モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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 大変お待たせしました。
 
 
 


第13話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ゆったりと蛇行したゾーンを抜け、最初の鋭角コーナーに差し掛かる。

 先頭を往くのは渡辺委員長、次いで七高の選手。二人の間にはほとんど差がなく、だからこそどちらもがギリギリまで減速せずにコーナーへと飛び込んでいく。もつれるようにカーブへ入った二人は同時にCADへ手を伸ばし――。

 

 直後、場内に悲鳴が響き渡った。

 

 コースの場外で倒れたまま動かない二人。

 レース中断の旗が振られ、大会委員が慌ただしく動き回る。観客は俄かに騒然とし始めていて、ここにいる誰もが彼女たちの無事を祈り、心を痛めていた。

 

 そんな中にあって、僕の胸はこれ以上ないほどに冷たくなっていた。

 極低温の氷柱が突き立てられているような寒さと痛み。その内で静かに(はらわた)が煮えくり返る。

 

 衝突の瞬間、まっさきに浮かんできた感情は安堵だった。これで原作通りだと、加速していく七高の選手を見て息を吐き、そんな自分に怒りと嫌悪が湧きあがった。

 

 こうなるとわかっていて何もしなかった僕が、大怪我を負った二人を見てどうして人心地付いた気になっているのか。厚顔無恥にも程がある。自身の無力を嘆きこそすれ、安堵の息を吐くなどもってのほかだろう。

 

 一人で来て良かったと、心底から思った。周囲の人たちは誰もが事故の惨状に目を奪われていて、僕に目をくれるものはいない。お陰で繕いきれずに歪んだ顔を見られずに済む。

 もしここに五十嵐や香田がいたなら、さぞや混乱させたことだろう。こんな、今にも叫び出してしまいそうな心持ちでは、何を口走ってしまうかわかったもんじゃない。

 

 ステンレス製の手すりを強く握り締め、唇を噛んで渦巻く激情をやり過ごす。

 高温対策にと水が通された手すりは冷たく、内から煮え立つ熱を吸ってくれるようだった。強度も十分で、ただ握っているくらいではビクともしない。

 

 そのときふと、観客席の一角にいた達也が立ち上がった。滲んでぼやけた景色の中で、その姿だけはいっそ輝いてすら見えた。

 達也は深雪へ何かしらを言いつけると、困惑する観客の間を縫うように駆けていく。

 

 今度こそ、心から安堵の息が漏れた。

 後は達也が適切な処置をしてくれるはずだ。そしてそこから病院に運ばれ、治療を受けることになるだろう。せっかく原作通りになったのだ。この後も筋書に沿ってもらわなければ意味がない。

 

 そうこうしている間に達也が客席の最前列へと辿り着いた。

 そこまで見届けて、それが我慢の限界だった。

 

 振り返り、鉛のように重くなった脚を繰り出す。

 喧噪に背を向けて階段を降り、静かに会場から出て人もまばらな道を黙々と歩く。表情だけは繕っていたお陰で、すれ違う人も注意を向けてくることはなかった。

 

 胸中は未だ煮え滾っていた。必死に押し殺していなければ叫んでしまいそうなくらいだ。人目がなければ駆け出していただろうし、明日に新人戦を控えていなければ何をしていたかわからない。

 

 しばらく歩くと、視界にすっかり見慣れた建物が見えてきた。コンクリート造りの四角張った外観のそこは、スピード・シューティングの訓練施設だ。連日通い詰めた甲斐もあり、ここの射場が独りになるのに最適だとよく知っている。

 

 入り口の扉を潜り、中へと足を踏み入れる。無人の受付には使用状況が表示された端末があり、利用希望者はこの端末から申請をするシステムになっている。

 幸い、利用者は誰もいなかった。本戦は既に終わり、新人戦も翌日ということで無理に追い込もうと考える人間はいないのかもしれない。

 

