モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
プロローグ
前世という言葉を知っているかい?
今を生きる自分が生まれる前、別の人間として生きていた人生を指す言葉だ。
フィクションやオカルトの世界にしか起こり得ない奇跡で、例え話や妄想でしか口にしない与太話。どれだけ望んでも叶うはずのない夢のような事象。
『森崎駿』には、そんな前世の記憶があったんだ。
違う歴史を辿ったその世界では、この時代のことが物語として語られていた。
魔法という特殊な技能の存在。
それを操る魔法技能師の苦悩。
彼らがもたらす恩恵と、彼らがもとで生じる諍い。
多くの犠牲を伴う争いはやがて収束し、世界は更なる繁栄の一歩を踏み出す、とね。
ある一人の魔法師を軸に語られたその物語は広く人気を集め、数十編に渡るストーリーの末に大団円を迎えた。
そして、そんな物語の中には『森崎駿』も存在していたんだ。
物語の中心人物たちとは程遠い、悪意を集める憎まれ役。
プライドばかり高くて、自他の実力を正確に測ることもできない当て馬。
何度も躓いて、何度も空回りして、ようやく身の程を理解した少年。
驕りと焦燥の果てに妥協へ落ち着いた、多少成績が良いだけの普通の魔法師。
それが本来の『森崎駿』――『僕』だった。
初めて気付いた時は衝撃を
自分が好きだった物語の世界に生まれ変わって、けれど生まれ変わった先はよりにもよって『
理解してからはずっと研鑽の毎日だった。
幸いなことに、別の人間として過ごした知識と経験は幼い子どもにとって大きな武器にもなった。
世間の常識と自分を計る客観性とがあったから、好き嫌いではなく得意不得意に徹して努力を重ねることができた。
明確な将来像があるからこそ、そこに至るために効率的な方法を取ることができた。
才能の程度が解っていたから、必要な訓練の取捨選択は難しくなかった。
立場と環境が解っていたから、理想通りに振る舞うのも難しくなかった。
そうして両親と身内とを満足させながら、出来る限り才能を磨いてきた。
すべては『森崎駿』の人生をより良いものにするため。
いずれ輝きを放つ人たちの傍らに立つため。
彼らを守り、支えられるような存在になれればと、そんな願いを抱いていたんだ。
それがどれだけ分不相応な望みか考えようともしないで。
三年前の夏、沖縄に大亜連合が侵攻したのを覚えているかい。
艦艇部隊から敵軍が上陸侵攻するのと同時に国防軍から出た反逆者をゲリラとして蜂起させ、島の内外から武力攻撃を起こしたあの事件だ。
現地に居合わせた魔法師と国防軍の団結もあってその日の内に鎮圧されたあの一件。
前世の記憶でこれを知っていた『森崎駿』は当時、沖縄へ滞在していた。
危険を承知で乗り込んだ理由は、侵攻で亡くなるはずの人を助けるため。
当時中学1年生の『森崎駿』は一人で名護へと向かったんだ。
今になって考えてみれば、随分と無謀な真似をしたと思う。
魔法が使えるとはいえ、13歳の子どもが実弾の飛び交う戦場に乗り込むなんてね。
才能に見合った訓練を徹底したお陰でそれなりの魔法技能が身に付いていたものだから、調子に乗っていた部分もあったんだろう。
何が起きるかを知っていて、どんな敵がいるかも知っていて、なまじそれらに対処できる程度の能力は身に着いていたばっかりに、一人でも出来ると思ってしまったんだ。
自信過剰になっているつもりはなかった。
十分に出来る範囲のことだと思っていた。
危険だとはわかっていても、無謀だとは考えていなかった。
結果、『森崎駿』は大きな過ちを犯した。
前世で語られた物語――運命を変えようとして、取り返しのつかない罪を犯した。
亡くなる運命の人を助けようとして、生き残るはずの人を死なせてしまった。
助けたかった人を助けられず、助けてくれた人を死なせてしまった。
『森崎駿』の行動が運命を捻じ曲げて、亡くなるはずのない人を殺したんだ。
それはもう
捕まっている間に負った怪我の所為でまともに動くこともできなくて、後悔と罪悪感とで頭の中は滅茶苦茶。もしも病室が隔離されていなかったら、すぐにでも窓から身を投げていただろうね。
