モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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「ぁぁ、ああああぁぁ!」
慟哭を上げて、シュンが膝を突き倒れこんだ。
両手が頭を固く掴み、うずくまった拍子に打ち付けた額から血が滲む。
頭を抱えたシュンはそのまま何度となく頭を土へ擦りつけ、半狂乱になって悲鳴を上げ続けた。
「シュン! シュン、しっかりして!」
燐の『炯眼』は、シュンが後悔と絶望の記憶に苛まれているのを視通していた。
拷問による苦痛と恩人を死なせた心痛が何度となく繰り返され、慟哭と共に精神が削られていく様子が視えていた。
「シュン……! お祖父様、もうやめて!」
駆け寄りたいと思っても、祖父の術に縛られた燐には声を掛けることしかできなかった。
視界の端にシュンの叫ぶ姿が見えていて、にもかかわらず燐には顔を向けることすらできなかった。
さながら糸に引かれた人形の如く。
燐の生まれ持った身体は、燐の心を無視して『鋼』へプシオンを注ぎ続ける。
「カカカ。よい悲鳴じゃ。若い身空でこれほどの傷を抱えておったとはのう」
そう言って愉快そうに笑う祖父へ、燐は生まれて初めての怒りを抱いた。
全身を焼き焦がすような熱が胸の奥から生じて、術に縛られた身体が僅かに震える。
自由を奪われていなければすぐにでも掴みかかっていただろう。それだけの怒り、それだけの義憤を抱いても尚、身体を衝き動かす魔法を破ることはできなかった。
「さて、燐よ。そろそろ仕上げと参ろうぞ」
孫娘の眼差しに気付くことなく、振り返った義径が指先を燐へ向ける。
精神に埋め込まれた術が強度を増し、彼女の持つ衝動の一つが大きく増幅された。
祖父の無意識領域からサイオン波が放たれるのを、燐の『炯眼』がはっきり捉えた。
目の前で使われて初めて術のプロセスがわかり、意識を覗くことで術の詳細を掴む。
精神干渉系魔法、《
他者の精神へ己の魂の欠片となる
鬼一法眼が遺した数多くの天狗術の中で現当主・久沙凪義径が最も得意とし、長年にわたり一族の長に君臨せしめた術だ。
心を塗り潰すのは幼少の頃より刷り込まれた一族への――当主への忠誠。
根を張った宿り木は燐の精神を蝕み、意思に反して異能を揮わせる。
《魂結び》によるプシオンの徴収が激しさを増した。
吸い上げられたプシオンは一度燐の身体へと集められ、伸ばした手の先から目の前の『玉鋼』へと注がれていく。
奇跡の代償に燐の幽体を削りながら、『鋼』は徐々に魔を斬る性質を染み込ませていった。
「嫌……。こんなん、嫌や……!」
唯一許された自由は声の限り叫ぶことだけ。
忠誠を強要された身体は言葉に反して異能の行使を続けてしまう。
横たわったままの親族も全員が同じように義径の術で献身を命じられていて、その中には目の前の『鋼』を製錬した従兄の姿もあった。
燐を『屑鉄』と呼び蔑んでいた彼は生来、一族の悲願に忠実だった。
兄の煉が傑出していた才能を持っていたために術師の道は諦めたものの、腐らず鍛冶師としての腕を磨き若くして技を認められるほどになったのだ。
一族の悲願を果たすため熱心に腕を磨き、特別な『鋼』の製錬すらも成し遂げた。
にもかかわらず、献身の末に与えられた役目は『鋼』に注ぐ力の燃料だ。
抵抗の意思すら封じられたままプシオンを奪われ、やがて生命力を喪失する。
逃げることも抵抗することも禁じられ、己の最期を知ることすらできずに終わるなど、あまりに無惨ではないか。
そして術の刻み込みが終わってしまえば、その時は自分も――。
「嫌や……。『鋼』になんてなりたない。災いになんてなりたない!」
剣が完成してしまえば最後、兄は祖父の術で仇討ちの刃へと変えられてしまうだろう。
自分や親族へ分けていた力を集約された時、兄が術の強制に抗い続けられる保証はない。
