モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第5話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 虚ろに沈んでいた意識が覚醒する。

 時計に目を向ければ表示されているのは目覚ましを設定した時間の五分前。身体を起こしてアラームを解除し、ベッドを降りて洗面台へと向かう。

 訪米当初こそ機械の世話になっていたが、時差による体内時計のズレも三日ほどで解消され、今では日本にいた頃と同じように起きることができるようになった。

 

 手早く身支度を済ませ、まだ暗いカリフォルニアの空の下に駆け出す。

 

 頬に当たる風は冷たくも柔らかく、乾燥した日本の冬とは違った寒さを感じさせる。

 肌寒さを覚えるのは走り出したその時くらいで、5分もしない間に内側から生じた熱が汗となって滲み始めた。

 

 どうやら昨晩は遅くに雨が降ったようで道沿いの木々や芝生はしっとりと濡れていた。

 幸い路面は滑り止めの効いたアスファルト舗装で、強く踏み込んでも地面を掴み損ねたりはしない。下手に傷を作って心配を掛けることもないだろう。

 

 細く白い息を吐きながら人影のない閑静な通りをまっすぐに走る。

 広大な国土を持つこの国は道幅が広く直線的な傾向があり、遠くまでを見通せるのでロードワークにはもってこいの環境だ。道を覚えるのも難しくはなく、ネックバンドタイプの端末に頼る機会もすっかりなくなった。

 

 30分ほど掛けて丘の麓まで向かい、脚へ力を込めて頂上に続く道を登る。

 なだらかに続く坂を駆け上がって10分ほどで中腹の広場へ。

 斜面に張り出した展望デッキに上がって息を整えていると、やがて夜が明け始めた。

 

 背後の山を越えて差し込む光明が徐々に眼下の街並みへと降り注ぐ。

 精緻に並んだ建物の間には緑が点在していて、所々に腰を落とした白霧がそれらを幻想的に彩っていた。

 日ごとに表情を変える景色は何度この場を訪れても飽きることなく、湾口の橋上を行き交う自走車の明かりが賑やかな一日の始まりを予感させる。

 

 USNAに留学してきてから2週間。

 ずっと続けてきた毎朝のルーティンが、異国の地では新鮮さを感じる時間となっていた。

 

 束の間、景色を眺めた後はそのまま下宿先へと戻る。

 

 往復で約10㎞。時間にして40分程度の軽い運動だ。

 汗を流して制服へ着替え、時計を見つつデイバッグを肩に掛けて1DKの部屋を出る。

 物理キーとオートロックの二重鍵で扉を閉め、エントランスから通りを渡って向かいの並びへ。斜向かいの邸宅の広い芝生の庭を縦断し、玄関横のベルを鳴らして返事を待った。

 

「おはようございます。ちょうど朝食の用意が出来たところですよ」

 

「いつもありがとうございます。ご馳走になります」

 

 エプロン姿の黒沢さんにお辞儀をするなり中へと迎え入れられる。

 後についてダイニングへ向かうとテーブルにはすでに二人分の食器が並べられていて、キッチンからは食欲を誘う香りが漂ってきていた。

 

 

 

 こちらへ留学に来てからというもの、朝晩の食事はほとんどお世話になっている。

 というのも、僕が下宿として借りたアパートメントは学生の一人暮らし向けの物件で、バスルームはしっかりしているもののキッチンが簡易的な造りだったからだ。

 

 外食か宅配サービスを前提にしているのかホームオートメーションに調理の機能がなく、食事は自分で作るか外食にするしか手がない。

 それでも初めは適当に済ませればいいと思っていたのだが、事情を聞いた雫が一緒に食べるよう強く勧めてきた。

 

 雫はこの件を潮氏にも話したらしく、潮氏からわざわざ契約内容の一部変更を提案されてしまったほど。そこまでお世話になるわけにもと思ったのだが聞き入れてはもらえず、公私の両面からお膳立てされたとあってはもう断る選択肢はなかった。

 

 

 

 食卓を横目にバッグを置いて上着をコートハンガーに掛けていると、間もなく階段へ続く廊下の扉が開かれた。

 

「おはよう、駿くん」

 

「おはよう、雫」

 

 ブレザータイプの制服を纏った雫が姿を現わす。

 ワイシャツの上にベストを重ねたクラシカルなスタイルで、藍色のジャケットとボタンには『星に照らされた本』のエンブレムが描かれている。

 私服登校の学校が大半となったアメリカにあってこの制服を着られるのは一種のステイタスらしく、一高のそれとは別種の制服自慢があるとかないとか。

 

