【疾走詩人】ゴブリンスレイヤーRTA 精霊使いチャート 作:神楽風月
よくある話だ、と口をそろえて言う。
新米の冒険者が、最初の冒険にゴブリン退治を選ぶことも。巣穴に運悪く上位の個体がいるということも。そして運良く、依頼を達成するということも。
「だが、あそこまで周到に用意された巣は
そう言葉を紡ぐのは、
「普通ならせいぜい穴を掘るか、縄を張る程度の罠しか作らん。それでも、何も知らない新人冒険者は引っかかるが……まぁいい」
途中で面倒くさくなったのだろう。
「俺は行く。後は勝手にしろ。俺の報酬はいらん、勝手に来ただけだからな」
「――あれはなくないか!?」
だいぶ酒精が周り顔を真っ赤にした青年剣士が言う。
「いや、助けてもらったことには感謝してるけどさぁ……でもなんかもっと、一言なくないか?」
「聞けば、ここの名物冒険者みたいよ。いっつもゴブリンゴブリン言ってるって」
「ゴブリン退治だけで銀等級になった、小物狩り専門とかね」
洗ってもなかなか落ちない血の汚れと生臭さに辟易しながら、各々好き勝手に恨み節を口にした。
「まぁでも、最初の冒険で命を落とさないだけマシだろう?」
「……だよなぁ」
「よくゴブリンに手籠めにされて、神殿に入る女の人がいるって言うしね……」
「しかもあのゴブリン、武器に毒が塗ってあったじゃん? あれ破傷風みたいな感じで薬も飲めなくなったんだとか」
「それは……まだ【解毒】の奇跡を授かってない私では、治療は無理でしたね……」
「人付き合いも悪いけど、いちおう銀等級なだけあるってわけさ」
「詩人さん、妙に彼の肩を持ちますね?」
女神官が不思議そうに問う。
「そりゃあ、彼がいなかったら誰か死んでいただろうからね。恩を口にしないのは
「
「なんだとーぅ!」
「まぁまぁ……それよりこうやって生き延びたんだ! この幸運を喜ぼうぜ!?」
「そうね、そうしましょう!」
「はいはい……一体何度目なんだか」
「僕ぁそろそろ辛くなってきたぜ、体力ないからな」
「ははは、そう言わずに。じゃ――生き延びたこの幸運に、乾杯!」
「かんぱぁい!」
ああ、これもよくある話だ。
初めての依頼を達成したそのお祝いに、全員で酒を飲むことも。
そして五度目、六度目の乾杯の音頭が上がるということも。
「この宴会で報酬ほとんど使っちゃうのはどうかと思うけどね」
「いうなよ!」
「てか、まだ臭いし取れないし……」
「血って落ちにくいわよねぇ……」
「そうだね、うん」
一体この話も、何度目だったか……と誰かが笑った。
「――……あのとき結局、何回同じ話したんだっけ?」
布に燃える油をしみこませ、それを鏃に巻きつける。
その作業を行いながら、詩人は女神官に問いかけた。
「さぁ……なんだか、ずいぶん昔のようにも思えてしまいます」
「おいおい。昔のことを思い出せなくなるのは、老化の兆しらしいぜ?
