モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
連日投稿4日目です。
◇ ◇ ◇
達也たちとの二度目の電話会議を経た翌日。
いつものようにランニングで掻いた汗を流してから雫の下宿へ向かい、朝食を頂いた後に登校のため自走車へ乗り込む。
運転席に僕が。助手席には雫が。
すっかり日常となった通学風景だが、この日の車内はいつになく静かだった。
行儀よく座った姿勢のまま動かない雫。
目線は膝に置いた手へ固定されていて、いくつか話題を振ってみても曖昧な答えしか返ってこない。心ここにあらずとはまさにこういう状態を言うのだろう。
きっかけは恐らく、一昨日のホームパーティーだ。
アルコールに酔った雫を部屋へ運んで以来、ほとんどずっとこんな調子だった。
だが理由についてはまったく見当が付かない。
確かに少々強引な運び方をしたが、これについては部屋で下ろした時に謝った上、雫も気にしていないと言っていた。
傍を離れている間に何かあったというわけでもなさそうで、不誠実なところがなかったか訊いても何もないと言われるだけ。
なにより不可解なのは雫のこの態度だ。
緊張しているわけでも恥ずかしがっているわけでもない。
怒っているわけでも落ち込んでいるわけでもない。
ただずっと、上の空が続いている。
感じたままを表すなら、そんな印象だった。
「大丈夫か?」
そっとしておこうかとも考えたのだが、結局はそう訊ねていた。
「調子が悪いようなら引き返すが」
一度ピクリと身体を震わせて、雫が勢いよく顔を上げる。
いつもより大きく開いた目と視線が合うなり、唇を引き結んだ彼女は心なし早口で恐縮を示した。
「ううん。大丈夫。心配かけてごめんね」
「……大丈夫ならいいんだ。謝る必要はない」
申告ほど大丈夫なようには見えないが、本人が言う以上様子を見るほかない。
再び車内に沈黙が落ち、静かなはずの駆動音が薄っすらと聞こえてくる。
手元に目を落とした雫は膝の上で指を揉みつつ、堪えきれないとばかりに口を開いた。
「その、これからのことなんだけど――」
一瞬、彼女は続きを言い淀む。
ちらと横目にこちらを窺い、それから躊躇いがちに続けた。
「駿くんは、どうするのかなって思って」
主語も目的語も抜けた唐突な質問。
それでも彼女が何を訊いているのかはすぐにわかった。
わかった上で惚けることを選んだ。
「どうすると言われてもな。一体、何についてのことだい?」
大袈裟に肩を竦めて見せると、雫は大きくしていた目を細めた。
「もちろん、『
からかっていると思ったのだろうか。
尖らせた唇には笑みが混ざっていて、声音にもどこか楽しんでいるような響きがある。
自ずと喉の詰まるような感覚が湧いてきた。
息苦しさを強引に呑み込み、細く息を吐いてから答える。
「……確かに彼らは呪術によって操られた故人で、大亜連合もしくは旧大漢の術士が犯人だろうと、そう言っていた」
訊かれるだろうとは思っていた。期待されていることもわかっていた。
黒幕の正体も手管も聞く前から知っていて、だから答えもすでに用意してあった。
「『屍食鬼』の正体はおよそ判明した。黒幕のルーツも推測できた。
次に遭遇した時、どう対処すればいいか。方針が立てやすくなったな」
今度の沈黙はそれまでよりもずっと嫌なものだった。
反対車線を走る車の音が微かに通り過ぎて、雫の息遣いがより大きく聞こえた。
「……それだけ?」
雫の表情からはもう笑みが消えていた。
「ああ。それだけだ」
頷くなり、雫が少しだけ身を乗り出してくる。
「でも、それじゃあ被害に遭う人は――」
「増えるかもしれないな」
「……わかってるのに、何もしないの?」
驚きと困惑が混ざったような声。
信じられないものを見たと言わんばかりの眼差し。
純粋だからこそ、どちらともが鋭利に感じられた。
「そうだ」
余地を残さぬよう端的に首肯する。
何もしない。顧傑の関与に思い至った時、そう決めた。
『屍食鬼』に関することについて、能動的に行動を起こすことはしない。
