モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う 作:惣名阿万
お待たせしました。
第三章『夏休み編』開始となります。
プロローグ
8月13日。オーストラリア北部、ダーウィン基地。
かつては国際空港として人と物の出入りが盛んだったこの場所は現在、当時と全く異なる趣の下で運営されている。
世界的な気候の寒冷化に伴い生起した第三次世界大戦と、その後20年間に及んだ群発戦争を経た後、オーストラリアは実質的な鎖国政策を選択した。
元より人口に対して広大な土地を保持していた同国は、大陸中央部に広がる砂漠の耕作地化に成功したこともあって食料資源に困窮することはなかった。鉱物資源も豊富で、今世紀前半までに導入した先端技術により発電設備も国内需要を十分に満たしている。
自給自足の可能なオーストラリアにとって、群発戦争下でテロリストや反政府勢力の跳梁跋扈は、出入国制限による物流、人流の制限を受けてもなお余りある脅威だったのだ。
人の出入りが極端に制限された鎖国体制下。とはいえ、完全に外国との交流を絶ったわけではない。政府が必要と認める相手であれば秘密裏に、或いは特例での民間貿易を通して一部の国家との交流は続いていた。
オーストラリア政府が最優先で必要としたのは自国を守るための軍事力とその為の技術。特に少数で敵対勢力の捜索、駆逐が可能となる魔法師戦力を何よりも求めていた。
こうした背景もあり、政府は外交の続いていた国の中から最先端の魔法師開発技術を持つとされる国を頼りとした。
歴史的に深い繋がりを持ち、当時USNAと並んで魔法師開発技術の先進国と言われていたイギリスが教授役に選ばれたのは、必然の結果と言えるだろう。
ダーウィン基地の滑走路に超音速輸送機が降り立った。
2090年代以降に設計開発された最新鋭機であり、英国軍も少数しか所有していない虎の子の機体だ。本来であれば秘匿されるべき最新軍用機を持ち出したのは、内に抱えた乗客がそれに見合うVIPであるからに他ならない。
機体後部の昇降ハッチが開き、瀟洒なスーツに身を包んだ長身の老人が姿を現した。銀色の髪を撫でつけ、
「サー・ウィリアム・マクロード。ご来訪を歓迎致します」
出迎えたのはダーウィン空軍基地の司令。英国の国家公認戦略級魔法師『十三使徒』――国防上における最高位の重要人物を迎えるにあたり、司令はこの場に自ら足を運んでいた。
「ご丁寧なお出迎え、痛み入ります」
マクロードの物腰は丁寧で、とても国家元首に相当する大物とは思えないものだった。
それでも基地司令は一切気を緩めることなく、細心の注意を払ってマクロードを促した。
「ウィリアム卿、どうぞこちらへ」
示した先で副官が自走車の扉を開け、敬礼ではなく恭しくお辞儀する。
マクロードは微笑を浮かべたまま気品たっぷりにお辞儀を返して、ロールスロイスのリムジンへと乗り込んだ。
リムジンが向かった先は防空地下シェルターの奥深くに守られた研究所だった。
かつてマクロードが指導したここでは、当時のオーストラリア軍における魔法師開発の先端研究、並びに調整体魔法師の研究、製造が行われていた。
オーストラリア政府の要請を受けた当時の英国政府は、この国へマクロードを送り込んだ。
以降、彼が直接携わった調整体魔法師研究のみならず、この国で生まれ育った魔法師の能力強化にもマクロードのノウハウが活かされている。
群発戦争終結以降も続くオーストラリア国内における魔法研究の成果は、マクロードの功績の上に成り立っていると言っても過言ではなかった。
「お久しぶりです、サー」
「またお目に掛かれまして光栄であります」
地下とは思えない豪華な部屋でマクロードを待っていたのは2人の男女だった。
30代と思しき白人男性と、同じく白人の女性は12、3歳程の見た目の少女だ。
「ジャズ、また会えて嬉しいよ。ジョンソン大尉も変わりないようで何よりだ」
「私もです、サー」
「恐縮です、サー」
