モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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久沙凪の本拠は山林の中に築かれた武家屋敷だった。
重厚な造りの門を見上げ、どこから入るべきかを考える。
先程の男の話が真実ならすでに俺が侵入したことは悟られているはずだ。
この屋敷にどれだけの人が住んでいるかはわからないが、待ち構えているのは確かだろう。隠密性に優れる古式魔法の使い手たちだ。気付いた時には術中に嵌っていたなんてことになってもおかしくない。
《術式解体》と《術式爆散》を撃てるのは合わせて残り2回。
正面からの戦闘なら現代魔法の高速性も含め勝算はあるが、死角からの攻撃に徹せられたら突破は難しい。何しろここは敵の本拠地だ。地の利、数の利は相手方にある。
だが、だからといって突入を躊躇っている時間はない。
こうしている間にも事態は進行しているのだ。
燐が窮地にいるとわかれば尚更、リスクは承知で挑むしかない。
聳える門を見上げて、目算で高さを測る。
魔法式へ入力するのに必要な情報を読み取って左手の汎用型CADを操作。
起動式を展開させながら腰を低くし、事象改変に合わせて強く地面を蹴った。
3メートル近い高さの門塀を《跳躍》で跳び越える。
幸い罠や対物障壁などはないようで、迎撃を警戒しつつ建物の配置を確認。
正面に平屋の屋敷が一棟。右手に見える蔵は大きさからして二階建てだろう。
屋敷の左手には庭とその先に林。方角から見てこちらは山頂へ続いているはずだ。
正面奥には開口部の付いた大屋根が覗いているものの、手前の建物の陰になっていて中までは見通せなかった。
《慣性制御》で着地の衝撃を緩和し、いつ攻撃を受けても対処できるようCADに手を触れたまま周囲を警戒する。
伏兵の姿はない。どころか、人の姿すらどこにも見当たらない。
攻撃もなければ誰何もなく、妙な緊張感だけ空気に満ちていた。
おかしい。こちらの侵入はバレているはずなのに何の反応もない。
目に映る範囲に動くものはない。耳に聞こえるのも木々を揺らす風音だけで、声はおろか生活音一つ届いてはこない。様子を見ているだけにしてはあまりに静かすぎる。
立ち上がり、警戒を続けたまま石畳の道を進む。
玄関へ近付いても依然として攻撃はなく、そっと中を覗き込んでも人影はなかった。
或いは侵入自体気付かれていないのではとも考えたが、だとしても矛盾は拭えない。
なにせこれだけの広さだ。維持管理するだけでも相応に人手を使うはずで、見た限りホームオートメーションの類もない。家人の誰一人残っていないのはありえないだろう。
明らかに異常な状況だ。
罠と考える方がよほど自然で、だとすればこのまま踏み込むのは見えている罠に自ら飛び込むようなもの。まともに考えるなら一度周囲を探ってみるべきだろう。
一方で、不可解な点もある。
結界の内側に踏み込んでからすでに15分が経過しているが、ここまでの道中はおろか敷地に侵入した今ですら一度も攻撃を受けていないのだ。いくらでも奇襲の機会はあったはずなのに、ここまでは完全に見逃されてきた。
状況が判然としない。
俺の侵入は悟られているはずだが、迎撃する余裕もないほどの事があるのだろうか。
このまま外から探すか、それとも中へ踏み込むべきか。
数秒ほど考えた末、一つ深呼吸をして玄関口を潜る。
履物のない沓脱石を乗り越えて、土足のまま廊下へと上がった。
板張りの廊下を進みながら、目に付く戸を一つずつ開いていく。
燐がどこにいるかわからない以上、結局のところ虱潰しに探すしかない。
どれだけ空振りを続けようと、待ち伏せを受ける危険があろうと、燐がいる可能性があるのなら試さずにはいられなかった。
そうして幾つもの戸を開いた末、北側の庭と林に面した廊下の端にその部屋はあった。
