モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第5話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「私より先に打ち明けた人がいたんだね」

 

 燐と初めて会った日のことを語ると、雫はそう言って唇を尖らせた。

 

 不貞腐れた風を装った言い方に思わず口元が緩む。

 一見すると嫉妬しているような表情だが、目を見ればポーズに過ぎないとわかった。

 

「不可抗力だ。それに、知られてしまった以上は話しておく方が都合もよかった」

 

 降参の意を込めて両手を挙げるなり雫はすぐに頬を緩める。

 それから彼女はテーブルからカップを取り上げ、湯気の立つそれを顔の前へと持っていった。二杯目となっても香りから味わう仕草は変わらず、どうやら随分と気に入ってくれたらしい。

 

「彼女が視たのは沖縄での一件を含む記憶の一部と、無意識領域に漂っていた『僕』の心。『彼』はそんな彼女と対話を重ねる中で、『僕』を目覚めさせる方法を探そうとしていた」

 

 雫がカップを置くのを待って、話の続きを口にする。

 

 燐のボディガードになったことで、図らずも彼女と行動を共にするようになった。

 一日の大半を彼女と並んで過ごす内に、彼女の魔法が『僕』を呼び覚ます鍵になり得ると判明していった。

 

 護衛として守るだけの一方的な関係ではない。

 燐の存在は『彼』の願いを果たすのに大事な存在でもあったのだ。

 

 そして、燐との出会いが特別だった訳はもう一つ――。

 

「あとは、そう。『僕ら』はきっと、彼女という存在に救われたんだ」

 

 ずっと後悔していた。

 あの時、大亜連合軍に捕まってさえいなければ桧垣ジョセフは生き残れたのにと。

 愚かな失敗をした自分じゃなく、未来のある彼が生き残った方がよかったのにと。

 

 自分の選択を呪って。運命の理不尽を恨んで。

 自分が死ねばよかったと、心からそう思っていた。

 

「命懸けで守られた『僕ら』にとって、自分が生きていることを肯定するのは難しいことだった。何もできない自分が生き残って、別の誰かが犠牲になるのは耐えられなかった」

 

 だから『彼』は誰かの盾になり続ける道を選んだ。

 後悔と罪悪感に苛まれ、でも自死を選ぶには責任感が強すぎて。

 自分が生き残った意味は何なのかと、それしか考えられなかった。

 

 恐怖と不安の袋小路に陥っていた『彼』は、燐と出会って初めて自分の存在を肯定されたように感じたのだ。

 自分の前世と過去を知っても見放すことなく、心を開いてくれた彼女という存在は、『森崎駿』が生き残ったことに意味を与えてくれた。

 

「生きていてよかったと。生き残ってよかったんだと、初めてそう思えた」

 

 慰めでしかない。どころか、身勝手にそう思っただけ。

 それでも、自己否定を繰り返していた『彼』が少しでも自分の存在を許せたのは、燐との出会いがあったからだ。

 あれだけ悲しみと後悔に満ちた終わりを迎えてなお、彼女と過ごした時間が明るく鮮やかな記憶として残っているのはそれが理由なのだろう。

 

「ボディガードになってから、君と久沙凪さんはどう過ごしてたの?」

 

 記憶を辿っていた思考が今へと帰る。

 顔だけをこちらへ向けた雫は少しだけ眉を寄せ、視線で続きを促していた。

 

「色々な話をしたよ。彼女の希望で、京都の街を巡りながらね」

 

 第二高校を訪れた日を加えて三日間、燐とは本当に色々な話をした。

 

 誰にも明かしたことのない『彼』の前世の話。

 彼女の視界が届かなかった『僕ら』の過去の話。

 時には『僕』を起こす方法を話し合ったりもして。

 当然、燐の事情も少なからず聞いた。

 

「街を? でも、久沙凪さんは連れ戻されそうになっていたんだよね」

 

「ああ。だから『僕ら』も初め、街に出ることは反対したんだ」

 

 雫の疑問は正しい。

 そもそものきっかけが強引に連れ戻そうとする親族から守るためだ。ホテルへ逃げ込んだのも強硬手段が取り難くなるからで、街中へ出てしまえば守るのが難しくなるのは当たり前のこと。

