性がそんなものかもしれないのが、とてつもなく怖い。
そんなことは無いって、自分を信じたいのに、信じたい自分を信じられない。
そんな最低なヤツだったら、俺は俺を殺しても赦せない」
まるで懺悔するかのような誠司の姿に、ソーナとその眷族達は何も言えない。本当ならば否定するべきなのだろうが、誠司の一誠への愛情の一端を見た彼らには、どんな言葉をかけていいのかがわからなかった。
「…………一誠は、どうした?」
「…………あのまま逃げ出して戻ってきていません。今どこにいるのかは…………」
「…………どうせ家にいるさ。俺は帰って大丈夫なのか?」
「はい。悪魔になった誠司さんは昼夜逆転しているようなものです。日光に当たっても消滅などはしないのでご安心を」
「…………わかった」
家まで送ると言うソーナを断って帰り道を行く。ソーナは「万が一、はぐれ悪魔と間違えられたら嫌なので」と言って誠司について行く。しかし、その道中に2人の会話は無かった。
誠司が家に着くと、ソーナはお辞儀をして魔法陣でその場から消える。誠司は玄関の前で深呼吸して、普段通りを装って玄関を開けた。
「ただいま」
「おかえり誠司。遅かったな」
「生徒会の手伝いやってた。一誠は?」
「もう帰ってきてるわよ。部屋にいるんじゃないかしら?」
「……………………そうかい」
ああ、やっぱりそうだったかと諦めの溜め息をついて部屋へ向かう。
「……………………」
その途中にある一誠の部屋の前で立ち止まると、誠司は『兵藤 一誠の兄としての最後の言葉』を告げる。
「よお、気分はどうだ?」
「っ!? 兄貴!?」
「気分はどうだ? テメェの面倒を見続けた兄貴を殺した気分は」
「ち、違う…………そんなつもりじゃ…………!」
「だが俺がお前に殺されたのは事実だ。お陰で悪魔として蘇ることになったよ」
「悪魔に……………………」
「本音を言えば、俺は人間のままが良かったよ。人間として死にたかった」
それは紛れもない本心だ。ソーナに生き返らせてもらったことには感謝するが、それでも本音を言えば人間のまま死にたかった。
「どうしてくれるんだ? 俺は人間じゃなくなっちまった。他でもない、お前のせいで」
だからその元凶に、自らの本音という刃で切りつける。どうせ明日にはいつも通り、反省の色も無しに意気揚々と覗きをするのだろうと確信しながら。
「お前がマトモに戻ってくれると信じて面倒を見てきた。お前の覗きが原因で登校拒否したり、退学したり、転校していった奴らに頭を下げた。親御さんに殴られたりもしたよ」
ビクリと肩を震わせたのか、一誠の部屋から物音が聞こえた。それを無視して誠司は続ける。
「でもお前は戻ってくれなかった。覗きをやめてくれなかった」
ただ兄として、それだけを信じて面倒を見続け、尻拭いをやってきた。なのにその結末はこのとおり。
「お前が女の胸に異常な執着を見せ始めた中学校から今まで、お前のやらかしの尻拭いばかりやらされてきた。
───それももうここまでだ」
だからもう、兵藤 一誠の兄はここで終わりにする。その決意を、他でもない『弟という他人』に叩きつけた。
「兵藤一誠。二度と俺を兄貴と呼ぶな。反吐が出る。俺とお前はもう、血の繋がった他人だ」
一誠の部屋からは、何も聞こえてこなかった。
夕食時になり、皆が食事を進める中、誠司は両親に告げる。
「父さん、母さん」
「ん? どうした?」
「俺はもう一誠の面倒を見ない」
食事の音が、一斉に止まった。リアス・グレモリーとその眷族も、驚いて目を見開いて誠司を見る。
「もううんざりだ。もう疲れた。もうコイツの面倒は見きれない。
コイツに何があっても。何が起きても。俺は一切関知しない」
「誠司! あなた何を…………!」
「母さんだってわかってるだろ? コイツがやってきたことを。お陰で俺の過ごしたかった青春は台無しだ。
人に怒られて、制裁を加えられてはいお終い。それはそれで終わったんだからもっかいやっても大丈夫、なんて、そんなことを繰り返されて耐えきれるほど俺は強くない」
だからもう、終わりにするのだと誠司は続ける。
「これまでコイツの為に耐えてきた。コイツの為に尻拭いをやってきた。でももううんざりだ。コイツに兄弟愛と家族愛を向けるのはもう無理だ」
もしも自分が一誠の弟だったら、耐えきれずに自殺するか、一誠を殺していたかもしれないとは、心の中だけに留める。
可愛い弟だった。大事な弟だった。兄として見守って、時に手を貸して、そして必要ならば守らなければならないと思っていた。
思い出は沢山ある。どれも大事な思い出だ。でも弟の悪行は、その綺麗な思い出すらも覆い隠す。
