モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
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押し寄せる『屍食鬼』の群れに対し、駿は持ち前の早業で対抗していった。
加速系統の魔法ではない。魔法で操られた『屍食鬼』に失神を狙う《反転加速》は通用せず、代わりに相手を後方へ吹き飛ばす移動魔法を揮っている。
特定の方向への移動状態を付与された『屍食鬼』は近付くそばから遥か後方へ飛ばされ、惨劇の進行が一時的に食い止められていた。
ただ、それでも状況はじりじりと悪化の一途を辿る。
応戦する駿と警備員に対し、『屍食鬼』の性質はあまりに厄介だった。
『屍食鬼』とは魔法によって操られた死者の身体だ。
痛みを感じる精神はなく、欠損や出血によって意識を失うこともなく、致命的なダメージを負って倒れるまで動き続ける怪物である。
襲撃を受けたのが一高だったならこうまで苦戦しなかっただろう。
同じ高校生でも戦闘経験のある学生はそれなりにいて、正当防衛の成立する場面でならある程度強力な魔法も使用することができる。事実、ブランシュの襲撃を校内の戦力のみで退けたほどだ。
対して、バークレー校に通う学生のほとんどは戦闘を想定した訓練などしていない。
この学校で教えられている魔法は学術的、工学的な方面に偏っていて、戦闘に応用できる魔法はほとんどない。いざという時に自分の身を守れるだけの魔法はバークレー校のカリキュラムでは教えられていなかった。
法律の面から見てもUSNAでは魔法の使用に強い規制が敷かれている。
無断使用はもちろん正当防衛に類するケースであっても、魔法の使用には厳格な制限が掛けられているのだ。
自衛の手段として銃器が普及しているアメリカだからこそ、民間人が武力を持つことに対する警戒が強い。必然的にテロや暴力沙汰に対しては警察や警備員など、その道のプロが対応するという慣習が確立されていた。
駿が威力の高い魔法を使わないのはこうした理由のためだ。
《反転加速》が通用しないのは仕方ないとして、《ドライ・ブリザード》を使わないのは過剰防衛と見做される可能性が高いから。
立場と権限が保証されている警備員の放つ銃弾よりもいち学生に過ぎない駿の扱う魔法の方が厳しく規制される。それがUSNAにおける魔法師の立場だ。
だからこそ駿は確実に『屍食鬼』を鎮圧できる《ドライ・ブリザード》ではなく、身体的損傷を負わせる可能性の低い《
一時凌ぎにしかならないとわかっていても、駿にはそれしか手段がなかった。
◇ ◇ ◇
『屍食鬼』の集団は恐ろしいほどの圧力で押し寄せていた。
一人一人への対処はそう難しくはない。
問題なのはその人数で、2、3人を押し退ける間に4人が接近してくる状況ではどれだけ魔法を使ってもジリ貧だった。
頑丈さもふつうの人間とは一線を画し、たとえ骨が折れていても前に進める限りは動いてくる。まさしく往年のゾンビパニック映画そのものだ。
『屍食鬼』と交戦しているのは僕一人じゃない。
同じように門の外へ出てきた警備員も銃で対抗していて、徐々に手足の一部を失う個体が増えてきた。それでも片腕を失った程度なら構わず突進してくるので、後ろで縮こまった連中の悲鳴は増すばかりだ。
直前まで魔法排斥を訴えていた人間主義者たち。
理解できないものへの恐怖を耳障りの良い題目で飾っただけの排外主義。
科学的根拠もなければ、経済的、工業的、軍事的視野もない盲目的な思想の末路だ。
嫌悪しているとはっきり口にできる。
なのになぜ、僕は彼らを庇っているのか。
あれだけ『屍食鬼』には関わらないと決めたのに。
雫の心を傷付けてまで不干渉を貫くと決めたのに。
後悔するのはわかっていて、非合理的だとわかっていて。
