モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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 お久しぶりです。
 大変長らくお待たせ致しました。







第38話

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 達也の《再成》と、駿の《疑似・固有時間加速(アクセル・アバター)》。

 常識を超える2つの魔法について語られた後の機内には、重苦しい沈黙が落ちていた。

 

 《再成》の話だけならここまで沈鬱な雰囲気にはならなかっただろう。

 決定的だったのは寧ろ《疑似・固有時間加速》――駿の魔法に関する話の方だ。

 

 魔法の効力については驚きこそあれ、マイナスな印象はない。

 個人によって理解の及ばぬ部分に差はありつつも、その魔法を使った結果何が起きるかという点は概ね飲み込むことが出来た。

 

 受け入れ難かったのは必要となる前提と、それによって生じる副作用だ。

 

 意識を精神と肉体から隔離し、人形を操るように自身を動かすというプロセス。

 《疑似・固有時間加速》を用いるのに必須とされるこの条件を満たした結果、術者はあらゆる刺激に対する実感を失うことになる。痛みや苦しみを初め、喜びや充足感、怒りや悲しみといった心理的反応が付随しなくなるのだと。

 

 これを聞いた一同の反応は大きかった。

 信頼が大きいほど受けた衝撃は深く、それ以上は聞きたくないと口を閉ざした。

 必然的に機内の雰囲気は重くなり、それは唐突に美月が悲鳴を漏らすまで続いた。

 

「美月、どうしたの?」

 

 圧し掛かる沈黙を和らげるためだろう。

 努めて穏やかに問いかけた深雪へ、美月は外していた眼鏡を掛け直しながら答えた。

 

「ベイヒルズタワーの方で、野獣のようなオーラが見えた気がして」

 

 ヘリへ搭乗してからというもの、美月は頻繁に眼鏡を外しては地上へ注意を配っていた。

 「見ていることしかできないから」という理由で見張り役を買って出た彼女は衝撃的な話の後も逃避を兼ねて窓の外を見つめていて、結果的にそれが功を奏した。

 

「野獣のような? それって……」

 

 美月の悲鳴を聞いた幹比古はすぐに呪符を取り出し、片目の前にかざした。

 すでに遠く離れたベイヒルズタワーのもとへ術を介して視界を送る。イデアを通じて放たれた精霊は物理的な距離に依らず迅速に目的地へと辿り着き、そこで起きている現実を幹比古の視覚へともたらした。

 

「っ、敵襲!」

 

 魔法協会関東支部の置かれたベイヒルズタワー。

 かつては『港の見える丘公園』と呼ばれていた丘陵に築かれたそこへ、20人余りの武装集団が迫っていた。

 

「確かなの?」

 

「でも敵は義勇軍が押し返しているはずよ」

 

 真由美と花音が驚きを含んだ声で問いかける。

 克人と将輝が加わった以上、機甲兵器を中心とした敵部隊に後れを取ることなどない。

 機内の全員が同じ認識を抱いていて、事実そのように推移していることは魔法協会からの連絡で把握していた。

 

 それは両者と相対した経験のある幹比古にとっても疑うまでもないことで、にもかかわらず敵の接近を許しているからこそ彼の口調は焦りに満ちていた。

 

「少人数による背後からの奇襲です。恐ろしい勢いだ。このままでは協会が危ない」

 

 幹比古の忠告を受けた真由美はけれど、すぐに決断することができなかった。

 彼の能力を疑っているわけではない。迷いの源泉は後輩たちを危険に晒してまで引き返す必要があるのかという点だ。

 

 これ以上後輩たちを戦いに巻き込みたくない。ただでさえ心に大きな負担を受けた者は多いのだ。戦場を目の当たりにしただけでなく、敵兵の命を手に掛けた者さえいる。

 駿の語った魔法もまた、駿の過去の断片を知る真由美にとっては悲壮な覚悟のもとに習得したものだと否応なく理解させられていた。

 

 或いは協会に残った魔法師だけで撃退できるのではないかと。

 祈りにも似た期待はしかし、操縦席から呼び掛ける声に儚く破られた。

 

「真由美お嬢様。魔法協会より十師族共通回線へ緊急通信が入っています」

 

「っ、貸してください!」

 

