モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第12話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「小早川先輩、お疲れ様です。本当に惜しいレースでしたね」

「森崎……。そうね。悔しいけど、あと一歩足りなかった」

 

 制服姿で会場から出てきた小早川先輩へ声を掛ける。

 口惜しげに唸る彼女は、直前の準決勝第1レースで三高の選手に惜しくも敗れ、決勝進出を逃していた。3位決定戦に進むことはできたのだが、決勝で渡辺委員長と対戦することを望んでいた小早川先輩にとっては本当に悔しい結果だろう。

 

 幹比古に達也へ相談するよう持ち掛けた夜から、明けて翌日。試合前の渡辺委員長と話をするため、バトル・ボード会場の関係者入り口前で待っていた僕は、丁度レースを終えて出てきた小早川先輩と鉢合わせた。

 眉を顰めて視線を落とす小早川先輩の表情は練習中にも何度か目にしたもので、だからこそ見て見ぬふりはできなかった。

 

 小早川先輩の悔しさはよく分かる。

 本質的には全く別物なんだとしても、その一端は痛いほどに理解できた。

 

 届かないものにそれでもと手を伸ばし、もう少しがどうしようもなく遠い。

 諦められるほど物分かりはよくなくて、壁を壊すには何もかもが足りない。

 

 脳裏に三つの人影が浮かぶ。女性が一人、少女が一人、そして青年が一人。三人の影はぼんやりとした輪郭だけが揺れていて、間もなく溶けるように消えていく。

 胸の奥、深く沈めた内側から、一度だけ小さな拍動が届いた気がした。

 

 そのとき、ふと小早川先輩の隣に誰かが並んだ。

 拳を握り、口を引き結ぶ彼女の肩に手が置かれ、宥めるように軽く叩く。困った顔で笑うその人は、彼女の担当エンジニアを務めていた平河先輩だった。

 

「仕方ないわ。相手は優勝候補の一角。それも水を介した魔法を得意としていたんだから。それよりもまずは確実に3位を取って、ミラージでリベンジすることを考えましょう」

 

 平河先輩がそう言うと、小早川先輩は少しの間眉を顰め、やがて勝気な笑みを浮かべる。

 

「確かにそうだな。ついでに渡辺も下して優勝してしまえばいい」

「ええ。その意気よ」

 

 闘志を滾らせる小早川先輩と、それをニコニコと見守る平河先輩。

 原作で語られなかった二人のやり取りはとても温かいもので、この関係が変わらず続いて欲しいと願わずにはいられない。

 

「森崎くんも、ありがとう」

 

 不意に、平河先輩が振り返ってそう言った。

 突然のお礼には困惑が先に立ち、返答に窮してしまう。

 

「景子が3位決定戦に進めたのは、君のアドバイスのお陰でもあると思う。だから、ありがとう」

「そんな、お礼を言われるようなことは何も……。僕はただ、お二人が意見を交わす様子を見て疑問に思ったことを口にしただけですから」

 

 実際、僕が何をするまでもなく、小早川先輩は同じ成績を残せていたはずなのだ。決勝に進めたのならともかく、お礼を言われるほどの貢献ができたとは思えない。

 

 すると、今度は小早川先輩までもがやれやれといったように首を振る。

 

「謙遜するな。森崎の意見は尤もなものだった。あたしも小春も、波乗り用のCADは汎用型しかないと思っていた。同系統に絞って魔法を選べば特化型が使えるなどと、考えもしなかったよ」

「実際、汎用型を使っていた時の景子は摩利の模倣しかできていなかったわ。それが特化型に切り替えた途端、摩利に食い下がれるようになった。優勝候補に迫れるようになったのだから、君のアイディアは正しかったのよ」

 

 ダメ押しとばかりに平河先輩がそう言い、小早川先輩も頷いた。

 こうなってくると、これ以上の遠慮は寧ろ失礼だ。結果が伴っていないのに称賛されるのは忸怩たる思いもあるが、厚意を無下にするわけにはいかない。

 