少なくともこちらから仕掛けることはせず、避けられない場合においてのみ自衛を目的に対処する。
「僕はあくまでボディガードだ。どこかに隠れ潜む古式魔法師を退治することも、利用されてしまった人を助けることもできない」
僕の役目は雫を守ること。
雫が危害に遭わないように、危険から遠ざけるのが僕の務めだ。
護衛は主を守るのが仕事であり、敵を排除するのはメインじゃない。
「それに相手は殺しも厭わない犯罪者、テロリストなんだ。安易に手は出せないし、目を付けられる要因を作るわけにはいかない」
奴の目的が何であれ、障害になる人間を放置することはないだろう。
ただ巻き込まれただけならともかく、解決に動いているとなればいつ害意の対象にされるかわからない。
フリズスキャルヴなどという反則染みた手段すら持っているのだ。下手な正義感で狙われるわけにはいかないし、もしも狙われるような事態になってしまえばもう彼女の隣にはいられなくなるだろう。
「でも、だからって何もしないなんて」
納得がいかないのか、尚も食い下がられる。
もしかしたら、雫にとっては初めての経験なのかもしれない。
「気持ちはわかるが、どうにもならないんだ」
自分が誰かの助けになれると感じた時、リスクを負ってでも助けたいと思う気持ちはよくわかる。僕自身、数えきれないほど繰り返したことだ。
だが同時に、それは自ら危険に飛び込む行為でもある。
一筋縄ではいかない黒幕を相手にそのリスクを許容できるほど僕は強くない。
出来ることはないと言って。力不足だと白状して。
それでも、雫は最後まで納得しなかった。
「――じゃあ、私がやる」
小さな呟きは不思議とはっきり聞き取れて。
本気か問う前に強い眼差しを向けられた。
「私がやるって言ったの。私の警護だったらいいんだよね?」
「それはそうだが……」
護衛である以上、主の意向を無下にはできない。
だが護衛である限り、彼女の身の安全は何より優先されることだ。
「危ない場所からは遠ざけるし、いざとなったら抱えてでもその場を離れるぞ?」
「危ないことはしないよ」
「危ないことの方からやってくることもある」
協力できないと言外に伝えても平気な顔で受け流された。
巻き込まれる可能性に言及しても聞く耳を持たなかった。
意地になった雫は大層気合いの入った表情を浮かべると、早速とばかりに端末を操作し始めた。
「まずは『屍食鬼』について聞いたことを通報しよう」
「止めても聞かないか……」
正義感か責任感か、あるいはもっと別の理由か。
いずれにせよ今の雫に説得は通じないようだ。
彼女を衝き動かす何かが解消されるまで付き合う他ない。
「わかった。なら、まずは遠上さんに連絡を取ろう」
せめてもの代案を口にする。
雫の口から直接当局へ話が伝わるのは避けたい。
留学してひと月そこらの学生が『屍食鬼』に詳しいだなんて、逆に疑われるかまともに取り合ってくれないかのどちらかだろう。
「遠上さんに?」
止める言葉でなかったのが幸いしたのか、雫はこちらの提案を素直に受け取った。
「ああ。前に助けてもらった時、あの人は仲間が手を回しているから参考人招致はされないと言っていた」
学校で聞き込みをした時、サンフランシスコ市警の評判についても聞いていた。
サンフランシスコの市警察は他の地域に比べて魔法への理解が深い傾向にある。遠上さんが言っていたこれはバークレー校のクラスメイトも認めるところだった。
ただ、だからといって事件の当事者から聴取すら取らないのはいくら何でも非常識だ。
どれだけ魔法師のことを理解していたとしても、事件に関わった人間である以上は参考人として呼び出される可能性が高い。
先日の一件では遠上さんの言った通りに、それらが一切なかった。
「つまり、警察か裁判所に繋がりを持った人がいる?」
「そういうことになると思う。それに、遠上さんは『屍食鬼』を追ってサンフランシスコに来たと言っていたからな」
「事件を追っている……。解決に繋がる情報を探してるってことだね」
狙い通り誘導に乗った雫は興奮冷めやらぬ様子で端末に目を落とした。