だというのに、気付けば身体は門扉を跳び越えていた。
相容れないはずの人間主義者を背に庇い、守るように『屍食鬼』と矛を交えていた。
本当に矛盾もいいところだ。
関わるべきじゃないと言ったのに、自分から渦中に飛び込むなんて。
押し寄せる死者の軍団に銃口を向け、《反発》で後方へと押し退ける。
稼げるのはよくて数分。起き上がってくればまた迫ってくるに違いない。
実際、連中は呪術で操られただけの死者でありながら、まるで生きているかのように連携し距離を詰めてきた。
中には以前と同様に魔法を使う個体もいて、僕自身に向けられたものはまだしも自分以外がターゲットにされた魔法は対処にも相当苦労させられる。
素早く、しかし確実に魔法を撃ち込みながら、自分自身が捕まらないように。
背後の集団に向かわれないように、培ってきた経験と技術をつぎ込んで立ち回る。
矛盾しているとわかっていながら、それでも引き金を引く手は止まらない。
「……まったく。染みついた
思い浮かぶ理由は精々がそれぐらいで。
『彼』の目指した『
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恐慌する集団を背後に庇って戦う駿。
雫はそんな駿の姿を見て、どうしようもなく呆然としていた。
この日、カリフォルニア大学バークレー校の正門前で行われた抗議運動には200人ほどの人々が参加していた。
ほとんどは『人間主義者』と呼ばれる魔法排斥運動の先鋭集団。魔法は『人』が持つべき力ではないとし、神によって生み出された人間本来の姿であるべきだと主張する集団だ。
魔法師にとって彼ら人間主義者は相互理解不可能な相手であり、酷い場合には暴力を受けることもある警戒対象とされている。
そうした背景がありながら、けれど駿は一切の躊躇いなく彼らを背に庇った。
直前までの主張を忘れて門に縋りつく人々の前で『屍食鬼』に対していた。
『屍食鬼』に襲われる人がいても手は出さない。
そう語っていたはずの駿が、誰より先に『屍食鬼』の前に立った。
憤りはない。どころか、駿の行動に雫は一切の不思議を感じなかった。
傷付く人を放っておけない。
目の前にいるのが誰であれ迷うことなく助けようとする。
そんな姿を何度も見てきた。
その善性に何度も心を奪われた。
(私は、枷になってるのかな……)
支えになりたいと思った。役に立ちたいと思った。
けれどそんな自分の行動が、駿の理想の妨げになっているのではないか。
今、人々を庇って戦う駿の横顔に迷いは感じられない。
目の前の脅威から市民を守るのだと、それだけに集中できている。
『屍食鬼』へ手出しはしないと、そう語っていた時とは大きな差があるように見えた。
違うのは、そこに雫がいるかどうか。
雫を守るためには『屍食鬼』へ手を出せず、そうでなければ迷いなく市民を助けに行ける。
そんな事実を見せつけられているようで、雫はその場から動けなくなっていた。
危険な目に遭うのは覚悟していた。
駿が行く先なら、たとえどんな困難があっても付いて行こうと思った。
だが自分の所為で駿が要らぬ重荷を背負うとすれば話は別だ。
傍に居ることで駿が本懐を果たせなくなるのなら、それは雫にとっても本意ではない。
果たして、自分は駿の隣に居ていいのだろうか。
一度も抱いたことのなかった疑問が浮かび、足が地面に縫い付けられる。
相反する思いが胸の内でせめぎ合って、吐き出す息は次第に荒く早くなっていった。
握り込んだ手で胸を押さえる。
そうでもしていないと湧き上がった熱が溢れてしまいそうだった。
転機となったのは、校門とは別の方向から聞こえてきた悲鳴。
ハッとして振り向いた先からは大学の学生らしい男女が走ってきていて、一団の向こうからは事象改変の兆候が感じられた。
改変の定義は『指定した座標を中心に広がる外向きの運動状態の付与』。
