モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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 大変お待たせしました。

 今回は肌色成分多めな話となっています。



 ……女子高生の恋バナってこんな感じでいいのだろうか。
 
 
 
 
 
 


第8話

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 8月2日 夜

 

 時計の短針が『十』の位置に差し掛かろうかという頃、第一高校一年女子メンバーはホテルの部屋を離れ、とある場所へとやってきていた。

 

 立ち上る白い湯気と、仄かに薫る独特な匂い。場所が場所だけに広さはそれほどでもないが、それでも女子高生の十人程度なら優に足を伸ばせる浴槽。シャワーブースは個別に仕切られており、小さいがサウナまでもが用意されている。

 

 文字通り彼女たちの貸し切りとされたそこは大浴場――人工の温泉である。

 

 

 

 開会式を明朝に控えたこの時間、本選出場を控えた上級生たちは既にベッドへ横になり、来るべき時に備えて身体を休めている。

 一方で一年生の出場する新人戦は大会の4日目からが本番だ。まだ出番の遠い彼女らは緊張も薄く、多少の夜更かしをするくらいにはエネルギーが有り余っていた。

 深雪やほのか、雫もそれは同じで、眠る先輩陣に配慮して声は抑えつつも、お喋りに興じる口が閉じられるにはまだまだ物足りていなかった。

 

 そんな三人のもとへやって来たのが、同じ一年女子代表の英美である。

 彼女は里美スバルや滝川和実、春日菜々美らと共に三人の下を訪れ、無邪気な笑みを浮かべて言った。

 

 地下に温泉があるので一緒に行かないか、と。

 

 初めは深雪たちも困惑した。このホテルは国防軍の施設であり、温泉も軍関係者が保養のために利用する場所のはず。高校生である自分たちが利用していいものなのか。

 また、深雪はこの温泉を利用する際には水着が必要だと資料から知っていた。いくら夏だとはいえ、九校戦の会場に水着など持ってきていない。ほのかも雫もそれは同様だった。

 

 しかし、英美はそれらの疑問について掛け合い済みで、十一時までであれば利用可能であること、湯着の貸し出しを受けられることを得意げに語ってみせた。

 英美のフットワークの軽さに唖然とした深雪たちだったが、使っていいというものを固辞する理由はない。加えて温泉自体には彼女たちも心惹かれるものがあった。

 

 結果、やや遅い時間ではあったが、彼女たちは大浴場へと繰り出したのだ。

 

 

 

「わぁ」

 

 シャワーブースで一通り身体を流したほのかは、湯着を纏って浴場へ入るなり英美のため息に出迎えられた。

 

「な、なによ……」

 

 思わず胸元を隠すようにして足を止めるほのか。英美の視線は躊躇いなくそこへ向いていて、不穏な気配と羞恥を感じたほのかの腕は自然と動いていた。

 

 ただ温泉に入るだけであればこうはならない。異性の目には晒せない格好だったが、この場にいるのは同性だけ。それも気心の知れたチームメイトだ。湯着もあるので裸というわけでもなし、本来なら気にせず湯に足を踏み入れていただろう。

 

 しかし今、ほのかの脳内には警鐘が鳴り響いていた。

 

「前から思ってたけど、ほのかって発育がいいよねぇ」

 

 じりじりとにじり寄る英美。

 逃れるように後ずさりするほのか。

 

 間もなく浴室の壁際に追い込まれたほのかへ、目前で立ち止まった英美が笑いかけた。

 

「ほのか」

 

 英美から滲み出る不穏な雰囲気に、ほのかは固唾を呑んだ。

 英美は悪戯な笑みを浮かべたまま両手を持ち上げると、じゃれつく子熊のようにほのかへ襲い掛かる。

 

「揉ませろー」

「きゃああ!」

 

 悲鳴を上げて逃れようとするも、英美はいつになく機敏な動きでほのかの背後へ回り込み、抱き込むように手を伸ばした。

 

「ちょっ、止めてっ……。雫、助けて!」

 

 振りほどこうにも巧みに身を躱す英美に、ほのかは親友へ助けを求めた。

 面白おかしく見守る面々の中、唯一表情の変わっていなかった雫はしかし、おもむろに湯舟から立ち上がると、二人とは別の方向へ踏み出して言った。

 