 姿勢を正し、浅く腰を折る。

 

「お二人がそう言われるのでしたら。お役に立てて何よりです」

 

 二人はどうやら面食らっていたようでしばらく返答はなかったが、やがてほとんど同時に噴き出すと、片や堪えきれずに、片や控えめに笑いを漏らしていた。

 

 ひとしきり笑った小早川先輩と平河先輩は、大きく息を吐くと表情を改めた。

 

「さて、じゃああたしたちは一旦宿舎へ戻りましょう。ほら、景子も行くのよ」

「……仕方ない、か。去年の決勝カードだから観ておきたかったんだが」

「摩利が負けるはずないじゃない。自己ベスト、去年よりも3秒以上縮めてるのよ?」

 

 不服そうな小早川先輩と、諫める平河先輩。

 普段の気安い関係が窺える掛け合いの中、どちらにも共通しているのは渡辺委員長に対する絶対的な信頼だ。同じ競技に出場するライバルであると同時に、同期として実力を認めているからこその言葉なのだろう。

 

 そして、こうした話をしている時には得てして本人が聞いているものだ。

 

「あたしの自己ベストがどうしたって?」

 

 振り向くと、不敵に笑みを湛えた渡辺委員長がいた。

 左手を腰に当てた堂々とした立ち姿からはレース前の緊張も感じられず、自信に満ちた表情も声音も常通り。相変わらず演技派というかなんというか。

 

「噂をすれば。摩利、調子はどうだ?」

 

 真っ先に口を開いたのは小早川先輩だった。こちらは挑戦的な笑みを浮かべて、ジャブを打ち込みにかかる。

 委員長はそれを悪魔的な笑みを受け止め、平然とカウンターを返していく。

 

「もちろん上々だ。そっちは残念だったな。仇は取ってやるから安心してくれ」

「お生憎さま。ミラージでリベンジするから必要ない。摩利も覚悟しておくといい」

「ほほう。それはそれは。楽しみにしておくよ」

 

 互いに『イイ笑顔』で言葉の応酬を繰り広げる委員長と小早川先輩。

 二人の関係を知らない人が見れば身の竦むようなやり取りも、平河先輩には見慣れた光景のようで微笑ましいものを見るような目をしていた。

 

 ひとしきり黒い笑いを交わして満足したのか、やがて小早川先輩が「さて」と切り出した。

 

「じゃあ、あたしたちはこれで」

「摩利、健闘を祈るわ」

「お前たちもな。表彰台を逃すなよ」

 

 それきり、二人は宿舎の方へと歩いていった。

 最後まで憎まれ口で見送る委員長にバレないよう小さく息を吐く。

 

 いよいよだ。今ここで取る選択次第で、『筋書』が変わるかもしれない。

 そう考えると自然に脈が早くなるのがわかった。鼓動が耳まで届き、緊張していることを否応なしに自覚させてくる。

 

 もう間もなく、渡辺委員長は全治1週間の大怪我をする。

 たかが1週間と侮ることはできない。まだ魔法の存在が知られていなかった21世紀前半と違い、医療にも魔法が利用されるこの時代で全治1週間というのは大変な怪我だ。

 

 魔法による治療では骨折や内臓の損傷も、通常の医療とは比べ物にならない程早く修復することができる。足を骨折したとしても、翌日には杖を突いて立ち上がれるくらいに。

 とはいえ、これは一時的な効果に過ぎない。この世界の物理法則はなかなかに頑固者らしく、仮に魔法で折れた骨を繋げたとしても、時間が経てば再び折れた状態に戻ってしまうのだ。

 

 そのため、魔法による治療では損傷個所へ定期的に魔法を掛け続けなければならない。修復した状態を維持し、完治したと世界を騙す(・・・・・)必要があるわけだ。

 『世界を騙す』のに掛かる時間は怪我の程度によって異なり、渡辺委員長の場合はそれが1週間必要だった。ただの骨折なら3日もあれば繋がることを考えると、いかに重い怪我だったかがわかる。

