モブ崎くんに転生したので、謙虚に生きようと思う   作:惣名阿万

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 大変長らくお待たせいたしました。
 
 
 
 
 


第3話

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「――『筋書』にはなかった選手たち。異なるアプローチでの妨害。果てには君自身への工作に反魔法師主義団体の活発化ねぇ。また随分と大変な苦労をしているようじゃないか」

 

 九校戦期間中のあらましや人間主義の状況を聞き終えたクラウス博士はニコニコと楽しそうに笑った。

 大方、原作通りに事が進むとは思っていなかったのだろう。夏休み前に会った時もそんなようなことを言っていたし、今回も何かしら予想は立てていたのかもしれない。

 

 自然と寄った眉にもまるで堪えた様子はなく、口元に笑みを湛えたまま博士は続ける。

 

「それで、君はどう思っているんだい? 筋書とは違うことが起きて、今後もそうした違いは現れるかもしれない。そうなった時、君はどうするのかな?」

 

「……まだ、はっきりとはわかりません」

 

 釈然としない感覚は一度脇に置いて答えた。

 

 春の一件と九校戦のどちらもが僕の知る流れとは少なからず変わっていた。久沙凪煉の存在然り、無頭竜の慎重さや一色さんたちの台頭も原作と異なる要素だ。

 こうなった以上、今後起きることも変わる可能性は大いにある。中には取り返しのつかない違いを生み出す要因があるかもしれない。

 

「本来あるべき流れを踏襲するのが最善だと今でも思います。最悪の結末を防ぐためにも、筋書からの乖離は出来る限り小さい方がいい」

 

 原作の『魔法科高校の劣等生』は達也と深雪の活躍はもちろん、多くの仲間たちの協力、そして数々の幸運もあった上でようやく大団円を迎えた。

 

 数多の脅威に晒されながら犠牲は少なく。

 懸念だった四葉との決別もなく。

 悲運の果てに対立した相手とも和解し。

 

 周囲を取り巻く環境を少しずつ変えていった結果、積み重ねたモノが功を奏し、主人公は大切な人と共に陽の当たる場所へ立つことができた。

 達也と深雪だけでなく、彼ら兄妹と友誼を結んだ人々もそれぞれに才覚を発揮し、移り変わる時代の中で確かな輝きを放つようになった。

 

 原作で迎えた結末こそ最善の光景だ。その根幹は揺らがない。

 

 ただでさえ3年前の『森崎駿()』が『最善』以上の『最良』を目指した結果、この世界は既に『最善』には届かなくなってしまったのだ。

 これ以上の悪化を防ぎ、せめて『次善』を保つためにも原作本来の流れを辿るべきだと、そう思っていた。

 

「ですが状況は確実に変わってきています。僕の行動が全ての元凶なのか、それとも他に理由があるのかはわかりませんが、僕の知る筋書とは少しずつ変わってきている。何もせずにいたらいずれ致命的な齟齬を生む要因になるかもしれない」

 

 先の九校戦では無頭竜が原作よりも慎重に立ち回っていた。組み合わせの操作で一高陣営は不利を被っていたことに加え、一色さんたちの台頭によって三高は得点を伸ばしていたのだ。

 五十嵐や香田をはじめ、男子メンバーの奮起がなければ新人戦優勝を果たすことはできなかっただろう。雫や深雪が一色さんたちとの直接対決に勝利したことも大きい。

 

 もしも無頭竜の思惑通りに事が運んでいたら、或いはモノリス・コードに達也が出場することもなくなっていたかもしれない。

 新人戦で優勝できず、達也がモノリスに出ることもなくなれば、それはいずれ取り返しのつかない事態を招く可能性すらあった。

 

 同じようなことが今後起きないとは限らない。

 

「『最善』に近付けるという目的に変わりはありません。ですが関わり方は変えなくてはならないと痛感しました」

 

 より良い結果を求めて力を尽くす。

 

 五十嵐や香田、そして雫はそんな当たり前のことを思い出させてくれた。

 原作に縋るだけだった僕が達也や幹比古と並んで挑めたのは、彼らの言葉があったからだ。

 

「静観し、筋書き通りになるのを期待するだけでいるのはもう止めます。これからは逸れた流れを正し、少しでも『最善』へ近付けられるよう出来ることをしていくつもりです」

 

 大本の方針は変わらない。必要なのはイレギュラーに対する備えだ。

 