「いいんじゃない?」

「なんで!?」

 

 思わぬ親友の裏切りに、ほのかが悲痛な叫びを上げる。

 雫は一度ほのかへ目を向け、チラッと自らの胸元へ視線を落とすと、湯着の上から両手を当て哀しげに息を吐いた。

 

「ほのかは胸、大きいんだから」

 

 それきり、雫はサウナへと入っていった。

 残されたほのかは絶望を表情に浮かべ、逆に英美は嬉々として笑う。

 

「雫の許可も出たところで、遠慮なく♪」

 

 直後、室内にほのかの悲鳴が響き渡るのだった。

 

 

 

 一方その頃、深雪はシャワーブースでゆっくりと身体を流しているところだった。

 既に部屋のユニットバスで入浴は済ませていたものの、性格と育ちの良さが由来してか、深雪は手順通りに全身を洗い流していく。

 だからこそ、他のメンバーが軒並み浴槽へ向かった後も一人シャワーを浴びており、ほのかの悲鳴が聞こえた際も「何を騒いでいるのかしら」とブース内で首を傾げていた。

 

 長い髪をアップに纏め、湯着に袖を通した深雪がシャワーブースを後にする。

 一応は騒動の収まった浴室を見渡すと、疲れた様子のほのかとニヤニヤ笑いを浮かべる英美、そしてそんな二人を眺めるメンバーの姿があった。

 

「どうしたの? あまり騒ぎすぎると、貸してくださった軍の方へ失礼になるでしょう」

 

 言いながら近付くと、一同の視線が一斉に深雪の肢体へ注がれた。

 ただ見るだけならまだしも、どこか熱を孕んだような眼差しにはさしもの深雪も足を止めてしまう。

 

「な、なに?」

 

 訊ねると、彼女たちは困ったように笑みを浮かべた。

 

「いやぁ、ゴメンゴメン。つい見惚れてしまったよ」

 

 一番端で湯舟の淵に腰かけていたスバルがハスキーボイスでそう言うと、深雪もようやく彼女たちの眼差しの理由に気が付いた。

 

「ちょっと、女の子同士で何を言っているの?」

 

 反射的に身を捩る深雪。胸元と内股を隠すように身体を抱き、恥じらいを顔に浮かべる深雪の姿は、同性である彼女たちをして魅了する色香を醸し出していた。

 

「女の子同士……。うん。わかってはいるんだけどね」

「なんというか、性別なんて関係ないと思えてくるよね」

 

 のぼせているかのように頬を染める一同。

 中にはもじもじと身体を揺らす者や、ごくりと生唾を飲むような者もいた。

 

「もう、からかうのもいい加減にして」

 

 半ば振り切るようにそう言って、深雪は湯の中へと足を踏み入れる。口調や表情とは裏腹に上品な仕草で湯に浸かる彼女の姿は、周囲の少女たちを更なる混迷へと陥れた。

 

 そんな中、唯一の被害者(?)仲間であるほのかが深雪を庇うように隣へと進み出る。

 

「深雪、私は味方だからね!」

 

 背中に深雪を庇ったほのかは断固とした表情で一同を見渡し、まるで危機感に背を押されたような勢いで宣言した。

 

「いい加減にしないと、ここにいるみんな、冷水浴する羽目になるわよ!」

 

 瞬間、少女たちの顔に浮かんでいた熱が急速冷凍された。神妙な顔になって深雪から目を逸らし、続々と肩まで温水に浸かる。

 明後日の方向へ顔を向ける彼女たちは「絶対にない」とは言えない未来予想に口を閉ざしつつも、意識は変わらず深雪の煽情的な雰囲気に引き寄せられていた。

 

 一方の深雪も、ほのかが口にした文句やまるで冷えた身体を温めるかのようなその仕草には思うところがあったものの、否定すればそれはそれで先程の妙な空気に戻ってしまうかもしれない。

 

 結果、何とも言えない表情の深雪も、気まずげな英美たちも閉口することしかできなかった。唯一ほのかが安堵の息を吐くのみで、辺りには水音だけが残った。

 

「……どうしたの?」

 