微笑を浮かべたままのマクロードにそれぞれが応え、ゆったりとソファに腰かける彼の前で完璧な気を付けの姿勢を守る。
「二人とも、楽にしてくれたまえ」
言われて始めて2人は休めの姿勢を取った。
軍靴の立てる音が揃って鳴り、両手を腰の後ろで組んだ後で鼻先がマクロードへと向けられる。マクロードの対面や脇には空いている席があったが、当然のように2人は腰を下ろさなかった。
「早速だが、話は聞いているかね?」
疑問を抱く素振りもなく、マクロードが訊ねる。
軽快なバリトンと芯の通ったアルトが同時に「イエス・サー」を返し、頷いたマクロードは穏やかな口調で続けた。
「君たちにとっては不本意な作戦だと思うが、これ以上日本が勢力を伸ばすのはパワーバランスの観点から好ましくない。この作戦は彼の国や本国だけでなく、我が連邦にとっても有意義なものだ」
マクロードの口にした『連邦』は第三次世界大戦の際に消滅した連邦政府を指しているわけではなく、その背後で脈々と継がれた『コネクション』を示すものだ。国家という看板を失ってもなお続くこの連携についてオーストラリア側は正しく理解しており、当然この場にいる2人も認識していた。
「いえ、命令に対して不服などありません。微力を尽くします」
そう答えたのはジャズと呼ばれた少女。
本名はジャスミン・ウィリアムズ。オーストラリア軍内における階級は大尉。
マクロードが直接手掛けた調整体魔法師『ウィリアムズ・ファミリー』の一人で、12、3歳にしか見えない見た目に対し、今年で28歳を迎える練達の魔法師だ。
「そうか」
満足げに頷いたマクロードがジャケットの内ポケットへ手を伸ばした。
取り出したカード型のストレージを右手の指で挟んで持ち、二人へ掲げて見せる。
「聞いているのは作戦の概要だけだと思う」
「肯定であります」
ジャズの隣の男性――ジョンソンの答えにマクロードが再度頷く。
流れるような所作で眼前のローテーブルにストレージを置いた彼は、ほんの僅かに押し出した後で指を離した。自然、2人の視線がテーブルへと寄せられる。
「ここに作戦の詳細が記されている。ただし、いつも通り地名と人名は省かれている」
ジャズとジョンソンは特に口を挿まなかった。直接訪問してというのは珍しいものの、内容や方法としてはマクロードの言う通りこれまでと変わらないものだった。
「作戦の対象は横浜国際会議場、及び横浜ベイヒルズタワーの日本魔法協会関東支部だ」
説明を待つ2人へ、マクロードは淡々とそう告げた。
● ● ●
8月14日。九校戦の閉会式が行われた翌々日。
夏休み後半を目前に控えたこの日、FLTや独立魔装大隊での用事で忙しくなる前にと、達也は深雪を連れてショッピングを楽しんだ。
この日の目的はミラージ・バットで優勝した深雪への『ご褒美』を買うこと。前日の晩に欲しいものを訊かれた深雪が「夏物のワンピース」と答えた結果、2人は都心のショッピングタワーにあるブティックへと繰り出した。
夏休み真っ只中の日曜日だけあって人の多い中、達也を引き連れて店内へ入った深雪は次々に試着を繰り返しては兄の感想を求めた。
達也の方も深雪のファッションショーに眉一つ歪めることなく、20着ほど試した衣装の全てを違う言葉で褒め称えた。
長らく続いたファッションショーが終わる頃には兄妹を遠巻きに見る視線も数多く、けれど2人はそれらを意に介することもなかった。
結局、目当てのワンピースに加えて2着のドレスを購入した達也は、買ったばかりのワンピースを着た深雪と共にモール内のパスタハウスへと入り、内装と味の両方に店主のこだわりが窺えるそこで舌鼓を打った。
その後、無粋な輩に絡まれる一幕こそあったものの、並大抵の相手では実力も度量も経験も達也に及ぶべくもない。
楽しい夏のひとときを過ごした2人。
とはいえ、この日の出来事はこれで全てというわけではなかった。
夕食を終え、夏の長い日が暮れた後、達也と深雪は九重寺を訪れた。
すっかり日の暮れた境内の階段を上る。