 

 目の前の先輩が、そんな怪我を負うことになる。

 そうなることがわかっていて、緊張一つせずにいるのは至極難しい。

 

 小早川先輩と平河先輩の二人を見送った委員長が振り返る。

 

「それで、お前はまだ用があるのか?」

 

 訊ねてくる渡辺委員長の声には、どこか呆れが混じっているような気がした。眼差しもどちらかと言えば冷たく、あまり歓迎されていないということはわかる。

 

「ここへ来る前にお話していた他校の戦術についてなのですが」

 

 理由は考えてもわからないのでとりあえず無視し、端的に用件を口にした。

 委員長は明確にため息を吐き、「まあいい」と呟くと腕を組んで顎に手を当てる。

 

「他校が総出で一高潰しに来るかもしれないというアレか。市原からも可能性として挙げられた。しかし、いくら一高の三連覇を阻止したいからといって、本番のそれも準決勝で狙ってくるとはどうしても思えないんだが?」

「もちろん、僕も可能性が高いとは思いません。ですが現状、この大会は一高対他校の様相を呈し始めています。苦戦が予想される新人戦を前に、一高の士気を挫こうと考える陣営がないとは言い切れないでしょう」

 

 現在、九校戦は二日を終えて一高が大きくリードしている。昨日までに終わった男女4競技中3つで優勝しているのだから、圧倒的と言っていいくらいだ。2位以下の順位でも一高の選手は好位に入っていて、総合得点は2位の三高にダブルスコアを付けているほど。

 

 こうも完全な一強大勢ともなれば、下位同士で結託する学校が出てもおかしくない。一高の独壇場に待ったを掛け、協力して下剋上を果たそうと考える者がいるかもしれない。まあ、実行されることはまずないだろうが。

 

 九校戦は学校毎の対抗戦とは名ばかりで、実際は各種目ともほとんど個人戦だ。軍や警察、大企業の社員などのスカウトが観戦しているのに、足を引っ張るためだけのパフォーマンスをするはずがない。

 

 なんてことはない。こんな理屈はただの建前で、委員長の警戒心を少しでも高めたいがための方便に過ぎないのだ。

 大事なのは可能性がゼロだと断定できないこと。僅かでもその可能性があり、足を掬われる危険があることを示唆して、この勝負師な先輩へ釘を刺す。それが目的だ。

 

「……ないとは言えない、か」

 

 幸いなことに、委員長は僕の方便を汲み取ってくれたようだ。じっとこちらへ視線を送ったまま、万が一の可能性を否定できないと納得してくれたらしい。

 

「いいだろう。準決勝ではより慎重に立ち回ることにする」

「はい。ぜひ、そうしてください」

 

 腕を解いた委員長は先程よりも落ち着いた声音で頷いた。

 すかさず腰を折る。と、頭上から再度呆れたような声が聞こえてきた。

 

「しかしまあ、お前も達也くんも、とても一年とは思えない落ち着きぶりだな。普通、新人戦を控えた一年生は自分の試合のことで精一杯なはずなんだが」

 

 ああ、確かにそうかもしれない。これは振る舞いを間違えたか。

 

 九校戦に並々ならぬ情熱を燃やす雫はともかく、ほのかやエイミィ、男子では五十嵐に香田も先輩方の試合を観戦している時以外は新人戦の話題ばかりだった。期待と興奮、心配の割合は人それぞれだろうが、自分の試合が常に頭にあったのは確かだろう。

 

 僕の場合、自分の試合よりも考えなくちゃいけないことが多かったせいか、試合への意気込みや心配事を口にしたことはなかったように思う。実際は練習も対策もしっかりとやっていたから心配はないが、傍からは随分と余裕のある態度に見えたのだろう。

 

「買い被りです。これでも緊張はしています」

 

