モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第7話

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 【西暦2093年8月9日 久沙凪家本邸】

 

 目が覚めた時、目の前には見慣れた天井が広がっていた。

 

 太い梁の通った伝統的な造りの武家屋敷。板張りの床と漆喰の壁に囲まれた部屋に窓はなく、冷たく薄暗い室内には陰鬱な雰囲気が立ち込めている。

 身体を起こしてみれば其処は十数年を過ごした自室で、横になっていたのも洋風のベッドではなく使い古した布団の上だ。

 

 いつの間にここへ戻ったのか。

 どうやってここまで来たのか。

 

 どちらもまったく見当がつかず、燐は自分の記憶を疑わずにいられなかった。

 

 夏の日差しの下、川べりの広場で燐は自身の固有魔法を明かした。

 シュンの願いを叶えるため、負担を押してでも実行すると決めたはずだ。

 

 決意を交わした二人はそれからも市内巡りを続け、陽が落ちてから宿泊先へと戻った。

 夕食を共にし、深夜まで語り合う間のシュンの表情は今も鮮明に思い出すことができる。

 

 ただ、それから後はどうしていただろうか。

 

「シュンが出てった後、夜景を見に窓の傍に行って、そんで……」

 

 わからない。シュンと別れた後のことがどうしてか思い出せない。

 

 まるで水面(みなも)へ落ちた墨のように。

 思い出そうとするほど輪郭はぼやけ、手の届かぬ底へと沈んでいく。

 記憶の中の絵が滲んで溶け、焼き付けたはずの景色は端から削られていった。

 

 胸の内に暗闇が広がるのを感じて、燐は堪らず自身をかき抱く。

 思い出を一つ見失うたびに身体は冷え込んで、突き刺すような痛みが頭に響いた。

 

 あるいは昨晩までのことはすべて夢だったのかもしれない。

 少年との出会いも、見出した意味も、すべて幻想だったのかもしれない。

 

 そんな言葉が()()()()()頭の中に流れ込んできて、そんなはずがないと必死に頭を振る。

 

 そうしている間にふと、視界の端へ映るものがあった。

 十数年間変わらず見続けた部屋の一角に、目に鮮やかな色合いが加わっていた。

 

 布団の脇、枕の傍に真新しい洋服が畳んで置かれている。

 丁寧に畳まれた藍色のワンピースとつばの広い帽子。ブーツの足元には丁寧に布を敷いていて、いずれにも短いながら輝かしい思い出が詰まっていた。

 

 間違いない。これらはシュンと一緒に揃えたものだ。

 シュンと出会っていなければ、こうした衣服との縁などあるはずがない。

 

 手を伸ばして触れてみる。

 ブーツの滑らかな質感も、ワンピースの柔らかな感触も、指先に確かに感じられる。

 帽子を胸に抱けば年下の少年の困ったような笑みが浮かんで、自然と口角が上がった。

 

 夢ではない。彼と過ごした記憶は間違いなんかじゃない。

 

 その確信は冷え込んだ心に火を灯し、凍りかけていた心と身体を溶かした。

 内側から広がる熱は闇を晴らし、脳裏に響いていた囁き声を遠ざけていった。

 

 直後、部屋の戸が擦り音を立てて開かれ、陽の光が暗い室内に差し込んだ。

 

「目が覚めたかのう」

 

「……お祖父様(じいさま)

 

 入り口に立っていたのは彼女の実の祖父だった。

 

 白い髪と髭をたくわえ、羽織と袴を纏った小柄な老爺。

 長年の鍛冶仕事で眼は濁り声は焼け、それでも立ち姿は確かな威風を感じさせる。

 

 名を義径(ぎけい)

 刀匠としても術師としても一族の頂点に立ち、(よわい)60を超えて尚、当主の座に在り続ける古強者だ。

 

「きっかけがあったとはいえ、(わし)の術を跳ね除けるとはのう」

 

 感心したように頷いて見せる祖父を、燐は油断なく見据える。

 術を跳ね返したと口にした以上、先程まで自分を蝕んでいた恐怖は祖父のもたらしたものに違いない。迷いを振り切ったタイミングで訪ねてきたのも偶然ではないだろう。

 

「どうして私はこちらに?」

 

 せめて表情を読まれないよう、努めて冷静に応じる。

 数日前までの自分をトレースすればポーカーフェイスを装うことは難しくない。それだけで誤魔化せるとは思えないが、無抵抗のまま内心を晒すのは我慢ならなかった。

 

