モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
今話からは幕間となります。
時系列的には地続きで、入学編から九校戦編までの間で3話を予定しています。
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5月に入ったばかりのある夜。
達也と深雪はリビングのソファに並んで腰かけ、遅めのティータイムを過ごしていた。達也の前には濃いめに淹れられたコーヒーが、深雪の前にはミルクティーが置かれ、どちらも半分ほどが消化されている。
普段であれば話に花を咲かせている時間と場所。
しかし今、兄妹の間には沈黙が漂っていた。
気まずいわけではない。疲れているわけでも、どちらかが機嫌を損ねているわけでもない。
ただ、達也は眉をひそめて何事かを考え込み、深雪はそんな兄を気遣わしげに見つめていた。
達也が何のために深く考え込んでいるのか、深雪は知っている。
自分を守るため。害する存在を排除するため。日常を損なうものを退けるためだ。
そして、達也はそれらの可能性があるものへ常に警戒を敷いている。警戒対象の情報を集め、事前に対策を講じ、或いは先手を打って排除する。
他ならぬ自分の為に全能を傾ける達也に、深雪は深い信頼と感謝を捧げてきた。
しかし今、目の前で物思いに耽る達也の姿は常とは違う苦悩を抱えているように見えた。
そしてその理由についてもまた、深雪には心当たりがあった。
「先生が仰っていたことを気にされているのですか」
「深雪……?」
兄の思索を遮る後ろめたさを感じながらも、深雪は訊ねずにいられなかった。
顔を上げた達也は深雪の畏まった態度を見て、自分がどれほど内にこもっていたのかに気付いた。
「すまない。少し考え事が過ぎたようだ」
「いえ、私も驚きましたから。まさか、彼が『あの場』にいたなんて……」
深雪の呟きがリビングの空気に溶けて消える。
釣られるように、達也も数時間前の記憶を思い返していた。
数時間前。
夕食を終え、普段なら一日の汗を流している頃、達也は深雪と共に夜の道を走っていた。
走るとはいっても自らの足ではなく、買ったばかりの電動二輪に跨って、だ。
2095年現在、バイクの運転免許取得に必要な資格は共通義務教育の終了のみ。つまり中学校を卒業した時点で、自動二輪車の運転免許を取得することが可能となる。
達也の腰には深雪の腕が巻き付いており、必要以上に密着した妹の柔らかい身体を認識することができていた。15歳の少女の平均以上に発育した身体に達也が動揺を覚える――などということはなく、どちらかといえば深雪の方が動悸を激しくさせていた。
とはいえ、走行時間はほんの10分程度。
あっという間のツーリングが終わり、ヘルメットを外した二人の前には見慣れた寺の山門があった。
九重寺――達也の体術の師匠、九重八雲の寺だ。
山門を通って境内へ進む。
毎朝修行で訪れる際には体術の訓練と称した門人による手荒い歓迎があるが、今回の訪問は修行の為ではない。どころか、八雲の方から誘われ、この時間にとアポイントを取った上で訪ねている。
だからといって出迎えがあるわけではなかったが、二人は勝手知ったる境内を歩き、八雲の待つ庫裏へと向かった。
八雲は以前訪れた時同様、縁側にいた。
相変わらず照明の落とされた庫裏の玄関から縁側へと回り込み、手を振って待つ八雲の前まで行く。
「こんばんは、師匠。お待たせしてしまいましたか?」
「先生、夜分遅くに失礼いたします」
「こんばんは、達也くん、深雪くん。時間通りだよ。それに呼びつけたのは僕の方だ」
常になく素直な回答を示す八雲に、達也は目礼で応えた。