 あるべき流れを維持し、逸れるようなら軌道修正を図るために。

 思い付く限りの想定をして、出来る限りの準備をして、不測の事態にも対処できるように。

 

 『彼ら』を守れるように。そのために力を尽くそう。

 

 もっと力を付けて、もっと工夫を重ねて、もっと頭を働かせて。

 今まで以上に研鑽を積んで、より良い結果を求めるのだと、そう決意を改めた。

 

 顔を上げた先で、クラウス博士は珍しく驚いたような顔をしていた。

 目が合ったところで瞬きを2回。瞼を閉じ、深く味わうように吟味した後でゆっくりと口を開く。

 

「それが良いことなのかそうでないのか、君自身がどう感じているかはわからないけれどね。カウンセラーとしては、君が一歩を踏み出したことをとても嬉しく思うよ」

 

 穏やかな口調で、柔らかな声で。けれど眼差しだけはそれらと違って見えた。

 まるで嘆いているような、もの悲しげな色が浮かんでいるようだった。

 

 

 

 

 

 

 話を終えて研究室へ入る頃にはもう博士はいつも通りの微笑に戻っていた。

 研究チームのメンバーに声を掛け、集まったところで振り返る。

 

「さて、カウンセリングも終わったことだし、今度はこちらの話をしようか」

 

 言いつつ手元の端末を操作すると、隣のモニターに幾何学模様の図面が表示された。

 見た瞬間に察しが付いて、視線を向けた先でクラウス博士は小さく頷く。

 

「例の術式の設計が完了した。君の身体に適した調整もほとんど終わっている。この後に受けてもらう測定が終われば、いつでも施術を行うことができるようになるよ」

 

 予想していても尚、生唾を呑まずにいられなかった。

 自ずと両手が握られて、博士の口にする言葉に最大限の注意を傾ける。

 

「以前にも説明した通り、この『霊子式生体刻印術式』は魔法師の持つプシオン構造体――精神に刻印術式を施すものだ。これにより魔法師は体内のサイオンを精神の領域へ送るだけで記述した魔法を発動することができる」

 

 説明する間、画面には次々にシミュレーションの映像が流れ始める。

 人体を模した3Dアバターから同じ形で色の違うアバターが浮き出て、浮き出た側の白いアバターに簡単な幾何学模様が付加される。それから元の青い側からサイオンを表す赤線が模様に触れると、青いアバターから赤い球体が飛び出して弾けた。

 

「サイオンによって起動する術式だから、プシオン構造体に刻印を付加したところで誤作動は起きないし、元の構造を変えるものじゃないから副作用も生じない。あくまで理論上は、だけどね」

 

 モニターを眺めていた博士が満足げに頷き、端末を操作する研究員の肩を叩いた。振り向いた男性研究員は満更でもなさそうにはにかむ。

 どうやらこのシミュレーションは彼が作成したものらしい。CADのシステムをアレンジする技量といい、これだけの能力がありながらどうして敷地の端の研究室に追い込まれているのだろうか。

 

「君には感謝しているよ。発想のきっかけをくれただけじゃなく、臨床試験に協力してくれるのはとてもありがたいことだ。君の持つプシオンのコアは他の一般的な魔法師には存在し得ないものだからね」

 

 こちらへ振り向いた博士がそう言って目礼する。右手を鳩尾のあたりに触れる仕草はたまに見るもので、彫の深い顔立ちと相まって敬虔な信徒のようにも見えた。

 

「分析の結果、君の精神とそのプシオン塊には細い繋がりこそあれ、互いに影響し合うほどの緊密性は見られなかった。想定外の副作用が生じた場合も症状は限定的になるだろう。刻印する術式の記述も君の希望に沿うものができたと確信しているよ」

 

「ありがとうございます。無茶な要求をしてしまってすみません」

 

「気にしないでくれ。君のお陰で行き詰っていた研究が進んだんだ。見返りをするのは当たり前というものさ。それに君とは何かと縁があるようだしね」

 

 謝意を口にした僕に、博士は笑んで答えた。

 含んだ言い回しはこの場で語れない経緯を示していて、同意の意を込めて目礼を返すと博士は満足げに頷いて続けた。

 

「それで、日取りはどうする? 出来る限り君の都合に合わせるよ」

 

「処置を受けたとして、すぐに解放して頂けるわけではありませんよね。拘束期間はどの程度になりますか?」

 

