「帰ったぞ、しのぶ」
錆兎と同じように稽古から帰ってきた義勇は、自室に荷物を置いてしのぶの部屋をノックした。
「あら、お帰りなさい。すみません気づかなくて」
「気にすることはない。最近忙しそうだな」
「ええ、ちょっと別件で研究の手が止まっていたものですから………」
別件がなんだかは濁して胡蝶しのぶは椅子から立ち上がる。
ドアの隙間から見た机は専門書が積み上げられていて、そういう影の努力を惜しまない所が義勇は好きだった。
「いや、疲れているだろう。夕食は俺が作ろう」
簡素なものになってしまうがな、とキッチンに向かう義勇を、慌ててしのぶが止める。
「義勇さんこそお疲れでしょう? お風呂掃除はしてありますから、ゆっくりなさってください」
「別に疲れていない」
「疲れてますよ。それに明日からまたお仕事じゃないですか」
「しのぶだって学校だ」
ふむ、としのぶは唸って、それならと笑って言った。
「一緒に作っちゃいましょうか」
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とはいえお互い見栄を張っていただけでそこそこ疲れてはいたので。
時間はかかるが簡単の代名詞、カレーを作ることとなる。
「義勇さん包丁使うのお上手ですよね」
「短剣道にも多少の心得がある」
「本当に何でも教えますよねあの道場………」
「日常生活でのあらゆる危機に対応する、が理念だからな。剣道に偏重気味だが、実際には古流柔術に近い。切る、刺す、殴る、蹴る、関節を極める、締める。一通りは習う」
「そうなんですね」
じゃがいもを切り終わり、しのぶが包丁を置いたタイミングで、軽く太ももを撫でる。
「あとは縛ったりもできる」
「腕切り落としますよ」
「そう怒るな。感情の起伏が激しいと疲れるだろう」
「誰のせいでしょうね⁉」
「………俺のせいなのか?」
包丁で器用に人参の皮をむきながら、義勇は心外そうな顔をする。
しのぶは頬を膨らませ、
「心外そうな顔をされるのが心外です! だいたい最近、縄を使う頻度が多いんですよ!」
「満足させようと思った」
「誰が! 毎度縛ってくれなんて頼んでいますか!」
「だが、しのぶは言うことと考えていることが違うときが多い」
そして古き良きあの頃とでも言いたげな顔で遠くを見てムフフと笑う。
「告白をされたときもそうだったな。あれはたしか卒業式だったか。泣きながら『大嫌い!』と言われたからどうしたものかと思ったが、まさか好きの裏返しだったとは気づかなかった」
「あああああああ! あああああああああああ!」
びゅん、と包丁が側頭部を掠めて、義勇は眉を顰める。
「危ない」
「峰打ちです。次はないですよ」
「承知した」
なにもあの時の例を持ち出すことはないじゃないですか、と呟いて、しのぶは耳を赤くした。
「あれは……いろいろといっぱいいっぱいだったんです、忘れてください二度と思い出さないでください」
「あの時のしのぶも綺麗だったぞ」
「そういう問題じゃないんですよ! というか、あんなことになったせいで卒業文集の寄せ書き、私だけ『トミセンとお幸せに!』みたいなのばっかりで家族に見せられなかったんですよ!」
「もう見せても大丈夫だろう。それに付き合い方という点についても、栗花落よりはマシだと思うがな」
「ああ………」
言われてしのぶは思い出す。その目に宿るのは憐憫の情。
「あれは……。宇随先生が暗躍していたというのもありますが。可哀想でしたね、カナヲ……」
「体育祭の翌週は学校に来なかったな。炭治郎も休んでいたが」
「ああ、炭治郎くんもいなかったんですね。通りでよく善逸くんが捕まっていたわけです」
拘束違反をし続ける少年、竈門炭治郎と我妻善逸(冤罪)は毎日のように義勇と鬼ごっこをしていたわけだが。
いつもは二対一でなんとか撒いたりできていたものの、どっちかが休んだりすると即殺されていた。
「今となっては昔のことだがな」
「そうですね、話を聞くかぎり私はあの二人が一番変態だと思いますよ……」
肉と野菜を炒めて、水を入れながら、会話は続く。
「まったく姉さんといいカナヲといい、どうしてうちの家系はこう変態を引いてしまうんですかね」
「俺は変態ではないぞ。よかったな」
「そして本当に残念なことに、あなたも変態なんですよね………」
自分で言っておいて盛大にブーメランを喰らう女、胡蝶しのぶは鍋をぐるぐるとかき回してため息をつく。
「というか、私の周りで付き合っている人の話を聞くに、本当にどいつもこいつもって感じなんですよね! まともそうなのは狛治さんと伊之助くんぐらいでしたよ!」
「伊之助がまともということはないだろう」
「ええそういうと思いました、今度飲み会に誘ってあげてください。で爪の垢でも煎じて飲んできてください」
「ほうじ茶がまずくなる」
「あなたまだ居酒屋でほうじ茶啜ってるんですか馬鹿じゃないですか」
「俺は馬鹿ではない」