 男女ともにパンツとスカートのどちらを着用するか選べることができ、男子はともかく女子はどちらも同じくらいの割合で見かけるのは自由の国らしい特徴か。

 雫についてはスカートが気に入っているようで、膝上丈のそこからはレギンスに包まれた下肢が覗いていた。

 

「おはようございます、お嬢様」

 

「黒沢さん、おはようございます。いい匂いだね」

 

 スクールバッグを置いた雫が先にダイニングへと向かい、食器の並んだ席へと腰かける。

 すかさず黒沢さんがカップに紅茶を注ぎ、続けて湯気の立つ皿を彼女の前に置いた。

 

「本日はエッグベネディクトをご用意いたしました。どうぞお召し上がりください」

 

「ありがとう。いただきます」

 

 頷いた雫はしかしナイフやカップに手を伸ばすことなくこちらへ目を向けてくる。

 ほとんど同時に黒沢さんも振り返り、ちらりと視線だけでキッチンを示して続けた。

 

「森崎さんもどうぞ。お代わりも用意していますので、遠慮なく召し上がってください」

 

「いつもありがとうございます。ご馳走になります」

 

 深く腰を折り、雫の向かいに座る。

 間もなく運ばれてきた皿には主の倍の量の料理が載せられていた。恐縮を抱きながらも勧めを断れず、結局お代わりまで頂いてしまうことになるのが定番となりつつある。

 

 そうして黒沢さんに押し切られる僕を、雫はどこか嬉しそうに眺めていて。

 だからこそ、世話を掛けていると自覚していながら遠慮を通すことができない。

 

 USNAへの留学が決まった時には想像もしていなかった光景。

 それが今やこの国に来てからの日常になりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

「行ってきます」

 

「いってらっしゃいませ、お嬢様」

 

 見送りに出てきた黒沢さんへ声を掛けて、雫が自走車の助手席に乗りこんだ。

 静かにドアを閉めてから振り返って会釈をし、運転席へ回ってナビゲーションシステムに行き先を設定。隣席の彼女へ声を掛けてから車を発進させる。

 

 電車に代わるキャビネットのネットワークが発達した日本とは違い、北米大陸では依然として車と飛行機が移動のメインツールとなっている。

 自動運転システムの搭載された自走車はもちろん、免許の所持が必須の自動車やバイクも相当な割合で走っていて、今となっては珍しいガソリン車までも見かけるほどだ。

 

 通学に際しても車両を使うのが通例で、USNAの学生はほとんどがスクールバスや自走車で学校へ通っている。自動運転システムの発展した現代では保護者による送り迎えを必要としないので、前世紀よりも個人車両での通学が増えているのだとか。

 

 僕らも例に漏れず、北山家の用意した自走車での通学を行っている。

 セダンタイプの車両は見た目以上に強固な設計で、政治家や官僚の公用車として使われているものと同じシリーズだ。娘の安全を考えた潮氏の計らいだろう。

 

 下宿先から学校までは車でおよそ10分。

 軽く雑談をしている内に校舎の正面に着いて、揃って下りたところで端末から車両のシステムを操作する。無人の自走車が走り出し、下宿先の車庫へ戻るべくあっという間に車列へ滑り込んでいった。

 

 車が遠ざかるのを見送って、どちらともなく校舎の方へ歩き出す。

 

 僕らの留学先であるバークレー校はUSNA最大の大学の一つであるカリフォルニア大学の付属校だ。同じくバークレーにキャンパスを構えるこの大学の敷地内に建てられていて、連邦政府直轄の魔法研究施設に紐づけられている。

 

 USNAにおける魔法の立ち位置は日本よりも学術的な色が強く、軍事転用される分野を除けば基礎研究が重視される傾向にあるのが現状だ。

 

 魔法を社会生活に応用しようとする声が抑圧されがちなのは、魔法師を人間とは違う種族だと考える勢力の影響が強い所為だろう。

 『人間主義者』に至るほど過激でないとしても、自分たちを脅かしかねない者へ潜在的な忌避感を抱いている人は少なくない。日本でもそういった人々は少なからず存在したが、この国ではそれを態度に示す人がより多い印象だ。

 

 魔法という得体の知れない力に頼りたくない。

 いつ自分たちに牙を剥くかわからない存在を社会の中枢に迎えたくない。

 

 そうした主張が表立って騒がれ続けてきたUSNAだからこそ、彼らの目に留まりやすい応用的な研究は下火にならざるを得なかった。

 唯一軍事面ではその有用性が明らかだったことで魔法技能開発は続けられたものの、それを社会基盤に役立てようとすると大きな抵抗を受けた。

 

