モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
明けましておめでとうございます。
本年も引き続き進めて参りますので、どうぞよろしくお願い致します。
● ● ●
「第1ピリオドは《跳躍》で温存しつつ、人数の減った第2ピリオドから飛行魔法を使ってきたか。いやに大人しいと思ったが、なるほど、一杯食わされたようだな」
「一色さんも飛行魔法の練習はしていたんでしょうね。消耗が激しいことも知っていて、だからこそ最も効果的なタイミングを狙っていた。敵ながら見事な戦術だわ」
第2ピリオド終了後、感心したように話す真由美と摩利の声を背後に聞きながら、達也は電光掲示板に表示されたスコアを見て苦笑いを浮かべる。
「この国も狭いようで広い」
いくらCADのスペックに制限があるとはいえ、高校生のレベルで深雪と渡り合える相手がいるとは思わなかった。始動の早さに関しては深雪を上回ってすらいて、それが今のピリオドで点差を詰められた理由だと素直に称賛できる。
しかも愛梨が使っていたのは
愛梨を含め、他校の選手を侮っていたつもりはない。飛行魔法についても発表した以上は自力で持ち込んでくる可能性はゼロではないと思っていた。
それでも予想を超える強敵の出現に達也は心底から驚いていた。
地上へと降り立った深雪は電光掲示板を見上げたまま動いていない。
静かに佇む妹を見ながら、達也は冷静に次へと思考を傾ける。
深雪と愛梨の点差は僅かに2点。最終ピリオドが第2ピリオドの焼き直しになった場合、まず間違いなく2人の順位は逆転するだろう。
飛行魔法の練習を重ねた相手がサイオン不足で脱落するとは考えにくい。第1ピリオドで《跳躍》を用いていたのはスタミナ管理が目的と考えておよそ間違いなく、カードを切ってきたからには意地でも最後まで保たせてくるだろう。
第一ピリオドに引き続き、今回のピリオドも途中で九高の選手が柱へ降りた。安全装置の作動による降下だったため、恐らくはこのまま棄権となるだろう。
これで残るメンバーは3人。点差を考えれば、最終ピリオドをやり過ごしたとしても2位を確保することはできる。総合優勝は確定したも同然で、諸々の事情を鑑みればリスクを冒してまで対抗する必要はない。
達也の冷静な――冷淡な部分は、この時点でそう判断を下していた。
その一方、淑やかでありながらその実負けず嫌いな
「お兄様」
振り返った深雪は思った通り、瞳に強い意志を宿していた。
数多ある妹の表情の中でも特に好みなそれを見て、達也はふっと笑みを浮かべる。
「お願いを聞いて頂きましてもよろしいでしょうか」
「もちろん。言ってごらん」
達也が続きを促すと、深雪はそっと会釈をしてから切り出した。
「次の最終ピリオド、私は全力で挑みたいと思います。お兄様にご迷惑をお掛けすることを思えば、無理をすべきではないと重々承知してはおりますが……」
ある理由から魔法の制御にハンデを抱える深雪にとって、全力での魔法行使は避けるべき行為だ。本来の制御力の多くを別に傾けている以上、生来の高い魔法力を御しきれずに暴走させてしまう恐れがある。
それでも、達也は深雪の『我儘』を止めようとは考えなかった。
理性が鳴らす警鐘に
「構わないよ。思う存分、飛んできなさい」
「……はい! 見ていてくださいね、お兄様」
傍目には健気で一途な台詞で、言葉の裏には看視を委ねる意味を込めて、力強く答えた深雪が最後の舞台へと上がった。
対岸の柱に立った愛梨をまっすぐに見て、向けられた闘志に正面から応える。
(一色さん。貴女に譲れないものがあるように、私にも譲れない想いがある。お兄様から頂いたこの魔法で、お兄様へ勝利を捧げるために――)
「絶対に負けない」
静かに意気込む深雪の全身からは、言い知れぬ迫力が滲み出ていた。
◇ ◇ ◇
