モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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摩利たちを収容したヘリはすぐに安全な高度まで上昇した。
輸送ヘリとは違うティルトローター式の軍用ヘリ。七草家が真由美の保護のために派遣したそれを操縦するのは、彼女のボディガードでもある名倉だ。
搭乗しているのは真由美と共に国際会議場から乗り込んだほのか、雫、美月に加え、摩利、五十里、花音、桐原、紗耶香、深雪、エリカ、レオ、幹比古、駿の計15人。
深雪たちと共に防衛に加わっていた寿和と稲垣の警察官2人は逃げ遅れた市民の捜索を行うという理由で地上に残っていた。
地上から撃たれる心配がなくなり、安堵を漏らした一同は堪えきれずに先の達也が揮った『奇跡』について深雪へ問いかけた。
他人の魔法を詮索するのは、魔法師の世界におけるタブーの一つ。
それでも婚約者を案じる花音や彼らを率いていた摩利の口を閉ざすことはできず、その意を汲んだ深雪は達也の《再成》が如何なるものかを語り始めた。
《再成》――。
それはエイドスの変更履歴を最大で24時間遡り、損傷を受ける前のエイドスをコピー。現在のエイドスに上書きすることで、損傷を受ける前の状態に復元する魔法。
通常の治癒魔法では継続的に魔法を掛け続ける必要があるところ、《再成》は被術者本人のエイドスをコピーしたものであるが故に、一度の処置で完全な復元が可能となる。
損傷を治すのではなく、損傷自体を無かったことにする魔法。
《分解》と並んで達也が生まれ持った唯一無二の魔法――それが《再成》だ。
『魔法』では実現できない『奇跡』をもたらす力。
2095年に至っても紛争や武力衝突は続いており、そうでなくても凶悪事件や不慮の事故は後を絶たない。どんな怪我であっても瞬時に治すことのできる達也の魔法は、他のあらゆる魔法を超える価値があると思われた。
「ありとあらゆる負傷を無かったことにする。
そんな魔法が、何の代償もなく使えると思われますか?」
大勢の人間を救うことが出来る。
そんな無邪気な提案に深雪が返したのは静かな怒りの声だった。
底冷えのする声音に、一同はようやく深雪の激情を悟る。
これまで表情にも声にも出さぬよう自制していたのが見て取れて、称賛を口にした彼らのほとんどが息を呑んだ。
「エイドスの変更履歴を
滔々と語る深雪の口振りには、滲む感情へ蓋をするような響きがあった。
冬の空風に似た無機質で冷たい声音。決して突き放すわけではなく、聞く者の身体を自ずと震わせる。
「知識として苦痛を読み出すのではありません。苦痛という感覚が、負傷した肉体の神経が生み出す痛みという信号が、ダイレクトな情報となって自分の中に流れ込んでくるのです。脳を介した情報ではなく、精神が直接それを認識するのです。しかも、それが一瞬に凝縮して」
自身の負った痛みを思い出したのか、桐原がそっと右足の太腿を撫でた。
そうして初めて、桐原は自身の手が汗を搔いていることに気が付いた。
「例えば五十里先輩が負傷されてからお兄様が魔法を使われるまで、およそ30秒の時間が経過していました。それに対して、お兄様がエイドスの変更履歴を読み出すのに掛けられた時間はおよそ0.2秒。この刹那の時間に、お兄様の精神は五十里先輩が味わわれた痛みを150倍に凝縮した苦痛を体験されているのです」
「150倍……」
堪らず五十里が声を震わせる。
弾丸の突き刺さった背に走った灼熱はありありと思い出すことができて、立ち上がることもままならなかったそれを遥かに超える痛苦が達也に降りかかったのかと思うと、それ以上の言葉が出てこなかった。
「お兄様は他人の傷を治すたびに、そのような代償を支払っているのですよ。それでもまだ、見知らぬ他人のためにそのお力を使うべきだと仰るのですか?」
誰も、何も言葉を発することが出来なかった。
深雪の怒りは痛いほど理解でき、それでも大義の為ならと期待してしまう気持ちがあることを自覚してしまったから。