「無論、自ら歩いて帰ったのよ」

 

 反抗の姿勢を示す燐を見て、義径は口元を笑みの形に歪める。

 眉間に皺が寄り、鋭くなった眼光が孫娘を射貫いた。

 

「気分はどうじゃ。起こさぬよう歩かせたつもりじゃが、これがなかなか難しゅうてのう」

 

 問われて、燐は肩を小さく震わせる。

 嘘も誤魔化しも一切なく、己の仕業だと(うそぶ)いたのだ。

 同時に、燐の意思とは無関係に身体を操る術が存在することを意味している。

 

「それも天狗の術法ですか?」

 

 脳裏に浮かぶのはかつての記憶。

 屋敷を抜け出した兄と自分を縛ったあの術だ。

 生まれた直後から掛けられているその術が対象を意のままに操れるのだとしたら、抵抗はおろか操られている間の記憶すら残らないのにも得心が行く。

 

 祖父の表情に変化はなく、望む回答が得られることもなかった。

 

「お前が余所者と共におるのは知っておった。何処で何をし、如何な企みをしておるかもな」

 

 再び口を開いた義径はまるで子どもに教え諭すような口振りで語る。

 

 考えも行動もすべて筒抜けだったと言われて、燐の固めていた表情が苦く歪んだ。

 内心まで見透かされているとなればいよいよシュンと再会するのは難しいだろう。《魂結び》の代償は祖父も知るところで、力を十全に保つためには一度も使わせるわけにはいかないのだから。

 

 そうしてシュンの顔を思い浮かべた瞬間、心を読んだかのように老爺が頷いた。

 

「あの小僧には感謝しておる。煉が施した暗示をものの見事に解いたのじゃからな」

 

 「泳がせて正解じゃったわ」と続けて、義径は笑い声を漏らす。

 

「あやつが仕掛けた暗示によって、お前は長らく感応の扉を閉ざしておった。お陰で一族の悲願に至る術は未完のまま。長らく原因すらもわからぬ有り様だったからのう」

 

 心を縛られていると知った兄が祖父に悟られぬよう施した暗示。

 それは燐の唯一の色鮮やかな記憶を鍵として感情を封じる扉だった。

 

 幼い頃の記憶を思い出せずにいたのはそのためで、シュンとの出会いを機に思い出したのも鍵の役目を終えたから。

 その目的は人らしい情緒を封じることで《魂結び》の習得を遅らせ、自身が修行を終えて戻るまでの時間を稼ぐことだ。

 

「いかに才があろうと、制御できぬようでは『鋼』に込めることも叶わぬ。なんとも(さか)しい手を考えるものよ」

 

 感嘆を口にする祖父の目は鋭く、快く思っていないのは明らかだった。

 周到で冷徹な祖父にこのような顔をさせるほど兄の行動は妙手だったのだ。

 

 それだけに、燐は自身の失策を強く自覚していた。

 

 兄が修行を終えて戻るまで『人形』であり続けるはずだった。

 兄が祖父を討つ力を付けるまで『人』に成るつもりはなかった。

 

 そうして完全に心を閉ざしたはずの燐はしかし、シュンと出会ってしまった。

 非業を背負った少年の記憶を視て、その鮮烈さに封じていた心の扉を開いてしまった。

 

 一度開いてしまえばもう閉ざすことはできなかった。

 自身の力が少年の心を救うきっかけになり得るとなれば尚更だ。

 

 芽生えた慈愛がもたらす衝動は枷を解き放ち、取り戻した感情は抑えていた精神の成長を促してしまった。

 『人』としての心を取り戻した燐はシュンを救うべく覚悟を定め、生まれ持った異能を使うと決めてしまった。

 

 燐が自身の異能を制御するその瞬間を、祖父は虎視眈々と待ち続けていたのだ。

 軟禁し続けていた燐を高校へ入学させたのも、煉の施した暗示を解くためだったのかもしれない。

 

「ようやく備えは整った。今こそ我ら一族の悲願は果たされん」

 

 祖父の満足げな哄笑を頭上に聞いて、燐はそっと目を閉じる。

 