 そんな反魔法色の強いUSNAにあって、バークレーのあるカリフォルニア州は例外的に応用的な研究が発展した地域だ。

 20世紀前半から続く研究所を中心に魔法研究の進められてきたここでは特にエネルギー開発に魔法技術が利用され、当時としては画期的な技術革新をもたらした。温暖化の懸念されていた当時、温室効果ガスの放出を伴わない発電技術は大きな注目を集め、寒冷化によるエネルギー資源の奪い合いが始まるにつれて高く評価されるようになった。

 

 『魔法は生活を豊かにする、一つの選択肢である』

 

 当時この研究所の所長を務めていた男性の発した言葉は周辺住民の誇りとなり、100年近くが経った今もUSNAでは珍しい親魔法的な雰囲気の源泉となっている――というのが、新しいクラスメイトによる解説だった。

 

「ヘイ、シュン! 元気かい?」

 

「おはよう、シュン。今度また日本でのマジックスポーツの話を聞かせてくれよ」

 

 校舎へ踏み入るなり、クラスメイトたちが合流し始める。

 留学生への物珍しさからか廊下を進む内に付いてくる学生の数は増え、男子のみならず女子も集団の中に加わってきた。

 

「ティア、おはよう」

 

「ねえ、ティア。昨日見せてくれたあの魔法、私にもやり方を教えてくれないかな?」

 

 ここでの雫の呼び名はすっかり『ティア』で定着した。

 『シズク』という発音が難しかったのだろう。名前の意味を訊かれた際に彼女が答えた『ティアドロップ』がそのまま採用され、愛称らしく省略された結果が今の呼び名となった。

 本人は泣き虫なイメージに感じるようで複雑そうにしていたが、新しい友人たちの屈託がない表情とフレンドリーな態度もあってすぐに馴染んだらしい。

 

 奇しくもそれは原作の彼女が付けられた呼び名と同じもの。

 本来はレイモンド・クラークという少年がきっかけになるはずだったのだが、当の本人は今この学校にいない。聞けば僕らの代わりに日本へ行った留学生の一人が彼なのだそうだ。

 

 レイモンド・クラークがいないことが今後どんな影響を及ぼすかはわからない。

 特殊な情報収集手段を持つ人物だが、縁も所縁もない日本で同じことができるとは考えにくい。魔法の才能に秀でていた記憶もなく、何が決め手で留学生に選ばれたのだろうか。

 

「ティア!」

 

 そんなことを考えていると、横合いから雫を呼ぶ声が響いた。

 街中の雑踏でも聞こえそうな声量で、何事かと訝しむ目が声のした方へ集まる。

 

「ケビン。どうしたの?」

 

 振り返った雫が小走りで駆け寄ってきた大柄な男子学生に問いかける。

 周囲の視線が声を掛けた男子から雫に移り、最近話題の日本人だと気付くと納得したような雰囲気が広がった。

 

「ちょっとデートのお誘いにね」

 

 容姿が整っていてコミュニケーションに問題はなく、その上魔法力も高い留学生となれば人気を集めるのは自然なこと。

 加えて日本よりも奔放で積極的な学生が多いともなれば、目の前のような光景もすでに一度や二度ではない。

 

 一方の雫も慣れたものなのか、気取った仕草や声音にも表情を変えることはなかった。

 元々芯の強い性格だったというのもあるだろう。衆人環視の中でも恥じらうことなく、続く相手の言葉を待っている。

 

「ティアは週末、何か予定があったりするのかい?」

 

 ケビンからの問いに、雫は軽く目を伏せ考える素振りを取った。

 表情を変えないまま目元だけがスッと細められ、答える声にも普段以上の熱量はない。

 

「週末? どうだろう。今のところは何もなかったと思うけど……」

 

「だったら、日曜の時間を俺にくれないか? フットボールのチケットがあるんだ」

 

 歯切れの悪い答えにもめげることなく彼は端末の画面を雫へ示して見せた。

 

 一歩身を寄せたことで覆い被さるような体勢となり、俄かに周囲が色めき立つ。

 野次馬的な反応がほとんどの中で唯一ケビンの背後だけは様子が違っていて、目が合った瞬間に何人かが焦りを顔に浮かべる。

 

 なるほど。要するに、ケビンは彼らにけしかけられたわけだ。

 

「苦労して手に入れた一等席だ。きっと後悔はさせない。だから――」

 

 悪戯というわけではないのだろう。

 画面に目を落としている雫は気付いていないが、彼の笑みには確かな緊張が見て取れる。

友人たちに煽られたのもあるだろうが、本人としては少なからず本気に違いない。

 