「あはは……」
「それにしても、君はほんとうにお仕事熱心だよねぇ、もう黒曜級だなんて」
「詩人さんだって、同じじゃないですか」
「僕は君についていっただけだぜ?」
「間違いなく詩人さんの実力ですよ」
「そうかな?」
「そうです」
「無駄話は終わりだ。……やるぞ」
「はいはい」
「わかりました」
森人の古い山城めがけて、
「えーっと……川はどっちだったかな?」
如何な森人とて、水と食料がなければ等しく死は訪れる。いわんや、樹木を利用した山砦をや。近くに水源があるのは当然のこと。
ほどなく歩けばそこそこの深さがある川を見つけることができた。川岸に、ゴブリンにもてあそばれた傷が残る冒険者たちの死体が打ち上げられている。きっと、死んだから川に捨てたのだろう。
「……あぁ、いやだいやだ」
背後で盛大に山砦が燃え盛る。丁寧に埋葬している暇はあるまい、森が燃えては大参事だ。ほんの少し彼女たちの冥福を祈り、死体の首から認識証を拾い上げると、詩人は
「こんな気分で冒険なんて、したくないね……」
魔力の風は川の水を大量に巻きあげて、彼方で燃える山砦へと飛んで行った。
なんともまぁ、楽な仕事だ。
徹底した合理主義。
剣士たちとの冒険にもそれは生かすことができていて、体力のない詩人でも冒険を続けることができていた。生活も安定しているため、生活が厳しいときに行っていたこの代筆業も半ば趣味で続けている。それすら暇なら、魔導書を開いては忘却した「
――それにしても愛しい人は本当に僕のことが好きだな。隣に座って僕の横顔を見るだけなんて、君は本当に暇な人だね。
頬が緩んで、にやけそうになる。誤魔化すように、余裕ぶった表情でギルドで騒ぐ冒険者たちを見ていると、不思議な一行がやってきた。
森人の自分よりもさらに長い耳は、
――まぁ、僕には関係のないことか。
それより愛しい人とのデートが最優先である。触れ合うことはできないけれど、そばに寄り添うだけでも通じ合う心がある。ああ、これは詩の一節に使えるな……なんて考えながら頬杖をついた。
「
ん、と首を上げる。
ずいぶん久しぶりに聞いた言葉で、聞きなれた者が呼ばれた気がしたからだ。見れば先ほどの一党が、受付嬢を困らせているではないか。
「ええと……
「違うわ。
確かに森人の言葉で言われても、
「ここは只人の街だよ? オルクボルグじゃあ伝わらないさ。もちろん、
割って入られてか、上の森人は怪訝な顔をする。
「あなたは?」
「僕かい? 僕は
「詩人さん!」
「で、オルクボルグってなんです?」
「ほら、彼だよ。ゴブリンスレイヤーさん」
「ああっ! ゴブリンスレイヤーさん!」
受付嬢がその名を言うや、名前を呼ばれた男がギルドへと足を踏み入れる。
「――ゴブリンか?」
お決まりのセリフを放ちながら。
「きっと冒険の話さ」
二人は、女神官と待合スペースでゴブリンスレイヤーを待っていた。
「上の森人に、
「そうなんですか?」
「最後はさ、生きたまま幽界に入ることのできる、とてもとても恐ろしい力を秘めた指輪をね、持ち帰ってしまい――……」
思わず言葉に熱がこもる。
あのとき聞いた話を忘れられないでいるのだ。特に、幽界に入ることのできる指輪なんて、まるで――
「っと、帰ってきたみたいだね」
詩人は投石杖を手に持ち立ちあがる。ここでゆったりとした歩みを見せれば年上の余裕を見せられるのだろうが……冒険のにおいを感じた詩人には、とうてい無理だった。
「ゴブリンでしょ?」
「ああ、ゴブリンだ」
ゴブリンスレイヤーは短く答える。
「俺一人でいく」
「つれないなぁ。仲間だろ? 少なくとも僕はそう思っている」
「好きにしろ」
「うん、好きにしよう」