 微妙な沈黙は、何も知らない雫が素朴な問いを投げ込むまで続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 本来の調子を取り戻してしまえば、彼女たちの間に賑やかな会話が広がるのはあっという間だった。

 そして年頃の少女たちが旅先でする会話といえば、その大部分を占めるのがオシャレや恋愛話であるのは今も昔も変わらない。

 

「――でさ、そのバーテンさんが素敵な小父様だったのよ」

「あの人、明らかに四十歳超えてたじゃない。中年趣味ってやつ?」

「ナイスミドルと言って欲しいなぁ。あたしに言わせれば、高校生なんて子供よ。てんで頼りにならない感じ」

「そうかなぁ。同じ年頃の男の子、みんなが頼りにならないとは思わないけど」

「うんうん。五十里先輩なんて包容力ありそうじゃん。何より優しそうだし」

「彼女持ちを好きになっても虚しいだけだと思うよ? 五十里先輩の場合、彼女よりもさらに進んで婚約者だけどね」

「頼りになるって言ったら十文字先輩じゃない?」

「いやぁ、十文字先輩は頼りになり過ぎでしょ。見た目もそうだけど、十師族の跡取りだよ、あの人」

 

 快活でいて容赦なく、ざっくばらんに語られる少女たちの会話は、同性だけのリラックスできる空間だからこそのもの。或いは肌に心地良い湯の感触が彼女たちの箍を緩めているのかもしれない。

 

「十師族の跡取りといえば、三高に一条の跡取りがいたよね?」

「あ、見た見た。けっこういい男だったね」

「うん。男は外見だけじゃないけどさ、外見も良ければ言うことないよね」

 

 そんな賑やかしい歓談の中、ふと思い出したように英美が切り出す。

 

「三高の一条くんっていえば、彼、深雪のことを熱い眼差しで見てたね」

 

 英美の一言に、周囲の目がきらりと光った。

 

 深雪の容姿が飛び抜けていることはこの場の全員が認めるところだが、一条将輝といえばその深雪に見劣りせずにいられる逸材。ティーンエイジャーたる彼女たちの想像は大いに掻き立てられた。

 

「もしかして、一目惚れかな?」

「深雪だったらありそうだよね」

「むしろ深雪に惹かれない男の方がおかしい」

「実は前から知り合いだったりして」

 

 黄色い歓声が上がり、当の深雪は困ったような笑みを浮かべた。

 否応なく高まる期待に若干辟易しつつ、深雪は正直に答える。

 

「一条くんのことは写真でしか見たことないわ。会場のどこにいたのかも気付かなかった」

 

 一刀両断。本人が耳にすればそれだけで調子を崩しかねない回答だ。

 英美はその容赦ない一言に、他人事ながら一条将輝へ同情の念を抱いた。

 

「あちゃー、三高のプリンスでも駄目かぁ」

 

 苦笑いを浮かべる英美。他のメンバーも期待外れな感は抱きつつ、「まあ深雪だし、仕方ないか」と納得する。深雪の普段の姿を知ればこそ、他校の生徒が眼中にないことくらいは容易に予想することができた。

 

「じゃあ、深雪の好みってどんな人? やっぱり、お兄さんみたいな人が好みかい?」

 

 スバルの台詞は一同の抱いた予想に基づく問いだ。疑問というよりも答え合わせをするためという意味合いが強い。完全な肯定とはいかないまでも、思わせぶりな回答くらいは期待できると踏んでのものである。

 

 しかし、予想に反して深雪の表情は平静なままだった。

 

「何を期待しているのか知らないけど、私とお兄様は実の兄妹よ。恋愛対象として見たことなんてないから。それに、お兄様のような人が他にいるとも思っていないわ」

「そっか。まあ彼程大人びた人がお兄さんじゃしょうがないのかな」

「頭が良くて仕事もできて、とても同じ一年生とは思えないもんね」

「いやいや。先輩たちを含めても、あの風格の持ち主はなかなかいないよ」

 

 呆れたようにため息まで吐いて言った深雪に、スバルは残念とばかりに肩を竦めた。他のメンバーも苦笑いを浮かべて乾いた笑いを漏らしている。

 

