モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第7話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 USNAに来てから3度目の週末を迎えた。

 訪米直後の土日は生活用品の買い出しと周辺の地理確認に費やし、二週目はバークレー校のクラスメイトが歓迎会を開いてくれたので、落ち着いて週末を過ごすのはこれが初めてだ。

 

 今日は雫と外出の約束をした日。

 方便が元で決まった予定ではあるが、せっかくなら楽しい一日だったと思ってもらいたい。

 

 考えていた幾つかのプランの内、雫が選んだのは博物館と観光名所を巡るコースだった。

 

 普段よりも一時間ほど遅くに下宿先を訪ね、私服姿の彼女と一緒に街の中心部へ。

 近くのカフェで朝食と談笑を楽しんだ後、無人タクシーで博物館のあるオークランドの公園へ向かう。

 

 1月のオークランドは日本ほど気温も下がらず、日中であればコートが要らない場面もあるほどだ。一方で雨季にあたるこの時期は曇りの日も多く、晴天を見られる確率は半々といったところ。

 

 そういう意味で、今日はとても運が良かった。

 曇天の多いこの時期にありながら空は晴れ渡っていて風も穏やか。日差しのお陰もあってか寒さを感じることはほとんどない。

 

 隣を歩く雫も部屋を出る時に巻いていたマフラーを解き、トレンチコートの前を開いている。

自然と首元が覗き、普段の制服姿では見ることのないそこに目を引かれそうになった。

 

「これから行く博物館はどんなところなの?」

 

 艶やかな黒髪をふわりと揺らして、雫が訊ねてくる。

 以前よりも伸びた髪はマッシュレイヤーに整えられ、上品な色使いの服装と相まって普段よりもずっと大人っぽく感じられた。

 

「カリフォルニアの歴史や文化を始め、最先端の科学技術や魔法を利用した発明、美術品、考古学資料といった様々な展示品を扱った総合博物館で、3Dホログラムを巧みに使うことでアミューズメント的な体験ができる、のだそうだ」

 

 聞きかじりの紹介文をなぞって答える。

 思い付きの約束とあって下見もできておらず、他人の言葉を借りるしかないのが申し訳ない。

 

「テーマパークみたいな感じってこと?」

 

「その予想が一番近いと思う」

 

 何気ない表情のまま首を傾げた彼女に頷いて、まばらな往来の中を雑談と共に進む。

 

 21世紀末を迎えた現代でも散歩をする人の姿は変わらず、家族連れや老夫婦、ペットを連れた人など様々だ。中にはカップルらしい男女の姿もあって、休日の逢瀬を楽しんでいるのが見て取れる。

 

 雫の目が彼らを捉えているのはわかっていた。

 表情には出さない。どころか、視線を向けているのもごく僅かな間だ。

 それでも彼女が憧憬に類する感情を抱いているのは推察できて、願いを叶えられない自分を不甲斐なく思う。

 

 無手のまま待っている右手を握ることはできず、誤魔化すように話題を投じるばかり。

 自分には資格がないと躱しておきながら、中途半端に期待へ沿う言動を取っている。

 

 このままでいいはずがない。

 辛抱強く向き合ってくれる雫のため、報いられる何かを見つけなくてはならない。

 

 ――なんて、そんなことを考えていた矢先だった。

 

「雫?」

 

 左手の包まれる感触に振り返ると、挑戦的な笑みを浮かべた雫が待ち構えていた。

 目が合うなりもっと強く握りこんできて、触れた所から熱が伝わってくる。

 

「嫌だった?」

 

「そんなわけはないが……」

 

 上目遣いに訊ねられてはもう受け容れることしかできなかった。

 

 冷たく固まっていた手が温められ、自然と彼女の手の甲に指先が触れる。

 雫はちらと手元を一瞥し、隙間を埋めるように肩を寄せてから続けた。

 

「何を気にしてるのかは知ってるよ。だからこれは私の我儘。要請、みたいなものかな」

 

 敢えてそんな言い回しを選んだのだろう。

 ボディガードの立場に固執する僕が拒めないように。許容しやすいように。

 

 強かな女性(ひと)だと、改めてそう実感した。

 

「今日は一日このままで。いいよね?」

 

「仰せのままに。マイレディ」

 

 愉快げに微笑む雫へわざとらしく応じる。

 

 笑みを深めた彼女と並んでゲートを潜り、近未来的な内装のエントランスホールへ。

 