長く共に冒険をしていれば、なんとなくわかるものだ。彼は別に、悪気があって言っているわけではないということを。
「お前は休め」
「君は馬鹿か」
だからこう言うだろう事もなんとなく分かっていた。思わず頭を抱え、ため息を一つ。
「せめてこう、もう少し。こう、さぁ!」
言いたいことはあるが上手く言葉にできない。即興詩を嗜んでいるとはいえ、難しいものは難しい。
「そうですよ……! せめて、こう、決める前に相談とか……!」
「――? しているだろう」
心底不思議そうに、その鉄兜を傾けた。
「あ……これ、相談、なんですね……?」
「そのつもりだが」
「君はじつに馬鹿だな……」
彼と共にいる限り、僕はこの言葉を幾度となく繰り返すだろう……そんな予感が、した。
瞬く間に二日が過ぎた。二つの月の下にどこまでも続くように広がる荒野。その真ん中で、冒険者たちは焚き火を囲んでいた。
「こんな話を知っているかい? これは、ある神官戦士の話さ。猛女と呼ばれた彼女は、その膂力を持て余していたんだ。どんな武器も軽すぎて、とうとうそのへんの大木をね、引っこ抜いて戦い始めるという滑稽話なんだけども」
「なにそれ。その猛女って、巨人ってオチだったりしない?」
「いや、それが只人でね?」
「それ本当に只人?」
「ああ。でも鎧は立派なものを着ることができてね……あんまり重すぎて、酒場の床を踏み抜いてしまうんだ!」
「そんなへんなやつが本当に居るのかしら」
「いたら面白いじゃないか。少なくとも、似たような男は知っているだろう?」
「ああ……なるほどねぇ」
妖精弓手がゴブリンスレイヤーを横目で見ると、呆れたように肩をすくめる。
手を変え品を変え、面白おかしい話を言って聞かせる詩人の話は、実に飽きることがなかった。
「ところで……みんなはどうして冒険者になったんだい?」
ふと、思いついたように詩人は言う。
「そりゃ、旨いもん喰うために決まっておろう」
「だと思った……」
「耳長はどうじゃ?」
「そりゃあ……外の世界に憧れて、ってとこね」
「拙僧は、異端を殺して位階を高め竜となるため」
「えっ」
「異端を殺して位階を高め竜となるため」
「は、はぁ……まぁ、宗教は分かります。私も、そうですから」
「ゴブリンを……」
「アンタのはなんとなくわかるからいいわ」
「おい耳長の」
「僕も長いけど」
「面倒じゃな!? いや金床の」
「僕も小さいわけだけど」
「ややこしくするでないわ!」
「ははは」
詩人はけらけら笑い、夜空を見上げた。
「それで詩人殿は、如何な理由で冒険者となったのですかな?」
「僕かい?」
「ええ。皆口にしたのですから、言わねば不公平でありましょうよ。なにより言い出しっぺというやつで」
そう蜥蜴僧侶が問いかけると、詩人は少し考えた上で口を開く。
「愛しい人に会うためさ」
「おおう。思ったよりも乙女な理由が出てきたわい……」
「僕は、詩人だからね。多かれ少なかれ、そういうところがあると思っているよ」
「それで、その愛しい人とやらには、会えましたかな?」
「うーん……どうだろうねぇ」
詩人は空に向かって手を伸ばす。まるでその彼方に、その相手がいるように。
「いつも、僕のそばにいてくれるんだけどね。どうにも、遠くてさ……まぁ、うん。彼は、森人では、ないから、ねぇ……」
「それは……」
少しずつ沈んでいく詩人の言葉に、女神官が息を飲む。マズいことを聞いてしまったと、その空気が妖精弓手や鉱人道士、蜥蜴僧侶に伝わり――
「……って言うと、まるで死んだ人を想ってるみたいじゃない?」
「詩人さん!?」
「ははは」
人を喰ったような笑いを上げて、詩人は改めて
「まぁ、運命の人が一人とは限らないけどね」
どこかで血を吐く声がした。