『神剣』を得た兄が祖父の意思で術と技を揮えば、それは間違いなく世の災いとなる。
自分が果てるのはいい。いずれ来る時が今来ただけのことだ。
あわよくばと望みを抱きはしたが、こうなってはもはや叶うまい。
だが世に災いを振り撒くとなれば抗わずにいられない。
ましてやシュンを、心をくれた恩人を巻き込むとなれば尚更だ。
「シュ、ン……」
声すらも奪われかけた燐は懸命にその紅眼を少年へ向ける。
精神を視通す瞳に映ったのは依然として後悔と苦痛に心を焼かれる姿だった。
数々の拷問に何度となく身体を痛めつけられ、生まれたことを呪うほどの後悔を繰り返し見せつけられている。
抵抗も逃避も許されず、自傷すらも禁じられた地獄の中で、少年の魂は限界を迎えようとしていた。
彼を救いたいと心から思った。
彼の願いを叶えるのだと心に誓った。
人の世に連れ出してくれたシュンへの、それが恩返しだと思った。
強制された衝動へ抗う燐の脳裏に、シュンと過ごした思い出が蘇る。
無彩色な日々を送ってきた燐にとって、その記憶はあまりにも鮮やかだった。
たった三日間の思い出が、16年の歳月をも超える熱量を抱えていた。
人生において最も楽しく、幸せな時間だった。
この記憶さえあれば、何があっても後悔はない。
そう――。
今この瞬間、命を燃やし尽くしても構わないと思えるほどに。
胸に灯った
くすんでいた瞳の紅が鮮やかに輝いた。
燐の全身からサイオンとプシオンの双方が噴き上がり、『鋼』に注がれる奔流すらも押し退ける。
全霊を発揮した『炯眼』は燐の精神に宿る祖父の欠片を捉え、自らを蝕む術ごとそれを断ち切った。
「なっ……、これは、まさか……!」
義径が事態に気付いた時、燐はすでに祖父の呪縛を振り解いていた。
咄嗟に向けられた指先を見たところで燐の心には身体を縛る後悔も恐怖もなく、幸福な記憶とそれを脅かす祖父への怒りだけが満ちていた。
ゆっくりと、『鋼』にかざしていた手が動き始める。
長く固めていた指先が震え、鈍い痛みを伴ってその向きを変えた。
差し向けるは、愕然とした表情を浮かべる祖父。
大切な人を助けるため、魂を切り結ぶ針を振るった。
『炯眼』が捉えた義径の精神を、《魂結び》の針が貫く。
狙うは無意識に在る魔法演算領域。
天狗の通力を揮うそこに針を通し、いくつもの穴を開けて機能を低下させる。
義径の干渉力が弱まり、掠れたシュンの悲鳴が止まった。
うずくまった姿勢こそ変わらないものの、精神を冒す呪術は晴れていた。
「おのれ……! じゃが、お前の術はすでに大半が『鋼』の内。儂を止めるには至らぬ」
怒りと苦痛に口元を歪めた義径が腰に差していた扇を抜く。
《風遁》を含む5つの術が込められた天狗の羽団扇。
鬼一法眼が振るった法具を再現したそれは、義径が操るもう一つの武器だ。
人を易々と吹き飛ばす豪風に襲われ、燐は鍛冶場の壁に強く背中を打ち付けた。
痛みと息苦しさに喉が詰まり、吐き出した痰に赤黒い血が混じる。
衝撃のせいか腰から下の感覚がなくなっていて、うつ伏せに倒れた燐はそれでも構わず右手を差し出した。
「シュンの心は、うちが必ず……!」
伸ばした先は祖父ではなく、意識のないシュン。
精神を焼かれて倒れた少年の、痛めつけられた魂に指を触れる。
『鋼』に注いだことで断ち切る力のほとんどを失ったが、繋げる力はまだ残っている。
唇を噛んで己を叱咤した燐は自身の幽体から切り出したプシオンで『糸』を紡ぎ、シュンの引き裂かれた心を繋ぎ始めた。
『糸』を通すなり、シュンの後悔と絶望が流れ込んできた。
「殺してくれ」と願う声が胸に響くたび、「大丈夫やから」と慰めた。
「もういやだ」と嘆く声が胸に響くたび、「ここにおるよ」と励ました。
継ぎ接ぎの心から零れた欠片を『糸』で繋ぎ、残ったプシオンでそれを包む。
半狂乱になっていた心が凪いでいき、やがて穏やかさを取り戻した。
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孫娘に向けて羽団扇を振るった義径は、勢いのままよろめき膝を着いた。
