モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
◆ ◆ ◆
「娘が世話になったようだね」
木の葉の中から現れた男にそう言われて、呻きに似た声が漏れた。
「では、貴方は彼女の……」
驚いたのは間違いない。心臓が大きく跳ね、耳の奥からはドクドクと血の巡る音が聞こえている。
言葉に詰まったのも初めて会った時の燐と似た雰囲気を感じたからで、だからこそ言動と表情に大きな差異を感じてしまった。
「彼女は――燐はこの先にいるのですか?」
「もちろんだ。娘は自らあるべき場所へと戻ったのだよ」
違和感を抱きながら訊ねた問いに、男は表情を変えず答えた。
眼差しも語調も平坦なまま。とても家出をしていた娘を迎えた父親の態度には見えない。
ましてや俺は従兄から彼女を遠ざけた張本人だ。唆したと疑われていても仕方がないはずだが、目の前の男からは隔意も敵意も感じられなかった。
「それは本当に燐が望んだことなのですか?」
気味の悪さを拭えないまま、ひとまずはこれを訊ねてみる。
燐の失踪が判明した後、俺は無理を言って空になった部屋を調べさせてもらった。
だが室内を見た限り襲撃を受けたような痕跡はなく、応対したフロントの従業員も彼女が一人でチェックアウトをして出ていった旨を語っていた。単純に考えるなら家出を止めて生家に帰っただけと捉えられるだろう。
一方で、燐の語っていた言葉を思い出す限り自ら進んで戻ったとは考えづらい。
親族がどう思っていたかはともかく、彼女自身は帰りたくないと言っていたのだ。
或いは例の《魂結び》という魔法を使うために戻る必要があったのかもしれないが、そうだとすれば尚更、俺には彼女と会って話す責任がある。
果たして、父と名乗った男の回答はある意味で予想通りのものだった。
「望む、とは? 娘があるべきはあの場所であり、望むも望まざるもないよ」
やはり、と疑念が確信に変わった。
口にしている言葉以上に、色のない表情がそれを証明していた。
「燐はずっと軟禁されていたのだと聞きました。貴方はそんな娘の境遇に疑問を抱いたことはなかったのですか?」
「異なことを言うね。大切な
「彼女は人間だ。仕舞い込んでおく物じゃない」
戯言を否定すると、男は納得したように息を吐いた。
「なるほど。どうやら君は何か心得違いをしているようだ」
男が一度目を閉じて俯く。
再び顔を上げた時、取り繕いを止めた男の眼差しと口調は更に冷淡になっていた。
「あれは人ではない。あるのはただ『鋼』としての役割のみだ」
ホームオートメーションの機械音声と変わらぬ無機質な声で、男は彼女をそう断じる。
「『鋼』としての役割……? どういう意味だ」
燐の従兄も似たようなことを言っていた。
彼女自身も生家では人として扱われないと言っていたが、これがその現れだろうか。
男の答えはシンプルだった。
「娘は『神剣』になる」
「『神剣』に、なる? 何を言っているんだ……?」
端的だからこそ真意のわからないそれに、思わず問いを重ねる。
直後、返ってきた答えに俺は言葉を失うしかなかった。
「持って生まれた術を魂ごと『鋼』に刻み、もって遍くを斬る『神剣』と為す」
淡々と、まるで当然のことのようにそう言った。
「それが我ら一族の悲願。それが娘の運命」
男の表情は変わらない。
自分の口にした言葉に一切の疑問を抱いていなかった。
「魂を『鋼』に刻むだって? 冗談じゃない。そんなことをすれば燐は……」
ようやく絞り出した声はどうしようもないほど震えていた。
身体も一緒になって震えだしそうで、両手を固く握ってどうにか堪えていた。
対して、男の方はこれまでで最も饒舌に言葉を並べていった。
「魂を失った肉体は抜け殻となり、魂を宿した『鋼』は剣となって後の世に続く。人としての娘は消滅し、剣として生まれ変わるのだよ」
その物言いはいっそ誇らしげですらあった。
常識も倫理も通じない、狂信者のそれと何ら変わらなかった。
人を人とも思わぬ所業だ。
まさか剣を打つための『鋼』にされようとしているなどと。
兵器たれと魔法師を開発した者たちよりもよほど醜悪で、許し難い思想だった。
「人を武器へ変える――。そんなもの、外道の発想だ!」
怒りの溢れるまま、目の前の男を睨みつける。
これほどの怒りを他人へ向けたのは前世を含めても初めてだ。
「貴方は父親なのだろう! 何故止めようとしない!」
対して、男の能面は小動もしていなかった。
恐ろしいほどに冷静で、憎らしいほどに冷酷だった。
「確かに私は娘の父だが、親であったことはない」
