モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

53 / 110
 
 
 例によって説明回です。

 話の展開が遅い点に関してはご容赦ください。
 
 
 
 
 


第31話

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 大会九日目。白熱した新人戦も終わり、いよいよ本選の花形競技二種が始まる。

 九校戦の日程も残すところあと二日。三高有利の前評判を覆して新人戦優勝を果たしたことで大勢は決し、二種目を残したまま一高は総合優勝に王手を掛けていた。

 

 残る種目は本選のミラージ・バットとモノリス・コード。この内、どちらかだけでも上位入賞者が出ればその時点で優勝が決まる点差だ。一高の総合優勝、延いては真由美たち三年生世代の三連覇が決まるのは時間の問題と見られていた。

 

 優勝候補の摩利を怪我で欠いたとはいえ、ミラージ・バットには実力者の小早川と何より深雪が出場する。その上モノリス・コードに至っては克人が率いる鉄壁の布陣だ。これだけのメンバーが揃って入賞すらできないとは考えにくい。

 一高の天幕には、朝から優勝の瞬間を今か今かと心待ちにする雰囲気が漂っていた。

 

 こうした浮ついた雰囲気を嫌ってというわけではないものの、ひっきりなしに掛けられる期待へ律儀に応える深雪を見かねた達也は、予定よりも早めに会場へ入った。

 二人が訪れたスタッフ用のボックス席は関係者以外立ち入りのできない区画にある。入り口からして一般観客席とは別で、ここであれば妹の集中を乱すような雑事に付き合わされることもないだろう。

 

 エスコートへ甘える深雪を連れてボックス内へ入った達也はそのまま席には着かず、競技エリアに面したガラスから空を見上げる。

 好天の続いていた富士はこの日、開会式の前々日までを含めても初めて日差しのない朝を迎えていた。

 

 競技の性質上、ミラージ・バットは曇りの方が晴天よりも競技映えをする。空中に投影された立体映像が見えやすいからというのが理由で、達也としてもこの点に異論はない。

 とはいえ厚く蓋をされたように薄暗い空はどこか波乱の前触れのようにも思われ、不安を理由に寄り添う深雪の頭を撫でながら、達也は試合開始を待つ三年生の女子選手へと目を向けた。

 

「小早川先輩、随分と気合が入っているご様子ですね」

「ミラージ・バットの結果次第では、今日にもうちの総合優勝が決まる。渡辺先輩が出られなくなったことが逆に彼女の闘志へ火を点けたのかもしれないな」

 

 小早川の出場競技は2種目とも摩利と同じ。優勝候補と目される摩利に準じる選手として見られ、その摩利が事故の怪我で棄権を余儀なくされた今、彼女は両競技における一高の一番手となっていた。

 

 元よりライバル視していた摩利の怪我に思うところはあっただろう。加えて自身の結果次第で優勝を決められるかもしれないとなれば、気合が入らないはずもない。

 湖面に突き出た円柱の上に立つ小早川は静かに、けれど確かに闘志を燃やしていた。

 

 達也と深雪のいるスタッフ席は客席の下方、円形プールの脇にある。

 扉とガラス窓を隔てた外には小早川の担当技術者である平河と、同じく技術スタッフの一人でサブエンジニアを買って出た五十里の姿。二人は各ピリオド間のインターバルに備え、ベンチの前に立ってフィールドを見つめていた。

 

 やがて試合開始予定の8時を迎え、アナウンスと共にチャイムが鳴る。

 空中に色とりどりの光球が出現し、4人の選手が一斉に跳び上がった。

 

 『ミラージ・バット』は空中に投影されたホログラムを手持ちのステッキで打ち、得点の合計を競う競技。光球は最低でも湖面から10メートルの高さにあり、選手たちは最大30メートルまでの高さへ魔法で跳び上がる必要がある。

 この競技の特徴は何よりも試合時間の長さだろう。1ピリオド15分を3回、計45分(インターバルを含めると55分)の間、絶え間なく魔法を使い続けることになるのだ。得点を奪う能力は元より、豊富なスタミナが重要視される競技でもある。

 

 いかに消耗を抑えつつ、より多くの得点を積み上げるか。

 それがミラージ・バットで求められる能力の一つであり、こうしたコストパフォーマンスの点において小早川と平河のコンビは第一試合のメンバーの中で最も秀でていた。

 

 《跳躍》と《移動》の魔法で光球を打ち消していく選手たち。

 順位が目まぐるしく入れ替わる接戦の末、第一ピリオドが終わった時点で小早川は僅かな差で首位に立った。

 

