モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第42話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 輸送機を降りた僕と雫は心配そうな表情のほのかを宥めつつ、屋上の外縁部へと向かった。

 

 ヘリポートの端から眼下を覗くと、地上に薄い霧が立ち込めているのがわかった。

 ドーム状に展開した霧は明らかに自然の現象ではなく、また視界を遮る目的のものとも思えない。中の光景も容易に見通すことができて、ドームの内側に倒れているのが先輩たちだと気付くのに時間は掛からなかった。

 

 立っているのは渡辺先輩とエリカ、幹比古の三人だけ。残りは全員が路面に倒れ、動く気配もない。怪我をしたのか、意識を失っているのか。最悪の状況が頭に浮かんだが、目を閉じてそれを思考の隅へと追いやった。

 

 一見すると敵の姿は窺えない。攻め込んできたはずの呂剛虎もすでに倒れていて動かず、他の大亜連合兵の姿もない。

 見えるのは何もない空間に渡辺先輩とエリカが剣を振るっている光景だけ。だが手当たり次第という様子でもないし、恐らくは何らかの魔法の影響だろう。状況から考えて《鬼門遁甲》ではなく、だとすれば残る心当たりは一つしかない。

 

 猶予はない。エレベーターを待つ時間はなく、階段を使っても遅いだろう。

 少しでも早く地上へ降りるために。取るべき手立てはこれだけだ。

 

 方針を固め、三歩後ろへと退がる。

 左腕のCADから《跳躍》の起動式を読み出し、自分のエイドスへ魔法式を投射。

 運動状態を書き換える移動魔法で斜め上方への運動ベクトルを付与する。

 

「行ってくる」

 

「うん。行ってらっしゃい」

 

「えっ……? うそ、ここから――!?」

 

 振り向いた雫と一言だけを交わし、耳に届くほのかの驚愕を無視して落下防止柵を跳び越えた。

 

 

 

 

 

 

 《跳躍》の効果時間が終わって落下へ転じると、猛烈な勢いの風が全身を叩き始めた。

 風音はすぐに轟音へと変わり、見る見るうちに地上の明かりが迫ってくる。

 

 いつの間に晴れたのか、霧のドームはすっかりなくなっていた。

 地上では七草先輩たち四人に加えてエリカと幹比古までもが横たわっている。しかも幹比古は怪我をしているようで、彼の脇にだけ血溜りができていた。

 ついには渡辺先輩の倒れる瞬間までもが目に入って、堪らず奥歯を噛み締める。

 

 鳩尾の奥から湧いた熱が急速に全身へと広がっていく。

 吐き出す息が荒くなる一方で思考はクリアになり、耳元に轟いていた風音も消えた。

 知らぬ間に握り込んでいた手を開き、先輩たちの周囲へ精一杯目を凝らす。

 

 直後、渡辺先輩の傍らに久沙凪煉が現れ、先輩へ向けて手を伸ばし始めた。

 

 考えるよりも早く手が動き、脇に収めた特化型CADの引き金を引く。

 牽制の効果を確認するまでもなく左手首の汎用型を操作し、《重力制御》と《慣性制御》を発動。衝撃を抑えて着地したそばから『フライシュッツ』を抜き、銃口を相手に向けた。

 

「森崎くんやん。また()うたね」

 

 不意を突いたはずの相手はしかし、動揺一つ浮かべてはいなかった。

 蛇のような鋭い眼差しと口元の笑み。穏やかな口調とは裏腹に迫力が滲んでいて、これまで相対したいずれの時とも雰囲気が違う。

 久沙凪煉の向こうには呂剛虎が横たわっていて、喉元から溢れる多量の血が白い鎧を濡らしていた。

 

 自ずと息が詰まる。

 衝撃と憤りが胸中でせめぎ合って、激しい鼓動が耳奥に響いた。

 

 彼の豪傑が死亡するには一年以上早い。

 原作で語られていないので動向はわからないが、世界で十指に入ると称えられる近接戦闘魔法師だ。部隊長の陳祥山も含め私情を抑えて任務を優先する真っ当な軍人で、死亡したことによる影響は計り知れないだろう。

 

 これがもとで後に出てくる対日強硬派を抑えられなくなれば、短期間での停戦破棄もあり得るかもしれない。

 新ソ連を始めとする他国の介入が予想される中、そこに大亜連合まで加わるとなれば原作以上の危機になる可能性がある。

 

