モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
◇ ◇ ◇
12月に入って間もなく、期末試験に向けた勉強の合間を縫ってローゼン・マギクラフトの研究室を訪ねた。
先々月の横浜での顛末はすでに報告済み。《疑似・固有時間加速》の動作報告やそれに伴う測定と調整も終えている。
筋書に対する向き合い方を変えようと思っていることも話してあって、漠然とした方向性しか決められていない僕へクラウス博士は嬉しそうに頷いてくれた。
「へえ、アメリカ留学にねぇ」
今日この研究室を訪れたのは『フライシュッツ』を始めとしたCADの調整と、USNAへの留学が決まったことの報告のため。
いつも通りのカウンセリングルームに入った僕は、USNA側の思惑も含めて向こうへ留学する事情を語った。
「ようやくやりたいことを探せるようになったんだ。楽しんでくるといい」
うんうんと頷いた後で返ってきたのは、そんなアドバイスともつかない言葉だった。
パラサイト絡みの事件やUSNA軍とのいざこざの可能性も話したが、僕が関わることがないこともあってかあまり関心はないようだ。
「それにしても、USNAか」
ひとしきり笑って満足したのか、博士がぽつりと呟く。
外の話をするたびに羨ましそうなポーズを取るのはこの人の常だが、今の声には単純な羨望に留まらない色があるように感じた。
「博士は何か、USNAに思い入れがあるのですか?」
「いや。あの国自体に特に思うところはないよ。ただ――」
あっけらかんと首を振って、いつもの微笑を浮かべた博士が肩を竦める。
「姉がUSNAにいるらしくてね。まあ会ったことは一度もないんだけど」
初耳だし、こんな風に冗談めかして言うことでもないだろう。
「ご姉弟がいらっしゃるとは知りませんでした」
「知り合い以外、誰にも言ってないからね。ボクの交友関係の狭さは知ってるだろう?」
本気なのか気遣いなのか、微妙に判別しにくい態度だった。
この研究室から出られないことは知っているだけに軽口と流すこともできない。
そもそも、この人が身の上話をすること自体珍しいことだ。
僕が知っているのは、博士がドイツ人の母親を持つハーフであり、日本で育ったということ。医学部出身で、臨床心理士の資格も持ちながらこうしてローゼン・マギクラフトの研究室に勤めているということくらいだ。
「会ったことがないと言っていましたが……」
「言葉通りの意味だよ。生まれてから一度も会ったことはないし、名前すら聞いたことがない。だからまあ、ほとんど他人みたいなものさ」
恐る恐る訊ねると、博士はまるで他人事のように淡々と語り始めた。
表情も声音も世間話となんら変わらず、それが逆に不気味な印象を覚える理由だった。
「子どもの頃、母親がポロっとね。生んだばかりの赤ん坊を取られたって泣いてたんだよ。5歳かそこらの子どもに泣きつくには重すぎる話だよね」
ケラケラと笑いだした時にはどんな顔をすればいいのかわからなかった。
「気にしないでくれ」と言われてもそうはいかず、困った末に絞り出せたのは当たり障りのない質問くらいだった。
「会ってみたいとは思わないのですか?」
「どうだろう。ここでの生活は割と気に入っているし、何より知的好奇心さえ満たせればボクは満足だからねえ」
寝ても覚めても研究のことばかり考えているこの人のことだ。その言葉に嘘や誤魔化しは含まれていないのだろう。
けれどほんの少しだけ、博士の目にいつもと違う色が浮かんでいる気がした。
これまで受けた恩を僅かでも返せるなら。
USNAへの留学に向け、目的がもう一つ出来た瞬間だった。
◇ ◇ ◇
年の瀬は瞬く間に過ぎていき、新年の到来と共に迎えた出立日。
三が日の最終日に当たるこの日、僕は都内の国際空港へ向かった。
第三次大戦の後、羽田空港を拡張する形で東京湾に建設されたこの空港は戦時に接収された成田空港の機能をも集約した日本最大の国際空港だ。
国際線と国内線それぞれのターミナルはキャビネットの路線で環状に接続され、構内だけを走る専用ラインも整備されている。外国人向けの店舗も数えきれないほどあり、空港一つで小さな町に匹敵する規模と言えるだろう。
先日の送別会に続き、この日も達也たちが見送りに来てくれた。