 一高側応援席の期待が俄かに大きくなる。歓声も盛り上がりを増し、平河と五十里、何より小早川本人の表情に自信と気迫が満ちていた。

 『最強世代』と謳われた現三年の一人として、何としても一高に優勝旗を持ち帰るのだと、そんな意気込みが窺えた。

 

 だが不運にも、或いは必然の結果として、それは起きた。

 

 第二ピリオドの中盤。小早川のリードが確固たるものとなりつつあったタイミング。

 他の選手と狙いが重なり、優先圏内への先着を奪われた小早川が移動魔法で空中に一時留まる。周囲を見渡し、空いている円柱へ降りようとCADを操作した瞬間、首筋を撫でるような浮遊感が彼女を襲った。

 

 小早川を空中へ留めていた魔法式が設定されていた効果時間を終えた。

 本来であれば次の魔法で降下するはずの彼女の身体は、けれど重力に引かれ落下を始めた。何度となくCADを叩いても起動式は展開されず、異常を察した観客の悲鳴が上がる。

 

 唯一幸いだったのは、彼女の下に柱がなかったこと。

 一方で水面までには十数メートルもの高度があった。

 

 いかに十分な深度の水が張られているとはいえ、二十メートル近い高さから落水すれば命に関わる。満足に魔法も使えず、態勢を整える余裕もない中でそれは致命的だ。

 

 小早川の顔に驚愕と恐怖が浮かんだ。

 右手に持っていたステッキが滑り落ち、空いた手が左手首を掴む。

 真っ逆さまに湖面へ向かう彼女が目を閉じ、直後、落ちる速度が緩やかになった。

 

 徐々に速度を落として、小早川の身体は落水の直前で止まる。

 恐る恐る目を開いた彼女は、大会スタッフの魔法によって地上へと下ろされた。

 

 スタンドを包んでいた悲鳴が消え、安堵の息が漏れた。

 プールの縁へ駆け寄った平河の前に、ゆっくりと小早川が降り立つ。一歩、二歩とよろめきながら歩き、やがて糸の切れた人形のようにへたり込んだ彼女へ平河が抱き着くと、間もなく担架が運ばれてきた。

 

 

 

 担架に乗せられた小早川は付き添う平河と一緒に会場から出ていった。

 そこへ達也と深雪が声を掛ける余裕はなく、二人は唯一残った五十里の側へと駆け寄った。

 

 競技途中の選手のCADが突然機能を損なった。精密機械に該当するCADとはいえ、こうも立て続けに似たような現象が続けば自ずと疑念は深まる。

 じっと何かを考え込むような五十里に、達也はゆっくりと声を掛けた。

 

「五十里先輩、今のは……」

「わからない。でも多分、渡辺先輩や森崎くんの時と同じだと思う」

 

 温和な五十里がいつになく真剣な面持ちで答えた。それだけ一連の事態に心を砕いてきた証拠であり、同時に正体のわからない工作員への憤りを滲ませていた。

 

 大会二日目のバトル・ボードで起きた摩利の事故の後、解析した事故の詳細なデータから達也は大会関係者に妨害工作を行う者が紛れていると睨んだ。それも現代魔法ではなく古式魔法に通じた術者による、緻密な計画に基づいた上での工作だと。

 

 同じように事故の解析を試みた五十里ともこの認識は共有している。

 だからこそ、五十里は摩利だけでなく駿の事故も妨害工作による結果だと考えていた。

 

 問題はCADに細工を仕掛けた、その手口がわからないこと。

 裏にいるのが無頭竜だと知っている達也でもそれは同じで、わかっているのは警戒すべき相手とタイミングだけだった。

 

「ともかく、小早川先輩が無事でよかったよ。万が一に備えておいて正解だった」

 

 考え込んでも仕方がないと五十里が顔を上げる。

 眉間に寄っていた眉が緩み、一転して安堵の息を漏らした。

 

「あのリストバンドは先輩が用意されたものだったんですか。となると、原理は――」

「うん。刻印型の術式を刻んだ特殊合金のプレートを織り込んであったんだ」

 

 落下の直前、小早川は左手首を握っていた。白を基調とした彼女のコスチュームの中でそこにだけ色合いの違うリストバンドが巻かれていて、そこから生じた魔法式が小早川を包むのを達也の『眼』は捉えていた。

 

