モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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第1話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 九校戦が終わり、夏休み後半を迎えた一高の敷地内は人影も少なく閑散としていた。

 在校生の多くは選手団、或いは応援団として九校戦に参加していたこともあって本格的な休養は始まったばかり。そうでない生徒もこの時期になると自宅や避暑地などで過ごすために学校へ出てくることは稀だ。

 

 もう少し新学期が近付けば各クラブも活動を再開するだろうが、今はどこも自主トレ期間で学校へ出てくる者は少ない。いるのは人が少ない間に設備を利用しようと考える人か、或いは何らかの用事で学校を訪れている人くらい。

 

 ここ、『閉所戦闘(C Q B)練習場』でもそれは同じだった。

 

 

 

 所々照明の落とされた隘路(あいろ)を身体能力だけで走る。薄暗い進路は不規則に並んだ角柱が形作る見通しの悪いもので、壁はなくとも迷路そのものといった印象だ。

 足下には廃材や角材といった障害物が転がっていることもあり、注意を怠れば転倒の危険もある。だからといって足を緩めればタイムアタックが目的のこの競技の趣旨には合わない。

 

 視線を配りながら分岐路を右手に曲がると、自動銃座のLEDが目に入った。

 考える間もなく右手が動き、拳銃形態の特化型CADが単一工程の加重魔法を展開する。ペナルティのペイント弾が発射される前に胴体部の加圧センサーを捉え、銃座が稼働を停止した。

 

 足を止めずに銃座の脇を抜け、続くコースを前進していく。

 同時に感覚の糸を『内側』へ伸ばし、スタートから保持したままの魔法式(・・・・・・・・・・・・・・・・)に乱れがないかを確認。健在なのを確かめては全周への警戒を払い、ゴールへ向けて足を回した。

 

 何度か銃座を沈黙させながら前進を続け、いよいよゴール間近となったその時、不意に踏み込んだ柱の両側が突如として開けた。

 

 照明が落ちていたこと、柱の形で錯覚していたこともあって、左右に道が通じていることに気付かなかった。

 銃座から伸びた光条が両脇から身体を捉え、見て確認するまでもなく銃口が開いているとわかる。

 

 自動銃座の照準から発射までの猶予は僅かに1秒。迎撃の時間はない。

 

 判断した瞬間、脱出ボタンを押すイメージで待機させていた魔法式を発動。

 直後、首を掴まれたように斜め後方へ身体が引かれる。前進していた身体に真逆への力が加わり、骨と筋肉の軋む感覚が全身を襲った。

 

 間一髪、目の前を赤色のペイント弾が通り過ぎる。左右から飛来した弾はそれぞれ柱へと当たり、潰れたトマトのように側面へと貼り付いた。

 一発でも受ければその時点で競技終了だ。実戦なら致命傷を負っていた可能性もある。油断をしていたつもりはないが、疲れで集中が切れてきているのかもしれない。

 

 心臓が跳ねるのを感じて大きく息を吐く。

 リタイアを免れたのも束の間、方向の改変された重力に引かれるまま後背へ落ち(・・)、引力が途絶えた側から体勢を立て直した。

 2歩、3歩とたたらを踏みはしたもののどうにか倒れることなく堪え、再び前へと足を踏み出す。右手のCADから起動式を読み出し、発動直前の状態で止めて同じ通路へと飛び込んだ。

 

 再度伸びてくる照準用レーザーを掻い潜るように滑り込み、右手の銃座へ向けて魔法式を投射。戦果を確認する間もなく身体を捻り、ループキャストされた魔法で左側の銃座へも加重魔法を放つ。

 

 赤色光が消えたのを視界の端に捉えながら踵を立てて起き上がる。

 立ち上がった勢いのままに直線を駆け抜け、ゴールラインを超えて足を止めた。

 

 競技終了を示すブザーが鳴り、息を整えている間に照明が光度を取り戻した。

 明るくなり、コースを形成していた角柱が床面へと収まった後を歩いてスタートの方へ。

 

 操作盤に表示されたタイムは悪くないものだった。少なくとも自己加速術式を使わない記録としては自己最速だ。

 とはいえ、まだまだ改善の余地はある。銃座を撃つときに速度を落とさず動ければロスは減るし、何より一度後退せざるを得なかったのは大きなミスだ。

 