そして、そうした想いは深雪の中にもあった。
兄のことを一番に考える彼女が、知人や友人の死を拒むために兄を頼ってしまった。それが何よりの証明であり、深雪が自身へ抱く罪の意識の源泉だった。
深雪の静謐さは、憤りの表れだった。
誰でもない自分自身に。達也の負う苦痛を知りながら助けを
無邪気で残酷な願いと何も変わらない。自身のエゴのために達也を傷付けたのだと。
「痛みの凝縮……。だから森崎くんの傷を治したとき、司波くんも苦しんでいたのか」
深雪が口を閉じた後、最初に声を発することができたのは五十里だった。
達也に助けられた彼だからこそ、達也の味わった苦痛の一端を知るからこそ、納得を得るのも早かった。
「片腕を飛ばされて、止血もせずにあれだけ暴れたんだ。俺たちよりよっぽど痛みも強かっただろうよ」
桐原も立場は同じだ。右足を失った時の痛みを鮮明に覚えていればこそ、もう一人の抱えた苦痛を想像することができた。
銃撃によって肘から先を失った駿はその後、奇襲した10人の敵を打ち倒す大立ち回りを演じた。ただでさえ痛みのある中、あれほど激しく動き回れば味わった苦痛も推して知るべしだろう。
二人の言葉もあって、一同はようやく話を呑み込むことができた。
じっと虚空を見つめる深雪へ問いを重ねることなく、これで話は終わりだと溜まった息を吐こうとした。
けれど、ここまでの話だけでは納得できない者が少なくとも2人いた。
「待て。訊きたいことはまだもう一つある」
口火を切った摩利が視線を深雪の斜め向かいへ転じる。
機内の両側に備え付けられた座席の端、後部のハッチに最も近いところへ腰かけた駿に、一同の視線が集まった。
「お前が使った魔法、あれはただの《自己加速》ではないだろう? 達也くんの反応が大きかったのも、それに関わっているんじゃないのか?」
質問の体をなしてはいたが、その口振りは断定に近いものだった。
実際、摩利は自分が目にした魔法がただの《自己加速》でないと確信していた。
魔法を併用して剣を振るう『剣術』において、《自己加速》は最もポピュラーな魔法の一つだ。剣を振るう際はもちろん、踏み込みや回避などの足捌きにも取り入れられることは少なくない。
だからこそ、千葉の道場で見た誰のものとも違うと摩利はすぐに気が付いた。
そもそも駿は《自己加速》を使う時、左手に嵌めたリストバンド型の汎用型CADを使っていた。左手と共にCADも飛ばされていて、《自己加速》の魔法を読み出すことは不可能だったはずなのだ。
「……渡辺先輩が仰る通り、あれは《自己加速》ではありません」
摩利からの問いに、全員から向けられた視線に、駿はゆっくりと肯定を返した。
目を閉じて小さく息を吐いた駿は、顔を深雪へ向けて頭を下げる。
「司波さん、先に謝らせてくれ。彼が必要以上の痛みを負うことになったのは、僕の使った魔法の所為だ」
駿の宣言を受けて、深雪は驚きを目に浮かべた。
「あれは《固有時間加速》という希少なBS魔法、超能力を疑似的に再現したものです」
視線を摩利へと戻した駿は、淡々とした口調で語り始める。
「《固有時間加速》は本来、術者のエイドスに付随する固有時間に干渉することで、絶対時間に対する速度の優越を得る超能力だと言われています。固有時間を加速した術者は運動速度はもちろん、思考や刺激への反射、魔法の発動さえも高速化することができる」
「そんなことが、可能なのか?」
「世界的にもほとんど発現者のいないサイキックだそうです。だからこそ、各国はこぞってその再現方法を研究した」
魔法が兵器として開発されてきた経緯を考えれば、その魔法が垂涎の的になるのも頷けた。
そしてそれほど期待を集めた魔法が知れ渡っていないとなれば、完成しなかったのだろうという予想もまた容易にできた。
「結論から言うと、完全な再現は不可能でした。実現には光の速度を引き下げる必要があるそうで、現在に至っても光速の加減速に成功した例はありません」
物理法則を一時的に改変する魔法は、物理法則による抵抗と修正を受ける。