《
大学の構内で、逃げる人に向けて魔法が放たれた。
つまり彼らの向こうに『屍食鬼』がいる可能性があるということだ。
この場に留まるのは危ない。
危機感が衝動を上回り、足を縛っていた硬直が解ける。
一歩、二歩と後退りした雫は胸に当てた手を強く握って足を止め、再び校門の方角へと目を向けた。
依然として『屍食鬼』の接近を食い止め続けている駿。
一向に止まらない勢いに焦れた様子もなく、真剣な表情で敵を迎え撃っている。
助けに行きたい。傍で守りたい。――そう意気込む一方で、
負担になりたくない。重荷になりたくない。――そうした弱気が頭をもたげる。
どちらも本心で、どちらも切実だった。
いずれにも蓋をして見ないふりで済ませることはできなかった。
迷って、躊躇って、恐怖して。
それでも駿が苦しげな表情を浮かべた瞬間、雫は校門の方向へと駆け出していた。
◇ ◇ ◇
「……! ……駿くん!」
ふと、甲高い悲鳴の隙間から聞き慣れた声が届いた。
《反発》の魔法を撃ち、跳びかかってくる男の手を潜って足を払う。
次弾の魔法で足下の男ごと二人を吹き飛ばし、生じた僅かな隙に目線だけを向ける。
いつの間に柵を乗り越えたのか、雫がこちらへ駆け寄ってきていた。
「来ちゃダメだ!」
言いながら引き金を引き、新たに迫った二人へ魔法式を撃ち込む。
左右それぞれから走ってきていた男が同時に吹き飛び、十数メートル先の路面を転がった。
「どうして来た。中にいる方が安全なのに」
一瞥だけ顔を向け、再び周囲の警戒に戻る。
正面から来る女の『屍食鬼』を来た道に突き返し、左側で警備員が撃ち漏らした男を路肩に停まっていた自走車のボンネットへ叩きつける。
「中にも入られた。こっちへ来たのは、その、君の傍にいた方が安全だと思ったから」
どことなく歯切れの悪い台詞に唇を噛む。
あるかもしれないとは思ったが、やはり別の場所からも襲撃してきていたのか。
本当はクラスメイトと一緒に逃げてもらいたかった。
カフェの前にいるのを見た時、一緒に安全な場所まで逃げてくれると期待した。
仮に校門を突破されたとしても、どこかへ立て籠もれば警察や軍の到着まで持ちこたえられるはずだから。
考える間にまた二人、『屍食鬼』へ《反発》を撃ち込んで吹き飛ばす。
もんどりうって飛んだ相手は路面の上を転がった後、何事もなかったかのように立ち上がった。
何度目かもわからない前進を敢行する連中の背後からは断続的に魔法式が撃ち込まれていて、主に非魔法師の警備員が《空気弾》や《スパーク》の脅威に晒されていた。
ジリ貧なのはわかっていた。
連中の放つ魔法をどうにかしないといずれ防衛線が破られてしまうのは明らかだった。
背に腹は代えられない。
僕のキャパシティでは広範囲に投げ込まれる魔法を止めることはできず、一方で雫の力量なら味方を《領域干渉》の盾で守ることが可能だ。
「連中の魔法を止めて欲しい。ただし、自分の身を守ることを最優先にしてくれ」
「任せて」
頷いた雫はすぐにCADを操作し、自身を《対物障壁》で囲った。
続けて別の起動式を読み込む。
一瞬の溜めの後で投射された魔法式は居並ぶ警備員たちを覆い、彼らに向けて放たれる魔法を不発にさせる。
「助かる。そのまま《領域干渉》の維持に集中するんだ」
言いながらCADの銃口を肩から血を流している男へ向けて《反発》を発動。
振り向いた傍からもう一度引き金を引き、雫の背後に迫る二人を吹き飛ばした。
その後も油断なく『屍食鬼』を押し返す時間が続いた。
雫の参戦は劣勢寄りだった均衡を挽回する威力があった。
魔法を操る個体に絞って展開された《領域干渉》が『屍食鬼』の攻め手を封じ、非魔法師の警備員たちの被害が軽減される。
崩壊寸前だった防衛線が立て直され、対照的に『屍食鬼』の勢いはすっかり鈍くなった。