 元より先輩たちを傷つけられた時点で許すことのできない相手。

 そんな相手が呂剛虎すらも手に掛けたのだとすれば、尚更放置できるはずがない。

 

 刺し違えてでも――と、そんな考えが頭に浮かんだ。

 

「久沙凪煉。貴方にはここで退場してもらう」

 

 起動状態のCADを突き付けて告げる。

 すると相手は一層笑みを深め、なんとも楽しげな口調で応じた。

 

「退場や言うて怖いわぁ」

 

 額に手を当てて(うそぶ)く間も隙はない。

 視線は常にこちらを捉えていて、身の竦むような緊張感が背中を刺している。

 

 彼我の実力差は歴然。

 なにせ渡辺先輩とエリカ、幹比古の三人掛かりでも敵わなかった相手だ。

 

 正体不明の隠形と離れた位置まで伸びる幻影の刃に加え、美月と同じ『眼』と魔法式を無効化する剣技まで備えた古式魔法師。

 原作で語られた実力者たちに劣らぬ強敵だ。隠形の性能次第では達也にすら有利を取りかねない。

 

 一方、余裕の窺える相手に対してこちらはかなり消耗している。

 残ったサイオン量で《術式解体》は使えず、《ドライ・ブリザード》も連発は難しい。《疑似・固有時間加速》も長くは保たないだろう。 

 

 援軍を呼ぼうにも当てはなく、幹比古の容体も考えると時間を掛けてはいられない。

 どうにか短期決戦に持ち込むしかないが、問題はそれができるかどうか。

 

 勝ち筋があるとすれば、《疑似・固有時間加速》を知られていない点だけ。

 ただそれも一度見せてしまえば対策を取られかねない。時間稼ぎをされるだけで打つ手がなくなるのだ。最初の一回を決定打にできなければもう後はない。

 

 狙いを悟らせることなく虚を突き、一撃で仕留める。

 必要なのは相手の注意を引き付けること。警戒心を怒りや油断で塗り潰すことだ。

 

「貴方が彼女の――(りん)の兄だというのは聞いていた。放浪癖があって家に寄りつかないとも」

 

 彼女()の名前を口にした瞬間、久沙凪煉の目元が動いたのがわかった。

 狙い通りの反応を見せた相手は切れ長の目を一層鋭くしてこちらを見据える。

 

「彼女は貴方の帰りを待っていた。いつか自分を解き放ってくれると、そう信じていた」

 

 平静を装って語るたび、奥底から後悔が立ち上がった。

 燃える火の熱さが身体の内に広がって、木と肉の焦げた臭いが鼻腔に蘇る。

 

『――シュンが終わらせて。手遅れになる前に』

 

 寂しげに涙を零す姿は『森崎駿(僕ら)』の記憶に深く刻まれている。

 

 待ち続けた兄との再会は叶わず、最悪の事態を防ぐために目の前の部外者(よそ者)を頼るしかなかった。出来ないと喚くこちらを諭すその顔には憂いと諦めが覗いていた。

 

 代わりになれればどれだけよかったか。

 受けた恩は何一つ返せず、守ることも救うこともできず。

 いっそ殉じられればよかったのに、それすらも許されなくて。

 

 『森崎駿(僕ら)』では久沙凪煉()のように久沙凪燐(彼女)を解放する鍵にはなれなかった。

 

「最期の瞬間、彼女は貴方に向けて謝っていた。約束を守れなくてごめんなさいと、そう言っていた。身内にどれだけ傷つけられようと、貴方のことだけは変わらず信じていたんだ」

 

 彼女の生家や兄妹にどんな事情があったのか、正確なところはわからない。

 漏れ聞いた断片的な情報から推察することしかできなくて、それだけでも彼女が過酷な運命を背負わされているのは予想がついた。部外者にもわかるくらいだ。彼女の兄ともなれば当然、理由も経緯も知っていただろう。

 

「けれど、貴方は帰ってこなかった」

 

 なのに、目の前の男はあの場にいなかった。

 信じて待ち続ける彼女を裏切ったのだ。

 

「大事な妹を置いて遊び歩いた挙句肝心な時に傍にいなくて、穏やかな未来を願った彼女の想いすら無下にして敵国の軍へ加担している。彼女が生きていたら何て言うだろうな」

 

 他人の事など言えた口ではないと知りながら、今だけは思い付く限りに(なじ)る。

 言葉にするほどかつての悔しさが蘇り、破れた舌から鉄の味が広がった。

 

