モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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【西暦2093年8月9日 京都市中京区】
少年を見つけたのはまったくの偶然だった。
商談を終えてホテルへ戻る最中、堀川通りの歩道を小走りで進む姿を見かけた。
散策にしては忙しなく、鍛錬にしては覇気がない。しきりに周囲を見渡しながら止まらず、ふらふらと足取りの定まらないまま人の間を駆けていた。
何かを探しているのはすぐにわかった。
シャツに滲んだ染みから相当長い時間探し回っていることも推測できた。
傍目にもわかる必死な顔を浮かべていて、それは寿恵が少年に見る初めての感情だった。
「止めとくれ」
気付けば運転手にそう命じていた。
秘書と護衛が戸惑う間に扉を開け、制止の声を無視して少年の進路に立ちはだかる。
「お前さん、こんなとこで何してるんだい」
左右へ視線を巡らせる少年は寿恵に気付くことなく近付いてきて、呼び止めたことでようやく足を止めた。
「東方様……? なぜ、このような場所に」
「それを訊いているのはあたしの方さ。いったい何を探してこんなところにいるんだい?」
重ねて問うと、少年は決まりが悪そうに顔を逸らした。
口にすべきか迷っているのが目に見えてわかって、思いもよらない反応に寿恵の方が目を丸くする。
「クライアントを、探しておりまして」
ようやく白状した少年の声はこれまでで一番弱々しいものだった。
「ずいぶんと探し回ったようだけど、迷子にでもなったのかい?」
「いえ。そういうことではないのですが……」
「はっきりしないね。お前さんの雇い主はどこに行ったっていうんだい」
ぐずぐずと言い渋る少年に苛立ちが顔を覗かせる。
以前、その見かけにそぐわない胆力を見て抱いたものとは違う、自身の会社の若手社員を見ているかのような種類の苛立ちだった。
「昨晩遅くに宿舎を出たようで、今朝方部屋を訪ねた時にはもう影も形もなく」
あまりにも予想外な回答に寿恵は心からのため息を吐く。
時刻はすでに16時を回っている。朝からと言うからには優に8時間は経過しているだろう。休みなく駆け回っていたとは考えたくないが、どちらにせよ常軌を逸している。
「呆れたもんだ。突然いなくなったやつを半日も探し回ってたってのかい。お前さん、意外と間抜けだったんだね」
「返す言葉もありません」と項垂れる少年を見て、寿恵は印象の変化をはっきりと感じた。
態度だけではない。纏う雰囲気も、言葉に乗せられた感情の色も、数日前とはまるで別人だ。それこそ人型ロボットの中身が人間に入れ替わったかのように。
少年が別の人間の護衛に当たることは彼の叔父の繕から報告を受けていた。
詳細な理由は聞いていないが、繕の表情から察するに余程大事なことだったのだろう。寿恵自身としても中学生の少年が身体を張って警護に当たるというのは苦々しく思っていたので、この配置転換を不快に感じることはなかった。
京都入りした翌日からは少年と顔を合わせる機会もなく、面と向かうのはおよそ三日ぶりだ。
昔から『男子、三日会わざれば』とは言うが、だからといって本当に三日で別人の如く変わる者など初めてだった。
大人顔負けの胆力を持ち、一線級のプロにも不可能な魔法を操る中学生の少年。
自身を盾にすることを疑問にも思わず平然と戦いに身を投じ、細やかな願い一つ持ち併せていなかったヒューマノイドの如き男子は、いつの間にか真っ当な『人』へと変わり始めていた。
年相応と言うにはまだ遠いが、これほどの変化をもたらしたのがそのクライアントだとすれば。
「女だね。その雇い主ってのは」
小さく、ほんの小さく、目の前の少年の――
これまで表に出てこなかったからこそ、小さな反応でも内心を察することができた。
「人間らしいとこもあるじゃないか。惚れた女を探して何時間も走り回るなんてね」
思わず笑いが込み上げてきて、クツクツと漏れたそれにシュンは真剣な顔で食い下がる。
「そのような相手では、決して……」
「わかってるさね。ただの想い人ってわけじゃないんだろう?」
当然、それはわかっていた。
ただ惚れただけの相手にそれほどの執着を抱きはしない。それ以上の、捨て置けないほどの『何か』があったからこそ、シュンはその雇い主を探し回っていたのだろう。