 館内を巡る間、繋いだ手が離れることは一度もなかった。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 博物館を観覧した後はベイエリアのレストランで昼食を摂り、通りの店舗を巡ってショッピングを楽しんだ。

 

 午後はオークランドから湾を挟んだ向かいのサンフランシスコへ渡る予定だ。

 

 事前に読んだ地図と現在地を頭の中で照合し、目的地までのルートを辿る。

 入り組んだ路地の先に海岸通りがあり、そこから海沿いにターミナルへ出られるはずだ。

 

 カフェやレストランの並ぶ通りから一本中へ入り、小さな公園に足を踏み入れる。

 カジュアルな雰囲気の店が多かったからか目に付くのも若い人が大半。高校か大学が近くにあるのだろう。スクールバッグを持った人の姿もあって、ベンチでは談笑する人や何らかの議論を交わしているグループも散見される。

 

 そんな中、ふと通行人の一人に目を引かれた。

 

 知り合いでも何でもない、少し年上のアジア人女性。

 束ねて肩の前に垂らした髪は艶のある深紅で、解いて下ろせば腰にまで届くだろう。

 

 纏う衣装はハイネックのニットにデニムのパンツスタイル、足首までを覆うブーツを履いた姿は動きやすさと見た目のバランスに秀でたもの。

 容姿も男女問わず大半が整っていると評価する水準で、少し吊り上がり気味の大きな眼と雪のように白い肌が華やかな見た目に愛嬌と気品を加えている。

 

 何より注意を引かれたのは、彼女から魔法的な気配が漂っていたことだ。

 

 現代魔法のようなハッキリしたものではなく、古式魔法のようにまったく気付けないほどの隠密性もない。

 注意していなければ視線を逸らされる程度の、微弱で曖昧な認識阻害の魔法。

 

 まさか、とは思う。

 けれどこの街で、この時世で、あれほど特徴の合う人が他にいるとは考えづらい。

 

「……少し待っていてくれ。ターミナルまでの道を訊いてくる」

 

 不誠実だとは思いながらも見過ごすことはできなかった。

 

 雫が頷くのを待って手を放し、衝動の促すまま女性の方へ。

 緊張で喉が震えるのを自覚しながら、叩き込んだ英語で声を掛ける。

 

「すみません。道をお訊ねしたいのですが」

 

 振り返った女性に不思議と懐かしさを感じる。

 間違いなく初対面のはずなのに、その微笑みにはどことなく見覚えがある気がした。

 

 一瞬だけ訝しげな眼差しを向けてきた女性はしかし、すぐに表情を繕って頷いた。

 

「構わないわ。どこに行きたいの?」

 

 弾むような響きをした流暢な英語。

 この国での暮らしに馴染んでいるのが察せられて、鳩尾の奥が仄かに温かくなる。

 

「船でサンフランシスコへ渡りたいのですが、フェリーターミナルまでの道を教えて頂けませんか?」

 

「だったらそこの路地から通りへ出て、海岸沿いに西へ向かえばいいわ」

 

 一方を指差した女性は建物の向こうのストリートをなぞるように手を動かした。

 

 程よく肉付いたしなやかな身体つきも白い肌の横顔も健康そのもので、少なくとも表面上は苦労やストレスと無縁なように見える。

 初対面のこちらにも大きな警戒を覗かせないあたり、追われる立場というわけでもなさそうだ。

 

「ありがとうございます。ここの生活はいかがですか?」

 

「とても楽しいわよ。刺激的で、活気に溢れていて、何より自由で」

 

 それが心からの言葉だと、『彼女』の表情が物語っていた。

 

「素晴らしいですね。ご親切にどうも」

 

 感謝の言葉と共に腰を折ると、女性は頷いて僅かに目線をスライドさせた。

 恐らくはこちらの後ろ、雫の待つ方を見て口元の笑みを深める。

 

「良い旅を。それと、エスコートもしっかりね」

 

 ウインクと共にそう言い残して女性が背を向ける。

 肩越しに手を振る背中を見送ると、湧き出した熱がため息となって零れた。

 割り切ったつもりでいたが、存外気に掛かっていたらしい。

 

 もう一度小さく息を吐いてから小走りで雫のもとへ戻る。

 『彼女』とのやり取りはしっかりと見られていたようで、傍へ寄るなり上目遣いに問いかけられた。

 

「知ってる人?」

 

「いや。『僕』にとっては見ず知らずの、この街に暮らす人だよ」

 

