モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
◇ ◇ ◇
最初にUSNAへの留学を提示されたのは11月の半ばだった。
学校から自宅へ帰って日課のトレーニングを始めようと着替えていた矢先、電話の呼び出しを告げる音が鳴った。リビングへ降りて発信元を確認すると、それは会社の社長室からだった。
疎遠になって久しい父からの連絡。
滅多にないそれが掛かってくる時は、例外なく重要な用件がある場合だけだ。
『お前にUSNAへの留学の提案が来ている』
開口一番、挨拶への返答もなく切り出された言葉に思わず喉が詰まった。
年末を間近に控えた時期の、魔法師には本来許されることのない留学の話だ。諜報員を日本へ潜入させる口実としてUSNA側からもたらされた提案だとすぐに思い至った。
父はそれから僕が推薦されるに至った理由を淡々と並べていった。
曰く、学業成績と実技成績が十分で、家柄としても差し障りがなく、性格や身上に問題がないこと。また現地でのコミュニケーションに苦労せず、万が一の際に自身の身を守れる程度の実力があることも求められたのだとか。
当たり障りのない言い方だが、バックにいる政府の本音としては『
その点、百家の一つとはいえ支流の『森崎』なら問題はない。
実力はどうあれ、才能という部分において『森崎』に大した価値はない。
「光栄なお話です。すぐにでも回答すべきでしょうか」
これが僕だけにもたらされた提案なのかはわからない。
原作通りであれば雫の下にも話が行っているはずだが、代わりに僕がということであれば状況が変わってくる。できることならその辺りを確認してから回答したい。
『いや。今のところは検討段階だが、実現の可能性は高い。その気があるのなら心づもりをしておくように』
「わかりました。速やかに回答できるよう心構えをしておきます」
足を揃えて腰を折ると、伏せた視界の上から通話の終了を知らせる電子音が鳴った。
◇ ◇ ◇
父から留学の話を貰って以来、この件についてどうやって雫に訊ねるかを考えていた。
本来この留学の話は細部が固まるまで他言無用の計画だ。友人たちはもちろん、彼女の両親にも『僕が雫の留学の件を知っていること』を知られてはならない。
雫本人だけなら未来の知識を理由にすることもできるが、だとしても完全に二人きりの状況を作る必要がある。授業や委員会、クラブ活動の合間を縫ってとなると、そうした時間を作るのはなかなか難しかった。
転機になったのは11月末の金曜日に届いた一本のメッセージ。
差出人は雫で、「父さんが君に会いたがっている」という内容だった。
雫の父親の潮氏とは、夏にスエさんの供として会ったきり。
にもかかわらず今回はスエさんを挟むこともなく、直接の面会を求められた。
USNAへの留学に関わる話だろうという予想は付いた。
経済界の大物たる潮氏本人の情報網はもちろん、現役時代にA級魔法師として活躍した紅音夫人の持つネットワークもある。僕が留学生の候補に選ばれたことを知ればコンタクトを取ってきても不思議じゃない。
すぐにでも応じる旨を伝えると話はとんとん拍子に進み、翌々日の日曜にはもう北山家の邸宅を訪れることになっていた。
「いらっしゃい。わざわざ来てもらってありがとう」
「こちらこそ。お招きどうもありがとう。航くんも、久しぶりだね」
「お久しぶりです。またお会いできてうれしいです」
出迎えてくれた姉弟と玄関前で挨拶を交わし、雫の案内に従って廊下を進む。
以前スエさんと訪れた時とは違い、今回は雫の友人として招待された形だ。
招かれた立場の僕はジャケットを着てはいるが、雫は厚手のニットにパンツルックの私服姿。航くんはストライプシャツにカーディガンを合わせた装いで、雫よりは少し畏まった格好だろうか。
雫の案内で通されたのは応接間だった。
ノックの後で潮氏の返答を待ち、雫の脇を抜け中へと入る。
「やあ、森崎くん。来てくれてありがとう。また会えて嬉しいよ」
「こちらこそ、お会いできて光栄です」
差し出された手を握る。
がっちりとした握手を交わす間も潮氏の目はまっすぐにこちらを捉えていたものの、百戦錬磨のビジネスマンの真意は読み取れなかった。
「立ち話もなんだ。ひとまずお茶にしようじゃないか」
向かい合って置かれたソファの下座に着くと、対面に座った潮氏は雫にも席へ着くよう指示した。
案内役を終えて部屋から出ようとしていた彼女は一度首を傾げたものの、外にいる航くんへ自室で待つよう告げて扉を閉める。促されるまま彼女が斜向かいへ腰を落とすなり、潮氏は備え付けの端末へ紅茶の用意を命じた。
間もなく二人のメイドがティーセットを載せたカートを押して現れた。
一人は以前も見かけた黒沢女史で、二人は僕らの前にカップとポット、少量のお菓子を並べて出ていった。
「USNAへの留学の件は聞いているね?」
人払いを終えた応接間で、潮氏はレモンティーを一口飲んでから切り出した。