「ごめんなさい。フットボールはよくわからないから」

 

 けれど結局、雫は当たり障りのない理由を付けて断りを返した。

 落胆と慰めが囁きとなって周囲から立ち上り、それが焦りを生んだのか、ケビンは顔を赤らめて食い下がろうとする。

 

「試合でなくてもいい。コンサートでもショーでも好きなものを言ってくれれば、俺は……」

 

 言葉と共に大柄なケビンの手が雫の細い腕に伸びた。

 

 傷付ける意図はきっとない。

 誤解を正すため、弁明の機会を得るための動きだろう。

 

 けれど彼の行動によって雫が小さく震えたのは間違いなく。

 それを目にした瞬間、自然と体が動いていた。

 

 彼女へ伸びる腕の手首を掴み、それ以上の接近を引き止める。

 ケビンはぎょっとした顔でこちらへ振り返り、こちらを見るなり動揺を瞳に浮かべた。

 

「っ、シュン……」

 

 一回り以上体格の小さい僕に止められたのがよほど驚きだったのだろう。

 振り解こうと暴れかけていた腕が止まるのを待って、努めて平静に語り掛ける。

 

「ケビン。悪いが日曜は予約済みなんだ。雫も、忘れるなんてひどいな」

 

 穏便に済むよう嘘も交えて。

 表情を作りつつ目配せで意図を伝えると、意を汲んだ雫が頷いてくれた。

 

「そうだった。ごめんね。ケビンも、そういうわけだから」

 

 もしかしたら、ケビンもそれが方便だと気付いていたかもしれない。

 

「……わかった。そういうことなら俺は諦めるよ」

 

 それでも彼は焦りを飲み込み、最後には引き下がってくれた。

 握っていた手首を離し、逆の手でさする彼と目を合わせる。

 

「急に掴んでしまってすまなかった」

 

「気にしないでくれ。ティアも、怖がらせてしまって悪かった」

 

「大丈夫。またね」

 

 苦笑いで頷いた彼が友人たちのもとへ戻っていく。

 それを皮切りに様子を窺っていた周囲も三々五々に散っていき、あっという間にいつもの喧騒が戻ってきた。

 

「待たせてごめん。さあ、教室に行こう」

 

 友人たちを促した雫が先頭に立って歩き出す。

 みんなに先んじて隣へ並ぶと、彼女はちらりと目線だけをこちらへ向けた。

 

「ありがとう。あんなにグイグイ来る人は初めてだったから」

 

 囁くような声で。僕だけがわかるよう日本語で。

 儚げな笑みを湛えた雫はそう言って細く長い息を吐いた。

 

 毅然とした表情でいた彼女だが、実際は緊張や恐怖に晒されていたのだろう。

 

 人種の差から生じる体格差。慣れない外国語と文化の違い。

 加えて日本にいた時には目立たなかった、優秀であるが故の注目度の高さ。

 そうした要素が重なって今までにない負担を感じているのだと思う。

 

 一高には深雪を始め優秀な人間が数多くいた。ほのかという支え合える親友がいた。

 入学直後のあれこれは有名な話で、深雪と仲が良く達也とも行動を共にする機会の多い雫は男子にとって手の届かぬ高嶺の花だった。自然とアプローチは最小限になり、日本人の気質的な部分も相まって強引な勧誘はなかったに違いない。

 

 

 

 何度となく抱いた問いが頭に浮かぶ。

 

 果たして、僕は彼女を守れているのだろうか。

 

 

 

 護衛という役割に限って言えばこれ以上介入する余地はない。

 危害が及ばぬよう対処するのが務めであり、主を取り巻く関係に口を挟む権利はない。

 

 ただその結果が今の表情だとすれば、とても守れているとは言えない。

 僕が守りたいと願ったのは、彼女の身の安全だけではないのだから。

 

「どういたしまして。なんだったら本当にどこかへ行ってみようか」

 

 せめてもの気晴らしになればと、そんな提案をしてみる。

 顔を上げた雫がこちらへ振り返り、小首を傾げる仕草と共に口元の笑みを和らげた。

 

「いいの? じゃあ、楽しみにしてるね」

 

 目配せで応じて、教室の扉を潜る。

 迎える挨拶の一つ一つに返しながら、何度となく繰り返した問いを自らに投げかける。

 

 

 

 果たして、僕は彼女を守れているのだろうか。

 

 過去を告白したあの日以来、答えは未だ見えていない。

 

 

 




 
 
 
 
 
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