 幸い、挑発の効果はあったらしい。

 じっとこちらを睨む相手はすっかり笑みが消え、刀を持つ手は強く握り込まれていた。

 

「君が、それ言うねや」

 

 久沙凪煉が呟いた直後、右腕に激痛が走った。

 二の腕を後ろから斬られたような痛み。堪らず力が抜け、取り落としそうになったCADごと左手で支えて振り返る。けれどそこには誰もおらず、再び正面の久沙凪煉を見てみれば相手は姿勢一つ変えてはいなかった。

 

「もうどうでもええ思うとったんやけど、君にそんなんを言われてもうたらな」

 

 今度は足首に痛みが生じた。

 支えを失った身体がバランスを崩し、膝を突くことでどうにか転倒を避ける。攻撃された方向を見ても何もなく、見上げる形となった久沙凪煉へ目を凝らすことしかできない。

 

「大人げあらへんのはわかってるけど、精々八つ当たりさせてもらうわ」

 

 飄々とした口調でそう言って、久沙凪煉は手にした刀を無造作に振り上げた。

 

 迎撃の《ドライ・ブリザード》を放ちつつ、身体ごと転がって刀身の延長から逃れる。

 余裕をもって避けたはずの一刀。けれど直後には三度目の激痛が左肩から背中へと抜けていき、一方でこちらの撃った氷弾は相手の身体をすり抜けていった。

 

「――っ」

 

 外傷の伴わない純粋な痛覚が意識を塗り潰し、声にならない呻きが漏れた。閉じかけた瞼を強引に支え、奥歯を噛み締めて意識を繋ぎ留める。

 顔を上げればそこにはじっと佇む久沙凪煉の姿。表情こそ変わらないものの、いつの間にか肌を焼くような緊張感が漂っていた。

 

 直感の鳴らす警鐘に従って路面を転がる。

 今度はやり過ごすことができたのか、それまでの三か所以上に痛みが生じることはなかった。手を突いて体勢を整えつつ、目を閉じて圧縮したサイオンの波を体内に響かせる。

 

 キャストジャミングに似た波動が身体を揺らし、精神干渉の可能性を洗い流す。

 それでも久沙凪煉の立ち位置が変わることはなく、目を開けた時点で刀を腰だめに構え直していた。

 横薙ぎに振るわれようとする刃へ敢えて踏み込み、間合いに入る直前で急制動。身体を後ろへ倒しながらドライアイスの弾丸を放つ。

 

 刀の先が目の前を横切るのと同時に、氷弾が男の額をすり抜けた。

 

 痛みはない。一方の《ドライ・ブリザード》も成果を挙げてはいない。

 やはり、目の前の久沙凪煉は実体じゃない。

 

 直上を通過した刃から目を切って仰け反り、左手で支えて後転に繋げる。

 瞬間、視界の端に久沙凪煉の姿が過った。着地の勢いを体軸の回転に変えて振り返り、一瞬だけ見えた相手の位置に銃口を向ける。

 

 視線の先に久沙凪煉の姿はすでになかった。恐らくは隠形を使い直したのだろう。

 幻影の方は変わらずに残っているあたり、別の魔法を併用しているに違いない。

 

 魔法で生み出した幻影に注意を引き付け、隠形によって身を隠した本体が攻撃する。

 九島家の《仮装行列(パレード)》に似た魔法と戦術だ。相手が古式魔法の使い手だと考えると基になった忍術の方かもしれない。だとすれば、参考にすべきは八雲法師の方か。

 

 相手の魔法が忍術だと仮定すれば合点もいく。

 

 幻痛を与える剣術と幻影による位置の欺瞞、そして精神干渉による隠形。

 細かいプロセスは違えど、これらはすべて原作で九重八雲が披露した忍術と似通ったものだ。

 久沙凪の拠点が京都にあったことを考えると、もしかすれば同じ流派かもしれない。

 

 相手の方が上手なのは百も承知。それでも少しずつ手の内が見えてきた。

 推測が間違っていなければ、こちらの策も通用するはず。

 ジョーカーを切るなら、今がその好機だ。

 

 『自分(意識)』を『森崎駿(精神)』から隔離していく。

 

 一瞬にも満たない間の後、景色は映像へと切り替わった。

 

 聞こえる音はスピーカーから発せられるものに似て、痛みも怒りも緊張もすべてが単なる情報へと変わる。

 