待ち合わせ場所は国際線の出発ロビー。チェックインを済ませた午後5時に保安検査場の前で友人たちと向かい合う。
「元気でね、雫」
「貴重な機会、楽しんできてくださいね」
「うん。ありがとう」
深雪と美月の言葉に雫が笑顔で頷く。
その横顔に憂いはなく、普段と変わったところは見受けられない。
一方で、彼女の親友はいつも通りとはいかなかった。
「寂しくなるけど、頑張ってね。連絡するから」
涙まじりの声を漏らしながら、小柄な雫を包むように抱き付く。
ここまでは気丈に振る舞っていたが、いよいよ耐えられなくなったらしい。
まるで今生の別れのようなそれに雫は困ったような笑みを浮かべる。
「ほのかってば大袈裟。たった三カ月なんだから」
「三カ月もだよぉ」
しかし、その一言で彼女も実感を得たようだ。
困惑気味だった笑みが柔らかなものに変わり、目の端を滲ませた雫が親友の背中に手を回す。
「ん。そうだね」
微笑ましいとしか表現のできない光景。
周囲の顔も自然と綻んでいて、束の間の別れを見守っていた。
ややあって、抱き合っていた二人が離れるのと同時に軽く肩を叩かれる。
「向こうでも頑張れよ」
「達者でな」
振り返った傍からレオと達也にエールを贈られ、自然と首肯が続いた。
「ありがとう。行ってくる」
この場にいない幹比古とエリカを始め、五十嵐や香田といった友人たちからも激励のメッセージを貰っている。冬休み前には渡辺先輩や千代田委員長ら先輩たちからも声を掛けられたほどだ。
『
そうあれと願った『彼』にこそ、この陽だまりに在って欲しかったとつくづく思う。
後ろ髪を引かれる感覚を振り切って友人たちへ背を向ける。
ほのかの髪を撫でる雫を促し、女性陣へ視線を配った上で保安検査場へと足を向けた。
◇ ◇ ◇
友人たちの見送りを受けた僕と雫は何事もなく保安検査と出国審査を終え、搭乗ロビーへと入った。
フライトの時間は午後8時。
搭乗は7時半頃からなので、まだ十分に時間がある。
同行するはずの黒沢女史はラウンジの手配をするからと先に保安検査を終えていて、近くにその姿は見当たらない。
恐らくは二人きりにしようと気を回したのだろう。雫以上に表情の読めない人だが、隣の彼女に対してはただの使用人に留まらない忠誠があるように感じる。
「まだ連絡が来てない。黒沢さん、どこに行ったんだろう」
「ラウンジの場所はフロアマップにも書かれているが、わざわざ手配しに行ったとなると別の場所なんだろうな」
通常、エグゼクティブクラスのラウンジは航空券さえあれば出入りが可能だ。
潮氏の厚意で僕の分のチケットも用意してもらったため、同じ航空会社のラウンジにならいつでも入ることができる。
だが敢えて手配をしに行ったとなるとそこではないのだろう。
なにせ娘の留学のステイ先にコンドミニアムを一棟まるごと貸し切ったくらいだ。座席はエグゼクティブクラスでもラウンジは特別な場所を用意している可能性は十分にある。
「ここで待っていても仕方ない。とりあえず、お店を巡っていようか」
多分、それが黒沢女史の狙いだとわかった上で雫を促す。
頷いた彼女が端末をハンドバックへ収めるのを待ち、手近な商店へと足を向けた。
キャッシュレス決済の普及と搬送サービスの低コスト化が進んだ現在、買い物において手荷物はほとんど必要ない。女性はファッションの一環としてハンドバックを持つことも多いが、男に関しては端末一つを忍ばせておくことがほとんどだ。
「どうかな?」
トレンチコートを纏った雫が試着スペースから出てくる。膝上丈のそれはメリハリの利いたシルエットが特徴で、彼女のスタイルの良さを際立たせていた。
「よく似合っている。グッと大人びて見えるよ」
「それ、普段は子どもっぽいってこと?」
軽く頬を膨らませながらも口元には笑みが覗いている。
どうやら期待に沿う回答ができたようで、彼女は鏡の前で何度か身体を揺らして見た後、見計らって近付いてきた店員へ購入の意思を伝えた。
買ったコートの搬入を依頼して店を出る。
時刻は間もなく18時を迎えようかというところ。
搭乗開始の時間を考慮すれば、そろそろ食事を摂っておきたい頃合いだ。
21世紀も末に至った現在、航空技術開発は今世紀の初めと比較にならないほど進歩している。長らく亜音速で運行されてきた旅客機もマッハ2を超えるようになり、空の旅に掛かる時間は大幅に短縮された。