 一方、ほのかと雫は深雪の言葉へ素直に納得することはできなかった。

 深雪が嘘を吐いているとは思えない。けれど深雪が達也へ向ける感情が「兄妹だから」というだけで収まるものとも思えなかった。

 深雪本人も気付いていない、或いは気付かないふりをしているだけで、それ以上の感情があるのではないか。そう思えてならなかった。

 

 スバルの問いの際、ほのかは一瞬だけ身体を震わせていた。

 すぐ隣にいた雫だけがそれに気付き、ほのかの想いを知っているからこそ、雫は震えの理由に思い至ることができたのだ。

 

 もしも自分だったらどう思うだろうか。

 漠然と考えていた雫は、直後の話題に意識を引き戻される。

 

「んー、あたしは森崎くんとかイイ線行ってると思うけどなぁ」

「あ、それ私も思った。落ち着いてるところとか、雰囲気がけっこう似てるよね」

「昨日のバスの時みたいに頼りにもなるし。ね、雫?」

 

 不意打ちで名前を呼ばれ、視線を受けた雫は明確な反応を見せた。

 感情の窺いにくい表情はそのままに、僅かに俯いた頬が赤く染まる。温泉の熱気に中てられてというだけではないだろう。

 

 控えめながらも素直な反応に、周りのメンバーも笑みを深める。

 普段何かとクールな雫の恥じらう姿は、同性の彼女たちをして心をくすぐられるものがあった。

 

「……そうだ。森崎のことで一つ先輩から聞いたんだけど」

 

 弛緩した雰囲気の中、誰かが呟いた一言は彼女たちの好奇心を大いに刺激した。

 

「三高の一年生に一条の御曹司がいるって話だったでしょ。実はもう一人、二十八家出身の人がいるのよ」

 

 最初に食いついたのは一色愛梨と同じクラウド・ボールに出場する春日菜々美だった。

 

「知ってる。一色家のご令嬢でしょ。リーブル・エペーの大会で何度も優勝してるって有名な」

「深雪に挨拶してきた人だよね。すごく丁寧な挨拶だったし、さすがは師補十八家のお嬢様だなーって思った」

 

 ほのかも続いて語る。脳裏には昨晩の懇親会での一幕が浮かんできた。

 

 懇親会の最中、一色愛梨は自ら深雪へ声を掛けに来た。

 優雅でありながら芯の強さも感じられる立ち居振る舞いは深雪を前にしても揺らぐことなく、名家の令嬢と呼ぶに相応しい風格をほのかは感じていた。

 

(寧ろ一色家のご令嬢にも劣らない振る舞いができる深雪が凄い、のかな?)

 

 不意に浮かんだ疑問はしかし、続く言葉に吹き飛ばされてしまった。

 

「うん。その一色さんなんだけど、実は懇親会で森崎をスカウトしたらしいよ」

 

 直後、またしても黄色い歓声が漏れ出た。

 

 そして今度は雫の身体が硬直したことに、ほのかだけが気付いた。

 相変わらず表情の変化がわかりづらい幼馴染の、その内心の動揺がはっきりと窺い知ることができた。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 開会式を翌日に控えた静かな夜。

 午前0時が迫る頃、僕はホテルの屋上を訪れた。

 

 季節柄、真夜中であってもそれほど気温は下がらない。ラフなシャツ姿でも肌寒さを感じることはなく、逆に昼間のような体力を奪われるほどの暑さもない。時折吹く夜風を浴びながらじっと眼下を眺めるには丁度いい気温だった。

 

 落下防止柵の手前、庭が見渡せる位置を見定めて手すりに寄りかかる。

 露骨にならぬようさりげなく、けれど確実に成り行きが見えるよう視線は外さずに。具体的な時間のわからない『それ』が起きるのを待つ。

 

 原作ではこの日、この時間に、無頭竜の工作員と思しき連中がホテルの敷地内への侵入を画策していた。

 相手は拳銃で武装した魔法師と思しき賊三人。偶然これに遭遇した達也は、居合わせた幹比古と共にこれを昏倒させ、国防軍に引き渡して事なきを得るというのが原作の流れだ。

 

 その過程において達也は幹比古の抱える悩みに行き当たり、解決のための助言することになる。これにより幹比古は事故によって陥っていたスランプから抜け出し、本来の実力を発揮できるようになった。

