モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
● ● ●
「遅かったか」
ベイヒルズタワーの前に降り立った柳はバイザーの下で険しい表情を浮かべた。
エントランス前の広場に立っている者は一人もいない。協会の魔法師と大亜連合の兵に加え、一高の生徒が数人倒れているだけ。いずれも大小様々な傷を負っていて、出血の状況からすでに手遅れだろうと思われる者もいた。
「タワー内部へ侵入した敵についてはすでに対処が完了しています。彼らも重傷者こそいますが、
柳の呟きに、《
深雪へ向けていた視線をそちらへ移したのはほんの数十秒前のことで、注意を向けた時点で戦いは駿と煉の一騎討ちの様相となっていた。その際に全員の状態は確認していて、一高生の中に死者がいないことは把握済みだ。
「陳祥山の動向は判るか?」
潜入した工作員部隊の情報は独立魔装大隊も把握している。
隊長の陳祥山が何らかの隠密術を使用することも判明していて、監視カメラや達也の『眼』を掻い潜ることも考えられた。
「すでに死亡しているようです。偽装の可能性もないわけではありませんが、隠密行動が前提の潜入工作員がダミーを残すメリットはないでしょう」
柳の問いに、達也は淡々と答えた。
事前に目を通した映像データから外見はわかっていて、その情報をもとに対象者のエイドスを捜索した結果だ。《精霊の眼》の性能は柳も理解しており、持ち主の達也が断言した以上、警戒を続ける意義はないと柳は判断した。
「後の始末は我々で請け負う。特尉は
それが柳の心遣いなのは明らかだった。
隊の任務よりも怪我人の救護を優先する判断。
露見した際のリスクが高い《再成》を民間人へ用いるという判断。
どちらも達也の立場では言い出せないもので、だからこそ部隊の長である柳は命令という形を取ったのだ。
「ありがとうございます」
厚意を素直に受け入れて、達也は部隊の面々から離れ一高生のもとへ駆け寄った。
広場に倒れている一高生の内、重傷を負っているのは幹比古と駿の二人だけ。
残りのメンバーは外傷がなく、意識だけを失っている状態だ。少なくともエイドスを読み取った限りは。
全員の容体を『眼』で視ながら、達也はまず出血の続く幹比古から先に《再成》を施した。
背後から刃で貫かれたのだろう。内臓に損傷はないものの、流れ出た血の量は少なくない。すぐに命に関わるほどではないが、時間が経つほど危険は大きくなる一方だ。
付近の医療機関が怪我人で飽和していると予想される今、この場に来たのが自分で良かったと達也は思った。
幹比古の治療を終えた達也はそのままCADの先を意識のない駿へ向ける。
胸の中心が赤黒く染まった駿は傷こそ深いものの、出血はすでに止まっている。
《再成》を施すため、改めてエイドスの変更履歴を読み取る。
最初に流れ込んできたのは焼きごてを押し付けたような激痛。
次いで固有時間の操作による副作用が達也の精神に流れ込んできて、意識と身体が切り離される感覚に小さく身震いする。
一度体感したからこそ堪えられるものの、初めて味わった時は生じた虚脱感と嘔吐感に思わず膝を突いてしまったほどだ。
ただの痛苦ならそうはならなかった。
ただ積み上げられたダメージが多いだけなら問題はなかった。
どれだけ濃密だろうと、単なる痛みである限り達也は耐えられるはずだった。
だが、駿のエイドスに蓄積された『それ』は全く異なる情報だった。
四葉家での凄絶な訓練を受けた達也ですら、初めの一回は耐えられなかった。
情動の大半を奪われ、妹に関わることを除けばどこまでも冷徹になれる彼が、その感覚の行末を想像して思わず閉口してしまった。
あくまでも人であろうと努める達也にとって、『それ』は受け入れ難い感覚だった。
苦々しい想いをヘルメットの下に隠して、達也は修復を終えた駿から目を切る。
友人と思い抱いてきた親近感や好感は変わらずとも、混ざり込んだ得体の知れない不快感が自然と顔を背けさせていた。
抱いた疑念は最早、無視の出来ない大きさにまで膨れ上がっている。
年齢に見合わない熟練の技術。
沖縄侵攻に関わっていた経歴。
八雲が『改心』と表した変容。
判然としない無頭竜との関係。
自らを『道具』と定める思考。
