モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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 メリークリスマス。

 本編は夏真っ盛りですが、クリスマスシーズンに負けない雰囲気をどうぞお楽しみください。
 
 
 
 
 


第32話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 女子ミラージ・バット予選第二試合が終わり、深雪は見事に決勝進出を決めた。

 

 試合前の騒ぎで一時は不穏な雰囲気が流れたものの、七草会長のフォローで達也は『ちょっと厄介なシスコン兄貴』という認識に落ち着いた。

 本人は不本意に感じていたようだが、事情を知っている身からしても弁明の余地はないと言わざるを得ない。

 

 深雪が無事に試合へ挑めたことは素直に嬉しく思う。

 達也が不正工作に気付き、自ら対処して解決に運んだことで、彼が無頭竜のアジトを襲撃する目算も立った。これで決勝の後に姿が見えなければ、連中の下へ向かったと考えていいだろう。

 

 ゆっくりと達也の傍へ降り立った深雪が振り返り、スタンドへ向けて一礼する。

 深紅の衣装に身を包んだ彼女へ、興奮冷めやらぬ観客からは惜しみない拍手が送られた。

 

 予選にもかかわらずこれだけの歓声が上がっているのは、何も深雪の華やかな容姿だけが理由ではない。

 ここにいるほとんどが初めて目にしたであろう魔法――《飛行魔法》がその理由だ。

 

 深雪が飛行魔法を披露した瞬間、会場全体が驚愕に包まれた。

 世界初の開発成功が報じられたのはほんの一か月前のこと。『トーラス・シルバー』の名の下で発表されたこの術式は最新技術にも程がある代物で、一か月が経過した今でもごく短時間の実験映像だけしか世に出回っていない。

 

 そんな最新の魔法が目の前で披露されたのだ。驚きを通り越して言葉を失うのも仕方のないことだろう。

 ましてや術者が絶世の美少女ともなれば老若男女を問わず魅了されてもおかしくない。

 

 とはいえ、いくらサイオン保有量(スタミナ)が豊富な深雪といっても、初めから飛行魔法を使っていたわけではない。切り札を温存する意味も含め、試合開始直後から第二ピリオドが終わるまでは他の選手と同様に加速系と移動系の魔法を使っていた。

 

 深雪の闘志に火が点いたのは第二ピリオド終了後。三高の選手に経験と戦術の差で肉薄され、僅差にまで詰め寄られたことがきっかけだった。

 

 達也から全幅の信頼と惜しみないサポートを向けられた深雪が、リードしているとはいえ間近に詰め寄られて黙っていられるはずもない。

 貞淑な面の下から負けず嫌いが覗き、第三ピリオドを迎えた深雪はCADを変更。虎の子の飛行魔法を持ち出した。

 

 迎えた第三ピリオドは一方的な展開となった。

 

 そもそも《飛行》と《跳躍》では勝負になるはずがなかった。

 追い縋る他の選手が1つ光球を叩く間に、深雪は悠々と3つを打ち消していくのだ。一つか二つの得点を取る度に柱へ降りなければならない他の選手とは条件が違う。高低差10メートルの往復もなければ、魔法式の重ね掛けによる制限もなく、コースもスピードも自由自在な深雪を止められるわけがない。

 

 結果、ピリオド開始時点で4点だったリードは、試合終了時点で30点の圧倒的大差に広がっていた。

 三高の選手は最後まで食い下がっていたものの、潜在的な魔法力の差に加えて術式でも不利とあっては太刀打ちのしようがなかった。

 

 呆然と見上げるライバルたちを尻目に、深雪は悠然と宙を舞っていた。

 

 まるで海中を泳ぐ人魚のように。制限のない『羽』を得た彼女は踊るように得点を重ねていった。

 その華やかさから『フェアリー・ダンス』とも称されるミラージ・バットだが、この試合を機に『妖精』から連想されるイメージは大きく変わるに違いない。

 

 現代魔法師として初めて公に空を飛んだ深雪。

 兄から授かった翼で飛んだ彼女は、この新たな魔法の価値を鮮やかに知らしめた。

 

「驚いたな。まさかあんなものまで用意していたとは」

「あれが飛行魔法……。『トーラス・シルバー』の発明は、競技の前提を根本から覆してしまったわね」

 