予想していた通りの話題。
そして、この話題になると僕が予想していることすらも見越したような問いだった。
「はい。父から伺っております」
言葉だけで応えると、潮氏は満足げに頷いて見せた。
一方の雫は何も聞かされていなかったのか、疑念の眼差しを父へと向けた。
「どういうこと? 父さんが誰にも話すなって言うから、ほのかにもまだ言ってないのに」
やはり雫にも海外留学の話が来ていたようだ。
話が違うと言わんばかりの鋭い眼差しは、僕に同じ話が来ていると知らないからだろう。口外禁止を言い渡した父親が自ら進んで秘密を破ったと勘違いしているに違いない。
「落ち着きなさい、雫。私たちが言っているのは、お前の留学の話ではないよ」
父にそう言って宥められると、雫の眼に浮かぶ色が不満から疑問へ変わった。
どういうことかを問う視線はこちらにも向いてきて、横目でそれを受け止めた後で潮氏へ問いかける。
「では、私だけでなく雫さんにも?」
「そう。君に届いたのと同じ話が来ていてね。良い機会だから行かせようと考えている」
訝しげだった雫の目が大きく見開かれた。
今度は潮氏がちらと彼女の方を見て、やれやれとばかりに苦笑いを浮かべる。
「奥様は反対なされたのではありませんか?」
「確かに妻はいい顔をしなかったが、色々と条件をつけて納得させたよ」
苦笑を収めた潮氏がもう一度レモンティーを口にする。
小さく息を吐いて表情を真剣なものに改めると、氏は浅く目を伏せて話を続けた。
「君が留学生の候補に選ばれていることは申し訳ないが調べさせてもらった。娘と同じ学校に行く人間のことを確かめずにはいられなくてね」
確かに、普通に考えればこの人のしたことは倫理に反する行いだろう。
だが潮氏が何のためにそうしたのかは理解できるので、嫌な感情は湧いてこなかった。
「ご心配は尤もだと思います。どうぞお気になさらないでください」
「ありがとう。偶然とはいえ、雫と同じ留学生が君で良かったよ」
顔を上げた潮氏が浮かべた笑みは、娘を想う父親としてのものだったのだと思う。
その後、雫が復帰するのを待ってから留学に関わる話が続けられた。
一高から選出された僕らの行先には当初、ボストン、ダラス、バークレーの三つの候補があったらしい。父から受けた報せではすでにバークレーと決まっていたから、話が下りてくる前に何かしら交渉があったのだろう。
バークレーに決まった理由を、潮氏はぼかして伝えていた。
娘に無用な心配をさせたくないのだと思う。いずれ耳に入ることだとしても、なるべくなら期待感を持って旅立たせたいというのが親心なはずだ。
「滞在先は決まっているのかい?」
話の経緯や留学先の学校について一通り情報を貰った後、潮氏からそう訊ねられた。
「いえ。候補を絞っている段階です」
まだ正式な手続きも始まっていない段階だ。潮氏に聞かされなければ留学先の学校もわかっていなかったので、住居や生活用品の準備など当然できていない。
「では後ほど予算と条件を教えてくれ。私の伝手で手配しておこう。その代わりと言っては何だが、一つ頼みたいことがあるんだ」
なるほど。すぐに会いたいと言われたのはこれが理由か。
「大変ありがたいお申し出です。何をお返しいたしましょう」
「そう畏まらないでくれ。私はただ、娘の安全を担保したいだけだからね」
この時点で、依頼の内容が雫の護衛だと判った。
守られる側の本人も察したようで、恥ずかしげに顔を逸らしてしまう。
「大丈夫だって言ってるのに」
「私が心配だし、何よりお母さんが納得しないんだよ」
今日この場にいない紅音夫人も潮氏に負けず劣らずの子煩悩だ。
雫の安全のためなら出来る限りの手を打つだろうというのは判る。
「フライトチケットもこちらで用意しておこう。日程が決まり次第、娘から連絡させるよ」
「何から何まで、お世話になります」
「構わないさ。君は娘の恩人で、大事な護衛役だからね」
父親として、愛娘と近い関係にある僕を苦々しく思っている部分もあるだろう。
それでも氏は娘の安全を担保するため、当の僕にまで協力を依頼してきたのだ。
彼の家族への愛情と向けられた信頼へ報いるためにも、この留学は無事に果たされなければならない。
こちらの顔色から内心を察してか、潮氏はふと強かな微笑みを浮かべた。
「ところで、最後にもう一つ訊きたいことがあってね。どうか確認させて欲しい」
潮氏の湛える笑みが凄味を増し、至極真剣な眼差しがこちらを射貫いてくる。
雰囲気の変化は雫にも伝わっていて、戸惑いを目に浮かべた彼女は僕と潮氏の間で視線を行き来させた。
やがて、百戦錬磨の迫力を剥き出しにした氏がゆっくりと口を開く。
「君は娘と――雫とどんな関係になるつもりなんだい?」
一大企業グループの総帥ではなく、愛娘を想う一人の父としての問いかけだった。
これまで投げかけられたどんな問いよりも重く真剣で、覚悟していた上で尚も息が詰まってしまう。