この原理は改変対象が基礎原理に近付くほど強固となり、光速度不変の法則は数多ある物理法則の中で最も強固な原理の一つだ。一部の先天的なサイキックを除いて、光の速度への干渉は2095年に至っても実現していない。
駿の語ったことは魔法師にとって常識とされるもので、だからこそ一同はどうやって彼がそれを実現したのかわからなかった。
困惑する彼らへ当然だと頷いて、駿は続きを口にする。
「一方で、もしも同じ状況を作り出すことができれば、逆説的に固有時間を早めることができるのではないかと考えた研究者がいました。被術者の観測する時間を、世界に規定された絶対時間よりも早く経過させられるのではないかと」
それは最早、兵器開発という最初の目的から外れた発想だった。
ただ実現できるのかが知りたい。何が起きるのかを知りたい。
そんな学術的好奇心のみが支配する研究はしかし、魔法技能師開発の進む中でひっそりと続けられた。
「こうした発想の末に生み出されたのが《疑似・固有時間加速》。
平等に流れる時間の中で、より多くの動作を実行する魔法です」
固有時間を高速化したから、速く動けたのではない。
固有時間を高速化するため、速さを極限まで突き詰める方法を編み出した。
手段と目的がすり替わった、実験のための非効率で強引な魔法。
それが《疑似・固有時間加速》の開発された経緯だった。
実際にやっていることは《自己加速》とそう変わらない。
人体の活動を高速化するために必要な要素を、より多岐に渡って補助しているだけ。
加速系で血流を。
加重系で重力加速度を。
収束系で呼吸を。
発散系で代謝を。
吸収系と放出系で神経伝達を。
人間の活動に必要なあらゆる要素を高速化して、絶対時間に対する固有時間の高速化を再現した。
特殊な実験のために生み出された魔法が、結果的に実戦で役立ったというだけのこと。
「渡辺先輩、私が撃たれてから司波に治してもらうまで、どのくらいの時間が経っていたかわかりますか?」
一通りを語り終えた駿が唐突に訊ねる。
摩利は今しがた聞いたばかりの説明を消化しきれないまま、ひとまず彼の問いに答えた。
「……撃たれたタイミングは五十里たちと同時だった。多分、1分ほどだろう」
「そうでしょうね。その間、私の体感ではおよそ5分が経過していました。当然、高速化した私のエイドスも同様の履歴を抱えていたはずです」
瞬間、全員が瞠目して息を呑んだ。
動揺の所為かすっかり背筋の伸びきった幹比古が恐る恐る呟く。
「5分だって? じゃあ達也が体感した痛みは……」
「およそ1500倍。彼がCADを落としたのは、それが理由だと思います」
片腕を撃ち抜かれ、肘から先を失って、止血もしないままに動き回って。
そうする間に圧し掛かった苦痛が、1500倍に凝縮されて襲い掛かる。
正気を失わずに済んだことが不思議なくらいだと、達也の事情を知らぬ彼らは思った。
話は終わりだと、それきり口を閉じて瞑目する駿。
達也の味わった苦痛の大きさがあまりに衝撃的で、一同のほとんどが口を開けなかった。
それが駿の狙いで、それ以上を語れば後悔させることになると、彼は解っていた。
駿の表情をつぶさに見ていた雫には、彼の意図をすぐに察した。
察して、理解して、それでも彼女は声を荒げて挑みかかった。
「だったら、どうして!」
「雫……?」
見たこともない剣幕の親友にほのかが驚きの声を漏らした。
彼女だけではない。深雪も、エリカも、美月やレオや幹比古も。普段の雫を知る人間ほど驚愕は大きかった。
「どうして、君は戦ったの? あんな大怪我をして、あんなに血を流して、それが5分も続いて。五十里先輩も桐原先輩も痛みを堪えるのに必死だったのに、どうして君だけは平気そうな顔で動き回れたの?」
表情が変わらないのは問われた駿だけだった。
困ったように眉を寄せ、口元へ穏やかな笑みさえ浮かべながら、平然と答えを口にする。
「単純な話だよ。痛くなかったんだ」
雫の目が大きく見開かれた。
滲んだ涙が瞳の端に溜まり、段々と水滴が大きくなっていく。
「どういうこと? あんな怪我をしていたのに……」
「正確に言えば、痛みを
想像を超える衝撃が雫から言葉を奪い、溜まっていた涙が頬を流れた。