「それはまた、ずいぶんと愛が多いようで」
「冗談だぜ? 僕は一途なんだ。そりゃあもう、彼が死んだら、悪いわるぅい、
「まったくこの短い耳長のは、人を喰ったようなことばかり話よる」
「おいおい、短いのに長いってどういう」
「旨い! なんじゃいなこの肉は……」
「聞けよ、僕の話」
「おぉ口に合ったようでなにより。沼地の獣の肉ですぞ」
「おお、旨い旨い」
「これだから鉱人は……」
「そうよねぇ!」
「野菜しか喰えん兎もどきにゃこの旨さは分かるまい!」
「む……」
言われっぱなしは気に食わないな、と。詩人は唸り声を上げて雑嚢を取り出す。
「そうまで言うなら、僕もとっておきを出すしかないね」
「どうせ草じゃろ。それか、干した果物」
「あんたほんと甘いの好きだもんねー」
「失礼だね」
取り出したのは、黒い粉の入った袋だ。
「なんじゃいそれは」
「世にも珍しい真っ黒い砂糖~、とか言うんじゃないわよね?」
「君たちは僕を何だと思ってるのかな????」
カップにさらさらとその粉末を入れて、あつあつのお湯を差し入れる。妖精弓手が鼻をひくひくと動かして、思わず眉を顰めた。
「あんた、これ……タンポポじゃん」
「タンポポ、ですか?」
「根を乾燥させ、炒ったものですな。薬湯として、好んで飲む土地もあるとは聞きますが……拙僧の記憶が確かならば、森人にタンポポ喰いとは……悪食の類では?」
「そうだけどさ。愛しい人の生まれた土地は、こう言うのを好むんだよ……確かに僕も最初はどうかと思ったけれど、恋する乙女は無敵だぜ?」
「あたしパース」
苦くて飲めたもんじゃない、と手を振り拒絶する。
「まぁ、僕も昔は苦手だったからね。分からなくもないよ。でも今じゃ、この苦みが僕の頭脳を覚醒させる気がして中々好みなんだぜ?」
言いながら、山盛りの砂糖を一杯、二杯……、
「にが、み……?」
女神官の首が、だんだん傾いでくる。入れた砂糖が十を超えるころになってようやく、詩人はそのタンポポの汁に溶けきれなかった砂糖を、スプーンですくってじゃりじゃりと食べ始めた。
「本当はここに牛の乳を入れるんだけどね?」
「あ、はい……」
それ以上口にはすまい、と。それきり女神官は口をつぐんだ。
妖精弓手の放つ矢が、空を翔け魔法のような軌跡を描いて二匹のゴブリンの頭を射抜く。
「すごいです……」
「やっぱり上の森人の弓術は頭がおかしいね」
「見事……魔法のたぐいですかな?」
「ふふん。十分に熟達した技術は、魔法と見分けがつかないものよ?」
「それをワシの前で言うかね……」
「あなたも練習すれば、これくらいできるわ」
「
「……たぶんね!」
「顔を逸らすなよお姫様」
「おいおい、こーんな金床娘のどこがお姫様じゃい」
「ははは」
何も知らぬは幸せなりて、と詩人は乾いた笑いをあげる。
「一、二……」
数えて、ゴブリンスレイヤーが死体となったゴブリンの腹を裂く。
「ちょ……何してんのよ?」
「奴らはにおいに敏感だ……特に女、子供、森人のたぐいはな」
引きずり出した肝を、手ぬぐいに包む。
「い、嫌よ! ちょっ――コイツ止めてよ!?」
「慣れますよ」
「そうだぜ、お姫様」
詩人はにやついて、妖精弓手が小さい悲鳴とともにゴブリンの肝汁がぶっかけられるのを見届ける。そして死んだ目をして、次は私の番とばかりに頭を差し出す女神官。もはやすべてを諦めた顔をして肝汁がかけられた。
「さて、いこうか」
「待て」
「そうよ……待ちなさいよ……」
「詩人さんも臭い消しが必要ですよね?」
三方をゴブリンスレイヤー、妖精弓手、女神官に囲まれる。
「いやぁ、今回は遠慮するよ。臭い消しをね、持ってきたから」
「あ、こいつずっこい!」
「ずるいですよ!」