 申請を手早く済ませ、控室のロッカーへ上着を放り込む。レンタル品のタオルを拝借して射場の一つに入り、タオルをベンチへと投げてシューティングレンジへ。

 設置された端末から訓練の設定を施すと、カウントダウンが始まる。備え付けの訓練用CADを右手に掴み、左手を添えて身体の前に。カウントがゼロになった直後、飛び出してきた標的へ魔法を撃ちこんだ。

 

 次々に飛び交う百個の標的を狙いもそこそこに撃ち抜き、終われば再度標的を飛ばす。

 普通なら一回の試技毎に休憩を挟むが、今は何よりジッとしていられない気分だった。

 

 三回、四回と連続で繰り返していき、五回目の途中でガクッと膝が折れた。片膝立ちになってレンジを見上げ、残る30個ほどのクレーを狙う。

 いよいよ照準が追いつかなくなれば、補助機能をアクティブにして持ち上げる。徐々に重くなる両腕をどうにか支えていると、いつの間にか喉からは言葉にならない唸りが漏れ出ていた。

 

 なんてことはない。ただの八つ当たりで、練習と呼ぶにはお粗末な有様だ。点数など気にせず一心不乱に魔法を撃ち続け、サイオンと一緒にやり場のない感情を吐き出しているだけのこと。

 そうして最後のクレーが得点エリアを素通りした直後、腕から力が抜け、だらりと垂れた手からCADが滑り落ちた。無人の射場に硬質な音が静かに響く。

 

 膝立ちのまま、肩で大きく息をする。全身から噴き出した汗は絶え間なく滴り、間もなく小さな水たまりを作った。

 立ち上がってタオルを取る気力もなく、魔法で乾燥させる余裕もない。汗を吸って重くなったシャツを不快に思ってもどうすることもできなかった。

 

 没頭するものがなくなれば、頭に浮かぶのは先刻の光景だ。

 

 原作同様、委員長は七高選手のボードを弾き、彼女を受け止めようとしたところでバランスを崩した。衝撃を和らげるための魔法は中途半端で、二人は揃ってコースを形作るフェンスへ衝突。緩衝材で成形されているとはいえ、フェンスが破られるほどの衝撃だった。

 

 バランスを崩した要因は原作と同じだろう。注視していた甲斐もあり、水面が陥没する瞬間は見えた。周期的な動きをしているはずの波が、その瞬間だけ不自然に大きくなっていたのだ。

 

 先程のレースに仕掛けられていた工作は、原作と全く同じだった。

 生じた結果も同様で、あれだけの事故の後で委員長が五日後のミラージ・バットに出場するのは難しいだろう。『一高の得点源となり得る選手を棄権させる』という無頭竜の思惑は果たされたわけだ。

 

 かねてより望んでいた筋書通りの展開だ。未知の被害が増える危険を摘むためには避けて通れないことだった。せめて委員長の怪我が原作以上でないことを祈るしかない。

 

 言い訳の台詞がいくつも頭を過る。

 理性はそれを認めていて、駄々をこねるように暴れているのは感情の方だった。

 

 もしかしたら、僕の行動次第であの事故は防げたかもしれない。

 委員長も七高選手も怪我をすることなく、何らかの形でレースは仕切り直され、全員がちゃんと完走できる。そんな結果があったかもしれない。

 

 けれど、僕はそうしなかった。

 それどころか、あの光景を見て安心すらしたのだ。これで原作通りだ、と。

 

 沸々と湧いてくる吐き気に似た衝動が身体を内側から焼いていく。

 震える右手を開き見ると、掌に食い込んだ爪が赤黒い痕を残していた。グッと奥歯を噛み締め、目の奥の熱さを堪える。

 

 

 

 直後、背後から声が聞こえた。

 

 

 

「森崎くん……?」

 

 ハッと肩越しに振り返る。

 視線の先には目を見張る雫の姿があって、彼女は慌てたように駆け寄ってきた。

 

「どうしたの、こんな……」

 