 スタンドの各所から漏れ聞こえる声も興奮と驚きが先行していて、半ば放心状態に陥っているような人もいた。一心不乱にキーボードを叩く人や端末越しに何事か捲し立てる人もいて、自分たちが抱いた感動をどうにか出力しようとしている。

 

 試合後も興奮が冷めないのは一高側応援席も同様で、一段前の席の雫はようやく落ち着いたとばかりに長いため息を吐いた。

 

「すごかった。そうとしか言えないくらい驚いた」

「ほのかは深雪と一緒に練習してたのよね。だったら飛行魔法についても知ってたの?」

「うん。練習で見て、触らせてもらって。私には使いこなせないって思ったから新人戦では使わなかったの」

 

 エリカの問いへほのかが残念そうに答えると、幹比古を挟んだ向こうからレオの感心したような声が聞こえてきた。

 

「けど、使えればかなり有利な魔法だよな。柱に降りる必要がないわけだし」

「逆に言えば、それだけサイオンを消費し続けるってことだ。司波が無理に使わせなかったのも、その辺りに理由があるんじゃないか」

 

 合いの手に応じたのは里美で、彼女は首だけで振り返ると軽快に指を鳴らして見せた。

 

「正解。あの魔法はサイオンの消費が激しくて、保有量が多い深雪にしか使いこなせなかったんだ」

「そっか。確かに、飛んでいる間にサイオンが切れちゃったら危ないもんね」

 

 エイミィの無邪気な反応に一瞬だけ沈黙が流れる。

 第一試合で何があったか思い出したのだろう。何人かの目が泳ぎ、また何人かは僅かに俯いた。口にしたエイミィもすぐに思い至ったようで俄かに慌て始める。

 

 幸い、場の空気はすぐに持ち直した。

 

「そこは心配しなくていいって、達也さんが言ってたよ。飛行魔法には元々『安全装置』が組み込まれてるから大丈夫なんだって」

 

 若干早口ではあったものの、ほのかがそう言って笑んだことで空気が弛緩する。

 加えて美月の純粋な問いが投げられればもう元通りだ。

 

「『安全装置』、ですか?」

「確か『サイオンの供給量が減ると、自動的に軟着陸するようプログラムされてる』だっけ」

 

 顎先に手を触れて幹比古が(そら)んじると、里美が感心の声を漏らした。

 

「よく知ってるね。司波くんから聞いたのかい?」

「魔法工学の雑誌に載っていたんだよ。術者の安全を考慮して、初めから起動式の中に組み込まれているって」

 

 一同の間に感心の声が広がり、幹比古は少し恥じらいながらも解説を続ける。

 

 対して僕は彼らに倣って耳を傾けながらも、思考の大半は別の方向へ向いていた。

 

「どうしたの?」

 

 不意に囁かれて我に返る。

 振り向いた先では雫が首を傾げていて、訝しむような眼差しがこちらを射抜いていた。

 

「いや、なんでもない」

「嘘。なんでもないって顔じゃなかった」

 

 取り繕おうにも、こう断言されてしまえば誤魔化すことはできなかった。

 思わず苦笑いが浮かんで、正直に思ったことの一端を口にする。

 

「大したことじゃない。ただ、小早川先輩が無事でよかったと、そう思ったんだ」

 

 雫は小さく目を見張り、それからふっと微笑んで頷いた。

 

 

 

 本当に、無事でよかった。

 

 第一試合で途中棄権となった小早川先輩に怪我はなく、医務室での検査の結果、特に異常もなかった。懸念だった魔法力の喪失もなく、決勝はスタンドで応援するつもりらしい。

 

 あの時――小早川先輩のCADが機能を失った時、彼女は五十里先輩が用意したリストバンドを使って落下速度を緩めていた。

 落水前に受け止めたのは大会側のスタッフだったが、それまでの間、彼女は自身が揮う魔法で事故に対処していたのだ。

 小早川先輩が魔法師生命を絶たれずに済んだのは、これが理由だろう。

 

 五十里先輩の尽力と彼女自身の対応が起こり得る悲劇を塗り替えた。

 僕に出来たのは彼らを後押しすることだけだった。

 

 実際、僕自身に出来ることはほとんどなかった。

 無頭竜の思惑をそのまま語るわけにもいかず、けれど連中がミラージ・バットへ出場する選手を狙うことは予想が付いていた。

 《電子金蚕》を使われる以上CADに対処できる魔法を載せても意味はなく、かといって予備を一緒に持たせるには納得のいく説明ができない。

 