最後のピリオドへ向けたインターバルの間、スタンドは驚きと困惑に包まれていた。
理由は当然、あの深雪が追い縋られているという一点に尽きる。彼女の高い実力を知る者ほど衝撃は大きく、周囲ではE組メンバーを含む大半が息を呑んでいた。
「深雪と互角に競える相手がいたなんて……」
信じられないとばかりに零したほのか。点差が詰まったこともあってか不安げな表情で、それは美月や英美も同じだった。
斯く言う僕も驚いたのは同じ。ある意味では誰より衝撃的だったかもしれない。
一色愛梨の飛ぶ姿は深雪に劣らぬ程に洗練されていた。やや機動が直線的ではあるものの、動き出しの早さは深雪以上だ。まるで一瞬先の未来が見えているかのような反応速度は、『森崎家』が目指す極致の一つとすら思える。
これほど高いレベルで飛行魔法を扱いながら、第1ピリオドではそれを温存していたのだ。事前に練習を積んでいたのは明らかで、どれだけ飛んでいられるかの限界も把握しているに違いない。
九校戦が始まる前から飛行魔法の練習をしていた。それはつまり、発表されたばかりの飛行術式をミラージ・バットへ導入すると発案したということだ。
原作では達也以外の誰にも実現できなかったことを、一色愛梨と彼女の担当エンジニアはやってのけた。
その発想はどこから生まれたものなのだろうか。
向上心故ならばともかく、もしも『知っていた』のだとしたら――。
「大丈夫だよ」
不意に聞こえた言葉で我に返った。
見ればそれを口にしたのは雫で、隣のほのかを安心させるために言ったようだ。
「深雪がこのままで終わるはずない。ああ見えて本当に負けず嫌いだから」
声音は至極落ち着いていて、一層真剣な顔付きになった深雪を見た雫はいっそ楽しそうに続けた。
「寧ろ、面白くなるのはこれから」
雫は深雪の勝利を疑ってもいなかった。一色愛梨が点差を詰めてきたと知っていて尚、雫の関心は深雪のパフォーマンスにこそ向けられていた。
そうこうする間に、最後のピリオドが始まる。
3人だけとなった選手たちが一斉に飛び立った。
一色愛梨が真っ先に。一瞬遅れて深雪と二高の選手が足場を蹴り、各々が狙った光球へ向かっていく。瞬きの間に十数メートルの高度まで飛翔し、一色愛梨と深雪が同時に最初の得点を挙げた。
そう。
「飛び上がった瞬間は確かに一色選手の方が早かったのに……」
「深雪のスピード、さっきよりも速くなってない?」
困惑を漏らしたエリカの言う通り、深雪の飛翔速度は第2ピリオドよりも更に速くなっていた。僅かに、けれど確実に早く動き出したはずの一色愛梨へ追いつくほどに。
1点目を挙げた2人が次の目標へと向かう。
先に動き出したのはやはり一色愛梨。振り向きながら一瞬だけ空中へ制止し、踏み込むように飛び出して紅色の光球へステッキを突き出す。
けれど今度の得点もまた同時だった。2点、3点と得点が重ねってもそれは続き、反応速度で勝る一色愛梨に遅れることなく、深雪は同じペースで得点を積み上げていく。
リーブル・エペーの動きを取り入れてか直線的な動きで線を引く一色愛梨に対し、深雪の機動は滑らかだった。空中で切り返す際にも止まることはなく、舞うように軽々と宙を駆ける。
柔らかな動作だけを見れば、とても急いでいるようには見えない。
けれど事実として、深雪は一瞬早く動き出す一色愛梨を捉えていた。
均衡は徐々に崩れていった。
並んでカウントが進んでいた得点は、時間が進むにつれ少しずつ深雪の側が早く進むようになっていった。相変わらず反応速度では及ばないにもかかわらず、それ以上の速度差で追撃を振り切っていく。
唇を噛んで追い縋る一色愛梨とは対照的に、深雪は表情を変えることなく段々と速度を増していった。
変化はスピードだけに留まらず、5分を過ぎた辺りで美月が呆然と呟く。
「すごい……。深雪さんの全身からサイオンが溢れ出てます」