土壇場で術を破った燐はあろうことか当主である義径へ牙を剥き、魂を切り結ぶ異能を振りかざしてきた。
幸い力を消耗していたために致命的なダメージは免れたが、身体の感覚も術の感覚も鈍く重くなっている。《風遁》の威力も想定より遥かに弱く、精神に穿たれた穴の影響は甚大だ。
だが、今となってはそれも大きな問題ではない。
《魂結び》はすでにその大半が『鋼』に収まり、義径の精神を修復する術はまだ目の前に転がっている。もう一度《保与傀儡》を施せば、死に損ないの娘一人支配するのは容易いことだ。
扇の柄を杖代わりに立ち上がり、倒れたままの燐へ近付いた。
健気にも少年へ手を伸ばす燐の後ろ襟を掴んで引き摺り、完成間近の『鋼』の前に投げ落とす。痛みに喘ぐ孫娘の前に回り込み、顎下を掴んで強引に引き起こした。
腹の底から込み上げるまま笑いを漏らし、首を掴んだ手を基点に《保与傀儡》の術を組み上げ始める。
「一族の大望、ここに果たせり」
強い疲労感に息を荒げながら、それでも義径は高らかに悲願の成就を宣言した。
◆ ◆ ◆
――声が聞こえる。
「一族の大望、ここに果たせり」
勝ち誇った老人の声。
長年の悲願が叶うと確信した、万感の哄笑。
そして、合間に届くこちらを案じる声。
「シュン……。目を開けて、シュン……!」
笑ってくれた、救ってくれた恩人。
生き残ってよかったと、そう思わせてくれた人。
「手古摺らせおって。大人しく従っておればええものを」
「っ……。嫌や、『鋼』になんてなりたない。災いになんて、なりたない!」
それが心からの叫びだと、俺は知っている。
終わりに向かうだけの人生だったと、彼女は言っていた。
けれど感情を取り戻した彼女は楽しいと言ってくれた。
自分にもできることがあるのだと嬉しそうにそう語ってくれた。
同じ学校に通うことを想像して、その未来を叶えたいと思ってくれた。
『人』として過ごす時間をあれほど喜んでくれたのだ。
『鋼』へ変えられることを望むはずがない。
誰かを傷付けるような未来を望むはずがない。
俺は彼女に救われた。今度もまたそうだ。
何度となく救われた彼女に返すべき恩はいくらだってある。
「っ、ぐぅ……!」
記憶を頼りに感覚のない両手へ力を込める。
視覚だけで起き上がれたのを確認し、懐のホルスターへ手を差し入れる。
けれどそこに使い慣れた特化型CADはなく、見た限りのどこにも落ちてはいなかった。
代わりに目に付いたのは傍らに立てかけられていた一振りの日本刀。
鞘も柄もない剥き出しの刀を左手で掴み、壁を支えにして立ち上がる。
「手向かっても無駄だ。人は己の内の恐怖に抗えぬ」
こちらの動きに気付いた老人が指先を向けてきた。
途端、耳奥に『あの時』の声が響いてくる。
『よう、坊主……ッ……。無事だな……』
全身を灼熱の後悔が駆け巡った。
手に持つ刃を自分に突き立てろと衝動が胸を焼く。
衝き動かされるまま左手が持ち上がりかけて、鳩尾の奥から生じた波で止まった。
後悔とも絶望とも違う、柔らかな温もり。
激しく胸を突く衝動を宥め、落ち着けと諭しているようだった。
唇を噛んで悲鳴を呑み込み、重たい足を懸命に持ち上げる。
足を踏み出す。直後、右手に杭が突き刺さった。
足を踏み出す。直後、飛んできた槌が右膝を叩いた。
足を踏み出す。直後、真っ赤に焼けたこてが胸に押し付けられた。
一歩前へ進むたび強烈な痛みが走って、全身に寒気が襲い掛かってくる。
すでに手足の感覚はなく、視覚だけが前に進んでいることを教えてくれた。
「っ……何故だ。何故、止まらぬのだ」
一年前の拷問と同じ痛みが蘇る。
あの日の後悔と絶望が頭を覆い尽くす。
どちらか一方でも耐えがたく、自分のためならとっくに足は止まっていた。
同じことがもう少しでも続けば気が触れてしまうだろうという予感があった。
それでも、彼女のためなら止まらずに足を踏み出せた。