 言いつつ、雫がハンカチを取り出した。

 止める間もなく額に押し当てられ、柔らかく滑らかな布地に汗が染み込んだ。思いもよらぬ事態についていけず、お礼や遠慮を言うよりも先に勿体ないという感想が頭に浮ぶ。

 

「大丈夫だから、やめてくれ。せっかくのきれいな生地が汚れてしまう」

 

 瞬間、ハンカチを持つ手がギュッと握られる。

 

「そんなこと、気にしない」

 

 強い口調で断言され、言葉に詰まってしまった。

 その間にも雫はハンカチを押し当てつつ、CADを取り出して魔法を発動。シャツに染みこんだ汗が発散されていき、元の乾いた状態へと戻った。

 

 しばらくの沈黙。

 その間、雫は何かを堪えるように口を引き結んでいた。

 

「何があったの」

 

 やがて呼吸が落ち着くと、雫は押し殺したような声で言った。視線は合わせず、未だ滲み出る汗を拭いながら、けれど断固として退かないという意志が感じられた。

 

「渡辺先輩の事故の後、君が会場から出ていくのが見えた。追いかけたけど見失っちゃって……。三高の四十九院さんがここにいるって教えてくれた」

 

 なるほど。それで彼女がここへ来たのか。ここへ来るまでは会場を離れることに頭が一杯で、誰かが追いかけてくるかもしれないなどと考えもしなかったな。

 四十九院沓子がどうして僕の居場所を知っていたのかはわからない。単純に見かけただけなのか、それとも何か他の理由があるのか。

 

 ともあれ、雫がここへ来た経緯は掴めた。

 ただ、だからといって話せるかどうかは別の問題だ。

 

「事故に驚いて動揺しただけで、大したことじゃないさ」

 

 努めて何でもないように答えると、彼女は怪訝な表情を浮かべた。

 

「なら、どうしてここに来たの?」

「明日の本番に向けて調整しようと思ってね。つい熱が入ってしまったんだ」

 

 それらしい方便を口にする。そういう気持ちがないわけではないし、先輩の無念を糧に発奮するという状況もないとは言い切れないはずだ。

 

 しかし雫は一向に納得した様子もなく、あっさりとでまかせを見抜いてみせた。

 

「嘘。それだけでこんな無茶なことするはずない」

 

 言って、雫が管制機器へ視線を向けた。

 表示された履歴から僕がしていたことを察したのだろう。履歴には訓練の開始時刻も明記されているし、一回の試技にどれだけの時間が掛かるかは同じ早撃ちの選手である雫にわからないはずがない。

 

 立て続けに試技を繰り返すなど、誰の目にも異常だと映るに違いない。それも所属する委員会の長が大怪我をした直後ともなれば、取り乱した結果だと考える方が自然だ。

 

 どう答えるか考えて、湧き上がる衝動を殺して、結果僕が選んだ回答はこうだった。

 

「確かに無茶かもしれない。けど、『カーディナル・ジョージ』に勝つにはこれでも足りないくらいだ」

「それは……」

 

 僕の返答に、雫はすぐに何事かを言おうとして、そのまま押し黙ってしまう。

 彼女のその態度が、僕と『カーディナル・ジョージ』との差を如実に物語っていた。

 

 新人戦のスピード・シューティングには三高の吉祥寺真紅郎――『カーディナル・ジョージ』が出場する。弱冠12歳にして世紀の発見をした彼は、それに由来する独自の魔法を操ることで知られた英才の一人だ。

 『不可視の弾丸(インビジブル・ブリッド)』と呼ばれるそれは、スピード・シューティングという競技において圧倒的に優位な魔法。起動式の規模は小さく、対象を視認するだけでいいとなれば、速さも正確さも他の魔法とは比べ物にならない。

 

 本戦で優勝した佐井木先輩に匹敵するポテンシャルを秘めた一年生。

 勝つためには無茶の一つや二つこなしても足りない。それだけの差がある。

 