ただの高校生でないことは判っていた。能力も人柄も傑出しているのは間違いなく、同世代の中でもトップクラスと断言できるだろう。深雪が同学年でなければ、駿が一年生の総代になっていたのは想像に難くない。
けれど、その経歴や精神性は高校生という枠組みから大きく逸脱したものだ。
ともすれば自分や深雪の脅威になりかねない存在だと、その可能性を念頭に置いておかねばならないほどに。
あの久沙凪煉と単独で相討ったという実績はそれに拍車を掛けるもの。
或いは自らの師にすら並ぶかもしれない。
煉のことをそう評価していた達也にとって、先刻の一戦は駿への認識を改めざるを得ないものだった。
「達也……?」
深みに嵌りかけた彼を呼び戻したのは、傷が消えて目を覚ました幹比古だった。
我に返った達也は幹比古の倒れていた方へ振り返り、立ち上がろうとする友人を制する。
「そのままでいい。何があった」
幹比古は言われた通り上体を起こしただけに留め、悔しさに眉を寄せた。
「突然現れた剣士にやられて。名前は、確か……」
「久沙凪煉。それがあいつの名前よ」
忌々しげに後を継いだのはエリカだった。
幼馴染とは対照的に意地で立ち上がった彼女はしかし、傷一つない腹部を左手で押さえていた。
「無理に起きる必要はない。痛みが残っているだろう」
精神へのダメージは《再成》で復元できない。
脇腹を直接刺された幹比古はともかく、外傷のないエリカに出来ることはない。真由美や摩利たちについても同様で、だからこそ達也は未だ目の覚めない彼らを見ていることしかできなかった。
身体を切断されるような痛みを刻まれて起き上がれる者はそういない。
短時間で目覚めたエリカの精神力が並外れているだけで、普通は立ち上がることはおろか目が覚めるかどうかもわからない。
にもかかわらず、エリカの顔にそれを誇る色は一切なかった。
「こんなもの、ただの思い込みよ」
それが強がりだというのは幼馴染の幹比古はもちろん達也にも判ったものの、どちらも彼女を意固地にさせる指摘をしようとはしなかった。
「そうか。それで、久沙凪煉だったな。知り合いなのか?」
「顔見知りってだけよ。交流稽古の場で一度見たことがあるだけ。おかしな奴だって理解するのにはその一回で十分だったわ」
表現に対してエリカの表情は憎々しげで、浅からぬ因縁があることを窺わせる。
流派は違えど同じ剣術を扱う家系同士。何かしら事情があるのだろうと、達也は滲む関心に蓋をした。
「それで、あの男はどうなったの?」
顔を上げた時にはもうエリカの表情は繕われていた。
幹比古もエリカと同じ疑問を抱いているようで、ちらと斜め後ろに横たわる友人に目を向けて応じる。
「森崎が倒したが、身柄は何者かに奪われてしまった」
二人の反応はどちらも大きいものだったが、方向性はそれぞれ異なっていた。
「森崎くんが? ……そっか」
納得を浮かべた幹比古の隣で、エリカは目を見開いてから視線を落とす。
零れ落ちた声には極僅かに震えが載せられていたものの、それがどんな感情に由来するのかまでは達也にはわからない。
一方の幹比古は驚きこそしながらも不思議はないようで、こちらははてと腕を組んで顎先に指を当てた。
「止めは刺していたのかい?」
「いや。だが致命傷は負っていたようだ。その場で処置をすればまだ生存の可能性もあっただろうが、治療もせずに運んだということは別の目的があったんじゃないか」
煉の身柄を確保した二人の外国人は達也たちが降下する前に姿を消した。
《精霊の眼》で探っても位置がはっきりとせず、恐らくは何かしらの隠蔽魔法が行使されたのだろう。感触としては八王子特殊鑑別所で居合わせた男のものに似ていた。
「術理の奪取か、もしくは死体の利用か」
「ろくでもないことなのは確かね。久沙凪は弟子を取ってなかったし、欲しがる奴はいるんでしょうけど」
「一子相伝の技ということか?」
達也が疑問を口にすると、彼女は小さく肩を竦めた。
「さすがに長男だけってわけじゃなかったみたいだけどね。それでも、一族以外は門下にも入れなかったって話よ」
「一子ではなく一家相伝の古流剣術ということか。なるほど、道理で……」
思わずそこまでを呟いてしまってから、達也は続きを喉の奥に留める。