 名倉から差し出されたレシーバーを受け取って耳に当てる。

 聞こえてきたのは幹比古が語ったのと同じ非常事態の報せ。防衛のために残った魔法師の人数も少なく、突破されるのも時間の問題だと協会職員は訴えていた。

 

「名倉さん、協会にヘリを向けて」

 

 協会の危機を確信した真由美はやむなく迷いを振り払った。

 

 このまま引き返せば摩利や後輩を巻き込むことになる。出来ることなら彼らを脱出させ、応援を連れて戻るのが理想だろう。

 だが事態は一刻を争う状況で、安全な場所まで行って返ってくる時間はない。日本の魔法技術、延いては安全保障上の重要機密が狙われている今、これを防衛するという使命は友人たちの安全よりも優先される事項だと、十師族『七草家』の長女たる真由美は判断した。

 

「みんな疲れていると思うけど、もう少しだけ力を貸して頂戴」

 

 真摯な表情と態度で出された依頼に、首を振る者は一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 

 

 

 横浜へ引き返した双発ヘリは5分ほどで魔法協会のあるベイヒルズタワー上空へ到着した。

 ヘリポートへの着陸進路を取る傍ら、真由美が《マルチスコープ》の視界を地上へと向ける。

 

「人数は20人くらい。ほとんどは銃を使っているみたいだけど、1人だけ動きが全然違う。柴田さんが言った野獣のようなオーラっていうのはこの人のことかも」

 

 真由美の目には防衛する協会魔法師の攻撃をものともせずに進行する男の姿が映っていた。後ろには灰色の迷彩服を纏った兵がハイパワーライフルを手に続いており、断片的な視覚情報だけでも旗色は明白だ。

 

「ベイヒルズタワーの監視カメラにアクセスしてみます」

 

 端末を取り出した五十里が百家共用のアクセス権を使い、映像を手元に読み込む。

 表示された映像には白色の金属鎧を纏った大男がバリケード諸共協会の魔法師を撃破する瞬間が映っていた。

 

 白い中華風の甲冑を着た大柄の男。

 とても銃火器を凌げるようには見えない古風な軽鎧を纏った男はしかし、装甲車の放つ機銃弾すら容易く弾き、魔法で強化されたバリケードを剛腕の一振りで薙ぎ払っていく。

 魔法も実弾もものともせずに進撃する姿はまさに猛獣そのものだった。

 

「この男か? 妙な鎧を身に付けているようだが……」

 

 映像を覗き込んだ摩利が眉を寄せる。

 表情に浮かんでいるのは疑問が第一で、危機感や警戒は表に出るほど大きくない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、彼女の反応は至極自然なものと言えるだろう。

 

 真由美や他の面々も同じく、誰一人として男の容貌を知らなかった。

 攻め寄せる相手が世界でも屈指の白兵戦能力を持つ人間だと知らなかった。

 

 故に()は自ら、誰も知らない男の正体を明かすしかなかった。

 

「――呂剛虎(リュウカンフウ)。『人喰い虎』と呼ばれる、大亜連合きっての猛将です」

 

 端末を覗く人垣の最後方からはっきりとした言葉が放たれる。

 大半が聞き覚えのない名前に視線を向ける中、2人だけは異なる反応を示した。

 

「呂剛虎! そう、こいつが……」

 

 唯一振り返らなかったエリカが興奮を滲ませる。

 彼女の顔に闘争心が浮かんだのを見て、すかさずレオが問いかけた。

 

「知ってるのか?」

 

「ええ。『千葉(うち)』の看板に泥を塗ってくれた強敵よ」

 

「総領が引き分けたとかいう、例の男か。確かに強敵だな」

 

 納得したように摩利がため息を吐く。

 寿和が捕らえ損ねた相手のことは摩利も修次経由で聞いていて、長兄の実力が世間の評判よりずっと高いことも知っている彼女は、だからこそエリカの口にした『強敵』という評価にもすんなりと頷いた。

 

 一方、『強敵』という言葉を聞いてレオの口元にも小さな笑みが浮かぶ。

 千葉家での修行を経た彼は持ち前の白兵戦能力を磨いた一方、自分の得た力がどこまで通用するのか試したいという剣士の悪癖をも獲得してしまっていた。

 