「ふっふっふ……僕はコーヒーを飲んで、常に頭を冴えさせているからね」
分身とともに、ドヤ顔で胸を張る。
「そうか」
うなずくゴブリンスレイヤーは、しかし分身の詩人の頭からそいつをぶっかけた。
「あああああっ!? な、何をするんだい!?」
「分身の持つ道具は、効果のない偽物だ」
お前がそう言ったんだろう、と不思議そうに答える。
「そ、そりゃそうだけども……」
「そういうことだ」
言うや、不意打ち気味に詩人の頭へ肝をぶちまける。
「ぎゃああああ!?」
「臭い消しの効果は三日だ。そんな効果の薄れたもので、見つからないとも限らん」
「君、僕のこと嫌いだろ!?」
「えり好みはしない」
何を当たり前のことを、と。不思議そうに返された。
ほどなく、見張りの死体を藪に隠した一行は遺跡へと踏み込んだ。白亜の壁に囲まれた狭い通路は、徐々に下り道になっているようだ。前衛を務めるゴブリンスレイヤーは、手にした剣で、行く手の床と壁をこつこつと叩く。
「拙僧が思うに、これは神殿だろうか?」
「このあたりの平野は、神代の頃に戦争があったそうですから」
「その時は砦か何か……造りとしては、人の手によるもの……のようですが」
「兵士は去り、代わりに小鬼が棲まう、か。残酷なものだ」
ぐるぐるとゆるく螺旋を描いて続く道は知らずの内に平衡感覚を狂わせていく。
「なんぞ気持ち悪いの、ここは」
鉱人道士が額の汗を拭って毒づいた。
ややあって、ようやく下り路が終わる。通路はそこで左右に分かれていた。
「待って」
「どうした」
「動かないで」
そっと前方の石畳の隙間汚、細い指先でなぞり入念に調べる。
「鳴子か」
「たぶん。真新しいから気付いたけど……」
「うっかりしていると、踏むってわけかい」
「そうね。気をつけて」
「ゴブリンどもめ、小癪な真似をしよる」
ゴブリンスレイヤーが松明で床を照らし、左右の壁に明かりを近づけて調べる。はるか古代の人々が残した灯の煤以外、何も見つからないようだ。
「……」
「気に食わないかい?」
「ああ」
「どうしました?」
「トーテムがさ、見当たらないって」
「あ、そういえば……」
ゴブリンスレイヤーとの付き合いが短い妖精弓手、鉱人道士、そして蜥蜴僧侶は首をひねる。
「つまり、えっと、ゴブリンシャーマンがいない、ってことです」
「あら。
「察するに……いない、と言うのが問題なのだろう。小鬼殺し殿」
「そうだ。ただのゴブリンどもだけでは、こんなものは仕掛けられん」
ゴブリンスレイヤーは黙り、考え込む。
「……足跡は分かるか?」
「ごめんなさい。石の床だと」
「お姫様に無理なら、僕も無理だぜ?」
「どれ、わしにも見せてみろ。石と鉄なら鉱人の領分じゃて」
小唄まじりにT字路に近づいて、左右をくるくると歩いて回った。
「奴らのねぐらは左側じゃ」
自信たっぷりに口髭をひねりながら断言する。
「確かか?」
「そら鉱人だもの。ミスリルの鎖帷子を賭けても良いわい」
「そうか」
小さく頷き、押し黙る。
「どうしたね、小鬼殺し殿」
「……こちらから行くぞ」
中途半端な剣の切っ先で右を示す。
「ゴブリンたちは左にいるんじゃないの?」
「何か考えでもあるのかい? さては一網打尽にする算段かな?」
「違う……だが手遅れになる」
「何が?」
「行けば分かる」
そう淡々と告げる彼に従って右の道へ。そう進まないうちに、ムッと鼻を突く臭いが漂いだした。
「なにこれ……」
「ゴブリンの汚物溜めだ」
「おぶ……ッ!」
「意識して鼻で呼吸しろ。直ぐに慣れる」
臭気の源は向こう側だろうと分かるほどの臭いが漂う、腐りかけた木の扉が嵌った部屋の前へとたどり着く。ゴブリンスレイヤーはそれを蹴り破ると、吐き気を催す臭いが噴出する。