「その娘について知っていることは?」
だからこそ、手を貸すことに迷いはなかった。
助けられた借りを返す目的もある。
けれどそれ以上に、シュンが人として当たり前の感情を見せたことに胸を打たれていた。兵器たれと自身を定めていた少年の変化が素直に嬉しかった。
「情報を寄越しなって言ってるんだよ。名前や出身、見た目の特徴なんかもあれば尚いいね」
高揚を覗かせて催促する寿恵に、シュンは戸惑いながら少女の特徴を語る。
名前と出身、そして古式魔法師の家系だと聞いたところで、寿恵は捜索の当てに目星をつけた。
「一緒に来な。東方佐恵の――
最後に本名を名乗って、寿恵は高らかに宣言する。
彼女がこうまで口にして好転しなかったことは、70年の人生でただの一度もなかった。
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大見得を切った寿恵はそのままシュンを車へと引き摺りこみ、急ぎホテルへと戻った。
恐縮する少年の襟を掴んでエントランスへ入ると、連絡を受けて出迎えた繕は憔悴しきった甥を見て目を丸くする。
何事か問いたげな繕を視線一つで黙らせ、寿恵は駿を伴ったままフロントへ向かった。
「急な話で悪いけど、『カプセル』を一台使わせてもらえるかい?」
政財界のVIPも利用するこのホテルには防音、防振、遮光に加え、睡眠導入の機能を備えた感覚遮断カプセル――通称『カプセル』が設置されている。
ハイグレードな客室にのみ用意されているそれは通常、衛生的な観点から部屋を取った本人しか利用できないルールとなっているが、寿恵はその権利を惜しみなく押し付けることにした。
「かしこまりました。お時間はどの程度に致しましょう」
「2時間もあれば十分だよ。ついでにシャワーも浴びせといてくれると助かるね」
言いながら、傍らで呆然と立つシュンを指差す。
唐突に注意を向けられたシュンはハッとして姿勢を正し、気丈に振る舞って見せた。
「いえ、私のことなら問題は……」
「今にも倒れそうな顔しといて、つべこべ言ってんじゃないよ。いいから休んできな」
しかし、寿恵はそんなシュンの強がりをばっさりと切り捨てる。
実際その顔は長く日差しの下にいた所為か血の気がなくなっていて、涼しく保たれた室内に入っても汗が止まっていない。誰がどう見ても休むべき状態だった。
応対する女性コンシェルジュも同じように感じたのか、二人のやり取りを見ただけで納得を浮かべた。
「では、そのようにご案内します」
一礼した女性が男性スタッフを呼んで事情を伝えると、男性スタッフは通路の奥へとシュンを促した。
それでもまだぐずぐずと恐縮を続ける彼を手振りで追いやり、ようやく姿が見えなくなったところでコンシェルジュに礼を言ってフロントを離れる。
シュンを休息に送り込んでからも寿恵の行動は止まらない。
秘書を伴ってロビーへと場所を移し、サマージャケットのポケットから一枚のデータチップを取り出すと、秘書の端末に一件のアドレスを送りつけた。
「そこに入ってるデータを付けて、そいつにアポイントを取りな。今日中に訪ねたいと伝えるんだよ」
困惑する秘書にデータチップを渡した寿恵はそれきり彼女から目を切り、自身のプライベート端末を取り出した。
数多ある連絡先の中から馴染みの一つを選び出し、迷うことなくコールを鳴らす。
唐突な連絡ではあったものの、幸い相手はすぐに電話を取った。
『お久しぶりですな。わざわざご連絡いただけるとは』
通話を取った相手は開口一番そう言った。
20年以上の付き合いがある男だが、いつの頃からかこうした役者染みた言い回しをするようになった。悪ノリに付き合うこともあったが、生憎と今はそんな余裕もない。
「悪いけどお喋りを楽しむ暇はなくてね。急だが頼まれて欲しいことがあるのさ」
口調から真剣さが伝わったのか、相手はすぐに納得の息を吐いた。
『スーさんがそう仰るということは、また無茶な要求をされるのでしょうな』
「ああ。お前さんのとこで一等使えるヤツを貸しとくれ」
難題をさらりと言ってのける寿恵に、さしもの男も黙考を始める。
世代は違えど付き合いの長い二人。師と弟子の間柄と言っても過言ではなく、実際男の方は寿恵に大きな恩義を抱いていた。
だからこそ、普通なら一蹴するような要求にも惑わず話を進めることができる。