 選手の安全を確保するためには保険となる何かを用意する必要がある。それも《電子金蚕》の影響を受けないよう、電子回路を必要としないものでなくてはならない。

 そうして思い至ったのが刻印型術式で、だからその専門家である五十里先輩を頼ったのだ。九校戦のメンバーに選出されて以降、彼を含む技術スタッフや作戦スタッフの先輩たちと相談を重ねていたのは、少しでも取れる手段を増やそうと思ってのこと。

 

 『原作』の存在を明かすことなく説得することはできなかった。

 僕の知識と技術では非電気依存の道具を作ることはできなかった。

 無頭竜の工作を未然に阻止し、災いの元凶を絶つことはできなかった。

 

 僕に出来たのは事故の可能性を示唆して、五十里先輩の手助けをすることだけだった。

 起こり得る危険性を知っていて、けれど出来ることはほとんどなくて。五十里先輩に対策を委ねてからはもう祈ることしかできなかった。

 

 

 

 小早川先輩が無事でよかったと、心からそう思う。

 滲み出そうになる喜悦を押し込め、静かに深呼吸をする。

 

 そのときふと、横合いから生暖かい眼差しが飛んできた。

 

「雫と森崎くんってば、すっかり通じ合ってるのね」

 

 見ればエイミィと滝川、ほのかまでもが口元を丸く歪めていた。

 

「いつの間にか名前で呼び合うようになっているし、何か心境の変化でもあったのかい?」

 

 表情は変わらない里美も興味はあるようで、三人に詰め寄られた雫へ颯爽と問いかける。

 問われた雫は仄かに頬を染め、間近に迫った三人の間で視線を泳がせながら答えた。

 

「彼のことが知りたくて。仲良くなれば、できると思ったから……」

 

 尻すぼみになる言葉に黄色い悲鳴が漏れる。

 堪えきれずに抱き着いたほのかの脇で、エイミィはいつになく淑やかに笑った。

 

「それなら、私も名前で呼んで欲しいですね。ね、森崎くん?」

 

 初めて会った時も同じことを言われたな。

 以前の答えを思い出し、状況が変わったことを加味して、その上で目礼を返す。

 

「すまないが今はだめだ。これは色々と心を砕いてくれた雫への、お礼の為でもあるからな」

 

 エイミィは一瞬目を丸くし、再度笑みを漏らした。「それなら仕方ありませんね」と引き下がり、視線がちらりと雫の方へ向けられる。

 

 ほのかの肩に顔を埋めて震える雫の姿に、一同は各々笑みを浮かべていた。

 

「そろそろ下に行きましょ。深雪も出てくる頃でしょうしね」

 

 だらだらと続く雰囲気を切るように言ったエリカに頷いて、スタンドを出る観客の列に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スタンドを降りて関係者口へ行くと、ちょうど達也と深雪が出てくるところだった。

 衣装の上にベンチコートを羽織った深雪は達也の腕を取っていて、上機嫌な彼女と堂々とした達也の振る舞いに女性陣からは憧れと呆れの入り混じったため息が漏れていた。

 

 そのままホテルへ戻る一同に対し、僕は五十嵐と香田の見舞いに行くと告げた。

 何人かは同行を申し出たものの、術後で様子が分からないからと理由を付け一人で行くことを呑み込んでもらった。

 

 ホテルへ戻る一行を見送り、姿が見えなくなったところで再度スタジアムへと戻る。

 病院へ行くのも嘘ではないが、それよりも先に確かめておくべきことがあった。

 

 二つの会場を順に巡り、見通しの良い席から隅々にまで目を凝らす。

 30分ほど視線を巡らせた末、ようやくその男を見つけた。

 

 大柄な男だった。HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を着けていて顔はわからないが、背筋を伸ばしてピクリとも動かない様はまるで命令を待つロボットのよう。

 男は客席の上段に一人で腰掛け、じっと競技エリアへ視線を向けている。感情の窺えない不気味さも当然で、実際あの男には人間らしい感情は残っていない。

 

 『ジェネレーター』――試合の監視、及び破壊工作要員として無頭竜の手によって送り込まれた意思を奪われた魔法師(・・・・・・・・・・)だ。

 