それで恩人を救えるのなら、死のうが狂おうがどうなったって構わなかった。
踏み出す足が速まり、駆け足となって距離を詰める。
焦りを見せた老人が羽団扇を抜き、頭上へ高々と掲げた。
けれど振り下ろす直前、首を掴まれたままの燐が掌を老人へ向ける。
途端に老人の身体が固まり、苦悶を漏らした老人の手から羽団扇が零れ落ちた。
天狗の眼孔に驚愕が覗き、最後の一歩を踏み出す瞬間、初めて眼差しが交差する。
「何故」と呟かれた問いに、己の正体諸共怒りを吐き付ける。
「燐は『人』だ。『人形』でも『鋼』でもない! 『人ならざるモノ』は俺だけでいい!」
肉を穿つ感覚を手に受けながら、鍔元までを老人の左胸に押し込む。
流れ出た血が刀を伝って腕に至り、肘先から床へと落ちていった。
「妖の類、か。……カカ、因果だのう」
苦しげに息を吐いた老人は口元を赤く濡らしながら、どこか満足げな笑みを浮かべた。
同時に身体中に突き立っていた痛みが嘘のように消えていく。術者が斃れたことで効力を失ったのだろう。
刃を抜く間も惜しく燐の傍へ回り込み、力の抜けた身体を抱きかかえた。
「待たせてすまない」
老人の死によって術が解けたのか、燐は糸の切れた人形のようだった。
こちらの呼び掛けにも瞼を開くだけで、自力で起き上がることもできなかった。
すぐにでも病院へ運ぼうと思い背中の下に手を差し入れると、腕の中で燐は小さく首を振った。
「あかん……。シュン、離れて……!」
直後、燐に胸を突かれて彼女を放してしまう。
横たわった彼女が震える手を正面へと伸ばし、やがてその身体からプシオンの光が立ち上り始めた。
手を伸ばす先には『鋼』と呼ばれていた金属の塊が転がっており、傍に横たわる人々の身体からも僅かなプシオンが滲み出ている。
密度は違えど、これはこの場所へ踏み込んだ時に見たのと同じ現象だ。
つまり、今の燐はまたしても『傀儡』にされてしまっているということ。
「ごめん、な。最期まで、面倒掛けて」
「そんなことはいい! どうしたらこれを止められる!?」
弱々しい笑みを浮かべる燐を抱き起し、解決方法を問う。
これが何らかの魔法の影響なら《術式解体》で破れるかもしれない。対抗魔法の中でも最高の一撃だ。世にある魔法でこれが通用しないものなどないはずなのだ。
こちらの考えを読んだのだろう。
紅い目を細めて、燐は小さく首を振った。
「うちが死ぬまで、これは止まらんよ」
「そんな……」
精神を視る瞳を持つ彼女がそう言うということは、《術式解体》では解決できないということだ。
俺ができることの中にあれ以上の魔法はない。あれ以上の手段はない。
つまり、俺には燐を助けることができない。
「シュン」
呼びかけられて、ハッと瞬きをする。
注意を戻した先で燐は困ったように眉を寄せていた。
「お願いがあるんよ」
本意ではないことがありありとわかる口調で言って、燐は右手を持ち上げた。
震える手の示す先には白装束の人々が横たわっていて、全員が静かな寝息を立てていた。
「みんなの、介錯をして欲しい」
言った直後、燐は苦しげに胸を押さえた。
息は浅く小刻みになっていて、何かを堪えているのがすぐにわかった。
「うちの所為で、みんな、魂のない抜け殻になってもうた。このまま生きとってもただ息をするだけで、奪った魂は元には戻らん」
或いはこうしている間もあの老人が遺した術に抗い続けているのかもしれない。
恐らくは、俺を巻き込まないために。
「せやから、シュン、うちが魂を奪ってしまったみんなを、楽にしてあげて」
抱えた腕の中で、燐が頬に手を触れてくる。
以前手を繋いだ時の温かさは最早なく、冷たくなった掌がそれでも頬を撫でた。
「お願い。シュン」
他に手はないと、間近から覗く紅の瞳は言っていた。
彼女の身内を、彼女自身を、その命を奪うことでしか解放できないのだと。
心臓が痛い。
奥歯が軋む。
身体の震えも荒くなった息も一向に収まらない。