「突然時間を変更して欲しいと仰っていましたが、ご都合が悪かったのでしょうか」
「どうだろう。時間が取れないのであれば断られていたと思うけれどね」
疑問を浮かべた深雪に、心配は要らないと達也が視線で宥めた。
この日、この時間の訪問は、九校戦が終わって帰宅したその日にアポイントを取ったものだ。にもかかわらず直前になって1時間遅い時間を指定された二人は、疑問に思いつつも言われた通りの時間にこの場を訪れていた。
前に向き直った2人は一段一段しっかりと石段を踏みしめて上る。暗くて危ないからという建前で達也の腕を取り、それが理由で尚のこと足取りは緩やかになっていた。
階段を上りきったところで深雪の手が離れる。
山門を潜り、本堂の前を庫裏へと歩く2人は、そこで見知らぬ人物とすれ違った。
剃髪した老人だった。見た目とこの場の雰囲気だけを取り合えば仏門の関係者かとも考えられたが、達也の直感は違うと告げていた。出家し俗世から離れた者ではなく、世俗で強い権力を保持している印象があった。
まだ暑さの残る夏の宵の口にもかかわらず、老人は高級なスーツを身に纏っていた。
ちらと向けられた目は左側だけが白く濁っていて、達也は得体の知れない恐れが湧くのを感じた。
軽く会釈をして脇をすれ違い、振り返りたい衝動を抑えて本堂を回り込む。
八雲の待つ庭までの短い道中、達也の脳裏には老人の印象的な目が揺れていた。
いつも通り、八雲は縁側に腰かけていた。片脚だけ胡坐を組み、軽く仰け反らせた身体を縁側に着けた両手で支えている。視線は空へと向いたまま動かず、文字通り上の空といった様子だった。
「こんばんは、先生」
深雪が声を掛けると、八雲は待っていたとばかりに振り向いた。
仕草はともかく、達也と深雪がやって来たことには当たり前だが気付いていたらしい。
「やあ、達也くん、深雪くん。急な頼みで悪かったね」
「こんばんは、師匠。お気になさらず。お話を伺いに来たのはこちらですから」
すれ違った老人の正体について達也は訊ねなかった。他人の客を詮索すべきではないと考えたのもあるが、訊いても答えは得られないだろうと思っていた。
高僧であり、また『九重』の名を継ぐ忍術の伝承者でもある八雲が、唐突の訪問にも関わらず無下には扱うことのできない相手だ。本山か、或いは別の縁がある者と考えるのが自然で、下手に首を突っ込めば蛇を出すことにもなりかねない。
達也の挨拶に片手を挙げて応えた八雲は、そのまま縁側を軽く叩いた。
促されるまま2人が並んで腰かける。
「まずは九校戦での優勝おめでとう。達也くんも深雪くんも大変な活躍だったと聞いているよ。君たち二人とも、一高の優勝に大きく貢献したそうじゃないか」
「ありがとうございます、先生」
「エンジニアとしてならともかく、競技の方は成り行きでしたが」
素直に称賛を受ける深雪に対し、達也は一礼しつつも苦笑いを浮かべた。
「達也くんが出ていなければ本選はともかく新人戦は優勝できなかったんじゃないかな?」
「そうですよ。お兄様の貢献は明白なのですから、謙遜が過ぎると思います」
しかし八雲と深雪に揃って窘められ、達也は潔く認識を改めるべきと考えた。
その後は深雪が八雲へ競技の様子やチームメイトの活躍などを語る時間が続いた。
自身や達也のことのみならず、一高のチームメイトについても楽しげに話す深雪に、達也と八雲は微笑ましい表情で相槌を打っていた。
十五分ほど和やかな話が続き、一高の優勝で話が締めくくられた後、八雲はにこやかな笑みを浮かべたまま軽く膝を打った。
「いやー、君たちが高校生として充実した日々を過ごせているようで何よりだよ。事情が事情だから仕方ないとはいえ、入学の前後はずっと気を張っていたようだからね」
八雲に言われて、達也はばつの悪い表情を、深雪は恥じらい交じりの苦笑いを浮かべた。
二人の反応に満足げな笑みを浮かべた八雲は気を取り直したように続ける。