 誤魔化すように言うと、委員長はやれやれとでも言いたげな顔で頭を抱える。

 面倒くさそうに息を吐くと、片手をおざなりに振って言った。

 

「まあいい。ともあれ、忠告は受け取った。心配は無用だったと知らしめてやるから、お前は客席に戻れ。それとも、まさか観ていかないとは言わないだろうな?」

 

 表情をいつもの頼もしいものに戻し、それから意地悪く口元を歪める。試合前にもかかわらずまるで緊張を感じさせないその姿は、強い安心感をもたらしてくれるものだった。

 これが自然な振る舞いなのか、或いは意図したものなのかはわからない。が、こうした勇猛な姿こそ彼女が女生徒に憧れられる所以なのだろう。

 

 そんな人が間もなく大怪我を負う。

 考えた瞬間、全身を氷水が駆け巡った気がした。

 

 原作では全治1週間の大怪我で、その『筋書』すら今では変わりつつある。

 忠告はした。慎重に立ち回ると確約も貰った。だが、果たしてそれで足りるのか?

 

 原作と同じ工作に留まる根拠が何処にある。

 原作以上の事故にならない保証が何処にある。

 それらは全て僕の単なる思い込み、或いは縋りつきたい予想に過ぎないんじゃないか。

 

 不安と恐怖とが頭を覆い尽くしていく。

 その間にも、「じゃあな」と簡単に言って渡辺委員長が横をすり抜けていった。

 

 思わず、呼び止める。

 

「委員長!」

 

 いつになく慌てた声が飛び出して、渡辺委員長は怪訝な顔で振り返った。

 

 止めるべきか。それとも正直に言うべきか。

 

 レースに出てはいけない。

 たとえ出るにしても、先頭を走ってはいけない。

 最初は2番手に付け、七高選手の暴走を安全に止めた上で、改めてレースを続けるべきだと。

 

 葛藤は一瞬で、僕はあれだけ躊躇っていた『原作改変』を自ら進言しようと決めた。

 

「あのーー」

 

 瞬間、脳裏に染みついた声が蘇った。

 

 

 

 

 

 

『よう、坊主……ッ……。無事だな……』

 

 

 

 

 

 

 前触れもなく喉が詰まる。

 

 およそ自分の身体ではないような感覚。不自然に強張った腹筋と、言うことを聞かなくなった喉に焦りが募る。

 堪らず喉を押さえて状態の改善を試みるものの、声はおろか呻き一つ出せない。慌てて深呼吸しようとしても変わらず、しかし鼻からは普通に息が通るのがわかった。

 

 なんだ、これは。

 息はできるのに、声だけは出せない。

 

 まるで喉の奥の声帯だけを締め付けられたような感覚。

 身体の内側から湧き上がる強制力の出処を辿り、それが胸の中央にあると解った瞬間、急速に熱が冷めていった。

 

 荒くなっていた息を整える。丁度そのタイミングで肩を掴まれる感触があった。

 

「どうした森崎。いきなり苦しそうにして」

 

 見上げると、気遣わしげに眉を寄せる委員長の顔があった。

 話しかけた側が黙り込んだのだから、不審に思うのも当然だろう。声高に呼び止めてともなれば尚更だ。

 

 何か弁明をしなければ。そう考えた途端、喉の硬直が解けた。

 

「――ぁ、いえ。大丈夫、です」

「ならいいが。調子が悪いようなら、休んでいても構わないんだぞ?」

 

 納得いっていないという表情で、それでも委員長は掴んでいた肩を放してくれた。口調こそ悪ぶっているものの、言っていることは後輩を案じる言葉そのものだ。

 

 この人が上司でよかったと、心底から思う。

 同時に、この人をこれ以上心配させるわけにはいかないとも思った。

 

「大丈夫です。ご心配を、お掛けしました」

 

 息を無理矢理整え、何事もなかったかのように一礼する。

 異常の影も残っていないはずの僕を見て、委員長は怪訝な表情のまま訊ねてくる。

 

