【完結】僕のヒーローアカデミア・アナザー 空我 Another EPISODE AGITΩ&G3 作:たあたん
前後左右も判然としない暗がりの中に、芳しい薔薇の香りが漂ってくる。
「アギトは、ギルスに敗れた」
同時に響く、女の声。やや鼻にかかったようなそれからは感情の起伏が感じられず、冷淡な響きをもっていた。
「おまえの"ゲゲル"を阻む者は、これでひとりだけになった」
「G3-X、ですか」
グルル、と喉をかき鳴らして嗤う男。その頭部は黄金色の鬣に覆われており、吊り上がった瞳は翡翠のように輝いている。丸く尖ったマズルが開閉する度、鋭い牙が顔を覗かせた。
「あれしきのモノ……我が作品の手にかかれば、障害にはなりえません」
彼らさえ、ゲームの得点にすぎない。その意味ではアギトの脱落は残念ですらあると、獅子の怪人は思った。
そして、薔薇の色香漂う女は。
「期待しているぞ、──"ライオ"」
言葉とは裏腹に……彼女の表情は、冷淡そのものだった。
*
こんな姿になった彼と、三年ぶりの再会を果たしたくはなかった。
関東医大病院に勤務する監察医・椿秀一は、集中治療室のベッドに横たわる轟焦凍の姿を見てそう感じていた。
「……椿先生。焦凍の容態は?」
知己である焦凍の父──エンデヴァーこと轟炎司が、表向き落ち着いた口調で問うてくる。むろん、その心中を推し量れない椿ではない。
「率直に言って、厳しい状態です。彼が超人でなければ、もう──」
「……ッ、」
「焦凍……っ」
泣き崩れそうになる冬美を、冷がそっと支える。
「大丈夫、焦凍は……大丈夫だから」
言い聞かせる言葉はきっと、自分自身にも向けられている。それでも彼女はかつてより凛として、強くなったと夫は思う。ならば引退した身とはいえヒーローである自分が、動揺するわけにはいかないと心していた。
「あとは、その超人の力に望みをかけるしかないか」
「……ええ」
椿が頷くのと、集中治療室の前を離れていた次男が戻ってくるのが同時だった。
「夏雄。……篤志くんは?」
「ひとまずは落ち着いて、眠ってる。起きたときどうなるかは、わかんないけどな」
「そうか、………」
焦凍の容態は当然としても、皆、篤志のことも気にかかっていた。彼は死ではなく……その対極、進化へと向かおうとしている。しかしその過程で何が起き、どのような結果が待ち受けているのか、誰にもわからない。この場にいる面々の知る限り、超人への進化を遂げた者は焦凍……そして、燈矢しかいないのだから。
「そういや、八百万さんは?」
夏雄の問いに応えたのは、彼の母親だった。
「燈矢を捜しに行ったわ」
「え、でも……」
「独りでは危険だと言った。……ただ彼女もヒーローとして、自分にできることをしたいと」
焦凍は、自分を庇って倒れた。その責任を背負えばこそ、彼女は飛び出していったのだと炎司にはわかる。ヒーローに求められる責任を果たし方は、それしかないから。
と、携帯電話がぶるると振動したのはそんな折だった。
「すまん。──俺だ」
『どうもです、エンデヴァーさん』
相手は鷹見──ホークスだった。こちらの状況は把握しているのだろう、挨拶は軽いが口調は潜められている。
『ちょっと確認したいことがあって連絡を。っとその前に……ショートくん、容態はどうなんです?』
「……貴様に心配をかけるほどあいつは弱くない。で、確認したいこととはなんだ?焦凍のことではないだろう」
「ええ、まあ。──エンデヴァーさん、きょう、詩島国防大臣にお会いになりましたか?」
「うむ。G4の弊害について、何も知らされていなかったと言っていたが」
『はい、ダウトです』
相変わらずの物言いに鼻白む炎司だったが、鷹見の声色は本気だった。
『結論から言うとクロですよ、彼。G4は表向き八王子駐屯地の管轄になってますが実態は大臣マターです。例の子供たちがいた施設も』
「!」
スマートフォンを持つ手に力を込めそうになり……ふっと息を吐く。
「……彼とは新人議員の頃から昵懇にしていた。甘いと謗られても仕方がないが……信頼、していたんだ」
『はは……Nobody's Perfectですよ、エンデヴァーさん。完璧な人なんて誰もいません。疑うのは俺の役割です』
「……すまない。──しかし彼はなぜ、そんな嘘をついてまでG4に拘る?」
彼が手を汚してでも国防を充足させようという思想の持ち主だとすれば、一応の説明にはなる。
だがそうなると、あまりに短絡的すぎるのだ。このことが明るみに出れば国防軍は大々的な批難に晒され、組織全体に甚大な影響が出ることはもちろん大臣自身の政治生命も終わる。イメージと実務能力の両輪を巧みに駆使してのし上がってきた男が、いったい何をそこまで焦っているというのか?