「父であって、親ではない?」
こちらをじっと見据えたまま、男は変わらぬ口調で続ける。
真意を知りたい気持ちと、これ以上聞きたくない気持ちの両方がせめぎ合っていた。
「私はただ、遺伝子上の父というだけに過ぎない」
瞬間、心臓が一際強く締め付けられた。
男が口にした言葉の意味を理解して、途端に背中へ震えが湧いてくる。
「娘は私と血の繋がりがあることを知らない。娘と言葉を交わしたことすら一度もない」
「そんな……そんなことが……」
想像を絶する境遇に言葉を失う。
燐が閉じ込められていた家がどれほど過酷な世界なのか、その一端を垣間見た気がした。
極寒の恐怖と灼熱の憤りに苛まれて、知らず知らずのうちに息が荒くなる。
「私からも一つ質問がある」
ふと、目の前の男がそんなことを言い出した。
「君はどのようにして娘の魂を成熟させたのだろうか」
何を言っているのかと、それだけが頭に浮かんだ。
「この十年、娘の魂は僅かも揺らぐことがなかった。成熟の兆しを見せなかった」
「だが君のもとで過ごした娘は、たった三日でその魂を成熟させた」
「聞かせてくれ。君は娘に何をした。私はそれに興味があり、故にこうして君を迎えている」
本気で言っているのがわかった。
嘘も繕いもないことは明らかだった。
だからこそ、余計に渦巻く怒りは勢いを増して燃え上がった。
「俺は何もしていない。彼女が心を取り戻したのは、彼女自身の意思の現れだ!」
「なるほど。答える気はないということだな」
それが決裂の合図となった。
自ずと対話の姿勢が解け、互いに得物へと手を伸ばす。
「燐を解放するか、俺を燐の所に案内するか。どちらか選んでください」
「それはできない。私の役目は結界の番であり、侵入者を排除することだ」
男の手が動き始めた瞬間、身体に染みついた条件反射が右手を動かした。
懐のホルスターへ伸びた手が拳銃形態のCADを抜き、男が両手を胸の前で組む間に引き金を引く。
すでに起動処理を終えていたCADから起動式を抽出。小規模かつ単純な魔法式は瞬きよりも早く完成し、印を結んだ男の目の前に展開した。
加速系対人制圧魔法《反転加速》。
対象の頭部に前後への揺さぶりを与え、脳震盪を引き起こさせる魔法だ。
こちらが展開した魔法式は男が纏うサイオンの鎧を破り、頭部へ極短時間の前後運動を強制した。
衝突事故に等しい揺れが意識を奪い、脱力した男は膝を着いてうつ伏せに倒れ込む。
しかし、落ち葉の積もった地面へ横倒しになる直前、男は突然息を吹き返した。
両手を突いて倒れこむ身体を支え、腕を伸ばす勢いを使って跳ね起きる。
膝は地面に着けたまま虚ろな眼差しでこちらを見上げ、男は再び両手を持ち上げて胸の前に組んだ。
構えたままだった特化型の引き金をもう一度引く。
間一髪こちらの魔法が速度で上回り、二度目の《反転加速》を浴びた男はびくりと身体を震わせ、ゆっくりと前のめりに倒れ始めた。
油断なくCADを向ける先で、再度男の手が動く。
地面に手を突いた男はそのまま土の上を転がり、脳震盪を強要する魔法によって一瞬だけ動きを止めた。
しかし直後には何事もなかったかのように立ち上がり、
手首に巻いた汎用型CADのキーを叩き、別系統の魔法を読み出す。
収束と移動の工程が記述された魔法式は舞い落ちる木の葉ごと圧縮空気の塊を作り出し、渦巻くその圧力を男の胸の前で解放した。
軽車両すらも押し退ける突風が男の身体を突き飛ばし、すぐ傍の木の幹へ叩きつける。
衝撃で木が軋み、葉と枝が落ちて幹へもたれた男に降りかかった。
普通の人間なら起き上がれないだろう。
骨折はもちろん、内臓を損傷していてもおかしくない。
だが最低でも骨にひびが入ったであろう男は、またしても悠然と立ち上がった。
「無駄だよ。長の術は心を縛り、肉体を操る。私も娘も、一族の者は皆、長の操り人形だ。痛みも欠損も、動きを止めるには至らない」
呟いた男は木の幹に背中を預けながら片腕を振るう。
咄嗟に身を屈めると、頭上を尖った何かが通過していった。
風の音に混じって軽い衝突音が鳴る。ちらと窺った背後の幹に柄のない短刀が突き立っていて、視線を戻した男の手にも同じ形状の刃が握られているのが目に入った。
攻め手を変えてきた。
理解した直後、男は隠し持っていた刃を次々に投げつけてきた。
狙いをズラして放たれる短刀を《自己加速》を使って避ける。
的確に投じられる刃を避けるためにはどうしても視線を固定するわけにいかず、結果、男の姿は夜闇に溶けてなくなった。
姿勢と立ち位置を動かし続けながら、特化型CADのストレージをリリース。