 術式を起動した直後、久沙凪煉の幻影は上段に構えた剣をゆっくりと振り下ろした。

 肉眼では見えない斬撃が身体を捉え、斬られたと錯覚した精神が痛みを訴える。

 右上腕外側に生じたそれは当該箇所に震えを誘発したものの、力が抜けてCADを取り落とすまでには至らなかった。

 

 《疑似・固有時間加速(アクセル・アバター)》は意識を肉体と精神から隔離する魔法だ。

 

 通常、肉体が受けた痛みは信号として脳で処理され、精神の内の意識領域へと伝搬する。

 この際、痛みに注意を割かれると肉体への命令が滞る現象が発生する。痛みが理由で動きが鈍るというのはこれが原因で生起していることだ。

 

 精神がダメージを受けた場合も同様、無意識領域から意識領域へと痛みは伝搬する。肉体のプロセスを経ない分、こちらの方がより強く鮮明に『痛い』と感じているかもしれない。

 実際に斬られたわけでもないのに身体が動かなくなるのは肉体を傷つけられた時と同様、痛みによって肉体への命令を出せずにいるからだ。

 

 では意識を肉体と精神から隔離した場合はどうか。

 答えは単純。肉体や精神の伝えるダメージは意識へ届くことなく、施された魔法を介して命令だけが滞りなく肉体へと伝えられる。肉体や精神へのダメージを把握していても、物理的に動かせるのなら変わらず行動を継続できるのだ。

 

 速さだけではない。

 この魔法は、プロセスそのものが久沙凪煉の振るう幻影の刃への対策になる。

 

 立て続けに襲い掛かる幻影の刃は最早なんの障害にもならず、四方から浴びせられる不可視の刃は吹き抜ける風と同程度の些事になった。

 反射的に生じる震えもすぐに抑え込めるようになって、久沙凪煉の分身が訝しげに首を捻る。

刃が直接触れることだけは意図して避けつつ、相手の思考を誘導していく。

 

 《疑似・固有時間加速》を発動している今、精神干渉の隠形を破る手は使えない。

 だからこそ、久沙凪煉の実体を捉えるためには『その時』を待つ必要があった。

 

 やがて不承不承といった様子で息を吐き、久沙凪煉は分身体を消失させた。

 姿も気配も掴めなくなったところで足を止め、両手を下ろして動きを止める。

 

 精神を斬る幻影の刃が効かないとなれば、手にした刃で直接斬るしかない。

 久沙凪煉がそう考えることは容易に予想できて、直接刃を突き立てるしかない以上、いつかは間近に接近してくる。

 

 わかっていれば捕まえるのは容易い。

 たとえ見えなくても、聞こえなくても、自分の身体に痛みが走る瞬間はわかる。

 どこにどんな痛みが生じたのかわかれば、反応速度の差で確実に捕まえられる。

 

 映像も音もコマ送りになった世界で、ただ『その時』だけを待った。

 

 どんな隠形の達人でも捕まえられるタイミング。

 

 精神干渉を受けようとも誤魔化されない瞬間――自分が刺される瞬間を。

 

 

 

 果たして、主観的に一分ほどが経過した頃。

 

 音もなく鳩尾に生じた痛みが、ゆっくりと背中へ抜けていった。

 

 

 

 鳩尾を貫かれたと判った瞬間、剣士の腕を全力で掴む。

 途端、隠形の術が解けたのか目の前に久沙凪煉の顔が浮かび上がった。

 蛇のような目は驚愕に揺れていて、どういうわけかそれは次第に納得の色へと変わった。

 

「――……――」

 

 高速化した感覚の中では発せられた言葉も意味を捉えることはできず、久沙凪煉が何を口にしたのかはわからなかった。

 ただ、その声音がひどく柔らかなものであることは認識できた。

 

 刃に貫かれた箇所から痛みの信号が脳へ届く。

 残ったサイオンも空に近く、身体も限界を迎えていた。

 まともに動いていられる時間はそう長くないだろう。

 

 久沙凪煉を生かしておくわけにはいかない。

 なにせ渡辺先輩や七草先輩すらも撃破するイレギュラーだ。精神へ直接攻撃できる特性上達也へダメージを与えることもでき、隠形の技量次第では非常に厄介な敵となり得る。

 

 大団円への筋道を繋ぐために、この男はここで仕留めるべきだ。

 原作から逸脱した流れを正し、あるべき未来へ少しでも近付けるためにも。

 それこそが『僕』に出来る最善であり、『()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 左手で久沙凪煉の腕を掴んだまま、右手でCAD(フライシュッツ)の引き金を引く。