 怯むどころか目を輝かせる一年生2人に、傍らの真由美が頭を抱える。

 その所為で、彼女は自らのボディガードが見せた僅かな隙を見逃してしまった。

 

 

 

 

 

 

 エリカと同じく、呂剛虎の名前に反応を示したもう一人。

 駿の口から男の名前が出たのを耳にした名倉は、ヘリポートへ向けて機体を寄せながら誰に気付かれることもなく駿を一瞥した。

 

 マークしていた少年が漏らした、不自然な一言。

 真由美の指示で探った過去がきっかけで当主の関心を得た少年は、未来予知に類する能力を持つと噂されており、また一つその推論の補強となり得る発言をした。

 

 護衛業に関わっているとはいえ、いち高校生に過ぎない少年がなぜ呂剛虎の容貌と名前を知っているのか。

 多少の情報は出回っているものの、あくまで軍事に携わる者や名倉自身のように後ろ暗い仕事を務める人間にしか手に入らないものがほとんどだ。洗い出した交友関係の中にも情報の出所になり得るものはなく、通常の手段では決して知ることができないだろう。

 

 だが七草家当主の弘一(こういち)が睨んだとおり、大亜連合軍が『未来視』と呼び捜索している人物が森崎駿だとすれば、独りでに情報を掴んでいても不思議はない。

 『印』を付けたオーストラリア軍魔法師2名も大亜連合同様その実情を探っていたらしく、当の二人との接触があったことも内情の協力者から知らされている。こちらについても決して偶然ではないのだろう。

 

 加えて先刻、少年が極めて特殊な魔法を会得していることが確認された。

 世界で唯一の成功例と思われる希少な魔法の持ち主ともなればその重要性は極めて高く、場合によっては拘束して管理する方が国益に繋がるだろう。当主がこのことを知ればすぐにでも確保に動くかもしれない。

 

 思考を巡らせた名倉の視線はすぐに手元へと戻り、表情には一切の変化を見せぬままヘリポートへの着陸進路を進む。

 報告事項を組み立てる彼の僅かな眼光の変化に気付く者は一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 一方、名倉を介した実父の企みには気付かぬまま、真由美は戦力をどう振り分けるか考えていた。

 

 摩利とエリカは納得したが、呂剛虎と呼ばれた男の実力は底が知れない。

 《マルチスコープ》の視界には依然として暴れ回る男の姿が映っているものの、今のところは強固な守りを頼りに力任せな突破を図る場面しか見えていない。これほどの魔法を操り『猛将』とまで呼ばれる人物であれば、まだまだ手の内は隠されていると考えるべきだろう。

 

 自分と摩利が対するのは前提として、他に同行できそうなのは誰だろうか。

 そうして人員の配置を考える真由美に、横から自薦の声が掛けられた。

 

「七草先輩。私を使ってください」

 

 思わず漏れかけたため息を呑み込んで、真由美は渋々と振り返る。

 視線を向けた先で、駿は至極真剣な表情をしていた。

 

 どれだけ心身を削っているか(つまび)らかにしておいて、その眼差しには一点の迷いも浮かんでいなかった。

 まず間違いなく同じ力を揮うと自覚していながら、その口振りには一切の淀みも存在していなかった。

 

 自身を顧みる気のない姿に、摩利へ語った人物評が真由美の脳裏を過る。

 

『彼は多分、自分自身への関心が希薄なのよ。自分がどう感じるか、どうしたいかよりも、自分の行動で何ができるか、何を与えられるか、何を残せるかにしか考えが至らないんだと思う。だから自分への負担はまるで気に掛けないし、場合によっては自身を使い潰してでも目的を優先するでしょうね』

 

 これほど嫌な正解もないだろう。

 そうではないかと考え、変わって欲しい、変えられる人が現れて欲しいと願い続けたそれは、およそ最悪な形で現実に突き付けられてしまった。

 

 『自らに出来ることへ全力を注ぎ、より良い結果を得るために尽力する』

 

 森崎駿を評する際に語られる文句は今や、同じ言葉のまま異なる印象へと変貌した。

 

 間違っているわけではない。

 その想いも行動も、根底にあるものは何一つ間違ってなどいない。

 ただ、人として当たり前に備えているはずの制動(ブレーキ)が存在していなかった。

 