ぴくりとエリカの眉が動き、眼差しが鋭く研ぎ澄まされた。
「何か気になることでもあるの?」
刃を突き付けられたような威圧感。
それでも達也が動じることは一切なかった。
「道理で、視たことのない技だと思ってな」
それは確かに達也の感じたことの一つではあったものの、すべてを言い表しているわけではなかった。
久沙凪の『技』が八雲の操る『忍術』に似ていると、そう感じたことは明かさなかった。
一族のみに受け継がれる流派なのは、それが理由だろうと気付いていながら。
達也の答えに納得できなかったのか、エリカが尚も食い下がろうと見上げる。
直後、ヘルメットの通信機能を通して柳の声が聞こえてきた。
『特尉。隊長からの指令だ。至急、本部へ戻れ』
「了解しました」
内容は聞こえずとも、何かしらの指示があったことは二人にもわかったのだろう。
不承不承の色を隠すことなく、エリカは追及の矛を収める。
「先輩たちにはあたしとミキが付いてるわ」
「僕の名前は幹比古だ。っと、そういうことだから、達也は自分の仕事に集中してくれ」
「すまないな。そうしてくれると助かる」
友人の譲歩と気遣いに感謝を示して、達也は飛行術式の搭載されたベルトの端末を起動した。
● ● ●
横浜市街への急襲という形で勃発した今回の侵攻は、同日夜時点で全戦闘行為の終結が発表された。
捕虜の移送と被害の確認は夜を徹して行われており、道路や鉄道を始めとするインフラ設備の復旧には多くの時間と費用が掛かることが予想されている。
また公人と民間人を合わせた死者は100人を超え、魔法論文コンペティションのために集まっていた魔法大学付属高校の生徒からも8人の犠牲者が出てしまった。
国際会議場での戦いはメディアでも報じられており、高校生魔法師の奮戦ぶりは大きな反響を呼んでいた。
中にはこの抵抗によって被害が増えたと主張するコメンテーターもいたものの、過去の誘拐事件や沖縄への侵攻を鑑みれば当然の抵抗と見做す声が大半を占めていた。
日付を跨ぐ直前に自宅へ帰りついた深雪は、暗い室内でそうしたニュース映像を前に立ち尽くす。
達也は独立魔装大隊の任務に就いていて未だ戻らず、休もうにも眠気は一向に湧いてこなかった。
達也の安否が心配なのはもちろん。
加えて今夜は身を震わせることが多かった。
人の命を手に掛けるのは初めてではない。けれど、だからといって慣れるわけではない。
相手がテロリストであれ、敵国の兵士であれ、自らの力で命を奪ったという事実は深雪の精神を相応に消耗させていた。
自らが奪った命の重さが圧し掛かり、同時に亡くなった者への無念が頭を過る。
第一高校が受けた被害は負傷者が13名と死者が2名。
その内、犠牲となった一人は深雪のクラスメイトだ。
入学直後にエリカらE組の面々とひと悶着あったものの、その後は平穏なクラスメイトとしての関係を取り戻していた。
座学の成績は学年でも上位に入る優秀な生徒で、ホームルームでは駿と談笑していた姿が記憶に残っている。
論文コンペの準備作業にも参加していて、生徒会役員として手伝いをした先でも精力的に働いていた。
そんなA組のクラスメイト――渋川春樹が死亡したのは、侵入したゲリラの攻撃に対処した際に負った傷が原因だった。
深雪たち防衛要員が国際会議場から離れて敵軍の撃退に当たっていた間、ヘリでの避難が進む国際会議場では潜入したゲリラによる襲撃が発生していた。
避難する民間人に扮したゲリラは拳銃とナイフを武器に人質を取り、指令室の占拠を狙っていたのだ。
この時、人質救出とゲリラの制圧に動いた彼は揉み合いの末に脇腹を刺され、病院へ搬送されたものの治療の甲斐なく息を引き取った。
クラスメイトの訃報を聞いたのはベイヒルズタワーでの戦闘が終結した後。
魔法協会関東支部の防衛に当たっていた深雪は協会職員が戻った時点でその場を離れ、屋上のヘリポートで真由美たちと合流した。
意識のない駿を除く全員が真由美から状況を聞き、その際に彼の最期が語られたのだ。
延々と続く報道を聞くともなく、深雪はじっと遥か遠方の兄を想う。
「お兄様……」
呟いた直後、電話の呼び出しの音が鳴り響いた。
友人たちや知人、国防軍関係とは異なる、唯一人を示すメロディー。