八雲の口にした通り、今回は八雲の方から手の空いた時に訪れるよう言われていた。朝稽古の折に告げられた達也はその日が丁度予定のない日だったため、学校帰りに一報を入れ、深雪と共に八雲の下を訪れたのだった。
「それで師匠、お話というのは何でしょうか」
三人並んで縁側へ腰掛け、二言三言ほど世間話で場を温めた後、会話が途切れたタイミングで達也が切り出した。
何、と問いかけてはいるものの、達也は話の内容を正確に予想していた。
八雲は顎を撫でる仕草をした後、やれやれとでも言いたげに語りだした。
「君からの依頼で、例の剣術使いを調べてみた。そうしたら少し面倒そうな事情が見えてしまったから、早めに教えておこうと思ったのさ」
達也が訝しげな眼差しを向ける。深雪の表情にも陰りが見え、八雲の話に不安を抱いていることが察せられた。
八雲はそんな二人を宥めることなく続きを口にした。
「久沙凪煉。京都に本拠を構えた刀工集団を先祖に持つ古式魔法師。久沙凪家はかつて魔法技能師開発第九研究所――第九研の研究に参加した功績を持って数字を与えられた一族だったんだけど、色々あって数年で数字を剥奪されてしまったんだ」
『
魔法師が兵器であり実験体であった頃、『成功例』として輩出された後に様々な理由で数字を剥奪された魔法師が捺された烙印。剥奪される理由は様々で、期待の能力を発揮できない、重大な任務の失敗、反逆の罪など。
かつては忌避、蔑視の対象とされ、魔法師コミュニティにおいて不遇な扱いを受けていたが、近年ではこのように差別的な扱いをすることは重大な非違行為とされている。
本来、これは魔法界における闇の一部で、軽々しく口にできる内容ではない。
にもかかわらず、八雲は話の冒頭から口にした。達也と深雪はそんな八雲の切り出し方から、この話が想像以上に重い内容になると予想した。
八雲の言葉は続く。
「彼はそんな久沙凪家の長男として生まれ、一族の技を受け継ぎ、魔法師としても剣術家としても、相当に名を高めていたそうだ。少なくとも、2年前までは」
2年前――。
意味深に区切られた言葉の理由を、達也はこれまでの八雲との会話から探った。
そうして達也は、前回八雲の下を訪れた際に聞かされていたことを思い出した。
「師匠、それは以前お話し頂いた森崎の経歴と結びつくことがあるのですか?」
八雲が振り向く。
細い目が達也を捉え、「正解」とでも言わんばかりに揺れた。
「森崎君は過去に二度、
深雪が細く息を呑む。森崎の辿った経歴について詳しいことはわからないものの、人が変わったと言われるほどの『何か』があったのだという。
八雲の語り口。一高を襲撃したテロリストとの関係。そして森崎の性格の豹変。
どれ一つとっても不吉なことが、一つに繋がっているのだとしたら、これから語られる話は相応の痛みを伴うだろう。
それを直感して、深雪は心を強く保つための準備を整えた。
「2年前の京都で何があったのか。僕は語る口を持たない。僕から語るべきことではないし、君たちにとっても僕から知るべきことではないと思うからね。ただ、結果だけを告げるのであれば――」
八雲はそこで一呼吸置き、あくまで平静な声で、淡々と告げた。
「久沙凪の一族は長子の煉くんを除いて全員が亡くなった。その中には煉くんの妹、
二人の反応はない。達也は沈黙を選び、深雪は言葉を失っていた。
八雲はそんな二人を気にした素振りもなく、もう一言だけを付け加えた。
「事件当時、煉くんは実家を離れていてね。彼が戻ったときにはすでに遺体は警察署へ運ばれていたそうだ。両親と妹、親戚や弟子たちの亡骸を前に、彼はなにを思っただろうね。しかもそこにただ一人生き残った『よそ者』がいたと知ったら……」
「師匠」
達也が八雲の声を遮る。八雲の細められた目が達也を捉え、それから達也の隣の深雪へと移ったところで、八雲は苦笑いを浮かべて頭を撫でた。