逃げ出したくなる衝動に駆られて、食い破るまで唇を噛んで、否と叫ぶ感情を殺した。
「……わかった」
口にした瞬間、嗚咽が込み上げてきた。
目の奥が熱くなるのを感じて、けれど口だけはきつく閉じたまま、赤い瞳に頷きかけた。
燐をその場に下ろし、立ち上がる。
背を向けて動かない老人の傍に寄り、遺体から刀を抜く。
血溜りで靴底が濡れ、赤黒い足跡が背中に点々とついてきた。
横たわる人たちの内、一番近くにいたのは燐の従兄だった。
彼女を『屑鉄』と呼んだ傲岸さはすでになく、ただぼんやりと中空を見上げていた。
男性の傍に膝を着き、首元へ指を当てると弱々しい脈動が感じられた。
呼吸も浅くはあるが確かに続いていて、組んだ両手の下で胸もゆっくりと上下している。
魂を失った状態で、それでも肉体は生きているのだとはっきりわかった。
「ハァ……ハァ……!」
自ずと息が切れた。今からする行為に心は悲鳴を上げていた。
震えの止まらない両手を強引に持ち上げて、握った刀の刃先を下に向ける。
息を止め、奥歯を噛み締めて、喉元へ刃を落とす。
柔肉を貫く感触が掌に広がって、間もなくドロリと鮮血が溢れ出した。
流れ出た血は瞬く間に土の上へ広がり、突けた右膝へと染み込んだ。
濡れた膝に生暖かさを感じながら立ち上がり、刃を抜いて隣の女性のもとへ。
年の頃は恐らく30代半ば。どことなく燐に似た顔立ちのその人も同じように首を貫いて、取り残された身体の命を絶った。
三人目はそれまでの二人ほど時間は掛からなかった。
四人目からはもっと早くなって、最後の一人を迎える頃にはもう何も感じなくなっていた。鼻腔にこびりついた臭いは自然なものとなり、胸の奥はすっかり冷たくなっていた。
横たわっていた全員の息の根を止め、力の抜けた両足をどうにか燐の傍まで運ぶ。
横になったままの彼女の前で膝が折れ、正座になって彼女を見下ろす。
右手には11人の命を奪った刃を持って。
目の前の恩人に、大切な人に、これを突き立てなくてはならない。
そう思うとどうしても手は動かせず、穏やかな表情の燐と目が合った。
「お願い、シュン」
もう一度、そう言われた。
彼女の身体からは未だプシオンが滲んでいて、放っておけば完全に『鋼』となってしまうのだろう。
それだけは何としても止めなければならない。
『鋼』になりたくないと、そう彼女は願っていたのだから。
たとえ、燐を殺すことになったとしても。
軋む両手を持ち上げて、彼女の胸の上で刃を構える。
溢れた涙が頬を伝い、彼女の装束にいくつもの染みを作った。
込み上げる吐き気を堪えて、悲鳴を上げる心を殺して。
抱え込むように、握った刀を下へと落とした。
刃と共に俯いたこちらへ、ゆっくりと手が伸びてくる。
「ごめんなぁ。シュンの背負ってるもん、よう知っとったのに……。うちの所為で、もっと背負わせてまう」
頬を燐の手が撫でる。
視界が滲んで涙が溢れ、彼女の手の甲へと落ちていった。
片目を指先で拭った彼女は穏やかに微笑み、離した手で胸へと触れる。
「最期にこれだけは――シュンの願いだけは叶えるから。もう一つの心と入れ替えて、うちも一緒に、シュンと一緒に眠るから」
瞬間、胸に当てられた手から温かいものが流れ込んできた。
物理的な熱と異なるそれは心臓と肺の間、鳩尾の下あたりに宿り、自ずと彼女と過ごした三日間が走馬灯のように思い起こされる。
ややあって、強烈な眠気と共に全身の力が抜けていくのがわかった。
目に見える景色や耳に聞こえる音。血の臭いも痛みも、何もかもが遠ざかっていく。
「もうちょっとだけ、生きていたかったな。シュンと一緒に、未来を見てみたかったな」
胸に手を置かれたまま、互いに互いの肩へ額を預けた。
耳元で息を吐いた彼女はやがて、最後の力を振り絞り囁く。
「――
声が途切れるのと同時に、意識との最後の繋がりが断たれた。
深く、深く。水底へ沈むように。
穏やかで、暖かで、少しだけ寂しくて。
誘われるまま眠りに落ちる瞬間、柔らかな何かに包まれた気がした。