 

 幹比古が抱える悩み、スランプだと本人が思っている症状は、今夜の一件を皮切りに解決へと向かうようになる。彼の操る精霊魔法は隠密性に優れ、応用の幅が広い強力な魔法だ。秋の横浜のためにも、幹比古には原作通り立ち直ってもらわなくてはならない。

 

 遠く庭の一角で『修行』に励む幹比古の姿を見つめる。

 茂みと木々の間にどうにか見える程度ではあるものの、戦闘ともなれば動きを追うこともできるだろう。そうと知らなければ何をしているかもわからない距離ではあるが、いるとわかっていて見失うほどではない。

 

 なんてことはない。僕がここにいるのはただの保険に過ぎないのだ。賊は達也と幹比古の二人だけで倒すことができるし、後始末も国防軍が引き受けてくれる。CADまで持ち出して夜風に当たっている意味はほとんどない。

 

 それでも、筋書が変わる可能性を考えれば、ここに来ないという選択肢はなかった。

 万に一つでも原作と違う流れとなって幹比古に危険が及ぶのなら、僕は迷うことなく助けに入る。そのためにここを訪れたのだ。

 

 ふと、頭の中に昨晩の一件が浮かんでくる。

 

『そう畏まらないでください。私たちはただの高校生(・・・・・・)。九校戦の選手としても対等な関係なのだから』

『単刀直入に言います。第三高校に転入する気はないかしら?』

 

 何やら含みのある発言と、およそ初対面とは思えない友好的な姿勢を見せた一色愛梨。適性や才能を評価しての勧誘らしいが、それだけでは収まらない熱意をも感じた。

 

 そしてもう一人――。

 

『いやなに、おぬしは随分と難儀な『器』をしておるなと、そう思ったのじゃよ』

 

 訳知り顔で笑った四十九院沓子。警戒度という意味ではこちらの方が遥かに上だ。

 こちらの秘密を見抜いたかのように的確な言葉は、単なる『前世』持ちというだけでは説明がつかない。

 

 と、そこまで考えたところで、駐車場の方から達也が歩いてくるのが目に入った。

 CADの調整作業を終えて部屋へ戻るのだろう。ホテルの外周をゆっくり歩きながら、エントランス方面へと向かっている。

 

 原作の達也はホテルへ戻る道すがら侵入者の存在を察知し、同じく侵入者に気付いた幹比古と共に連中を捕らえていた。全く同じように推移するのであれば、間もなく賊が現れ、達也と幹比古の二人が動き出すはず。

 

 固唾を呑んで状況を見守る。

 

 変わらず歩き続ける達也と、未だ動かない幹比古。

 二人は特に何かに気付いた様子もなく1分が経ち、2分が経ち……。

 

 

 

 何も起こらないまま、5分が経過した。

 

 

 

 10分が経過して、達也がホテルへ入った時、自然と握り拳ができていた。

 

 30分が経過して、幹比古が『修行』を終えた時、食い込んだ爪で血が滲んでいた。

 

 2時間が経過して、虫の声しか聞こえなくなった時、柵に背中を預けて座り込んでいた。

 

 数時間が経過して、東の空が白み始めた時、僕はようやく屋上を後にした。

 

 

 

 何事もなく済めばいいと思っていた。

 だが何事も起こらないとは思わなかった。

 達也と幹比古は顔を合わせることすらなく、それ故に達也が幹比古へのアドバイスを仄めかす機会も失われてしまった。

 

 これが後々どんな影響を及ぼすか。

 少なくとも幹比古が力を取り戻すタイミングは変わる可能性が高い。下手をすればこの九校戦の間だけでは間に合わないかもしれない。

 

 何故、変わったのか。

 答えの出ない疑問が頭の中を巡り続け、気付いたときには自室の前に立っていた。音を立てないよう中へ入り、ベッドに腰かけて手元へ視線を落とす。

 

 

 

 結局、この日は眠気が訪れてくることはなかった。

 

 

 

 




 
 
 
 諸々の事情により、更新ペースは今後更に遅くなる可能性があります。
 気長にお待ち頂けると幸いです。

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