「施術後1週間はここで経過観察をしてもらうよ。その後も1か月くらいは通ってもらわなくちゃならない。毎日とは言わないけど、週に一度は検査を受けて欲しいな」

 

 脳裏にカレンダーを思い浮かべる。

 直近のスケジュールを考えると8月中に施術を受けるのは難しいだろう。次の週末にはボディガードの仕事が入っているし、何よりこの夏休み期間はなるべく有明に通わなくちゃならない。

 

 一方であまり後回しにすることもできない。

 10月末に横浜で開催される論文コンペティションには万全の状態にして臨みたい。原作と全く同じ推移をしたとしても危険は避けられないのだ。逸脱する可能性を考えればどれだけ準備をしても足りることはないだろう。

 論文コンペが近付く頃には一高内でのゴタゴタも増えることを加味すると、10月下旬までには経過観察期間を終えておきたい。だとすれば施術のタイミングは――。

 

「でしたら、9月の第2週の土曜からでお願いします」

 

「3連休の初日だね。わかった。その日程で調整しよう」

 

 間断なく頷いた後で、博士は困ったように眉を落とした。

 

「けれど、いいのかい? 9月だともう学校は始まっているだろう?」

 

「今月は予定が立て込んでいますので」

 

「……わかった。ではその日に施術ができるよう準備を進めておくよ」

 

 何かしら言いたげな表情を浮かべた博士だったが、結局それを口にすることはなかった。

 

 元の穏やかな顔に戻った彼の横でスタッフの一人がホワイトボードに日付を書き込み、赤丸で囲う。

 書かれた『9月10日』の字を見ていると、鳩尾の奥が熱くなるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 

 

 ローゼンの研究所を訪れた翌日も昼前から有明へと繰り出した。

 

 夏休みシーズンということもあってか平日でも人通りは多く、通り沿いのカフェも涼しい店内は満員に近い盛況ぶり。とはいえ通りに面したテラス席は大半が空席で、端末片手に通りを眺めるには最適な場所だ。

 

 21世紀も末を迎えた現在では、室外であってもある程度の冷却効果を得られる設備が流通している。ドライミストと気流の循環を促す機構は今や大規模な設備を必要とせず、こうした一般の店舗でも設置が容易だ。

 加えてこの店ではパラソルで日陰も確保されているため、座っている分には暑さも気にならない。強いて言えば通りとの距離が近いオープンテラス仕様なのが空席の理由だろうか。

 

 注文した軽食を早々に食べ終えた後、グラスを傾けて端末へ目を落とす。

 国際魔法協会の公開している学術資料の中から実用性の高いものを選んで読み漁りながら、時折通りを往く人の流れへ目を向け、目当ての人物がいないのを確認しては手元へ視線を戻す単調な時間が続いた。

 

 有明に通い始めてから既に1週間余り。未だリン=リチャードソンと遭遇することはなく、都内有数の観光地は平穏で賑やかな声に満ちている。

 行き交う人々の大半は夏らしい薄手の服装に身を包み、家族や友人、恋人と休日を満喫している。誰の表情にも不安や憂鬱の色はなく、傍観するこちらの胸すらも穏やかにさせてくれるようだった。

 

 何事もなく過ぎていく時間にひとひらの安堵を得る一方、魔法師らしき人のいないことだけはどうしても意外感を覚えた。

 

 魔法科高校に通っているとつい忘れがちになってしまうが、魔法師は社会において少数派だ。希少と言い換えてもいい程に少なく、にもかかわらず国内において少なくない影響力を持っている魔法師に好い感情を持たない人も少なくない。

 

 魔法が身近にない人々にとって、魔法師は同じ姿形でありながら信じ難い力を行使する存在だ。そして一般的に、魔法師が魔法を使うためにはCADが必要だと思われている。

 結果、非魔法師の多くはCADを身に着けた人を見かけると遠巻きに見るように距離を取るようになった。それだけならまだいいのだが、中には人間主義者のように因縁を付ける者もいるのだ。

 

 薄く短く、肌を晒した服装の人々の中にCADを備えた姿は一切ない。仮に魔法を扱える者がいたとしても、それを堂々と着けられはしないだろう。

 僕自身、脇に収めた特化型CADが人目に付かないようサマージャケットを羽織っている。無用な注目やトラブルを避けるためには必要不可欠なことだった。

 