 

 だから『彼』も当初はホテルに逗留することを勧めていた。

 不自由ではあっても警備の敷かれた中に留まるのがいいと、そう考えていた。

 

「けれど彼女がずっと軟禁されていたと聞いてからは、街に出たいという希望を拒むことはできなかった」

 

 そう言うと雫は一度目を丸くし、すぐに真剣な面持ちへと変わった。

 

「軟禁……? どういうこと?」

 

「生まれてから第二高校に入学するまでの15年間、彼女は一度も生家から出たことがなかった。入学した後も登下校以外の外出は禁じられていて、生まれ故郷の街すら満足に見たことがなかったんだ」

 

 出来ることならもっと色々な場所へ連れて行きたかった。

 初めての景色を前に見せる表情を思い出すたび、懐かしさとも後悔ともつかないものが浮かぶ気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 【西暦2093年8月8日 京都市中京区】

 

 燐の専属ボディガードとなってから二日。

 朝食後すぐにホテルを出た俺たちは駅前の広場からコミューターへ乗り込み、市内中央に位置する二条城を訪れた。

 

 観光名所として名高いこの場所は前世紀から変わらず多くの人が訪れる。

 開館から間もないこの時間でもすでに観覧客は多く入っていて、老若男女様々な中に紛れ込むのは難しいことではなかった。

 

「これが元離宮。近くで見たんは初めてや」

 

 威容を誇る城郭を見上げて、燐は感嘆の息を吐く。

 帽子のつばを摘まんだ立ち姿は涼やかで、どこかミステリアスな雰囲気を纏う彼女には監視のそれとは違う眼差しが集まっていた。

 

 今の燐は第二高校の制服姿ではなく、購入したばかりの私服姿だ。

 藍染のワンピースは七分袖の落ち着いたデザインで、足元は歩きやすさを考慮したブーツスタイル。変装の一環としてつば広のキャプリーヌを被っており、遠目からではそう簡単に見破られはしないだろう。

 

 昨日、駅前のブティックで店員に見繕ってもらったそのコーディネート。

『忍び旅』と伝えたお題はいつの間にか『お忍びデート』へと変貌していたものの、着飾られた当人が気に入っていたので口を挟むことはしなかった。

 

 対する俺はさしずめ年少の従者といったところだろう。持参した衣装の中で最も上等なものを選んだが、並んで立つにはいかんせん素材の差が大きすぎる。

 

「なあシュン、あれ見てや」

 

 とはいえ、主たる彼女が楽しめているのならそんなことはどうでもいい。

 順路に従って入った二の丸御殿で天井を指して囁く彼女は、昨日にも増して楽しげな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「外に出るのを禁じられていた? 二高に入学するまでずっと?」

 

 燐のボディガードとなった日の夜。

 叔父から許可を貰ったことの報告に訪れた彼女の部屋でその事実を聞いた。

 

 制服姿のままの彼女はテーブルを挟んだ先で小さく頷き、まるで何でもないことのように答えた。

 

「お祖父様(じいさま)の方針でな。春までは屋敷の中だけで暮らしてたんよ」

 

 言って燐は備え付けの緑茶に口を付け、ほうと息を吐く。

 

 つまり、彼女は最近まで自宅から出たこともなかったということか。

 そこにどんな理由があるのかはわからないが、昼間の男の言動からして良いイメージは湧かない。彼女自身、自宅では『お人形』どころか『人』ですらないと語っていたほどだ。

 

「今は、どうなんだ?」

 

 訊ねる声は思いがけず険しいものとなってしまった。

 応じる彼女は口元に微笑を残しつつも、そっと視線を脇へと逸らす。

 

「許されとるんは学校までの往復だけ。寄り道もほんまはしたらあかんかったんよ」

 

 寄り道が禁じられていた。

 ならば当然、喫茶店への出入りも許されていたはずがない。

 

「だとしたら、さっきのは俺の責任か」

 

 燐が俺の精神に《あいつ》を見つけて、詳細な説明を求めた末にあの店へ向かった。

 店に入ることを提案したのは燐だが、そうなるきっかけを作ったのはこちらだ。

 目先の関心に囚われて、場所も弁えずに詰め寄ったこちらにこそ非がある。

 