東京湾海上国際空港からサンフランシスコ国際空港までは約4時間。
午後8時に離陸して、向こうに着くのは現地時間の午前8時だ。
機内では軽食が出るらしいが、叶うなら搭乗前にある程度腹を満たしておきたい。
と、ちょうどそのタイミングでメッセージの受信を知らせる音が鳴った。
「黒沢さんから。ここへ来てほしいって」
言って、雫は端末の画面をこちらへと示す。
黒沢女史からのメッセージには位置情報が添付されていて、フロアマップと照らしてみればそこはやはりVIP用のラウンジと記されていた。
「名残惜しいが、ショッピングは終わりだな」
「うん。お腹も空いてきたし、そろそろ行こっか」
直後、雫が踏み出しかけた足を止めて呟く。
「あのお店……」
視線の先にあったのは華やかな着物が展示された店だ。
ディスプレイを見た感じ、店内には扇子や竹細工なども置かれているらしい。
「日本の伝統品の店だな。国際空港らしい」
前世紀から変わらず、海外からの旅行客にはこうした日本の伝統品が人気だ。
観光地では着物の着付けや伝統芸能の体験コーナーなども行われていて、三度目の世界大戦を乗り越えた後も文化は継承され続けている。
遠慮する雫を連れて店内へと入る。
これほどの品数を揃えた店は国内でもそう見られるものじゃない。切子や茶碗、焼き物などの工芸品も置かれていて、外国人だけでなく日本人の姿も数多くあった。
「雫は九校戦で振袖を着ていたが、着物を着る機会は多いのかい?」
一際目立つ場所に飾られた着物を眺めていると、ふと夏の一幕を思い出した。
ピラーズブレイクに出場した彼女の華やかな姿は記憶に新しい。競技の最中もぎこちない様子はなく着慣れている印象があったのを覚えている。
「うん。ドレスの時もあるけど、どっちかといえば着物の方が多いかな」
頷く彼女の目は着物それ自体ではなく、棚に置かれた小物へ向いていた。
色とりどりの髪飾りが並ぶ中には
「――お待たせ。行こう」
やがて満足したのか、雫は手にしていた簪を棚に戻して振り向く。
翡翠のような玉の飾りが付いたそれは、店を出た後も不思議と頭に残り続けていた。
◇ ◇ ◇
送られてきた位置情報を見ながらVIP用ラウンジへ向かう。
着いたのは一見すると何の入り口かわからないエントランス。こぢんまりとした受付で雫が名前を告げると間もなく黒沢女史が現れ、後に付いてエレベーターへと乗り込んだ。
案内された先はやはりと言うべきか広々とした造りの貸し切りラウンジで、足を踏み入れるなり専属らしいシェフと給仕に出迎えられた。
現役時代のスエさんもそうだったが、影響力が大きい個人は衆人環視を避ける傾向にある。本人はもちろん、周囲の人間を悪意や危険に巻き込んでしまうことがあるからだ。
ホクザングループともなると総帥の令嬢でも生半可なラウンジには居られない。
まあ潮氏は雫を溺愛しているから、可愛い娘のためという気持ちも大きいのだろうが。
護衛の名目の下、雫に付いて高級ラウンジのサービスを堪能する。
滑走路とその向こうの夜景を一望できる席に着けば出来たての料理が運ばれてきて、壁際の端末を操作すれば窓がそのままスクリーンに切り替わった。映画や検索サービスはもちろん、搭乗する予定の便の飛行プランや到着先のサンフランシスコ国際空港周辺の情報などをまとめたデータもあり、出発前の時間としてはまさに至れり尽くせりだ。
食事を終えた後は雫の提案でプライベートルームへと席を変える。
二脚のソファとテーブルが置かれたこの部屋は外から覗くことができない個室だ。ドリンクを用意してくれた黒沢女史が部屋を出ていくと、中には僕と雫だけが残される。
「また悩み事?」
ノンアルコールのフルーツカクテルを口にするなり、彼女は淡々と呟いた。
まるで確信しているかのような問いかけに、抵抗することなく白旗を上げる。
「参ったな。顔に出ていたか」
「ううん。でも今のでわかった」
思わず目が丸くなった。鎌を掛けられたということだろう。
してやったりと微笑む彼女に釣られて苦笑いが浮かぶのを自覚した。
「なんというか、雫には敵わないな」
グラスを手に取り、ジンジャーエールを一口飲む。
市販品とは違う生のショウガの辛みがジリジリと胸を焼き、吐き出す息と一緒に香りが鼻腔を抜けていった。目の覚めるようなそれに堪らず声を漏らして、じっと待つ雫へ内心を明らかにする。