 命令に従って戦う人形のような男はこの後、連中の指示の下で暴れ始める。

 最早一高の優勝を止めることはできないからと、無差別な殺戮を起こして大会そのものを中止にする算段なのだ。

 

 原作では、この男の暴挙は国防軍の魔法師の手によって未然に防がれた。達也も所属する独立魔装大隊の幹部で、戦闘能力は隊でも随一の人物だ。

 薬物や呪術による改造を受けたジェネレーターには、並の魔法師ではとてもではないが対処できない。原作で一人の怪我人もなく済んだのは国防軍が連中の、延いてはあの男の動きをマークしていたからだ。

 

 原作と同じ展開になってくれるのが望ましいが、確実にそうなるという保証もない。

 

 脇に収めたCADを起動状態で保持しつつ、男の様子を観察する。

 しばらくすると、会場に歓声が響くのと同時に男が立ち上がった。

 

 全身に緊張が走った。心臓が一度大きく跳ねて、心拍数が上がる。

 懐に収めたCADへ手を伸ばし、引き金に指を掛ける。いつでも魔法を撃てるように備えて男の動向を窺う。

 

 立ち上がった男は一瞬身体を震わせたかと思うと、丁度目の前をすれ違おうとした男性へ腕を伸ばした。

 

 咄嗟に引き金を引きかけたところで男性に見覚えを感じ、直前で指が止まる。

 目にも止まらぬ速度で振り抜かれた腕が男性の後頭部へ迫り、男の手が男性を捉えることはなかった。

 

 間近に迫った腕を掴んだ男性は腕の勢いをも利用して、男を会場の外へと吹き飛ばした。

 音もなく繰り広げられた一瞬の攻防は、周囲の人間に気付かれることなく場外へとそのステージを変えていた。

 

 打ち上げた男を追って、男性が会場の外へと飛び出した。

 その背がスタンドの向こうに消えるのを見送ってようやく息を吐く。

 

 これで無頭竜の手札は尽きたはずだ。工作の手口が暴かれ、最終手段である直接的な攻撃も防がれた以上、連中に手立ては残されていない。

 

 CADから手を放し、大きく深呼吸を繰り返す。

 落ち着いたところでやっと会場へ目を向ける余裕が生まれた。

 

 先程の歓声は第三試合の選手が入場したことによるものらしい。湖上の柱には4人の女子選手が立っていて、それぞれの姿勢で競技の開始を待っていた。

 

 その中に、見知った髪色の少女を見つける。

 

「一色愛梨……」

 

 自然と零れ出た名前が聞こえたわけではないだろう。にもかかわらず、彼女は一度こちらへ目を向けた。

 観客席の端の、人もまばらな最上段の席だというのに、彼女の目は確かに僕を捉えていた。

 

 目が合ったのは一瞬で、一色愛梨の視線はすぐに頭上へと向けられる。

 やがて第一ピリオド開始のチャイムが鳴ると、柱の上空に色とりどりの光球が投影された。すかさず彼女以外の3人が跳び上がろうとして、その間を金色の風が駆け抜けた。

 

 想像以上の速さだった。

 柱の床を蹴ったと思った直後には上空にいて、光球を打ち消した後はただ落ちるよりも速く柱へ降り立っている。

 夜空を思わせる群青が10メートルの高低差を瞬きの間に往復し、流れる金の髪がまるで雷光のように空中を駆け巡っていた。

 

 『稲妻(エクレール)』と称される理由がこれか。

 

 新人戦の二日目、クラウド・ボールの決勝が行われた日の夜に雫から聞いた呼び名を思い出した。フェンシングに似た魔法競技『リーブル・エペー』で幾つもの大会を制し、移動魔法を使った高速機動からそう呼ばれているのだと。

 

 これほどの実力者なら深雪同様上級生に並んで本選へ出てもおかしくはない。

 どころか、飛行魔法がなければ深雪でも勝てるかどうかわからない。

 

 そう思わされるほどに一色愛梨は速かった。

 経験で上回る上級生を相手に目にも止まらぬ速さで得点を積み上げる姿は、深雪の飛行魔法とは違った興奮を観客へもたらしていた。

 

 ただの《跳躍》ではないのだろう。加速と減速に掛ける時間が極めて短いのを見る限り、恐らく慣性を低減する魔法を併用しているのだと思う。

 魔法の工程を増やしている分、重ね掛けに必要な干渉力が上がり、それだけサイオンの消費が増えることにはなるが、あれだけの速度を出せるのならリターンも大きい。

 