「気にせんといて。お陰でこうしていられるんやから」

 

 慰めの言葉をもらっても、簡単に呑み込むことはできなかった。

 出会い頭にあれだけの剣幕をぶつけられたのだ。彼女の祖父が決めた方針とやらは、親族の間で相当に重く扱われているに違いない。

 

「それより、シュンにお願いがあるんよ」

 

 俺の反応が芳しくないのを見てか、燐は一転してそんなことを言い出した。

 俯けていた顔を上げると、こちらを見つめる彼女と目が合う。まっすぐに向けられた眼差しは期待の色に満ちていて、堪えきれないとばかりに望みを口にした。

 

「街に出てみたい。通りを歩いて、色んなもんを見に行きたい」

 

 お願いというには控えめな要望。

 ほとんどの人が願うまでもなく叶えられることであるが故に、それはきれいに感じられた。

 

「シュンに負担を掛けてしまうんは申し訳ないんやけど」

 

 申し訳ないとばかりに目を伏せた彼女へ、躊躇うことなく頷いて見せる。

 

「いや、問題ない。傍で守るから、一緒に行こう」

 

 幼少からずっと生家に閉じ込められ、今も外に出ることを禁じられている。

 彼女の境遇を知った以上、このささやかな願いを止めることなど出来るはずもなかった。

 

 

 

 そうして翌日は京都の市街へ出て、彼女の求めるままに街中を巡った。

 変装を兼ねた私服を購入し、初めて食べるというイタリアンに舌鼓を打った。

 目に付くすべてが新鮮に映るようで、新たな発見があるたび彼女の笑顔は大きくなっていった。

 

 前日の従兄の件もあって警戒はしていたものの特にトラブルもなく、日が暮れてホテルへ戻る頃には真一文字に固まっていた彼女の口元は随分と柔らかくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 二条城の観覧を終えた後はそのまま御苑を巡り、次いでコミューターで清水寺へ向かった。

 

 見晴らしのいい境内はこれまで以上に観光客で賑わっていて、はぐれることなく護衛を全うするために自然と手を繋ぐ場面もあった。

 理由を並べて差し出した手を燐は迷うことなく握ってきて、手水や瀧で清める時を除いたほとんどで放すことはなかった。

 

 昼食を終えた午後は一転徒歩での移動に変え、古都の風情が残る通りを散策する。

 

「ひとと話すんがこんなに楽しいなんて思ったことなかったわ」

 

 加茂川沿いの遊歩道を歩いている最中、燐はぽつりと呟いた。

 

「誰かとちゃんと話したことあらへんから、なんにも知らんままやったんやな」

 

 綿雲の浮かぶ空を見上げ、後ろに組んだ手を小さく揺らしながら、彼女はそっと目を細める。

 隣を歩くこちらへ語り掛けているようでも、自身の心を読み解く独り言のようでもあった。

 

「楽しいことも悲しいことも知らんで、笑い方も泣き方もわからんまんま。怒り方もわからんから、『人形』なんて言われてもそんなもんなんやとしか思わんかった」

 

 昨日、今日と話す内、彼女の口調は段々と柔らかなものに変わっていった。

 表情も当初の能面のようなものからずっと豊かになり、時折口元に浮かべる笑みには目を惹かれる何かがある気がした。

 

「ずうっと昔、小さい頃なんかはこうやなかったんやけどな」

 

 振り向き、苦笑いを浮かべる燐。

 すっかり豊かになった表情を見ればもう、『お人形』などと自嘲していた時の面影はすっかりなくなっている。

 

「気付いたらなんも感情が湧かんようなって、子どもの頃のこともほとんど思い出せんようなっとった」

 

 相槌を打たずとも流れ出る言葉は止まることがなかった。

 こちらはただ彼女の経験に言葉を失うばかりで、気の利いた台詞の一つも言えなかった。

 

「覚えてたんは一つだけ。ただ一度、ほんの少しだけ屋敷の外に出た時のこと」

 

 陽の光に輝く川へ視線を落として、彼女は滔々と語る。

 