「さて、それじゃあそろそろ達也くんの疑問に答えようか。楽しい話を聞かせてもらったからというわけじゃないけど、出来る限りは答えるよ」
せめてもの反撃にと半眼に見るも、意地の悪い師に効果はなく。
諦めた達也は内心でため息を吐きつつ頭を下げ、この日の本題を切り出した。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて――」
そう言って、達也は無頭竜の拠点を襲撃した際のあらましを語った。
《
情報次元における存在を隠蔽し、物理次元に虚像を生み出す久沙凪煉の魔法の正体を探るため、達也は八雲に助言を求めたのだ。
一度話して聞かせていた深雪がそれでも驚きを滲ませる中、八雲は表情を変えることなく頷いた。
組んでいた足を崩して下ろし、膝に置いた右手とは逆の左手を掲げて口を開く。
「前に遥くんが来たときにも言ったね。達也くんの『眼』を誤魔化すには気配を消すんじゃなく偽るべきだと」
八雲の言葉を受け、達也は眉を寄せて目を細めた。
「ではやはり、久沙凪煉のアレは」
「見た者の認識に干渉し存在を偽る術――《隠れ蓑》だね。幻影を生む《纏衣の逃げ水》と同じ忍術の一つだ。天狗術、と呼ばれることもある」
答え合わせを口にされ、達也は右手を顎に当てた。
《隠れ蓑》と《纏衣の逃げ水》。どちらの術にも聞き覚えはなく、だからこそ八雲が明かしたその術の名は本来秘すべきものなのだと思い至る。
秘匿されている術の名と概要を、正式な弟子ではない達也へ明かしたのだ。その意味は八雲自身の口調とは裏腹に重い。
術の原理や仕組みへの興味を抑えて、達也は別の疑問を口にした。
「天狗術……。久沙凪の家系は京都を本拠地にしていたのでしたね?」
天狗と京都。この二つの単語から連想される地名が脳裏を過った。
表情と言葉から達也の推測を読み取って、八雲は正解とばかりに頷く。
「君の考えている通り、彼の技は鞍馬ゆかりのものだ。そして、かつて彼の山に住んでいたとされる大天狗は『鬼一法眼』と同一の存在とも謂われているね」
鬼一法眼。
平安時代、京都で過ごしていたとされる陰陽法師であり、また京八流と呼ばれる剣術の開祖とも伝わる人物だ。有名な源義経に剣術を教えた師であるとも記録されている。
「久沙凪家は古式の剣術を伝える家系。鞍馬の天狗と鬼一法眼が同一だとして、授けたのが剣術だけでないとすれば――」
「久沙凪煉は古流剣術と忍術の両方を操ることができる、ということですか?」
深雪の相槌に視線だけで頷く。
二人が改めて目線を転じると、八雲は苦笑いを浮かべて禿頭を掻いていた。
「彼らの本懐はあくまで『刀を打つ』ことなんだけどね」
何気ない口調でありながら念押しのように続けたそれが達也の脳裏に引っ掛かった。
春に久沙凪煉という人物について問いかけた際は確かに刀工集団の末裔だと口にしていた。本当に鬼一法眼の教えを受けた鍛冶師だったのであれば、さぞや当時の朝廷や武家から重宝されたことだろう。
ただ、そうだとすれば何故刀を打つことを目的としたのか。
天狗術を併用する剣士ともなれば刀鍛冶ではなく武士として重宝されたはずだ。にもかかわらず、久沙凪の家は刀工を生業とし続けた。平安時代から続くともなれば1000年にも及ぶ途方もない時間だ。
何代も世代を重ね、一度は与えられた『数字』を失ってまで叶えたい本懐とは何か。
『刀を打つ』と八雲が表した言葉の真意は何なのだろうか。
問いかけようかと考えたところで機先を制される。
「これ以上は高く付くよ」
八雲の表情は常通りの穏やかなものではあったが、全身からは詮索を禁じる圧力が発せられていた。
大人しく引き下がり、達也は軽く会釈をした。
それだけで八雲の放っていた威圧感は嘘のように消え、夜の境内に虫の声が戻った。
深雪が安堵の息を漏らし、緊張の解けた肩を撫で下ろす。
彼女の仕草を見た八雲は苦笑いを浮かべて禿頭を掻いた。
後に人類史の転換点と評される日まで2か月あまり。
複雑に絡み合った思惑は静かに、しかし確実に現実を侵食し始めていた。