「悪い悪い。つい夢中になってしまった」
「いえ、俺の方こそ失礼な真似を」
達也が軽く頭を下げる。
その横で、深雪が思い詰めたような顔をしているのが八雲にも見えていた。
八雲はそれまでよりも軽い口調で続く話題にシフトした。
「久沙凪煉の素性はともかくとして、彼には気を付けた方がいい。千葉家とは異なる体系の剣術を用いる上、現代魔法にも通じている。でも、特に注意すべきは彼の『目』だよ」
『目』と言われて、達也はそれが何を意味しているのかを正確に悟る。
「どの程度
「達也くんのクラスメイトに準じるくらい、かな。そして彼はその目を完全に制御している。情報次元に投射された魔法式を視覚的に捉えられるくらいにね。彼の一族は、この目を『天眼』と呼んでいたそうだよ」
八雲の忠告を受けて、達也はじっと考えを巡らせた後、八雲へ一礼した。
「ありがとうございます。とても参考になりました」
「いや、気にする必要はないよ」
そう言った八雲の態度はただ謙遜しているものではなかった。
事実、八雲が達也の依頼に応えてみせたのは、それが彼にとっても必要なことだからだ。
「事情があってね。君に協力するのは僕にとっても都合がいいんだ」
だが達也はこれに疑問を覚えた。
「俗世には関わらないようにされているのではなかったのですか?」
「僕もそのつもりだったんだけどね……」
苦笑いで禿頭を撫でる八雲に、達也はそれ以上の追及をしなかった。
「では久沙凪の件について、また力をお借りできると考えていいんですね?」
「そう取ってもらって構わないよ」
代わりの問いは、八雲の立場を明確にするためのもの。
いずれ脅威となり得る相手に対し継続して八雲の協力が得られるのであれば、それは達也にとって大きな力となる。八雲の情報収集能力はそれだけ大きなものだ。
八雲に借りを作ることになる。それがわかっていても、達也はこの件に関して現状八雲を頼る他ない。
他に頼ることが可能な『当て』がないこともないが、どれも八雲以上に『高く付く』ことが予想される。そういう意味では、八雲が協力的なのは嬉しい誤算だとも言えた。
達也は再度一礼して、師に対する謝意を示した。
深雪もその頃には落ち着きを取り戻していて、同じように一礼を返した。
話はそれで終わりなはずだった。
八雲に調査を依頼したのは久沙凪煉についてのみ。他の人物、例えば同級生の男子生徒に関してはこれ以上の調査は必要ないと思っていた。
だが帰り際、何気なしに放たれた一言は、兄妹へこの夜一番の衝撃を与えた。
同時に、彼に対する警戒の必要性を再認識せざるを得ない代物だった。
「ああ、そうそう。例の森崎くんのことだけどね」
「二年前、彼は京都にいたと話したけど、三年前の方は言ってなかったね」
「三年前の夏、彼は沖縄にいたようだよ。――君たちと同じように」
森崎駿が三年前の大亜連合による沖縄侵攻に関わっているかもしれない。
八雲から齎されたその情報は、兄妹へ小さくない困惑を与えた。
沖縄での一件は、達也にとっても深雪にとっても大きな出来事だった。
達也にとっては力不足を痛感し、同時に大きな縁に恵まれた一件。
深雪にとっては兄に命を救われ、同時に兄の力を知ることとなった一件。
どちらにとっても大きな出来事であり、また大事な人物を失くした時でもある。
そこに、森崎駿がいたかもしれない。
断定はできない。沖縄と一口に言っても決して狭い土地ではない。大亜連合による侵攻は名護市の北西からで、達也の活躍もあってその日のうちに撃退された。侵攻を知りながら関わることなく過ごした者も少なくはない。
だが八雲は森崎が過去に二度、人が変わったように思えるほど性格が変化したことがあると言っていた。その内一度は二年前の京都で、もう一度は三年前の夏だと。
三年前の夏、森崎は沖縄に居た。そして同時期に性格が変わるほどの『何か』があった。