10歳(とお)になる少し前のことやったかな。兄様(あにさま)に連れられて一度だけ屋敷の外に出たことがあったんやけど、その時に見た花畑がほんまに綺麗でな。一本だけ摘んだのを持って帰って、ダメになるまでずっと眺めとった」

 

 「綺麗やったな」と呟く彼女の横顔は、喜び以上に寂しさが滲んでいるようだった。

 

「お兄さんは、今はいないのか?」

 

 口ぶりから察するに、彼女の兄は先日鉢合わせた男とは違うのだろう。

 軟禁されていた屋敷から連れ出そうとしたというのも、他の親族とは違う考えを抱いていたからかもしれない。身近にその人が居れば、たとえ元の生活に戻っても味方になってくれそうなものだが。

 

 しかし、燐は微笑みすら浮かべて首を横に振った。

 

「修行のため言うて日本中を巡っとる。せっかく魔法大学に入ったのに、ほとんど行かへんかったみたいやね」

 

 修行のため。燐の一族は古式魔法の家柄らしいので、或いは武者修行のようなものだろうか。魔法大学で得られる知見よりも大事とは、よほど特殊な魔法技能なのかもしれない。

 

 仮にそうだとすれば、目の前の彼女も事情はそう変わらないはず。

 

「燐はどうするんだ? 高校を卒業したら、お兄さんのように魔法大学に通うのか?」

 

 今の時間がいつまでも続くことはない。それは燐もわかっているだろう。

 いずれこの関係は解消され、彼女は屋敷へと帰ることになる。軟禁状態が続くかはわからないが、もしも魔法大学に進学するのであれば生家を離れることもできる。

 

「……どうしよか、迷い始めてる」

 

 実際、燐はその展望に心を惹かれているようだった。

 じっと川面を見つめながら胸の内を明かして、最後にこちらへ振り返る。

 

「前までやったら大学には行かずにお祖父様のところで修行しとるんやろうなて思うとったんやけど。シュンが後輩になるんなら、欲張ってみてもええかなって」

 

 思わぬタイミングで見つめられて、咄嗟に答えを返すことができなかった。

 クスクスと笑った顔に驚かされ、はにかんだ彼女を見ていることしかできなかった。

 

「シュンが入学してくる時、うちはもう三年生やろ? 一年しか一緒に居られないんはちょっと寂しいなて」

 

「どうして、そこまで……」

 

 たった数日。それも会ったばかりの人間だ。

 いくら互いの事情を語ったとはいえ、進路を変えるほど重要視されているとは思わなかった。

 

 呆然とするばかりのこちらへ、彼女は再び空を見上げて吐露する。

 

「うちな、シュンに会うまで生きとってもしょうがないって思てたんよ」

 

 どこかで聞いたような文句。

 かつて、同じような想いを抱えたまま日々を消化した記憶が蘇った。

 

 生きる理由も甲斐もなく、ただ社会というシステムの一部として過ごしていた。

 どこかで破綻するのはわかっていて、それでも止めるだけの目的が見当たらなかった。

 

「うちにとって、生きるのはただ終わりに向かって歩くだけの一本道やった。どうせ全部無くなってまうんやから、いらんことしてもしょうがないて」

 

 前世の『俺』と似た想いを抱えながら、けれど、言葉とは裏腹に燐の表情は晴れやかだった。

 

「けどシュンに会って、シュンの願いを聞いて、うちにも出来ることがあるって思えた」

 

 憑き物が落ちたような、縛り付けていたものが解けたような、軽やかな口調。

 生気に満ちた眼がこちらを捉え、小さく頷いた燐が真剣な顔で告げる。

 

「ずっと黙っとったけど、ほんまはうち、シュンの願いを叶える方法を知っとるんよ」

 

 心臓が一度、大きく跳ねた。

 彼女へ向けた目は自然と見開かれ、真意を量るべく緋色に変わった瞳を見据える。

 

「人の魂を切って繋ぐ術法。これならシュンの精神からもう一つの心を切り出して、意識領域に縫い付けることができる」

 

 燐が続きを語るたび、鼓動が早くなった。

 頭を巡る血の量が増していき、彼女が胸に手を当てた時点で最高潮になった。

 

「術の名前は《魂結(たまむす)び》。

 生まれた時から持っとる、うちだけが使える系統外魔法や」

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 
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