「あそこには速度を段階的に落とす式が刻んであった。CADが機能不全に陥った場合でも安全に降りられるよう、保険のつもりで用意したんだ」

 

 転ばぬ先の杖が幸いし、小早川に怪我はなかった。

 そしてこの結果が守ったのは彼女の安全だけに留まらない。

 

「では、小早川先輩が魔法を使えなくなるようなことは……」

「監視員が受け止めるまで、落下速度を抑えていたのは小早川先輩自身の魔法だ。ショックはあるだろうけど、最悪の事態にはならないと思う」

 

 五十里の答えに、深雪は安堵の息を漏らした。ともすれば二度と魔法を使えなくなる可能性もあっただけに、深雪の抱いた安堵は大きなものだった。

 

 魔法の失敗とそれに伴う恐怖体験は、魔法師が魔法を使えなくなる理由の一つだ。

 毎年少なくない人数の魔法師が、魔法の失敗に伴う事故や事件によって魔法力を失う事態が生じている。魔法科高校の生徒であってもそれは同様で、発展と成長の途上にある分、繊細なメンタリティは崩れるのも容易だ。

 

 肉眼では見えず、触れることもできない『魔法』という力は、使用者が持つイメージの影響を強く受ける。

 自らが揮う魔法を鮮明にイメージすることができればそれだけ魔法の精度は高まり、逆に魔法への不信感を抱いた者は満足に魔法を発動させることができない。

 

 「魔法などない」と確信を抱いたが最後、魔法を揮うことは二度と叶わなくなるのだ。

 

 小早川を襲った事故は、危うく彼女から魔法を奪うところだった。

 事故自体を防ぐことはできなかったとはいえ、最悪の事態を免れたのは五十里が用意した保険が機能したからなのは間違いない。

 

 深雪が手放しで称賛を送るのも尤もで、達也としても顔見知りが悲劇に遭うのを見たいとは思わない。深雪の後に付けて称賛した上で、「それにしても」と続けた。

 

「いつの間に用意されたのですか? 大会前にはなかったと思うのですが」

「準備をしたのは昨日だよ。渡辺先輩の事故の後、司波くんが言っていた人為的な工作の可能性が頭から離れなくてね。同じく機能不全を起こした森崎くんのCADを借りて調べてみたんだ」

 

 達也の投じた問いに五十里は穏やかな声音で応えた。

 話の腰を折ることはせず、達也の視線が興味深く五十里へ向けられる。

 

「結局、原因はわからなかった。ただ回路が焼き切れている結果だけはわかったから、電気的なシステムに依らない刻印型の術式を使ったんだ」

 

 目の前の先輩にも原因がわからなかったのであれば、自分が調べたところで何かが出てくるということもないだろう。

 『数字付き(ナンバーズ)』の家に生まれ、家業も本人の気質も研究者向きな五十里の事情を知ればこそ、達也はすんなりと納得することができた。

 

「リストバンドに織り込めるサイズだと最低限の安全装置にするのが限界だったけど、なんとか最悪の事態だけは防ぐことができた。昨日は作業に掛かりきりで花音には怒られちゃったけどね」

 

 最後に苦笑いを浮かべた五十里に、達也は頷いて返した。

 

「先輩のお陰で小早川先輩も無事で済んだわけですし、刻印型の術式を用いるという発想は五十里先輩だけにしかできないものだったと思います。千代田先輩も鼻が高いのではないですか」

「ありがとう。実のところ、必要になるかもしれないっていうのは練習の時点で言われていたんだけどね」

「この状況を想定していたのだとすれば、慧眼を通り越して一種の予知能力ですね。いったい誰が言い出したのですか?」

 

 冗談交じりに訊ねた達也に、五十里は小さく笑みを浮かべる。

 

「ああ、それなら――」

 

 そうして飛び出した名前に、達也は瞼をピクリと震わせた。

 

 何度となく感じてきた違和感が首をもたげる。

 信用ができ、親しみを覚える一方で、片隅には常に小さな疑念が付きまとっていた。

 他の誰かならいざ知らず、その人物だけは偶然と片付けきれない『何か』を感じさせた。

 

(森崎、お前はいったい……)

 

 ポーカーフェイスの中で唯一揺らぐ兄の瞳を、深雪は心配げに見上げていた。

 

 

 

 ● ● ●

 

 

 

 結局、第一試合は途中棄権によって一高は敗退とされた。

 幸い小早川には怪我もなく、医務室で検査を受ける頃には落ち着きを取り戻したらしい。寧ろCADの調整を行っていた平河の方こそダメージが大きいくらいで、様子を窺いに行った鈴音はそのまま二人の下へ残ることになった。