『そこまでは、まだ。でも化けの皮は剥がれ出すとあっという間ですから、徹底的にやりますよ』
「しつこいようだが、無理はするなよ」
『エンデヴァーさんこそ。ではでは、また』
通話を終え、炎司はふっと息をついた。一度だけ焦凍を気づかわしげに目をやってから、次男に視線を向ける。
「夏雄、篤志くんに会わせてもらいたい」
「!、あ、ああ……でも、まだ麻酔で寝てるよ」
「わかっている。……焦凍や燈矢がヒトを超えようというとき、俺は何もしてやれなかった」
炎司だけではない、家族皆──彼らを独りぼっちにしてしまった。その果てに、怪物が生まれてしまったのならば。
「構わないな、椿先生?」
「!、……無理に叩き起こさないのであれば」
「無論だ」
椿としては、エンデヴァーとはそれほど深い交流があるわけではないので、まだ彼のパーソナリティーを窺っている部分もあるのだが。家族の様子を見ればそれも杞憂かと思い直し、了承したのだった。
*
同じ頃、焦凍の傍を離れた八百万百は街に出、荼毘の捜索を続けていた。
「………」
バイクを走らせるその表情は、当然のように険しい。焦凍を瀕死の状態にしてしまった責任は、言うまでもなく強く感じている。
だからこそ、荼毘の居場所を見つけ出さなければ。自分ひとりにできるのはそれが限界かもしれないけれど、何もせずにはいられない。──立場の上では自分も焦凍と同じ、プロヒーローなのだから。
とはいえ、あてがあるわけでもなく──先の展望は正直描けぬまま、彼女は面前の信号に従ってマシンを停止させた。
と、横に黒塗りの車両が停止する。特に気にとめていなかった百だが、運転手は彼女の顔を確認するなりウィンドウを開いた。
『八百万、』
「!、……心操、さん」
ハンドルを握っているのは、背広姿の心操人使だった。
──数分後。百の姿は覆面パトカーの助手席にあった。
「………」
運転手も彼女も揃って無駄口を叩かない気質のため、車内には沈黙が降りる。ただ少なくとも百としては、それを当たり前のものと受け入れられるほど心操に心を許せているわけではなかった。
『なあ』
「!」
そんな折、相手から声をかけてきたのは僥倖と言うべきか、否か。
『あんた、あんなところで何してたんだ?轟のこと放っぽって』
「なっ、放ったわけではありませんわ!ただ……」
『……わかってるよ。あまり本気にしないでくれ、俺はこういう物言いするヤツだから』
直そうとは思っているのだがと、口の中でつぶやく心操。尤もデバイスはそんな繊細な声までは拾ってくれなかったのだが。
「……わたくしがあの場にいたところで、何かしてさしあげられるわけではありませんもの」
『だから、あの男を捜し出すつもりだったって?』
「……ええ」
『それこそ無茶だろ。あんたが優秀なヒーローだってことは認めるけど』
「単身で挑むつもりはありませんわ。ただ、潜伏場所だけでも見つけ出しておかないと。轟さんに、余分な負担をかけないためにも」
『……信じてるんだな。あいつが戻ってくるって』
「もちろんですわ」
恋人が引き裂かれる様を目の当たりにして、そう言い切れるのは英雄の資質だと心操は思う。自分が彼女の立場だったら……どうだろう。好意をもった相手はいるが、他人との間に壁をつくってしまう性質ゆえ具体的な人物に当てはめた想像はできそうもなかった。
余計な思考を抑え、目の前の現実に意識を戻す。
『どのみち、"未確認生命体"のことは俺たちG3ユニットの管轄だ。轟が復活するまで、俺が同行する。……ま、あいつみたいな面白みはないだろうけど』
「ふふ……そんなこと、ありませんわ。貴方とは一度ゆっくりお話してみたいと思っていましたもの」
『……こりゃ、轟に怒られちまうな』
軽く頭を掻きつつ、心操はアクセルを踏み込んだ。
*
焦凍が倒れた現場に居合わせたもうひとり──水城史郎は、待機命令を受けて基地にとどまっていた。軍人ゆえの忠実さだが、心に波が立っていないわけではない。一刻も早く"未確認生命体"を見つけ出して、引導を渡さなければという思いがあった。
そのため出撃を催促すべく、上官のもとへ向かったのだが──
「──G4を、さらに強化する……?」
水城に対し、技術者上がりの女性大尉から提示されたのはそのような計画だった。
「そうよ。──見なさい」
深海大尉がモニターの表示を切り替える。そこに映し出されたのは──無数の拘束具とチューブに繋がれた、少年少女の姿。
「……!」
「心配ありませんよ。薬で意識は奪ってありますし、万が一拘束を破ったとしてもこの部屋を脱出することは不可能です」
安全性のことを心配しているわけでは当然ないのだが──しかし彼女の実験をもとより傍観している水城は、口をつぐんだ。彼らは既に、人間ではないのだから。
「怪物化により、彼らのあらゆる体組織は常人とは異なるものになっています。その細胞をAIチップに取り込ませれば、G4の運動性能はさらに上昇するわ」
「………」
我が国を
──俺は生きるために、生かすために戦う。
──生きることを……素晴らしいと、思いたい。
ひと回り年下の青年が発した言葉が、脳裏をよぎる。自分はこれまで死を背負って戦ってきた。そのことに悔いはないけれど、彼の信念だって間違いではない。ならば──
「……不服かしら、水城少尉?」
「!」
はっと我に返ると、深海がこちらを見上げている。その表情には笑みこそたたえられているが、女性らしい三日月型の瞳は冷たく光っていて。
「……いえ。私は我が国の平和を守るため、全身全霊で戦うのみです」
軍において、上官の命令は絶対だ。年齢も出自も──まして、見るものの違いなど慮外のこと。軍人であると決めた以上、彼女を信じて戦い続けるしかないのだ。
それが死刑台に上るような心持ちであることなど、深海理沙には取るに足らないことだった。