小さな文机と薄く平らになった布団だけが置かれた薄暗い室内。
布団の脇には和風な邸宅に見合わないつばの広い帽子とブーツ、そして藍染の洋服が丁寧に畳まれていた。
間違いない。ここは燐の部屋だ。
改めて室内を見渡してみる。
太い梁の通った天井は低く閉塞感があり、漆喰と板の壁には窓などの光の取り入れ口が一つもない。光源となるのは机上に置かれたスタンドライトだけで、他の部屋と比べて明確に暗く冷たい雰囲気が落ちていた。
「こんな場所に、ずっと軟禁されていたのか……」
堪らず怒気が漏れた。いっそ檻と言われた方が納得できるほどだ。
人として扱われていないと、そう言っていた彼女の境遇を改めて思い知る。
『鋼』になるべく育てられた彼女は真実、物として扱われ続けてきたのだろう。
腹の底から憤りが湧くのを自覚する。
握った拳は震え、眉間に寄った皴は部屋を出ても解消されなかった。
燐の私室を後にし、廊下をさらに奥へと進む。
屋敷へ踏み込んだ時の慎重さは保てなかった。
拳銃形態の特化型CADを手にしたまま、未確認の戸を開けては中へ銃口を向ける。
ストレージに収まっているのが殺傷力の高い魔法だと理解していても、引き金に掛けた指を離す気にはならなかった。
およそすべての部屋を巡り終え、最後に残った通路へと目を向ける。
母屋らしいこの平屋から飛び石の並んだ庭を挟んだ先。
門を跳び越えた時には中を窺えなかった大屋根の建物だ。
目の前に立って見ればそこは何かの作業場のようで、屋根以外にもあちらこちらに開口部が開いているのがわかった。
加えて仄かに火を焚く臭いが漂ってきている。燐の父が『神剣』を生み出すと語っていたことを考えても、あそこは鍛冶場なのかもしれない。
たしか、燐の従兄も鍛冶師を名乗っていたはずだ。
『屑鉄』呼ばわりしていたのも、彼女の役目を知っていたからなのだろう。
燐の魂がこもった『鋼』を打つことで『神剣』が完成するのなら、あの男は彼女の命運を握っている可能性がある。
自ずとCADを握る手に力が入った。
胸に渦巻く怒りは勢いを増していて、恐怖も躊躇いも今だけは一切感じなかった。
せめて冷静さだけは失わないよう深呼吸をして、庭に置かれた飛び石を渡っていく。
入り口から中を覗くと、外とは比べものにならない光と熱波が押し寄せてきた。
思わず瞼を半分閉じ、薄目で内側を見渡す。
熱波を発していたのは中央奥で煌々と燃え盛る炉だ。
赤やオレンジを超えて黄色く輝くそこがどれだけの熱量を持っているのか離れた位置からでも窺い知れる。
一方で、眩いばかりの光は別の場所から発生していた。
入り口から見て左手側、剥き出しの土に敷かれたござの上に十人以上の人が横たわっている。
年齢も性別もバラバラな彼らは皆一様に白装束を纏っていて、全員の身体からプシオンが立ち上っていた。
眩しいと感じたのはプシオンの輝きだった。
よほど活性化していなければ知覚できないはずのプシオンがはっきりと、渦を巻くように一点へと引き寄せられている。
その中心に、彼女はいた。
「――燐!」
気付けば声を張り上げていた。
身体は自然と彼女の方へ引き寄せられて、炉から漏れる熱さもプシオンの眩しさも意識の外へと消えていった。
だが駆け寄ろうと足を踏み出した瞬間、側面に事象改変の兆候を感じた。
「ぐ、っ……!」
咄嗟に顔を庇った腕の下、鳩尾へ叩きつけるような衝撃が走った。
呻きが漏れるまま地面を転がされ、背中を強かに打ち付けて止まる。
痛みと共に息が詰まり、咳き込む間に何もない空間から人影が滲み出てきた。
「結界が破られた時は何事かと思うたが、よもやお主の方から訪ねてくるとはのう」
白髪に紺色の羽織を着た、赤く鼻の長い面の小柄な男性。声からして恐らく老人だ。
手には羽団扇を握っていて、それ以外に武器やCADらしきものは見当たらない。今の魔法はあの羽団扇から放たれたと見るべきだろう。恐らくは武装デバイスの一種か。