「……なら、さっき言いかけていたのは?」

「大したことじゃありませんよ。ただ、懸念が的中しないことを祈っていますと、そう言おうと思っていただけですから」

 

 言うと、彼女はピクリと眉を揺らし、「ほう」と愉しげに笑った。

 

 発破にしては生意気な発言。

 けれどそれは紛れもない本心であり、訂正するつもりは毛頭ない。

 いっそ敗れてくれた方が、事故も禍根もないまま丸く収める方法としては一番現実的なのだから。

 

 本心は胸の内に圧し隠して、もう一度腰を折る。

 

「くれぐれも、お気をつけて」

 

 やがて、深く下げた頭の上から鼻を鳴らす音が聞こえてきた。

 足音が段々と遠ざかり、やがて聞こえなくなったところで顔を上げる。

 

 誰もいなくなった会場の前で握り拳を作り、鳩尾に当てて問いかける。

 

「『君』の仕業なんだな……」

 

 応える声は、当然なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

「お兄様、もうすぐスタートですよ」

 

 達也が会場に到着したのは摩利のレースが始まる直前だった。

 

 ここまでの午前中、達也は真由美から依頼された雑用を片付けていた。作業自体は左程面倒なものではなかったが、横合いから摩利に「あたしのレースは観に来るんだろうね?」と圧力を掛けられるような一幕もあった。

 そうして念を押されたからというわけではないが、達也は作業をどうにか第2レースの発走時刻までに終わらせ、急ぎ足で会場へと向かった次第である。

 

 幸い、席自体は深雪たちいつものメンバーが確保していたお陰で座る場所がないという事態にはならなかった。最早定位置となりつつある深雪とほのかの間に腰を下ろし、達也は小さく息を吐く。

 

 コース上ではすでに選手の紹介も終わっており、スタートライン上で各々のボードに立っている。摩利は四人いる内の奥から二番目に堂々と立ち、隣の七高選手と談笑していた。

 

(さすがに去年の決勝を争った2人は余裕だな。……ん?)

 

 そのときふと、摩利の視線が一瞬だけ客席の方へ伸びたように見えた。首は動かさず、目線だけを運んでいたため気付いた者はほとんどいないだろう。

 

 摩利の視線の先を追ってみる。

 観客席の中段、達也が通ってきたのとは別の入り口付近に目を向けると、そこにいたのは――。

 

(森崎……?)

 

 手すりに右手を置き、険しい表情で会場を睨む駿の姿があった。

 いつもは一緒に観戦しているメンバーも居らず、独りで来ているようだ。

 

 駿の姿を見た達也の脳裏に、風間たちから聞いた話が思い浮かぶ。

 

 三年前、沖縄で大亜連合に誘拐されていた少年。

 彼は名前に『サクラ』と付く誰かを探していたが叶わず、大亜連合の虜囚となって拷問を受け、精神に大きなダメージを負ったにもかかわらず、いかにかして立ち直った。

 

 また二年前には京都で古式魔法師絡みの事件に巻き込まれ、護衛対象を含む多くの死者が出た中、ただ一人生還したと八雲は語っていた。

 春のブランシュ事件ではその際の因縁で狙われた可能性もある。襲撃者の一人は京都で駿が護衛を務めていた少女の兄だったということだ。

 

 普通の高校生ではないとは思っていた。

 森崎家の家業から言って、荒事に慣れている節があるのも頷ける。努力を重ねて培った実力も相応のものがある。

 

 だが、まさかそれほどの過去があるとは想像もしていなかった。

 強い情動の欠落した達也ですら、同情を禁じ得ない。

 

 そんな風に考え事をしていると、隣の深雪が兄の様子に気付いて首を傾げた。

 

「お兄様、どうかなされたのですか? あれは――森崎くん?」

 

 兄の視線を辿り、その先に一人佇む駿を見つける。

 思わず零れた呟きは、周囲の仲間にも拾われた。

 