 事実、原作の『森崎駿()』は彼の前に敗北し準優勝となった。

 仮に筋書を辿るつもりがなく、本気で勝ちに行ったとしても、勝算は少ないだろう。

 

 だからこそ、雫も言葉を呑み込んだのだ。現状、僕の勝ち目が薄いことを知っているからこそ否と言えずにいる。無責任に『勝てる』と言わないのは寧ろ深く考えてくれている証だろう。

 

 そんな彼女を騙す形になってしまうのは心苦しい。真実を語ることはできない以上他に方法はないのだが、もっと上手くやることはできなかっただろうか。

 

 無論、雫へ言ったような勝ちたい気持ちがないわけではない。競技の代表に選ばれた選手として、一魔法師として、優勝候補を打ち破りたいという気持ちは確かにある。

 けれどそれは優先順位の高いものではないのだ。より優先されるべきは他にあり、だからこそ優勝を狙うつもりはない。

 

 被害を局限すること。そのために筋書の履行を優先する僕にとって、スピード・シューティングでの優勝は寧ろ排除すべき可能性だ。

 代表としての責任を全うする。周囲の期待に応える。そんなことのために無用な(・・・・・・・・・・・・)得点源となるなど愚の骨頂(・・・・・・・・・・・・)。無駄に得点を伸ばして被害者が増えるなんて事態になれば目も当てられない。

 

 それこそ、目の前の事故へ見て見ぬふりをした僕にそんな選択が許されるはずもない。

 

「吉祥寺選手は強敵だ。多分、佐井木先輩とも互角に渡り合うだろう。そんな相手と当たるかもと考えたら、居ても立ってもいられなかった。委員長の無念を思えば尚更な」

 

 混ざり合った感情の中から都合の良い部分だけを切り出して口にする。騙すことになると承知していて、それでも嘘だけは吐きたくないが故の身勝手な台詞がこれだ。

 

 そんな浅ましい弁解に、雫は眉尻を下げ、念を押すように訊ねてくる。

 

「本当に、それだけ? 吉祥寺選手に勝つための練習だったの?」

「ああ」

 

 突き刺すような胸の痛みを無視して頷いた。

 雫は何かを思案するように目を閉じて俯くと、やがてほんの少しだけ口元を緩める。

 

「……うん。わかった」

 

 柔らかな微笑みを目にして、鳩尾の辺りが染み入るように温かくなった。

 

 きっと、僕の言葉を額面通りに信じたわけではないのだろう。表情や仕草からも完全には納得していないことが読み取れるし、雫自身それを隠そうとはしていないのだと思う。

 

 ただ、それでも彼女は頷いてくれた。

 建前としての理屈を呑み込んで、納得したふりをしてくれたのだ。

 

 この温情に報いたい。考えるでもなくそう思った。

 

「じゃあ、ホテルに戻ろう。これ以上はもうダメ」

 

 言って、雫が立ち上がる。

 膝元を軽く払った後、その手がこちらへ伸ばされた。

 

 差し出された手を取り、震えそうになる足を叱咤して立ち上がる。

 引き起こされて、自分の両脚で立って、それでも右手は握られたままだった。

 

 名残惜しげにゆっくりと力が抜けていき、滑るように指先が離れる。空いた右手で左手を包むように握った雫は、所在なさげにゆっくりと視線を彷徨わせていた。

 

 ふと、彼女の左手に目が留まる。

 組まれた左手をそっと掴み、手首を返す。

 

「これは預からせてくれ。明日、必ず返すから」

 

 言いつつ、雫の手からハンカチを抜き取った。

 手を放し、畳んだそれを胸ポケットに収める。

 

 同時に「あっ」という小さな声が聞こえた。

 咄嗟に伸ばされた手が空を掴み、朱の差した頬が僅かにむくれる。

 思わず口元が緩んで、それを見た彼女も小さく笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 怪我をした摩利が目を覚ましたのは、正午を回った頃だった。

 ゆっくりと目を開き、ぼうっと虚空を眺めた後、ようやく摩利は傍らに腰かけた真由美に気が付いた。

 