 身体に残った疲労感と噴き出す汗、時刻も既に11時を回っていることも加味して、今日はこれで切り上げることを決めた。操作盤からシステムに自動クリーニング後のシャットダウンを命じて練習場を後にする。

 

 準備棟に戻ってまず汗を拭い水分を取った後、更衣室隣の整備室へ入った。共用の用具庫からCADの整備用具を取り出し、ベンチに腰かけ特化型と汎用型それぞれを洗浄液で拭っていく。

 数えきれないほど繰り返した作業は手順から何から身体が覚えていて、だからこそ頭の中では別のことを考える余裕もあった。

 

 

 

 

 

 

 連日の練習の甲斐もあり、段々とあの技――『ディレイド・キャスト』を使う感覚にも慣れてきた。起動式の方も『お手本』を参考に組んだだけあって作動は良好で、あとは細かな微調整とハード側の性能次第で実戦投入可能なレベルになるだろう。

 

 『ディレイド・キャスト』は新人戦モノリス・コード決勝で吉祥寺真紅郎相手に使用した技能で、実用化に苦慮していた技術を達也の協力を得て完成させたものだ。

 

 魔法を使用する際、魔法師はCADから取り込んだ起動式を基に魔法演算領域で魔法式を構築し、完成した魔法式を『ルート』と呼ばれる意識と無意識の重なる領域に転送。ルートにある魔法師の精神とイデアを繋ぐ『ゲート』からイデアへ投射、対象のエイドスを改変している。

 

 この時、構築した魔法式をすぐにはイデアへ送らず、魔法師の魔法演算領域内で保持しておく技術は既に存在している。『十師族』や一部の『数字付き(ナンバーズ)』は実用化しており、咄嗟の場面でもCADを必要としない技術として一部で知られたものだ。

 

 魔法を発動直前の状態で待機させておくメリットは、いざ発動すべき瞬間に迅速な展開が可能となる点だ。CADの操作はおろか起動式の展開、読み込みの時間も省略できるので、発動までのスピードはそれだけ早くなる。

 一方で、一度魔法を待機させると変更できなくなる点は大きなデメリットだ。多種多様な魔法をマルチキャストできる《三矢》や《七草》にとっては左程弊害にならないが、僕のように多くの魔法を併用できない魔法師にとっては無視できない。

 

 これは『森崎家』でも同じ結論に至ったことで、百家の一つとはいえ魔法力は平凡の域を出られない『森崎』ではこの技術を使いこなすことができないとして研究されてこなかった。即応性だけなら『クイックドロウ』で十分に補うことができたというのもあるだろう。

 

 『森崎家』は不要と断じた技術を、それでも習得しようと考えたのは格上の相手に対抗するためだ。単純な速度以上に相手を攪乱する目的で使用できるこの技術は、地力で劣る僕が増やすことのできる数少ない手札の一つだった。

 

 とはいえ習得は容易ではなく、原作知識を基に試行錯誤を重ねても結局独りではものにできなかった。

 精神干渉系魔法への適性も、達也のような特殊な『眼』もない僕には、イデアやゲートといった精神と情報の次元に対する認識能力が足りず、魔法式を保持する感覚というものが掴めなかったのだ。

 

 こうした難点を解決したのが他ならぬ達也だ。

 モノリスで協力を得るに当たり、彼は起動式自体に専用の記述を書き加えることを提案した。

 

 起動式とはいわば魔法式構築のための設計図だ。座標や強度、持続時間などが定数、或いは変数として記述されていて、起動式を受け取った魔法師はこの設計図の通りに魔法式を構築、変数部分をイメージで埋めることで、半ば無意識の内に魔法を発動することができる。

 

 達也が提案したのはこの起動式の最後に条件(トリガー)を追加することで、条件を満たすまで魔法式の構築が終わらないようにするものだった。

 魔法式を敢えて未完のままにしておくことで、魔法式がルートへ送られるのを止める。流れる水を堰き止め、任意のタイミングで解放する水門を作るような発想だった。

 