「深雪、どこ?」

「あれじゃない。向こうの階段のとこ」

「でも、お一人みたいですよ」

「珍しいな。いつもはモノリスのメンバーが一緒にいたと思うが」

 

 思い思いに話す彼らに、達也は苦笑いでフォローを入れる。

 

「常に一緒にいるわけじゃないだろう。あいつは風紀委員だからな。渡辺先輩のレースを観に来るのは自然のことだ。大方、他のメンバーは十文字会頭の試合を観に行っているんじゃないか?」

「なるほど。確かにそうかもしれないね」

「そっか。香田くんはピラーズブレイクの選手だから」

「加えて、モノリス・コードの参考になるとすれば、バトル・ボードよりアイス・ピラーズ・ブレイクだろうからな」

 

 咄嗟に口にした理屈ではあったが、納得は得られたらしい。雫だけは何やら立ち上がりかけていたが、ほのかに止められて大人しく座り直していた。

 呼びに行こうとしたんだろうなと、わかりやすい雫に達也は苦笑いを柔らかいものに変える。

 

 程なく一度目のブザーが鳴り、達也は視線を摩利へ戻した。

 

 

 

 選手たちは全員が真剣な面持ちでスタートの構えを取る。

 『ON YOUR MARK』の電子音声の後、二度目のブザーと共に一斉にスタートを切った。

 

 先頭に躍り出たのは摩利。ほとんど差がなく七高が続く。

 三番手以降との差は予選同様大きい。それだけ二人の実力が突出している証拠だ。

 

 先頭を争う二人は互いに牽制の魔法を撃ち合いながら蛇行ゾーンを超え、最初のコーナーへと差し掛かった。

 

 曲がった先はスタンドから見えないため、大型ディスプレイでの観戦となる。

 達也は一瞬だけディスプレイへと目を向けた。

 

 その瞬間、何処かから悲鳴が漏れた。

 

「あっ!」

「オーバースピード!」

 

 視線を戻すと、七高選手が水面を滑るように加速していく様子が目に入った。

 

 飛び込む先には先行する摩利の姿。

 七高の選手はコントロールを失っており、放っておけばどうなるかは誰の目にも明らかだった。

 

 摩利が迫る七高選手に気付いた。

 瞳が大きく見開かれる。

 

 停滞は一瞬にも満たなかった。

 即座にボードを反転させた摩利は突っ込んでくるボードだけを移動魔法で吹き飛ばし、相手を受け止めるために減速魔法・慣性中和魔法をマルチキャストで組み上げる。

 

 一瞬の事故に対して、摩利の取った対処は完璧だった。

 ただ、摩利の立っていた場所だけが悪かった。

 

 ふいに摩利の身体が傾いた。

 見ると水面に生じた凹凸にボードが沈み込んでいる。ボードの傾きが摩利の想定を超えていたせいだろう。

 

 突然の動揺にバランスを崩した摩利は魔法式を完成させることができなかった。

 どうにか減速魔法だけは間に合わせたものの、慣性中和魔法は発動せず、七高選手を受け止めた衝撃のままにフェンスへ激突した。

 

 衝撃の光景に、誰もが息を呑む。

 目の前で起きた悲劇に意識を奪われ、動くことができない。

 

 そんな中、達也だけは迅速に立ち上がった。

 即座に深雪も我に返って、兄を見上げる。

 

「お兄様!」

「行ってくる。お前たちは待て」

 

 端的にそれだけを言って、達也は観客席を駆け下りていく。

 狼狽する観客の間をすり抜け、スタンドからコース脇へ飛び降りようとした矢先――。

 

「……森崎くん!?」

 

 そんな悲鳴が、耳に届いてきた。

 

 

 

 

 

 




 
 
 
 Twitter始めました。詳細はあらすじにて。

 また、Twitterアカウントの開設に伴い、匿名を解除しました。
 更新を止めて久しい作品があるのですが、温かい目で見守ってください。
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