それからしばらく治療とカウンセリングが続いて、ようやく退院する頃にはもうすっかり願いも目標も考えられなくなっていた。
生き残るべきは自分じゃなかった。報いを受けるべきは自分だった。
罪人の自分に出来るのは、せめて誰かの盾になることくらいだろう。
当時はそれしか考えられなくて、ただひたすら訓練と研究に打ち込んだ。
死に場所を探すように護衛の仕事へ出て、何度となく大きな怪我を負った。
幼い頃から磨いたぶん演技力だけは身に付いていたから、両親や親戚、同僚の心配を躱して実戦に出る日々を続けることができた。
そんな生活を一年近く続けて、迎えた2093年の夏のことだ。
『森崎駿』が今の『僕』になって、やるべきことを心に決めたのは。
● ● ●
滔々と流れ出る言葉が止まったのは、コミューターが駿の自宅へ着いた時だった。
自宅の玄関を横目に見つけた駿は小さく息を吐き、軽い口調と共に鼻先を窓へ向ける。
「送ってくれてありがとう。続きは中で話そうか」
駿がそう言うまで、雫は自走車が停車したことに気付いていなかった。
想像の埒外なあまり、語られたことを呑み込むのに精いっぱいだった。
前世。生まれ変わり。
そういった言葉の意味は知っている。
だが雫にとってそれは創作の中にだけ存在するもので、現実に起こり得るとは想像もしたことがなかった。
ましてやそれが身近な――想いを寄せる相手に起きたことだなどと、簡単に受け入れられる話ではなかった。
この期に及んで冗談を口にするとは思っていない。
語られた話自体も現実感のないものではあるが、真実だとすれば駿の知識や行動に説明がつくのは確かだ。受け入れられるかどうかはさておき、大筋を理解することはできる。
一方で、どうしても無視の出来ない引っ掛かりが一つあった。
「待って」
開閉ボタンに触れ掛けた駿が振り返る。
表情も眼差しも学校の教室で見てきたものと変わらず、それが寧ろ寒気を感じる元となっていた。これまで見てきたのはすべて演技だったのかもしれないと、ありもしない妄想が頭に浮かんだ。
「今までの話は全部、君の体験、なんだよね?」
恐る恐る、訊ねる。
声が震えている自覚はあったものの、繕う余裕も意志もなかった。
「もちろん。すべて『森崎駿』が実際に経験したことだ」
嘘を吐いている様子はない。
けれど真実を語っている確証もない。
だからこそ、雫は自身の抱いた不安を直に問いかけなければならなかった。
「疑ってるわけじゃないんだけど。なんだか、他人事みたいな言い方だったから」
口にした瞬間、雫はハッと息を呑んだ。
駿の浮かべた笑みと、自らを捉える眼差し。
そのどちらともがあまりに柔らかく、寂しさに満ちていたから。
「凄いな。正解だよ」
称賛されたところで嬉しさなど湧くはずもなかった。
ただ怖気や悪寒に近い何かが背中に張り付いていた。
知りたくないと訴える衝動が胸の内でざわめいて、知りたいと願った意志を隅へと追いやっていく。緊張が胸を締め付け、早鐘を打つ鼓動が耳の奥に響いていた。
「今話したことは確かに『森崎駿』が経験したことだ。けれど、『僕』はただそれを見ていただけだった」
「……どういう意味?」
辛うじて、そう問いかける。
真意など想像もつかないのに、拭い難い恐怖だけが心臓を叩いていた。
やがて、目の前の少年は穏やかに語り始める。
「生まれてからずっと――二年前の夏まで、『森崎駿』として過ごしてきたのは『僕』じゃないんだよ」
声音に落胆はない。諦めもない。
ただ淡々と、教え諭すような響きだけがあった。
「前世の記憶を持っていたのも『僕』じゃない。
最大限努力を重ねてきたのも『僕』じゃない。
『森崎駿』の人生をより良いものにしようと努めてきたのは、『僕』じゃないんだ」
喜怒哀楽のない、無彩色な微笑みを浮かべて。
自らを傍観者と定める少年は、自身の素性をこう表してみせた。
「改めて自己紹介をしよう。『僕』は『森崎駿』。前世の記憶を持つ『彼』とは違う、生まれる前からこの身体に宿っていた本来の――何も成せない方の人格さ」