そう八雲に言われて尚、彼が戦闘に巻き込まれていないと考えるのは荒唐無稽だろう。論理的に考えるのであれば、森崎はこの沖縄侵攻作戦に何らかの形で関わり、その結果、性格に何がしかの変化をきたしたと考えるのが自然だ。
そうだとすれば、達也が考えるべきなのは森崎がそこで何を見たかということ。
もし、深雪が母である
もし、達也が戦場に立っていた姿を見られていたとしたら。
達也は意思とは裏腹に、森崎に対する警戒度を引き上げる必要性を感じていた。
元より、森崎は彼の周囲の人間の中でも特に警戒すべき人物の一人だ。
磨き抜かれたCAD操作技術と照準補正機能を必要としない驚異的な精度を併せ持ち、無系統魔法や各種系統魔法など戦闘に使用できる魔法の手札も多い。本人の性格的な適性はともかく、能力だけで言えば魔法師を含む対人戦闘のスペシャリストになり得る人材だ。
また観察力に優れ、未だ正体の掴めない情報網を持っている可能性があることからも、下手に情報を与えられない要注意人物でもある。
その上で、沖縄の一件を知っている可能性がある。自分と深雪が四葉や軍に関わりがあると知っている可能性がある。到底放っておけることではなく、最悪の場合は本家に報告する必要すらある事態だった。
だが、達也は葛藤していた。
強い感情を奪われ、情に絆されることがない達也がそれでも悩むのだ。
「お兄様は、森崎くんをどう思われているのですか?」
抽象的な問いかけだった。
人柄ではなく、信用に足るかでもなく、能力を問うのでもない。
常であれば苦笑いを浮かべるような問いに、けれど達也も真剣な顔で答えた。
「俺はあいつを好ましく思っている」
兄の答えに、問いかけたはずの深雪が驚きの表情を浮かべた。
「以前、森崎が言っていた。自分は干渉力も規模もそれほどなく、マルチキャストも二種類までで、だから速さと精度を鍛えるしかなかったと。それで深雪に次ぐ実技成績を収めているのだから、その努力量は計り知れない」
それは深雪の知り得ていなかったことだ。
処理速度に優れていることは知っていた。干渉力が人並みだということも知っていた。兄は知らないが、サイオン量も抜きんでて多いというわけではないことも知っている。だがそれ以外の、規模やマルチキャストについてなどは知らなかった。
仮に深雪が森崎と同じ境遇にあったとして、果たして入試で実技2位の成績を収められるほど並外れた努力ができるだろうか。
兄という味方がいたとしても、それだけストイックに自身を高める努力ができただろうか。
内心で首を振る深雪の隣で、達也は言葉を続ける。
「『有志同盟』の活動を見てより強く感じた。心の弱さに溺れ、耳障りのいい言葉で自分を誤魔化す連中が多い一方、あいつは自らの才能と真摯に向き合い、己ができることを突き詰めてきたんだ。共感できる部分は多く、人として信用に足る人物だと思う」
「……私も、森崎くんのことは立派な方だと思います」
継いで、深雪が自身の考えを口にした。
「戦うために魔法の研鑽を積んでいるのだと聞いた時はついカッとなってしまいましたが、彼の行動、姿勢、想いに触れる度、なんだか恥ずかしくなってしまいました」
自らの早合点を恥じるように俯く。
そんな深雪の手に達也の手が重ねられると、深雪は笑みを零して続けた。
「最終的な判断はお兄様がお決めになられてください。深雪はお兄様の判断を尊重します。その上で我儘を申し上げるなら、友好な関係を築きたいです。私にとっても、お兄様にとっても、彼は得難い人となってくれると思うのです」
至近距離で、達也と深雪が見つめ合う。
兄妹というには近く、恋人というには遠い距離間で視線を交わす二人は、どちらもが一人の少年について想いを馳せていた。
疑いは晴れず、警戒も解けず、けれど