そしてその部屋には、鎖に繋がれ、右半身を潰された森人がいた。
「呪文はいくつ残っている?」
小休止で、ゴブリンスレイヤーが問う。詩人は指を三本たてて答えた。分身も同じしぐさをする。どちらの詩人も、いつもの軽口を叩こうとはしない。
「わしはまぁ、呪文にもよるが四回か五回といったとこか」
「拙僧も三回はいける。が、【竜牙兵】の奇跡には触媒がいる。これに関してはあと一回だと思ってもらおう」
「そうか」
「あの……飲みますか? 飲めますか」
「……ありがとう」
詩人は首を振ったが、妖精弓手は女神官から水袋を受け取り、のどを潤す。
「あまり腹に物を入れるな。血の巡りが悪くなり、動きが鈍くなる」
「ゴブリンスレイヤーさん!」
「行けるならこい、無理なら戻れ、それだけだ」
「馬鹿言わないでよ……私が戻ったら誰が罠の探索をするのよ!」
「やれるものでやるだけだ。……お前はどうだ?」
詩人は静かに頷いてみせる。
「あんた、ほんと大丈夫なの? さっきから、ちっとも話さないじゃない……」
詩人は、妖精弓手の言葉を聞いて、静かに口を開いた。
「心配するなよお姫様」
紅紫色の瞳が、ぎょろりと妖精弓手を見た。
彼女は決して萎えてなどいない。ゴブリンの汚物溜めにいた「
「なら、行くぞ」
ゴブリンスレイヤーが立ちあがる。小休止終了の宣言だった。
地図の通りに進んだ一行は、ほどなくして回廊へとたどり着く。そこには数多くのゴブリンがいた。さて、どうやってこいつらを皆殺しにしてくれよう……詩人は思考をめぐらすが、良いアイディアは浮かばない。
「問題にもならん。手間がかかるだけだ」
「……とても、そうは思えないけれど」
「その口ぶりですと、以前にも経験がおありのようだが……以前はどのような手を?」
「状況によって異なる……だが、簡単なのは毒気を起こすことだ」
「ほう」
「硫黄と松脂を混ぜて、焼く。すると火山のそれと同じ毒気が生まれる。空気より重いから、奴らの巣穴に沈んでいく。放っておけば勝手に死んでいく。楽だ」
「……そのうちホントに神さんから叱られっぞ」
「知らん」
女神官が何かを訴えるように、じぃ、と見つめる。
「今回は使わん。効果が出るまで、時間がかかる」
「速度の問題かよ」
「そうだ」
「そうかい」
「今回は速攻で始末する。後腐れなく、だ」
「……参考までに、その方法は?」
「僕はいやーな予感がしてきたぜ……?」
「知らん」
ゴブリンスレイヤーは淡々と口にする。
「俺たちはゴブリンとは戦わない――殺すだけだ」
鉱人道士の【
――まったく、人の二倍働いてもなお多いとか……。
自分と、精神的なつながりのある分身。そのどちらもがゴブリンの喉を突いて殺しているのだ。まったく頭がおかしくなりそうだった。
帰りたい。さっさと体を清めて、愛しい人に抱かれる夢にふけりたい。その思いが一番強くなるころ、ようやく、すべてのゴブリンを刺殺し終えた。
そう思っていたころだ。ずん、と大気が震えたのは。
沈黙の中でその衝撃だけが伝わり、誰もが立ち止まる。
ゴブリンスレイヤーが素早く盾を構え、油断なくゴブリンから奪った剣を抜き放つ。またひとつ、ずん、という衝撃。
そして暗闇の中から、そいつが姿を現した。
「オーガ……ッ!」
ようやく音の戻った世界で、妖精弓手の声が木霊する。
「ゴブリンどもがやけに静かだと思えば、雑兵の役にも立たんか……貴様ら先の森人とは違うな。ここを我らが砦と知っての狼藉と見た」
裂けた口から吼えるような声音を漏らした。
「…………なんだ、ゴブリンではないのか」
「オーガよ、知らないの……!?」
「知らん」
「君はじつに馬鹿だな! ほんとうに馬鹿だな!!」