 見抜かれているのをわかった上で首を振り、雫の前に左手を差し出す。

 たちまち灰色の目が何か言いたげに細められたので、視線で近くの街灯を示した。

 

「詳しいことは船の上で。ここは人の耳も、機械の目も多すぎる」

 

 灯火に並んで備え付けられたセンサーを見た雫は渋々といったように頷く。

 差し出した手が取られ、さっきよりもずっと強く握られた。横目に見上げてくる彼女は口元を尖らせていて、あれこれ考えた末にこちらから距離を詰めるまで許してはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 案内された道順に従って海岸通りに出た後、ヨットやクルーザーが並ぶマリーナ脇のターミナルからフェリーに乗り込む。

 船上から眺める街並みは飛行機や車から見るそれとは違った趣があって、特に高い橋の下をくぐる光景は他では見られない貴重な経験となった。

 

 橋脚の下を抜けたところで左右へ視線を配る。

 比較的暖かい日だとはいえ、さすがに真冬の海上となるとデッキに人影はなかった。潮風と飛沫に晒されるからか船上にセンサーの類はなく、陸との距離も十分に離れている。

 

 これなら魔法を使っても気付かれることはないだろう。

 CADは使わずに最小限の出力で《真空フィルター》を展開。盗み聞きと寒風への対策を施すと、魔法に気付いた雫が訝しげに振り返った。

 

「さっきの人について説明しようと思ってね」

 

 理由を口にするなり眼差しが真剣味を帯びる。

 海の方へ向いていた身体がこちらに正対し、左手はしっかりと捕まえられたまま半歩分距離が詰まる。

 まるで戦いに臨むかのような表情に思わず口角が上がってしまい、ムッと口を尖らせた彼女へ一つ謝ってから続けた。

 

()()()()、あの人とは夏休みの間に面識ができるはずだったんだ」

 

 それだけで何か察するところがあったらしい。

 驚きを覗かせた後で視線を落とし、短い黙考の末に顔を上げた。

 

「でも、君は見ず知らずの人だって言ったよね」

 

「ああ。会うことになると思って探していたんだが、結局会えなかった」

 

 九校戦の後、夏休みの後半を費やして有明に通っていたのは『彼女』が理由だ。

 『彼女』と『森崎駿』の邂逅は細やかな、けれど大事な意味を持つはずだった。

 

「どんな人なの?」

 

 繋いだ手にもう一方の手が重ねられた。

 声音も真剣そのもので、乗船までの拗ねたような色はどこにもない。

 

「『無頭竜(ノーヘッド・ドラゴン)』という国際犯罪シンジゲートの総帥の娘だ」

 

 本来なら知り得ないはずの事柄。

 これまでは語るのに強い抵抗感のあったそれも、今はすんなりと口に出すことができた。

 

「無頭竜? 犯罪シンジゲートって、どうしてそんな人と……」

 

 雫の顔に困惑の色が浮かぶ。反応を見る限り、無頭竜のことは知らなかったのだろう。

 かの北山潮であれば存在を把握していてもおかしくないはずだが、だとすれば潮氏は娘に連中のことを語らなかったらしい。

 

「九校戦の時、往きのバスで事故に遭いそうになったのを覚えているかい?」

 

 彼女はすぐに頷いた。

 眼差しが一層鋭くなり、左手に伝わる熱も強くなった。

 九校戦に並々ならぬ熱意を注いでいた雫だからこそ悔しさも大きいだろう。

 

「あの事故を引き起こしたのが無頭竜で、一高を邪魔するための工作だったんだ」

 

 隣から悲鳴を飲み込む音が聞こえた。

 妨害工作については公にされたわけではないものの、あれほど立て続けに一高が不利を受ける事態が起きれば何かしらの疑いを抱いても不思議ではない。

 

「あの一件だけじゃない。渡辺先輩の怪我も、小早川先輩がリタイアすることになったのも連中の仕業だ」

 

「じゃあ、あのモノリス・コードも……」

 

 納得したような呟きに頷いて応える。

 

「雫の考えている通りだ。とはいえ、五十嵐と香田を守れなかったのは僕の力不足だが」

 

「それ、もう一回言ったら怒るからね」

 

 いつもよりずっと厳しい口調で窘められ、思わず閉口してしまった。

 間近から見上げる眼差しは妙に据わっていて、左手は人質とばかりに彼女の腕に絡めとられてしまう。

 

 言い知れぬ迫力を前にしては、もう降参することしかできなかった。

 