「よかった。気がついたのね」

 

 安心したように息を吐く真由美。そんな彼女の様子を見て、白い天井を見上げて、摩利は自分の現状に思い至った。

 

「ここは――病院か」

「ええ。裾野(すその)基地の病院よ。その様子だと、意識にも異常はなさそうね」

 

 真由美はもう一度長い息を吐く。事故直後から意識を失っていた摩利は治療中も目覚めることがなく、医者から『万が一』を聞かされていたが故の反応だった。

 そんな悪友(親友)の反応に妙な気恥ずかしさを覚え、摩利は堪らず口を開く。

 

「それで、あたしはどれくらい気を失っていたんだ?」

 

 摩利の記憶はレースの最中で途絶えていた。暴走した七高のライバルを止めようとして失敗し、諸共突き飛ばされた。その瞬間までは覚えていて、それ以後の記憶がない。

 

 起き上がろうと肘を立てた摩利を、真由美は先んじて押さえながら答える。

 

「お昼を回ったところよ。それに、まだ起きちゃダメ。肋骨にヒビが入っていたんだから」

 

 怪我の状態を聞いた瞬間、摩利は一瞬だけ身体を強張らせ、それから力を抜いてベッドに身体を預けた。じっと天井を見上げ、呟くように訊ねる。

 

「完治までどのくらい掛かる?」

 

 落ち着いた声音。少なくともそうあるべしと自身へ言い聞かせている。

 真由美はそんな摩利の心情を察しながら、敢えて淡々と答えた。

 

「全治5日。一日寝てれば日常動作に支障はなくなるけど、体力の回復も考慮して一週間は激しい運動は禁止」

 

 真由美から伝え聞いた宣告に、摩利の声も思わず荒ぐ。

 

「おい、それじゃあ――」

「ミラージ・バットも棄権ね。仕方ないわ」

「……そうか」

 

 摩利は長く静かなため息を吐いて目を閉じた。

 短くない時間が経ち、やがて瞼を開いた時には表情は落ち着いていた。

 

「レースはどうなったんだ?」

 

 それが気丈に振る舞っているが故だと、真由美にはわかっている。三年間の集大成を発揮する機会を奪われたのだ。表面上だけでも切り替えられている時点で十分以上。

 

 摩利のせめてもの意地を汲み、真由美は自然体のままで答えた。

 

「七高は危険走行で失格。決勝は三高と九高よ。三位決定戦はうちと二高だけど、小早川さんも随分と気合が入っていたから三位は取れるんじゃないかな」

「三高の水尾にも迫っていたほどだからな、小早川は」

「そうね。それから、七高の選手の怪我は大したことないそうよ。庇った甲斐があったわね」

「自分が大怪我をしているようじゃ世話はない。……だが、そうか」

 

 自嘲するように言った後で、摩利が何かに気付いたように呟く。

 変化を敏感に察知して、真由美はそっと顔を近づけた。

 

「何か気になるの?」

「いやなに、結果的に森崎が危惧した通りになったと思ってな」

 

 苦笑いを浮かべる摩利に首を捻って見せる。

 

「森崎くん? 彼がどうかしたの?」

 

 そんな真由美の仕草に、摩利の苦笑いが少しだけ柔らかくなった。

 

 時に『あざとい』と形容される真由美の振る舞いは、雰囲気を和らげるための行動だと摩利は知っている。

 あくまで自然体に、それでいて注意深く周りを見ている真由美が、半ば無意識の内にやっていること。十師族『七草』の直系でありながら親しまれるのは、何も容姿や能力に依るものではない。

 

 真由美の気遣いに内心で感謝しつつ、傍目には気付かぬふりを装って答えを返す。

 

「端的に言えば、『うちが強すぎるせいで他校から勝敗を度外視した妨害をされるかもしれない』と、そういう話だ。真由美もどこかで聞いているだろ?」

 