まさかこの場でこのセリフを言うとは思いもよらなかった。詩人は頭を抱えたくもあったが、あの化け物から目を離せばどうなるかもわからず、ただただそう口にすることしかできなかった。
「貴様ら! この我を、魔神将より群を預かるこの我を、侮っているのかッ!」
「上位種がいるのは分かり切っていたが……知らん」
「君が馬鹿なのはわかったから、ちょっと黙っててくれないかな!?」
「そうか」
なるほど、面倒くさいことを引き受けてくれるのか、と。それきりゴブリンスレイヤーは静かに口をつぐんだ。
「本当に黙るとか君はじつに馬鹿だね!?」
「……俺に、どうしろというのだ」
「いつまで愚弄する気か! その愚かさ、その身を持って味合わせてくれるッ!」
「ほら怒ったじゃないか!」
「知らん」
「漫才やってんじゃないわよあんたら!」
「やりたくてやってるわけじゃ……ッ!」
「≪
その青白く巨大な左手に、ボウッと、赤々と燃える炎が現れる。
「【
「散って!」
「じゃがこれでは、どこに逃げても……!」
「≪いと慈悲深き――」
女神官が【
「≪
それを詩人は杖で制し、代わりに朗々と歌い上げる。
「【
「――
すんのところで氷の壁がオーガの目の前に現れ、直後に【火球】が爆ぜる。爆音を轟かせるも、それは確かに全員を【火球】から守りおおせた。
「ぎりぎりセーフ、だぜ」
「詩人さん!」
「小癪な小娘め……!」
何かが砕けるような音がする。あまりにも大きなオーガの歯ぎしりが、そのように聞こえたのだった。
「あの森人のように、楽に生かされると思うな!」
「やれるものなら、やってみなさい……ッ!」
「そうだぜ、お前は僕の逆鱗に触れているんだ――ッ!」
妖精弓手は女神官を背に庇い、短弓を引き絞る。
詩人は目を見開いて睨み、杖を構えた。
「ゴブスレくん」
「なんだ」
「一手くれ」
「わかった」
二人の会話は、たったそれだけ。お互いに、やることに対して説明の少ないタイプだ。だからこそ、それだけの会話で伝わったのだろう。
「いくぜくそやろう! ≪
精霊使いの鞄の中から、イナゴの死骸がオーガめがけて投げつけられる。
そいつはまるで突然生きているかのように羽ばたき、増え、真っ黒な霞のごとき塊となってオーガへと襲い掛かる――!
「ぬ、ぅ――おぉおおおお!?」
オーガは青黒い肌を粟立たせ、恐怖に顔を歪め、膝を震わせる。
「【
「ふははは! 怯えろ! 竦め! どんな戦士でも、根源的な恐怖にゃ勝てないものさ!」
まるで悪役のようなセリフを吐いて、
「――≪
その陰で、詩人の分身が【突風】の呪文を唱えた。
それは、どう、とオーガを横殴りに吹き飛ばす。まるで狙っているかのように、ゴブリンスレイヤーが壁を超えて回り込みやすい位置へと倒れ込んだ。
「【
「はいっ――≪いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください≫!」
詩人の掛け声と同時、女神官の使う奇跡がオーガを上から押しつぶすように押さえつけた。
「ぐ、ぬおおお……!」
全身を恐怖で支配されたオーガは、ただひたすら、この戦場から逃げだそうともがく。まるでそれしか頭にないかのように。
「ふん……ざまぁみろだ。お前は、恐怖に怯えるみじめな将のまま、死んでいくんだ」
詩人はただそれだけ吐き捨てて、
「ゴブスレくん。あとは頼んだよ」
「ああ」
もはや貴様にかける言葉などない、とばかりにゴブリンスレイヤーへすべてを任せた。
「まぁ、お前は、なんだったか……ゴブリンのほうが手強かったな……」
淡々とゴブリンスレイヤーは、オーガの延髄に剣を突き立てる。詩人の言葉通り、そのオーガは、恐怖に顔を引きつらせたまま絶命した。
古今東西、耐性がないボスが悪い。