その特徴的な面と手にした羽団扇は、まさに伝承に語られる天狗の姿そのもの。
鞍馬山に暮らす古式魔法師の一族としては実におあつらえ向きの格好だ。
「燐を連れ出しにきたか。なんとも健気なことじゃ」
クツクツと笑いを零す老人。
羽団扇を袴に差し、下駄を鳴らして燐の方へと歩いていく。
こんな状況になっても横たわった人たちは誰一人起きず、燐もまた表情一つ変わってはいなかった。
正座の姿勢で両手を胸の前に組み、ぼんやりと床を見つめている。
目に生気はなく、こちらに見向きもしない。視線の先にはゴツゴツした石が置かれていて、渦巻くプシオンはどうやらその石へ注がれているようだった。
あれが彼女の父が言っていた『鋼』だろうか。
だとすれば、あそこに渦巻いているプシオンは人の魂なのか。
或いは燐のものも、あそこに――。
「彼女を、解放しろ……!」
痺れの残る身体を両手で支え、燐の傍へ移動した老人を見据える。
目の前で起きている現象が燐の言っていた《魂結び》かどうかはわからない。
だが放置していいものでないのは確かだ。燐はもちろん、この場にいる全員の様子はどう考えても普通じゃない。
仮にあの状態が系統外魔法によるものだとすれば《術式爆散》で解除することは可能なはずだ。
プシオンの渦にどれだけの影響があるかはわからないが、このまま手をこまねいていても状況が好転することはない。
立ち上がる素振りに併せて左手のCADにサイオンを送る。
目線で天狗の面を牽制しながら痛みに耐えるふりをして腹部を押さえ、CADの起動が完了したそばから右手を汎用型のキーへ。
《術式爆散》の起動式を選択しようとした、その矢先。
「見え透いておるわい」
愉快げな声と共に指を差され、直後、天地が逆さまになった。
咄嗟にCADから手を放し、両手を受け身の態勢に備える。
だが数瞬が過ぎても一向に落ちる気配はなく、どころか足には変わらず床を踏んでいる感覚があった。
視界だけが上下逆さまになっていて、まるで天井へ貼り付いているかのようだ。手放したCADも目に見える下方ではなく、足のある上方へと落ちていった。
「ほれ、ぼさっとするでない」
そうして怯ませて動きを止めることが狙いだったのだろう。
どこからともなく鎖が伸びてきて、避ける間もなく両腕に巻き付いた。
振り解こうと藻掻く間もゆっくりと張力が掛かっていき、腕が伸びきったところで鎖が止まる。
「くそ、CADが使えれば……」
両腕を繋いだ鎖はともかく、視界が上下反転したのは幻術――精神干渉系魔法だろう。
そう頭では解っていても生来の平衡感覚を無視することはできず、床に着けた足を動かす気力は湧いてこなかった。
CADの操作を封じられたまま腕を引くことしかできず、無様に藻掻くこちらを見て男は笑い声を上げ始めた。
「泣いて叫ばんだけ上々よ」
赤く長い鼻が項垂れたままの燐へと向く。
翁は彼女の脇まで移動すると、じっと眼前の石を見つめるその頭へ手を載せる。
ポンポンと何度手を跳ねさせても燐が目を覚ます様子はなく、翁はそんな彼女を見ることもなく大きな笑みを浮かべた。
「カカカ。小僧、お主には感謝しておる。とんと育たなかった
言葉も態度も人に向けるものでは到底なかった。
逆さまになった視界の中、沸々と湧いてくる怒りを懸命に抑え込む。
何か手はないかと周囲を探るごとに老人の笑みは深まり、やがて悦も極まったのか、戯れを始めるが如く揃えた二本の指先で十字を切った。
「どれ。せめてもの礼に、別れぐらいはさせてやろう」
そうして老人が燐へ視線を向けた直後、呆然と手元を見つめていた燐が瞬きをした。
「シュン……? っ、シュン!」
二度、三度と瞬きを繰り返した彼女は悲痛な表情に変わり、涙を滲ませながら老人を鋭く睨みつける。
「お祖父様、やめて! シュンは関係ない!」
「関係ないとは酷だのう。小僧のお陰で我ら一族の悲願が叶うというのに」
対する老人は楽しげに孫娘の視線を受け流し、笑みを浮かべたままチラリとこちらを見た。