 もちろん、未完の魔法式を維持するために集中を持続させる必要はある。時間が経てば経つほどに綻びやすくなるため、使いどころを選ぶ技術ではあるだろう。

 それでも魔法式の送出を堰き止めることに意識を割かずに済む分、格段に習得し易いものになった。こうした発想がノータイムで出てくるあたり、やはり達也の発想力は図抜けている。

 

 特殊な才能がなくても訓練次第で誰もが使えるようになる工夫。

 『ディレイド・キャスト』は達也が考案した、単純だが効果的な普遍化技術だった。

 

 達也のアドバイスと具体的な起動式の改訂により、新人戦モノリス・コード決勝では吉祥寺真紅郎相手に『ディレイド・キャスト』を有効活用することができた。

 使った起動式のデータはコピーを受け取ってあるので、それを参考に他の術式で使用することもできる。さっきの移動魔法も『ディレイド・キャスト』を利用したもので、咄嗟の回避手段として十分な効果を発揮していた。

 

 今後も練習は続けるとして、あと考えるべきはどの魔法に組み込むかだろう。

 自己加速術式に組み込んで幻惑目的にするか、或いは――。

 

 

 

 

 

 

 そのとき、ふいに整備室の扉が開かれた。

 顔を上げてそちらを見ると、驚いたような目と視線が合う。

 

「森崎? もう出てきてたんだ」

 

「滝川さん。君も自主トレか?」

 

 彼女は一年女子代表として九校戦にも出場していた滝川和実(たきがわかずみ)。操弾射撃部のホープで、九校戦では達也のサポートの下、スピード・シューティングに出場して4位入賞となっていた。

 

 コンバットシューティング部と操弾射撃部は同じ射撃系クラブということもあって、使用するCADのパーツに互換性のある物も多い。限られた予算の都合上、消耗しやすいパーツに関しては融通し合うのが伝統となっているのも自然な流れだろう。

 そういった事情もあるからか、滝川さんとは九校戦の練習が始まる以前からも話す機会があった。別のクラスの女子生徒ではエイミィに次いで顔を合わせることが多いかもしれない。

 

 エイミィとはまた違った気さくさのある彼女は、とかく女傑の多い一高女子の中で最も気安く話せる雰囲気の持ち主かもしれない。

 

「まさか。九校戦が終わって一日しか経ってないのに、そんな元気は残ってないわ。忘れ物を取りに来ただけよ」

 

 肩を竦めて首を振る彼女はそう言って、隣接する女子更衣室へと入っていった。

 自主トレをする元気は残っていないのにもかかわらず、わざわざ日曜に学校へ出てくるほどの忘れ物とは何なのだろうか。

 

 5分と掛からず出てきた彼女は肩からバッグを下ろして斜向かいのベンチに腰掛けると、感心しているのか呆れているのかわからない表情でため息を吐いた。

 

「それにしても、さすがね。あれだけ活躍してたのに、もうトレーニング再開したんだ」

 

「身体を動かしたくてな。ここなら大手を振って魔法を使った練習ができる」

 

 隠す必要もないので正直に答える。

 途端、彼女の顔は明確な呆れ笑いに変わった。

 

「また無茶して倒れたら雫が悲しむわよ」

 

「大丈夫だ。自分の限界は弁えてる」

 

「そういうこと言ってるんじゃないんだけど……」

 

 ついに頭を抱え始めた彼女に「冗談だ。もちろん無理はしない」と嘯くと、半信半疑といったように睨まれた。

 

「悪かった。心配してくれてありがとう」

 

 自ずと浮かんだ苦笑いと一緒に目礼する。

 不承不承といった様子で鼻を鳴らし、一応納得したらしい彼女はそれきり立ち上がって入り口へと向かった。

 

「それじゃあ、あたしは帰るから」

 

「ああ。気を付けてな」

 

 

 

 扉を開いて出ていく背を見送りながら、ふと考える。

 

 来る10月30日、彼女は横浜にいるのだろうか。

 原作で語られた中にはいなかった彼女もあの一件に巻き込まれたのだろうか。

 

 扉が閉じる音が室内に響く。後には静けさだけが残った。

 手元のCADをベンチに置き、両手で身体を支えて天井を見上げる。

 

 何も滝川さんだけの話じゃない。どれだけの人が侵攻の当事者となったのか、その全様はわからないのだ。

 