「炭治郎くんはサディストですし、錆兎さんは体力お化けだそうですし、鱗滝一門も、もうまったくもうって感じですよ」
「錆兎はな、隠してはいたが助平の気はあった」
「あら、そうなんですか」
じゃがいもに串を突き刺し、うんと頷いてしのぶはカレールーを足す。
「稽古中は暇な時間があればずっと真菰を目で追っていたし、机を改造して隠していた艶本のタイトルは『幼馴染を堕とすなら』だった」
「前半は可愛いですけど後半ゾッとしますね」
ていうか錆兎さんプライベートないですね、もう完全にバレてるじゃないですか………。と憐れみを抱くしのぶ。
その肩に手を置いて、義勇は柔らかく首を撫でた。
「……っ、義勇さん、」
「人のことは散々言うが、しのぶにも問題はあるだろう」
「ありませんよ! 今の状況でよくそんなことが言えましたね!」
「まず距離が近い。そして誰にでも優しい。酔って前後不覚になる上に記憶を飛ばす。そのうえ感度が良い」
「責任転嫁も甚だしい!」
誰のせいだと、とは墓穴を掘りそうだから言わないが。
代わりに包丁の刃をちらつかせてやると、義勇は無言で手を下ろした。
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カレーを盛って、席につき。
「「いただきます」」
手を合わせて共に夕餉をいただく。
普段は致命的に息が合わないからか、こういうときにいちいち嬉しさ半分感動半分になってしまうのが、我ながらちょろいなとしのぶは感じていた。絶対言わないけど。
とはいえ、義勇の方にも進歩はあって。
リズムを覚えたらしく、しのぶと二人きりのときに限っては会話ができるようになっていた。
「錆兎さん、あれでなかなか手を出さなかったらしくて、真菰さんも結構大変なことになっていたらしいですよ」
「俺も錆兎に相談をされたな。いかにして幼馴染のノリで接してくる彼女を閨に誘うかを」
「ああ、一応悩んではいたんですね。安心しました」
「体外受精をさせようという結論に至っていたが、結局どうなったんだ?」
「今度時間があるときにどんな会話してたか書き出してくれません?」
意味が分からなすぎてもう怒りも沸いてこない。なにやってんだこいつら。
真菰さんのほうはどうなったかしら、と内心ほくそ笑んでいると、そういえば、と義勇が言った。
「風邪を引いたのか?」
「引いてませんけど、どうしたんです」
「先日掃除をしたときに、ごみ箱に大量の風邪薬のパッケージがあったから」
「………ああ、研究に使ったんですよ。有用な成分が安価で手に入るので」
「そうか」
一瞬、やべっと思ったが、とっさの機転で乗り切る胡蝶しのぶ。
誤魔化すのは慣れている。本当に隠したいこと以外は真実を話すのがコツだ。
食べ終わり、皿を洗って。
一緒に湯船につかり、歯を磨き。
体育座りをしたしのぶを後ろから抱えるように義勇も座って、ほうじ茶を飲みながらテレビを見る。
「義勇さんはそんななのにちゃんと暖かいですね。冬場は重宝します」
「人を湯たんぽみたいに言うな」
「でも本当に湯たんぽ買おうとしたら止めたじゃないですか」
「………………」
無言で頬を擦り寄せてくるのは犬みたいでかわいいけれど、その目がとろんとし始めたのを見てしのぶは内心ガッツポーズをする。
「義勇さん?」
「………なんだ」
「もうお疲れなんじゃありません?」
「ああ………なんだかずいぶんと、眠い気がする。錆兎に、軟弱と…言われてしまう……な」
「ぎゆうさん、ぎゆうさーん」
数度の呼びかけ、そしてぺしぺしと頬を叩き。
義勇が完全に眠ったことを確認して、しのぶはこらえていた黒い笑みを解放した。
「ふふ、寝ちゃいましたか。おやすみなさい、すぐ、起こしますけど」
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目を覚ました義勇がまず感じたのは、何ともいえない息苦しさだった。
そしてそれが、仰向けになった自分にのしかかっているしのぶによるものだとわかって。
そして上半身に何も身に着けていないことに気付いて、目を少しだけ大きくする。
「………なにをしているんだ」
「あ、起きましたか。覚醒を促したとはいえ四十二分ですか。あなたも大概ばけものじみてますね」
「何を言っているのかわからないが、まあいい。とりあえずどけ………」
と言おうとして、動かない腕に固まる。
楽しくてしょうがないといった笑みを浮かべて、しのぶは義勇の首筋を撫でる。
「義勇さんは手癖が悪いですから。お仕置きですよ」
くすぐったいだろう、と言おうとして明らかにいつもと違う感覚が返ってきて、義勇は奥歯を噛む。
「っ、おい! どういうつもりだ」
「たまにはこういう日があっても良いじゃないですか。私が義勇さんを虐める日があったって、そうは思いません?」
小さい手で首、耳、腕、腹筋から下腹部までつつー、と指を流して
腹の底から湧き上がるような愉悦に浸りながら、しのぶは義勇と唇を合わせて、艶っぽく笑った。
「今夜は寝かしませんよ、義勇さん」