「私にもわかります。光が漏れて、輝いているみたいに」
ほのかの発言も加わり、僕はようやく深雪の意図に思い至ることができた。
この際、魔法師は改変する重力の『方向』と『強度』のイメージを変数として起動式に入力、処理している。イメージの及ぶ範囲内である程度自由に飛び回れる代わりに、自身でもイメージのできない速度や動きは実現することができない。
想像した通りに飛べるとはいえ、感覚的には『落ちる』のと変わらないのだ。
速度が上がればそれだけ恐怖を抱くことは増え、抵抗を減らそうと頭を先に向ければそれは尚更。だからこそ飛行魔法は慣れるほど速く飛べるようになる。
深雪以上に長く飛行魔法の訓練を積んだ者はいない。飛行魔法への習熟度で深雪に勝れる者はいない。
公に発表される前から取り組んでいたのだ。一色愛梨がどれだけ早くから飛行魔法を取り入れていたとしても深雪には及ばない。
だからこそ、深雪は一色愛梨に追いつくことができたのだろう。
一瞬早く動き出す彼女に、それ以上の速度で追いつき、追い抜いていく。単純だが的確な解決法だ。美月やほのかが言ったサイオンはその余波のようなものだ。
第2ピリオドまでの深雪が手を抜いていたはずはない。安全かつ確実に、制御できる範囲内で最速の機動を行っていたに違いない。
それでは一色愛梨に及ばないと判断した。だから深雪は細かな制御を諦めたのだ。
過剰なサイオンの漏出に気を配り、事故や暴走を起こさぬよう配慮した飛び方を止めた。
その結果が溢れるほどの余剰サイオンであり、出遅れて尚追い抜くだけの速さの源。
豊富な
最終ピリオド開始から10分が経ち、ついに二高の選手が力尽きた。
夜空を駆けるのは最早2人だけ。けれどその差はまたしても広がり始めていた。
やがて終わりの時が訪れる。
点差を開かれても尚諦めず、必死で食らいつく一色愛梨を退けて。
本選女子ミラージ・バット――優勝は第一高校、司波深雪。
同時に一高は総合優勝を決め、悲願の3連覇を達成。一高側応援席の熱狂は凄まじく、涙ぐむ人の姿すらも見られた。
敗れはしたものの最後まで食い下がった一色愛梨の健闘を讃えて。
そして何より優勝した深雪へ感動と祝福の想いを込めて。
熱戦を終え、プールサイドへと降り立った2人へ改めて大きな拍手が送られる。
涙を滲ませながらもすっきりとした表情で応じる一色愛梨。
対岸に降りた深雪は荒い息に肩を上下させながら歓声へ応え、一度深く腰を折った後で兄の傍へと足を踏み出す。
その瞬間、深雪の身体が大きくよろめいた。
疲労の所為か、或いは足を滑らせたのか。
バランスを崩した深雪が倒れ込む、その寸前――達也がその身を抱き留めた。
漏れ出た悲鳴はすぐに黄色く染まり、赤くなった深雪を達也が横抱きに抱えると更に大きくなった。
怨嗟の声は全くと言っていいほどになく、達也は深雪を軽々と抱えたままボックス席へと入っていく。
何とも言えない雰囲気を残したまま、こうして九校戦9日目は幕を閉じた。
● ● ●
一足早く総合優勝を決めたその日の夜。
手空きのメンバーによるプレ祝賀会が行われる裏で、達也はホテルの地下駐車場を訪れた。基地やホテルに務める士官や送迎車両のために用意されたそこには、既に待ち合わせの相手が到着していた。
「お待たせしました」
「女性を待たせるなんてと言いたいところだけど、時間通りではあるから許しましょう」
「ありがとうございます」
意地悪く言ってみたところでまるで応えない達也に遥が唇を尖らせた。
若干の不機嫌さを滲ませながらも遥は自身の寄りかかっていた車両を示し、運転席側に乗り込む。促されるまま助手席へ身を滑らせた達也へ、遥はタブレット型の端末を取り出して言った。
「まずは連中の拠点だけど、地図データだけで良いわよね?」
「構成員が分かっていれば、そのデータもいただけますか」