《反転加速》を中心とした加速系のストレージから、対物攻撃が目的の移動系統を収めたストレージへと換装する。
隠形を破る手立てならある。
だがその後、男を制圧する手段がなかった。
生半可な攻撃は意味がない。失神や骨折程度では止まらない。
物理的に動けなくなるよう、徹底した攻撃が必要だ。
その結果、相手を死なせることになったとしても。
実績こそあるものの、『森崎』の技はあくまで護衛のためのものだ。
そこには相手を打倒する魔法はあっても、相手の殺傷を目的とした魔法はない。
並の魔法師ならそれでも対処は可能だったが、今回ばかりは威力不足が明らかだ。
手持ちの魔法で足りないのなら、それ以外を使うしかない。
方針を固めた直後、頬を掠めて短刀が地面に突き刺さった。
その角度から投射されたおおよその位置を推測し、左手のCADに指を触れる。
選んだキーは『000』。
咄嗟の状況でも放てるよう設定したそれは、周囲のあらゆる魔法を打ち消すサイオンの暴風。
《
山の西側、貴船方面に続く参道の脇から山頂の方角へ向かう石段が現れる。
恐らくはあれが久沙凪の屋敷へ繋がる道だろう。結界で隠されていたこと、何よりも隠形の解けた男が行く手を阻むように動いたのが何よりの証拠だ。
灯篭の明かりに浮かぶ影へ向けて特化型の銃口を向ける。
本拠に続く階段の方へ動いた男を追って駆け出し、CADの引き金を引いた。
基礎単一工程の移動魔法。
極めた単純な起動式の魔法はゼロコンマ数秒で男を捉え、その身体を大きく弾き飛ばした。
いかに痛みを無視できるとしても、身体の示す生理現象を止められはしない。
樹齢100年は超えているだろう大木に叩きつけられた男は、人体の自然な反応として動きを止めた。
苦しげに咽る男の懐へ飛び込み、作務衣の襟を掴んで投げる。
木の幹に打ち付けた背中を続けて地面に叩き付け、零れた短刀を奪って手足の腱を切る。
くぐもった声が聞こえても止まらず、四肢から血を流す男の胸を膝で押さえ首元に刃を突き付けた。
「……見事だ。このまま私を殺せば、この場所に空いた穴は塞がらない」
言われて目を向ければ、結界に開けたはずの穴が急速に塞がっていくのが見えた。
まるで霧が流入していくように。山の頂へ続く階段が幻に覆われていく。
「殺すつもりはない。今すぐ結界の修復を止めろ」
突き付けた刃を喉元に触れさせる。
切っ先が僅かに肌を破り、溢れた血が小さな玉状に膨らんだ。
「言っただろう。我々は長の操り人形だと。私の命がある限り、結界の修復は止まらない」
それでも男の眼差しは何一つ変わることなく、ミスを正す人工知能の如く淡々と応えた。
動かないはずの手足を震わせ、胴だけでこちらを振り下ろそうと藻掻く男は、行動とは裏腹な言葉をこちらへ投げかける。
「娘に会いたいのだろう? それとも、君の覚悟は人形の命一つで揺らぐのか?」
心臓が大きく跳ねる。
耳奥で血の巡る音が激しく鳴り、呼吸も浅く早くなっていった。
男の話が真実だとすれば、すぐにでも燐を助けに行かなくてはならない。
魂ごと術を『鋼』に込めるなんて所業が簡単に出来るとは思えないが、すでに燐がいなくなってから長い時間が経過しているのだ。救出が遅れれば可能性は増す一方だろう。
迷っている時間はない。
燐のもとへ行くためには、この刃を振り下ろす他に手はない。
葛藤は、一瞬だった。
「――そうだ。命を絶つことのみが、我ら『
振り下ろした短刀が男の喉に突き立った。
刀身のほぼすべてが埋まり、握った手の間際で止まる。
溢れ出した鮮血が両手の手首までを濡らし、掠れた声が微かに漏れ聞こえた。
「行くが、いい……。私が死ねば、すぐに、侵入も知られ……」
今際の言葉はそれまでの無機質なものとほんの少しだけ違って聞こえた。
事切れた男の上から転がって下り、息の乱れたまま立ち上がって亡骸を見下ろす。
「……貴方は、彼女の父親になるべきだった」
零れ落ちるままそう口にして、木々の間に覗く穴へと飛び込んだ。
参道から外れた石の階段を出来る限りの速度で駆け上る。
《自己加速》も使っての全力登坂。息が切れようが、躓いて打ち身を作ろうが関係ない。
やがて乱立する木々の向こうに漆喰の塀が見えてきた。
結界に守られた山中にあって尚壁は高く、内側を見通すことはできない。
僅かに覗く屋根は古めかしい瓦張り。塀の形と併せて正しく武家屋敷のようだ。
石畳の道を辿って正面に回り、固く閉ざされた門を見上げる。
鞍馬山に隠れ住む古式魔法師の一族――久沙凪の本拠。
燐がいるだろう場所へ、ついに辿り着いた。