 猶予はない。兄の企みを知っている祖父がその帰りを待つはずもない。

 いざとなれば燐の身柄を人質に兄を従わせることすらやってのけるだろう。盾とする身体に魂が残っているか否か、それを確かめる術を兄は持ち合わせていないのだから。

 

 であればこそ、これ(・・)を訊ねることができるのは今だけだと確信した。

 

「一つだけ、お聞かせください」

 

 言いつつ、顔を上げる。

 

 顔を向けた先で、義径は笑みを湛えたまま片眉を吊り上げた。

 その仕草を肯定と捉え、興味深げに目を細める祖父を見据えて続ける。

 

「『神剣』を打ち上げた後、お祖父様はどうなさるおつもりですか?」

 

 ほんの少し。極僅かにだけ、吊り上げたままの眉が揺れたのが見て取れた。

 次の瞬間にはもう老爺の表情は繕われていて、口元の笑みも子どもを諭すような色に変わった。

 

「おかしなことを言うもんじゃのう。我らは『神剣』の鍛造を至上命題とする一族。打ち終えた後のことなど考える必要はなかろう」

 

「確かに、そう教えられとりました。けど、お祖父様にとっては違ってはるんやないですか」

 

 しかし燐が問いを重ねると、義径の繕った表情は見る間に冷たくなった。

 

何故(なにゆえ)、そう思う?」

 

 轟く声も打って変わり、腹の底から響くようなものになった。

 怯みそうになるのを抑え込んで、燐は鋭い眼光をまっすぐに睨み返す。

 

「お祖父様が本当に『神剣』の鍛造だけを考えとるんやったら、兄様(あにさま)まで術で縛る必要はあらしまへん」

 

 兄の煉は類稀な才能を有していたものの、『鋼』を打つことは他の者にもできる。

 兄妹が幼少の頃からそれは判っていたことだ。『鋼』となるのは燐だけである以上、煉の心まで縛る必要はない。でなければ兄が祖父の支配から逃れるために魔法大学進学へ進学することも、武者修行と称して音沙汰がなくなることもなかった。

 

「カカカ。確かにのう。あやつがこの場におらんのは誤算の一つ。まさか儂の術に抵抗する手を見つけるとは。我が孫ながら、まさしく当代随一の傑物よ」

 

 聞いたことのない声音を漏らして、義径は笑みを収める。

 

「『神剣』をもって何事を為すか。知れたことよ」

 

 眼差しだけが強く厳しく、表情からは一切の感情が抜け落ちていた。

 怒りも憤りも窺えず、かといって何の感情も載っていないとは到底思えない。

 

 やがて、静寂の満ちた部屋に地の底から滲み出るような声が轟いた。

 

「一族の悲願。その成果を掠め取らんとする者どもを討滅せん」

 

 足下から怖気が這い上がり、思わず一歩後ずさりしてしまった。

 細かな震えが全身を駆け巡って、射竦められた目を祖父から逸らすことができない。

 それが現当主、久沙凪義径の術だと気付いた時にはもう抗う余地は残っていなかった。

 

 胸の内に湧いた恐怖は次第に大きくなり、それが心臓と肺に強く圧し掛かった。

 一つ息をするごとに苦しくなって、呼吸も血の巡りもどんどんと荒くなる。

 

 堪らず膝が折れ、両手を床に着いたところでようやく義径は眼差しを緩めた。

 身体を押し潰していた恐怖が晴れて、燐は息も絶え絶えに祖父を見上げる。

 

「我らが始祖を山へ追いやった者たち。その末裔に『神剣』を奪われるのは癪じゃろう」

 

 孫娘を冷厳な眼差しで見下ろして、祖父は口元にだけ獰猛な笑みを浮かべる。

 取り繕いを止めた義径に直前までの面影はなく、その恐ろしい形相はまさに人の道から外れた『天狗』そのもの。人界に災いをもたらす物の怪と呼ぶに相応しい妖気を放っていた。

 

「では、お祖父様は……!」

 

「朝廷に与した者たちの子孫、なにより『元老院』共に思い知らせてやらねばのう」

 

 『元老院』――そう呼ばれる者たちの存在を一度だけ聞かされたことがある。

 

 日ノ本を脅かす妖魔や呪術師を討滅し、秩序の維持を目的とする者たち。

 この国の陰で暗躍する彼らはそのための力と駒を求めていて、妖魔を断つ『神剣』もまた彼らの目的に適うものだ。狙われるという祖父の推論も的外れだとは思えない。

 