『念のために、何をやらせるのかお教え頂いても?』
「腐りかけた枝の間引きさね。さっさと進めるには外の人間を迎えるのが手っ取り早い」
寿恵の回答を聞いて、男は通話口で静かに息を呑んだ。
たとえ話とその真意を正確に読み解いて、短くない沈黙の後に厳かな声音を返す。
『花道を飾る人材ですか。随分と重責ですな。それで、枝打ち代はいかほどに?』
「桐生に新しく研究所を建てる予定でね。一枚噛んでみる気はないかい」
『乗りましょう。一両日中に候補をリストアップしておきます』
逡巡はなかった。
寿恵自身、この反応速度を期待したからこそ彼に――北山潮にコンタクトを取ったのだ。
「よろしく頼んだよ」
最後にそれだけを口にして通話を切る。
積もる話はいくらでもあったが、それはまた後日すればいいだけのこと。
なにせ半年もすれば隠居の身だ。相談くらいは舞い込むだろうが、それにしたって旧友と会う時間くらいならいくらでも作れる。
弟子との電話を終えたところで、丁度シュンを連れて行ったスタッフが戻ってきた。
曰く、ぐずぐずと抵抗していたシュンもさすがに疲れが溜まっていたのか、カプセルに押し込まれて早々に意識を手放したらしい。炎天下を何時間も走り回っていたのだから当然だ。寧ろ途中で倒れなかった頑丈ぶりに感心さえ覚える。
スタッフと入れ替わる形でそれまで静観に徹していた森崎繕が進み出た。
寿恵の前に来た繕は深く腰を折り、謝罪の意を表する。
「甥がご迷惑をお掛け致しました。後のことはこちらで――」
「何を言ってんだい。まだやってやることがあるんだよ」
手出しを止められそうになって堪らず寿恵は口を尖らせる。
お節介だという自覚があるだけに何かしら反論が来るかと構えていたものの、返ってきたのは間の抜けたような声だった。
「どういうことでしょう?」
嫌味でも誤魔化しでもないことは目を見ればすぐに判った。
そして同時に、大人びて見えていたシュンが思った以上に稚拙だったのだと解った。
「何も聞いてないのかい? つくづくバカな子だね。相談の一つもしてないとは」
ため息を吐いた寿恵が端的に経緯を説明する。
やはり繕はシュンの行動を把握していなかったようで、寿恵が拾い上げるまでの話を聞くと眉を寄せて再び腰を折った。
「そんなことが……。重ね重ね、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「迷惑だとは思ってないけどね。助けられた借りを返す一環だよ」
ドが付く真面目さがそっくりで思わず口元が緩む。
映像越しに話した父親よりもよっぽど親らしいほどだ。
「あの子の雇い主ってのはどんな娘なんだい?」
笑みが浮かんだついでに、シュンを変えた人物について訊ねてみる。
機械のようだった少年をたった数日で豹変させたのだ。下世話な意味だけでなく興味があった。
「魔法大学付属第二高校の見学へ行った際に知り合ったと聞いております。二つ年上の高校生だとか」
言われて、寿恵の浮かべていた笑みが
繕の言葉が真実なら、相手はまだ高校一年生。為人はともかくボディガードを雇うほどの事情があるとは妙な話だ。逢瀬をするだけなら友人でも構わないというのに。
「高校生ねえ。そんな娘がなんだって護衛を付ける必要があったんだい?」
「詳しくは私も。身内の暴力に晒されていたらしいとしか」
「それだけでよくもまあ認めたもんだね」
「駿自身が望んでいたことでしたから」
そう口にする繕の表情は穏やかでありながらも真剣だった。
短く目を閉じた後で顔を上げ、視線を斜め下に落として繕が続ける。
「一年前、とある事件に巻き込まれて以来、駿は感情を表に出さなくなりました」
一年前と、そう聞いた寿恵の頭に報道の声が蘇る。
東京の本社で聞いたその報せは十年前の大越紛争やそれ以前の群発戦争を思い起こさせ、復興のための支援には私費を投じることにも躊躇いはなかった。
シュンの巻き込まれた事件が沖縄で起きたことと関りがあるかはわからないが、もしもそうだとすれば当時中学一年生の子どもが傷心を負っても不思議ではない。
「母親が体調を崩したことに責任を感じていたのでしょう。事件以降、父親の命令へ従順に従うばかりで、自分の意見を一切口にしなくなってしまいました」
だからあれほど歪んでいたのかと、寿恵は独りでに納得を抱く。
少年兵と似通って見えたのはあながち間違いではなかった。心的外傷の表れだと考えれば、自身を盾にするのも厭わない精神性にも聞き覚えがある。