「お主のために秘術を用いると抜かしおった時は膝を叩いたわ」
俺のために使おうとした秘術。
それは恐らく、燐の言っていた《魂結び》のことだろう。
俺がこの身体を『あいつ』に返したいと願ったばかりに、燐は使わずにいた魔法へ手を伸ばしてしまった。
だとすれば――。
「こうなったのは俺の所為、ということか」
「違う! シュンの所為やない!」
零れた弱音を燐はすぐに否定した。
身体の自由は奪われたまま。会話だけを許された状態にあって尚、彼女は懸命に俺を擁護してくれようとした。
「うちが自分の力と向き合ってこなかったから。向き合おうとしなかったからや。悪いのは全部うちなんよ。絶対にシュンの責任やない」
「ふむ。可愛い孫がこうまで誑かされたと思うと面白くない。ちと仕置きが必要かのう」
心にもないことを言って、老人は再びこちらに指を向けた。
差し向けられた指に視線が吸い寄せられ、皺だらけの指がゆっくりと近付いてくる。
手首から先を除くすべてが黒く染まり、やがて指の中ほどまでが眉間の間へと埋まった。
痛みや衝撃はなく、それが幻だということはすぐにわかった。
視界全体が暗闇に覆われ、音も匂いも何もかもが現実から切り離された。
上下の感覚はいつの間にか元に戻っていた。
脱出の手段を探すためにも周囲を見渡し、振り返った先で人影が目に入った。
『大亜連合が侵攻してくる? おいおい、笑えねぇ冗談はやめろよ、坊主』
先祖由来の肌色に、軍人らしい剃り上げた頭。
恵まれた長身と鍛え抜かれた身体を持つヤンチャな風貌を残した青年。
『桧垣ジョセフ』はやれやれと言わんばかりに口元を歪め、仲間の一人へ振り返る。
『マット、この坊主を案内してやってくれ。俺は生憎、別の仕事があるんでな』
こちらの告発を冗談と表したにもかかわらず、彼は侮ることなく事情聴取の機会を用意しようとしてくれた。
『まったく。
苦笑いを浮かべた彼の顔が、次の瞬間には別人の酷薄なそれに変わった。
『――。答えナサイ。なぜ、知テイタ』
理解できない言語とカタコトの日本語。
文字通り実験動物を見る無機質な眼差しはどれだけ問いを重ねても変わらず、薄暗い部屋の中、男が手元の端末を操作する度に激痛が身体のどこかに走った。
右手の平に杭を打たれた。
左手の爪を一枚ずつ剥がされた。
右膝をハンマーに砕かれ、左足には煮えたぎった油をかけられた。
焼きごてが胸に押し付けられ、鞭が背中を叩いた回数など数えることもできない。
意識を失うたびに喉へ水が流し込まれ、咽て目覚めるごとに殴られた。
それでも口を割らなかったから、最後には薬と魔法が使われた。
意識も記憶も朧げになり、自分が何を口にしたのかもわからなかった。
気付いた時には誰かの背で揺さぶられていて、血と硝煙の臭いが鼻腔に満ちていた。
ぼんやりとした中でしきりに名前を呼ばれて、どこか柔らかな場所に横たえられた。
焦点の定まらない視界が首の動きと一緒に流れ、その先に見知った横顔を見つけた。
何人かが慌ただしく取り付いていて、それが救命措置だと気付くのには結構な時間が必要だった。
段々と視界がマシになって、彼らが何をしているのか理解できるようになった頃、横たわっていたその人は弱々しく目を開けた。
精悍だった青年の顔は血の気がなく、絞り出される声にもかつての力強さはなかった。
『よう、坊主……ッ……。無事だな……』
声を聞いて、相手を認識して、何があったのか理解して。
その瞬間、抑えがたい恐怖が叫び声となって漏れだした。
「ぁぁ、ああああぁぁ!」
喉が焼き切れるような激昂。
それを発したのが自分だとわかった時には、視界は元に戻っていた。
力の抜けた足が折れ、手を突く発想など浮かばないまま倒れ込む。
いつの間にか幻術は解けていて、けれどそんなことは気にも留まらなくて。
脳裏に焼き付いた映像が『あの時』の声を再生する度、後悔と怒りが腹の底から噴き出していった。