「これからのことを考えていたんだ」
瞬間、彼女の目が真剣味を帯びたのがわかった。
「『守りたい人たち』のため、具体的に何ができるのか。何を目指すべきなのか」
今に始まったことじゃない。
およそ2カ月前、雫に『
『守りたい人たちがいる』――それが『僕』の願いだと、雫は言った。
『僕』自身から出たものだという確信はない。
それでも、その願いが果たせたらと思っているのは確かだ。
だとすれば今の僕が見るべきは自分の心の内側ではなく、目の前の現実の方だろう。
「この先どうしていくべきなのか。答えを出すためにはまず、『今』を正確に知らなくちゃいけないんだ。何が変わっていて、どうしたらより良い未来を迎えられるのか」
九校戦は結果だけを見るなら原作通りに一高の優勝で終わった。
しかし実際は一色さんたちのような予想外な戦力がいて、細かな戦績も変わっている。
夏休み中にリン=リチャードソンが現れなかったことも小さくない変化だ。
彼女が日本へ渡ってこないということは、『無頭竜』が勢力を維持したまま残っている可能性が高い。事実、ジェネレーターが各所に姿を見せたのはその影響だろう。
そして、横浜での戦いは原作と比べ物にならないほどの規模にまで膨れ上がった。
オーストラリア軍魔法師や『無頭竜』のもたらしたジェネレーターなど、余所の勢力や思惑も大きく関わってきていて、生き残るはずの人間が何人も亡くなってしまった。
『
最早原作知識は参考にすることしかできず、状況を好転させるためにはそれだけの情報を集める必要がある。本来の流れと何がどう変わったのか把握しなければ、対策の立てようもないのだから。
「そういう意味で、今回の交換留学はいい機会だったと思う」
『
この交換留学がアメリカ側からもたらされた提案である以上、これが変わるということは向こうで何かが変わっているということ。それが何なのか確かめるのにこれ以上のチャンスはない。
考え事の内容を聞いた雫はじっと手元のカクテルグラスを見つめ、それからふと思い出したように呟く。
「君の知ってる未来では、誰がアメリカに留学してたの?」
「一高からは雫だけがこの交換留学に応じていたよ」
「私だけ? 他に誰も行かなかったの?」
「一人にしか声が掛からなかったんだと思う。だから今回、僕にも話が来て驚いたよ」
他に声が掛かった人がいたかどうかは正直わからない。
ただ原作では一高から留学したのは雫だけで、代わりに来た留学生も一人だった。
今回USNAから来る留学生が彼女だけだったとしたら、やはり選ばれていたのは雫一人だったのだろう。
だからこそ、重要なのは僕の代わりに来るという男の方だ。
「この交換留学が僕の持つ知識と同じ理由で計画されたのなら、起きる騒動の中心は日本になるはずだ。僕らの代わりに一高へ来る留学生二人がそのキーマンの可能性が高い」
仮に原作と同じ出来事が起きるのだとすれば、日本では『パラサイト』を元凶とした事件と争いが発生する。
そうでなくても日本に来る留学生とその仲間は達也を――《マテリアル・バースト》の使い手を調査しに来るのだ。何事もなくというわけにはいかないだろう。
『守りたい人たち』に危険が及ぶことを思えば日本に残るべきだと、一度は考えもした。
「でも、君は断らなかった。それはどうして?」
どうしてか、と。他ならぬ彼女にそれを問われて、思わず悪戯心が湧いてくる。
「アメリカで何が起きているのか知りたいというのはさっきも言った通り。だけど――」
真剣な顔で答えを待つ少女を正面から見据えて、わざとらしい台詞を口にする。
「一番の理由は雫、君だ」
雫の瞳が大きく見開かれた。
見透かされてばかりだった彼女へ一矢報いれたようで、自然と口角が上がった。
「君を大切に思っていると、そう言っただろう。僕の知らない何かがアメリカでも起きるんだとすれば、それから君を守るのが僕の『やりたいこと』だ」
やるべきことではなく、やりたいこと。
それを行動の指針としたのは、『
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます」
「任せてくれ。全身全霊で君を守ると誓おう」
恥じらいを浮かべる雫をいじらしく思いながら、かしこまった仕草で目礼を返した。
間もなく時刻は午後7時15分。
遠い異国の地へと旅立つ時が間近に迫っていた。