「父さん、彼とのことならもうちゃんと……」
「雫の言い分は聞いたよ。簡単に納得はできそうもないが、お前自身で決めたことだ。雫の決断は、私も尊重する」
慌てて止めようとする雫をやんわりと、しかし断固として黙らせて、潮氏は爛々とした目を再びこちらへ向けた。
「だから今度は森崎くん、君の考えを聞かせて欲しい。
君は娘をどう思っていて、この先どんな関係を築くつもりなんだい」
短く深呼吸をする。
言うべきことはもう決まっていて、だからこの一呼吸は立ち合いの前の一礼と同義だ。
「心から大切に思っています」
一番の芯を初めに告げた。
「何度となく救われて、支えられてきました。彼女がいなければ、私は今こうして生きていることすらなかったでしょう。彼女のお陰で今の私があると断言できます」
この先なにがあったとしても、この想いが変わることは決してない。
雫がいなければ、僕は九校戦の舞台に立ち続けることはできなかった。
雫がいなければ、僕は横浜での戦いから生きて帰るつもりはなかった。
彼女の存在が『僕』を支え、『
「雫さんを守るためなら、私自身はどうなろうと構わない。それが嘘偽りのない本音です」
たとえ命を落とすことになろうとも。
僕の命一つで彼女を救えるのなら迷うことはないだろう。
けれど、だからこそ――。
「だからこそ、私には彼女の隣に並び立つ資格がない」
共に生きることを望まれた今に至ってさえ、僕は彼女のために、『守りたい人たち』のために自分を殺すことができる。
どれだけ苦しめるか知った今に至ってさえ、自分自身を盾とすることに躊躇いはない。
そんな『人でなし』が彼女のパートナーになるべきじゃない。
生きて隣で歩き続けると約束できないやつが、間違ってもその席に座るわけにいかない。
好意を受け止めるのはいい。
大切で、幸せになって欲しいと願う気持ちは確かにある。
それでも、彼女の隣に並び立つようなことは、何より僕自身が許せなかった。
「すでにご存知かとは思いますが、私はこれまで、多くの人の命を奪ってきました」
眉を寄せた潮氏をまっすぐに見据える。
かのホクザングループ総帥の立場にある人だ。スエさんの付き人としてこの屋敷を訪れた日以降、僕の経歴については散々調べたことだろう。雫が僕のことを話題にしていたというのであれば尚更、娘の傍にいる男のことをこの人が調べないはずがない。
「……知っているとも。スーさんが君を連れてきた日、あの人から直接聞かされたからね」
表情から察するに、表に出ている経緯以上のことも知っているのだろう。
或いはそれすらスエさんが語っていた可能性もある。
「だが君は罪に問われなかった。どうしようもない理由があったのだろう?」
懸命に理解しようとしてくれることへ深い感謝を抱きながら、それでも小さく首を振った。
「徒にしたことではありません。けれど、だからといって私のしたことは変わらない」
どんな理由があろうと、桧垣ジョセフが亡くなったのは『
どんな理由があろうと、燐と彼女の一族を殺したのは紛れもなく『
そして『僕』もまた、平河先輩の人生を狂わせ、春樹が犠牲になる遠因を作った。
「私は、私の犯した過ちを赦すことができません。自分の命を大切にすることができません」
パートナーになるということは、運命を共にするということだ。
どんな時も互いを想い合い、二人の未来のために最善の道を模索する仲になることだ。
僕は、僕自身にその資格があるとはどうしても思えなかった。
自分すらも大切にできないやつが、誰かの生涯を背負えるとは思えなかった。
「生涯を傍で守り続けると、今は約束することができない。
だから交際はできないと、雫さんにはきちんと伝えました」
あの日、改めて好意を告白された時に返した答えがこれだ。
受け取った好意を嬉しいと語っておきながら、意気地のないことしか口に出来なかった。
だというのに――。
「完全に引き下がってはもらえませんでしたが」
「恋人になれない理由はわかったよ。でもそれと私の気持ちは関係ない。いつか駿くんが自分を赦せるようになるまで、ずっと君の傍に居るって決めたから」
雫は、断固とした態度でそう主張した。
どれだけ僕の不徳を説こうとも、最後まで首を縦に振ることはなかった。
「そうか……」
呟きと一緒に長くため息を吐いて、潮氏が顔の緊張を解く。
厳格に寄せられていた眉はハの字に変わり、呆れと納得を覗かせた氏が続ける。
「父親としては、娘に危ない橋を渡っては欲しくない」
当然の想いだ。誰であれ、大事な子を危険に晒したくはない。
遠い記憶の中の母が脳裏に蘇って、傍観するしかなかったあの人もそういえばこんな表情をしていたと訳もなく感じた。
「だが同じ男として、私は君の覚悟を尊敬するよ」
認められたわけでは断じてないのだろう。
それでもこう言ってのける潮氏の心意気に、自然と立ち上がり腰を折っていた。
「ありがとうございます。ご期待に沿えるよう、精進して参ります」