「わかった。じゃあ遠上さんに連絡してみよう」
先日貰った連絡先に向けてメッセージをしたためる雫。
熱心に端末を操作する彼女を、僕は横目に見ていることしかできなかった。
● ● ●
同日。日本時間午後4時50分。
この日の授業がすべて終わった後、達也はエリカと幹比古を連れてクロス・フィールド部の第二部室を訪れた。
クロス・フィールド部は部活連の前会頭である克人が所属していたクラブで、夏休み明けに代替わりするまでこの部室が部活連の非公式な会合に使われていたというのは一高首脳部で暗黙の了解事項だ。
何なら三年生がクラブ活動を引退した後もこの部室は前会頭に私的利用されているのだが、現クロス・フィールド部員はもちろん現部活連執行部や生徒会に至るまでが黙認を続けている。
十師族の跡取りが私的に使っている部屋とあって他の部員が寄りつくことはなく、内緒話をするには絶好の場所と言えるだろう。
盗み聞きの心配がない場所という指定で真由美に相談を持ち掛けた昨晩、達也の端末へ返ってきたメッセージには「放課後」に「この部屋で」という指示が書かれていた。
「七草先輩。十文字先輩。お待たせして申し訳ありません」
扉を開けて入るなり達也が踵を揃えて腰を折る。
後に続いたエリカと幹比古は待ち合わせ相手がまさかこの二人だとは思っていなかったのか、一拍遅れてから銘々に一礼した。
「大丈夫よ。私たちもさっき来たところだから」
真由美が片手をひらひらと振って応え、隣では克人が相変わらず様になる仕草で頷いた。
魔法大学の入学試験を間近に控え自由登校になっているはずだが、二人の表情に焦りや疲れの色はまるで見られなかった。
「それで。直接顔を合わせる必要があるほどの用件とは何だ」
真由美と克人の対面へエリカと幹比古を座らせた後、達也は表情の硬いクラスメイトを一瞥してから克人の問いに答える。
「1―Eの西城レオンハルトが入院していることはご存知ですか?」
途端、困惑気味だったエリカが鋭い眼差しを達也へ向けた。
一方、対面の二人はエリカの顰め面を気にすることなく、各々肯定を返した。
「ええ。通り魔に遭ったと聞いているけれど……」
真由美の認識はE組のクラスメイトの間で共有されている情報と同一だった。
それはつまり、一高に流れている『表向き』の事情しか把握していないということだ。
「あいつを襲った相手について先輩方に共有しておくべき情報があり、こうしてご足労頂きました」
「つまり、単なる通り魔事件ではないということだな?」
真剣味の増した克人の問いに、達也は眉一つ動かすことなく頷く。
「はい。レオを襲った者の正体は『パラサイト』。人間に寄生した妖魔と呼ばれる存在です」
それから達也はまず当時の襲撃の詳細を語り、それからレオの病室で判明したことを幹比古の了解を得た上で二人へ話していった。
さらに八雲から聞いた『パラサイト』に対する所感を嚙み砕いて語り、最後に駿と雫から得た情報を交えて至った結論を披露する。
人に憑りつき、人を変質させる『パラサイト』が異次元から、しかもUSNAを経由してもたらされた可能性があると語り終えた後、一同は揃って大きく息を吐いた。
「まさか、『パラサイト』が別次元から侵入してきていただなんて……」
想像の埒外な事実に幹比古が頭を抱える一方、エリカは憤懣を隠すことなく吐き出す。
「しかもアメリカから来たんでしょ? それだと一番怪しいのはリーナたちじゃない」
「断定するには早いが、全く無関係というわけでもないだろう」
エリカの当て推量に、達也はそれなりの確信を持って頷いた。
スターズの暗躍を知る達也にとって深雪に匹敵する魔法力の持ち主が他国へ渡ってきた事実は重く、超常的な存在の介在も十分にあり得ると考えていた。
「俄かには信じ難い話だけれど」
「他ならぬお前がそのような与太話をするはずもあるまい」
『パラサイト』の存在を知っていた二人に対し上級生二人の反応はやや鈍かったものの、日頃の評価が功を奏して(?)か、冗談扱いとはならずに済んだ。
「では、お二人とも信用して頂けたということでよろしいですね?」