「大学は県外のところに行く。候補は全部模試で合格圏内。特待生の圏内にも入ってる。学費も2人の負担にならない程度になりそうだし」
「でもいいの? 駒王学園だって…………」
「これ以上この町に居続けて、このままコイツの尻拭いをやらされるのは死んでも嫌だ。今後何があっても、俺はコイツの面倒だけは見ない」
それは事実上の、弟との縁切り宣言だった。
それを聞いた両親は、静かに一誠に問う。親として可愛がってきた、大切な家族。しかし親として、誠司の言い分もわからない訳では無い。PTAで槍玉に挙げられたことなんて、1度や2度どころの話ではないのだから。
甘やかし過ぎたのか? もっと厳しく叱るべきだったのか? 今となっては答えの出ない問いが2人の心を埋め尽くす。
「…………一誠、あなたはどうするの?」
「どうって…………」
「…………誠司はお前の為を思ってくれていたんだ。でもここまでお前は変わらなかった。もう、お前の為を思ってくれないよ」
いっそ自分達も誠司のように厳しくならなければいけないのだろうか? そう思いながら一誠の答えを待つ。
「…………兄貴」
「俺をその名で呼ぶなと言ったはずだ、愚弟」
「………………っ!?」
「もうお前のやる事に何も言わない。ああ、何も言わないよ。仮にお前がどうなろうとな。犯罪者として捕まっても当然としか思えない」
一誠の縋るような視線に、誠司は目も向けず切り捨てる。もう決めたことは変えないと、もう手助けはしないという意思の現れだった。
一誠は人が変わってしまったかのような兄に、困惑するしかできない。
「もう俺とお前は血の繋がった他人だ。二度と俺に関わるな」
そう言って誠司は1人、自分の食器を片付けて部屋に戻る。誠司だけがいなくなった食卓に、沈黙だけが残された。
その夜、誠司は寝付けないまま喉が乾き、台所で水を1杯飲む。そこへ同居人と1人となった姫島 朱乃がやってきた。
「………………姫島か」
「………………どうも」
夕食時のやり取りのせいか、2人の会話は無い。どうにかしようと考えた朱乃は、話題の取っ掛りにならないかと思い、質問する。
「…………寝れないのですか?」
「悪魔になったばかりだからな。全く慣れない。目が冴えて寝ようにも寝れないよ」
悪魔の活動のピークは夜。完全に昼夜逆転したようなものだと誠司は言う。
そしてゆっくりと足を進め、何も無い場所を撫でる。
「…………何を?」
「……………………」
そこには何も無い。しかしこの兵藤邸が豪邸になる前まで、そこは 1つの思い出があった場所だった。
「………………ここにさ、思い出があったんだよ」
「思い出?」
目を瞑って、誠司はゆっくりと思い出す。どれだけ弟を嫌いになっても、忘れられない大切な思い出を。
「ガキの頃、ここにあった柱で一誠と背比べしてた。その時の印を幾つも書いた。どっちが背が高いとか。何センチ伸びたとか。どっちが先に背を追い越すとか。
一誠が今みたいに変態になる前だった」
また別の場所へ足を進める。次に誠司が向かったのは、今ではただの壁になってしまった場所。
「…………ここにあった戸棚にさ、一緒に遊んだゲームをしまってた。双六も、トランプも、カードゲームも、漫画も。………………ここに、しまってたんだ」
その壁を撫でるように進む。次に誠司が止まったのは、またも何も無い虚空。
「ここにあった収納に、遊んでいたおもちゃをしまってた。父さんと母さんが色んなおもちゃを買ってくれた。アニメのヒーローの真似だって何度もやった。イリナも一緒に混ざってさ、ヒーローごっこもやったっけ」
そして、豪邸になる前まで隣の家と仕切る塀があった場所に来ると、誠司はそこに手を翳す。
「隣の家に住んでた爺ちゃんは、俺達を自分の孫のように可愛がってくれた。偶にお菓子をくれたりもしたっけな。今は、どうしてんだろうな」
全部、大切な思い出だ。弟との縁切り宣言をしたが、それでも忘れられない思い出が、確かにそこにはあったのだ。
「…………全部、もう、無いんだな。
…………無くなっちまったんだな、本当に」
なのに、それはもうどこにもない。一緒に背比べをした柱も。子供の頃に楽しんだゲームや漫画をしきつめた
全部、もう、中身も一緒に、どこにもない。
「………………なんにも残らないで無くなるのって、こんなに寂しいんだな」
そこにはただ、思い出の残骸だけがあった。思い出を懐かしむことができる鍵は、全てこの家から無くなっていた。
誠司の胸には、ただポッカリと穴が空いたような虚無感だけが残った。
そんな誠司を、朱乃はただ見ていることしかできなかった。