「ビデオゲームに例えるとわかりやすいかもしれません。ゲームの中のキャラクターは敵から攻撃を受けると体力が減っていく。けれど、どれだけ体力が減っていても、生きている限りは健康な時と変わらずに動けるんですよ」
駿の言った感覚を理解できた者はいなかった。
理解しようと考えることにすら、本能的な忌避感を覗かせる者もいた。
説明を続ける駿の方も、理解が得られるとは初めから考えていなかった。
「《疑似・固有時間加速》を扱うためには、こうした客観性――離人感覚が必要なんです。
意識を肉体と精神から隔離し、それらを『自分』とは切り離して認識、制御する。
それが固有時間を高速化するために必須とされる条件で、だからこそあの魔法を使っている間、真の意味で痛いと感じることはありません」
そこまでが語られたところで、幹比古が焦ったように口を挟んだ。
「待ってくれ。森崎くん、もしかして君は精神から魂を分離していると言うのかい?」
「少し違うな。僕は別に精神から魂を――意識を切り離しているんじゃない。繋がりは維持したまま、互いを見通すことのできる壁で隔てているイメージだ」
「……あいにく古式魔法の知識には疎いんでな。わかりやすく説明してもらえるか?」
耳慣れない単語が飛び交う中、頭痛を堪えるように摩利が頭を抱える。
ほとんどの人間が同じように困惑顔を浮かべていて、先を促された駿はゆっくりとその理論を語り始めた。
「個人を構成する要素は大きく3つに大別できるとされています。物質から成る『肉体』と、プシオンで構成された『精神』。『意識』はそんな『精神』の内の意識領域だけを指したもので、古式魔法においてこの領域は『魂』と呼ばれています」
現代魔法の理論において、『精神』は階層状に重なる意識領域と無意識領域の双方を指した総称だ。魔法式はこの内の無意識領域によって形成され、双方の間にある『ゲート』からイデアへと送出される。
「ご存知の通り、『精神』とは意識と無意識の総称です。この内、意識領域は感情や情動を生み出し、肉体や精神の得た知識を経験、体験として記憶する領域として働きます」
意識領域は精神を構成する一部であり、切り離すことはもちろん重なり合ったそれらを隔てることは本来不可能。
だが駿には意識領域の内に『
精神の中でも明確に
「肉体や精神から得た情報を分析、評価して記憶するのが意識領域――『意識』の役割。
《疑似・固有時間加速》を使う際はこの領域を隔離しています。脳を含む内臓と運動を行うための肉体、魔法式の形成と制御を行う精神の双方を高速化するためには、それらを俯瞰して観測する必要があるからです」
習得に至った本当の理由を隠して、駿はそう説明を締めくくった。
自分が本来あるべき『森崎駿』ではないと、それを打ち明ける意思は彼の中になかった。
「そうしている間、お前はどう見えていて、どう感じているんだ?」
納得しきれないまま、摩利は具体的なところを訊ねる。
小難しい理論を聞くよりも解りやすいだろうと。そう考えたが故の問いだったのだが、齎された回答は想像を絶するものだった。
「モニター越しに景色を見て、スピーカー越しに音を聞いている感覚に近いでしょうか。
過程と結果は記憶していても、そこに実感や感情が乗ることはありません。
痛みすらも、ただ手元を流れる情報の一つに過ぎない」
耐えられないとばかりにほのかが顔を逸らした。
幹比古やレオ、美月に加え、五十里、花音、桐原、紗耶香の二年生組は唖然としたまま固まった。摩利は真由美や深雪と同様に眉を寄せて俯き、エリカだけは鋭い眼差しのまま駿を睨んでいた。
「そんな……そんなのって……」
悲鳴を漏らした雫もまた、駿の目を見ることはできなかった。
返ってくる眼差しが自分の知っているモノと違うかもしれない。そう思うと、顔を上げるのが怖かった。
「この魔法を最初に考案した学者は、後に別の呼び名を付けたそうです」
ただ一人、普段と何も変わらないような顔で、駿は最後にこう締めくくった。
人間らしい感覚を切り離し、人形を操るように自身を操作、加速させる魔法。
《疑似・固有時間加速》――《アクセル・アバター》と。