再度の確認に頷いて見せる克人。
一拍遅れて続いた真由美はそうした上で頬に指を当て、常よりも大人ぶった声音で問いかけた。
「それで、達也くんは私たちに何をして欲しいのかしら」
「魔法に関わる事態について、関東近郊の監視を受け持っているのは『七草家』及び『十文字家』の両家だと記憶しています」
当然のように語る達也に、真由美は呆れの混じった笑みを向ける。
「確かにそうだけれど、達也くん、随分と十師族の務めに詳しいのね」
「この程度は百家の一員でなくても把握できることです。それにここ数年、十師族の顔ぶれは変わっていませんから」
『
『師補十八家』との入れ替わりがある度に担当地域は変わることがあるのだが、『十文字家』と『七草家』はこの制度が確立されて以来一度も『十師族』の座から降りたことはない。
「我々が関東の守りを負っているのはその通りだ。我々の監視下で害ある魔性が蠢いているのであれば討伐に力を尽くすのは当然のこと。『十文字家』は『パラサイト』の捜索・捕縛に動くことを約束しよう」
首都防衛の切り札と目される『十文字家』にとって防衛圏を荒らされるのは存在意義に関わる。
次期当主となることが事実上決まっている克人がこう答えるのは、話を持ち込むと決めた時点で達也も予想が付いていた。
他方、真由美は当主・弘一の娘であっても後継者ではない。
彼女の一存で『七草』の勢力を動かすことはできず、けれど彼女は強い決意を感じさせる声音で達也の要請に回答した。
「『七草家』としては今すぐ回答することはできませんが、当主には務めを果たすよう強く要請しておきます。この場はそれで構わないかしら」
「もちろんです。ご助力に感謝します」
十師族の跡取りと当主の娘。双方から協力の約束を取り付けた達也は深々と腰を折る。
しかし達也が顔を上げた直後、ここまで黙っていたエリカが堪えきれないとばかりに口を挟んだ。
「ちょっと待ってよ。この件に関してはアタシたちの方が先に動いてたんだから」
彼女にとってレオはクラスメイトであると同時に剣術の技を手解きした弟子の一人だ。
正式な門下生でなくとも彼女にとっては喧嘩を売られたという認識で、すでに『千葉家』の息が掛かった警察官を中心に『パラサイト』の捜索へ乗り出していた。
「そう言うだろうと思って、二人にはこの場へ来てもらったんだ」
エリカが幹比古と共に『パラサイト』の捜索を行っていることは達也も把握していた。
彼女の生家が高名な剣術道場で、警察や軍への影響力が強いことも知っている。
だからこそ、話を早くするために二人をこの場へ連れてきたのだ。
「あの、達也……? もしかして……」
「二人はすでに『パラサイト』の捜索に取り掛かっています。国外勢力の関与も想定される状況ですので、できれば協力体制を築いて頂きたいのですが」
恐る恐る手を挙げる幹比古を敢えて流して、達也は克人と真由美へこの集まりの本題を提言した。
寝耳に水な発言にエリカと幹比古がぎょっとした顔を浮かべる一方、当事者の二人をよそに話は恙なく進む。
「無論だ。我が国の人間が脅威に晒されているとわかった以上、治安組織への協力は惜しまない」
「私も異存ないわ。重ねて父へ伝えておきます」
「ありがとうございます。俺はこれで失礼しますので、今後の方針については二人と相談してください」
真由美と克人から言質を取り、達也は早々に部室を後にする。
部屋を出る彼の背中には友人たちの非難の眼差しが刺さっていたが、当然のように達也が足を止めることはなかった。
クロス・フィールド部の部室を出た達也は準備棟の入り口で思わぬ顔見知りと鉢合わせた。
「あれ、タツヤじゃないか。ここで会うのは初めてだね」
ブロンドの髪に青い瞳。駿や雫と入れ替わりでやってきた留学生、レイモンド・クラークだ。
「レイモンド? 君はどこのクラブにも入っていないと記憶していたんだが」
留学生がクラブに入ることを禁じるルールはない。
一方、生徒がクラブに所属することを強制するルールもない。