かなり押し込まれた上に怪我人も出てしまったが、この分ならどうにか耐えきれるはず。
そんなことを考えた矢先のことだ。
不意に、金切り声が間近から響いた。
「
怒号とも悲鳴ともつかない声と共に背中を強く押される。
それだけで倒れるようなことはなかったものの、折悪しく正面からガタイの良い『屍食鬼』が迫り、迎撃のためにCADを構えたところへ更に衝撃が二つ背中へ叩きつけられた。
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『屍食鬼』の一人が警備員の銃弾によって倒れ、完全に動きを止める。
針の刺すような痛みが胸に走るのを感じながら、雫は歯を食いしばって《領域干渉》を維持し続けた。
残りは20人ほど。魔法を使う『屍食鬼』はあと4人。
終わりは見えてきたが、まだまだ油断するわけにはいかない。
緩みそうになる心を引き締め、雫は油断なく視線を巡らせる。
――直後、信じられない光景が目に映った。
『屍食鬼』の接近から市民を守ろうと立ちはだかった駿。
そんな彼の背は、庇ったはずの市民によって突き飛ばされた。
恐慌に顔を染めた女性の目は駿と『屍食鬼』とを同じ色の眼差しで睨んでいて。
両脇にいた青年と中年男性もまた、同じ怪物を見る目で駿の腰元に足を突きだした。
「嘘……」
守るべき民に背を蹴られた駿は勢いのまま、『屍食鬼』の一人とぶつかって倒れ込む。
慌てて《対物障壁》の起動式を読み出すも、時すでに遅く。
組み伏せられた駿の手から拳銃形態のCADが零れ落ちた。
駿へ馬乗りになったのは大柄な男の『屍食鬼』だった。
覆い被さる相手を留めるために両手は塞がれ、生来のリミッターが外れた膂力は鍛錬を重ねた駿であっても容易に覆せない。
「駿くん!」
もはや手段を選んではいられない。
守りに徹するという約束も頭から離れ、駿を助けるべく移動魔法のキーを押す。
右手を駿に向けて伸ばし、彼を襲う『屍食鬼』に狙いを定める。
起動式の読み込みが完了し、無意識領域で投射する魔法式の構築が進む。
一瞬にも満たない時間が今だけはもどかしく、焦りが雫の視野を著しく狭めた。
それが災いした。
「ガアァ!」
不意に間近から呻き声が聞こえ、視線が僅かに横へと流れる。
腹の膨れた中年男性が生気のない瞳で迫り、雫と駿との間に割って入っていた。
銃弾を浴びたのか、片耳から頬にかけてがごっそりと抉れていて。
生理的嫌悪が組み上げていた魔法の狙いをそちらへ逸らしてしまった。
魔法式が男へ作用し、《対物障壁》に取り付いた男が吹き飛ばされる。
開けた視界に駿へ噛みつこうとする男の姿が映っていて、間に合わないと直感が告げるまま張り裂けんばかりの悲鳴が口を衝く。
「だめっ!」
瞬間、伸ばした手の傍をいくつもの紙片が通り過ぎた。
先は丸く、手足は四角く。
人の姿を模られたそれは風に乗って飛翔し、馬乗りになった『屍食鬼』を始め多くの暴れる魔物の背へピタリと貼り付く。
やがて、胸に染み入るような声がどこからか聞こえてきた。
「
日本語だというのはすぐにわかった。
古式ゆかしい言の葉は狂気と悲鳴が渦巻く中にあって尚清々しく。
惹かれるまま振り返った先で、一人の少女が
「
陰惨な気に覆われた世界へ波紋が一つ広がった。
目に見えない存在が
たちまち『屍食鬼』たちは動きを止め、電源を切られたがごとく倒れていった。
散々に暴れ回っていたのが嘘のようだった。
唐突にもたらされた静寂は渦中にいたすべての人々から声を奪った。
驚きと困惑が漂う中、雫の見つめる先で少女はやれやれとばかりに息を吐く。
「何事かと見てみれば、まさか
深い海を思わせる髪色の彼女は小柄な身体でピンと胸を張ると、両手を腰に当てて雫へ顔を向ける。
「久しぶりじゃのう、雫」
「……沓子?」
およそ半年ぶりに対面した少女は、昨夏と変わらぬ無邪気な笑みを浮かべていた。