 

 五十里から駿の名前が飛び出した後、思考を巡らせていた達也は幹比古からの音声通信を受けて考えを中断した。幹比古は事故の原因らしき兆候を掴めなかったものの、美月が気になる現象を目にしたらしい。

 曰く、小早川のCADが機能を失う直前、付近で精霊らしきものが弾けて消えたと。美月の証言を聞いた達也はやはりと内心で納得した。

 

 『敵』の魔法は古式魔法の類で、CADに直接仕掛けられていた。

 事故の後の調査で何も出てこなかったのも、何らかの工作を施した精霊が術と共に消えたからだ。

 

 いつどのタイミングで精霊を忍び込ませているのかはわからない。

 だが試合の直前、選手とエンジニア以外がCADへ触れる機会が一度だけある。

 内心の危惧を深雪にすら悟らせず、達也は警戒を敷いた。

 

 深雪の出場する第二試合は第一試合から45分の休憩を挟んだ後――9時45分からだ。

 着替えやメイクといった準備のある深雪を控え室に残し、達也は運営委員によるCADのチェックへ向かった。

 

 スタジアム脇に設営された運営委員のテントには、既に他校のエンジニアが列を作っていた。

 試合前のデバイスチェックは大会初日から何度も繰り返されてきたことで、大会スタッフを含め段取りに迷う者はいない。一人当たり1分も掛からずに列は流れ、5分程で達也の番が回ってきた。

 

「次の方、どうぞ」

 

 検査機のオペレーターが呼ぶ。

 テントの入り口で待っていた達也が進み出て、検査機の前で足を止めた。

 

「第二試合A会場。第一高校、司波深雪です」

 

 言いつつ、手にしていたケースからCADを取り出す。

 メタリックシルバーの機器が二つ。一つは携帯端末型で、もう一つは2個のボタンだけが配されたシンプルなデザインのものだ。

 

 達也が二つのCADを検査機のセンサーに置いたのを確認して、オペレーターが端末を操作し始める。その際、モニターを見る男の目がほんの僅かに細められたのを達也は確かに目にした。

 

 検査機が動作を開始し、センサー上のCADのシステムを読み込んでいく。

 30秒と掛からず終わるはずの検査過程をじっと注視していた達也は、異常を認識したその瞬間、一切の躊躇いもなくオペレーターを自身の脇へ引き摺り出した。

 

 胸元を掴んだまま足元へ引き倒す。悲鳴が漏れた時には既に膝が男を抑えつけていて、強烈な怒気を纏った達也の目が男を見下ろしていた。

 突然の暴挙に周囲が唖然とする中、苦悶の表情を浮かべる男に達也が呟く。

 

「舐められたものだな」

 

 淡々とした口調でありながら、その声は辺りの人間を震えさせた。加減なく放たれた殺気に多くが息を呑み、数秒が経ってようやく警備のスタッフが我に返った程だった。

 一方、叩きつけられた男は自身を見下ろす達也の眼差しに掠れた悲鳴を漏らした。痛みと胸の圧迫感に加え、底冷えのする恐怖が身体を震わせる。

 

「深雪が身に付ける物に細工をされて、俺が気付かないと思ったか?」

 

 そうは言っても、達也の家庭事情を知らない者にそんなことがわかるはずもない。達也の唯一の激情を引き出してしまったなどとわかるはずもない。

 だがこの男が触れてはならない物に――竜の逆鱗に触れてしまったのだということはこの場にいる全員が理解した。

 

「検査装置を使って深雪のCADに何を紛れ込ませた。ただのウイルスではあるまい」

 

 自分を取り押さえようと動いていた警備員について、達也は一切頓着していなかった。

 能力的に万一にも取り押さえられる心配がないというだけでなく、発現した激情に流されて周囲に気を配る気がなかったからというのが大きい。

 

 事情はどうあれ、達也の口にした言葉は四方を囲んだ警備員の足を止めるのに十分な効果を発揮した。言われた男の側が恐怖だけに留まらない驚愕を浮かべていたのも決め手だろう。

 

「なるほど。この方法ならCADのシステム領域に細工を施すことも可能だろう。競技に使用するCADは一つの例外もなく、運営委員によるチェックを受けるのだからな」

 

 警備員が男へ向ける目が、被害者を見るものから容疑者を睨むものへ変わった。

 取り囲んだ隊形はそのままに、問い詰める達也を制止する声が止まる。

 