否応もなく緊張感の湧き上がるそれを耳にした深雪は、急いで身だしなみを整えカメラの前に立った。
震える心は自ら凍り付かせて固め、深雪は事の顛末を報告するべく『夜の魔女』との謁見に臨んだ。
● ● ●
日付が変わろうかという頃合いになると市街はすっかり落ち着きを取り戻し、市内中央に位置する中華街も静かな夜を迎えていた。
国内随一の繁華街として知られるこの街も戦場になったとあっては平時のようにはいかず、普段なら観光客で賑わう店はその全てが扉を閉ざしている。戦闘は終結したとはいえ、客足が戻るまでには当分掛かることだろう。
そんないつになく静かな中華街の一角。
自らがオーナーを務める店の中庭に面した一室で、周公瑾は月を見上げて杯を傾けていた。
今回の大亜連合軍による侵攻作戦は周や周の主にとって実りのある一件だった。
日本と大亜細亜連合の両国家が持つ戦力を露呈、摩耗させ、将来そこに加わるだろう若芽の一部を摘むことができた。数多くの魔法師が関与したことで反魔法師運動の種を撒くこともでき、各地に協力者を潜り込ませることも可能となったのは想定以上の成果だ。
しかも、と内心で呟く周の顔に邪悪な笑みが浮かぶ。
杯を下ろして視線を左へ向けた直後、障子が開いて大柄の人影が現れた。
「いかがでしたか、大尉殿」
部屋へ進み入った居丈夫は周の問いに目礼を返すと、対面に腰かけて差し出されたグラスを受け取る。
注がれた琥珀色の蒸留酒を一口含み、じっくりと味わって飲み込んだ後で表情を変えることなく答えた。
「お聞きしていた通り、類稀な逸材です。同胞として迎え入れるのに申し分ない」
「お気に召したようで何よりです」
恭しく礼を返した周はブランデーのボトルを置き、自らの杯を手に取って掲げる。
相手も応じてグラスを合わせ、互いに手にした酒を呷った。祝杯となるそれを飲み干した二人はテーブルに各々の杯を置き、改めて視線を合わせる。
「先程、揚陸艦の一方が撃沈されたと報告がありました」
男の方が先に口を開き、周は首肯を返して後を受けた。
「存じております。なんでも南の海上で大規模な爆発が生じたとか」
横浜へ侵入する際に用いられた二隻の偽装揚陸艦。
その内の一方は国防軍の反攻によって瑞穂埠頭で拿捕され、脱出を果たしたもう一隻は追撃を逃れ母港への帰投を図っていた。
衛星による追跡が行われていた揚陸艦が突如爆発を起こしたのはつい十分ほど前のこと。
当然一般には報道されておらず、けれど二人はそれぞれ別のルートから揚陸艦が跡形もなく消滅した事実を掴んでいた。
「我が軍では先の爆発を新種の魔法によるものと断定し、調査解析を開始しました」
「喜ばしい成果が得られることを祈っております。ご助力できることがあれば何なりとお申し付けください」
周が目の前の男と対面するのはこれが初めてのこと。
だが周にとって男は今回の侵攻作戦に際して助力した陳やジョンソン以上に大事な客人であり、周個人としても
「感謝します、ミスター。ところで、マクロード卿の遣わせた例の少女の行方はご存知ですか?」
「国防軍に捕縛されました。現在は横須賀へ輸送されている頃かと」
だからこそ、男の提示する要望はできる限り叶えていた。
『男を遣わせた者と自らの主が協力関係にあるから』という理由に留まらない意欲を持って臨んでいた。
手放すには惜しいと感じていた駒すらも、引き渡すのに躊躇いはなかった。
「そうですか。日本の魔法師が興味を持てばいいのですが」
「すでに十師族の一つが関心を抱いています。国防軍への影響も強く、特に情報部に強い繋がりのある一派です」
「素晴らしい。少女が無事、日本の魔法師に『保護』されることを祈りましょう」
およそ間違いないと確信を抱きながら、周は滑らかな所作で酒を注ぐ。
男は礼を口にしてグラスを手に取り、陶器の杯を持つ周へと掲げた。
二度目の乾杯を交わした二人は同時に祝杯を呷り、静かにテーブルへ置く。
どちらともなく手を伸ばし、卓上で互いの手がしっかりと握られた。
「日本の
「謹んで務めさせて頂きます。アークトゥルス大尉殿」
USNA軍統合参謀本部直属魔法師部隊『スターズ』第三隊長――アレクサンダー・アークトゥルス大尉は魔性の宿った瞳を妖しく揺らし、口元に小さな笑みを浮かべて頷いた。
次話が横浜動乱編の最終話となります。