 起動式を読み込む間に狙いを相手の胸元へ定め、完成した魔法式を互いの間に展開。

 残存サイオンのほとんどをつぎ込んだ《ドライ・ブリザード》が至近距離で放たれる。

 

 固く鋭く磨かれた氷弾が剣士の鳩尾を撃ち抜いた。

 弾丸は背中から空へと抜け、拳大の風穴が久沙凪煉の胸に空く。

 多量の血がゆっくりと噴き出し、互いの両手を赤黒く染めていった。

 

 

 

 《疑似・固有時間加速》が解け、時間の流れが元に戻る。

 

 

 

 腕を掴んでいた左手が脱力して離れ、腹部を貫いていた刀が引き抜かれた。

 よろめく足を支える体力はなく、二歩三歩と後ずさりした末に後ろへと倒れこむ。

 間もなく足元の方から金属の落ちる音が聞こえ、灯りを遮っていた影が路面に倒れた。

 

 立ち上がる気配はない。

 すでに意識を失っているのか、呻き声一つ届いてはこない。

 

 反応の鈍い身体を動かしてうつ伏せに転がる。

 力の抜けた足はそのままに、腕だけで身体を引き摺って久沙凪煉のもとへ。

 止めを刺すため傍らに転がった刀に手を伸ばした瞬間、焦ったような声が耳に届いた。

 

「Hurry! We can’t stay here! (急げ! 撤退するぞ!)」

 

「I know, pick it up. Quickly! (わかってる。そっちを持て。早くしろ!)」

 

 英語を捲し立てる男が二人。

 コートを着込んだ彼らはこちらに目もくれず、久沙凪煉を両側から抱え上げ駆け出した。

 

「待て……!」

 

 絞り出した甲斐もなく遠ざかった背中は暗がりへ消え、静寂だけが残された。

 

 

 

 

 

 

 力の抜けた上体が崩れ、流れた血が肺へ落ちる。

 咽て吐き出した痰は赤黒く染まっていて、酸素を求める身体をどうにか仰向けに転がした。

 

 端から霞んでいく視界には月のない夜空が映っていた。

 見える限りに雲はなく、青白い星が微かに瞬いている。

 

 

 

 あれだけの傷だ。どんな治療を施そうとも助かりはしない。

 

 

 

 願望に似た思考が頭に浮かんで、それはやがて自分を納得させるものに変わった。

 

 

 

 これで『僕』の役目は終わった。

 

 久沙凪煉さえ排除できるなら刺し違えても構わない。そう考えていた通りの結末だ。

 

 本来この場にいるはずのないイレギュラー同士、揃って退場するのは寧ろ最善とすら言える。

 

 軌道修正さえ果たせれば、あとは自ずと原作通りの大団円に収束する。そこに『森崎駿()』の居場所はなく、更なる過ちを犯す前に舞台から降りるべきだろう。

 

 

 

 瞼が閉じきる直前まで、そう思っていた。

 

 

 

「――っ、ぐ……ハァ……ハァ……」

 

 感覚の戻り始めた肺を動かして大きく息を吸う。

 

 酸素の不足した脳へ燃料を供給し、閉じかけていた視界を強引に広げる。

 

 一つ息をする毎に痛みが全身を刺して、《疑似・固有時間加速》の反動が圧し掛かった。

 

 

 

 まだ死ねない。死ぬわけにはいかない。

 

 雫のために、彼女を失わないために、『森崎駿』は生き残らなければならない。

 

 

 

 一滴(ひとしずく)だけ残しておいたサイオンを汲み上げる。

 

 力の抜けた右手をどうにか持ち上げて、震える指先を左手の汎用型へ。

 

 単純な振動系の起動式を読み出し、そのまま胸の傷口に当てた。

 

 

 

 痛みを頼りに探った患部へ焼きごてを押し付けたような高熱と激痛が生じる。

 

 

 

 《疑似・固有時間加速》による離人感覚が残っていなければ意識を保つことなどできなかっただろう。

 

 それぐらいには感覚が戻っていたし、体力もサイオンも底をついていた。

 

 

 

 出血が止まり、繋ぎ留めていた意識が暗がりへと沈んでいく。

 

 

 

 痛みも熱も最後まで全身を苛んできて、指先一つ動かせない虚脱感の中、いつか夢見た景色が闇の中に浮かんだような気がした。

 

 

 




 
 
 
 
 
「そうか、そこにおったんか」
 
 
 
 
 
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