同時に、目の前の叔父が甥の変化を喜ばしく思ったこともよく理解できた。
「あの少女の護衛に付きたいと言い出した時、叔父として嬉しく思いました。これが心痛を癒すものになればと、私の一存であの子の申し出を認めたのです」
結果がどうあれ、その判断がシュンを想ってのことなのは明らか。
たとえ職業倫理に反していても、シュンを知る者であれば誰一人止めはしないだろう。
「アタシも親になったことがないからハッキリとはわからないけどね。少なくともお前さんの願いは間違いじゃなかったんだろうよ。実際、三日前とはまるで別人だったからね」
事実、それは確かに少年を『人』へと戻す一助となったのだ。
その果てに今回の失敗があるとしても、決して無駄になることはないと寿恵は思った。
「ご厚情ありがとうございます」
三度腰を折る繕へ手振りで応じる。
と、丁度そのタイミングで遣いを終えた秘書が戻ってきた。
焦りを顔に浮かべながら寿恵たちのもとへ駆け寄り、端末を手に内容を報せる。
「会長、ご指示を頂いた方から返答がありました。17時半から先方のご自宅でお会いするとのことです」
現在の時刻は16時45分。
移動に掛かる時間を考慮すればのんびりとはしていられない。
「そうかい。なら、その時間に訪ねると答えな」
即断した寿恵に対し、秘書は驚愕を顔に浮かべた。
「それでは18時からの会食に間に合わなくなってしまいますが」
九十九魔学との協議は大詰めを迎えている。
この日の会食はその一環として、互いのトップが顔を合わせる場になるはずだった。
「構わないよ。そっちには眞栄田を行かせるからね」
「会長!? ですが、それでは……!」
そんな会食の席に、取締役会の一員とはいえまだ若手の人間を派遣する。
代表取締役会長の寿恵がそうすることの意味を、彼女はよく理解していた。
「元々考えてはいたんだよ。成長のために古い血を新しい血へ入れ替える。新陳代謝ってやつさね」
困惑を露わにする秘書へ、寿恵はいつになく穏やかな笑みを向ける。
それは彼女が秘書となって以来、最も柔らかな微笑みだった。
「あの坊やの変わり様を見たかい。若さってのはああいうのがあるから侮れないね」
頼りないからと過保護になっていたことを自覚したのは三日前のこと。
弱冠14歳のシュンが大人顔負けの戦いぶりを見せ、若い世代の中には自分の想像も及ばないような人材がいるのだと知った。
或いは部下の中にも窮地で力を発揮する者がいるのではないか。
そうした考えは日増しに大きくなり、シュンの変貌ぶりを見て覚悟が決まった。
「ただで隠居してやるつもりはないよ。あたしの首と一緒に腐った連中も道連れにする。ついでに大口の一つ二つ土産にしてやれば残った面子だけでもやってけるはずさね」
トップがいなくなれば嫌でも頭を使うようになる。
ついでに地位へ固執するばかりの連中を除けば風通しも良くなるだろう。
目端が利く人間を取り入れておけば迷走も防止でき、ホクザングループとの取引があれば向こう数年は体力も維持できるはずだ。
シュンへ借りを返すのは背中を押される良いきっかけだった。
内心でそう言い聞かせて、寿恵は晴れ晴れとした顔で繕の方へ顔を向けた。
「さて、あんまりぐずぐずしてたらあの子が起きてきちまうからね。悪いけど、運転手を頼まれてくれるかい」
「謹んで務めさせて頂きます」
深く腰を折った繕に頷いて、寿恵は振り返りしな自身の社用端末を秘書に差し出す。
「お前さんは残って眞栄田の補佐に当たりな。必要なものは全部ここに揃えてあるからね」
「はい……はい! お気をつけて、行ってらっしゃいませ!」
一瞬だけ不安げな表情を浮かべた彼女はすぐに首を振り、しっかりとした顔へ変えて端末を受け取った。
頭をもたげる心配に蓋をして、口元に笑みを浮かべて見せる。
それきり未練を断ち切った寿恵は、繕を伴いエントランスから外へと足を踏み出した。
向かった先は京都市南東の山中。
県境を抱える山林の奥に、その邸宅はあった。
表札はない。どころか、招待を受けていなければ近付くことすらできない。
重厚な門構えを持ち、周囲を塀で囲まれた、伝統的な武家屋敷。
物理的な堅牢さに加え、魔法的な守りまで施された要塞。
伊賀流忍術を受け継ぐ古式魔法の大家――藤林家。
その当主、藤林長正が自ら寿恵を出迎えた。