「煉が『神剣』を手にすれば、かの『今果心(九重八雲)』にも劣らぬ強者(つわもの)となろう。その力をもって『元老院』どもの手先を誅し、目に物を見せてくれる」

 

 意気込む祖父の眼は憎悪に染まっていた。

 最早誰の諫言も届かないとわかった。

 

 故に、運命は目の前に迫っていると悟った。

 

 自分が『鋼』となれば、災いの種が撒かれてしまうかもしれない。

 そう考えるだけで胸の奥が冷たく凍えるようだった。

 

 街の人々も。二高に通う学生たちも。当然、シュンも。

 これまで出会ったすべての人々に不幸が降りかかるかもしれない。

 

 それだけは何としても避けなければ。

 たとえ己の身に刃を突き立てようとも。

 

「喜べ、燐。お前の力は満ちた。今こそ『鋼』とするに相応しい」

 

 声音が不気味な響きに変わったのを聞いて、燐は立ち上がり駆け出した。

 両手を後ろに組む祖父の脇を抜け、開け放たれたままの戸に向かって走る。

 

 向かうべきは鍛冶場。

 打ち上げた刃の一振りでもあれば、すぐに終わらせられる。

 

 そうして即座に動いた燐だったが、その悲壮な覚悟すら祖父には見通されていた。

 

「健気なものじゃのう」

 

 戸の敷居を超える目前、不意に繰り出していたはずの足が止まった。

 急制動を掛けられた身体はしかし、バランスを崩すこともなく戸の手前に留まる。

 床板へ貼り付いた足はまるで釘を打たれたかのように動かず、どころか上体や両手までも一切動かすことが出来なくなった。

 

「言ったじゃろう。お前の魂は我が掌中にあると」

 

 背後から届く声に心臓が早鐘を打つ。

 脳裏にかつての夜の記憶が蘇り、縛られた身体は意思に反してゆっくりと振り返った。

 

「その魂を刃と変え、遍くを斬り裂く力となれ」

 

 義径の眼が妖しく輝き、燐の意識は急速に暗がりへと落ち始める。

 抵抗する暇もないほど強烈な睡魔。固められていた膝が折れ、為す術もなく横倒しになる中、暗闇の中には少年の顔が浮かんでいた。

 

「シュ……ン……ごめ……」

 

 

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 方々を探し歩く内、日は西へと傾き始めていた。

 

 捜索を初めてからすでに5時間余りが経過している。

 けれど、どれだけ方々を駆けまわったとしても諦める気には一切ならなかった。

 

 フロントで聞く限り事件性はない。

 攫われた可能性はもちろん、何者かに脅迫されている様子もなかったそうだ。

 チェックアウトの場面を何度確認してもらっても不自然な箇所はなく、彼女が独りで手続きを済ませてホテルを出たことしかわからなかった。

 

 燐は言伝一つ残すことなく、自らの意思でホテルを去った。

 交わした護衛契約を破棄し、俺を見限ったということだ。

 

 何の理由もなくそんなことをするとは考えにくい。

 ほんの三日間とはいえ、彼女の為人は見てきたつもりだ。

 

 考えられる可能性としては急な用事が入ったか。或いは愛想を尽かされたか。

 どちらにせよ書置きもないことは引っ掛かるが、面倒になったと言われれば不思議でも何でもない。話していて実のある相手でないのは自分が一番よくわかっているのだから。

 

 何度となくそう考えて、けれど繰り出す足が止まることはなかった。

 視線をあちこちへと巡らせて赤銅色の髪を探してしまう。似た後ろ姿を見かけると足が止まり、彼女でないことがわかると再び前へ出た。

 

 どうしてこんなに拘っているのか。

 どうしてこんなに焦っているのか。

 

 自分でもわからないまま身体だけが動いて、ただ時間だけが過ぎていった。

 炎天下を走り続けた代償が全身に圧し掛かって、視界も端の方が暗くなっていくのがわかった。

 

 

 

 そうして、いよいよ体力も尽きようかという頃――。

 

 

 

「お前さん、こんなとこで何してるんだい」

 

 

 

 不意に聞いたことのある声が耳に入って、振り向いた先にその人を見つけた。

 

 

 

 東方佐恵。

 

 トウホウ技産の会長で、3日前まで護衛に当たっていた人が、そこにいた。

 

 

 

 




 
 
 
 
 
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