 目的のためなら自身がどんな怪我や負担を負っても構わない。

 片腕を失くそうとも。五感を遠ざけようとも。感情を出せなくなろうとも。

 あらゆる『実感』を失おうとも、目的の為にすべて呑み込んでしまう。

 

 それがどれほど悲痛なことか、本人だけが理解していなかった。

 自分の発言と行動がどれほど周囲への心痛になっているか考慮していなかった。

 

 だからこそ名乗り出た駿を見る目はどれも厳しく、悲しみに染まっていた。

 

「ダメだ」

 

 呂剛虎への先鋒を願い出た駿に対し、先に(いな)を突き付けたのは摩利だった。

 

「森崎、お前が来ることは認めん。ここに残ってヘリを守れ」

 

 一同の注目を浴びながら、同じように振り向いた駿へ厳然とした眼差しを向けていた。

 冷たく射貫くような色に駿は小さく眉を寄せ、焦りを滲ませて食い下がる。

 

「ですが、この男の実力は……」

 

「千葉の総領を退けた相手だ。相当な強者だというのはわかる。お前がさっきの魔法を使えば、勝算が上がるだろうということもな」

 

 《疑似・固有時間加速(アクセル・アバター)》の威力を認めた上で、それでも摩利は頷かなかった。

 目の前の後輩が同行すれば勝算は上がると理解していながら、それ以上に認められない理由が彼女にはあった。

 

「だとしてもお前は――お前だけは、絶対に連れていくわけにはいかない」

 

 摩利の態度は強硬で、翻すのは難しいと誰の目にも明らかだった。

 突き付けられた当人であれば尚更で、それでも何とか言い縋ろうと言葉を探す駿へ、摩利は極々短いため息を吐く。

 

「この際だからはっきり言っておこう。今のお前は、信用できない」

 

 切って捨てるような一言に、機内のほとんどが驚きを滲ませた。

 動じていないのはエリカと真由美だけで、深雪すらも僅かに目を丸くしている。

 

 何故と問ういくつもの視線に対し、摩利は淡々とした口調で応じた。

 

「自分の身も顧みないような奴に、背中を預けられるはずがない。それがわからないというなら尚更だ。お前の本性を知った以上、これまで通りに信用することなど到底できん」

 

 その宣告で、一同のほとんどは納得と同意を顔に浮かべた。

 花音や桐原といった実戦経験の豊富な者ほどその傾向は顕著で、後輩へ向ける眼差しには憤りすら滲んでいた。同情的だった友人たちも摩利に同調する様子を見せている。

 

 失望からではない。理解できない者への恐怖でもない。

 ただ駿の心身を案じているからこそ、好感を抱いているからこその態度だった。

 

 このまま駿を戦場に送り出せば、先の光景が再び起きかねない。

 本人にそれを避ける気がないのだ。危険な相手の前に赴き、代償と負担の伴う魔法を使うことに躊躇いがないとなれば、何が起きるかは火を見るよりも明らかだろう。

 

 言われた当人を除く全員が摩利の真意を理解していて、駿の答えを待っていた。

 

 或いはここで自省する様子が見られたなら譲歩を引き出せていたかもしれない。

 事実、駿の戦力的な評価は《疑似・固有時間加速》を除いても高く、使用しないと約束できるのであれば是非とも力を借りたいと、真由美の中の冷静な部分は考えていた。

 

 しかし視野狭窄に陥っている今の駿に、彼らを慮る余裕は残されていなかった。

 

「信用して頂けなくとも構いません。私はただ、先輩方さえ守れればそれ、で……」

 

 尚も食い下がろうとした駿が不意に息を詰まらせ、間もなく力が抜けたように倒れ込む。

 安易な返答を口にした彼を助けようとする者はおらず、何人かはうつ伏せに倒れこむ駿を悔しげに見送った。

 

 美月とほのかが小さく悲鳴を漏らす中、機体の床へ倒れた駿を摩利はじっと見下ろす。

 後ろ手に握った2本のシリンダーは蓋が開いていて、流れ出た香料が彼女の制御する気流によって足元の後輩へと導かれていた。

 