「本選女子バトル・ボードに加え、新人戦モノリス・コードでも同じ企てをしていたな。それらの事故が全てお前一人の仕業というわけでもあるまい」

 

 達也の問いに、男は息苦しさに喘ぎながら首を振った。

 見下ろす視線が一層鋭くなり、男の目に涙が滲んだ。

 

「そうか。言いたくないか」

 

 言って、達也は徐に右手の指を揃え手刀の形を作った。そのままゆっくりと、膝下の男へ見せつけるように近付ける。

 伸びた指先は男の喉へまっすぐに向けられ、向けられた男だけでなくこの場の全員が続く光景を想像させられた。

 

 達也の指先が男の喉へ迫る。

 男が悲鳴を上げ懸命に逃れようと藻掻くも叶わず、手刀の先が食い込むその直前――。

 

「何事かね?」

 

 穏やかな声がテント内の殺伐とした雰囲気を柔く包んだ。

 充満していた殺気が嘘のように消え、立ち上がった達也が踵を鳴らして振り返る。

 

「九島閣下、申し訳ありません。見苦しい姿をお見せしました」

「君は、第一高校の司波君だな。昨日の試合は見事だった。それで、一体何事かね?」

 

 烈の目が達也から倒れたままの男へと向けられる。たったそれだけで、物理的な拘束を受けていないはずの男が指先一つ動かすことができなくなった。

 

「当校の選手が使用するCADに対する不正工作が行われましたので、犯人を取り押さえ、背後関係を尋問しようとしておりました」

 

 固まったままの男へ近付きながら、警備員は内心で嘘だと叫んでいた。

 尋問だけで済ませていたはずがない。あのまま烈が来なければ、今頃はこのテントの足下に赤黒い池ができていたに違いない。

 

「不正工作が行われたCADとはこれらかね?」

「そうです」

 

 センサーの上に置かれたままのCADを取り上げた烈がじっと目を凝らす。

 日本魔法師界において畏敬の念から『老師』とも呼ばれる男は、瞬きの間に携帯端末型の内側へ潜む悪意を見抜いて見せた。

 

「確かに異物が紛れ込んでおるな」

 

 あっさりと看破した烈の一言に、オペレーターの男が身を震わせる。

 すでに両脇を警備員に固められており、沙汰が下る瞬間を待つことしかできなかった。

 

「私が現役だった頃、東シナ海諸島部戦域で広東軍の魔法師が使っておった《電子金蚕(でんしきんさん)》だ。有線回線を通して電子機器へ侵入し、その動作を狂わせる遅延発動型の術式。我が軍はこれの正体が判るまで随分苦しめられたものだ……」

 

 どこか懐かしそうに呟いた烈が達也へ振り向く。

 

「君は《電子金蚕》のことを知っておったのかね?」

 

 踵を揃え、両手を腰の後ろで組んだ姿勢を取った達也が淡々と答える。

 

「いえ。《電子金蚕》という言葉は初めて伺いました。ですが自分の組み上げたシステム領域に、ウイルスに似た何かが侵入したのはすぐに判りました」

「そうか」

 

 達也の回答へ満足げに頷いた烈は、一転して苛烈な色を瞳に乗せ、拘束された男へ向ける。

 

「それで、君は一体どこでこの術式を手に入れたのだね?」

 

 質問の体で投げかけられたそれは、男にとっての判決に他ならなかった。

 

 

 

 

 

 

 男が連行された後、烈は達也にCADを手渡した。

 《電子金蚕》の入ったそれは当然交換が必要で、烈は予備機の使用を勧める。その際、再度のデバイスチェックは不要だとの大会委員の言質を取りつけ、達也は素直に感謝の意を示した。

 

 去り際、烈は再度達也へ振り返って笑みを浮かべる。

 

「司波達也君、君にもいずれ、話を聞かせてもらいたい」

 

 大多数の魔法師であれば気後れしそうな申し出にも、達也は揺らぐことなく応じる。

 

「機会がございましたら」

「ふむ、ではその『機会』を楽しみにしていようか。君のチームメイトにもそう伝えてくれるかね」

 

 明言されずとも、達也には烈の挙げた人物が誰なのかはっきりと察せられた。

 驚きと苦笑いを浮かべる姿を想像しつつ、達也は腰を折る。烈は満足げに頷き、今度こそテントを後にした。

 

 

 

 これが後に複雑な因縁を持つ達也と烈との、その初めての直接的な会話だった。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。