 とはいえ、スタミナ勝負のミラージ・バットで消耗の大きな魔法を使うのはリスクも大きい。ペース配分を誤れば完走すらも危ういだろう。

 

 その点、一色愛梨は驚くほどに『息継ぎ』が巧かった。

 

 現代魔法師が魔法を使うとき、必ず必要になるのが魔法式だ。エイドスに魔法式を投射し、それによって対象の情報を書き換えるというプロセスを辿る以上、魔法式は必要不可欠なものとなっている。

 

 では使用中の魔法をキャンセルする場合はどうするか。

 これに関しては少し複雑で、結論から言えば『作用中の魔法の効果を打ち消す魔法式を追加で投射する』必要がある。後発の魔法は以前のものよりも高い干渉力が求められ、だからこそ工程数の多い魔法はそれだけ消耗が激しくなるのだ。

 

 単純に今ある魔法式を消去すればいいと軽く考える者も少なくない。

 だがエイドスに投射された魔法式を打ち消す手段は少なく、完成した魔法式を消滅させるには《術式解体》を始めとした特殊な魔法が必要となる。必要な労力を考えれば相殺する魔法を重ね掛けした方が遥かにマシで、だからこそ一般的な対抗魔法は前者の形態をとっているのだ。

 

 作用中の魔法式を打ち消すには、それを相殺する魔法を重ねる必要がある。

 魔法式を重ねると必要な干渉力は増し、それだけ消耗が激しくなる。

 

 このジレンマこそ、飛行魔法が長らく実現できずにいた理由だ。

 空中で方向や速度を変えるにはその都度魔法式を更新しなければならず、必要な干渉力はあっという間に飽和してしまう。

 達也はこの問題を『極短時間だけ作用する魔法式を立て続けに発動する』というアプローチで解決して見せた。

 

 同じことは一色愛梨の使う《跳躍》にも当て嵌まる。

 一度《跳躍》で跳んで着地した時、先の魔法の効果時間が残っていると、次の魔法をすぐに使うことができなくなってしまうのだ。

 

 この魔法の切り替えに要する時間が『息継ぎ』と呼ばれている。

 魔法式の作用する時間を見極め、以前の魔法と新しい魔法の間に隙間を設ける。こうすることで必要な干渉力の増大を抑え、魔法の連続発動を可能とするのだ。

 

 一色愛梨はこのタイミングの見極めが非常に巧みだった。

 

 彼女の《跳躍》が僕の見立て通りなら、そこには慣性低減の工程が加えられている。

 時間設定の極短い加速や減速の工程、座標や方位の指定だけで済む移動の工程に比べ、慣性低減は設定時間が非常にシビアとなっているはずだ。

 

 魔法の発動から跳び上がり、着地を完了するまで。

 作用時間内にここまでを終わらせなくてはならず、且つ長過ぎては次の《跳躍》に差し障りが出る。着地の直後に慣性低減の作用時間が終わるよう、起動式を読み込む時点で設定しなければならない。

 

 上空に浮かぶ光球へ狙いを付け、相対距離を測り、着地までに必要な時間を精確に算出できなければ、彼女のような《跳躍》は使えない。

 こうした能力は魔法の才能に依存するものではなく、『師補十八家』の出だろうとスタートラインはほとんど変わらない。リーブル・エペーでの経験があるとはいえこれだけ精密な『息継ぎ』ができるのは、彼女が人並み外れた努力を重ねてきた証拠だろう。

 

 正直に言って、目を離すことができなかった。

 

 最終第3ピリオドが終わり、一色愛梨は40点近いリードで決勝進出を決めた。

 途中からとはいえ飛行魔法を使った深雪以上の大差だ。同じ一年生とは思えない圧倒的な実力と、その裏にある果てしない習練の痕に思わず息を呑む。

 

 試合終了を告げるチャイムが鳴り、柱の上へ降り立った一色愛梨が歓声に応える。

 三方の客席それぞれへ優雅な所作で腰を折った彼女は、湖面の縁へ降りるとこちらへ振り向いた。

 

 藤色の瞳はまっすぐにこちらを捉え、歩き去る直前まで逸れることはなかった。

 

 

 

 

 


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