「どうしてあの人と会うことになったの?」

 

 腕は抱え込まれたまま、矛を収めた雫が改めて訊ねてきた。

 苦笑いが浮かびそうになるのを堪え、知っている限りの知識を詳らかにしていく。

 

「九校戦に手出しをしてきたことがきっかけで総帥の素性が判明して、ボスを失った連中があの人を次のトップに据えようとした。本来僕が会うはずだったのは、大亜連合に渡る途中で日本に立ち寄った時だ」

 

 その出会いは原作の『森崎駿()』が果たす唯一の功績だった。

 

 有明で『森崎駿』に助けられた彼女はその時の恩を踏まえて組織を改革し、結果として無頭竜は日本での積極的な活動を控えるようになった。

 これが後に顧傑の行動を阻害し、あの男による被害を局限することに繋がった。後の物語でジェネレーターが登場しなくなったのも、もしかしたら彼女の意志が働いたからかもしれない。

 

「彼女が、リン=リチャードソンがこの国にいるということは、無頭竜の総帥もまだ生きている可能性が高い。九校戦で大きな損害を出した連中は日本への報復を考えているだろう。横浜への侵攻が想定以上の規模になったのも、もしかしたらそれが理由かもしれない」

 

「そんな……」

 

 言葉を失って、雫が視線を落とす。

 絡んだ腕が強張り、縋るように引き寄せられた。

 

 当然の反応だろう。どれだけ魔法の才能があろうと、彼女は十師族でも百家でもないのだ。

 兵器たれと望まれ生まれた歴史を汲む家系の出身者と違い、戦いへの忌避感は一般人と何ら変わらないに違いない。

 

 僕自身、未知の困難を想像するたびに不安で眠れなくなる。

 こうして彼女の行方を知った今、以前からの懸念は確信へと変わってしまった。

 

 だというのに――。

 

「こんなことを言うのは無責任なんだが」

 

 零れ落ちるまま、胸に浮かんだ熱を吐き出す。

 不安を湛えた瞳がこちらを捉え、瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。

 

「正直なところ、僕は今ほっとしているんだ」

 

 それが嘘偽りのない本音だった。

 未知の困難が待ち構えているとわかったのに、心は何処か晴れやかだった。

 

「リン=リチャードソンは本来、争いごとを好まない人だった。無頭竜のリーダーになったのも立場上仕方がないからで、叶うならふつうの大学生に戻りたいと願っていた」

 

 自由な右手で手すりを掴んで空を仰ぎ、記憶の中の原作と現実とを並べて思う。

 

 運命を受け容れた『彼女』は一般人として過ごす自分を見てどう感じるだろうか。

 今この瞬間の『彼女』は本来辿るはずだった運命を知った時どう感じるだろうか。

 

 どちらが幸福かなどと、そんなことを判断する権利は僕にはない。

 わかるのはただ『彼女』の現在が変わり、それが未来に影響を及ぼすということだ。

 横浜での戦闘が激化したことを思えばやはり本来の筋書の方が穏当なのは間違いない。

 

 にもかかわらず、あの時胸に浮かんだのは安堵だった。

 

「この街で穏やかに過ごしている姿を見て、良かったと思った。そう思ってしまったんだ。横浜があんなことになって、これから先も知っている以上の危険があるかもしれないのに」

 

 自分のことながら心底呆れてしまう。

 たった一人の、それも目先の笑顔一つでこんなに胸が軽くなってしまうなんて。

 

 「無責任な話さ」と肩を竦めることしかできない僕に、けれど雫は小さく首を振った。

 

「無責任なんかじゃないよ」

 

 穏やかな声が聞こえた瞬間そんなはずがないと零しかけて、彼女の浮かべた表情に息が詰まった。

 

 直前までの不安が消えた、綻ぶような笑顔。

 いつになく大人びたその笑みについ見とれてしまう。

 

「今までずっと頑張ってきたんだから。変わってしまったことに胸を痛めるのと同じくらい、良くなったことを嬉しいと感じる権利がきっとあるよ」

 

 言葉を失っている間に雫はそう言い、絡めていた腕を放す。

 

「そう思ったきっかけが私じゃないのは、ちょっとモヤモヤするけどね」

 

 元のように左手だけを握った彼女はやがて、困ったような表情で小さく首を傾けた。

 

 すっかり見慣れた雰囲気に戻り、それでも彼女の瞳から目を逸らすことができなかった。

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 
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