 詮無いことを考えながら論文を読むことおよそ2時間。追加で注文したアイスコーヒーも空になった頃、ふと通りを歩く人々の中の一人が目に留まった。

 

 デニムのパンツとラフなシャツに身を包み、刈り上げた短髪を軽く立て、同い年としては驚くほどに鍛え上げられた身体で軽々と雑踏をすり抜ける男子の横顔に思わず首を捻る。

 

「ん? 森崎じゃねえか。偶然だな」

 

 西城レオンハルト。

 達也のクラスメイトであり、原作でも屈指のフィジカルを誇る少年だ。

 

 予想もしていなかった人物との対面。

 しかもレオと面と向かって一対一で話すのはこれが初めてだ。

 

「やあ、西城。君も休日の一人旅か?」

 

「まあな。行き先決めずにブラつくのが好きでよ」

 

 咄嗟に出た言葉は当たり障りのないものだったが、レオにとっては悪くない挨拶だったらしい。

 

 テーブルの脇で立ち止まったレオを見て、ふと思いつきが頭を過った。

 手にした端末をテーブル上のパネルに当てて支払いを済ませ、鞄に収めて立ち上がる。

 

「これも何かの縁。せっかくだから少し話さないか? 実は近くに持ち帰り限定のバーガーショップがあってね。この時間なら多少は行列も短くなっているはずだ」

 

 問うと、レオは眉と口角を僅かに持ち上げて応えた。

 

「へえ、いいじゃねえか。付き合うぜ」

 

「ありがとう。こっちだ」

 

 先導して歩き出した横にレオが並んでくる。

 

 ちょうど一人分だけ空いた間隔が何処か心地よく、ちらと窺ったレオの目も期待に輝いて見えた。

 

 

 

 

 

 

 道すがらの会話は互いのクラスの様子や授業風景を訊ねるものから始まり、バーガーショップに並ぶ列では達也や幹比古、エリカや美月といった友人たちの話題に変わった。

 互いのクラスの様子を聞いて楽しむ間に順番がやってきて、レインボーブリッジを望む公園の芝生へ腰かける頃には九校戦の話題へと移っていた。

 

「――十文字会頭の試合も圧巻だったけどよ、お前と達也、幹比古の決勝もすげー見応えあったと思うぜ。盛り上がりは新人戦の方があったんじゃねえか」

 

「ありがとう。そう思ってもらえるなら甲斐もあった。新学期が始まったら司波と吉田にも感謝していると伝えておいて欲しい」

 

 答えて、手にしたバーガーを一口齧る。

 メディアでも話題の店だけあってか、精緻に計算された味付けが舌一杯に広がる感覚はとても味わい深かった。

 

 もう一口食べようかと口を開いたところで、ふと視線を感じた。

 目だけを向けるとレオがじっと見据えてきていて、それまでとまるで異なる雰囲気に思わず唾を呑んだ。口元からバーガーを離して振り返る。

 

「どうかしたのか?」

 

 訊ねてみたものの反応はなく、数秒じっと目を合わせた後でレオは苦笑を浮かべ首を振った。

 

「いや、なんでもない。しっかり伝えとくよ」

 

 言うが早いか、レオは手にしたバーガーを頬張った。

 一口二口とかぶりついて、あっという間に平らげたレオは親指で口元のソースを拭って舐める。

 

 見ていて気持ちのいい食べっぷりに自ずと息が漏れた。

 何を考えていたのか気にはなったものの、まあいいかと流し改めて自分の分を口に運ぶ。

 

 

 

 食べ終わるまでの間、耳に入るのは遠くで鳴る汽笛と雑踏の声、風が葉を揺らす音だけだった。

 木陰を渡る潮風で暑さも気にならず、穏やかな時間が流れる。

 

 そんな陽気に誘われてか、隣のレオが小さく欠伸を漏らした――そのときだった。

 

 

 

 耳鳴りに似た不快な波動が流れてきて、咄嗟に振り返った。

 

 

 

「っ! 何だこれ、頭が……」

 

 堪らず呻き声を漏らすレオを支える余裕もなく目を凝らす。

 

 経験したことのあるノイズの出処は運河を挟んだ隣の公園で。

 

 服装もまばらな男たちの集団を目にした直後にはもう走り出していた。

 

 

 

 

 

 




 
 
 
 
 
「どれだけ欠片を集めたところで、一度壊れたものが戻ることはない。残念なことだけどね」
 
 
 
 
 
 

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