遥の視線が達也へ向き、携帯端末を取り出す彼の両脇にある僅かな膨らみを捉えた。
逡巡したのは一瞬で、小さくため息を吐きながら依頼されたデータを有線接続した達也の端末へ送る。
「それともう一つの件についてだけど、ここ三か月間で『ノーヘッド・ドラゴン』に接触を図った特異な組織、人物はいなかったわ。ただ――」
受け取ったデータをざっと確認しながら、達也は遥の報告に耳を傾けていた。
片手間だからといって聞き逃すことはないものの、続く言葉には自ずと手が止まった。
「一つ気になるとすれば、先月からUSNAとの通信頻度が増していることね。それほど有意な差ではないんだけど」
「USNA、ですか」
USNA――北アメリカ大陸合衆国は21世紀半ばに旧カナダ、メキシコ、パナマまでを吸収して誕生した大陸国家だ。2095年現在において最も発展した国の一つであり、前世紀から関係の続く
表向き同盟関係にあるとはいえ、魔法師開発を含む戦力拡充競争は他国と変わらずに行われている。
魔法師の海外渡航が制限されているのは他国に有力な魔法師を引き抜かれることを恐れるが故であり、第三次世界大戦時に旧アメリカ軍が日本から撤退して以降、両国の関係はよりドライなものとなっていた。
こうした背景に加え、USNAでは非魔法師による魔法師排斥運動が日本以上の勢力を持っていた。そうでなくとも非合法組織は星の数ほどあり、それらの拠点は世界各国に点在している。無頭竜へコンタクトを図った組織や人物がUSNAに拠点を持っていたとしても、何らおかしなことはない。
今はまだ情報が足りない。この件は引き続き気を配っておくとして、今は目先の『敵』を考えるべきだろう。
思考を纏めた達也は改めて自身の端末を操作する。データ化されたプリペイドカードが送付され、ディスプレイに表示されたクレジットの額に遥が目を丸くした。
「足りませんか?」
「……いえ、十分よ」
追加依頼の分も含め、多少の色を付けたことが理由だろうか。
一瞬言葉に詰まった遥は取り澄まして頷き、タブレットをダッシュボードのグローブボックスへ収めた。達也も端末へ繋いでいたケーブルを外して一緒に内ポケットへ収め、ドアの開閉ボタンへ手を掛ける。
「ありがとうございました」
小さく頭を下げ、ボタンを押した達也へ遥がおずおずと訊ねる。
「保険、なのよね?」
片足を外へ出した状態で振り返り、短く答える。
「ええ、保険です」
言い終わると共に外へ出て、扉を閉める。
薄暗い駐車場の奥へと歩き去る達也を見送って、遥はコミューターを発進させた。
遥の乗った車両が走り去るのを見届けて、達也は右耳のガーゼを剥ぎ取った。
元よりモノリスで負った怪我は治っている。自身の持つ魔法で治療した後も尚ガーゼを当て続けていたのは、単に不信を免れるために過ぎない。
外したガーゼを掌中で消し去った達也は、そのまま駐車場の一角へと向かう。
ブラインドで中の窺えない車両の助手席側へ立つと、ノックをするまでもなく扉が開いた。音もなく身体を滑り込ませ、扉が閉まったところで運転席側から声を掛けられる。
「今の人は?」
「公安のオペレーターです。本人はカウンセラーが本職だと言い張っていますが」
達也の答えに、響子はクスっと笑みを漏らした。
「パートタイムオペレーターというわけね」
第一高校の一年生である『司波達也』とは異なる顔を知る響子は、達也が一介の高校生とは桁違いの資産を有していることも知っている。
だからこそ達也が支払ったであろう依頼料の破格さも予想でき、また同年代の遥が得た臨時収入への感覚も想像がついた。
「私もバイト代をもらおうかしら」
ため息と一緒に嘯いて車両を走らせる。達也が受け取った地図データをナビ・システムに転送し、表示された位置情報を見た響子が僅かに目を細めた。
目的の座標を示すマーカーは国内随一の国際港――横浜を示していた。