「気持ちはわかるけど、一応それは法律違反なのよ?」

 

 呆れた口調を装って真由美は何が起きたのかを遠回しに知らせる。

 摩利の手口をよく知る真由美は悪友の思惑を知っていて止めようとはしなかった。

 語られた理由以上に駿を案じての行動だと、付き合いの長さから察していた。

 

「眠らせただけだ。すぐに目を覚ますだろう。――北山」

 

「はい」

 

 粗雑な振る舞いで誤魔化した摩利が呼びかけると、雫はすぐに進み出た。

 戸惑いも疑問も表情には窺えず、わかっていたとばかりに横たわる駿の傍に立つ。

 赤みの残る目元だけが鋭く研ぎ澄まされていて、決意や覚悟に類する何かがあると摩利は読み取った。

 

「このバカを任せる。縛り付けるなりして、見張っておいてくれ」

 

「わかりました」

 

「光井さんも、一緒に残ってもらっていいかしら?」

 

「は、はい」

 

 雫に続いて真由美に指名されたほのかが驚きと困惑を引き摺りながらも頷く。

 ちょうどそのタイミングでヘリが屋上へと着陸した。音と足元からの揺れでそれを察した真由美は摩利へと目配せだけをして、キャビン後方の開閉装置を操作する。

 

「行きましょう。時間もないし、皆の配置は移動しながら伝えるわ」

 

 隙間から差し込むローター音に負けないよう張り上げた声に、雫とほのかを除く全員が首肯を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 真由美たちを乗せたヘリがタワーの上空へ到着した頃、大亜連合軍特殊工作部隊隊長の陳祥山(チェンシャンシェン)は独り人気(ひとけ)のない階段を上っていた。

 

 人目を憚る様子はない。身を隠すことも、足音を忍ばせることもない。

 にもかかわらず、彼が見咎められることはなかった。協会の職員とすれ違っても止められることはなく、どころか視線一つ向けられることはない。

 状況によって、気配によって、そして魔法の力によって、陳は警戒の目を余所へと逸らし続けていた。

 

 これこそが《鬼門遁甲》。

 中華大陸に伝わる古式魔法にして、他者の意識を誘導する精神干渉の呪法。

 認識を基に方位を狂わせるこの魔法は対象の注意や関心を巧みに誘導し、そうと気付かせぬまま罠に陥れる。術に囚われれば最後、術者の行方を掴むことは困難になり、強度によってはまっすぐ歩くことすらままならない。

 

 《鬼門遁甲》はその性質上、他に関心を得やすい事象があるほど大きな効果を発揮する。

 呂を始めとする部下が派手に暴れている今、その隠密性は最大限にまで高まっていた。

 

 事は陳の想定通りに運んでいる。

 

 魔法協会の通信を傍受していた陳は反攻のために義勇軍の大部分が出払った時点で自ら先行。タワーの付近に潜伏し、部下が囮となっている間に易々と侵入を果たした。

 部下の奇襲によって義勇軍の目は丘の麓へと向いたまま。手薄になったタワーをすんなりと上ってきた彼は誰の注意も引くこともなく、魔法協会のある階層へと辿り着く。

 

 頼みの十師族が到着する前に終わりそうだと、陳は口元を僅かに綻ばせた。

 

 

 

 ――直後のことだった。

 

 

 

 唐突に、背中へ激痛が走った。

 呻きを漏らす暇もなく、臓腑を抉った痛みが胸から外へと抜け出す。

 

 赤黒い血に塗れた刃が眼下に映って、ようやく刺し貫かれたのだと気付いた。

 何が起きたのか気付いた時にはもう陳に抵抗の術は残っていなかった。

 

 刃が引き抜かれ、力の抜けた身体がよろめく。

 膝が折れそうになるのを気力で支え、灼熱のような苦痛に耐えながら振り返った。

 

 途端、再度の刺突が喉元を穿った。

 

 急所をひと突きにされ、陳の意識は痛みを感じる間もなく途切れる。

 うつ伏せに倒れ込んだ時点で息はなく、虚ろな眼にはもう何も映ることはない。

 開いたままの瞼はやがて血だまりの外から伸びた手によって閉ざされ、陳祥山の生涯は静かに幕を下ろした。

 

 

 








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