 先日の九校戦が僕の知っている展開とは違っていたように、横浜での一件も原作と異なる流れになる可能性は十分考えられる。そうなった場合の危険度はこれまでの比じゃない。友人や知人が危機に晒される状況も出てくるかもしれない。

 

 誇張でもなんでもない、文字通りの戦場だ。原作では語られていなかっただけで死傷者は数多く出ていただろうし、もしも流れが変われば僕の知る誰かが傷付くことになるかもしれない。

 実際、あわやという場面は原作にも描かれていたのだ。達也が翔け(・・)付けなければ命を落としていて、深雪が対処しなければもっと被害は増えていたかもしれない。

 

 不当に傷つけられる人がいるのは苦しい。

 生きていられたはずの人がいなくなるのは堪えられない。

 

 手の届く範囲は限られていると知っていて、けれど伸ばすことを諦められはしない。

 僅かでも指先を遠くへと伸ばせるのなら、炎の中に踏み込んだって構わない。

 

 それで誰かの命が助かるのなら。彼らの助けになれるのなら。

 この身が戦火に焼かれようと構わない。喜んで暗中で灯る火種になろう。

 たとえ燃え尽きたとしても、彼らの未来が守られるのなら後悔はしない。

 

 明日からは有明でリン=リチャードソンを探す日々が始まる。

 彼女が原作と同じ場所へ、同じタイミングで現れる保証はない。張り込んだところで無駄になる可能性は十分あるし、その分を鍛錬や後々に向けた準備へ費やした方がよほど建設的だ。頭では理解しているし、そうすべきだと思う気持ちも確かにある。

 

 それでも、行かないという選択肢はない。

 

 既知の筋書通りに彼女が現れて、『森崎駿()』に与えられた唯一の役割をこなして。

 これが終われば後はもう、彼らを支えることに全力を傾けられる。

 僕がいないことで起きる弊害(・・・・・・・・・・・)はもうないのだから、後の心配をすることなく全霊を尽くすことができる。

 

 整備を終えたCADを所定の場所に片付け、制服に着替えて準備棟を出る。

 真上から照り付ける陽光を翳した手のひら越しに見上げ、深呼吸と一緒に鳩尾で燻る吐き気に似た感情を呑み下した。

 

 

 

 

 

 

 程なくして駅へと到着。改札を抜け、人もまばらな構内へと入る。

 夏休みの最中とはいえ、都市部から離れた郊外だ。利用客は少なく、キャビネットの車両を待つ列は長くはなかった。車両数の増えるコアタイムでないことを差し引いても5分と掛からず乗車できるだろう。

 

 列の最後尾に並び、少しでも暑さを紛らわそうと小さく息を吐く。

 頭の中でスケジュールを反芻しながら順番を待っていると、不意にポケットの端末が着信を知らせた。

 

 画面に表示された名前に自然と眉が寄る。

 後ろに並んだご婦人に会釈をして列を離れ、ホームの端へと移動して電話を取った。

 

「――お久しぶりです、父さん」

 

 父さんからの電話は例によって仕事の依頼だった。

 日取りは今月27、28日の土日。クライアントはトウホウ技産の重役で、スエさんからの紹介らしい。商談の関係で東京近郊を訪れるのだが、その際に持っていくサンプルが貴重なものなんだとか。護衛対象も複数人に及ぶため、単独ではなくチームの一員としての仕事だ。

 

 二つ返事で了承を返し、脳内のスケジュールに予定を書き込む。仕事の間は有明に張り込むことができなくなるが、スエさんの仲介とあっては断る選択肢などありえない。

 用件も聞いたので通話を終えようとすると、通話口の向こうから事務的な口調に遮られた。口を噤んで続きを待つ僕に、父さんは淡々と告げた。

 

 曰く、次の土曜の夜、とある家で会食が開かれるので参加するようにと。

 こちらもスエさんからの話で、春に実現できなかったことのリベンジだそうだ。

 

 ついにこの日が来たかと内心でため息を吐きながら了承を返し、今度こそ通話を終える。

 

 危険に対する時とは別種の緊張と気後れが背中を撫でて、けれど真実を知った瞬間の彼女の表情を想像すると、少しだけ楽しみにも思えた。

 

 

 

 

 


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