およそ3カ月だけの留学生とはいえ望めばどんなクラブにも出入りできるはずのレイモンドだが、達也の把握している限り彼がいずれかのクラブに所属したという話は聞いたことがなかった。
「その通りだよ、タツヤ。ボクはどこのクラブにも所属していない。けどボクは最近、毎日のようにここへ来ているよ」
頷いたレイモンドは口元に笑みを浮かべ、謎掛けめいた答えを返す。
それほど接点のない相手だとしても戯れに付き合うくらいは厭わなかった。
「クラブに入ったわけではないのに準備棟へ入り浸っている。――部活連絡みか?」
「
軽い調子でレイモンドが称賛を口にする。
肩を竦める仕草で応じた達也はクイズに正解した褒美を取るべく、もう一つ質問を重ねることにした。
「それで。部活連に関わっているのはわかったが、何をしているんだ?」
「レイには部活連の業務をサポートしてもらっているんだよ」
達也の疑問に答えたのは、横合いからやってきた小柄な少年だった。
名前を
1年B組に所属する一科生で、成績も総合で10位以内に入る優等生だ。
小柄ながらマーシャル・マジック・アーツ部のホープと呼ばれる武闘派で、百家『十三束家』の中でも特異な名声を獲得するに至っている。
「レイモンドには各部から上がってくる要望や調整事項の管理を手伝ってもらっている」
「服部先輩」
続けて具体例を示したのは現部活連会頭の服部だ。
去年、生徒会に所属していた彼は生徒会長選挙に伴って副会長の座を辞すると、克人の後を継いで部活連執行部に名を連ねた。
間もなくトップに立った服部は次代の会頭として血気盛んな各クラブの部員を堅実にまとめ上げ、一科生と二科生の隔てなく評判を得ている。
「道理でリーナの時のような騒ぎがないはずだ」
リーナが留学して来たばかりの騒動はちょっとした語り草になっている。
自然と人を惹き付ける陽性の美貌と卓越した魔法力を持つ彼女は、3カ月という短い留学期間にもかかわらず様々なクラブの間で引っ張りだことなった。
春の勧誘期間を思わせるような一幕はリーナ本人の意向もあり、生徒会の臨時役員に就任するという形でどうにか終息したのだった。
「それにしても珍しいな。司波が準備棟に来るとは」
「人を訪ねてきまして。用件は済んだので、自分はこれで失礼します」
立ち話を続けるほど互いに暇なわけではない。
浅く一礼した達也は自分から話を打ち切って、その場を後にした。
● ● ●
午後6時。学校から帰宅した達也と深雪は夕食を簡単なもので済ませると、フォーマルな装いに着替えて再び外へ出た。
この日は月に二度あるピアノとマナーのレッスンの日。
秘匿されているとはいえ、四葉家の子女たる深雪は紛れもない『お嬢様』だ。
上流階級の淑女としてお稽古事を欠かすことはできず、その度に都内某所にある瀟洒な洋館へ深雪を送り届けている。
淑女の稽古を取り仕切る館だけあって館内は男子禁制。
ボディガードであっても中へ入ることは許されず、結果、達也は深雪の稽古が終わるまでの間、近くの飲食店で時間を潰すのが定例となっている。
今夜、達也が選んだ店は街中から少し外れた場所に位置するカフェバーだった。
出入り口に近い窓際の席を選んで座り、メニューから飲み物だけをオーダーする。
店のオリジナルブレンドだというコーヒーを口に運びながら、達也はいつもなら取り出すはずの端末を開くこともせず、じっと液面に視線を落としていた。
考え込んでいるわけではない。ボーっとしているわけでもない。
自然体を保ちながらも意識の一部を明確に割いて、およそ15km離れた位置にいる妹を『精霊の眼』で捉え続ける。
深雪の傍を離れる際は必ず実行している行為。
妹に忍び寄る存在の有無を見張り、妹に害を為すものを一つとして近付けないために。
そうして張り巡らせた警戒網に、迫り来る敵の存在が浮かび上がった。
向かう先にいるのは守るべき妹ではなく、達也自身だ。
「護衛失格だな」と嘯いて、達也は支払いを済ませて立ち上がる。
店を出て東に歩き、送迎用の自走車を停めた駐車場に入った、その時――。
全体を黒く染め抜かれた刃が計4本、上下左右の死角から達也へ殺到した。