 言われてからようやく、真由美も思い出す。

 九校戦の準備期間も半ばを過ぎた頃、作戦スタッフの間で囁かれていたことだ。

 

「リンちゃんも心配してた『一高潰し』ね。確かに、摩利は波乗りもミラージも優勝候補だったから、他の学校にとっては嬉しい誤算ということになるか……」

 

 納得したように頷いた後、真剣な顔で何かを考え込む。

 そんな真由美を見て、摩利も即座に表情を引き締めた。

 

「どうかしたのか?」

 

 それまでよりも小さく抑えた声量で問う。

 真由美も摩利の声に合わせ、囁くように答えた。

 

「少し気になることがあって。ねえ摩利、あの時、第三者から魔法による妨害を受けなかった?」

「……どういうことだ?」

 

 真由美の問いの意図がわからず、摩利は顔を顰めて反問した。

 

「七高の選手を受け止める直前に摩利が体勢を崩したのは、第三者による不正な魔法で水面に干渉された所為じゃないのか、ということよ」

 

 間髪入れずに返ってきた答えに、摩利は目を細めて記憶を辿る。

 

「確かに、ボードが沈み込む直前、足下から不自然な揺らぎを感じた。だがそれが何に由来するものなのか、あたしにはわからない」

「……あの時、貴女の足下の水面の動きは不自然だったわ。魔法による事象改変特有の不連続性があった。でもあの時、七高の選手も他の選手も、そんな魔法は使っていなかった」

 

 軽く握った右手で口元を隠し、眉を寄せて俯く真由美。

 彼女がこれだけ真剣な眼差しを浮かべることはそうなく、摩利はただの事故ではないのかもしれないと強く感じた。

 

「残る可能性は、第三者による魔法。この件については、今達也くんが調べてくれているわ」

 

 考え込んでいたところへ突然、思いもよらぬ名前が飛び出して呆気に取られる。

 ハッとした頃には目の前の悪友の口元が歪み始めていて、咄嗟に思いついた感想を口にした。

 

「まず、そんなことが高校一年生のスキルで出来るのか問いたいところだな」

 

 だが摩利の思い付きは良い手とは言い難く、勢いづいた真由美にすぐさま切り返されてしまう。

 

「あら、達也くんが只者じゃないのは貴女もよく知っているはずよ。怪我をした貴女へ適切な対処をしたのも、第三者による魔法の可能性に最初に気付いたのも彼だったのだし」

 

 言われて驚き、またすぐにいくつも覚えが浮かんでくる。

 改めて考えればそのどれもが普通とはかけ離れた知識・技量・スキルの数々で、今更ながらにため息が漏れ出た。

 

「……何者だアイツは」

「なんというか、事故とか怪我人にやたらと手馴れていた気がするのよね。あ、後でお礼は言っておいた方がいいわよ」

 

 からかうような調子で言うと、摩利は盛大な苦笑いを浮かべた。

 くすくすとひとしきり笑った真由美は、ふいに表情を改める。

 

「ともあれ、今は安静にしてて。分かったことは後で知らせるから。多分、意味のある結果が出てくると思うわ。摩利も何か思い出したことがあったら教えて頂戴。これはうちの順位だけじゃなくて、九校戦全体に関わる問題かもしれないから」

 

 真剣な声音で真由美が言うと、摩利は天井を見上げたまま黙り込んでしまった。じっと考え込む摩利に、真由美はふっと笑みを浮かべると一言声を掛け、病室を出ていった。

 

 一人残された摩利は、尚も真剣な眼差しで虚空を睨む。

 脳裏には悲壮な表情で警告を発した後輩の顔が浮かび、しばらくの間、消えることなく残り続けていた。

 

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 
 
 
 原作をご存じない方のための補足

・原作において摩利は肋骨を骨折しており、全治1週間、十日の運動禁止を言い渡されていました
・『魔法科高校の優等生』において雫は深雪やほのかと共に、摩利の入院先へ様子を伺いに行っています
 
 以上のことを加味した上で、今話をご覧ください。

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